碑之見輩 さん プロフィール

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碑之見輩さん: 町火消奉納物探索記
ハンドル名碑之見輩 さん
ブログタイトル町火消奉納物探索記
ブログURLhttp://hinomiyakara.blog.fc2.com/
サイト紹介文とんび・仕事師・江戸消防記念会の奉納物を血眼になって探してます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供16回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2016/03/06 00:56

碑之見輩 さんのブログ記事

  • 四谷天王社
  •   須賀神社   東京都新宿区須賀町5 今の須賀神社はもと稲荷神社であった。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられている。 須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在 [続きを読む]
  • 湯も水も火の見も有馬の名が高し
  •  水天宮   東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1 赤松家を祖とする摂津有馬家は、応仁の乱の引き金となった嘉吉の乱の後に有馬の郷(現神戸市北区)に落ち延びて隠れ住み、その土地から姓を取って有馬と名乗った。後年、太閤秀吉に見出されて中央に戻してもらう。その幸運を授けて下さった有馬(有間)神社のご祭神である天御中主大神のご神徳を代々忘れぬよう、有馬神社の社紋である三つ巴を有馬家の家紋とした。現在でも、当主に [続きを読む]
  • 浅草柴崎
  •   感應稲荷神社   東京都台東区西浅草3-16-2 古くから柴崎村に鎮座してきたが、天正十九年(1591)に本銀町に遷座し、このころより「感應稲荷明神」と呼ばれるようになった。 その後も、文禄元年(1592)、明磨三年(1857)と鎮座地が移り、ついにはもとの浅草柴崎の地に落ちつき、鎮守神として人びとの厚い信仰をあつめている。 [続きを読む]
  • 子育稲荷大明神
  •   巣鴨大鳥神社   東京都文京区千石4-25-15 巣鴨村の新左衛門が貞享五年(1687)に「稲荷社」として創建、のち元禄九年日蓮宗宗霊感院が別当となり、宝暦五年には「時の鐘」が造られて明治初年まで十二辰が報ぜられた。   嘉永二年当時の霊感院大僧正大願を興し、「慈悲の手の内」なる文書を誌し「子育稲荷大明神」と改称。 元治元年(1864)には境内社大鳥神社の「酉の市」が立ち現在に至る。「巣鴨大鳥神社」と通称す [続きを読む]
  • 本芝両社
  •  御穂鹿嶋神社    東京都港区芝4-15-1 江戸時代までは柴村という村であったが、徳川家康が入府し江戸幕府ができてからは当地周辺は急速に発展。柴町・芝町と呼ばれ、寛文二年(1662)に町奉行支配となってからは本芝と呼ばれるようになる。本芝地区には、古くから祀られていた「御穂神社」と、江戸時代に入ってから創建した「鹿嶋神社」の二社が鎮座する事となる。どちらも本芝の鎮守として崇敬され、「本芝両社」とも呼ばれ [続きを読む]
  • 木場
  •  深川消防署   東京都江東区木場3-18-10 深川消防署の本署庁舎は、昭和二年に八名川警察署内から分離して森下五丁目(現森下出張所)に移転し、さらに、昭和五十四年(1979年)に現在の場所に新築移転して事務を開始した。 三ツ目通りをはさんで反対側には都立木場公園が広がっている。 [続きを読む]
  • 浮世絵のれん
  • 「浮世絵のれん」プロジェクトを2014年6月.26日から開始。これは、世界最初のポップアートである浮世絵を生み出した世界最大都市大江戸の中心、日本橋地区の粋と活力を今に蘇らせることで現在の美意識と歴史観を世界に発信しようとするものでる。「江戸の架け橋!日本橋めぐりの会」 [続きを読む]
  • 平成二十九年神田祭
  •  日本橋 三越   東京都中央区日本橋室町1-4-1 神田祭の室町一丁目町会御仮屋が日本橋三越にある。 室町一丁目は、昭和七年に、「旧室町一丁目・二丁目」等の町が合併して、室町一丁目となる。日本橋魚河岸、呉服屋、両替店が栄え、現在にまで至り、老舗となっている店も多く、商業・金融の中心地となっている。 宝町一丁目内にある「三越」は、延宝元年(1673)に越後屋号で旧本町一丁目に店を出し、「店前現銀無掛値」の看 [続きを読む]
