井藤マサカツ さん プロフィール

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井藤マサカツさん: キテレツ諸子百家〜論語と孔子と、ときどき墨子〜
ハンドル名井藤マサカツ さん
ブログタイトルキテレツ諸子百家〜論語と孔子と、ときどき墨子〜
ブログURLhttps://ameblo.jp/tetsujin110/
サイト紹介文大手予備校の元漢文講師である私が「諸子百家」について、徒然なるままに語る部屋です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供149回 / 365日(平均2.9回/週) - 参加 2016/03/30 10:47

井藤マサカツ さんのブログ記事

  • 論語漫歩210 顔淵死す
  •  子路の最期34 前回、我々は、先進篇第13・14・15・16・17・の5章が、1つのグループを形成していることを発見した。このことが分かってみると、我々は次々と新しいことに気づくのである。先ず第一に気づくことは、このグループの直前の6章が    顔淵の死 をテーマとして、1つのグループを形成していることである。次の通りである。   第7章 顔回なる者あり。不幸短命にして死す。今や則ち亡し。   第8章 顔淵死す  [続きを読む]
  • 論語漫歩209 グループ
  • 子路の最期33 前回我々は、やっと衛の霊公を支えた6人の賢者の第5番目蘧伯玉の追究を終えることができた。第6番目の賢者は、今分析中の憲問篇第20章の直前の章の公叔文子である。彼については、論語漫歩77「以て文となすべし」に詳述した。 我々はこれまで論語の隣接する章に密接な関連があることをしばしば目にしてきた。この憲問篇第19・20章にもそれが見られる。すなわち第20章で孔子は衛の霊公を支えた人として3名しかあげて [続きを読む]
  • 論語漫歩 208  孔子は 六十にして 六十化す 
  •  子路の最期 32 前回我々は、無限の宇宙に遊ぶ自由人戴晋人をみた。その彼に次ぐ人と目されたのが蘧伯玉であった。彼は  君子なるかな 蘧伯玉(衛霊公篇6)と、孔子にほめたたえられ、孔子が師と仰いだ人物である。『淮南子(えなんじ)』説山訓では  蘧伯玉は「徳」で衛国の民を教化したとたたえられ、同じく『淮南子』泰族訓では  蘧伯玉はその「仁」によって衛国を安んじたと絶賛されている。同じく『淮南子』主術訓 [続きを読む]
  • 論語漫歩207  蝸牛角上の争い 
  • 子路の最期31   前回我々は、蘧伯玉の   六十にして 六十化すを見た。『荘子』則陽篇の言葉である。福永光司先生は、『荘子』(昭42朝日新聞社p200)外篇・雑篇 則陽篇で、蘧伯玉についていう。   ここでは戴晋人らに次ぐ無為自然の自由人として蘧伯玉を登場させ、彼の日ごとに己れを新たにするとらわれなき人生態度を説明しながら、荘子的超越の哲学の根本的立場を解説する、と。   では一体「戴晋人」とは何者 [続きを読む]
  • 論語漫歩206 日に新たに
  • 子路の最期30 我々が為政篇第4章の孔子の伝記第1期「十五志学」の解明を始めて1年が過ぎた。 吾十有五にして学に志し三十にして立ち四十にして惑はず云々 孔子は10年きざみで大きく成長していったのである。ところが孔子の師蘧伯玉は、なんと1年ごとに成長していったのである。『荘子』則陽篇に言う。蘧伯玉は行年六十にして六十化す彼は60歳になるまで毎年毎年新たな心境に達し、60歳になるまでに60回も生き方を新しく変えたと [続きを読む]
  • 論語漫歩205 螳螂の斧②
