EV奈良 さん プロフィール

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EV奈良さん: 日本の為に戦ってくれた英霊を忘れない
ハンドル名EV奈良 さん
ブログタイトル日本の為に戦ってくれた英霊を忘れない
ブログURLhttp://evnara.blog.fc2.com/
サイト紹介文太平洋戦争の各地戦跡に足を運んでいます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供20回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2016/02/28 11:27

EV奈良 さんのブログ記事

  • 周防大島
  • 山口県の離島、周防大島へ行ってきた。瀬戸内の綺麗な海と景色で「日本のハワイ」と、言われていると聞いて、かなり前から行ってみたかった。そして「陸奥記念館」にも行ってみたかったのだ。▲本州と周防大島を繋ぐ「大島大橋」を渡って周防大島へはいる。▲▼南国の離島を思わせる様な、綺麗な海水と景色が出迎えてくれる。ひとまず「道の駅」サザンセトとうわに向かう。「道の駅」サザンセトとうわで、観光案内地図を確認。「真 [続きを読む]
  • 丹東(旧安東)
  • 哈爾浜から寝台特急列車で一晩走り、北朝鮮との国境の街、丹東を目指す。夜が明けた寝台特急の車窓からの景色。都会とは打って変わった田舎の農村地帯の景色が広がる。大都会や高層マンション群は見飽きていたので非常にのどかで良い風景だ。山が見え、日本でも赤煉瓦では無いが、地方へ行くと見られるのどかな風景と、どこか似ている。どこまでも続く大地とは少し違う大陸の風景。とにかく広い中国。色々な景色が堪能出来る。寝台 [続きを読む]
  • 哈爾浜③
  • 哈爾浜②からの続き。「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」を見終えて陳列館の外に出ると、旧731部隊本部跡の広い敷地内に出る。▲731部隊本部の建物が見えた。▼赤印が現在地だ。▼反対側は当時南門だった方向。新しい陳列館が出来る前はここが入口だった様だ。▼▲現存する当時の南門衛兵所新しい陳列館が出来る前は、この南門衛兵所で、外国人のパスポートチェックや売店に利用されていたとの事。731部隊は独自の防衛施設を備え [続きを読む]
  • 哈爾浜②
  • 哈爾浜訪問のもう1つの目的、それは、731部隊本部跡を見学しに行く事。祖父母の軌跡巡りで長春(旧新京)で終わりにしようかと思っていたが、各地戦跡巡りで曲がりなりにも戦史に多少詳しくなっていたので、気が重い思いをするのは解っていたが、731部隊本部跡はどうしても見ておきたかった。2015年8月15日に「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」という新館がオープンし、見学にあたって、外国人でもパスポートの提示義務が必要無くな [続きを読む]
  • 哈爾浜①
  • 哈爾浜は、黒竜江省の政治・経済の中心で、ここも人口約600万人の大都市である。1898年(明治31年)ロシア帝国により満洲を横断する東清鉄道建設が着手されると、交通の要衝としてロシア人を初めとする人口が急激に増加し経済の発展をみるようになった。1900年(明治33年)義和団事件が勃発し、ロシアは満州を制圧する。清朝(当時の中国)は猛反発。※日露戦争(1904年[明治37年]2月6日〜1905年[明治38年]9月5日)1905年(明治38年)10月31 [続きを読む]
  • 長春(旧新京)
  • 今回の中国東北部旅行の1番の目的地、長春は、旧満州国時代に新京と改められ、満州国の首都とされた場所である。此処で祖父母は終戦(敗戦)後の昭和21年9月まで暮らしていた。祖父は昭和12年から満鉄勤務(庶務課)だった。日露戦争でからくも勝利した日本は、長春以南の権益をロシアより獲得すると南満州鉄道株式会社を設立、明治39年(1906年)に長春駅を建設した。日本が満州国建国前から、中国東北部は満州と呼ばれ、その地域に暮ら [続きを読む]
  • 大連
  • 仕事で中国は何度か訪れた事があるが、今回は初めての中国東北部。祖父母の軌跡を辿る旧満州国の旅。御年94歳の祖母が、満鉄勤務だった祖父(故人)とともに暮らした新京(現在の長春)を見学しに行った。母も新京(長春)の満鉄病院で生まれている。目的は長春だが、折角初めて東北部に行くのだからと、日本時代(旧満州国時代)の「夢の残骸」も、出来る限り同時に見学する事とした。まずは大連空港に降り立ち、中国東北部旅行の起点とす [続きを読む]