  • 天日鷲命
  •   鷲神社   東京都台東区千束3-18-7 天日鷲命(あめのひわしのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りした神社。江戸時代から「鳥の社(とりのやしろ)」、また「御鳥(おとり)」といわれており、「おとりさま」として崇敬を集めている。 昔の社号は鷲大明神社と称していた。元来鷲大明神社の「大」は敬意、「明神」は神を奉る号である。十一月の例祭も現在は「酉の市(とりのいち)」として広く知られているが [続きを読む]
  • 小女郎稲荷
  •   古寿老稲荷神社   東京都港区高輪1-18-11 昔、麻布飯倉片町の付近に鎮座してたが、延宝六年(1678)ころ現在地に移った。 俗に「小女郎稲荷」ともいう。そのわけは『御府内備考』三田代地(君塚町)の条に、「右に剣左に宝珠持、白狐に乗れる女之姿に相見え、里俗小女郎稲荷と唱来、弘法大師の作と申伝候」とあるので知られる。 古来より町の失火もまったくなく、氏子中土地代々の家多く、氏神産子の念強く、神社を中心 [続きを読む]
  • 百観音
  •   円通寺   東京都荒川区南千住1-59-11 延暦十年(791)、坂上田村麻呂が開創したと伝える。また、源義家が奥州を鎮定したとき、討ちとった四十八の首を寺域内に埋めて塚を築いたので、このあたりを小塚原とよぶようになったという。 江戸時代、下谷の広徳寺、入谷の入谷鬼子母神真源寺とともに「下谷の三寺」とよばれた。秩父・坂東・西国霊場の百体の観音像を安置した観音堂があったことから「百観音」の通称で親しまれた [続きを読む]
  • 第二區の初詣
  •    虎ノ門金刀比羅宮    東京都港区虎ノ門1-2-7 万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致した。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可した。 当時は“金毘羅大権現”と称されてい [続きを読む]
  • め組辰五郎
  •   正覚寺  東京都港区高輪2-14-25 浄土宗寺院の正覚寺は、演暢山成就院と号す。 法蓮社心誉上人源霊(寛永廿年寂)が開山となり、元和五年芝金杉に創建、元禄4年当地(下高輪)へ移転したという。  め組の組頭辰五郎は、「め組の喧嘩」の主役の一人である。辰五郎の墓は正覚寺にある。他に、(社)江戸消防記念会第二區の組頭中が奉納した纏扁額がある。 [続きを読む]
  • 芭蕉庵
  •   芭蕉稲荷神社   東京都江東区常盤1-3 深川の芭蕉庵は、蕉風俳諧誕生・発展の故地である。延宝八年(1680)冬、当時桃青と号していた芭蕉は、日本橋小田原町からこの地に移り住んだ。門人杉風所有の生簀の番小屋であったともいう。繁華な日本橋界隈に比べてば、深川はまだ開発途上の閑静な土地であった。翌年春、門人李下の贈った芭蕉一株がよく繁茂して、やがて草庵の名となり、庵主自らの名ともなった。以後没年の元禄七 [続きを読む]
  • 浅草山谷講中
  •  関原不動尊大聖寺   東京都足立区関原2-22-101449(宝徳元)年開山と伝えられる寺院で、正式には関原山不動院大聖寺と号す。真言宗豊山派に属し、本山は奈良県桜井市にある長谷寺。不動院の名のとおり、本尊は不動明王で、良弁の作と伝えられている。ひときわ目立つ木造の本堂は、足立区内最大の大きさを誇る。 たびたび火災に遭ったが、現在の本堂は、1848(嘉永元)年五月に深川木場の講中が、材木その他を寄進し [続きを読む]
  • 人形町商店街
  •  人形町からくり櫓 江戸開府後の寛永元年 (1624) ころ、京都から江戸に下ってきた歌舞音曲の名人猿若勘三郎が、猿若座(のちの中村座 ) を人形町に開いたのが江戸歌舞伎の始まり。 次いで、泉州堺の村山又三郎が村山座(のちの市村座)を興し、ともに人形町に歌舞伎上演の芝居小屋を建てた。場所は現在の人形町三丁目と堀留町の辺り。周辺には人形浄瑠璃をはじめ、説経芝居から見世物小屋、曲芸、水芸、手妻 ( 手品 ) と安い料 [続きを読む]
  • 葛飾神社香取太神宮
