U.Z さん プロフィール

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U.Zさん: みことばとわかちあい
ハンドル名U.Z さん
ブログタイトルみことばとわかちあい
ブログURLhttp://mikotoba-red.jugem.jp/
サイト紹介文幼児洗礼のカトリック信者による、聖書のみことばの感想とわかちあい。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供366回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/03/27 22:57

U.Z さんのブログ記事

  • イエスは叫ぶ
  •  今日の福音(マタイ13.1-9)で、イエスは船に乗って腰を下ろし、岸辺に立っている大勢の群衆に向けて話を始めます。沖まで漕ぎ出していったということはないでしょうが、群衆とはある程度の距離があったと思います。 ということは、イエスはかなり大声で群衆に語りかけたはずです。田舎の大工が、声を張り上げて、叫ぶように群衆に語りかける。絵画に描かれている、落ち着いて穏やかなイエスのイメージとは正反対です。熱っぽい [続きを読む]
  • パウロの楽観主義
  • 「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」 今日の第一朗読(?コリント4.7-15)で、パウロはこのように書いています。パウロは、神を信じれば、イエスを救い主だと信じれば、苦しいことなどなくなるとは言っていません。苦しいことがあっても、辛いことがあっても大丈夫だと言っているのです。 これは、とんでもない楽観主義です [続きを読む]
  • 自分の弱さと神の助け
  • 「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。」「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」 今日の第一朗読(出エジプト記14.5-18)で、モーセは、エジプトから逃げるイスラエルの民にこのように言います。彼らは、エジプト軍の追っ手に追いつかれ、殺されることを恐れ、それならいっそ、奴隷としてしてでも生き残る方がましだと考えているのです。 自分 [続きを読む]
  • 祈りの始まり
  • 「?霊?は弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、?霊?自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」 今日の第二朗読(ローマ8.26-27)で、パウロはこのように書いています。「祈りたい」「祈ろう」と思っているのにうまく祈れないことはあると思います。神に伝えたい想いはあるのに、それがうまく言葉にならない。なにをどう言えばいいのかわからない、自分でも [続きを読む]
  • イエスに駆り立てられる
  • 「皆さん、キリストの愛がわたしたちを駆り立てています。」  今日の第二朗読(?コリント5.14−17)に、パウロはこのように書いています。パウロは、復活したイエスに出会って人生が180度変わりました。イエスの弟子を迫害する者から、自分自身イエスの弟子となって、イエスの教えを伝える者となりました。 パウロは自分の意志で変わったというよりも、イエスの愛に触れることによって変えられたのでしょう。自分ではどうするこ [続きを読む]
  • 掟による支配から愛による支配へ
  • 「もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」 今日の福音(マタイ12.1-8)で、空腹を覚えたイエスの弟子たちは、麦の穂を摘んで食べ始めます。それを見ていたファリサイ派の人々は、その行為を非難します。その日は安息日で、ファリサイ派の人々は、麦の穂を摘むような些細な行為でも [続きを読む]
  • イエスの背中
  • 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」 今日の福音(マタイ11.28-30)で、イエスは人々に言います。イエスの言う「休ませる」とは、単にそこで一度荷を降ろして休憩させる、というだけではないのだと思います。 イエスは、私たちの重荷を一緒に背負い、共に歩んでくださるのです。時には、私たちの体ごと背負ってくださることさえあるでしょう。そんなイエスの愛の究極形が十字架で [続きを読む]
  • 共にいる神
  •  今日の第一朗読(出エジプト記3.1-6,9-12)は、神がモーセに、エジプトからイスラエルの民を救い出すように命じる場面が描かれています。 モーセはイスラエルの民として生まれ、ファラオの王女の子として育てられ、にもかかわらず、イスラエルの民を虐げるエジプト人を殺して逃亡し、この時は羊飼いをしています。そんな波乱万丈に生きてきたモーセに、神は今まで以上に困難な仕事を命じるのです。 モーセは神に問いかけます。 [続きを読む]
  • イエスのうめき
  • イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。」 今日の福音(マタイ11.20-24)には、このようなイエスの怒りが書かれています。この箇所は英語訳聖書では「How terrible it will be for you Chorazin! How terrible for you Bethosaida!」と書かれています。「コラジンよ、なんとひどいことだ!ベトサイダよ、なんとひどいことだ!」とい [続きを読む]
  • それぞれの十字架
  • 「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」 今日の福音(マタイ10.34-11.1)でイエスは、弟子たちに、このように言います。イエスは、全ての人の罪を背負うために、十字架に架かって死にました。つまり、自分を投げ出すほどの他者への愛、それこそが十字架です。 イエスは何も、全ての人に、他 [続きを読む]
  • 種を受け取る、種を蒔く
  • 「ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」 今日の福音(マタイ13.1-23)で、イエスはこのような例え話をします。種とは神の言葉であり、神の愛です。神は、色々な形で、私たちの心に種を蒔きます。私たちが気づかなくても、風に乗って、種はいつも私たちの心に届いてます。 その種を育んで、芽を出し、葉を広げ、花を咲かせ、実を実らせるのは、私たち次第 [続きを読む]
  • 自分の明るみ
  • 「わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。」 今日の福音(マタイ10.24-33)で、イエスは弟子たちに言います。イエスは今日も私たちに語りかけています。それは、暗闇でそっと耳打ちするようなささやきかもしれません。しかし、確かに語りかけています。 それは、常に愛の言葉でしょう。神を大切にしなさい、人を大切にしなさい、そして自分自身を大切にしな [続きを読む]
