かどやん さん プロフィール

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かどやんさん: 70年80年代ヒット曲動画 邦楽
ハンドル名かどやん さん
ブログタイトル70年80年代ヒット曲動画 邦楽
ブログURLhttp://hit70or80hougaku.sblo.jp/
サイト紹介文1970年代、1980年代にヒットした邦楽曲の動画を掲載します
自由文現在100曲掲載、1000曲目指して更新していきます。懐かし歌謡曲・フォーク・ニューミュージックをお楽しみください
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供111回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2016/05/08 17:22

かどやん さんのブログ記事

  • アリス(今はもうだれも)
  • 今はもうだれも1975年9月5日に発売されたアリスの7枚目のシングルヒット曲作詞・作曲:佐竹俊郎日本のフォークグループウッディ・ウーが1969年7月にリリースしたシングルで、アリスがカヴァーした。ウッディ・ウーによるシングルはオリコン66位を記録している。アリス版のヒットを受けて1975年10月に「オリジナル本命盤」として再発された。作詞・作曲の佐竹俊郎は、ウッディ・ウーのリーダー。アリスとしては初めてオリコンシング [続きを読む]
  • シャネルズ(街角トワイライト)
  • 街角トワイライト1981年2月1日に発売されたシャネルズ(後のラッツ&スター)の3枚目のシングル作詞:湯川れい子、作曲:井上忠夫前作「トゥナイト」から約半年ぶりのリリースとなった、謹慎明けから活動復帰後初のシングル。シングルチャートで見事1位に輝いた。アルバム『Heart&Soul』にも収録されている。冒頭のアカペラ部分は当初予定にはなかったが、鈴木雅之の発案によりレコーディング中に急遽挿入されている。wikipediaこの [続きを読む]
  • チャゲ&飛鳥(ひとり咲き)
  • ひとり咲き1979年8月25日に発売されたチャゲ&飛鳥のデビューシングル作詞・作曲:飛鳥涼1978年10月、チャゲ&飛鳥(当時は7人編成のバンドだった)は、第16回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)「つま恋本選会」において「流恋情歌」で入賞を果たす。この時すでにヤマハ側からデビューの話を持ちかけられていたが、彼らは「ポプコンでグランプリを獲ってからデビューしたい」と断った。そして次の大会のために用意 [続きを読む]
  • 南こうせつ(夢一夜)
  • 南こうせつ大分県大分市出身のフォークシンガー・元かぐや姫のリーダー1970年4月『最後の世界 / むなしいうた』でソロデビューする。同じ年10月「南高節とかぐや姫」としてベース奏者、大島三平らと『酔いどれかぐや姫』をリリースする。認知度を上げるため、所属事務所の指示で全日本歌謡選手権に出場、4週勝ち抜いた翌週、審査員をしていた竹中労に「フォークをやるならこの番組に出るべきでない」と言われ、落選した。その後山 [続きを読む]
  • 松山千春(大空と大地の中で)
  • 大空と大地の中で1977年6月にリリースされた松山千春のファースト・アルバム『君のために作った歌』に収録されているシングルヒット曲アルバム2曲目の「大空と大地の中で」は、とりわけ北海道においては松山千春の代名詞的な曲として、また、さだまさしの「北の国から〜遥かなる大地より〜」と並んで北海道をイメージする曲の代名詞として現在でも広く愛されるスタンダードナンバーとなった。その後、1998年にはアレンジを変えて再 [続きを読む]
  • 渡辺真知子(唇よ、熱く君を語れ)
  • 唇よ、熱く君を語れ1980年1月21日発売、渡辺真知子の7作目のシングル曲アルバム「Libra」に収録されている大ヒット曲作詞:東海林良 作曲:渡辺真知子 この曲について渡辺真知子は「7曲目で初めての明るい曲(1 - 6曲目は全て失恋を題材にした曲である)で、素の自分を出すことが出来て嬉しかった」、「この曲は今でもコンサートで思いっきり盛り上がれる曲で、30周年記念コンサートでも歌った」という趣旨の発言をしている。『 [続きを読む]
  • 1986オメガトライブ(君は1000%)
  • 1986オメガトライブ1986年、前オメガトライブに在籍していた高島信二(ギター)、西原俊次(キーボード)に加え、新たに日系ブラジル人のカルロス・トシキ、菊池桃子、岩崎宏美のバックバンド(パイナップル・カンパニー)でギターを担当していた黒川照家を迎えて、プロデューサー藤田の第2弾プロジェクト『1986オメガトライブ』(ナインティーンエイティシックス - )としてデビュー。1988年3月、黒川がバンドを脱退する。グルー [続きを読む]
  • 石川ひとみ(恋)
