よなたん さん プロフィール

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よなたんさん: いちじくの木の下で
ハンドル名よなたん さん
ブログタイトルいちじくの木の下で
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/under_the_figtree
サイト紹介文聖書を読んで感じたことを書いています。興味を持った方は順に読んでみてください
自由文10年も毎日読み続けるなんてよっぽど聖書が好きなんでしょうね。だいたい1章読むのに2時間は必要です。なお、聖書は新共同訳を使っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供406回 / 365日(平均7.8回/週) - 参加 2016/05/14 11:16

よなたん さんのブログ記事

  • 37ヤコブの羊③
  • ヤコブが故郷に帰ろうと思った時、一匹一匹模様の形まで覚えた羊たちを置いていくわけにはいかないような気がしました。それぞれの鳴き声も性格も覚えています。財産を要求するつもりはなかったでしょうが、彼らを放っていくわけにはいきません。世の中で白い羊が大切にされていたのだとしたら、ぶちとまだらはそれほど多くなかったでしょうし、これまでの報酬としてはほとんど見合わない数だったでしょう。ラバンにとっても大した [続きを読む]
  • 37ヤコブの羊②
  • ぶちとまだらの羊は、世の中的には役立たずで、無価値に見えますが、ヤコブにしてみれば、どの羊も手塩にかけて育てた大切な羊です。白が良くてぶちやまだらに価値がないなどと、決して言うことはできませんでした。見かけがちょっと違うというだけで差別を受けてしまう羊たちが不憫にさえ思えてきます。ヤコブにとってはむしろ一匹一匹違う模様を持っているぶちやまだらの羊の方が、それぞれの個性を識別するためによかったかもし [続きを読む]
  • 37ヤコブの羊①
  • 先日、ラバンの話をしたのですが、Joさんから「ぶちとまだら、過程の解釈が難しい箇所だと読んだことがあります。」っていう意見がありました。今まで、全然考えたことのない所なのですが、そういわれれば何か意味がありそうです。その言葉を受けて、ヤコブの言動を追いかけながら読み直してみると、すこしわかったような気がしました。わたしの力でちゃんと話を組み立てられるかどうかわかりませんが、書いてみることにしたいと思 [続きを読む]
  • 5一瞬の気の迷いから生じた大きな罪③
  • 神が子を打ったとき、ダビデは神に祈りますが、子の命を祈るわけでなく、ウリヤの命を奪ったことを祈るわけでなく、バト・シェバの不幸を祈るわけでなく、自分が神を忘れていたことを告白し、赦しを願い、「あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し、御目に悪事とみられることをしました。」(詩編51:6)と祈っていました。ダビデにとって人間の命は何なのか、人生とは何なのかと思わせる個所ですが、一瞬の気の迷いが姑息な手段 [続きを読む]
  • 5一瞬の気の迷いから生じた大きな罪②
  • ウリヤは戻ってきて、ダビデに面会しました。しかし、ダビデの思いとは裏腹にウリヤは家に帰りませんでした。ダビデが「なぜ家に帰らないのか」と説得しましたが、ウリヤは戦地の同士を思い、家に帰ろうとしませんでした。そうなると、自分の罪を消し去るためには、ウリヤがいなくなることしか道がありません。ダビデは人々に、「仕方なかった」と思わせるために、戦死という状況を意図的に造り出したのです。敗戦の状況を伝えらえ [続きを読む]
  • 5一瞬の気の迷いから生じた大きな罪①
  • 罪と言われて、ダビデとバト・シェバのことを思い浮かべる方も多いのではないかと思います。この時のダビデの心境を探ってみたいと思います。ウリヤの妻であることを知りながら、ダビデはバト・シェバを召し入れて床を共にしました。単に美しい女性を見て我慢ができなかっただけではありません。素性を確認したのですから、そこで思いとどまることもできたはずです。しかし、自分にはそれだけのことをする権力が備わっているという [続きを読む]
  • 4復讐の連鎖②
  • 復讐は良い結果をもたらしません。神さまは、「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」(レビ19:18)と警告します。復讐は罪に唆されて罪を犯してしまう人間がするべきではありません。パウロが「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。」(ローマ12:19)と言う通り、神に任せるべきことなのです。「わたしが報復し、報いをする」(申命記32:35 [続きを読む]
