よなたん さん プロフィール

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よなたんさん: いちじくの木の下で
ハンドル名よなたん さん
ブログタイトルいちじくの木の下で
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/under_the_figtree
サイト紹介文聖書を読んで感じたことを書いています。興味を持った方は順に読んでみてください
自由文10年も毎日読み続けるなんてよっぽど聖書が好きなんでしょうね。だいたい1章読むのに2時間は必要です。なお、聖書は新共同訳を使っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供388回 / 347日(平均7.8回/週) - 参加 2016/05/14 11:16

よなたん さんのブログ記事

  • 28正しい指導者③
  • わたしたちはそれ以外の方法を知りません。そもそも一人ひとりに接し方を変えて運営することなどできるのでしょうか。それを行うためにはパラダイムシフトが必要です。傲慢な人々は公平という名のもとに人に対する接し方まで画一化しようとします。しかし人はそれぞれやりたいことが違うのです。できることも違うのです。ですから一人ひとりに合わせて考えながら向き合う必要があるのです。人を指導するということは一人ひとりの特 [続きを読む]
  • 28正しい指導者②
  • しかし、そんな自分のことしか考えない王や人のことを考えない指導者たちに頼る必要はなくなります。これから民は、新たな国づくりに向かって歩んでいくのです。その国はわたしたちが知っているような方法で統治するのではありません。力ずくで民を統制するのではないのです。これまでのように民が王の生活を支えるのではありません。王が民の生活を支えてくださるのです。指導者は民が目的に向かうための支援者となるのです。特に [続きを読む]
  • 28正しい指導者①
  • トマスの話いかがでした?カトリックは今日の復活節第2主日のミサで、このトマスの箇所を読むことになっています。今まで、何度も読んで、何度も話を聞いている話でも、よくよく考えてみるといろいろと発見がありそうな気がします。よく知っている話だからこそ、よく考えてみる必要があるということかも知れませんね。さて、「働くこと」に戻って28話めはイザヤ書32章1〜8節を取り上げました。正しい王の登場を預言している箇所な [続きを読む]
  • 36イエスを慕うトマス⑤
  • <トマスになったつもりで書いています>イエスさまは、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」と言われます。わたしがひがんで彼らに言ったことをイエスさまはご存知です。彼らの言葉を信じなくて辛い思いをしたことを知っています。わたしは泣いていました。泣きながら目の前のイエスさまを見つめていました。イエスさまに会えたことでもう十分でした。手 [続きを読む]
  • 36イエスを慕うトマス④
  • <トマスになったつもりで書いています>わたしの胸中は複雑でした。イエスさまが復活したことが本当ならそれはとても嬉しいことです。しかし、どうして一生懸命に探したわたしのところには来てくださらず、怖がって隠れていた弟子たちのところにイエスさまが現れたのだろうか。一番イエスさまに会いたがっていたのはわたしではないか。隠れていた彼らの中にわたしよりイエスさまに遭おうとしていた者がいるわけではないことは明ら [続きを読む]
  • 36イエスを慕うトマス③
  • <トマスになったつもりで書いています>とりあえず、「本当にイエスさまを見たのか」と彼らに聞いてみると、彼らは頷きます。「幻だったのではないか」、「良く似た別人だったのではないか」と尋ねると彼らの顔は硬直し始めました。彼らの視線が集まって来ているのが感じ取れます。「イエスさまに変装した誰かではないのか」と言うと、「家の戸には鍵がかかっていて、誰も入れなかった」と答えます。十字架につけられたのですから [続きを読む]
  • 36イエスを慕うトマス②
  • <トマスになったつもりで書いています>イエスさまを探し求めて朝から一日中町を探し回ったのですが、もう夕方も過ぎ、日が暮れてもはや探すことができなくなりました。トマスの足は棒のようになり、目もかすんできました。わたしは力尽き、落胆し、皆に慰めてもらおうと思って仲間のもとに帰ってきたのです。そうすると何としたことか、扉に鍵をかけて閉じこもっていた彼らの元に復活したイエスさまが現れたと言うではありません [続きを読む]
  • 36イエスを慕うトマス①
