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横浜の秘密
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2016/04/27

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  • 今だからこそ、日本を見つめ直す。お正月から七夕、土用の丑の日、お盆、花火大会まで、日本ならではのしきたりの雑学が満載!

    『大人の常識日本のしきたり・年中行事』(KADOKAWA)。100万部突破の大ベストセラー「日本人のしきたり」の著者として知られる飯倉晴武先生に監修をお願いして私が執筆し、2016年10月中旬発売となりました。四季折々に、何気なくふれ、親しんでいる、さまざまな日本の風習・しきたり。ところが、それらの由来や本来の意味などをご存じの方は、意外に少ないのではないでしょうか。元号が『平成』から『令和』へと改まり、新たな時代を迎えたこの機会に、わが国・日本の風習やしきたりを振り返ってみるのも一興です。2020年夏に予定されていた東京五輪(オリンピック、パラリンピック)は、2021年夏に延期され、紆余曲折はあったものの開催の運びとなりました。ただし、猛威を振るっていたコロナウィルスの影響で、五輪史上初の無観客に。世界...今だからこそ、日本を見つめ直す。お正月から七夕、土用の丑の日、お盆、花火大会まで、日本ならではのしきたりの雑学が満載!

  • 「横浜謎解き散歩」(KADOKAWA 新人物文庫)。本ブログにない横浜の秘密・謎を満載!

    江戸時代の幕末、安政6年(1859年)にアメリカからの開国の要求に応じて、日本は長年続いた鎖国に終止符を打つ決断をした。開港した横浜では、世界各国の人々が貿易のために船で訪れるようになっただけではなく、外国人居留地が設けられ、海外の人々が生活の拠点とし、貿易や商売をすることが認められることになった。横浜・山下および山手の2つの外国人居留地で暮らしを営むようになった世界の人々は、より快適な生活を送るため、さまざまな自国の文化を横浜に持ち込んだ。好奇心旺盛な横浜の人々はそうした海外の文化を積極的に日々の暮らしに取り入れた。横浜はそうした歴史の背景があるため、異国情緒が漂い、日本の発祥となっている文化にあふれているのである。自著「横浜謎解き散歩」(KADOKAWA新人物文庫/監修:小市和雄)は、横浜の歴史雑学文庫。本...「横浜謎解き散歩」(KADOKAWA新人物文庫)。本ブログにない横浜の秘密・謎を満載!

  • 西洋理髪発祥之地記念碑「ザンギリ」は、なぜ山下公園に建っている?

    安政6年(1859年)に開港した横浜には、外国人が永住し、会社やお店を構えて貿易や商売をすることができる外国人居留地が設けられた。居留地で仕事や生活を営んだ外国人たちは、より快適に暮らすために慣れ親しんでいる自国の文化を数多く横浜に持ち込んだ。一方で、好奇心旺盛な横浜の人々は、自分たちの暮らしに欧米文化を積極的に取り入れた。その結果、横浜には日本での発祥となったものが多いのだが、「西洋理髪」もそのひとつである。江戸時代といえば、時代劇などを見てもわかるように男性はちょんまげか総髪、女性は日本髪が一般的であった。いずれも長く伸ばした髪を結うスタイルである。一方、西洋人は髪を結うほどには伸ばさずに短く切って整えていた。大多数の日本人はみずからの髪型にこだわりと誇りをもっていたが、なかには西洋人のヘアスタイルに関心を...西洋理髪発祥之地記念碑「ザンギリ」は、なぜ山下公園に建っている?

  • 崎陽軒のシウマイ娘は、元祖キャンペーンガール。

    横浜名物として幅広く親しまれている食が「崎陽軒のシウマイ」。いまでこそ高い人気と知名度を誇っているが、当初から順風満帆というわけではなかった。明治41年(1908年)、横浜駅(※初代横浜駅=現在のJR桜木町駅)構内の食料・雑貨の売店として創業した「崎陽軒」。発足したばかりのころは「シウマイ」は開発されておらず、目玉商品がなかった。駅弁は販売していたが、当時の東海道線の下り列車では始発の東京駅で駅弁の購入を済ませる人が多く、反対の上り列車では横浜駅から終点の東京駅まで約30分なのでゆったりと駅弁を味わう時間的余裕がない。その結果、横浜駅では駅弁の売れ行きもかんばしくなかったのである。会社の存続に危機意識を抱いた崎陽軒の初代社長・野並茂吉は、当時の横浜駅構内ホームでの店舗販売という恵まれているとは言い難い条件を、逆...崎陽軒のシウマイ娘は、元祖キャンペーンガール。

  • ハマスタのある横浜公園は、「日本最古の公園」ではなく「日本人が利用できる日本最古の公園」。

    横浜といえば、全国に名を馳せる公園がいくつもある。山下公園、港の見える丘公園などは、その代表であろう。プロ野球球団の横浜DeNAベイスターズが本拠地としている横浜スタジアム(通称:ハマスタ)が建つ「横浜公園」も、日本史に残る歴史を背負った横浜の代表的な公園だ。「横浜謎解き散歩」(KADOKAWA新人物文庫/監修:小市和雄)の著者ということで、今年4月14日、テレビ朝日の夕方の報道番組「スーパーJチャンネル」内の「春の横浜謎解き散歩」と題した特集コーナーに出演させていただいた際、訪れた場所のひとつが「横浜公園」である。横浜謎解き散歩(KADOKAWA新人物文庫)※アマゾンで在庫切れの場合、下記でもネット上でご購入いただけます。または、お近くの書店でご注文ください。●KADOKAWA●カドカワストア●紀伊國屋書店ウ...ハマスタのある横浜公園は、「日本最古の公園」ではなく「日本人が利用できる日本最古の公園」。

