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何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証 http://blog.livedoor.jp/mothra04281030/

私は2015年末、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎と突然死別しました。これは彼の生きた証です。

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2016/03/02

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  • 祥一郎、8回目の命日

    祥一郎が旅立って8年が過ぎました。あれから8年、もう8年、やっと8年・・・・・・・どれも違うような気がします。私にとってはやはり、ああ長かったなあ、8年・・・・というのが正直な気持ちです。毎年暮れに思うのですが、一年に三年くらい歳をとったような、そんな感覚もあ

  • 想い出は温めるもの?しがみつくもの?

    今年もまたこの季節がやってきた。そしてあれからもうまる8年になろうとしている。悲しみや孤独は、手を変え品を変え私の周囲に蟠る。しかしここまで生きてきた現実がある。まがりなりにも生きてきた現実が。まだ終わりは見えない。私にはまだこの世での課題があるのかもしれ

  • 祥一郎、間が空いてしまってごめんね。

    かなり日記を書くのが空いてしまった。ごめんね、祥一郎。おっちゃんは何とか生きているよ。この酷暑に喘ぎながらも、何とか生きているよ。体調を2回も崩してしまって大変な思いをしたよ。後に罹ったコロナの後遺症で、今も体調が悪い。疲れやすくなったし、髪も薄くなった。

  • WBCと、祥一郎が居た頃

    私は別に野球というスポーツには、まったく興味が無い。いや、寧ろ積極的に嫌いと言っていい。それには色々な理由があるけれど、まあそれはまた別の機会に。けれども、やはりどうしても国際試合になると結果が気になる。矛盾した小市民の私。今回のWBCも日本の下馬評が高かっ

  • 祥一郎と出逢うために

    私は東京生まれではあるけれど。物心ついてから30代半ばまで、大阪で暮らしていた。しかし、私はいつかまた東京へ戻るんだという確信めいた気持ちがあったようだ。高校時代の友人も、なにかにつけて私が東京へ行くんだと呟いていたことを言っていた。別に何か夢があったわけ

  • 祥一郎のカレンダー

    去年も押し詰まったある日。(あ、カレンダー買いわすれた・・・・)と思ったが、別に大した予定もない独り身のこと、別にいつでもいいや、というのがいつものことだった。しかし、その日は違った。風呂に入り飯を食って、さあ早めに寝ようと思ったのだが、どうしてもカレン

  • 7年が過ぎでも色褪せない、あの輝かしい日々

    7年・・・・・・・・私は甘く見ていた。6年も7年も経てば、私はもう・・・・・しかし現実は違っていた。祥一郎への想いは、何一つ変わっていない。悪戯に時は流れ、私はどっぷりと歳をとり、あの素晴らしかった祥一郎との20数年を想い、大きな闇の穴の淵に座っている。その闇

  • 悲しみに塗れたクリスマス

    嗚呼、クリスマスになるとやはり想い出す。あの年のクリスマス。私はいつものクリスマスのように、鶏モモのローストとなにがしかのオードブルを作って二人で食べようとしていた。しかし、祥一郎はそんな重いものはもう食べられなくなっていた。亡くなった後、冷蔵庫で見つけ

  • あの日あの時を想い、二つの命を想う

    今年もこの時期がやってきた。あの年のきょう、もう祥一郎の命があと一週間も無いのに、私はいつも通り年を越せるものだと思い、新しい家具などを揃え、知人まで家に招こうとしていた。祥一郎は、「うち、しんどいから寝てるで。」と言っていたのに。私の後悔は未だ尽きない

  • 祥一郎の誕生日 時空を超えて2度目の「美女と野獣」

    祥一郎。2度目の美女と野獣は楽しんでくれたかい?10月30日、お前の誕生日当日。抜けるような青空。あの時の赤坂とは違って、今回はディズニーリゾート内だ。そう、あの時・・・・・1995年、「美女と野獣」が日本での初演の年。お前は行きたいと言って、おっちゃんがしり込

  • 上積みされた喪失感

    この喪失感は何だろう。・・・・。覚悟はしていたはずなのに。できるだけのことはしたつもりなのに。クロの死は、私の喪失感を更に大きくしている。勿論、祥一郎を喪ったときとは比較にはならないけれど。それでも、決して小さくはない、さらに大きくなった心の穴。これは単

  • クロ、祥一郎と一緒だね。今までありがとう。

    祥一郎・・・・・・クロが虹の橋を渡って、そちらへ逝ったよ。今頃、お前の足にまとわりついて、甘えているだろうか。再会に、二人で喜んでいるだろうか。これからは何の心配もなく、一緒に過ごせるね。二人でおっちゃんの行く末を見守っておくれ。クロと出逢ったのは、いつ

  • 僅かな希望

    飼い猫のクロの様子を見に行ってきた。点滴に繋がれて、意識も朦朧とした状態。医者の話によると、あずけたその日の夜に、私に「明日までもたないかもしれない。」と電話するつもりだったらしい。しかし、クロはまだ生きようとしているようだ。点滴を打って尿をしている。そ

  • 祥一郎が叫んでいる。クロ、頑張って!