  •  亀戸香取神社    東京都江東区亀戸3-57-22 昔、亀戸は小さな島からなり、島の形が亀に似ているところから亀島、亀津島とも呼ばれていた。天智天皇四年(665)藤原鎌足公が東国御下向の際、この亀島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉ったのが創立の起因である。 藤原鎌足公は平安時代に栄華を極めた藤原氏の始祖である。藤原氏は氏神として春日神社を奈良に創建し、鹿嶋・香取 [続きを読む]
  • 三十郎稲荷
  •  三光稲荷神社   東京都中央区日本橋堀留町2-1-13 中村座に出演していた大阪の歌舞伎役者・関三十郎が伏見より勧請したと伝わる。「江戸惣鹿子」元禄2年(1689)には記載があることからそれ以前と推測される。三十郎稲荷と称し旧長谷川町の町内神社として崇敬された。 近隣には吉原や歌舞伎小屋の中村座、市村座、更には操り人形や人形浄瑠璃の小屋等があり、それを背景とした江戸落語に「三光新道」や「三光神社」が登場す [続きを読む]
  • 四谷追分稲荷
  •  花園神社   東京都新宿区新宿5-17-3 初めて史料に花園神社の名が登場するのは、享和三年(1803)のこと。大火に遭った社殿復興を願って内藤新宿町より奉納された額面に「花園社」と記されてた。「花園」という名称が正式なものになるのはずっと後代のことである。 古来新宿の総鎮守として内藤新宿におけるもっとも重要な位置を占めていた神社である。 徳川氏武蔵国入国以前の御鎮座にて、大和国吉野山より御勧請せられたと伝 [続きを読む]
  • 福は内・鬼は内
  •  稲荷鬼王神社   東京都新宿区歌舞伎町2-17-5 もとは承応二年(1653)に戸塚の諏訪神社境内の福瑳稲荷を勧請したもので、天保三年(1832)に当地の百姓田中清右衛門が熊野から勧請した鬼王権現と合祀した神社である。 熊野の鬼王権現は現存していないため、「鬼王」の名を持つ日本唯一の神社。また、大祭で担がれる宮御輿は、鬼面が彫られた珍しいものである。 祭神は「鬼」をとしているわけではない。また、平将門の幼名を [続きを読む]
  • 白鳥明神
  •  鳥越神社   東京都台東区鳥越2-4-1  白雉二年(651)五月の創建と伝えられている。御祭神・日本武尊は九州熊襲の八十梟帥を平定されて後、東夷平定の勅命をうけられた。当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が「白鳥明神」として奉祀したことを起源とする。 後、永承年間(1046-52)欧州の安部貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義・義家父子は、名も知らぬ鳥が越えるのを見 [続きを読む]
  • 北千束郷
  •  千束稲荷神社   東京都台東区竜泉2-19-3 創立は寛文年間(1661−72)と伝えられている。 かつては浅草寺境内の上千束稲荷(西宮稲荷)と、当社の前身である下千束稲荷の二社に分かれており、下千束稲荷は北千束郷の氏神として祀られていた。この「千束」という地名は大変古い地名で、その範囲も浅草天王町あたりから千住の橋際にまで及ぶ広大なものであった。(上千束稲荷は現存していない) 江戸時代になって徳川家康の命 [続きを読む]
  • 團十郎が日参
  •  日本橋堀留町 出世稲荷神社   東京都中央区日本橋堀留町1-6-11 徳川家康入城・天正八年(1590)頃、この附近は、杉の森林の多い所で、芝原宿という村落であった。江戸城拡張以来、江戸町割当地・慶長九年(1604)頃、材木置場が多い所から新材木町と町名ができた。 元和三年(1617)親爺と呼ばれた北条家浪人庄司甚右衛他数名の仮屋敷内に有り京都伏見稲荷より祭神を戴き守護神として祀る。 明暦三年(1657)江戸大火振袖 [続きを読む]
  • 万人塚
  •  回向院   東京都墨田区両国2-8-10 明暦三年(1657)、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われた。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々であった。 当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の [続きを読む]