U.Z さん プロフィール

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U.Zさん: みことばとわかちあい
ハンドル名U.Z さん
ブログタイトルみことばとわかちあい
ブログURLhttp://mikotoba-red.jugem.jp/
サイト紹介文幼児洗礼のカトリック信者による、聖書のみことばの感想とわかちあい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供367回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/03/27 22:57

U.Z さんのブログ記事

  • 生真面目なニコデモ
  • 「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 今日の福音(ヨハネ3.1-8)で、イエスとニコデモはこのような会話を交わします。ニコデモは、ファリサイ派に属する人で、最高法院の議員でもありました。しかし、イエスを慕う正しい人でした。 イエスが言う「新たに生 [続きを読む]
  • 勇敢なトマス
  •  今日の福音(ヨハネ20.19-31)は、復活したイエスがトマスに「私の手とわき腹に触れてみなさい」という有名な場面が描かれています。この場面を時間を追って見ていきたいと思います イエスの死後、弟子たちは、自分たちもイエスのように捕らえられ、殺されるのを恐れて家に鍵をかけて隠れています。そこに復活したイエスが現れます。この時、トマスはその場にいませんでした。 さらに八日後、福音書には「弟子たちはまだ家にお [続きを読む]
  • 真実は簡潔
  •  今日の福音(マルコ16.9-15)は、マルコ福音書の結び、イエスの復活とその後の場面です。 この箇所には、ルカ福音書やヨハネ福音書のように、復活したイエスと弟子たちとのやり取りが詳細に書かれているわけではありません。台詞や心理描写はなく、起こった出来事が簡潔に書かれているだけです。 しかし「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」というイエスの言葉ははっきりと書かれています。マル [続きを読む]
  • 出迎えてくださる方
  •  今日の福音(ヨハネ21.1-14)で、弟子たちは湖に漁に出ます。夜通し漁をしても何も穫れず、ちょうど朝を迎えた頃、復活したイエスが岸に現れ、弟子たちに魚が穫れる場所を指示します。 弟子たちが漁を終えて岸に戻ると、イエスは火をおこして魚とパンを用意して弟子たちを待っています。徹夜で漁をして疲れていたであろう弟子たちを迎えたのは、暖かい火と朝食、そして大好きな師の笑顔でした。 イエスは、先頭に立って人々を [続きを読む]
  • エルサレムから始まり、今ここへ
  •  今日の福音(ルカ24.35-48)で、弟子たちの前に復活したイエスが現れ、聖書について、そしてご自分の死と復活による救いについて語った後「エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」と言います。エルサレムから始まった使徒たちの宣教は、瞬く間にローマ帝国全土に、そして遠く離れた地にも広まりました。 ここでイエスが言った「あなたがた」とは、この時イエスの前にいた弟子たちだけではなく、今ここ [続きを読む]
  • 私たちもエマオへの道を歩む
  •  今日の福音(ルカ24.13-35)では、イエスの弟子が二人、エルサレムからエマオへの道を歩いています。そこに復活したイエスが現れ、彼らと旅路を共にします。 イエスは弟子たちに聖書の教えを説明し始め、彼らはこの人がイエスだと気付かないまま引きつけられていきます。イエスと弟子たちが食卓を囲み、イエスが感謝の祈りを唱えてパンを割き、彼らに渡した時、弟子たちはようやくその人がイエスだと気付きます。 聖書を読んで [続きを読む]
  • 喜びと悲しみ
  •  今日の福音(ヨハネ20.11-18)の冒頭部分で、マグダラのマリアは、墓からイエスの亡骸がなくなっていることを知り、墓の外に立って泣いています。 最愛の師が十字架で殺され、悲しみに打ちひしがれていたマリア。せめてイエスの亡骸の側で、優しかった師の温もりを思い出していたいと、墓にやってきたのでしょうか。そのイエスの亡骸さえも何者かに持ち去られてしまった。イエスの全てが、自分の世界から消えていってしまう。マ [続きを読む]
  • 真実は世界に広まった