    飼い猫のクロが、とうとう入院の運びになった。15歳もとっくに過ぎた老猫。血液検査をし、色々な数値がもう駄目だそうだ。酷い脱水症状もおこしている。できるだけのことはやってみると言われた。一日目が一つの山、3日目4日目が二つ目の山、一週間がもう一つの山らしい。餌

  • アジサイと祥一郎

    梅雨真っ盛り。あっというまに、私のマンションの近所は、アジサイが花盛りだ。祥一郎は、アジサイの花が好きだと言っていた。正確には、自分のブログでそう書いていたのだけれど。「アジサイは、鉢植えなんかじゃなく、路傍に逞しく咲いている方が好きやなあ。」あいつはそ

  • 時空を超えて。「美女と野獣」再演

    その日、私は上野の街をあてもなくぶらぶらしていた。もう帰ろうと思い、駅の階段を降りたとき、突然私の目の前に、線路脇の看板が目に入った。「美女と野獣」。もう日本では再公演は無いのかなとずっと思いつつ、再演したらいいのになあと思っていた。祥一郎の声が心の中で

  • あの病院から帰ってこなかった祥一郎

    祥一郎・・・・・・・。おっちゃんね、少し体調が悪くて大学病院で検査してきたよ。そう、あの日お前が倒れて運び込まれたあの大学病院だ。あれから初めて訪れることになった。大きい病院だから、この街のどこからでも見えるんだけど、あの建物を見るたびに悲しくなってしま

  • あと一週間

    6年前のきょう。祥一郎の命が、あと一週間だと知っていたなら・・・・・私は、仕事もなにも全部放り出して、祥一郎を抱きしめ続けただろう。そして、「祥一郎、あの時はごめんね。あの時はあんなこと言ってごめんね、あんなことしてごめんね。」と、ただひたすら自分の犯した

  • 遠いあの頃の朝

    夜勤明けの朝。私はあの頃のとある朝を想い出した。あれは祥一郎と私が一緒に暮らし始めて、それほど経っていない頃。谷中という街で暮らしていたころだ。私は祥一郎を家において、ひとりで二丁目に飲みに行き、朝帰りした。酔いどれの私が家に向かって歩いていると、向こう

  • 今年もこの時期がやってきた

    今年もこの季節がやってきた。街はクリスマスや年末年始に向かって浮足立ち、その中で私は、不安定になっていく自分の気持ちと戦っている。6年前のこの時期。祥一郎の体調は急激に悪くなっていき、それでも私は(きっと何とかなる。今までもそうだったように、乗り越えられる

  • ワンプレートの食事

    祥一郎が旅立って・・・・・私の食事はいつのまにかワンプレートになってしまった。実際はプラスチックのお盆にご飯とおかずを乗せてぼそぼそと食べている。一人分の食事。食べる楽しみも団欒も無い食事。あの頃、炬燵式のテーブルに二人分の食事がいつも乗っていた。まぎれ

  • 祥一郎、52歳の誕生日

    祥一郎。誕生日おめでとう。52歳になったんだね。もう押しも押されもしないおっさんだ(笑)。おっちゃんはね、この日をずっと感謝するよ。この日が無ければ、お前と出逢うことができなかったんだから。だから、おっちゃん死ぬまでこの日を祝うんだよ。さあ今年も劇団四季のミ

  • 祥一郎が赤とんぼに想いを乗せて

    昨日のこと。慣れない仕事を押し付けられて、私は憤懣やるかたない気持ちでいた。極端に人手不足な職場。私の他は非常勤職員で、その仕事の研修も受けておらず、やらせるわけには行かない仕事。私は正社員なので、やるしかなかった。私自身は研修を受けたが、もう何年もして

  • 洗濯機

    長い間使ってきた洗濯機が、とうとう引退する。排水ホースがもうボロボロで、階下に迷惑をかけそうになってしまった。思えば、この洗濯機で祥一郎はこまめに洗濯してくれた。あいつの存在が一番染みついた家電かもしれない。元々中古で、知人にもらった洗濯機だけれど、よく

