U.Z さん プロフィール

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U.Zさん: みことばとわかちあい
ハンドル名U.Z さん
ブログタイトルみことばとわかちあい
ブログURLhttp://mikotoba-red.jugem.jp/
サイト紹介文幼児洗礼のカトリック信者による、聖書のみことばの感想とわかちあい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供367回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/03/27 22:57

U.Z さんのブログ記事

  • 最後の希望は消えることがない
  •  今日の福音(ヨハネ5.1-16)で、イエスはエルサレムにある「ベトザタの池」という場所を訪れます。その池は病を治す奇跡の力があると信じられていて、医者からも見放された重病人が大勢集まっていたようです。 ここに、三十八年間も病気で苦しんでいる人がいます。この人は、もはや自分で体を行けに浸すことさえ難しくなっています。最後の希望である池の奇跡にすがることさえ難しくなっているのです。 この人の前にイエスが現れ [続きを読む]
  • あなたじゃなきゃ駄目なんだ
  •  今日の福音(ヨハネ4.43-54)で、イエスは故郷のガリラヤに向かいます。そこに、王の役人がやってきて、息子が病気だから一緒に来て癒してほしいとイエスに頼みます。 イエスは役人に「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。」と言います。それでも一緒に来てほしいと頼む役人に「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」と言います。そして役人は、帰り道で、息子が回復したという知らせを受けます。 [続きを読む]
  • 目を閉ざすのは自分自身
  •  今日の福音(ヨハネ9.1-41)で、イエスは目の見えない人の目に、唾でこねた泥を塗ってその人を癒やし、見えるようにします。 しかし、それを知ったファリサイ派の人々は、イエスを罪人とみなします。イエスがこの人を癒やしたのは安息日であり、律法を厳格に守るファリサイ派にとっては、どんな理由があっても、一切の行動を慎むべき日だったからです。 生まれつき目の見えない人が見えるようになったのですから、それは、ファ [続きを読む]
  • 「知る」と「信じる」
  •  今日は神のお告げの祭日。福音も受胎告知の場面が読まれます(ルカ1.26-38)。 突然「あなたは身ごもって男の子を産む」と告げられたマリアは戸惑い、信じられなかったことでしょう。それでも、「神にできないことは何一つない。」という天使に対して、マリアは「お言葉どおり、この身に成りますように。」と答えます。 すでにイエスの死と復活を知っている私たちは、神にできないことは何もないことを知っています。しかし、 [続きを読む]
  • ブログ一周年の感謝 ー誰も、神の国から遠くないー
  • 「あなたは、神の国から遠くない。」 今日の福音(マルコ12.28b-34)では、一人の律法学者がイエスに尋ねます。「あらゆる掟の中で、一番大切なものは何か」と。イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」と「自分のように隣人を愛しなさい。」の二つに勝る掟はないと答え、この律法学者は同意します。そこでイエスは上のように、彼に告げます。  イエスは実に多く [続きを読む]
  • 口を利く
  •  今日の福音(ルカ11.14-23)でイエスは、口を利けなくする悪霊を追い出しています。口を利けなくする悪霊に取り付かれているとは、どんな状態でしょうか。 強いショックを受けたり、心に深い傷を負ったりして、言葉を話せなくなることは、現代でも知られています。そのような人の心を、イエスは癒やしたのかもしれません。 悪霊に取り付かれている状態を、心が悪に支配されている状態と考えるなら、悪、すなわち、愛が欠けてい [続きを読む]
  • 完成は愛
  • 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」 今日の福音(マタイ5.17-19)で、イエスは弟子たちに言います。しかし、イエスご自身や弟子たちは、異邦人と食事をしたり、安息日を破ったりして、律法を厳格に守るファリサイ派の人々から度々非難されていました。 「律法を完成させる」とはどんなことを意味するのでしょうか。ファリサイ派の人々ように、 [続きを読む]
  • 赦すことこそ救い