  • 子路の最期29 前回我々は、自分の力の過信の戒めと、狂暴な相手に対処する方法を見た。己の力の微弱さを顧みず、無謀にも強大な相手に立ち向かい自滅する愚が螳螂の斧の比喩で説かれていた。普通我々は「蟷螂の斧」をそういう意味で使っている。しかし、この言葉には、もう1つ別の出典がある。 『淮南子』人間訓である。 斉の荘公(在位B.C.553−548)が猟に出かけたところ1匹の虫が足を振り挙げて戦車に打ちかかってきた。 [続きを読む]
  • 論語漫歩204 螳螂の斧①
  • 子路の最期28 我々は論語漫歩201「顔闔登場」で、衛の霊公の悪虐無道な太子の教育係を拝命した顔闔が、太子の教育法を衛国の賢大夫蘧伯玉に問うのを見た。この太子が後に子路を惨殺することをわれわれは既に知っている。 顔闔が問う。悪虐無道の太子に同調すると国が亡び、彼の性向に逆らって正しい方向に導こうとすると私が殺されます。どうすればよろしいでしょうか。蘧伯玉が答える。なかなか善い質問です。相手が赤ちゃんにな [続きを読む]
  • 論語漫歩203 必ず敗れん
  • 子路の最期27 我々は今衛の霊公の太子(彼こそが子路の虐殺者)の教育係顔闔を追究中である。今回は太子が衛国の王位につき、荘公となったときの話である。『呂氏春秋』適威篇。  衛の荘公(B.C.480〜478在位)が御の名人東野稷を引見した。その車の運転ぶりは実に見事であった。荘公は感嘆して言った。「素晴らしい。古の名人造父も及ばないだろう」と。彼の名人芸を見せるため、都中を走るよう命じた。やがて参内してきた [続きを読む]
  • 論語漫歩202 随侯の珠
  • 子路の最期26  前回は衛の霊公の太子の教育係となった顔闔が衛国の賢者蘧伯玉に、太子の教育法について教えを請うところまでであった。ところで顔闔は、『呂氏春秋』貴生篇に登場する。  「貴生篇」は、その篇名の通り、何物よりも「生を貴ぶ」ことをテーマにする。どんなに耳目鼻口が欲しても生命に有害なら止め、どんなにいやでも生命に有益なら実行する。聖人堯が天下を子州支父に譲ろうとすると「私は今、鬱病の治療中で、 [続きを読む]
  • 論語漫歩201 顔闔登場
  • 子路の最期25 我々は、無道な衛の霊公を支えた6人の賢者の第5番目蘧伯玉の人物像を追究中である。彼は、『荘子』の人間世篇にも登場する。先ず前半を引用しよう。 衛の霊公の太子の教育係を拝命した顔闔が、衛国の賢大夫蘧伯玉に教えを請うて言った。  ここにある人がいます。生まれつき残酷狂暴です。この人と一緒に無道なことをすれば国が滅びます。そうかといって、諫めて正道を行わせようとすると、私が殺されます。悪知 [続きを読む]
  • 論語漫歩200 小人の過つや 必ずかざる
  • 子路の最期24 我々は「好学」の士顔回が、倦まず弛まず努力し続けた結果怒りをうつさず過ちをふたたびせずの境地にたどり着いたのを見た。憲問篇第26章で、孔子の師蘧伯玉の使者がご主人様は、過ちを少なくしようと努力していますが、まだおできになっていませんと報告したのを孔子が絶賛するのを見た。しかし、なぜ「過ちを少なくすること」が、それほど重大なのか、よく分からないため孔門第一の顔回が最後に到達した地点に [続きを読む]
  • 論語漫歩199
  • 克己復礼6子路の最期23 我々は、顔淵篇首章の克己復礼を仁となすの「克己」が顔淵の到達点であり、文王の出発点である、「喜怒哀楽」に宜しきを得る円満な人柄を指し、「復礼」が、老人を安んじ友を信じ幼い子どもに懐かれたい、という孔子の「志」、人間同士の理想的な関係を表現しているらしいことを見てきた。 しかし、「克己復礼」という、この言葉が論語を離れ、顔回を離れると、「欲望に打ち勝つ」という、朱子の解釈が [続きを読む]