  • 4復讐の連鎖①
  • 創世記4章に戻りましょう。罪は罪を呼ぶのです。人に対して罪を犯すと、それを受けた人もまた罪に唆されることになります。自分を守りたいという名目で言い訳をしながら罪を犯すことになります。罪は罪を呼び、罪は次々と連鎖していきます。罪を犯した人もまた、後悔の苦しみから自分を守るために罪に唆され、さらに大きな罪を犯すことになります。主は言われます。「カインを殺す者はだれであれ七倍の復讐を受けるであろう」(4: [続きを読む]
  • 3ラバンの報い③
  • 娘たちは、ヤコブが一人で働いていることをあまりよく思っていませんでした。夫であるヤコブが働いた分をすべてラバンが横取りしていくのです。たとえ自分の父とはいえ、自分たちにも何も見返りが来ないことに少し腹を立てていました。レアとラケルは「父の家にわたしたちへの嗣業の割り当て分がまだあるでしょうか。」「わたしたちはもう父にとって他人と同じではありませんか。」「父はわたしたちを売って、しかもそのお金を使い [続きを読む]
  • 3ラバンの報い②
  • ヤコブはよく働きます。7年間でラバンの財産はずいぶん増えました。この7年が経とうとするとき、ラバンは考えました。このままヤコブにラケルを与えていいのだろうか。ラケルと結婚すれば、ヤコブは故郷へ帰ってしまうだろう。ヤコブとラケルがいなくなったら、これから羊の面倒は一体だれが見るのだ。せめてもう7年間は居てもらいたいそれなら、レアも与えてもう7年間働いてもらうようにしようではないか。町中の人を集めて祝宴を [続きを読む]
  • 3ラバンの報い①
  • 創世記30章を読んでみましょう。ヤコブは妻を探しにアブラハムの故郷へ行きます。美しい娘と結婚するためには、その父ラバンのもとでただ働きをしなければなりませんでした。長い間ヤコブは耐えましたが、ラバンはどのように考えていたのでしょう。ラバンの何が悪かったのかを考えてみることにしましょう。ラバンは羊飼いを営んでいましたが、自分で何かをするわけではなく、すべてを娘たちにやらせていました。いくら一生懸命にや [続きを読む]
  • 2罪はお前を求める③
  • 正しい人間を残し、悪に染まった人間を滅ぼし尽くすのは、神さまにとってそれほど難しいことではないでしょうが、悪に染まってしまった人間を一人滅ぼすたびに神さまは心に傷を負っています。ノアの洪水の時は本当に悲しく、辛く、苦しい思いをされました。ソドムを滅ぼす時にアブラハムと問答をしたのも、何とか助ける手立てはないだろうかと考えたからでした。どんなに悪に染まった人間でも、神さまが一人ひとり丁寧に考えて造ら [続きを読む]
  • 2罪はお前を求める②
  • アダムとエバは神さまのものではなくなってしまいました。神のものでなくなった以上エデンの園を出なければなりません。これから神とサタンは人間の存在を介して自分の存在を賭けて戦うのです。人間が善と悪を知った以上、善と悪は戦わねばなりません。何が悪かを知り、次々生まれる悪を潰していくという果てしない戦いを強いられました。悪は魅惑的で、人間は悪に誘惑されていきます。一旦悪に染まった人間はなかなか神に回心する [続きを読む]
  • 2罪を支配する①
  • 神さまは罪を支配せねばならないと言われます。その罪のもとはサタンから来ていました。サタンがわたしたちのことを考えたように、わたしたちもサタンの考えていることについて、少し考えてみることにしましょう。サタンは力を持った天使でしたが、神になりたいと思っていました。神が世界を作られ人間を創られたのを見て、人間と暮らす神を羨ましく思ったサタンは、人間社会を神から取り上げることを計画し、策略を練りました。神 [続きを読む]
  • 1罪はお前を求める③
  • 考えてみれば勝手な話です。自分が間違ったことによって苦しんでいるのですから当然のことかもしれませんが、わたしたちはその当然のことが受け入れられません。何とか罪の意識から逃げ出そうと、もがき苦しみます。罪の苦しみを取り除くにはどうしたら良いでしょうか。出来事を歴史から消し去ることはできません。時間を削除することが神さまにできないわけではないでしょうが、人間の存在そのものを葬り去ることに等しいことかも [続きを読む]
  • 1罪はお前を求める②
  • わたしたちはいつもそばにいる罪を支配しなければなりません。善悪の知識はわたしたちに罪を教えます。私たちは善悪の知識によって罪を理解し認識するようになりましたが、罪は悪の姿では現れません。わたしたちの弱いところに働きかけて弱い部分を守るかのような態度をとり、わたしたちを唆します。そして、わたしたちはその言葉に従って行動することによって、自分を守ることができるような錯覚に陥ります。その結果、後悔するこ [続きを読む]
  • 1罪はお前を求める①
