閉伊川ワカサギ博士の何でも相談室 さん プロフィール

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閉伊川ワカサギ博士の何でも相談室さん: 閉伊川ワカサギ博士の何でも相談室
ハンドル名閉伊川ワカサギ博士の何でも相談室 さん
ブログタイトル閉伊川ワカサギ博士の何でも相談室
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/hypom
サイト紹介文Welcome to Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供79回 / 365日(平均1.5回/週) - 参加 2016/04/01 23:17

閉伊川ワカサギ博士の何でも相談室 さんのブログ記事

  • 「あの世」とは森川海とそのつながりのことである
  • あの世はあるのか,科学的に証明できないと言うが、実は,証明できる。あの世とは,森川海とそのつながりの事である。人間は死んだらどうなるか、土ととなりそれが水の作用によって川に流れていき、そして海へと下る。海は広大であるが,生物は沿岸域に集中する。なぜならば生物が利用する物質が多数集まるからである。コンブもワカメも外洋と言うが沿岸部に生息しているではないか。次の世代に提供を与えているのだ。自然環境に優 [続きを読む]
  • 生命といのちの違い
  • 第6回水圏環境教育研究会では、大変有意義な時間を過ごすことができた。11演題で一貫して流れていたのは、いのちの「主体性」である。いのちというのは、主体性を持っている。なぜいのちはそのような生活を送るのか、それは「主体的」に生きようとするからである。それを理解するために生活史研究がある。生活史は、環境と密接に関わりがあるが、環境に規定されながらも、いのちは繋がろうとする。なぜならば、生きようとするから [続きを読む]
  • 第6回日本水圏環境教育研究会を開催します。
  • 第6回水圏環境教育研究会では、大変有意義な時間を過ごすことができた。11演題で一貫して流れていたのは、いのちの「主体性」である。いのちというのは、主体性を持っている。なぜいのちはそのような生活を送るのか、それは「主体的」に生きようとするからである。それを理解するために生活史研究がある。生活史は、環境と密接に関わりがあるが、環境に規定されながらも、いのちは繋がろうとする。なぜならば、生きようとするから [続きを読む]
  • 科学の限界と科学的思考の限界
  • 本日は、関東の某自治体と水質浄化に関する実験結果について話し合いを持った。残念な事が2つあった。1つは、国の水質改善基準の問題。もう1つは、自治体担当者が科学的に根拠を積みながらの思考ができないこと。その根本問題は、上意下達の非民主的習慣。対等に対話して学び合う水圏環境教育の重要性が浮き彫りにされる貴重な半日だった。 [続きを読む]
  • 銀座のカレー店主ノエルさん 「インド人から見た日本」
  • ノエルさんにお会いした。岩手文化大使の集いにて。ノエルさんは銀様の有名なカレー屋の店主である。具材はほぼ100パーセント岩手産を使っている。岩手の具材は本物だよ。私の父親はインド人だ。昭和8年にインドから京都大学に留学した。その当時のインドはまだインドではなかった。父は何とか連動独立させようと考えていた。その時に自分の息子を出したいと願った。そこで選んだのが日本である。なぜ日本なのか。当時は欧米列強に [続きを読む]
  • 大槌を訪問、中里鮮魚店の鮭とイトヨ
  • 学生と2人で、大槌町訪問。来年度実施する予定の水圏環境教育プログラムの開発の準備である。当初、数多くの思い出が語られた大槌川、小槌川の合流地点、東和さて、、あさりを取り、海苔を取り、毎朝の食卓には欠かせない場所だった。その場所は大槌の栄華を象徴する場所である。しかし、戦後防潮堤が建設され、そして現在14メートルの防潮堤建設のため、今跡形もなくなってしまった。それでも、なんとか地元の子供たちに伝え残そ [続きを読む]
  • 言霊コトダマという縄文の風習
  • 縄文人は言葉を大事にした。とは、人類学者尾本恵市博士の言葉。言葉のことを言霊と言った。言葉には力を持つものがあるという意味である。言葉を発するという事は、ものすごい影響力を相手に与える魔力を持っているという。縄文人はできるだけ余計な言葉を発しないように気を使っていたのではないか、と付け加えた。もし、私たち東北人が縄文人に近い子孫であるとすれば、あまり言葉を発しない理由はそこにあるのではないか。言葉 [続きを読む]
  • はじまりました サクラマスがのぼる川の在来知
  • 縄文人は言葉を大事にした。とは、人類学者尾本恵市博士の言葉。言葉のことを言霊と言った。言葉には力を持つものがあるという意味である。言葉を発するという事は、ものすごい影響力を相手に与える魔力を持っているという。縄文人はできるだけ余計な言葉を発しないように気を使っていたのではないか、と付け加えた。もし、私たち東北人が縄文人に近い子孫であるとすれば、あまり言葉を発しない理由はそこにあるのではないか。言葉 [続きを読む]