小心 さん プロフィール

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小心さん: 二十四孝に会いに行く!
ハンドル名小心 さん
ブログタイトル二十四孝に会いに行く!
ブログURLhttp://d.hatena.ne.jp/shousin/
サイト紹介文二十四孝の本を読み、各地の神社仏閣にある彫刻を見学に行きます。
自由文同じテーマの彫刻を、作者がそれぞれどういう表現するのか興味津々。構図や小道具の使い方、人物の表情など個性が表れそうですね。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供10回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2016/05/01 20:20

小心 さんのブログ記事

  • [蓮田市 高虫氷川神社]蓮田市 高虫氷川神社
  • 埼玉県蓮田市の高虫氷川神社へ行きました。蓮田駅からバスに乗り換えて約15分。「観喜寺」のバス停を下車し、近くのこんもりした森を目指します。裏手から境内に入る形になったので、本殿・拝殿の横を通り、鳥居から入り直しました。高虫氷川神社本殿の説明板。二十四孝の彫刻は、「老らい子」「楊香」「孟宗」「大舜」「閔損」「董永」「郭巨」の7点がありました。鯉が滝を登って龍に進化していく「登竜門」や、おめでたいものを [続きを読む]
  • [考察]朱寿昌と曽參の違い
  • 朱寿昌と曽參の絵は似ているものがあります。「母の待つ家に帰宅する」という共通する場面があるからです。↑こちらは朱寿昌。地位を捨てて実家に帰ってきた朱寿昌と、喜ぶ母親。↑こちらが曽參。曽參が薪取りに行ったあと急な来客が来たため、指を噛んで「息子よ、早く帰ってきてー」と祈った母親。そのテレパシーを受け取って飛んで帰った曽參。朱寿昌と曽參、この二人の違いは外見と荷物ですね。立派に出世した朱寿昌はヒゲも生 [続きを読む]
  • 繪本和漢二十四孝
  • 「繪本和漢二十四孝」という古書を入手しました。各ページ上下に分かれていて、上段は中国の二十四孝、下段は本朝廿四孝(武田信玄や勝頼、八重垣姫が出てくるお話)です。中国の二十四孝部分をブログに載せます。あちこち虫に食われてますがご容赦を。掲載したのは以下の24名分です。大舜、曽參、仲由、董永、えん子、江革、漢文帝、老らい子、蔡順、閔損、呉猛、朱寿昌、陸績、唐夫人、王祥、郭巨、楊香、ゆ黔婁、黄香、姜詩、王 [続きを読む]
  • 東京都文京区本駒込 吉祥寺(きちじょうじ)
  • 本駒込にある吉祥寺へ枝垂れ桜を見に行きました。一本だけ満開でした。境内の経蔵にはたくさんの彫刻がありました。これは「楊香」じゃないでしょうか。まだ確証がないのですが。左の動物はトラですよね。よくトラと一緒に描かれる笹の葉もあるし。「トラ」「トラを追う子」「逃げる人」の3点セットが「楊香」のスタンダードな構図で表現されてますね。 [続きを読む]
  • [野田市・茂木佐公園]千葉県野田市・茂木佐公園
  • 野田市郷土博物館の隣にある茂木佐公園。大きな銀杏の木がドーン。木の前には大きな石碑がドーン。大木の向こうにひっそりとお社が。柵で仕切られて立ち入り禁止になってます。鳥居の先には本殿、右手には手水舎があります。手水舎の庇には向かい合う狐の彫刻。一匹は鍵をくわえてます。その彫刻の奥に「郭巨」の彫刻。柵の外から釜の輝きが見えます。腰をかがめて下から眺めます。黄金の釜を掘り出して驚く郭巨。鍬もありますね。 [続きを読む]
  • 三嶋大社・舞殿の彫刻
  • 三嶋大社舞殿の四面に二十四孝の彫刻が施されているので見に行きました。ピンぼけの写真が多く、全部画像を載せられなくて残念です。また行く機会があれば今度は見やすい写真を撮ってこようと思います。東西南北の四面の彫刻は上下3話ずつの2段になっています。なので一つの面に6話ずつで、東西南北すべての面を合わせると計24話です。(正面左側の彫刻:上段は閔損、下段は陸績)彫刻は高い位置にあり、さらに保護のための針 [続きを読む]
