小梅日記 さん プロフィール

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小梅日記さん: 小梅日記
ハンドル名小梅日記 さん
ブログタイトル小梅日記
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/koume87
サイト紹介文主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解きます。
自由文旅日記や万葉集、百人一首などもあります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供92回 / 365日(平均1.8回/週) - 参加 2016/02/16 17:16

小梅日記 さんのブログ記事

  • 六月十七日
  • 六月十七日 蘭引で酒を取る。直川へとよを参らせる。金森殿の家来に手紙を寄越した。それによれば伊藤泰蔵が膈(食べ物が通らなくなる病気。胃癌、食道癌など)のようなので致し方なく秘法の鳬(けり)という鳥を黒焼きにして食べると妙薬になるそうだ。なんとも手に入らないのでどうすればいいかと申し候ところ、あちこちでいろいろ世話になったが、大坂方面までも詮索されたがとんと見つからない。捨て置けることではないけれど [続きを読む]
  • 六月十五日、十六日
  • 六月十五日 朝起きたら大雨が降っていた。4時頃から降り出したとか。8時頃にあがったが少しずつ降り続けた。山形屋太が越後帷子地を持参した。小弁慶62匁なり。是を買う。御通り丁筋へ送ることになっている。上九が肴を持って来た。代金は3匁6分で5尾。その内鯛が2尾。北村の次男が疱瘡なので見舞いに送った。夕方、田屋へ畳紙二つ持たせた。六月十六日 しぶしぶの天気だ。日高やへ酒2升を取りにやる。安兵衞が来て絹糸5分を受 [続きを読む]
  • 六月十三日、十四日
  • 六月十三日 上々の天気だ。安兵衞は庭の草取り。主人は学校当番。夕方、田屋へ画を11枚持たせてやる。夜にこいくが来てとよが片原まで送って行った。彦右衛門殿がきて先日の扇の画は出来ているかと言う。まだやってなかったので直ぐに描いてまだ有馬に居るらしいので安兵衞に稽古場まで持たせ行かせた。守之助の頼みだということだ。墨菊と墨桜を描いた。六月十四日 安兵衞が早朝に来た。2時過ぎに山本督学がお出でになる。肴 [続きを読む]
  • 六月十一日、十二日
  • 六月十一日 快晴す。昼過ぎに野呂が来る。酒を出し一盃、飲んでから主人は山本督学宅へ昨日の挨拶に行く。清吉を同道して10時前に帰宅した。喜多村進之助がくる。先日、伴右衛門は改名した。次男が疱瘡だという。六月十二日 快晴。夏のようだ。未だ蝉の声は聞こえないが4月くらいの気候なり。主人は評定所の当番ででかけた。夕方前に岡本作五郎から画の図を取りに寄越す。すぐに渡す。昨日の夜には宮本へ行った。 [続きを読む]
  • 六月十日
  • 六月十日 快晴だ。2時頃から岩一郎が斉観寺へ行く。山本先生から省太郎の遺物の袴地を一つ送られる。返事をしないで使いの者をまず帰す。半切りに竹を書いたものを取る。鈴木と村井は扇1本づつ。田中竹蔵とかいう人とは紗と木綿が当たったとか。夜、塩ハマチ片身を1匁で求めてきて皆で食べた。梅本夫婦も呼び、酒を借りた。そのうちにとよが帰り、母君と金比羅へ参る。小梅は具合が悪い。 [続きを読む]
  • 六月八日、九日