  • 台風の休日

    祥一郎。東京は台風が近づいているよ。あの頃・・・・・。何度かふたりで台風の日をやり過ごしたね。強い雨や風の音を聞いて、ふたりで「凄いなあ。」「買い物行かれへんな。」等と、埒も無い会話をしながら。外へ出ることもできず、お前はパソコンに齧りついたり、体操した

  • 終わっていく東京オリンピック

    祥一郎よ・・・・・・東京オリンピックが終わっていくよ。お前と行くはずだった、お前と観るはずだった東京オリンピックが終わっていくよ。お前に、「まーだ言ってるの?」なんて言われそうだけれど、おっちゃんの色々な想いを乗せて、オリンピックが終わっていくよ。思い返

  • 東京オリンピックに思うこと

    祥一郎はオリンピックが嫌いだった。全く興味が無かった。私がテレビで応援していると、呆れていた。あいつのツイッターにも、「東京でオリンピックなんてやらんでええのに。鬱陶しい。」なんて呟きもあった。でもねえ・・・・私はひそかに目論んでいたのだ。東京オリンピッ

  • 5年半が過ぎて・・・・悔しい

    祥一郎・・・・・もうあれから5年半が過ぎたね。とても、とても長かったよ。お前のことを想い続け、悲しみ、後悔し、出逢えたことに感謝し、そして涙する。そんな、そんな5年半だったなあ。なんだかね、悔しい気がするんだ。もう5年半も過ぎたことが、悔しいんだ。お前と

  • 酒に溺れて

    祥一郎・・・・。おっちゃん、酒の量が増えてしまったよ。こんなご時世だから、家で飲むことが多いんだけど。買い置きの焼酎やワインが、すぐ無くなってしまうよ。あの二丁目の店に行けるようになって、また外で飲むようになったけどね。飲んでいると、奈落の底に落ちていく

  • エイやっと心と身体を持ち上げて・・・

    祥一郎。押し入れに何年も置きっぱなしだった空気清浄機やパソコンの部品、そんなものを処分することにしたよ。そう、断捨離の一環だね。そして・・・・・決して捨てられないと思っていた、お前が寝ていた敷布団も処分しようと思うんだ。お前の体臭や汗が染みこんだ、あの敷

  • これからの生き方

    なあ祥一郎よ。おっちゃんは、どの方向へ行けばいいんだろう。お前が光の世界へ行って、おっちゃんの心の穴は、未だにいっこうに小さくならない。そして、どこかでその穴を埋めてくれる人と出逢えないか期待している。でもねえ、おっちゃんはもう還暦も過ぎた。そんな出逢い

  • 今年も墓参り

    今年も猛暑の前の墓参り。6月は祥一郎の母親の命日があるから、あいつは毎年行っていた。しかし考えてみれば、祥一郎は自分の母親の命日の墓参りには、3回しか行けてないんだな。母親の他界後、3年半後にはあいつも天界に行ったんだから。やはり、母親に呼ばれたのかな。

  • 泳がなくなった鯉のぼり

    今年もこの時期がやってきた。祥一郎がいつも日向ぼっこをしていた近所の清水坂公園。この時期にはいつも、大きな鯉のぼりが何匹も泳いでいた。しかし、今年はご覧の通り。去年も、早々に片付けられてしまった。人が集まるのを少しでも避けるためとはいえ、一抹の寂しさを感

  • 自分へのご褒美と、祥一郎の笑顔

    先日、上野の東天紅という高級中華料理店へ赴いた。誕生日の自分にご褒美をしようと。実はこの店の日比谷店は、祥一郎が私と出会う前にバイトしていた。もうその店はないけれど。その当時、あいつが辞めるときにその店の同僚達が書いた寄せ書きがまだある。祥一郎はそれを大

  • 今でも続くふたりの時

    祥一郎と過ごした20数年。懐かしい・・・・・想い出す・・・・・過ぎ去った過去・・・・・私には微塵もそんな感覚はない。何故なら、祥一郎と出逢って、そして年月を過ごして、この世から旅立った今でも、祥一郎は私の傍に居るに違いない。それらは間違いなく現在も続いて

  • またひとつ歳をとる

    祥一郎。おっちゃんは、またきょうひとつ歳をとったよ。お前が旅立って、もう6つも歳をとった。お前がこの世に居たら、またタバコをひと箱買ってくれただろうか。小さなケーキを用意してくれただろうか。それを想うと、たまらなくなる。でも、こんなことも慣れていかなきゃ

  • 眩暈がするほど穏やかな人生を

    祥一郎よ・・・・。お前と出逢ってからも、ふたりの人生は波乱万丈だったね。失業、貧困、転居、病気・・・・・そんなことの繰り返しだった。それでもお前は、私の傍に居てくれたけれど。ふたり一緒のそういう人生が、あらかじめ決められていたこと、この世での課題だったの

