紗代�・徒然なるままに さん プロフィール

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紗代�・徒然なるままにさん: 紗代�・徒然なるままに
ハンドル名紗代�・徒然なるままに さん
ブログタイトル紗代�・徒然なるままに
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/16678368
サイト紹介文これからは自由気ままにと思うも、健診により疾患の嵐。
自由文生誕と同時に母が逝き、父と断絶・離婚で幸せを痛烈に感じ、 娘二人と我武者羅に生き
リウマチ闘病、年齢の半分以上を患いつつ
これからは自由気ままにと思うも、健診により疾患の嵐。 何でこうなるの〜
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供357回 / 331日(平均7.5回/週) - 参加 2016/04/05 11:05

紗代�・徒然なるままに さんのブログ記事

  • アクセス並びにブログ閲覧戴いております方々へ
  • 多くの方々に、ブログアクセス戴き有難うございます。お一人でも多くの閲覧者が居て下さり人生の歩みをアップする事に嬉しくも有り振り返りながら当時を懐かしみ思い出しつつの毎日でした。しかし、近頃体調が思わしくなくブログ続投が困難な状況となり本日で一旦休止致したく思います。もうすぐアップ開始から一年を目の前に残念で、悔しくもあります。只、つたないブログにアクセス戴きました方々に感謝とお礼も心より申し上げま [続きを読む]
  • 人生を振り返る>付かず離れずの関係
  • 友達の1人にえい子ちゃんと云う子が居た。えい子ちゃんも、急変したひとりでシンナー吸引し学校も休みがちになっていった。私が、帰宅すると家の前にある小学校のブロック塀にもたれ座り込み、手には鏡と真っ赤な口紅を持っていてその口紅は大きく唇からはみ出しは、一瞬出血!と驚いた事が有った。えい子ちゃんの目は、焦点が合っておらず立ち上がるにもふらついた状態。吸引後は、喉が異常に乾くらしい。あき子は、要求された水 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>変わりつつある友達
  • 二つの小学校が複合した中学校でも、元同じ小学校だったお友達関係が続く。でも、小学生の面影がなくなりその当時、興味本位でシンナーやボンドを吸引し非行に走り不良になる傾向の友達が増えた。私は、そんな友達から遠ざかれずにいたけれど決してしてはいけない事の範囲も分かっていたし、その行為がいいとも思えなかった。 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>こんなはずではなかった。
  • 部活に行くワクワク感は、授業が最後になるにつれ増す。初めて体験する先輩後輩の縦割り社会。3年生など、今思えばまだまだ子供の年齢であるのに?歳上だけで偉く大人に感じた。登校時など遠くで先輩の姿を見つけ顔尾合わすと大きな声で『おはようございます!!』と大名行列に見る“はっはぁ〜”と奉るような感じ。こんな感じで私も、2年になればされるのかと思うと、妙にこそば痒いように想像した。部活は、毎日3時間余り、ずっ [続きを読む]
  • 人生を振り返る>部活にどっぷり浸る
  • 中学に入学した時点で、テニス部か卓球部に入部しようと考えていた。あき子は、天気に左右されない卓球がいいとお薦めだったし一からあき子に教わり一緒に汗も流し遊び感覚のピンポンは身近でもあった。だから、余り迷う事無く卓球部に入る。卓球部には、幼馴染のありんこも入り、集団・団体への戸惑いも解消された。ピンポンと云う気軽さとは打って変わって先輩がいつも口にする“根性!忍耐!厳しさ!”を嫌と云うほど味わう事に [続きを読む]
  • 人生を振り返る>取っ掛かり
  • カーラーで髪を巻いて登校してから、やや校則を無視傾向にあった。制服のスカートの裾をほどきいっぱいいっぱいまで丈を長くた。長くした分の折り目を料理に使うお酢を刷毛で塗ると折り目線がやや薄くなると聞き、目に染むような酸っぱさを感じつつ、アイロンで折り目線を消そうと必死だった。その苦戦も全く無駄で、制服の生地は厚く消す事が出来なかった。かばんの両持ち手の芯を抜き、ぺろんぺろんの持ち手になりペタンコ状態の [続きを読む]
  • 人生を振り返る>一緒に居られる生活
  • さっちゃんの存在は、親戚のお姉ちゃんを超える感じがした。泊りに来る度に、興味をそそられる事が多くあった。まつ毛は、ビューラーとやらでカールさせ、マスカラを施すと付けまつ毛?と問う事もあった。休みの日の晩に一度、カーラーなるものして貰った。明朝カーラーを取ってどれだけクルンクルンに可愛く仕上がっているかと想像を膨らませ就寝。ところが、眠るどころではない。痛くて痛くて、その上ヘアピンが頭の地に刺さった [続きを読む]
  • 人生を振り返る>重なったもの