  • 大舜と唐夫人(諏訪神社・千葉市花見川区長作)
  • 今日は不安定な空模様の下、千葉市花見川区長作町(ながさくちょう)にある諏訪神社へ、二十四孝の彫刻を見に行きました。JR幕張駅から千葉シーサイドバスを利用します。幕張駅はバス乗り場までちょっと距離があったので予定のバスに乗り遅れてしまい、30分待つことに。バス乗り場は駅の前にあるとは限らないですね。旧公民館前のバス停で降りると、こんもりした緑の丘が前方にあったので、地図を片手にそちらに向かい右手に入り、 [続きを読む]
  • [19 陸績]19 陸績(りくせき)
  • 陸績は後漢の人なり。その年六才の時袁術といふ人に見みゆ。袁術、陸績のもてなしに橘の実をいだしたり。陸績は橘2つを懐にしてかへる時、礼をなすとて取り落としけtればえんじゅ(つ)は見咎め幼きとて非礼なりと云ふ。そのとき陸績ひざまづき謹んで申すよう、我が母橘を好めり。家に帰りて母に供へんとて、食せずして持ち帰らんといたせしなりと応へければ袁術聞きて感涙を催し六才の小児、その身食せずして母に供へんとする孝 [続きを読む]
  • [18 朱壽昌]18 朱壽昌(しゅ じゅしょう)
  • 壽昌は宋の世の人。母は七才の時父に離別せられて他へゆきたりしが壽昌成長して神宗帝に仕へけれども生みの母を知らずして一日も孝養をなさざるは不孝なりと嘆き、常々これを心よからずおもひたりしが、あまりの懐かしさに貫禄を捨てて、そことも知らぬ母を尋ね歩き、遂に秦の国にて尋ねあたるにこのとき母の歳七十に余れり。互ひに別れし長の年月の物思ひをうち語らひて悲嘆の涙にくれつつも手に手を取りて喜び合ふぞ道理なり。こ [続きを読む]
  • [17 ゆ黔婁]17 ゆ黔婁
  • ゆ黔婁は南斉の人にて父に仕へて孝行なり。あるとき父大病に冒されて医師も{ほとほと}{困}じたれば、その{  }ゆ黔婁は病の善悪を{医師}に問ひけるに医師答えて曰く、病人の糞を舐めて知るべしと{なり ただし}苦きは良く、甘きは病癒ゆべからずと云ふ。黔婁、易きことなりとて密かに病人の糞を舐め試みるにその味わひ甘かりしかば黔婁憂ひ悲しみて医師にその術なきや否やと問ふに医師も{いざい}尽きてせん術なしと答 [続きを読む]
  • [16 黄山谷]16 黄山谷(こう さんこく)
  • 黄庭堅(こう・ていけん)は宋の世の人。山谷老人と号す。若き時東坡(とうば)が門弟になり、{か  }に達し官高く平生親に仕へて{もは  }孝深し。其の身高き位に上り妻もあり数多の召使もあれども常に母の大小便の器は人の手を借らず自らその汚れたるを洗ひ、その余、子たるものの親につかゆる道を尽くさずといふことなし。その考道天理に適ひ立身いよいよ篤し。ついに大史官といへる位に上る。この山谷が博学多才なるは世の人 [続きを読む]
  • [15 呉猛]15 呉猛(ごもう)
  • 呉猛は晋の世、濮陽(ぼくよう)の人なり。幼き時より孝行の聞こへあり。年八歳のとき、夏にいたれども家貧しうして蚊帳もなくよろづ心に任せざれば我が衣を親に着せ我は赤裸になりて、その傍らに伏し蚊に飽かしめて更に払はず。払へば親の方へ蚊の行かんことを恐れ我が肌を夜もすがら蚊に食はせて眠りにつかざりしとぞ。その他の所業は推して知らる。真に孝行の志は感ずるにあまりあり。( )母死してのち丁義(ていぎ)といへる仙 [続きを読む]
  • [14 えん子]14 えん子(えんし)
  • えん子は周の世、かい国の人なり。生まれえて孝心深く二親年老ひて両眼を患ひ鹿の乳を薬にせんと求めければ、えん子孝心篤きもの故自ら工夫を凝らし鹿の皮を身にまとひて鹿多き山に入りて乳を求む。狩人これを見て弓に矢をつがへ既に射んとせしを、えん子驚きて曰く、我は真の鹿にあらず。年老ひたる父母目の病を患ふければ鹿の乳を求めて薬にせんと思へば、かくの如き形をなして鹿にその身を出で立ちたり。哀れ矢先を見逃したまは [続きを読む]
  • [13 王ほう]13 王ほう(おうほう)