  • 恋1983年9月に発売された、石川ひとみの18枚目のシングル本格的な歌謡曲作品を目指して、作詞は前作「にわか雨」に引き続き岡田冨美子が担当、作曲は安全地帯の玉置浩二が起用されて制作された。1983年8月に発売された石川のアルバム『プライベート』に収録予定であったが、楽曲制作が間に合わず見送られている。同年9月〜10月に開催された石川のコンサート「Private」では、本作品の歌唱が行われた。小柳ルミ子の「乱」(1986年シ [続きを読む]
  • 松田聖子(天使のウィンク)
  • 天使のウィンク1985年1月30日にリリースされた松田聖子の20枚目のシングル作詞・作曲:尾崎亜美尾崎によると、84年の年末頃に楽曲提供の依頼を受けたが、話があった段階で締切は翌日までと告げられ、しかも作詞もして欲しいと言われ驚いたという。また、他のアーティストへの提供曲の中で一番思い入れのある曲だとも語っている。歌詞は複雑な構成になっており、恋に悩む女性と、そこに降り立つ天使という2人の目線が立ち代りで表れ [続きを読む]
  • 坂本スミ子(夜が明けて)
  • 坂本スミ子大阪府大阪市東住吉区出身のラテン・歌謡曲の歌手、俳優学生時代から発声をクラシックの木下保のもとで学び、プール学院高等部卒業。NHK大阪合唱団を経て、大阪キューバン・ボーイズの近藤正春の勧めもあり、ラテン歌手として独立、デビュー。しかし、当初は歌手として全く売れず、鳴かず飛ばずだった。1959年12月、アイ・ジョージと共に、トリオ・ロス・パンチョスの日本公演の前座歌手となり、「ラテンの女王」として [続きを読む]
  • 岩崎宏美(すみれ色の涙)
  • すみれ色の涙1981年6月にリリースされた岩崎宏美の25枚目のシングル作詞:万里村ゆき子、作曲:小田啓義前作「恋待草」に続く「草花シリーズ」第2弾第23回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞曲。本作品はカバー曲である。オリジナルは1968年に、ジャッキー吉川とブルーコメッツがリリースした「こころの虹」のB面に収録されていた。岩崎は、新曲制作会議において、姉が所有していたジャッキー吉川とブルーコメッツのレコードを持 [続きを読む]
  • 上條恒彦(出発の歌)
  • 上條恒彦かみじょう つねひこは長野県東筑摩郡朝日村出身の歌手、俳優・声優。長野県東筑摩郡朝日村に生まれる。朝日中学校を経て長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業後、1958年4月に上京。大森の雑貨品問屋の住み込み店員を手始めに、新聞配達、サンドイッチマン、うたごえ喫茶の歌手など約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音で勤務し、後に歌手としてデビューするきっかけとなる。1969年、NHKのステージ101の初期メンバ [続きを読む]
  • チェリッシュ(ひまわりの小径)
  • ひまわりの小径1972年5月25日に発売されたチェリッシュの3枚目のシングル作詞:林春生/作曲:筒美京平5人グループとしてスタートしたチェリッシュが、デュオになってリリースした最初のシングル。但し、レコードジャケットには5人のイラストが描いてある。累計売上は55万枚。リコーダーやアコーディオンなど素朴な響きの楽器をフィーチャーして、フォーク風のムードを醸し出しているものの、リズムのアレンジは歌謡ポップスに徹し [続きを読む]
  • 小山ルミ(さすらいのギター)
  • 小山ルミ北海道札幌市出身の元歌手、女優、タレント父はアイルランド人の軍人で、母は日本人中学在学中にモデルの仕事を始め、フジテレビ『ビート・ポップス』などにカバー・ガールとして出演した後、1968年にグループ・サウンズの同名のコミックソングを映画化した『ケメ子の歌』のヒロインに抜擢される。愛らしい顔立ちとコケティッシュな魅力でたちまち若い世代のアイドルとなり、以後も映画『ドリフターズですよ!冒険冒険また [続きを読む]
  • 朱里エイコ(サムライ・ニッポン)
  • サムライ・ニッポン1978年10月25日発売の朱里エイコのシングルヒット曲作詞マルコ・ブルーノ、補作詞エイコ&バーバラ、作編曲ピーター・ストーン1977年6月、朱里エイコは来日していたポール・アンカに直接アタックする。ポールはLPに収録されていたマイ・ウェイを聴いて大絶賛し、4曲歌をプレゼントした。 ちなみにその中の1曲が、シングル発売された「ジョーのダイヤモンド」である。1978年に行われた第7回東京音楽祭、国内大会に [続きを読む]
  • しばたはつみ(化石の荒野)
  • しばたはつみ東京都出身の歌手15歳のころから、レナウンのコマーシャルソングなどを歌う。丸善石油の『OH! モーレツ』(CM出演は小川ローザ)も彼女が歌っている。その後、ジャズピアニストの世良譲に師事。1974年に日本コロムビアから、しばたはつみとしてシングル「合鍵」で再デビューする。1977年、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」がオリコンチャート17位のヒットとなり注目される。同年、第28回NHK紅白歌合戦に初出場。テレ [続きを読む]
