U.Z さん プロフィール

  •  
U.Zさん: みことばとわかちあい
ハンドル名U.Z さん
ブログタイトルみことばとわかちあい
ブログURLhttp://mikotoba-red.jugem.jp/
サイト紹介文幼児洗礼のカトリック信者による、聖書のみことばの感想とわかちあい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/03/27 22:57

U.Z さんのブログ記事

  • 私の笑顔、あなたの笑顔
  • 「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」 今日の福音(ヨハネ16.23b-28)で、イエスは弟子たちに言います。イエスの名によって願うとはどういうことでしょうか。それは、イエスの願いと自分の願いを重ねるということだと思います。 つま [続きを読む]
  • 生き方で愛を語る
  • 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」 今日の第一朗読(使徒言行録18.9-18)で、神は幻の中でパウロにこのように告げます。この言葉に従って、パウロは一年六ヶ月もコリントに留まり、人々に神の言葉を語り続けました。 神はパウロだけでなく、私たちにも同じように語りかけています。イエスが私たちに説いたのは愛です。人を大切にすることです。つまり私たちは、愛することを恐れてはならない [続きを読む]
  • パウロの人情
  • パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。 今日の第一朗読(使徒言行録18.1-8)にはこのように書かれています。パウロは福音を伝えに行ったコリントでユダヤ人の夫婦に会います。その夫の職業がパウロと同じテント職人だったというのです。 パウロというと、ひたすら福音宣教に身を捧げ、話の中身も非常に厳しいイメージがあります。今日の朗読 [続きを読む]
  • 神の住まいは我々の側に
  • 「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。」 今日の第一朗読(使徒言行録17.15,22-18.1)でパウロはアテネの人々に言います。アテネはギリシアの中心地。まさにギリシア神話の多神教を信じる世界です。そこに住む人々に、自分の信じる神とはどんな方であるかを説いているのです [続きを読む]
  • 行いで、そして、言葉で
  •  今日の第一朗読(使徒言行録16.22-34)で、パウロとシラスは鞭で打たれた後、牢に囚われています。すると、大地震が起こり、牢の扉は開き、鎖も解かれます。囚人たちが皆逃げたと思った看守は、剣で自害しようとしますが、パウロとシラスは逃げておらず、看守の自害を思いとどまらせます。そして、この看守は二人の言葉を聞き、自分の家にパウロとシラスを連れて行き、家族とともに洗礼を受けるのです。 状況的に、パウロとシラ [続きを読む]
  • 正義が人を傷つける
  • 「しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。」 今日の福音(ヨハネ15.26-16.4a)で、イエスは弟子たちに言います。人を傷つける原因が、必ずしも悪意であるとは限りません。むしろ、正義感や善意が人をを傷つけてしまうことの方が多いのではないでしょうか。 「自分は悪いことをしているかもしれない」という思いは、それ以上悪いことをしないためのブレーキにもなります。人は、不安な時にス [続きを読む]
  • 希望の弁明
  • 「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。」 今日の第二朗読(一ペトロ3.15-18)には、このように書かれています。わたしたちにとっての希望とは、イエスの十字架によって、全ての人がすでに救われていると信じることです。このことを、自分が信じるだけではなく、他人にも説明できなければ [続きを読む]
  • 憎まれてでも愛する
  • 「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。」 今日の福音(ヨハネ15.18-21)で、イエスは弟子たちに言います。私たちが生きていく中で、正しい行いをした結果、つらい思いをすることもあるかもしれません。例えば、いじめられている人の側に立って、自分も一緒にいじめられることがあるかもしれません。 そんな時は、イエスのことを思い出してみましょう。当時の常識に逆らってまで [続きを読む]
  • わたしがあなたがたを愛したように
  • 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」 今日の福音(ヨハネ15.12-17)で、イエスは弟子たちに言います。「わたしがあなたがたを愛したように」ですから、これは、単に互いに仲良くするのとはわけが違います。 イエスは、当時の常識に逆らってまで、罪人や異教徒にも「俺と飯を食おう!」と声をかけました。自分を見捨て、裏切った弟子たちに恨み言一つ言いませんでした。罪の無い身でありながら、全ての [続きを読む]