  • 私の帰る場所

    帰りたい場所か・・・・・私には帰りたい場所はあるだろうか。実家はとっくに家も土地も無くなって、跡形もない。兄の住んでいる場所?あり得ない。赤の他人以下の兄がいる場所など。弟?何処で何をしているかも知らない。そして、今独りで住んでいる部屋。何をしてもどうし

  • 隣の町の想い出

    私の住んでいる街の隣に、王子という街がある。祥一郎は、この街の専門学校か大学に通っていたと言っていたことがある。私は詳しい話を聞き逃してしまったけれど。あいつは、この街で学生時代を過ごしたのだろうか。そうだとしたら、その何年か後に隣町の赤羽で私と一緒に住

  • 春の日差しの中で

    こんな世の中でも春はやってくる。部屋の裏の崖には藤の花が咲き、蜂が飛び回っている。春の日差しは、あの頃のふたりの暮らしを思い出させて、ひょっとしたらまたあの頃に帰れるんじゃないかと、私の妄想は膨らむ。祥一郎がいつも陽を浴びていたあの公園の道を、私はちょっ

  • 桜のように生きてほしい

    今年も桜の季節が過ぎ去った。上の写真は、家の近くの桜の古木。何年か前の台風で、幹がごっそり風に持っていかれ、次の年には枯れてしまうだろうなと思っていたら、あれからも花をつけている。この桜の樹を眺めるたび、生命力の不思議を感じる。そして思うのだ。祥一郎にこ

  • 形を変えた悲しみと孤独

    祥一郎よ。だいぶと更新が滞ってしまったね。あれから5年。今回の年末から初春にかけて、なんだかそれまでとは違う想いや感情に襲われているよ。5年も経てばすっかり立ち直れるかなと思ってたけど、甘かったね。コロナのせいもあるかもしれない。街を彷徨いたいのに、寂しい

  • 同じことを繰り返し、そしていつかそこから出よう。

    祥一郎が旅立って、もう5回目の年末年始。今回はどうしたのだろう、特別に悲しみや孤独が強い。時の移ろいは、どうやら私の味方では無いらしい。年末の祥一郎の命日には、友人を呼んで少しばかりの供養をしたけれども、その後に襲ってきた感情は、決して心地よいものではな

  • 5年が過ぎて・・・「再褐 祥一郎 突然の死」

    あれからまる5年が経ちました。あの年のこの日、私の人生は大きく変わり、うねり、そしてそれは今も続いています。結末はあるのかないのか、それとも、何もかもを含めた年月が、私の人生なのか。まだ、私にはわかりません。でも私は、あの日を忘れません。この5年間、祥一

  • クリスマスと、誰も寝ていない布団

    疲れ切って、床に入る。そしてふと横を向くと、誰も使っていない布団一式。私は長い孤独な夜をさっさと過ごすために、布団を被る。朝目覚めて、またふと横を見る。眠りに入る前と、なんら変わらない光景がそこにある。そんな夜を、私はもう5年も過ごしてきた。こうしていつも

  • あの時、祥一郎が言いたかったこと

    もうすぐやってくる祥一郎の命日。そんなある日の昼下がり、私は考えていた。祥一郎は、自分の命がまだあるうちに、もうすぐ自分は死んでしまうのだと分かっていたら、いったい何を語っただろうかと。実際はあの最期の夜、「・・・おっちゃん、手ぇ握って・・・。」と呟き、

  • もうすぐ5年

    祥一郎が旅立って、もうすぐ5年が経ちます。とても、とても長かったような気がします。私はこの5年間、何かを見つけようと、何かに縋ろうとして足掻き続けました。しかし、未だにその答えは見つけられません。悲しみや孤独は定期的に自分に襲い、そしてそれは深く蟠っている

  • 祥一郎51回目の誕生日

    祥一郎よ、ことしも誕生日がやってきたね。もう51歳になるんだね。お前も十分おっさんだね。お前はこの世には居ないけれど、おっちゃんはこの日を忘れないよ。亡くなった子供の歳をかぞえるっていうけれど、そんなありきたりのことじゃない。お前が、おっちゃんと出逢うため

  • 秋の夜長のフラッシュバック

    いつになく綺麗なコオロギの声を聞きながらでも、やはりそれは突然襲ってくる。落ち着いて祥一郎との年月を想い出していても、突然襲ってくるのだ。フラッシュバックが。あの日あの朝。断末魔の悲鳴をあげて台所で倒れた祥一郎の姿。苦悶の表情を浮かべ、血を吐き、白目をむ

