安土桃太郎 さん プロフィール

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安土桃太郎さん: 廃城にゆく
ハンドル名安土桃太郎 さん
ブログタイトル廃城にゆく
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/hokuto19760725/
サイト紹介文お城や神社を中心とした史跡巡りのブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供101回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2016/03/17 01:52

安土桃太郎 さんのブログ記事

  • 浦戸城(桂浜)にゆく
  • 高知県高知市にあります浦戸城です。 当ブログ82城目となる浦戸城は、高知を代表する景勝地『桂浜』の背後の山一帯にあり、北、東、南を海に囲まれた要害の地でした。また、紀貫之の『土佐日記』にも出てくる浦戸の港を擁し、上方との連絡、水軍... [続きを読む]
  • 高知城にゆく 其の四:本丸御殿
  • 高知県高知市にあります高知城です。 今回は本丸御殿内部を紹介します。 納戸蔵から本丸御殿へ向かいます。四ノ間です。奥が三ノ間になります。 四ノ間には、大河ドラマ功名が辻で着用されていた衣装が飾られていました。 四ノ間に入った左手には納戸もありました。 納戸からの景色です。釘隠しも上品です。 四ノ間から三ノ間に進みま [続きを読む]
  • 高知城にゆく 其の参:二ノ丸から納戸蔵へ
  • 高知県高知市にあります高知城です。 今回は二ノ丸からスタートします。 三ノ丸を後にし、石段を登り二ノ丸へ向かいます。 国旗が見えてきました。 二ノ丸です。 現在は松の木と国旗掲揚台しかありません。 二ノ丸には二ノ丸御殿があり、藩主がここで政務を行なっていました。 また、西北隅には三階建ての乾櫓があり、さながら小天 [続きを読む]
  • 高知城に行く 其の壱:追手門
  • 高知県高知市にあります高知城です。 当ブログ81城目となる高知城趾は、現存十二天守の一つで、江戸時代の姿を今に伝える城郭です。南北朝時代に築かれた大高坂城が原点で、戦国時代の長宗我部元親公時代を経て、関ヶ原の功績で入国した山内一豊公によって現在の高知城に築城され、1611年に完成しました。 今回の訪城は、県庁付近の駐車場に車を止め、内濠沿いから高知城へ向かいます。 高知 [続きを読む]
  • 真田丸にゆく 其の五:玉造稲荷神社
  • 大阪市にあります真田丸出城趾散策。最終回の今回は玉造稲荷神社です。 玉造稲荷神社鳥居です。 玉造稲荷神社本殿です。 玉造稲荷神社は垂仁天皇18年(紀元前12年)に創祀された歴史ある神社です。 秀吉公の大坂城築城の際には大坂城の鎮守神として崇められました。 当時、神社付近には前田利家公、宇喜多秀家公、細川忠興公、島津家久公、鍋島勝茂公 [続きを読む]
  • 真田丸にゆく 其の四:心眼寺
  • 大阪市にあります真田丸出城趾散策。 今回はいよいよ信繁公が眠ります心眼寺に向かいます。 三光神社の西200m位のところにあります大阪市天王寺区餌差町に餌差町という交差点があり、 その交差点から伝長寺、大応寺、興徳寺、心眼寺と寺が連なっています。 [続きを読む]
  • 真田丸にゆく 其の参:三光神社
  • 大阪市にあります真田丸出城趾散策。今回は、境内に信繁公が大坂冬の陣の際に掘ったと伝わる抜け穴があることで知られている三光神社です。 三光神社へは、大阪市営地下鉄・鶴見緑地線の玉造駅から徒歩2分ほどで到着します。 三光神社は、大坂の陣当時の真田丸の一部でもありますので、地形をよく見るとその名残りで 東側、南側がガクンと下がっているのがわかります。   [続きを読む]
  • 真田丸にゆく 其の弐:安居神社
  • 大阪市真田丸出城趾散策。 今回は、真田幸村こと真田信繁公終焉の地とされる安居神社です。 茶臼山・一心寺の北に位置します。 安居神社の略記です。安居神社は安居天満宮、安居天神、安井神社とも呼ばれ、創建年は不明ですが、942年から藤原道真も祭りました。 これは、藤原道真が九州・大宰府に送られる際に、出航する船の風待ちのため、 滞在したのが安居神社であった [続きを読む]
  • 真田丸にゆく 其の壱:茶臼山〜一心寺
  • 大阪府大阪市にあります真田丸出城趾です。 当ブログ80城目となる真田丸は、大坂冬の陣の際に真田信繁公が大阪城南に築いた出城です。 真田丸が実際にどこにあったかは、長年謎とされてきましたが、近年調査が進み、推定地まで 特定できるようになってきたそうです。 今回は真田丸にゆくと題していますが、大阪ミナミの真田信繁公ゆかりの地を巡り、 信繁公の痕跡を辿ってみたいと思います。 まず最初に訪れ [続きを読む]
  • 彦根城ライトアップにゆく(17年5月バージョン)