  • まずは創世記4章7節にある「罪はお前を求める」という神さまのことばから考えてみることにしましょう。アダムとエバは神さまの言いつけを守りませんでした。しかし、そのことによって人間が罪を犯したというのは少し厳しすぎるのではないでしょうか。その罪をずっと人類が背負っているのだと言われてもちょっとピンとこないのです。アダムとエバは善悪の知識の実を食べましたが、その行為が人類の罪として人間が背負うべきものと [続きを読む]
  • 0罪について③
  • わたしたちは自分自身の罪を理解することから始めなければいけないのかもしれません。神さまが、「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(創世記4:6)と言われたことをわたしたちは理解していないのかもしれません。神さまが言われた意味をよく考えないといけないのかも知れません。わたしたちは罪を認めて、犯した罪を即座に自分自身の中から排除することが必要なのです。それでも罪は入 [続きを読む]
  • 0罪について②
  • 箴言ではいろんな悪を列挙します。ならず者、悪を行う者、曲がったことを言い歩く者、目くばせし、足で合図し、指さす者、心に暴言を隠し、悪を耕し、絶えずいさかいを起こさせる者、驕り高ぶる目、うそをつく舌、罪もない人の血を流す手、悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足、欺いて発言する者、うそをつく証人、兄弟の間にいさかいを起こさせる者、(箴言6:12〜19)これだけ神さまがいろんな悪を上げ、罪を避けよと戒めるの [続きを読む]
  • 0罪について①
  • これから罪についての30話をお話してみようと思います。本当は四旬節にできればよかったのですが、やっぱり罪というテーマは重いような気がしています。でも避けては通れない場所でもあって…。途中で別のテーマを挟んだりするかもしれませんが、ご容赦のほど。罪と一口にいってもいろんな罪があります。パウロはローマの信徒への手紙の中で、「あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、 [続きを読む]
  • 31「働くこと」のおわりに⑤
  • 聖書を読んでいると、そうやって失敗した人たちがたくさん出てきます。わたしたちはそこから学び取らなければなりません。2000年以上も前に生きていた人々も、現代に住むわたしたちも本質的には何も変わっていません。しかし、わたしたちはその人たちから学ぶ方法を与えられたのですから、そこから学び取らなければなりません。そして、イエス・キリストがわたしたちにこの世での生き方を教えてくださっています。わたしたちは活動 [続きを読む]
  • 31「働くこと」のおわりに④
  • もう一つ、働く目的を考えておく必要がありそうです。何のために働いているのかということをちゃんと考えておかないといけません。盲目的に目の前の仕事をこなしていると、仕事から解放されたときに何をしてよいか分からなくなってしまいます。上司の言いなりになって働いていると、道を踏み外してしまうかもしれません。金銭や権力のために働く人もいるのですが、それを手放すことになった時に、自分の身の置き場に困ってしまいま [続きを読む]
  • 31「働くこと」のおわりに③
  • そして、働く上で大切なのがパートナーです。働くことを考える上で、パートナーは必要です。神さまのようにすべてを一人でできる人間はおらず、いろんな人と関わりながら仕事をしなければなりません。そこには命令をする立場の上司もいれば、作業を分担する部下もいます。別の役割を担ってくれる別のチームも必要です。設計する人、材料を調達する人や提供する人、加工する人、組立てる人、コントロールする人などいろんな人が関わ [続きを読む]
  • 31「働くこと」のおわりに②
  • ステップにわけ、一つずつ順に確認しながら仕事をする方法はいろいろあります。Plan-Do-SeeとかPlan−Do−Check−Actionと言われている方法もそうでしょうし、プロジェクトマネジメントのように、目標設定⇒作業の洗い出し⇒役割分担⇒所要時間見積もり⇒ネットワーク図作成⇒クリティカル・パス明示⇒スケジュール作成⇒負荷平準化⇒予算立案⇒企画制作⇒リスク対策⇒作業実行⇒変更コントロール⇒プロジェクト終了⇒振り返り、と [続きを読む]
  • 31「働くこと」のおわりに①
  • やっと、「働くこと」というテーマで30話書き終わりました。もう一度振り返りながら、「働くこと」と神さまとの関係を考えてみることにしましょう。聖書の最初の物語は創世記で、その第一章には神さまがこの世界を創られた様子が描かれています。この話は、心にどのように映るでしょうか。これを、信じがたいお伽噺としてしか読めない人も大勢います。少なくとも神さまを知らない人はそうかもしれません。だれも見たこともないこと [続きを読む]