  • 中より外を見てみよう
  • 「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。」 今日の第一朗読(使徒言行録15.7-21)で、ペトロはエルサレムに集まった信徒の前でこのように言います。 ペトロは使徒の頭であり、イエスから地上の教会を委ねられています。ペトロの使命は教会の使命と言ってもいいでしょう。 教会は、その初め [続きを読む]
  • 願いがそのまま愛となりますように
  • 「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」 今日の福音(ヨハネ15.1-8)で、イエスは弟子たちに言います。イエスが私たちに言っているのは、一貫して愛です。私たちがイエスとつながり、イエスの言葉を胸に抱いているのなら、心の中は常に愛に満たされているはずです。 そのような心が望むことは、やはり愛に満ちたこと、 [続きを読む]
  • 過去に囚われるな
  •  今日の第一朗読(使徒言行録14.19-28)で、パウロはユダヤ人と彼らが扇動した群衆から石を投げられます。ユダヤには「石打ち」という処刑方がありますから、石を投げるというのは、単なる嫌がらせや暴力ではなく、殺意のある行為です。 かつて、パウロがまだサウロと呼ばれていた頃、彼はキリスト教徒を迫害していました。キリスト教徒に石を投げる側の人間でした。この行為にどんなに憎しみや敵意が込められているか、どんなに [続きを読む]
  • 自分の枠を外してみる
  •  今日の第一朗読(使徒言行録14.5-18)で、パウロとバルナバはリストラという町でイエスの教えを説いています。リストラは今のトルコにあり、ギリシアの文化を持つ町だったようです。 この町でパウロは、足の不自由な人を癒やします。すると町の人々はバルナバを「ゼウス」パウロを「ヘルメス」と呼んで崇め始めます。ゼウスとヘルメスはギリシアの神々の名ですから、リストラの人々は、パウロとバルナバのことを、自分たちが信 [続きを読む]
  • 聖霊と信仰と知恵に満たされて
  •  今日の第一朗読(使徒言行録6.1-7)で、使徒たちは自分たちの協力者としてステファノたち七名を選びます。弟子(キリスト教徒)の数が増えてきたため、使徒たちだけでは彼らの世話をするのが困難になったからです。 そこで使徒たちは、ステファノたち七名に弟子たちの食事の世話(それ以外にも多くの雑務があったことでしょう)を任せ、自分たちは「祈りと御言葉の奉仕に専念」することになります。このステファノたち七名の選 [続きを読む]
  • 届くべき所に想いは届く
  •  今日の第一朗読(使徒言行録13.44-52)で、パウロとバルナバは、アンティオキアで説教を続けています。アンティオキアは異邦人の都市ですが、ユダヤ人も住んでいて、パウロとバルナバのことを口汚くののしり、町の有力者をそそのかして、二人を町から追放させます。 しかし、町中のほとんどの人がパウロとバルナバの説教を聞き、多くの人が信仰の道に入りました。アンティオキアだけではなく、彼らが語ったイエスの言葉は、この [続きを読む]
  • 互いを迎える
  • 「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」 今日の福音(ヨハネ14.1-6)で、イエスは弟子たちに言います。神はどんな人でも受け入れてくださいます。愛してくださいます。どんな人のためにでも居場所を用意してくださいます。全ての人が、その人のありのまま [続きを読む]
  • 回心と赦し
  •  今日の第一朗読(使徒言行録13.13-25)では、パウロがアンティオキアの会堂で人々に教えを説く様子が描かれています。今、私たちがパウロに抱いているイメージからすれば、ごく自然な光景です。しかし、よく考えれば、これは「有り得ない」ほどの光景とも言えます。 パウロは熱心なファリサイ派でした。イエスを信じる人々を迫害し、捕らえていました。ステファノが殉教した時も、パウロはそこにいました。単にイエスの弟子を迫 [続きを読む]
  • 多様性こそ原点
  •  今日の第一朗読(使徒言行録12.24-13.5a)には、アンティオキアで、イエスを信じる人が増えていく様子が描かれています。アンティオキアは当時のローマ帝国第三の都市ですから、国際都市のような賑わいを見せています。 今日の朗読箇所にも「そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。」と書かれています。 「ニゲル」と [続きを読む]
  • 命じられたからではなく
  •  今日の第一朗読(使徒言行録11.19-26)では、ステファノの殉教をきっかけに迫害されたイエスの弟子たちが、フェニキア、キプロス、アンティオキアといった異邦人の街まで行く様子が描かれています。 弟子たちの多くは、異邦人の街にいても、ユダヤ人にしかイエスの教えを語りませんでした。しかし、彼らの中のギリシア語を話せる人たちが、アンティオキアの人々にギリシア語で福音を語りはじめ、この地でもイエスを信じる人が増 [続きを読む]
  • イエスならどうする?
