U.Z さん プロフィール

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U.Zさん: みことばとわかちあい
ハンドル名U.Z さん
ブログタイトルみことばとわかちあい
ブログURLhttp://mikotoba-red.jugem.jp/
サイト紹介文幼児洗礼のカトリック信者による、聖書のみことばの感想とわかちあい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供367回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/03/27 22:57

U.Z さんのブログ記事

  • 自分自身がともし火に
  • 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。」 今日の福音(ルカ8.16-18)で、イエスはこのように言います。イエスの存在そのもの、そしてイエスの言葉が私たちのともし火です。イエスが十字架の上で全ての人の罪を背負ってくださったこと、「互いに愛し合いなさい」というイエスの教えが、私たちの人生を照らすのです。 すでにその光 [続きを読む]
  • 分からなくても、とにかく話してみよう
  • 「天が地を高く超えているようにわたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。」 今日の第一朗読(イザヤ55.6-9)には、神の言葉として、このように書かれています。私たちが神に願うこと、祈ることと神の思いは、必ずしも一致しているとは限りません。時に神は、人間が想像もつかないことをお考えです。 では、人が神に祈ることには意味がないのでしょうか。もちろん、そんなことはあり [続きを読む]
  • イエスは現れてくださる
  • 「わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。神は、定められた時にキリストを現してくださいます。」 今日の第一朗読(?テモテ6.13-16)にはこのように書かれています。ここにある「定められた時」とはいつのことなのでしょうか。当時は遠くない将来に訪れると考えられていた「終末」「世の終わり」のことを指しているのかもしれません。 実際には、一人ひと [続きを読む]
  • イエスの言葉に従うとは
  • 「異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、その者は高慢で、何も分からず、議論や口論に病みつきになっています。そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推、絶え間ない言い争いが生じるのです。」 今日の第一朗読(?テモテ6.2c-12)にはこのように書かれています。これは、「キリスト教徒でない人は高慢で言い争いばかりしている」ということではないと思います [続きを読む]
  • わたしたち一人一人に
  • わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。そして、キリストはある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。 今日の第一朗読(エフェソ4.1-7,11-13)にはこのように書かれています。ここでは「わたしたち一人一人に」という言葉が重要なのだと思います。 全ての人が使徒としての役割を与えられているわけではありません。全ての人が教師でなけ [続きを読む]
  • 自分が、最初の一歩を
  • 「今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった。』」 今日の福音(ルカ7.31-35)で、イエスは群衆に向かってこのように話します。喜んでいる人とともに喜び、悲しんでいる人とともに悲しむ。そのように人と心を重ね合わせることが愛です。 イエスはこ [続きを読む]
  • 起きなさい
  •  今日の福音(ルカ7.11-17)で、イエスは若者の棺が担ぎ出される場面に出会います。棺の横には息子の死を嘆き悲しむ未亡人の母親と、彼女に付き添う大勢の人がいます。この母親を見て憐れに思ったイエスは「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と声をかけます。すると、死んでいた息子は生き返ります。 私たちにとって、肉体は死んでいなくても心が死んでいる、死にそうになっている状態は、決して珍しいことではありません。そ [続きを読む]
  • 祈りが心に愛を生む
  • 「愛する者よ、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」 今日の第一朗読(?テモテ2.1-8)にはこのように書かれています。全ての人に感謝し、神の恵みが全ての人にあるように祈りなさいということです。 好きな人か嫌いな人か、知っている人か知らない人か、地位のある人かない人か、そのようなことは一切関係がないのです。 自分が好きではない人、会ったこともない人にために [続きを読む]
  • 神のことばは暖かい
  • 人が互いに怒りを抱き合っていながら、どうして主からいやしを期待できようか。自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、どうして自分の罪の赦しを願いえようか。弱い人間にすぎない者が、憤りを抱き続けるならば、いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。 今日の第一朗読(シラ27.30-28.7)にはこのように書かれています。これらの言葉は一種の逆説だと思います。主である神が人間を癒やさず、罪を赦さないことなどありませ [続きを読む]
  • 誰もが良い実を結ぶことができる
  • 「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。」 今日の福音(ルカ6.43-49)で、イエスは弟子たちに言います。これは、良い行いは、良い心からしか出てこない。心と行いは一体であるということだと思います。 この箇所は、一歩間違うと「どうせ悪い木には悪い実しか結ばないんだ」という卑屈な解釈をしてしまう危険性があります。しかし、決してそのようなことあり [続きを読む]
  • 叫び声を上げ、涙を流しながら祈る
  • 「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。」 今日の第一朗読(ヘブライ5.7-9)にはこのように書かれています。ここには、祈りの本質的なあり方が書かれているように思います。 祈りとはお上品なきれい事ではありません。自分の全てをさらけ出す、全てをぶつける神との対話なので [続きを読む]
  • イエスの従順