  • 力を手放す勇気
  • 「引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。」 今日の福音(マタイ10.16-23)で、イエスは使徒たちにこのように言います。「引き渡されたとき」とは、イエスの教えを宣教することによって捕らえられ、裁きの場に引き出された時のことです。 しかし、イエスのこの言葉は、私たちの [続きを読む]
  • 毎日が旅、人生も旅
  •  今日の福音(マタイ10.7-15)には、イエスが使徒たちを宣教の旅に派遣する場面が描かれています。この旅は期限付きの旅です。弟子たちは行く先々で福音を述べ伝えた後、イエスの下に戻ってきます。 さらにイエスは復活後、再び天に帰る前に、「全世界に行って福音を述べ伝えなさい」「全ての人を私の弟子にしなさい」と弟子たちに伝えます。この派遣には期限がありません。「人生は旅のようなもの」と言う言葉がありますが、ま [続きを読む]
  • 失われた羊
  • 「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。」 今日の福音(マタイ10.1-7)で、イエスは十二人の弟子を派遣する際に、彼らにこのように言います。このイエスの言葉には違和感があります。イエスご自身が、異邦人だろうがサマリア人だろうが区別なく、誰とでも友になる方だからです。なぜイエスは弟子たちにはこのようなことを言ったので [続きを読む]
  • イエスは自ら出向く
  • イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。 今日の福音(マタイ9.32-38)には、イエスの宣教についてこのように書かれています。イエスは、教会にこもって人々が訪ねてくるのを待っているような方ではありませんでした。ご自分からどこにでも出かけていって、誰にでも会いに行く方でした。常に行動の人でした。 今、私たちの教会は、そんなイエスにならっている [続きを読む]
  • 絶望の中の希望
  •  今日の福音(マタイ9.18-26)で、イエスは死んだ少女を生き返らせる奇跡を行います。少女の親は、「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」とイエスにすがります。それに対し「少女は眠っているだけだ」というイエスのことを、群衆はあざ笑います。 少女の親と群衆たちの、イエスへの態度は正反対です。親はイエスが娘を生き返らせることを信じ、 [続きを読む]
  • 子どものように世界を見る
  • 「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」 今日の福音(マタイ11.25-30)で、イエスはこのように言います。この直前、イエスは悔い改めに関する話をしているので、「これらのこと」は、直接的には悔い改めのことを指しているのでしょう。 しかし、「これらのこと」には、イエスの教え全般が含まれていると考えてもよいのだと思います [続きを読む]
  • あなたと出会うこの瞬間が
  • 「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。」 今日の福音(マタイ9.14-17)では、洗礼者ヨハネの弟子がイエスのところにやって来て、イエスと弟子たちはなぜ断食しないのかと尋ねます。ヨハネの弟子が「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに」と言っているように、当時のユダヤ人にとって、定期的に断食するのは習慣の一つだったようです。この問いに対して、イエスは上のように答えます。 [続きを読む]
  • 私たちの食卓はイエスの食卓となっているだろうか
  • 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 今日の福音(マタイ9.9-13)には、マタイがイエスと出会う場面が描かれています。徴税人であるマタイの家で、イエスが多くの徴税人や罪人と食事をしていると、ファリサイ派の人がそれを批判します。その時、イエスはこのように言います。 この言葉通り、イエスの周りにはいつも、当時のユダヤ [続きを読む]
  • 神への想い、人への想い
  • 人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。 今日の福音(マタイ9.1-8)には、イエスが中風の人を癒やす場面が描かれていますが、その人がイエスの下に連れてこられる様子を、福音書はこのように書いています。 この時、イエスの心を動かしたのは、「その人」の信仰ではなく、「その人たち」の [続きを読む]
  • イエスだって受け入れられない
  •  今日の福音(マタイ8.28-34)は、イエスが悪霊を追い払う場面が描かれています。若干分かりにくい箇所でもあるので、時系列に沿って簡単にまとめてみたいと思います。・イエスがガダラ人の地方(異邦人の住む地域)に到着する。・悪霊に取り憑かれて暴れている二人の人に出会う。・イエス、悪霊に「行け」と命じる。・悪霊は二人から豚の体内に入る。豚は湖に飛び込んでおぼれ死ぬ。・町の人がやって来てイエスに出て行ってほし [続きを読む]
  • 私たちの船にはいつもイエスが
  •  今日の福音(マタイ8.23-27)で、イエスと弟子たちは船に乗っています。途中、激しい嵐が起こり、船が沈みそうになりますが、イエスは眠っています。弟子たちは「主よ、助けてください。おぼれそうです」と、イエスに助けを求めます。イエスは弟子たちを「なぜ怖がるのか」と叱りながらも、嵐を静めます。 私たちの人生も、この船のようなものかもしれません。いつも順風満帆なわけではなく、時には凪いで全く進まず、時には嵐 [続きを読む]
  • 誰もが聖なる民
  • 「皆さん、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。」 今日の第一朗読(エフェソ2.19-22)にはこのように書かれています。初代教会では、使徒たちの宣教によって、ユダヤ人以外にも多くの人々がイエスの教えを信じ、洗礼を受けました。はじめはユダヤ教の一派と見なされていた初代教会は、こうして「キリスト教」として形作られてい [続きを読む]
  • 死と復活は一体
  • 「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」 今日の第二朗読(ローマ6.3-4,8-11)には、このように書かれています。イエスの死と復活は一体です。十字架による死なくして復活はあり得ませんし、復活のない死もあり得ません。 イエスは全ての人の罪を背負って十字 [続きを読む]