  • 論語漫歩198 克己復礼5
  •  子路の最期22 我々は今、論語500章中で最も重要な章の1つを検討中である。すなわち、顔淵篇首章の    克己復礼を仁となす の解釈に関してである。 朱子は、「居敬窮理」、すなわち「厳粛な精神集中」によって、私欲に打ち勝って、天理に帰るのが仁、と解釈する。  しかし、我々はこの言葉が「無欲」な顔回に与えられたものであることに着眼し、又孔子が顔回の全人格に与えた評価、「怒りをうつさず」を考慮して、顔淵篇首 [続きを読む]
  • 論語漫歩197 克己復礼4
  •  子路の最期21  論語には、「仁」の多くの定義がある。その中で最も有名で、最も重要なのが    克己復礼 である。これは3000人の孔門中第1の顔回に孔子が与えた仁の定義である。 朱子は、この「克己」を    自分の欲望に打ち勝つこと と解釈した。800年もの間、我々は朱子のこの解釈を信じて疑わなかった。しかし、ある日この言葉が「無欲」そのものの顔回に与えられたものであることに気付いた時、    「?」 マー [続きを読む]
  • 論語漫歩196 克己復礼3
  •  子路の最期20  我々は前回、顔淵篇首章の「克己復礼」の「克己」を、朱子が    私欲に打ち勝つこと と解釈するのを見た。しかし、「無欲」そのものの顔回に向かって、「欲望に勝て」と言うであろうか。およそナンセンスである。 では、「克己」とは何か。これが今回のテーマである。実は我々はその正解をすでに知っているのである。雍也篇第2章の全文。    魯の国王の哀公が問う   お弟子さんの中で誰が「好学」です [続きを読む]
  • 論語漫歩195 克己復礼2
  • 子路の最期19  我々は前回、論語の中でも最も有名な章の1つ、顔淵篇首章にたどりついた。   顔淵 仁を問ふ  子曰く  克己復礼を仁となす 朱子は   己を私欲  礼を天理 と定義し、最後の句を  仁とは、私欲に打ち勝って天理に帰る事と解釈した。しかし、我々はすでに顔回が極めて「無欲」な人であることを知っている。雍也篇第9章に言う。   子曰く  賢なるかな回や  一箪の食(し)  一瓢の飲  陋巷にあり [続きを読む]
  • 論語漫歩194 克己復礼1
  •  子路の最期18  我々は今、旅の途上にある。 それは発見の旅、歓びの旅である。 孔子がいかにして、地上に、人類に、民主主義を実現し、フランスの大哲学者ヴォルテールによって    啓蒙の守護神 としてあがめられ、敬われ、礼拝されるに至ったかを、論語にある伝記にもとづいて探究中である。 我々はこれまでも多くの「発見」をしてきたが、今回もまた「発見」の歓びを味わうことになる。  孔子は自公の恩師・蘧伯玉を [続きを読む]
  • 論語漫歩193 発見 歓びの旅
  •  子路の最期17  思えば我々の旅は、発見の連続の旅であった。我々はこれまで数多くの発見を共にしてきた。一、二例を挙げてみよう。論語漫歩184「子 南子に見ゆ」では、「かまど」が南子であることを発見した。これまでのすべての注釈家は、「かまど」を王孫賈と解釈してきた。古注『論語集解』に引くところの前漢の孔安国も、南宋の朱子の新注『論語集註』も、それらに拠る注釈家たちもみな。  我々が今、追究中の「十五志学 [続きを読む]
  • 論語漫歩192 申申如たり 夭夭如たり