  • 祥一郎の匂い

    あの頃。そう、祥一郎が居たこの部屋。いや、何処に引っ越してもそうだった。あいつは、いっぱいコスメ製品を持っていて、いつもとっかえひっかえそれを使っていて、部屋はいつも、いい匂いが漂っていた。香水や石鹸、そして私には何に使うのかわからないようなコスメ製品が

  • 祥一郎にしてやれなかったこと

    祥一郎に、まともな葬式もしてやれなかったこと。あっけなく、火葬場で燃やしてそれで終わってしまったこと。私に金があったら、それなりのことをしてやれただろうか。父親の意志とも関係なく、私が祥一郎の亡骸を引き取って、あれこれ算段をして、葬式をしてやれただろうか

  • お盆によせて

    祥一郎・・・・・お盆がもう終わるね。お前が旅立って、お盆には別にこれといって何もしなかったけれど。あ、最初の一年のお盆だけは、親しい人を集めて、お前を偲んだっけ。それ以来、何もしてないね。なにか後ろめたいような気もするけど・・・・。でも、お盆だからってお

  • 雷鳴に追われて

    とある猛暑の日。こんなご時世だというのに、私は依然と同じように、部屋にひとりで居るのがいやで、相変わらず、街を彷徨っていた。年老いた身体に、暑さが容赦なく襲い掛かる。少し早い夕立の気配を、雷鳴が教えてくれた。仕方なしに私は部屋へ戻る。誰も迎えてくれない、

  • 祥一郎のメール

    スマホに変える前に使っていたガラケー。そこには確かに祥一郎からきたメールがまだ入っている。2014年までのもの、一緒に暮らしていたから数は多くはないけれど、確かにふたりでやりとりした証拠が残っている。内容は短く、何気ない生活の上でのやり取り。買い物は?飯は?

  • 私たちの絆

    あの日あの時。あの出逢いは、私は祥一郎の派手な色のシャツに目を留めたからだと思っていた。でも違うんだな。世の中に赤い糸というものがあるのなら、あの日あの時、その糸が一番短くなって、そして、お互いを見つけることになったのだ。東京へ来ることになったのも、親戚

  • 古いレンジパネル

    いわゆる、レンジパネル。もう6~7年くらい取り換えていなかっただろうか。何故か・・・・・それは、祥一郎とふたりで食べる料理を作った痕跡が、思い切りこびりついているから。あいつが旅立って四年半。未だに取り換えていなかった。しかし、きょう思い立ってやっとレンジ

  • ある夜の足音

    珍しいな。クロがマンションの階段の足音を聞いて、玄関の方に駆け寄った。しかし上の階の部屋のドアが開ける音で、戻ってきた。祥一郎が階段を上がる音に似ていたのだろうか。そういえばなんとなく・・・・。あのドスンドスンという音が・・似ていたような気もする。でも・

  • 世の中が動き出す中で・・・・

    世の中が少しずつ動き出す中で・・・・。私はなんとかこの時期を乗り切ったのかな。とりあえず、コロナにまだ罹ることなく、生きているのだから、乗り切ったのだろう。たった一人でヒイヒイ言いながら。祥一郎とふたりだったら、どうなっていただろう。やっぱり二人でヒイヒ

  • クロの居場所

    肌寒い日が続いているこの頃。部屋で疲れきってボーっとしていた。何気なく猫のクロが、落ち着きなく、ウロウロするのを眺めていた。その時、私は気づいた。そうか・・・・・クロの居場所も、ひとつ無くなってしまったのだなあと。祥一郎が座っていた座椅子。いや、正確には

  • コロナ禍。もしふたりだったら・・・

    祥一郎が旅立って、独りで部屋に居るのが無性に辛くて、部屋を頻繁に出入りしていた私。そんな生活が四年余りも続いていた。そして、それは今も変わらなかった。そこに今回のコロナ禍。洗脳するかのように、来る日も来る日も「家に居てください!三密を避けてください!」と

  • またひとつ・・・・。

    祥一郎、元気かい?こないだは、写真にメッセージありがとう。知ってると思うけど、おっちゃん、またひとつ歳をとったよ。とうとう大台に乗ったよ。もうお前が旅立って、五つも歳をとったんだね。とてもとても長かったような気がする。色々な意味で、とても長かったよ。祥一

  • エビフライ

    エビフライを揚げてみた。独り暮らしになってから、初めて。あの頃は、月に一度はエビフライ。沢山揚げて、祥一郎は残して翌日のおかずにとっておいたっけ。でもきょうは・・・・・・・あれ、おかしいな。もっと食べられたはずなのに。残してしまった。やっぱり、独りで食べ