  • オオカミヘア型に髪を切ったものの、切惜しみし裾を残したばっかりに、もう邪魔になって自分で普通のハサミでばっさりと切る。そうすると、普通のショートヘアになった。そして、さっちゃんが泊まる度に巻いていたカーラーを拝借し、見事変身した。が!中学校では巻き髪は云うまでもなく禁止。先生から注意され撃沈。髪を切った事とさっちゃんのカーラー姿を見なければ結びつく事もなかったのか、、、、、 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>お姉さんみたいな存在。
  • 祖母が他界してから、親戚のお姉ちゃん・さっちゃんがちょくちょく来ていた。高校生だったさっちゃんが、泣きながら助けを求めて来た事のあったさっちゃん。親戚のお姉ちゃんで血の繋がった私の姉とは知らずにいた。社会人になっていたさっちゃんは泊る事もあった。寝る前に髪の毛をスポンジの付いたカーラーで巻き、朝起きればそのカーラーを外す。ふっわぁ、ふっわぁ〜にカールされた髪は直毛から見違えるほどになり、手際よく櫛 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>イメージチェンジ試み
  • 肩甲骨辺りまで伸びた髪は、きっちり結ぶ事は面倒で毎朝億劫に感じた。『おばあちゃんが、居てくれたらしっかり結んで貰えたのに』と逝った祖母の事を結びつけ考えてしまう。それで、電気店に嫁いでいる叔母の行きつけの美容室がありそこでばっさりとショートヘアに切って貰おうと決める。この美容室の先生は、幼い時習っていた日舞のおっしょさんの親戚。おっしょさんの知り合いと云っても、おっしょさんが居る訳でもないので、ド [続きを読む]
  • 人生を振り返る>荼毘に付す
  • 葬儀・焼き場での骨上げなど記憶はほとんど残っていない。只、親戚の小学校の男の子(異母兄弟の弟)がお焼香の際、やり方が分からず十字をきって周りを焦らせた事位しか覚えていない。きっと慌ただしい中、時間があっと云う間に過ぎたのではないのかと思う。その後は、やはり気が抜け寝ても覚めても祖母の事を偲んでばかりの毎日。あき子と云えば、又雑貨店と家事を一気に担う事になった。 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>通夜
  • 着々と通夜の用意と葬儀の場所となるあき子の雑貨店店内は黒白の幕が引かれ、様変わりしていった。夕方頃には、町内会の方々が炊き出しを始めて戴き、11月24日と云うのに底冷えがする位寒く、一斗缶の上を切り、たき火のように暖を取る手段も手早くして下さった町内会の方々。夜通し人々が絶える事もなかったようでした。祭壇裏は、いつも生活していた室内と台所。けっして広くないその場所は、親戚縁者がそれぞれの持ち場を懸 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>祖母、自宅に戻る
  • 入院から4ヵ月、あっと言う間に逝きました。自宅へと戻って来た祖母を、おっちゃん(父)がお姫様抱っこのようにして二階へ運びます。軽々と抱き、まだ硬直が始まっていないのか眠っているかのようです。床に安置し、≪死に水≫を交代で行う。<<これは故人が生き返ってくれることを願い、それが無理であったとしても死後の世界で喉に渇きに苦しむことのないようにという願いをこめた儀式>>旅支度をする為、ゆっくりと曲げ伸ば [続きを読む]
  • 人生を振り返る>看取り、臨終
  • 病室の窓から学校の運動場が見え、学童の姿が無く無音に近く、晴れ間が広がる朝9時過ぎ。誰かが、窓を開けるようにと目配せした。息を引き取る間際、個病室にはたくさんの親族に見守られながら苦しむ事無く、事切れるように首を右にコクリと傾けたと同時に眠るように逝った。皆が、私に『手を握る』ようにと両手で掌を包んだその時だった。呆気ないと感じた。命は儚い。11年間と云う短い生活しか叶わなかった。けれど、目を閉じ [続きを読む]
  • 人生を振り返る>祖母逝く
  • 強く、たくましく明治・大正・昭和、戦中戦後を生き抜き私の誕生後、穏やかに過ごせたであろう老後は私の育児に明け暮れ、亡き実母の存在をひた隠し続けた胸中は語られる事もないまま常に寄り添い優しい祖母であった。入院中、夜半に病棟看護婦さんから祖母が私に会いたがっていると連絡を受け、あき子は、国道沿いでタクシーを拾い私だけを乗車させ入院先に急いだ。その時、あき子は二人だけでと云う思いでタクシーに乗せたが、大 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>祖母の匂い
  • 肩がこれば、{こーやく=サロンパス}を貼っていた。着用していた着物に移り香の残る。寒ければ、ベンジンを染ませたシルバー色ケースの携帯カイロを晒で作った腹巻のように腰辺りに巻き付けていた。今では、そんなカイロなどお目に掛かる事もなくなったけれど。そのカイロ本体にまでも、祖母の匂いがする。ハイライトの煙草を喫煙し、そのたばこ盆には開けたばかりの一箱が手付かずのままある。毎朝髪をギュッと結ってくれていた祖 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>祖母、胃癌になる