  • 「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。」 今日の福音(マタイ28.8-15)で、イエスが復活した様子について番兵から報告を受けた祭司長は、このように命じます。マタイ福音書には、この話はユダヤ中に広まっていると書かれています。 普通に考えれば、十字架で死んだ男が復活したという話より、祭司長の命令の方が信憑性があります。復活の話など、ふざけた噂話として、すぐにた [続きを読む]
  • 幸せな方、マグダラのマリア
  • 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。 今日の福音(ヨハネ20.1-9)はこのような記述から始まります。この時点では、マリアはイエスが復活したことを知りません。イエスが復活することを信じているわけでもありません。心から慕っていたイエスが死んでしまったことが悲しくて悲しくて、せめて亡骸のそばにでもいたいと思い、イエスの墓に足を運んだのでしょう。 復活したイエスは、真っ先にマリ [続きを読む]
  • マリアにならって告げ知らせよう
  •  今日の福音(マタイ28.1-10)で、マグダラのマリアともう一人のマリアは、イエスの墓を見に行きます。するとマリアたちの前に天使が現れ、墓の入り口の石を転がしてその上に座り、イエスが復活したことを告げ、それをたの弟子たちに知らせるように言います。 イエスの死と復活は、全ての人がすでに救われていることの証しです。マリアたちが喜んで弟子たちにイエスの復活を伝えに走ったように、イエスの復活を知っている私たち [続きを読む]
  • 憎しみではなく弱さが
  •  今日は聖金曜日。主の受難を記念する日。一年で唯一ミサが行われない今日は、静かにイエスの死を想います。 福音朗読もイエスが捕らえられ、十字架の上で死を迎える場面が読まれます(ヨハネ18.1-19.42)。  イエスが捕らえられる時、ペトロは剣を抜いて戦おうとします。イエスが捕らえられた後も、その後ろをついて行きます。しかし、結局は逃げてしまいます。 ピラトは、積極的にイエスを殺そうとは思っていません。彼はイ [続きを読む]
  • 愛の奴隷
  •  今日は聖木曜日。最後の晩餐を記念する日です。福音朗読も最後の晩餐の場面が読まれます(ヨハネ13・1-15)。 今日の福音の中で、イエスは弟子たちの足を洗います。当時、足を洗うという行為は奴隷の仕事でした。奴隷は法的には人間ではありません。主人の所有物です。奴隷が主人に仕えるのは、好意や謙遜からではなく、それが義務だからです。奴隷は主人に命じられたことを断る権利はないのです。 この箇所には、イエスが「世 [続きを読む]
  • ユダの罪、ユダの愛
  •  今日の福音(マタイ26.14-25)では、ユダがイエスを裏切っていく様子が描かれています。 ユダがなぜイエスを裏切ったのか、聖書は明確に語っていません。単に金が欲しかったから、イエスの言う「神の国」が地上の王国のことではないと気づき、絶望したから等、色々な解釈がありますが、本当のことはわかりません。 しかし、ユダもまた、使徒として選ばれた十二人の一人です。イエスに愛され、信頼された人物だったのです。イエ [続きを読む]
  • ペトロは逃げなかった
  • 「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」 今日の福音(ヨハネ13.21-33,36-38)は、最後の晩餐の場面が読まれます。その食事の中で、イエスとペトロは上のような会話を交わします。この後、イエスは「鶏が鳴く前に、あなたはわたしのことを三度知らないと言うだろう」とペトロに告げます。 そしてペトロは [続きを読む]
  • 友情の宴
  •  今日の福音(ヨハネ12.1-11)で、イエスはベタニアに滞在し、マルタとそのきょうだいたちと夕食を共にします。これは過越祭の六日前のことと書かれています。イエスが十字架に付けられたのは過越祭の最中ですから、死の一週間前の食卓ということになります。 マルタは食卓には着かず、給仕をしていました。ラザロは人々と食卓に着き、マリアは高価な油をイエスの足に塗りました。三人は皆、違う行動をしています。しかし、そのど [続きを読む]
  • 茨の冠、愛の冠
  •  今日は受難の主日(枝の主日)。福音朗読もイエスの受難の場面が読まれます(マタイ27.11-54)。 捕らえられ、ピラトの下で尋問を受けたイエスは、鞭で打たれ、兵士たちから侮辱を受けます。兵士たちはイエスの衣服を脱がせて赤い衣を着せ、茨の冠を被せて、杖に見立てた葦の棒を持たせます。さらに、イエスに前にひざまずいて「ユダヤ人の王万歳」と言い、棒で叩いたり、唾を吐きかけたりします。 この屈辱にまみれた姿こそ、 [続きを読む]
  • 友との一時