  • 松原みき(真夜中のドア〜Stay With Me)
  • 松原みき大阪府堺市西区出身の歌手、作詞家、作曲家母親はクレージーキャッツと一緒に歌った事もあるというジャズシンガーで、3歳からピアノを習い始め、ジャズに親しんだ。1972年に堺市立平岡小学校からプール学院中学校に入学。国鉄阪和線を利用して通学していた。この頃よりロックに興味を持ち、ロックバンド「愚麗」に加入し演奏活動を始める。1975年プール学院高校に進学。「吉野家バンド」のキーボーディストとして京都のラ [続きを読む]
  • C-C-B(Romanticが止まらない)
  • C-C-Bシーシービーは、1980年代に活躍した日本のロックバンド。結成当初の名称はCoconut Boys(ココナッツボーイズ)で、C-C-Bはその略称。1985年中頃からCoconut Boys名義は使用せず、C-C-Bで統一している。1977年、アマチュアバンドでベーシストとして活動をしていた渡辺に、同バンドのドラマーだった伊藤真視が田口を紹介。伊藤が脱退するにあたり、中学の後輩だった笠を後任のドラマーに推薦。以降、3人が顔を合わせる機会が増 [続きを読む]
  • COMPLEX(BE MY BABY)
  • COMPLEXコンプレックスは、吉川晃司と元BOØWYのギタリスト、布袋寅泰の2人によって結成された日本の音楽ユニット・バンド。二人は、布袋の所属していたバンドであるBOØWYのアルバムに吉川が参加、また吉川のアルバムにギタリストとして布袋が参加するなど結成以前から交流があり、1988年12月10日にCOMPLEX結成を発表する。翌1989年4月にシングル「BE MY BABY」でデビュー。結成から2年後の1990年11月8日、この日開催の東京ドーム [続きを読む]
  • 麻生よう子(逃避行)
  • 麻生よう子大阪府吹田市出身の元歌手大阪成蹊女子高等学校1年生の秋、歌手になる事を目指し自ら退学届を提出し上京。1974年にデビュー曲『逃避行』がロング・ヒットし、その歌唱力が評価されて同年の第16回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。1979年には、グロリア・ゲイナーのカバー曲「恋のサバイバル2」がスマッシュ・ヒット、布施明の「恋のサバイバル -I WILL SURVIVE-」と競作曲になり話題となった。結婚後は引退し、 [続きを読む]
  • 川崎麻世(レッツゴーダンシング)
  • 川崎麻世京都市北区上賀茂生まれ、大阪府枚方市育ちのタレント・俳優・歌手1歳の時、両親が離婚。一人っ子。母に連れられ、祖父母と共に枚方で生活。12歳だった1975年、『プリン&キャッシーのテレビ!テレビ』内の素人参加コーナー『パクパクコンテスト』で、西城秀樹の振り真似でグランドチャンピオンになる。その姿を目にしたジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川によって、1976年の夏休みにスカウトされて枚方から上京。その [続きを読む]
  • 加藤登紀子(この空を飛べたら)
  • 加藤登紀子旧満州ハルビン生まれ、京都育ちのシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優1965年 東京大学在学中に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝。1966年 「誰も誰も知らない」でデビュー。「赤い風船」で第8回日本レコード大賞新人賞受賞。1969年 「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。1983年の映画『居酒屋兆治』で高倉健の妻役、1986年のテレビドラマ『深夜にようこそ』では千葉真一の [続きを読む]
  • 中村晃子(恋の綱わたり)
  • 中村晃子千葉県習志野市出身の女優・歌手・声優1963年、高校在学中に第2回ミス・エールフランスコンテストの準ミスに入選したことがきっかけで、松竹へ入社して銀幕デビューを果たす。多数の映画に出演し、1965年〜1966年は田村正和とコンビで売り出すも、互いに芽が出ずパッとしない存在だったが、その後同年『望郷と掟』続く『炎と掟』では安藤昇の相手役に抜擢されラブシーンを演じた。当時はカーマニアでオペルやプリンス、フ [続きを読む]
  • あべ静江(コーヒーショップで)
  • コーヒーショップで1973年5月に発売されたあべ静江のデビュー・シングルである作詞:阿久悠 作曲:三木たかしあべはこの楽曲で、「フリージアの香り」というキャッチ・フレーズでデビュー。累計売り上げは約28万枚を記録し、自身最大のヒットとなった。1973年末の「第15回日本レコード大賞」新人賞など、同年の音楽賞レースで数々の新人賞を獲得した。wikipediaあべ静江は、このデビュー曲が最大のヒットなんですね!私は、「みず [続きを読む]