  • 三高山砲台跡
  • [ 三高山砲台の歴史 ]江田島市北西部に位置する三高山(標高401.8M)の北部には、ロシアとの国交が急を告げる明治31年2月を境に、バルチック艦隊の入港を阻止する為、広島湾一帯の数か所の一つとして起工し、2年の歳月を費やして完成させた。播州煉瓦といわれる特殊な薬焼の煉瓦で造られた幾つかの掩蔽部があり、ここには280ミリ榴弾砲6門、90ミリ速射砲4門、90ミリ臼砲4門、弾薬庫4個、機械設備庫や大規模な巡回監視所、その他建物 [続きを読む]
  • 「沖縄戦」を深く知るツアー
  • 「沖縄戦」を深く知るツアー太平洋戦争(大東亜戦争)末期、日米激戦の舞台となった沖縄島。硫黄島に次ぐ国内2番目の地上戦が繰り広げられた沖縄本島、そして国内で唯一、民間人を巻き込んだ壮絶な戦闘が約3ヵ月にわたって繰り広げられた沖縄本島に今も残る戦跡をご案内します。日本軍民の死者188136人、米軍の死者15050人を出した戦争の傷跡は、今も沖縄本島に多く残されています。(日本側死者内訳→沖縄県外日本兵65908人。沖縄県 [続きを読む]
  • 沖縄戦(本部半島)
  • 「沖縄戦」でおおよその戦いの流れはご紹介したが、沖縄本島北部地域での戦闘はあまり知られていない。沖縄美ら海水族館で本部半島を訪れる人は多いと思うが、今回は名護市を中心として本部半島の戦跡を巡ってきた。名護市へは那覇から沖縄自動車道で向かう。1時間少々でまずは、高速道路終点「許田」にある道の駅許田で休憩。曇ると肌寒いが、太陽が見えた途端に暑さを感じる。流石南国だ、2月でもコートなどは不要。▼「道の駅許 [続きを読む]
  • 石垣島
  • 石垣島は、沖縄県内で沖縄本島、西表島に次いで3番目に大きい島で、現在約5万人が暮らす沖縄県の離島。八重山諸島の政治・経済・教育・交通などの中心地として現在は自衛隊配備が決定し、宮古島・奄美大島と同時進行で尖閣諸島への中国脅威にらみをきかせ、南西防衛強化を急いでいる。本土に住む我々も常に注視しておきたい島である。そんな石垣島だが先の大戦中、沖縄本島の様な地上戦は無かったものの、陸海軍の航空基地や震洋特 [続きを読む]
  • 江田島旧海軍兵学校見学
  • 戦前、江田島といえば「海軍兵学校」を意味した。明治21年に(東京)築地から江田島に移転して以来、海軍将校養成の基地として若者の憧れの場所だった。現在は、海上自衛隊幹部候補生学校や第1術科学校などになっている。以前から訪れたかった場所にやっと行く事が出来た。教育参考館が1番の目的。「鹿屋航空基地史料館」では見る事が出来ない神風特攻隊員の遺書や遺品をこの目で見る為に・・・。▲江田島市にある国民宿舎能美海上ロ [続きを読む]
  • 横島(陸軍燃料廠 横島貯蔵所跡)
  • 広島県福山市の離島「横島」。ここにひっそりと戦争遺跡が残っている。昭和18年に完成した「陸軍燃料廠 横島貯蔵所」だ。当時は11基の燃料タンクがあり、終戦まで稼働していた。戦後は米軍が使用する事となり、昭和33年の返還まで「横島油槽所大浜貯油基地」として稼働していた。日本に返還後の昭和35年からは㈱丸善石油大浜貯油所が再稼働させるがオイルショックによって昭和50年に閉鎖。以後、LPガス貯蔵施設計画など色々あった [続きを読む]
  • 日本海軍小禄(那覇)飛行場
  • [ 小禄(那覇)海軍飛行場 ]那覇国際空港は旧日本海軍小禄(おろく)飛行場だった、米軍の沖縄本島上陸が差し迫った昭和20年3月24日、25日「小祿彗星隊」が海軍小祿基地から艦上爆撃機「彗星」で出撃している。(沖縄周辺米機動部隊索敵攻撃)▲▼沖縄県の玄関口、那覇国際空港はかつての日本海軍小禄飛行場だ。現在の滑走路の位置は帝国海軍小禄飛行場時代に近いレイアウトとなっているが面影は無い。▼昭和19年10月10日(十十空襲)米軍 [続きを読む]
  • 航空自衛隊美保基地
  • 抽選で当たった人は「C-1輸送機に体験搭乗が出来る」。7月ぐらいだったかハガキを送って申し込んでみた。すると8月初旬に当選の封筒が送られて来た。嬉しかった、軍用機に乗せてもらうのは初めての事だ。ワクワクして鳥取県境港市にある美保基地に行ってきた。▼予め郵送されてきた駐車券をダッシュボードに置いて、基地内に入り持ち物チェックをして所定の位置に駐車する。▼基地内を歩いて滑走路付近に向かう(真新しい基地施設が [続きを読む]
  • 陸軍北(読谷)飛行場と中(嘉手納)飛行場