  • 六月八日 大風雨。鈴木芳右衛門より手紙が来た。本を返してくれとの由。戸田殿が手紙を持って来たのでその場で返した。こいくは昼前に帰った。六月九日 ようやく雨が上がった。主人が三浦に悔やみに行ったが、もはや昨日に葬送を終えていた。寺は坂田了望寺だという。そこで主人は山本督学とうし町の山中殿へ行った。内田へも行き宮本へ行く。光明院、楠本やなど12、3軒へ行ったとのこと。岩橋でも大いに酔い、そのほかでも、も [続きを読む]
  • 六月七日
  • 六月七日 昼頃、栗山が大きな鯖を2本持ってきた。野呂がきて酒を取り寄せ一杯だす。呉服やの安兵衞もきたので一緒に酒を出した。なら上布の帷子古手を27匁で求め、こちらの帷子を一つ渡す。これは18匁で引き取られた。小麦餅を一つ遣う。三浦から手紙が来る。伯父御の仲之助殿が霍乱(激しい下痢腹痛)で養生していたが至極悪化したとの知らせで即4時頃行く。さて、今日は学校当番のところをとんと忘れていたら御用人等が待ってい [続きを読む]
  • 六月五日、六日
  • 六月五日 大いに快晴する。何事もなし。久下馬輔来る。竹輪くずし1本持参で直ぐに帰った。しげの殿が梅本へ来られたと寄る。夜は小魚を求め了吉へ一杯出す。六月六日 天気良し。2時頃、了吉宅から小麦餅を二個持って人が来た。酒と寿司を出す。扇子2本へ画をかいて欲しいというので小梅は早速に菊の墨画と彩色した海棠を書いた。岩一郎は岡野へ行く。4時過ぎから主人も岡野へ行った。その時、千代が芭蕉の根を貰いにきた。熱 [続きを読む]
  • 六月四日 
  • 六月四日 少々雲動く昨日したの洗濯の糊貼りがせわしい。2時頃九右衛門殿が近くまで来たので寄られたがすぐに帰られた。主人は岩一郎と山本先生の逮夜(命日の前日の法要)に参った。帰りにそば屋へ寄った。岩一郎にと岸恪助からそば五膳を寄越される。岩一郎は市川へ行き、10時過ぎに大雨に濡れて帰った。傘や下駄は借りた物の役に立たないほどの雨だった。主人は雨が降る前に帰った。岩橋の会で了吉らが行ったが真善の気分が悪 [続きを読む]
  • 六月朔日、二日、三日
  • 六月朔日  鈴木忠太夫殿が読みにこられる。六月二日  お城当番で9時半頃家を出るなり。当番が済んでから方々へ行く。田中にて昼をよばれ、岩橋、山本へも行く。伊勢やへの帷子入れ替えを利八に頼む。梅本まで品物一つと40匁を渡す。6色。六月三日 おおいに快晴。洗濯に大忙し。主人は4時過ぎから伊東竹之丞宅へこの間の跡目相続のお祝いに行く。北野へ寄って夕方帰宅。その前に楽亭という画人がきた。10日に会を催すので是非 [続きを読む]
  • 五月二十九日
  • 五月二十九日 快晴す。早朝に梅本から庄兵が夜中に病死したとの知らせが来る。(下働きによく来ていた庄兵は親戚の梅本の使用人だった)昼頃にお直がきて直ぐに帰り茶菓をだしたのみ。主人は学校当番なのでお城に出かける。庄兵への香典を5匁とよに持たせて遣わす。住吉町の岸へおくりを持参して当番代わりをもらう。主人行く。一口にも足らない茄子が一つ3文づつで6つ求めた。きゅうりが1本につき8文。いずれも不出来。麦だけは [続きを読む]
  • 五月二十五日、二十六日、二十七日、二十八日
  • 五月二十五日 三宅から男に赤飯と枇杷を持たせて小重を返しに寄越す。手紙はなし。小倉帯を丸岡で買う。代金は5匁8分だが5分引かせる。五月二十六日  晴こまやで酒一升をとる。羊羹を買いに行く。岩一郎は岡野へ行き、夕方から主人も行く。五月二十七日  督学へ香儀を持参する。練り羊羹と匂い線香一包みを合わせた。三浦公へ行く。先日からの勘定をして米5升持参して行く。11匁をキハチに渡す。夕方に米を搗く。米は148匁で [続きを読む]