  • 祥一郎が座っていたテーブル

    我が家のテーブル。何度祥一郎と飯を食い、寛ぎ、話をしたか数えきれない想い出を吸っている、古いテーブル。祥一郎が座っていた位置には、今はあいつの物言わぬ写真だけ。きょう、何気にその写真の付近を見たら、うっすら埃が溜まっていた。ティッシュで拭き取ってみる。黒

  • 何かを変えるために

    あれから四年が過ぎた。私は何か変わっただろうか。精神的には、確かに涙を流すことは少なくなった。しかし、いっこうに悲しみや孤独が和らいだ気がしないのは何故だろう。なんだか、悲しみや孤独、喪失感などの感情が、心の奥深くに淀んで蟠っているような気がする。ときに

  • 私の帰る場所

    帰りたいなあ・・・・・・私の居るべき場所へ。私の居るべき場所、それは・・・・・祥一郎がいつも居る場所。あいつが寛ぎ、遊び、寝て食べて、そして私が帰ってくるのを待つとは無しに待っている場所。それが私の帰る場所。何処だっていい。地の果てだっていい。祥一郎が居

  • 酒といつもの風景

    あれから四年が過ぎた。かなり酒の量は増えたと思う。あの頃・・・・仕事から帰宅して疲れ切って飲んでも、自分で作ったチューハイ二杯くらいで済んだ。祥一郎の背中を眺めながら、その二杯くらいで済んでいたのだ。嗚呼、いつもの風景だという安心感がそうさせたのかもしれ

  • 石焼き芋

    魔が差したのかな・・・・「いしや~~きいも~~~。」の呼び声につられて、つい買ってしまった。いや、祥一郎はさつまいもが好きだったもので。あいつはよくスーパーで、干し芋を買って食べていた。それとさつまいもを甘く煮た総菜とか。ふたりで暮らしていたころ、屋台の

  • 自然に「祥一郎、ありがとう。」と言える日

    先日、家でひとり飲んでいた。家で飲んだわりには、少々酒の量が過ぎたようだった。長い間心に押し込めて、溜まりに溜まった悲しみが、あとからあとから湧き出して、涙が溢れて止まらなかった。祥一郎の名を呼び続け、慟哭し、嗚咽し、心の中をかきむしった。そんな時、口か

  • 幸せに生きよう

    祥一郎・・・・。おっちゃんはね、残りの人生幸せに生きようと思うんだ。それがどんな形なのか、どんな方向なのか、今はまだわからない。でもね、残りの人生幸せに生きようと思うようにしているんだ。きっとお前もそう望んでいるはずだろう?おっちゃんが悲しみと孤独にまみ

  • この街でこれからも生きること

    この街の駅に二人で降り立った時、私たちは生きるために来た。なんの所縁も友人も居ない初めて訪れる街に、二人で生きるために来たんだ。不安と、若干の期待と小さな夢を抱いて。決して祥一郎の死に場所にこの街を選んだわけではない。しかし・・・・・・現実にはそうなって

  • 後を着いてきてくれる祥一郎

    祥一郎・・・・・・・年が明けたよ。おっちゃんは今年も部屋で一人で過ごしている。そんな時、ふと強く思い出したんだ。最初で最後だったあのディズニーランド。その帰り際に喧嘩して、散々な想い出になってしまったあの日。帰り道ではお前はおっちゃんとだいぶ離れて後ろか

  • 再掲 祥一郎 突然の死

    本日は、祥一郎の二度目の誕生日です。あれからまる四年。長かったような一瞬だったような。いや、でもやはり長かったのでしょう。四年間分の私の孤独、悲しみ、贖罪感、辛さそれらは私の体と心に深く刻み込まれています。それでもわたしは何とか生きてきました。祥一郎がそ

  • 四年前の12月27日 最後の一日

    祥一郎。今年もこの日がやってきたよ。お前とおっちゃんが最後に過ごした日。四年前のきょう・・・・・・・お前の体調は最悪になりつつあったけれど、それでもおっちゃんはなんとかなると走り回っていた。まさか翌日の朝に、お前がこの世から旅立ってしまうなんて夢にも思わ

  • イブの日につらつらと・・・

    祥一郎よ・・・・・・・。今年もクリスマスだ。おりしもおっちゃんは、風邪をひいてしまって、部屋で臥せってる。でも昼間横になっていたら、だいぶ良くなったよ。だからねえ、ふと思ったんだ。あの頃のクリスマスのように、鶏モモのソテーを買ってきて、それなりのクリスマ

  • いつか、遺したものをお前の元へ

    祥一郎と私・・・・・・男と女だったら、どんなふたりの人生を送っただろうか。祥一郎は何を遺してくれただろうか。お前に先立たたれ、私は子供を唯一の希望だと思って育てただろうか。それとも子供なんか作らずに二人だけの人生を歩んで、そしてどうにかしてただろうか。で