  •  ことしの復活祭はいかがでしたでしょうか。 復活祭を終えたわたしたちは喜びに満たされているのですが、イエスさまが十字架につけられた過越祭を過ごした弟子たちは失意と驚きと恐怖の入り混じった時を過ごしていたように思います。 そんな中トマスは一人、他の弟子たちとは別行動をしました。不可解です。トマスに対し、イエスの復活を信じなかった人だと考えている人が多いのですが、わたしはそうは思えなくなりました。「聖 [続きを読む]
  • 27労働の対価③
  • 人間は心の糧がなければ生きることができません。心の糧を見つけることができずに生きられなくなった人がたくさんいることを知っているのに、私たちは心の糧を報酬として認めることができません。労働の対価として得た報酬は、体を養うことができればそれで良しと考え、心の糧こそが大切にすべきものであるはずです。神さまのために働いてきた人は、神さまとの強い繋がりを得ているはずです。そしてそこからいのちともいえる糧を得 [続きを読む]
  • 27労働の対価②
  • このぶどう園で働いていた人たちは安心して過ごしていたはずです。今日の糧の心配をすることもなく、お互いに話し合いながら収穫をしていたことでしょう。ぶどう園に入れず広場で過ごしていた人たちは不安の内に暮らししていたはずです。広場でうつむいて、今日はこれからどのように過ごしたらいいだろうかと悩みながら過ごしていたはずです。安心は気の持ちようじゃないかというかもしれませんが、安心はそう簡単に手に入るもので [続きを読む]
  • 27労働の対価①
  • パウロはへりくだるということについて、①相手を自分よりも優れたものと考え、②自分のことだけでなく相手のことに注意を払い、③自分の立場に固執せず、④自分を無にして、⑤僕の身分となり、⑥自分を相手と同じ状況に置いて、⑦最後まで従順であること、の7つをあげました。相手と自分の関係において、相手の行動に自分が関わっていくのですが、その中で、相手の行動に対し、自分中心に物事を考えるのではなく、相手の考えを基 [続きを読む]
  • 26キリストを模範とせよ③
  • わたしたちにもそんな生き方ができるのでしょうか。イエス・キリストのように、他人のために不条理な苦しみを受け、死ぬことはできないでしょうが、生きる目的が「人との関わりを大切にすること」であることに気がついたとき、そこには変化が生まれそうです。人に対して自分の考えを押し付けるのではなく、人が生きる目的をつかみ、生きるための助けになることができれば、いや、助けにならなくても、そう努力することができさえす [続きを読む]
  • 26キリストを模範とせよ②
  • 自分がどれだけ優秀で、どれだけ能力があったとしても、相手の問題を解決してあげることはできないのです。アドバイスはできたとしても、問題を抱えている本人が自分自身で解決方法を選び、自分自身で実行しなければ問題は解決しないのです。他人のアドバイスは参考になるかもしれませんが、根本的には解決できないのです。しかし、他人の問題に関わっていけないわけではありません。むしろ積極的に関わらなければならないこともあ [続きを読む]
  • 26キリストを模範とせよ①
  • フィリピへの信徒への手紙2章です。パウロはへりくだるということについて、①相手を自分よりも優れたものと考え、②自分のことだけでなく相手のことに注意を払い、③自分の立場に固執せず、④自分を無にして、⑤僕の身分となり、⑥自分を相手と同じ状況に置いて、⑦最後まで従順であること、の7つをあげました。相手と自分の関係において、相手の行動に自分が関わっていくのですが、その中で、相手の行動に対し、自分中心に物事 [続きを読む]
  • 25大事業③
  • このような大変な事業を実行する時、最も重要なことは共同体の協力です。リーダーの指示を仰ぎながら、一箇所に集められた私財から自分が作るのに必要な分を取り、自分の仕事を期日までに確実にこなし、作ったものはちゃんと次の担当にきっちりと渡していかなければ、神さまが指示する1月1日に建設完了予定日にはとても間に合わなかったでしょう。直接製作に携わらない人たちもどんなに素晴らしい者ができるのかと自分の仕事のよう [続きを読む]
  • 25大事業②
  • 幕屋の規模は大きく、使った資材はわたしたちの想像をはるかに超えています。金が1t、・・・一辺が30?弱の立方体程度の量ですが、1tの金は今の相場で50億円弱ということになります。銀が3.4t、・・・やっぱり一辺が30?弱の立方体程度の量です。青銅が2.4t、1枚50kgはありそうな壁板が48枚、80kigほどありそうな至聖所や天幕の入口の柱が9本、庭の柱は40kgのものが20本、さらに、亜麻で作った幕屋を覆う膜は1.8m幅で長さが130 [続きを読む]
  • 25大事業①