  • 二十四日
  • 五月二十四日  雨が降ったりあがったり。今日は主人が家にいる。野呂清一が来て酒販を出していると、田宮の隠居がきた。寿司を取ってもてなした。野呂は別間で少し休んだ。ソラマメのご飯を炊いて出す。鈴木忠太夫殿が母君からと饅頭を20ばかりくだされた。それを菓子に出した。夜の8時頃田宮の下男と下女が隠居を迎えに来たのでそれらにも酒を出す。そこで5合取りにやって、都合一升五合也。それから百合の花を薬にするのでくれ [続きを読む]
  • 五月二十三日
  • 五月二十三日 快晴す。安兵衞が筍を2本持って来た。1匁を安兵衞に渡す。4時頃から主人と岩一郎が山本へ見舞いに行き8時頃に帰った。筍で混ぜご飯をこしらえた。とよは昼過ぎに直川へ参らせる。お高を同道させた。夕方に帰る。七山から届いた狂歌集を中ノ店、中ノ丁雑賀柳蔵方へ返す。泥田坊の執事のことだが寺子屋の師匠とのこと。 [続きを読む]
  • 五月二十二日
  • 五月二十二日 快晴。今日と明日は勉強会が休みなり。この頃は学校がひどく衰退してきているのが嘆かわしいものだ。頑張っている山本に不幸があり。誠に気性の良い人なのでこの先の学校を引き立てていくことと頼みに思っていた省太?主が病死したため、当然ながら山本督学がすっかり力を落とされている。伊藤泰蔵殿も昨年の秋から食べ物が胸につまるらしいが、具合の良いときもあってなるようにしかならないと言う。よもやそうはな [続きを読む]
  • 五月二十一日
  • 五月二十一日 天気よし。民楠へ昼飯を頼む(出前?)。4時前に一杯飲んでいるところに山本彦十郎殿内の福田敬蔵方から手紙がきた。そこには省太?のことで至極大切なことがあるとあり直ぐさま主人は出かけた。大いに酔う。これは柳窓のことを滝本源三郎に頼れ、彦十郎殿に話すつもりのところが昨日も行けなかったので今から出かけようといたところへ知らせがあったので早速行ったのだが、昼頃に食べたもので何かに当たったらしく [続きを読む]
  • 五月十九日、二十日
  • 五月十九日 少し曇る。安兵衞が昼前に古い帷子を持って来た。代金は45匁。洗い張り賃1匁2分。とよの親が貝を持って来た。酒と食事を出す。雨が降り出し風も吹く。帰るとよの親に傘を貸す。夜、滝本源三郎がきた。酒を田中店で取る。梅本から鯖を2本、田屋から混ぜ寿司えびと二重を寄越した。こちらからも貝を1盆夕方送った。岩一郎は鷺の森へ参り、市川へ行く。五月二十日 4時過ぎから主人は山本彦十郎殿宅へ出かける。忠兵が [続きを読む]
  • 五月十六日、十七日、十八日
  • 五月十六日  入梅。山本から手紙が持参される。橙が欲しいとのことで直ちに十三ばかりもいで持たせる。昼前なり。野呂も来て直ぐに帰る。雨が降り出した。五月十七日 天気よし。しかし快晴ではない。善一氏が来られた。岩一郎に酒を取りにやる。鯖を煮てだす。主人は学校当番で三浦公へも行き夕方に帰宅した。善一氏も帰られた。8時前にとよがおばばと妹の小郁を連れて貝を持ってくる。妹を泊まらせる。その前に下女の帰りが遅 [続きを読む]
  • ある老女優の死