  •  子路の最期16  前回、我々は、孔子が恩師・蘧伯玉の使者を絶賛するのを見た。なぜ孔子は使者を使者の本分を尽した、と言ってほめたたえたのか。それは、使者が主人の真髄を伝えることができたからである。彼は主人の日常について孔子に問われた時、次のように答えた。   夫子は過ちを少なくしようとして  まだできずにいます  使者のこの答を孔子はなぜ二度までも   使なるかな  使なるかな とほめたのであろうか。そ [続きを読む]
  • 論語漫歩191 孔夫子
  •  子路の最期15  我々は論語漫歩187「子と孔子1」以下で、憲問篇第25章の内容分析を後回しにして、その形式、すなわち孔子を前半では「孔子」、章末では「子」と記す意味を追求してきた。その結果、師や君主に対しては「孔子」、その他の場合には「子」と使い分けられていることを知った。  論語漫歩61「負函の日没」で、我々は野間文芸賞を受賞した、井上靖氏の名作『孔子』(新潮社)を取り上げた。この本は、天命と仁の探究 [続きを読む]
  • 論語漫歩190 丘や幸なり 過ちあれば人必ずこれを知る
  •  子路の最期14  前回、我々は述而篇第31章を読解した。今回はその解釈である。2通りの解釈がある。伊藤仁斎の説と彼以外のすべての注釈家の説との2通りである。先ずは後者から。  史記仲尼弟子列伝巫馬期の項は、この章の全文をそっくりそのまま引用し、最後に1行つけ加えている。   臣下たる者は、君主や親の悪について言うべきではなく、それを隠すのが礼である。 これによれば、孔子は昭公の非礼を先刻承知の上で、君主の [続きを読む]
  • 論語漫歩189 呉孟子
  •  子路の最期13  前回、我々は「子」と「孔子」の使い分けの第2の例として、述而篇第31章をのぞいて見た。今回はその読解である。これは、孔子一行が陳国に滞在した、B.C492年〜B.C489年、孔子61歳から64歳の時のこととされる。   陳国の司法大臣が、魯国の君主昭公について問う。  昭公は礼に明るいですか  孔子が答える  ハイ、その通りです  孔子が退場した後で  司法大臣が孔子の弟子の巫馬期にお辞儀をして言う [続きを読む]
  • 論語漫歩188 子と孔子2
  •  子路の最期12  前回、我々は論語では普通は孔子を「子」と表記するが、対話の相手が君主や師のように尊い場合は「孔子」と表記することを知った。  憲問篇第25章では、孔子が師と仰ぐ蘧伯玉の使者には、敬意を表して「孔子」と表記し、使者が去った後の、内輪の場面では「子」と使い分けているのを見た。  述而篇第31章も同様である。先ず全文を引用しておこう。   陳の司敗(司法大臣)問ふ  昭公は礼を知るか  孔子 [続きを読む]
  • 論語漫歩187 子と孔子1
  •  子路の最期11  孔子一行は衛国滞在中、蘧伯玉の家に寄寓した。彼は孔子が師と仰いだ6人の中の1人であった。14年に及ぶ放浪の末、魯国に帰国した孔子のもとへ、彼が見舞いの使者を送ってきた。その時の様子が憲問篇第25章に記されている。全文を引用しよう。   蘧伯玉 人を孔子に使はす  孔子これに坐を与へて、これに問ふ  曰く  夫子何をか為す  こたへて曰く  夫子その過ちを寡くせんと欲して  い [続きを読む]
  • 論語漫歩186 孔子の師・蘧伯玉
  •  子路の最期10  衛国を支えた、第5番目の賢者・蘧伯玉の登場である。彼は前回の表題となった。すなわち衛霊公篇第7章の孔子の言葉である。    君子なるかな蘧伯玉  史記仲尼弟子列伝の冒頭に、孔子が師と仰いだ6人の人物の名が挙げられている。    周の老子   衛の蘧伯玉   斉の晏子(あんし)   鄭の子産   楚の老莱(らい)子   魯の孟公綽(しゃく)  晏子と子産は、春秋時代を [続きを読む]