  • 出エジプト記40章で、神さまは、イスラエルの民に幕屋建設を支持されました。今回大きな事業を成し遂げるということについて考えてみることにしましょう。かなり大きな仕事なので、簡単にはできません。時間も労力も必要です。材料も知恵も必要です。たぶん人間の力だけでは成し遂げられない事業なんだと思います。ベツァルエルとオホリアブには知恵と英知を授けられ、心に知恵のあるすべての者が呼び集められました。それ以外の人 [続きを読む]
  • 23新しい仕事③
  • 実は、わたしたちはこれまでと違う方法でやらないといけないということを分かっていないというわけではないのです。分かっているからこそ、最初からあれも必要だ、これも必要だと要求してしまうのです。ぜんぜんうまくできない段階から、経験豊富な仕事と比較して同じ質を要求してしまうのです。でも、できるだけ考えないでその質に到達したいと考えていることも確かです。そのため、見たこともない新しい仕事でも習熟したこれまで [続きを読む]
  • 23新しい仕事②
  • ひとつの仕事を長い間続けていると、そこにはうまくやるためのルールが生まれ、要領よくやるための手順が出来上がっています。その手順はからだにしみついて、今や考えなくても勝手に手足が動いて、仕事は着々とはかどります。ところが世の中の変遷とともに、ルールを直し、手順も少しずつ変えていかねばなりません。まるでつぎをあてた服のようなものです。世の中の変化に合わせて新しい仕事を始めないといけなくなる時もあります [続きを読む]
  • 24新しい仕事①
  • マタイ9章16節で、イエスさまは「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない」と、言われます。古い服には愛着があり、シミのひとつひとつに思い出がくっついていたりします。身体になじんだ服はなかなか捨てることができず、破れた所にはつぎをあてて、作業着として着てみたりします。いつかは新しい服に替えないといけないことは分かっていますが、その時を決めることはなかなか難しく、勇気をも [続きを読む]
  • 23分相応の仕事③
  • 分相応という意味はその人にちょうどよいという意味です。これからの成長も含めてちょうどいいのです。このちょうどいいレベルの仕事を与えることはとても難しいことなのですが、わたしたちのことをわたしたち以上に知っている神さまはちょうどいいレベルの仕事を用意してくださるのです。神さまが与えて下さる仕事はやりたい仕事でもあるはずです。それが違うという場合は表面的なことにとらわれているのかもしれません。どうやっ [続きを読む]
  • 23分相応の仕事②
  • 神さまが与えられる仕事は、本人の希望を聞いて、受けるかどうするか決めるようなものではありません。神さまは、神さまの目的を果たすために人間を創られ、人間の中に息を吹き込まれていのちを与えられたのです。命を与えられるとき、神さまは私たちに能力と一緒に仕事を与えられたのですが、わたしたちは理解しないまま世の中に出てきたのです。それでもわたしたちは、使命を思い出してみこころを実行しなければなりません。1タ [続きを読む]
  • 23分相応の仕事①
  • さて、23話はマタイの福音書から「タラントンのたとえ」です。タラントンというのは当時の貨幣単位ですが、タレント(=能力、賜物)を意味していわれているのだということを聞いたことがあると思います。つまり、その能力を神さまが与えてくださっているという話のように思えます。この1タラントン与えられた男というのは何が悪かったのでしょう。考えてみることにしましょう。普通、部下の仕事であれ自分の仕事であれ、これから [続きを読む]
  • 21役割分担③
  • もう一つは、信頼に値する人物を選び、小さな問題はその人に裁かせることです。すでに基準が示されているのですからだれが裁いてもいいのですが、冷静で公平な人を選ぶ必要があります。不正を憎む人を選ばなければ、賄賂がまかり通ってしまいます。部族毎に長を選び、氏族ごとに長を選び、家ごとに長を選べば、身内の目の中で公平な裁きを行うことができます。そして何よりも問題を解決するために身内でコミュニケーションをとるこ [続きを読む]
  • 21役割分担②
  • モーセも実際にすることは「神の掟と指示とを知らせる」ことでした。そんなモーセにしゅうとは、「あなたのやり方は良くない」と指摘します。モーセは負い切れない荷を抱えている。そして一人ひとりていねいに対応するモーセが疲弊してしまうというだけでなく、何日も待ち続ける民も疲れ果ててしまうと理解したのです。エトロの助言は二つでした。一つは民全員に掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべきことを教えることです [続きを読む]