けい さん プロフィール

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けいさん: 何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証
ハンドル名けい さん
ブログタイトル何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/mothra04281030/
サイト紹介文私は2015年末、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎と突然死別しました。これは彼の生きた証です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供357回 / 365日(平均6.8回/週) - 参加 2016/03/02 09:33

けい さんのブログ記事

  • ふたりの歴史は輝き続ける
  • 祥一郎と出逢ったばかりの頃、もちろんふたりは燃えあがっていて、お互い好きで好きでたまらなくて、片時も離れたくは無かった。人並みにそんな時期はあった。一緒に住むようになってからも、同じ布団で抱き合ってあいつに腕枕をしてやって眠った。寝る前にあいつは必ずキスをせがんで、私が軽くしかしてやらないと、「んーーー、愛が無い、愛が無い。」と言ってもう一度キスをせがんだ。なにしろ私はそんなにひとりの人を好きにな [続きを読む]
  • 前向きに予定を立ててみよう
  • 仕事が休みになる度に、(ああ、何をして過ごそうか・・・・・・。)と思い、結局何もたいしたことはせずに早目に床につく日が続いている。予定を沢山入れたいけれど、近所に友人知人も居らず、私の仕事がシフト制なのもあってなかなか遠方の友人達とも予定が合わない。となればどうするか。一日に何度も部屋を出たり入ったりして、結局は更に孤独を深めるのなら、可能でも不可能でもいいから何か予定を立ててみようと思い始めてい [続きを読む]
  • 私が差し出した傘
  • 私は祥一郎のどこに惹かれたんだろう。どんな面が好きだったのだろう。出逢って数年ぐらいは勿論恋愛感情が盛り上がっていた頃だし、外見的にも私のストライクゾーンだった。しかし長く共に暮らすには、勿論そんな理由だけでは続かない。事実、本当に私達はもう駄目かもしれないという喧嘩は何度もした。原因は、祥一郎がなかなか定職に就かず、アルバイトも長続きせず、フラフラしていた時期もかなり長かったので、私が「ちゃんと [続きを読む]
  • 慟哭
  • 昨夜、私はいつもの慟哭をしていた。「祥一郎・・・・・・・・・・逢いたいよ、逢いたいよ。なんで死んでしもうた・・・・・・・・なんでおっちゃんを遺して死んでしもうた・・・・・。おっちゃん、寂しいよお、悲しいよお、辛いよお・・・・・・。おっちゃんどうやって生きて行ったらええのや・・・・・・何を支えに生きて行ったらええのや・・・・・・お前の居らん人生はいやや・・・・ひとりで生きて行くのんはいやや・・・・・ [続きを読む]
  • 悲しきゲイライフ
  • 私がゲイであることを自覚してもう何年経っただろう。人並み?にクラスの男の子にときめいたりはしていたから小学生の高学年頃には自覚はしていたと記憶している。初めてそういう体験をしたのは、高校を卒業するころだっただろうか。そうとは知らずにゲイの集まる公園(所謂ハッテン場)に迷い込み、かなり年上の男性に手ほどきを受けたのが最初だった。その頃私は実家からはとうに家出同然のように去り、理容店で働きながら下宿し [続きを読む]
  • 私の身勝手さ、祥一郎の涙のわけ
  • 確かに私は安心しきっていた。いつでもどんなときでも祥一郎が傍に居てくれる。なので私は好き勝手なこと、例えば夜遊びを繰り返したり、友人知人と会食したり、時には遠方の友人を訪ねて行ったり、あいつ一人を残して自分だけで行動する事も多かった。お互いの交友関係には不干渉などという、些か私の勝手なルールで、あいつを縛っていたのかもしれない。それに加えて部屋に見知らぬ人を招くことを極端に嫌う私の為に、祥一郎はか [続きを読む]
  • 母よ・・・・今こそ私を抱きしめてほしい
  • 去年8月のミディアムセッションの際、殆ど祥一郎との通信だったが、その後少しだけ私の母親の事を聞いてみた。ミディアムさんによると、「・・・・・お母様の気配を感じません。まだこの世で生きてらっしゃるのではないでしょうか。」とのことだった。何故私はあの時母親の事を聞いたのだろう。幼い頃に別れて、顔も覚えていない声も想い出せない、勿論その後どんな人生を送ったのかも知らない母親のことを何故聞いてみる気になっ [続きを読む]
  • 祥一郎の居ない二度目の夏