  • 「(キリストは)人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」 今日の第二朗読(フィリピ2.6-11)で、パウロはこのように書いています。しかし、イエスは、ただただ大人しく神の教えを伝えるだけの人ではありませんでした。律法学者やファリサイ派の人々との論争は、穏やかなものではなかったでしょうし、権力者であるヘロデ・アンティパスを公然と「あの狐」呼ばわりしたり、神殿で鞭 [続きを読む]
  • 日々、イエスの栄光に触れる
  • 「あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。」 今日の第一朗読(コロサイ3.1-11)にはこのように書かれています。パウロはこの世界が終わってイエスが再びやって来る日はそう遠くないと考えていたようです。この言葉にも、パウロのそのような考えが表れているのかもしれません。 しかし、実際には「終末」「イエスの来臨」という出来事は、パウロの生前には起こり [続きを読む]
  • イエスに向かって手を伸ばす
  • 群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。 今日の福音(ルカ6.12-19)にはこのように書かれています。聖書には、話を聞くため、病気を癒やしてもらうために、イエスの元に群衆が集う話が沢山書かれています。そして今も、私たちに向けて、イエスから力は出続けています。私たちを癒やし続けています。 今、イエスは肉体を持ってこの世界にいるわけではない [続きを読む]
  • 喜びを分かち合うために
  • 「この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。」 今日の第一朗読(コロサイ1.24-2.3)にはこのように書かれています。自分もかつてはイエスの弟子たちを迫害する立場であり、後に異邦人にイエスの教えを伝える者となったパウロの心情がよく表されている一文だと思います。 キリスト者はこの言 [続きを読む]
  • 愛の循環
  • 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 今日の福音(マタイ18.15-20)で、イエスは弟子たちにこのようにいいます。もちろん、イエスはどんな時でも私たち一人ひとりに寄り添ってくださるでしょう。イエスが共にいない瞬間は一時もないのです。では、ここでイエスが言いたかったのはどんなことなのでしょうか。 愛には必ず対象が必要です。自分だけの世界では、愛の行き場はあ [続きを読む]
  • パウロの希望
  • 「今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。」 今日の第一朗読(コロサイ1.21-23)にはこのように書かれています。御子、すなわちイエスが人間としてこの世に生まれ、十字架上で全ての人の罪を背負うことによって、全ての人は、永遠に、完全に救われた。これこそキリスト者が信じる希望です。 イエスの弟子たちの [続きを読む]
  • パウロの希望
  • 「今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。」 今日の第一朗読(コロサイ1.21-23)にはこのように書かれています。御子、すなわちイエスが人間としてこの世に生まれ、十字架上で全ての人の罪を背負うことによって、全ての人は、永遠に、完全に救われた。これこそキリスト者が信じる希望です。 イエスの弟子たちの [続きを読む]
  • イエスの系図、救いの計画
  •  今日の福音(マタイ1.1-16,18-23)はマタイ福音書の冒頭部分で、イエスの系図が書かれています。イエスの系図はルカ福音書の三章にも書かれていますが、多くの人にとって、聖書の中でも、読んでいて最も退屈な箇所ではないでしょうか。 マタイ福音書の系図はアブラハムから始まりますが、ルカ福音書の系図はアダムまで遡ることが出来ます。これは、アダムから始まり、アブラムやダビデ王、ソロモン王とつながるユダヤ人の歴史( [続きを読む]
  • 信じなくても救われている
  • 「わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」 今日の第一朗読(コロサイ1.9-14)には、このように書かれています。「御子」とはもちろんイエスのことです。「贖い」とは、イエスが全人類の罪を背負って十字架に架かったことです。神を信じることによってこれから救われるのではなく、すでに誰もが救われていることを信じる。これがキリスト者の信仰です。 すでにイエスと出会った人が、人々に [続きを読む]
  • イエスの癒やし
  • 日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた。 今日の福音(ルカ4.38-44)にはこのように書かれています。二千年前は今のように科学や医学が発達していませんから、「いろいろな病気」には実に様々な症状が含まれていたと思います。現代なら病気とは判断されない状態の人も含めて、沢山の苦しんでいる人がイエスの元に集まった [続きを読む]
  • 人の権威、神の権威
  • イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。 今日の福音(ルカ4.31-37)にはこのように書かれています。マタイ福音書の7章には「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになった」と書かれています。常識的に考えれば、律法学者こそ、当時の社会で大きな権威を持っています。一方、イエスは田舎の大工に過ぎま [続きを読む]
  • 愛され、愛し
  • 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」 今日の福音(ルカ4.16-30)で、イエスは故郷ナザレの会堂で、旧約聖書の一節を朗読します。これはイザヤ書61章にある言葉です。ルカ福音書では、これがイ [続きを読む]
  • 喜んで捕らえられる
  • 「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。」 今日の第一朗読(エレミヤ20.7-9)は、預言者エレミヤの、このような告白から始まります。この告白は、神と人との関係をよく表していると思います。 神を信じるとは、頭で考えただけでできることではありません。信じようとすれば信じられるわけでもありません。 それ以上に、「神に捕らえられている」「イエスが自分を捕ま [続きを読む]
  • 愛するために作られた
  • 「兄弟愛については、あなたがたに書く必要はありません。あなたがた自身、互いに愛し合うように、神から教えられているからです。」 今日の第一朗読(?テサロニケ4.9-11)で、パウロはこのように書いています。神は、私たち人間を、互いに愛し合うようにお作りになっているのです。 しかし、私たちは、いつも愛をもって人に接する、人を大切することができるわけではありません。人を傷つけたり、憎んだりするのは珍しいことで [続きを読む]