  • 小倉の市民劇団の女優だった由利子さんが亡くなった。先日公演で行った時に電話したら家の中で転んで足が痛くて動けないという。それで来られると大変だろうとお邪魔するのをやめた。それから一ヶ月あまりで届いた訃報だった。あの時無理にでも押し掛けるべきだったのかどっちにしても後悔はつきまとうだろう。足の痛みが改善されないので手術をすることになり術前検査で手遅れの肺がんがみつかったという。そして、その翌々日に急 [続きを読む]
  • 五月十五日
  • 五月十五日 快晴だ。昼頃、赤石清友(大坂の絵の具や)の代理で孫助がくる。十七匁九分払う。また、二十三匁五分の物を取る。但し、絵絹一丈 〇藍蝋1本 〇朱半両 〇胡粉四分 〇四匁にて唐墨二挺、十四匁、きぬ、しめて二十三匁五分なり。梅本家では皆が城の口へ法事で出かけた。酒井省安が狂歌集一冊持ってきた。何も出さなかったが姿絵を一枚贈った。夕方、平七どのが梅本に来たけれどみな留守で千太郎しか居ないとうちへ寄 [続きを読む]
  • ダダ、町の子に
  • 自然いっぱいの町から越してきて二ヶ月あまりになりました。なんだかんだと雑用に追われながらこの街にも馴染みつつあります。マンションの並び建つ町ですが古い町並みもたくさんあり、大小さまざまな公園も点在していて日々のダダとの散歩が楽しいです。救急車やパトカーのサイレンに呼応して吠えてたてていたダダですがサイレンの数の多さに時々手抜きし始めています。そのうちに吠えなくなるのでしょう。ペット可のマンションで [続きを読む]
  • 五月十二日、十三日、十四日
  • 五月十二日 曇時々雨時々降る。三浦に行き岩橋に寄って、浅之助と一緒なったが一丁目で別れて帰ってきたそうだ。五月十三日 珍しく天気となった。夜には月も出た。風呂を焚く。主人はどこへも出かけない。とよの妹がきて泊まった。森谷正八から魚(小魚6,はまち1)が送られてきた。さっそくに料理した。五月十四日 大いに快晴だ。蒲団を洗う。同五で酒を二升取り寄せる。ぶしゅかん酒を作った。2時頃からとよが妹と八百屋の [続きを読む]
  • 五月十一日 
  • 雨のち曇昨日、小出に絵を置いてきたが少々気に入らない所があるので江戸へ出すのは具合が悪いので、そのことをとよに申しやる。今日は少々陽も見えたので糊をしかけはじめたが、またおかしな天気となった。最近の天気の具合は非常に悪くて麦にも菜種にもひどく悪く、茄子などもひどいものだ。米は150目也。天候が不順なので袷に襦袢を重ねて丁度よい。昨夜は田中善一殿が来られて主人は外出中だったけれど一盃出した。とよの妹が [続きを読む]
  • 五月八日、九日、十日
  • 五月八日 曇のち雨曇っていたが4時頃から降り出した。今日は川嶋角助から詩会をするので来てくれとのこと。4時頃栗山がくる。その後、主人は山本彦十郎殿宅へ行く。川嶋へ行き着くのは8時頃になるらしい。同行者は北野と栗山。市川に先に寄るという。五月九日 主人は学校当番。夜、千太郎宅で会があり岩一郎が行く。真善を送って帰って来たのは4時頃だった。五月十日 おおいに雨が降る。風も少々ある。雨が上がっている間に伊東 [続きを読む]
  • 西国第三番 風猛山 粉河寺(こかわでら)
  • 西国第三番 風猛山 粉河寺(こかわでら)ご詠歌 父母の恵みも深き粉河寺 ほとけの誓ひたのもしの身や三度目の参拝になるが初めてじっくりと歩いた。何しろ広い。神仏関係のあれこれが全て揃っている。境内の上横に抜け道があるので桃山町に行くときはいつも通過していてすみません。無料駐車場もある。宝永4年(1706年)に建立された大門は三間楼門で総欅造りである。仏師春日作の仁王像が迎えてくれる。その規模は和歌山県では [続きを読む]