  • 祥一郎の居る世界への階段

    相変わらず何も予定のない休日。しかし翌日からは、色々と忙しい日々が続くはずのそんな休日。毎朝引くカードのお告げに従って、私はとりあえず自然の残っていそうないつもの荒川の河川敷で、瞑想をしていた。終わってからふと空を見上げると、凧が飛んでいた。小さな凧が何

  • 祥一郎、その人生

    祥一郎よ、お前はおっちゃんと出逢う前、どんな人生を送ったのだろう。今となっては、実の父親にそのことを聞くこともかなわず、あの頃、お前がぽつぽつと呟いた断片的な言葉からしか想像するしかない。幼少期、親戚中にたらいまわしにされたこと。そしてそれが嫌で弟と一緒

  • またこの季節が・・・冬の公園

    冬の訪れを告げる冷たい雨がやっと上がった頃、私はどうしようもない寂寥感に襲われて、またあの公園に行った。人っ子一人居ない、寒い雨上がりの公園。私は自分の行き場のない感情を宥めようと、その公園をとぼとぼと歩いた。最近はこの公園を歩くとき、ある癖がついた。い

  • 青空への想い

    今年一番の寒い日。雲一つない抜けるような青空。祥一郎が旅立った日も、こんな日だった。あの時は・・・この空に祥一郎は上って行くんだと思ったものだが。今は信じている。祥一郎はあんな遠い空に行ってしまったのではなく、私の傍に今も居てくれているんだと。次元は違う

  • 木枯らしの日に想う

    祥一郎・・・・・・・外は木枯らしが吹いている。もう冬だね。おっちゃんは寒いよ。お前はどうしているだろうか。そちらの世界はきっと、寒くも暑くもないんだろうなあ。あの頃・・・・・・・・・・・こんな寒い日でも、ふたりで居ればなんともなかった。寒さをふたりで楽し

  • 一人分のおでん

    私は、悲しみと孤独の大きな淵から、またひとつ階段を上がったのかもしれない。きょう、ふと思い立っておでんを作ってみた。木枯らしが、目の前に迫ってきた冬の訪れを告げたせいもあるのだろう。祥一郎が旅立ってから、独りで食べるためには作ったことのないおでん。あの頃

  • 祥一郎と一緒に キャッツ鑑賞

    先日は祥一郎の誕生日。少し遅れたけれど、あいつの好きなミュージカルを観に行った。キャッツ。考えてみれば祥一郎と出会う遥か前、40年以上くらいになるか、一度だけ観た作品だった。それから祥一郎に出会うまで、ミュージカルにはとんと縁がなかったけれど。そしてあいつ

  • 祥一郎、誕生日おめでとう

    祥一郎、誕生日おめでとう。お前の50回目の誕生日だ。お前ももう50歳・・・・・・・・・・・・・立派なおっさんだね。もうおっちゃんのことを年寄り扱いできないよ(笑)。おっちゃんはね、この日に感謝している。だってこの日が無かったら、お前と出逢う事もできなかったもの

  • 伝わらなくとも伝えたいこと

    「どうか、いつも寄り添ってくれている人、当たり前のように傍に居てくれる人を大事にしてください。その人がもし突然目の前から居なくなっても、少しでも後悔が少ないように・・・・・。」祥一郎が私の目の前から居なくなって、そんな偉そうなことを他人に何度か言ってみた

  • 不思議な笑顔

    何が私をそうさせたんだろうか。録画してある例の「昨日何食べた?」というドラマの最終回の中で、主人公の二人がカフェでスコーンを分け合って食べているシーンを何回も観て・・・・・・・・私は、祥一郎とふたりで同じようにしている姿を想像して笑っていた。ひとりで笑っ

  • 祥一郎ともう一度

    あの真っ青な冬晴れの日の朝。お前は旅立って行った。「さよなら。」の言葉も無く、「助けて!」のひと言も無く、恨み事のひとつも無く、ただ「うわあああああああ!!」という断末魔の叫びだけを残して。そしてあとには、何が自分の身に、心に起こったか理解できないでいる

  • 祥一郎が好きだったなます

    季節外れだが、ふと思い立ってお節料理の一品を作ってみた。なます・・・・・・祥一郎が好きだった。 お節には伊達巻き、お煮しめと共に必ず重箱に詰めた祥一郎の好物。このなますも、祥一郎が旅立ってから初めて作った。 これでまた封印のひとつが解けたわけだ。祥一郎は