  • 沖縄戦で紹介した「陸軍北飛行場」と「陸軍中飛行場」昭和20年4月1日の米軍上陸後に真っ先に占領された陸軍の飛行場だ。中飛行場は現在も米軍が拡張・整備した「嘉手納飛行場」として使用している。北飛行場は米軍接収後、読谷補助飛行場としてパラシュート降下訓練などに使われ、現在は日本に返還され、読谷村が今後の活用方法を議論している。陸軍北飛行場/中飛行場は紹介しているブログ等も少ない為、[沖縄戦]で紹介しきれなか [続きを読む]
  • 沖縄戦
  • 沖縄戦を知る戦跡ツアーに参加した。25年前に一度訪れた事があるはずだが全く記憶に無い。ビーチで泳いだ程度の完全観光旅行だったのでさほど印象に残っていないのかもしれない。今回はみっちり2日間、ガイド付で沖縄戦跡を見学した。▼現在はウミカジテラスで有名な瀬長島を見ながら那覇国際空港に着陸する。▼那覇国際空港は元、日本海軍小禄飛行場だった。那覇国際空港からはゆいレールというモノレールが那覇市内を走っており [続きを読む]
  • 楢本神社(関行男大尉)墓碑
  • ずっと行きたかった場所、愛媛県西条市にある楢本神社。ここには神風特別攻撃隊「敷島隊」隊長 関行男大尉の墓碑があります。「敷島隊」が突入した当時の新聞は朝刊1面で「身を捨てて国を救わんとする皇軍の精粋である」と報じた。 関大尉は命令を受けた際「ぜひ、私にやらせてください」と承諾したとされるが、 報道班員だった小野田政特派員は、出撃を控えた関大尉とのやり取りを回想録「神風特攻隊出撃の日」の中でこう記す。 [続きを読む]
  • (舞鶴要塞)槙山砲台跡/金岬砲台跡
  • 明治時代、対露戦国土防衛として。そして舞鶴軍港を守る沿岸砲台として建設された舞鶴要塞の一角、金岬砲台跡/槙山砲台跡に行ってきました。「槙山砲台」着工1898年(明治31年11月)→竣工1901年(明治33年10月)昭和20年終戦まで稼働。道の駅 舞鶴港とれとれセンターの交差点を北へ。舞鶴湾沿いに車で約20分。槙山公園の看板を目印に山側へ細い道を登って行くと槙山砲台跡にたどり着きます。車で行ける比較的楽な場所ですが、道 [続きを読む]
  • 硫黄島の戦い
  • 昭和20年2月19日〜3月26日に日米が激突した「硫黄島の戦い」は、映画「硫黄島からの手紙」等で有名だ。小笠原方面陸海軍最高指揮官「栗林忠道陸軍中将」率いる日本軍の奮闘は周知の通り。昭和20年2月19日米海兵隊第1波が硫黄島に上陸を開始した。この時、栗林陸軍中将の命令を無視し、応戦砲撃を行った日本海軍の海岸砲により擂鉢山火砲陣地が露呈し、全滅した。日本海軍の指揮官は「市丸利之助海軍少将」戦いの最後に市丸利之助 [続きを読む]
  • ロタ島
  • ロタ島は1521年マゼランの一行より発見され、スペイン統治領土とされた。マリアナ郡島(マリアナ諸島)という呼び名はスペインの女王マリ・アンにちなむもの。米西戦争で敗れたスペインはグアム島を米国に譲渡。1899年ロタ島、テニアン島を含む北マリアナ諸島の支配権を450万ドルでドイツに売却した。その後第1次世界大戦でドイツが敗れ、宣戦していた日本は、ドイツ領南洋諸島全体を占領。大正3年(1914)北マリアナ諸島をその支配下 [続きを読む]
  • テニアン島
  • 日本統治時代があった島、テニアン島。約3500年前、マリアナ諸島の原住民は東南アジアから到達した。彼等はチャモロと呼ばれる独自の民族となり、独自の文化を育て、原始的な生活していた。スペイン統治時代にはテニアン島を制圧したスペイン政府に反抗したチャモロ人を虐殺・制圧し、チャモロ人をグアム島に移した為、17世紀以降約200年間は無人島だった。明治32年(1899)マリアナ諸島をドイツがスペインから買い取り、第1次世界 [続きを読む]
  • 知っておきたい人物
  • 笹川 良一(ささかわ りょういち、1899年(明治32年)5月4日 - 1995年(平成7年)7月18日)日本の政治運動家、社会奉仕活動家。国粋大衆党総裁、衆議院議員、全日本カレー工業協同組合特別顧問財団法人日本船舶振興会(現公益財団法人日本財団)会長、福岡工業大学理事長、勲一等旭日大綬章受章者大阪府三島郡豊川村(現:箕面市)に造り酒屋の長男として生まれる。笹川家は代々庄屋を務めた旧家で苗字帯刀を許されており、父・鶴 [続きを読む]
  • ニイハウ島事件
  • ニイハウ島事件は、昭和16年(1941)12月7日日本海軍による真珠湾攻撃に加わった空母「飛龍」所属のゼロ戦が、ハワイ諸島のニイハウ島に不時着して起きた一連の出来事である。1864年以来、ハワイ諸島の中で最も西にあるニイハウ島はロビンソン家が私的に所有している。島民のほとんどはハワイ先住民で、彼らの第一言語は、他の島の住民のような英語やハワイ・クレオール英語ではなく、ハワイ語だった。現在もニイハウ島は観光などで [続きを読む]