  • 「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」 今日の福音(マタイ18.21-35)で、イエスとペトロはこのような会話を交わします。七回、七の七十倍という数字は、たとえに過ぎません。「七の七十倍、つまり四九〇回までは赦しなさい、四九一回目からは赦さなくてもいい。」ということではないでしょう。赦しに回数制 [続きを読む]
  • 愛の男、ヨセフ
  •  今日は聖ヨセフの祝日。福音もヨセフの夢に天使が現れる箇所が読まれます(マタイ1.16、18-21、24a)。 神は、イエスの母としてマリアを選んだように、イエスの養父としてヨセフを選びました。聖書はヨセフについて多くを語ってはいません。愛するマリアが自分の子ではない子を身ごもったと知った時、律法に背いてまでマリアを守ろうとした男。天使に「マリアの子は神の子である」と告げられ、その子の父親として生きる決心をし [続きを読む]
  • サマリアの女の眼差し
  •  今日の福音(ヨハネ4.5-42)では、イエスとサマリアの女との会話が描かれています。 この女性はとても不思議な人です。五人の夫がいて、今は夫ではない男性と暮らしています。モーセの律法によれば(サマリア人もモーセ五書は信じています)、姦通は死罪です。そして、妻の側から離婚することもできません。死罪になることもなく、五人の夫がいたとは、どんな事情があったのでしょうか。全て死に別れなのでしょうか。聖書はそれ [続きを読む]
  • 比べるな、見下すな
  •  今日の福音(ルカ15.1-3、11-32)は、放蕩息子のたとえ話の箇所です。そもそも、イエスがこのたとえ話をしたのは、イエスが徴税人や罪人にも話しかけ、一緒に食事まですることに、律法学者やファリサイ派の人々が不平を述べたからです。 イエスは、ファリサイ派や律法学者と論争になることが多かったようですが、聖書には、イエスが彼らと食卓を囲む場面も描かれています。ファリサイ派の人々は、決して上流階級ではなく、各自 [続きを読む]
  • 十字架とイエスと女性たち
  • そのとき、イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 今日の福音(ヨハネ19.25-27)は、十字架上のイエスとイエスを見守る人々の姿が描かれています。イエスの死に立ち会ったのは、使徒ヨハネ以外、皆女性です。福音書によって書かれている名前に違いはありますが、母マリア、マグダラのマリア、そして弟子の母親たちをはじめ、何人もの女性たちがその場にいたことは間違 [続きを読む]
  • いつも、どこでも、耳を傾ける
  • 「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。」 今日の福音(ルカ16.19-31)で、イエスはたとえ話をします。贅沢三昧の生活をしていた金持ちと、金持ちの門前でいつも腹を空かせていたラザロという男。この二人の立場は死後に逆転し、ラザロはアブラハムや天使の居る宴席に、金持ちは陰府に送られます。 金持ちは、自分が救われないのなら、せめ [続きを読む]
  • 私の杯
  •  今日の福音(マタイ20.17-28)は、ゼベダイの息子(使徒ヤコブとヨハネ)とその母がイエスの所にやって来て、「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」と願う場面です。「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」と問いかけるイエスに、二人は「できます」と答え、さらにイエスは「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。」と言 [続きを読む]
  • 全ての人は師である
  • 「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。」 今日の福音(マタイ23.1-12)で、イエスは弟子たちと群衆に言います。律法学者やファリサイ派は、律法、つまり旧約聖書の専門家です。そこには、神がユダヤ人に託したことばが書かれています。 イエスにとって、神のこ [続きを読む]
  • まずは自分が
  • 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。」 今日の福音(ルカ6.36-38)で、イエスは弟子たちに言います。私たちは、自分と考えが違う人や利害が対立する人を、心の中で裁いたり、罪人だと決めつけたりしがちです。 誰でも、一方的に罪人だと決めつけられたら、いい気持ちはしません。決めつけた相手のことを裁き、罪人だと見 [続きを読む]