  • 祥一郎に捧ぐ、早く訪れた秋。

    今年の夏は駆け足で去って行き、秋が早目にやって来たようだ。コオロギもいつもより早く泣き始めて、今はけっこうな合唱だ。空にはもうひつじ雲がたなびいている。今年の秋は長くなるのだろうか。それとも冬が早くやって来るのだろうか。いずれにせよ、祥一郎はこんな陽気を

  • 祥一郎と私の部屋・・・・・

    ずっと独りで無頼に暮らしていたら、そんな事を考えただろうか。祥一郎とふたり。立地は別に一等地でなくともいい。そこそこの立地で、3LDKのタワーマンションを買って住むんだ。ひとつは勿論祥一郎の部屋。あいつは小物を雑然と置くのが好きだから、おしゃれな棚を置い

  • お前を幸せにしたかった。

    「貴方を幸せにしたい・・・・・・。」陳腐な台詞で、自分がこんな言葉を話すことも思う事も一生無いと思っていたけれど。今私は、強く思う。「祥一郎、お前を幸せにしたかった。」その幸せの正体は、今となってはもう分からないけれど。しかし、この台詞を祥

  • 今も置いてある自転車

    私の住んでいるマンションの前に、一台の自転車がずっと置いてある。誰も乗らなくなった自転車。三年半もずっとぞのままに置いてある自転車。そう、祥一郎が乗っていた自転車だ。あいつが旅立った当初は、この自転車をリフォームしてピカピカにしようとおもって

  • あの涙の意味

    ♪あの涙の意味も 分かろうとさえしなかった※松任谷由実 「SUNNYDAY HOLIDAY」より。祥一郎・・・・・・・お前が天国に旅立つ、確か二日前の夜だったと思う。お前は、「・・・・・おっちゃん、手、握って・・・・・・・」と弱弱しく言って

  • 心の耳を澄ます

    オフの日といっても、何も予定が無ければ誰とも会話しない。きょうも一日、誰とも話さなかった。あの頃・・・・・・・・・・・・なんでもない会話が満ちていたあの頃・・・・・・・・・。「ちょっとそれとって。」「そこ、どいて。」「もう、あんたはだらしな

  • また夏が・・・・・・。

    長い梅雨が終って、また夏がやってくる。祥一郎が旅立って、四度目の夏。季節が巡る度、祥一郎が旅立って何度目か数えるクセがついた。数えても数えても、あの歳月は戻らないけれど。まだ祥一郎との暮らしが続いているのだと自分に言い聞かせるように、私は季節

  • 「きのうなに食べた?」が終って。

    「きのうなに食べた?」が終わってしまった。初回から観ていたのだが、概ねハッピーな日常とハッピーエンドで終ったドラマだったけれど、不思議と自分の境遇と重ねて惨めになることはあまりないドラマだった。その意味では良いドラマだったのかもしれない。料理を作

  • 拙ブログを読んでくださっている方へ。近況報告

    どうも、ブログ更新が滞ってしまって、ご心配して下る方々、ありがとうございます。私はなんとか生きています。実は相棒が旅立って以来、私は何かに縋ろうとスピリチャルな世界へ没頭してきたわけなんですが、それからもう三年が過ぎました。その世界の勉強はまだ続

  • 老い支度と悲しい習慣

    悲しい習慣がついた。夜眠る時、窓の鍵を外しておく。私が独り死んでいても、不審に思った誰かがそこから部屋に入れるように。これもささやかな老い支度のひとつだ。例えば真夏の盛りに、部屋で孤独死している私を誰も見つけてくれないことを想像するとぞっと

  • 霊蝶

    春の陽が降り注ぐ先日のオフの日、悲しみや孤独を捨てに来るいつもの荒川の河川敷に座っていた。世の中は10連休。河川敷はバーベキューを楽しむ人でごったがえし、土手を徒歩や自転車で散策する人々で賑わっていた。10連休など関係の無い私はそんな喧騒から距離を

  • 誕生日、病とともに

    仕事から遅く帰って来て、ふと気付いた。嗚呼、明日はまたひとつ歳をとるのだなあと。ぎりぎりになって自分の誕生日に気付くなんて・・・・・・・まあ無理も無い。それだけ飽きるほど歳を重ねたということだ。実際の年月よりも遥かに。祥一郎が旅立って、もう

  • 四度目の鯉のぼり

    最近・・・・・・・というか、もうずっと前から公園でぼーっと座っている事が多くなった。それは近くの一番大きな駅前の公園だったり、通勤途中の公園だったりするのだが、やはり一番多く過ごすのは祥一郎がいつも日向ぼっこしていた公園だ。その公園にまた大きな鯉の

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何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証
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