  •  今日の第一朗読(使徒言行録11.1-18)で、ペトロは、異邦人と同じ食卓に着いたことに関して、ユダヤ人のキリスト教徒たちから非難されます。 これは、とても矛盾した行為です。異邦人とでも罪人とでも同じ食卓に着く、これはイエスの十八番だったのですから。この、それまでの常識をひっくり返した分け隔ての無さこそ、イエスのイエスらしさだったのですから。 そんなイエスを救い主、神の子だと信じている人が、イエスと同じ [続きを読む]
  • 声を張り上げよう
  • 五旬祭の日、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話した。 今日の第一朗読(使徒言行録2.14a,36-41)はこのような記述から始まります。これは聖霊降臨の際に起こったことで、イエスの復活から五十日後のこととされています。 これは、別な言い方をすれば、イエスが十字架で処刑されてから五十数日しかたっていないことになります。人前でイエスの教えを語るにはあまりにも危険なのです。 しかし、ペトロと使徒たちは、 [続きを読む]
  • イエスは招く、私を、あなたを
  •  今日の第一朗読(使徒言行録9.31-42)で、ペトロは精力的に各地を周って、イエスの教えを説き、人々を癒し、さらに死んだ人を蘇らせることさえしています。「起きなさい。自分で床を整えなさい。」というペトロの言葉は、まるでイエス本人の言葉のようです。 イエスから天国の鍵を預かり、「わたしの羊の世話をしなさい。」と、この世の教会を託されたペトロが、人々にイエスの教えを述べ伝え、イエスの言葉によって奇跡を行う [続きを読む]
  • おまえが迫害しているイエスだ。俺の友になってくれ。
  •  今日の第一朗読(使徒言行録9.1-20)では、パウロの回心の場面が描かれています。 パウロ(この時点ではまだサウロと名乗っている)は、熱心なファリサイ派で、多くのキリスト教徒を迫害していました。最初の殉教者であるステファノの死に関わっていたとも言われています。 この日もサウロはキリスト教徒を捕らえに出かけていました。そんなサウロの前にイエスが現れてこのように言います。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫 [続きを読む]
  • 願い、掴む
  •  今日の第一朗読(使徒言行録8.26-40)で、フィリポは、天使に導かれてエチオピア女王に使える宦官に出会います。フィリポから聖書とイエスの福音を説かれた宦官は「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」と言って、フィリポから洗礼を授けられます。 この宦官の言葉からは、「自分は洗礼を受けたい、受けるのだ」という強い意志が感じられます。「洗礼を授けて下さい。」「自分でも洗礼を受けら [続きを読む]
  • 命あるかぎり、愛もまた
  • 「わたしは道であり、真理であり、命である。」 今日の福音(ヨハネ14.6-14)でイエスはトマスに言います。イエスが常に語っていたのは愛です。イエスご自身が愛そのものです。つまり、愛こそ、道であり、真理であり、命なのです。 人生において私たちが歩むべき道は、愛の道です。神も自分も他人も尊重し、愛おしむ。このことさえ忘れなければ、私たちは決して迷うことがありません。愛は常に正しいのです。  愛こそ、私たちが [続きを読む]