  • 不思議の中の当たり前
  • 「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」 今日の福音(マタイ17.1-9)はイエスの変容の場面です。ペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人の弟子だけの前で、イエスは、突如、光り輝く姿となり、モーセとエリアと語り始めます。そして、神は、弟子たちに上のように告げるのです。 この場面は、聖書の中でも特に不思議な場面です。しかし、この神の言葉は、決して特別なものではなく、むしろ普遍的なメッセージだと思い [続きを読む]
  • 完成させてもらう
  • 「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」 今日の福音(マタイ5.43-48)で、イエスは弟子たちに言います。これは、イエスの言葉の中でも、最も難しく、無茶に聞こえるものだと思います。 天の父である神が完全なものである、全知全能であるのは当たり前です。同時に、作られたものである人間が不完全なのも当たり前です。それを「完全な者となりなさい」とは、そもそも矛盾にさえ聞こ [続きを読む]
  • 祈るために整える、祈りによって整えられる
  • 「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」 今日の福音(マタイ5.20-26)で、イエスは弟子たちに言います。「祭壇に供え物を捧げる」とは、現代で言えば教会で祈る、礼拝することに当たるでしょう。兄弟と和解することはそれよりも優勢すると、イエスは言っているので [続きを読む]
  • 願って願って
  • 「求めなさい。そうすれば、与えられる。」 「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」 今日の福音(マタイ7.7-12)で、イエスは弟子たちに言います。神は私たちの「お父ちゃん」です。厳格な師や上司ではありません。遠慮しながら話しかける相手ではないのです。 「お父ちゃん」に甘える気持ちで、どんなことでもお願いしてみましょう。世界平和や隣人の幸せを願うのは素晴らしいことですが、もっと [続きを読む]
  • 知恵に憧れる
  •  今日の福音(ルカ11.29-32)でイエスは、旧約聖書の二つの話を用いながら、群衆に話します。 一つはヨナの話です。ヨナは異邦人の街であるニネヴェに行って、民に悔い改めを説くように神から命じられます。途中、ヨナは海に投げ込まれたり、大きな魚に飲み込まれたりしますが、なんとかニネヴェにたどり着きます。ヨナから神の言葉を告げられたニネヴェの民は悔い改め、神はニネヴェを滅ぼすことをやめます。 もう一つは、シェ [続きを読む]
  • 赦しと喜び
  • 「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」  今日の福音(マタイ6.7-15)で、イエスは弟子たちに言います。しかし、神は人が心から悔い改めるなら、どんな罪でも赦して下さる方です。イエスがこの言葉で伝えたいことは何でしょうか。 この言葉を、人の行いではなく、神の行いを先に考えてみましょ [続きを読む]
  • 全ての道は愛の道
  • 『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 今日の福音(マタイ25.31-46)の中でイエスは、王の言葉としてこのように言います。王とは、神、そしてイエスご自身を表しているのでしょう。 「神を愛する」「神に仕える」と言いますが、それは司 [続きを読む]
  • 信じていれば試す必要はない
  • 「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」 今日の福音(マタイ4.1-11)で、荒れ野で断食をするイエスは、悪魔とこのような問答をします。 「試す」というのは信頼を欠く行為です。心から信頼している相手を試す必要はありません。 [続きを読む]
  • 愛のメンテナンス
  • 「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。 今日の福音(ルカ5.27-32)で、「あなたたちは、なぜ徴税人や罪人と食事をするのか」と問われたイエスはこのように答えます。 罪とは、心から愛が欠けた状態です。それは誰よりも、自分にとって苦しい状態です。たとえ自覚症状がなくても、愛の欠乏は、その人の魂を蝕んでいきます。イエスは、そのような人々の心に再び愛の炎を灯すために、この世にやってきたのです。  [続きを読む]