  •  今日の福音(ヨハネ11.45-56)で、祭司長やファリサイ派の人々は、最高法院を召集して、イエスを殺すことを正式に決めます。それを知ったイエスは、人前から離れ、荒れ地に近いエフライムという町に弟子たちと滞在します。 イエスは、やがて自分が捕らえられて死ぬ運命にあることを知り、自分を慕う弟子たちと過ごす時間が、もうわずかしか残されていないことを悟っていたでしょう。 受難の前のこの静かな一時を、イエスはどの [続きを読む]
  • イエスは逃げなかった
  •  今日の福音(ヨハネ10.31-42)で、ユダヤ人たちはイエスを殺そうと石を手に取り、さらにイエスを捕らえようとします。しかし、イエスは捕らえられることはなく、その場から逃げ去ります。 この箇所に、イエスが奇跡を行ったとは書かれていないので、うまく人混みをすり抜けたか、捕らえようとする手を振りほどいて逃げたのでしょう。 イエスは元大工で、まだ三十代前半の若さですから、体力にも腕っ節にも自信はあったはずです [続きを読む]
  • 今日、イエスの言葉を聞こう
  • 「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。」 今日の福音(ヨハネ8.51-59)で、イエスはユダヤ人たちに言います。これを聞いたユダヤ人たちは、肉体的な不老不死の話をしているのだと思い、イエスが悪霊に憑かれていると考えます。 しかし、イエスが言いたいのは肉体的な生死のことではありません。イエスが言う「わたしの言葉」とは、神と人とを愛することに集約されます。つまり、愛のある人の魂は決して滅び [続きを読む]
  • かけがえのない一人ひとりが
  • 「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。」 今日の福音(ヨハネ8.31-42)で、イエスとユダヤ人たちはこのような会話をします。この会話は、イエスが全ての人の救い主であることを表しています。 ユダヤ人たちにとって、救いの条件はアブラハムの子 [続きを読む]
  • みことばは希望
  • 「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」 今日の福音(ヨハネ8.21-30)で、イエスはファリサイ派の人々に言います。「私の行く所」を天の国だと考えると、天の国に行ける人と行けない人がいるようにも読めてしまいます。 しかし、マタイ福音書は、復活したイエスの「わたしは、世の終わりまで、いつもあ [続きを読む]
  • 今日も赦されている
  • 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 今日の福音(ヨハネ8.1-11)は、姦通の罪を犯した女が石打の刑で殺されそうになっている所にイエスが現れる、有名な場面です。 この箇所には「赦す神」と「赦せない人間」の対比が明確に表れています。神は、どんな時も、どんなことも赦してくださいます。神は裁く方ではなく、赦す方です。 この愛を、人間がゆがめてしまいます。「赦されない」 [続きを読む]
  • トマスの勇気
  •  今日の福音(ヨハネ11.1-45)でイエスは、友人のラザロを死から蘇らせるため、ラザロとその姉妹(マルタとマリア)が住むベタニアへ向かおうとします。 それを聞いた弟子たちはイエスを引き止めます。ベタニアはエルサレムの近くにあり、エルサレムでは律法学者やファリサイ派の人々がイエスの命を狙っていたからです。 しかし、トマスだけはこう言うのです。「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」トマスと言えば、 [続きを読む]
  • 憎しみを憎め
  •  今日の福音(ヨハネ7.40-53)でも、祭司長やファリサイ派の人々は、イエスを捕らえる企みをしています。 ファリサイ派の議員でありながらイエスと面識があったニコデモは「律法によれば、本人から事情を聞き、何をしたかを確かめた後でなければ判決を下せない。」とイエスを弁護します。それに対してファリサイ派の人々は「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」と感 [続きを読む]
  • イエスも怖れた
  •  今日の福音(ヨハネ7.1-2,10,25-30)で、イエスは、いつものように神殿で教えています。しかしこの頃、ユダヤ人の一部はすでにイエスの命を狙っていたので、そのことを知る人は、イエスが逃げも隠れもせず人前で教えていることに驚きます。 イエスは、ご自分がいずれは捕らえられ、一度は死ぬ運命にあることと、その時は今ではないことを知っていたようです。しかし、イエスは、神であると同時に私たちと同じ人間でもあります。 [続きを読む]