  • 私と祥一郎とを襲った甚大な災厄とは何の関係もないとばかりに、容赦なくまた夏はやってきた。ふたりで大慌てで夏の準備をしたあの頃。厚く重い蒲団をしまい、薄い肌掛けを引っ張り出して洗濯し、強い日差しで干す。ちょっと汚れたクーラーのフィルターを掃除する。入浴剤は、肌がサッパリするようなクール系のものに変更し、網戸についた埃を申し訳程度に掃う。衣替えは祥一郎の役目だ。押入れにいっぱいになったふたりの服を全部 [続きを読む]
  • 弱った心
  • 昨夜は・・・・・・・・底知れぬ悲しみと喪失感に襲われて、(嗚呼死にたい・・・・・もうこんな人生は嫌だ・・・・死にたい・・・・でも死ねない・・・・・・・)そんなことを繰り返し思っていた。こんな思いが湧き起こるのはしょっちゅうなのだが、昨日はかなり落ち込みが激しく、それに耐えるのにかなり労力を使ったようだ。午後9時前にはぐったりとして床についてしまった。相変らずオフの日には部屋を何度も出入りし、いつも [続きを読む]
  • 銭湯の想い出と、入浴への拘り
  • 祥一郎と出逢ってすぐ、東京は谷中の二人のスイートホームであるトタン屋根のあばら家で暮らしていた頃、部屋には申し訳程度に後からつけたトイレと、一畳半くらいのキッチンがついているだけで、勿論バスルームなどあるわけも無かった。そこで当然入浴は銭湯に行くことになるわけだが。あの頃、谷中は下町だったのでポツンポツンと近所に銭湯があった。私は別に特別風呂が好きというわけでは無かったが、習慣として毎日入浴しない [続きを読む]
  • 祥一郎の全てを知りたかった
  • 二度のミディアムセッションで祥一郎は、テレビの画面にぐーっと入りこむイメージと、子供番組のようなもののイメージを伝えてきた。そのイメージの意味は、「うちの夢やってん。」ということも伝えてきた。このことから推測されるのは、あいつはひょっとして体操のお兄さんのような仕事に興味があったのかそれが夢だったのではないか。事実、祥一郎が遺したブログ(http://blog.goo.ne.jp/ucchi33_2008)では、あいつは子供バレエ [続きを読む]
  • 小さくなったわだかまり そして貧困
  • どうやら私の、祥一郎の父に対するわだかまりが小さくなったようだ。意を決して祥一郎の父親に電話し、その後封書が届いた事で、先日私はお礼を兼ねて再度父親に電話した。先方もそれは予想していたようで、すぐに電話に出てくれた。まずは迅速に送ってくれた事にお礼を言った。そして封書の中身について、中に入っていた写真は、大阪の知人の結婚式に出席したときのものだろうということ。そして同封されていた臨床検査報告書の件 [続きを読む]
  • 何度も泣かせてごめんね
  • 祥一郎・・・・・おっちゃんはお前を何度か泣かせてしまったよね。ごめんね・・・・すまないことをした。あれは東京から大阪へ、お前が一大決心をしておっちゃんに着いて来て暫く経った頃だったね。何で喧嘩したかは覚えていないけど、お前はゴマちゃんのぬいぐるみを抱いて、「うちにはおっちゃんしか居らんねんで。おっちゃんしか居らんねん・・・・。」と言って泣いていた。そうだよね、大阪へ来たばかりでお前に友人が居るはず [続きを読む]
  • 世界で一番不幸だと言って何が悪い?
  • 以前私のブログ上のコメント欄で、「あら、世界で一番不幸な女を演じている○○さんじゃないですか。」などという煽りか中傷ともとれるコメントを見たことが有る。そのコメントを投げつけられた女性とこのコメントを書き込んだ人との間に何が有ったか知らないが、他人のブログ上で別の他人に喧嘩を売るようなコメントを書き込む神経もどうかしていると思うが、もうひとつ、「世界で一番不幸な女を・・・云々。」の部分が大層無神経 [続きを読む]
  • 祥一郎の爪と髪の毛
  • 祥一郎と私の20数年の歴史が始まった原点であるぼろアパートが見つかって、興奮冷めやらなかった日の翌日。私はパソコンデスクの横の窓を開け、煙草を吸いながらやや呆然としていた。祥一郎が旅立ってしまってからそんなひと時は何度も有ったのだが、この日は何気に窓の桟を見つめていた。すると、埃や細かいゴミの中に髪の毛がちらほらと落ちている。私はそれを拾い上げた。よく見てみるとどうも私の髪の毛ではない。私の髪の毛 [続きを読む]
  • 私のディオゲネスの樽、そして祥一郎
  • 昨日不思議な力に背中を押されて祥一郎と私の原点であるぼろアパートを見つけたことで、私の興奮というか感激というか、そんな感情がまだ冷めやらない。この感情の理由は、ふたりの歴史が産まれた場所がまだそのままの形で残っていた、それはとりもなおさずふたりの歴史が現実に確かに存在していたという意味での、私のメルクマークであるかのような気持ちが湧き起こるだろうと思う。あの頃私は全てにおいて切羽詰まっていた。私は [続きを読む]