  • 馬車道は生チョコの発祥地ではない。

    日本で初めて産声をあげたものがいろいろとある馬車道。しかし、なかには日本の発祥地だとカン違いされているものもある。馬車道に「シルスマリア」という洋菓子店が店舗を構えており、「生チョコ発祥の店」と書かれたひときわ大きな看板を掲げている。散策している際などに目に飛び込んできやすい看板なので、あたかも馬車道が生チョコ発祥の地であるかのように錯覚しやすい。確かに「シルスマリア」は「生チョコ発祥の店」。1988年、世界で初めて「生チョコ」を世に送り出した。ところが、馬車道が生チョコの発祥地ではないのだ。じつは、「シルスマリア」は神奈川県平塚市に本店を構えている。世界初の「生チョコ」は、本店の工房で職人の手により生み出されたもの。「生チョコの発祥地は、神奈川県平塚市」ということになる。横浜馬車道ビル1Fに店舗を構える馬車道...馬車道は生チョコの発祥地ではない。

  • 馬車道は日本人によるアイスクリーム発祥地。ただし、5月9日が発祥の日というのは間違い。

    「横浜謎解き散歩」(KADOKAWA新人物文庫/監修:小市和雄)の著者ということで、先月の2016年4月14日、テレビ朝日の夕方の報道番組「スーパーJチャンネル」内の「春の横浜謎解き散歩」と題した特集コーナーに出演させていただいた。そのとき、訪れた場所のひとつが馬車道である。馬車道はさまざまな発祥の地だが、「日本のアイスクリーム発祥地」としても名を馳せている。ただ、これは多少の間違いを含んでいる。正確に言えば、「日本人が初めてアイスクリームを製造して販売した場所」なのだ。なので「日本人によるアイスクリームの発祥地」という表現が正しい。カン違いしやすいのだが、日本で初めてアイスクリームをつくって売った場所ではないのだ。日本で最初にアイスクリームを製造して販売したのは、アメリカ人のリチャード・リズレー。慶応元年5月...馬車道は日本人によるアイスクリーム発祥地。ただし、5月9日が発祥の日というのは間違い。

  • 「みなとみらい21」は「赤い靴シティ」になっていたかもしれない。

    横浜のハーバーサイドという開放感のなか、歴史と未来が共存した独特の空間が形成され、多数の支持を集める日本最大級の人気観光エリア「みなとみらい21」。赤レンガ倉庫を代表とする横浜港ゆかりの歴史的遺産を活かした施設とランドマークタワーを筆頭とする未来的デザインの建築物が、調和を保ちながら美しく配置されており、平日・休日を問わずに多数の人々が全国各地から訪れ、グルメ、ショッピング、映画、遊園地、散策などを思い思いに満喫している。かつての「みなとみらい21」エリアには、三菱重工業横浜造船所など重厚長大な港湾施設群が整備され、日本の貿易そして横浜の発展を支えてきた歴史がある。しかし、時代の変遷により、港湾施設群がその両隣にある横浜駅周辺エリアと関内・中華街・元町・山手エリアを分断し、逆に横浜中心部の活力をそいでしまうとい...「みなとみらい21」は「赤い靴シティ」になっていたかもしれない。

  • サンマーメンの発祥は、横浜中華街の老舗・聘珍楼。

    「横浜謎解き散歩」(KADOKAWA新人物文庫/監修:小市和雄)の著者ということで、2016年4月14日(木)、テレビ朝日の報道番組「スーパーJチャンネル」内の「春の横浜謎解き散歩」と題した特集コーナーに、ガイド役として出演させていただいた。そのなかで訪問したのが、横浜中華街の老舗中華料理店「聘珍楼(へいちんろう)」である。じつは、横浜生まれの大衆食として知られる「サンマーメン」の発祥地が「聘珍楼」という説があるからだ。サンマー麺は、横浜を筆頭とする神奈川県内の中華料理店やラーメン店では、メニューとして加えられることも珍しくない麺料理。横浜に住んでいる方、横浜に頻繁に足を運んでいる方なら、食した経験があるという方も少なくないだろう。ただし、神奈川県外ではほとんど見かけることがない。また、その料理名のインパクトの...サンマーメンの発祥は、横浜中華街の老舗・聘珍楼。

  • 横浜は、なぜ横浜という地名なのか?

    日本では、おそらく多くの人が知っていると思われる都市「横浜」。でも、どうして「横浜」という地名なのかと問われれば、大半の人が首をひねって答えに窮してしまうのではないだろうか。文字通り、「横の浜」、「横に浜」と考えてみる。地図を広げてみても、海沿いに足を運んでみても、陸地に沿ってその横に海が広がってはいるが、そんな風景は横浜に限らず日本全国いたるところで目にすることができる。おまけに、横浜には現在、「浜」といえる場所がほとんど存在しない。横浜市の最南端に位置する金沢区の「海の公園」、同じく金沢区にあり、金沢八景のひとつ「野島夕照(のじまのせきしょう)」で知られる野島の野島海岸にしか「砂浜」は見られないのだ。ちなみに「海の公園」は横浜唯一の海水浴場、「野島海岸」は横浜に残されたたったひとつの自然海岸である。横浜の中...横浜は、なぜ横浜という地名なのか?

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