  • 王ほうは晋の世、營陵(えいりょう)の人なり。父は王儀とて文帝に仕へしに罪なくして命を取られ王ほう、これを恨み一期の間、都の方へ向ひて坐せず。常に父の墓に詣でて悲しみ嘆く涙に傍らの草も枯れたりとぞ。母親この世にありしとき常に雷を恐るる人なりければ身罷りても雷の鳴るときは墓所に至り、いまだ世にあるときの如く物言ひけるやうは母君必ずしも雷を恐れたまふことなかれ。王ほう、ここに付き添ひ参らするとて涙を流し [続きを読む]
  • [12 仲由]12 仲由(ちゅうゆう)
  • 仲由は周の世、孔子の御弟子、子路のことなり。母に仕へて孝心篤く家貧しくして人に雇はれ米を百里の外に負ひ行き、その賃銭を持って母を養ひける。孝子の恵みにや、母死してのち祖国に仕へ富貴を得て褥(座るときや寝るときに下に敷くもの)を重ね、*鼎(かなへ)を並べよき身の上となりけるが一人嘆じて曰く、我今親の命ありて孝行を尽くしなば、いかばかりの喜びならん。我が身、食に乏しくして「あかざ」を食らひ米を背負ひて [続きを読む]
  • [11 黄香]11 黄香(こうきょう)
  • 黄香は後漢の世の*安陸(あんりゅう)といふところの人なり。九つの時母に後れ父に仕へて孝心深し。夏の暑さ強きときは父の床の内を扇ぎ涼しくして眠らせ、冬の寒き夜は我が身まず父の床へ入りて先へ寝(い)ね、その身のぬくもりをもって床の内を暖め伏さしむ。それのみならず常々の行ひかりそめにも父の言葉を背かず孝行類なかりしかば、所の役人このことを文に上書して時の天子和帝に奏聞しければ事の他に御感ありて、数多の褒 [続きを読む]
  • [10 曽參]10 曽參(そうしん)
  • 曽參は周の世、孔子の弟子にして常に孝心篤き故聖人も孝経を説きしめたまふ。あるとき曽參山へ薪を取りに行きける留守に親しき人来たりしかど、もとより貧しければもてなすこともならず。曽參早く帰れかしとて母、指を噛みければ、その痛み曾子に通じてや曾子山にて俄に胸痛みける故、急ぎ薪を荷なひ家に帰りければ母その(故)を語り客に馳走しけるとなん。まことに親子は骨肉一体といへども、その気の通ずることかくの如き孝子に [続きを読む]
  • [9 閔損]9 閔損(びんそん)
  • 閔損は周の世の人。孔子の御弟子にて字を子騫(しけん)といふ。十哲の一人なり。母は早く世を去りその父、後の妻を迎へけるに後の妻二人の子を持ちて継子の閔子騫をいたく憎みければ閔子騫は孝心深くこれを露ばかりも恨み事せず継母に仕へしが、継母冬の衣服に葦の花を入れて閔子騫に着せ、我が実の子にはまことの綿を入れて着せ万事邪険にふるまひける。あるとき父、閔子騫に車を引かせけるに、葦の花を入れたる着類ゆへ冷えて震 [続きを読む]
  • [ 8 楊香]8 楊香(ようきょう)
  • 楊香は晋の代魯国の人。※楊ホウトが娘なり。年十四の時、田園に出でて粟を取らんとせし時晴天に風起こり大木の枝どうどうとして二匹の虎現れ出で、父の楊ホウを目掛けて飛びかからんとて、すでに食わんとする気色なれば楊香はいまだ幼く、ことに女子の身なればすべきやうなく嘆息して天に向かひ願はくは我が生命を虎に与へて父が命を助けたまへと心中に祈念して我が身は虎を少しも恐れず虎の頭(かしら)にすがりつき、声を上げて [続きを読む]
  • [ 7 董永]7 董永(とうえい)
  • 董永は後漢の人なり。幼きとき母に別れ一人の父に仕へて孝なり。家極めて貧しければその身人に雇はれ、いささかの賃銭を取りて父に孝行を尽くしけるが、父死して葬ることあたはず、董永はこれを嘆きある。富たる人に銭千貫文を借りて葬りらんとす。かの者申しけるは、我が家の※僕(ぼく)に来たれといふ。董永、彼の者の云ふに任せ父を葬りはててのち菩提所より帰る道すがら、心に嘆きて、我家貧しく父を葬ることなりがたき為とは [続きを読む]
  • [二十四孝人名リスト]二十四孝リスト
  • 御朱印をいただきながら各地の神社仏閣をめぐっています。玉垣や社殿に飾られた彫刻の中に「二十四孝」にまつわるものがあることを知りました。虎と立ち向かう人物や天女を拝む男性、鹿の着ぐるみ着ている人。この人はだあれ?どんなお話?そこで二十四孝の古書(「漢土(もろこし)二十四孝伝」)を入手して読み、テキスト起こしをしました。・意味の分からない部分、読めない部分等は{  }で囲んであります。各地の二十四孝の [続きを読む]