  • 滋賀県彦根市にあります国宝彦根城。 2017年のGWに真っ赤にライトアップされているとのことで、見に行ってきました。 こちらがビューポイントになります。 大河ドラマで井伊をしていることから、井伊の赤備えにかけているのでしょうか?? 撮影場所は護国神社の前のいろは松沿いの中濠が特別にライトアップされています。 ゴールデンウィークのいい思い出になりました。彦根城 [続きを読む]
  • 彦根城馬屋にゆく
  • 滋賀県彦根市にあります彦根城。その彦根城の表門の外、内堀と道路を隔てて建っている細長い建物があります。その建物こそ馬屋です。前回修繕中で見ることができなかった馬屋です。リベンジを果たすべく、馬屋散策に行ってきました。この馬屋が2016年最後の訪城となります。 馬屋の説明板です。 この馬屋は、全国の近世城郭に残る大規模な馬屋としてほかに例がなく、国の重要文化財に [続きを読む]
  • 栗林公園にゆく 其の六:飛来峰〜芙蓉峰
  • 香川県高松市にあります栗林公園です。 今回溢は偃月橋を降りた場所にあります吹上亭からスタートです。 栗林公園の水源地、吹上です。石の間から吹き上げるように吹き出ています。 園内池の水は全てここでまかなっています。 鶏林石です。 薩摩藩主の島津公から贈られた朝鮮産の石と云われています。 飛来峰に向かいます。 [続きを読む]
  • 栗林公園にゆく 其の五:恋ツツジ〜偃月橋
  • 香川県高松市にあります栗林公園です。 其の五は、掬月亭からスタートです。 掬月亭の説明板です。 歴代藩主が大茶屋と呼びこよなく愛用した建物です。 涵翠池を南に半周し琉球産のソテツが植えられている鳳尾塢に行きます。 薩摩藩主、島津公より贈られた琉球産のソテツが植えられている築山です。 掬月亭まで戻ってきました。 [続きを読む]
  • 栗林公園にゆく 其の四:旧日暮亭〜小普蛇〜掬月亭
  • 香川県高松市にあります栗林公園です。 其の四は栗林公園南西部にある旧日暮亭からスタートです。 場所は赤壁、滝の手前になります。 旧日暮亭説明板です。 二代藩主頼常公の頃は、考槃亭(こうはんてい)と呼ばれていたそうで、場所も南庭の東南隅にあったそうです。 改名の説明板です。 五代藩主頼恭公の頃から東方に移築し日暮亭と改名されたようです。 週末は [続きを読む]
  • 栗林公園にゆく 其の参:北庭から南庭へ
  • 香川県高松市にあります栗林公園です。 商工奨励館を後にし、館付近の散策からスタートです。 商工奨励館は、栗林公園全体のほぼ中央に位置しています。 この付近は広大な広場が広がっています。 当時はここには、桧御殿が建っていました。 初代藩主:松平頼重公が隠居後にここに御殿を建てて、住まわれました。 その後は、歴代藩主の別邸として、幕末まで残っていたそうです。 [続きを読む]
  • 栗林公園にゆく 其の弐:商工奨励館
  • 香川県高松市にあります栗林公園です。 今回は、群鴨池の外周を北東から西へ向かうところからスタートです。 群鴨池北にあります永代橋です。 群鴨池と芙容沼の間にある橋です。 ここから見る群鴨池です。 群鴨池の説明板がここにありました。 園内最大の池だそうです。 奥に見えるのが、其の壱で紹介した [続きを読む]
  • 栗林公園にゆく 其の壱:鴨場
  • 香川県高松市にあります栗林公園(りつりんこうえん)です。16世紀後半には地元豪族・佐藤氏の小さな庭でしたが、1631年頃にこの地を治めた生駒家の家臣・西嶋八兵衛によって手掛けられた治水工事により、広大な庭園の基礎が築かれました。庭造りは1642年から高松を治めることになった初代高松藩主・松平頼重公にも引き継がれ、100年以上経た1745年、5代藩主・頼恭公の時代に完成します。以来、歴代高松藩主が修築を重ね、明治維新に [続きを読む]
  • 清洲城にゆく 其の参:御殿〜清洲公園
  • 愛知県清洲市にあります清洲城です。 天守内部の散策を終え、園内に戻ってきました。 今回は御殿と庭園を紹介していきます。 こちらの御殿風の建物ですが、正式名称は芸能文化館いいます。 外観に初期の書院造を採用しており、いわゆる御殿風になっています。   巨石を配した枯山水や四季を通じた花・木が季節を感じさせてくれる日本庭園が御殿の隣にありました。 [続きを読む]
  • 清洲城にゆく 其の弐:天守内部
  • 愛知県清洲市にあります清洲城址です。 今回は天守内部を紹介していきます。天守入り口です。閉まっているよう思われるかもしれませんが、この門は自動ドアになっています。 入館料を支払い中に入るといきなり信長公自らがお出迎えです。 胴丸仕様の鎧の説明板です。 その他にもこちらの甲冑が展示されています。 こちらは馬に乗りながら矢を放つ信長公です。岐阜城に [続きを読む]
  • 清洲城にゆく 其の壱:清洲古城公園〜天守
  • 愛知県清洲市にあります清洲城址です。 当ブログ78城目となる清洲城は、清洲城は織田信長公の居城として知られ、信長公はこの城から 「桶狭間の戦い」に出陣しています。 信長公・家康公との同盟や信長公の後継者を決める、いわゆる「清洲会議」が行われた城でもあり、 歴史的にも大きな役割をになった城です。 「関ケ原の戦い」の際には福島正則 [続きを読む]