  • 残っていたふたりのぼろアパート
  • 遅く起きたきょうのオフ。何気にテレビをぼーっと観ていると、明治の文豪である幸田露伴の特集をやっていた。別に興味も何も無かったが、幸田露伴は一時期東京の谷中に住んでいたということで、谷中の街並みが映っていた。何も予定の無かった私はその映像を眺めていて、「そうだ、久しぶりに谷中の街を散策してみよう。祥一郎と私の原点の街を。」と思ったのだ。身体はくたくたに疲れていて、天気は盛夏を思わせる暑さ。普通ならそ [続きを読む]
  • 最初で最後の一泊旅行
  • もうすぐ今年の夏が始まる・・・・・・・。祥一郎が生きていたら、どんな夏になっていただろう。いつもの年のように、部屋では二人ともパンツ一丁で、「暑いなあ、暑いなあ。」と言いながら、冷し中華やアイスクリームの爆喰いをしていただろうか。あいつは日焼けに精を出し、私は夜遊びに余念が無かっただろうか。旅行なんて行ける経済的余裕なんて無かったから、何処へも行かず、いつもの夏になっていただろうな。それでも・・・ [続きを読む]
  • 夢・・・・浴衣を着ている祥一郎
  • このところ祥一郎の夢を見なくなった。いや、見ているとおぼろげには覚えているのだが、内容が想い出せないのだ。祥一郎が、私はもう大丈夫だと判断しているのか、それとも以前書いたように私のあいつを想うパワーが強過ぎてそれがバリアーになってしまっているのか。私はまだ全然大丈夫でも無いし、パワーが強過ぎるのならそれを早く制御しなければならないのだが。そんな中、昨日久しぶりに覚えている祥一郎との夢を見た。ふたり [続きを読む]
  • 牢獄となった部屋
  • 我が家の玄関のドアはいつも少し開いていた。そう、猫のクロがいつでも出入りできるように、猫隙間が空いていた。部屋に誰も居ないということがないので、それが可能だった。おかげでクロはいつでも自由に、一日に何度も遊びに行っては帰って来て餌を食べてひと休みすることができた。いつでも誰かが居る部屋・・・・そう、そこは単なる部屋では無く、やはり「我が家」だったのだ。窓から明かりが漏れ、換気扇からは食べ物の匂い、 [続きを読む]
  • 彷徨う休日
  • ほんの少しの雨の中、傘は必要ないだろうと買物に出掛け、帰ろうとしたら本降りになっていた。けっこう濡れて帰宅し、溜息をつく。こんな小さな日常のハプニングでも、祥一郎が居たら、「もう、いっつもこうや。降らんと思ったら降るねんから。」とかぶつくさ言いながら、それでもふたり楽しんでいた頃があった。濡れた身体や買い物籠を拭いて買物を冷蔵庫に放りこみ、ふたりでほっと一息ついて夕食は何にしようかと考えを巡らす。 [続きを読む]
  • 「おっちゃんにはお前しか居らんねんで・・・・。」
  • 「うちにはおっちゃんしか居らんねんで・・・・・。」大阪にふたりで移り住んだ頃、私と喧嘩すると祥一郎はよくそう言っていた。友人知人も居らず、喧嘩してむしゃくしゃする気持ちを吐き出す相手も居なかった祥一郎。そんなあいつの気持ちを私は本当に理解していたのだろうか。ぬいぐるみを抱いて泣いている祥一郎を、(寂しい思いをさせてはいけない。)と本気で考えていただろうか。自信が無い。それでも、何年か大阪で暮らす内 [続きを読む]
  • 祥一郎の大イビキ
  • あの頃、私には隣りで寝ている人が居た。大の字で、或いは背中を向けて、私の方を向いて寝ている人が居た。「グーーー、ググーーー、グーーーー」というけっこう大きなイビキをかいて、安心しきったような寝顔をして寝ている祥一郎が居た。その鼾のせいで眠られず、あいつをツンツンと突くと、一瞬大きな目を開いて鼾は止むのだが、またしばらくすると大イビキ。そんな戯れを何度かした後、私は諦めて眠りに入る。眠れないのは最初 [続きを読む]
  • 幼少期の祥一郎
  • いつもの何も予定のないオフの日。これもいつものように私は近くの荒川の河川敷で、ぼーっと川面を眺めていた。するとそこへ小学生の団体が引率の教師に連れられてやってきた。どうやら自然観察授業の一環らしく、この河川敷あたりに生息するカラスの種類について教師が生徒達に教えていた。やれあれがハシブトガラスだのこっちがハシボソガラスだのと大声で教えていて、それに生徒達の嬌声が加わり、ひとり静かに祥一郎を偲んでい [続きを読む]
  • 一年半が過ぎようとして・・・・・
  • いつもこのブログを読んでくださっている方々、改めてお礼申し上げます。祥一郎が旅立ってはや一年半が過ぎようとしています。一年半前のあの頃、私の心と頭は真っ白で、身体は重い泥濘の中を歩いているような、そんな日々が続いていました。今から思えば、祥一郎の遺品の扱いや、友人知人への連絡など、(ああすれば良かった、こうすれば良かった・・・・・)と、後悔の念が後から後から湧いてきます。しかし過ぎてしまったことは [続きを読む]