  • 病気で寝込む事などなく、至って健康だった祖母が、胃が痛むと通院していた町医者で≪胃潰瘍≫と診断されるも、一向に痛みが治まらず、ムカムカ感が日毎に増し、市民病院で検査を受ける。医師から親族に告げられたのは≪胃癌≫だった。私は、中学生になり手術が出来ず治る手立てはない。手遅れだった事も周囲のざわめきで何となく知る事になる。今でも、胃癌の死亡率が高い。その当時も、吐き気と戦い胃が痛むのを喰いしばって我慢 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>自身と祖母の関係
  • 私も、小学六年。母を亡くした私を育ててくれた祖母と云う事を知る事もなかったが、とっても大切で失いたくない存在。明治女で、バイタリティに満ち70歳を超えても踏み台に乗り、高い棚の衣装缶から衣替えしていた際、バランスを崩し転倒。右脚を骨折した事もあったけれど、入院せずギブス装着し自宅で完治した。寝たきりになり、オマルで用を足す事になった。私は、一日に何度も排尿する祖母の下の世話も抵抗などない。年齢を重 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>話し合い結果
  • 暴行した2名の生徒とその一名の母親、それに関連した生徒7名が父兄と同席。経緯などをK教諭が掻い摘んで説明し、暴行の直接の原因は、グループを抜ける、抜けさせないと他愛もないもの。こんな理由で人を、ボコボコし心に深い傷を負う事になる。父兄の中に、お父様が居られ(自分の子供の)生徒に人の目も気にせず叱り飛ばしていた。この件に関与した事が、不甲斐なかったのか。淡々と進行し、お互いが謝り話し合いの終結となる [続きを読む]
  • 人生を振り返る>教育員会直訴後
  • 直訴に行った翌日、生活指導K教諭から電話があった。教育委員会からの連絡は寝耳に水で直訴に行った事にも驚きを隠せず、電話口では焦りも感じた。やはり担任が家庭訪問した際に見て、長女から話をし顔の腫れ上がった状況を目にしても、報告していなかった事はどういう意図だったのか、胸中を察する事は出来ない。K教諭は、この事件に至った生徒全員とその父兄を交え翌日話し合いを設けるとの事。時間指定と大人数になるので、場 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>生活指導のK教諭
  • 長女の通学する中学校は、私、次女も通った同中学校。当時K教諭は、私の担任で体育の学科を受け持ち長女、次女の時代は生活指導者で、後に教頭になる。懇談会で学校に行った時、生活指導室前を通るとK教諭が目に入った。衝立の向こうにテーブルで将棋をうっていた。将棋の相手は勿論居ただろし、一体学校で何をしているのかと不信を抱かざるを得なかった。生徒の間でも、授業時間内でも頻繁に将棋をしている事を目撃し承知してい [続きを読む]
  • 人生を振り返る>学校側の姿勢を受けて
  • 暴行された事が軽視され、知らなかったとされるのは親として許し難いと思えた。だから、頼みの綱は{教育委員会}。直訴に行こうと決めた。担当者は、やはり学校からの連絡がなく学校を飛び越えて教育委員会に訪問した事に戸惑いと狼狽えた様子だった。詳しい説明と何らかの解決をお願いし、席を立った。どれ位の日数で、どのような対処の運びになるのか見当もつかず、不安ではあったし、大それた行動に出たのではと少しの後悔もあっ [続きを読む]
  • 人生を振り返る>沈黙する学校側
  • 二学期が始まる。長女には登校を遭えて強要はせず、顔の腫れなどで行き辛いとも思い、休むと云う選択も与えた。でも、一日休むと余計登校し難いと考え登校した。帰宅迄心配だった。その心配をよそに、あの暴行事件を承知していなかのようで先生から,経緯や詳しい事を聞かれる事無く下校した。時間と共にあの一件は消去し、生徒間だけの事とうやむやになるのでは・・・・恐い傾向だと感じた。ニュースで、虐めで自殺にまで発展し校 [続きを読む]
  • 人生を振り返る>担任の受け止め方
  • 後一週間で夏休みが終わろうとしていた時期、担任による家庭訪問があった。どのような夏休みを送っていたのか、生徒の様子伺いを玄関先で行われるもの。先ず私が対応、続いて長女と対面する。普段の顔とは一目で違う長女の顔に、少々驚きを隠せない担任ではあったが、事の成り行きを冷静に耳を傾けていたかのように感じた。この担任、3年後には定年退職をする男性教諭。永年教諭を勤め上げた云わば様々な教育現場を見てきたであろ [続きを読む]
  • 人生を振り返る>被害届
  • 病院を出る頃には陽が傾きかけ、心中も陰る。長女を家に置き、診断書片手に警察署に向かう。通された部署の古めかしい木の机の前に着座。中年の警察官に、内情を詳しく話した結果、相手が特定されていて尚且つ、同級生であるので、被害届を出したところで、解決しないどころか仕返しされる恐れがあるので、被害届は出さない方が無難ではと。受理されない。いや、調書さえ取って貰えないありさま。仕返しと云う言葉に、思い留まるし [続きを読む]