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「属」することは、本当に幸せなことなのだろうか。

人は何かに属さないと生きていけないのだろうか。 属することの息苦しさに折り合いをつけながら、人は心の安定を求めるのだろうか。 属することは、本当に幸せなことなのだろうか。

杠 志穂
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2016/05/20

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  • お知らせです

    お久しぶりです。そしてお知らせです。はてなブログさんのほうへ居を移し、「逢魔時堂」という小説の執筆を開始しました。そちらも是非ご覧になっていただけると幸いですよろしくお願い致します。暑い日が続きますね。熱中症にはくれぐれもお気を付けくださいね!逢魔時堂「属」最初から読む場合はこちら↓第一話誕生日お知らせです

  • 最終章.ジグソーパズル

    父と母が逝ってから、もう五年の月日が流れた。母を見送り、その二週間後に父を見送り、私は喪主を務めた。兄姉たちは何も言わずそのことを認めてくれた。その後、度重なるストレスと疲れで声が出なくなり、まる二年間仕事から遠ざかった私だったが幸いなことに二人の息子――特に県外に居住して帰郷がままならぬ長男の分も含めて、いつの間にかすっかり成長し頼もしくなった次男が色々な面で私をフォローしてくれ、なんとか健康を取り戻すことができたのだった。そして同様にお店を閉店した後のバスの時間待ちの、僅かな間をぬって慌ただしく立ち寄る私に、黙ってメニュー以外の軽食を用意してくれていた近所のピザ屋のマスターや小料理屋の女将さん。お店を辞めたあとも私をフォローし続けてくれ、今もことあるごとに駆けつけてくれるあやちゃんやいずみちゃん。いつも黙っ...最終章.ジグソーパズル

  • 36.遺言

    こうして、思いもよらぬ形で母は逝った。母の葬儀には驚くほどたくさんのご友人や近隣の方々が参列してくださり、私は受付に母の作品をいくつか展示して、個展のような趣きに演出をした。通夜・告別式の間中、携帯電話を握りしめ、ひたすらこの間だけでも父の急変が無いことを祈り続けていた。父さん、こらえて。もうちょっとこらえて。この二日間だけは踏みとどまって――とひたすら祈りながら。二日間何事もなく、とは言い難い相変わらずのトラブルはあったものの、在りし日の母を偲んでくださる方々の心温まるお言葉は本当にありがたく、母の遺影も心なしか微笑みを浮かべているようで私は少し安心した。母の葬儀の翌日、病院の父の元へ向かった私は部屋の前でぎこちない笑顔を作り上げて「父さん元気?ごめん、仕事が忙しくってちょっと来れんかったの。淋しかった?」と...36.遺言

  • 35.生命維持装置.3

    兄姉たちが引き上げた後も、私は母のそばから離れなかった。そしてその日から真夜中に家を出てICUでこんこんと眠る母の元へ向かい、長い間詫び続けるのが日課となった。心臓に病を持ち、既にペースメーカーを装着している母の心臓は動きが止まることはない。そして人工的に呼吸させられ、人工的に心臓も動かされ、母の意思とはあずかり知らぬところで生かされ続けている。それもこれも私が無知だったせいだ。母さん、本当にごめん。ごめんなさい。そうやって母の顔を見ながら何度も心のなかで詫び続けていた。「志穂さん」いつの間にそばに来たのだろう。年配のナースが私の背中をなでた。「お母様がね、”私は延命を望みません”って首からプラカードでも下げていらっしゃらない限り、これはどうしようもない――仕方がないことなんですよ。あまりご自分を責めないで。お...35.生命維持装置.3

  • 35.生命維持装置.2

    救急車で搬送された母は、ただちに人工呼吸器を気管に挿入する手術を受けていた。母がICUに入る前に、私はナースたちに既にICUに入っている父には絶対にわからないように母の名前は呼んでほしくないとお願いした。そしてできるだけ早く、できれば母がICUへ入る前に父を別室へ移して欲しいと頼み込んだ。私の気持ちは充分に伝わり、全員頷いてはくれたものの移動は部屋の準備もあり、母がICUに入るまでには完了しないこと。今はベッドの状況からどうしても父の斜め向かいになってしまうことを説明された。手術室から戻った母はナースたちが盾になり、父の目に触れないようにカーテンを固く閉ざしたベッドに移動され、全員声を出さず黙々と処理が行われた。私は駆けつけた姉たちにも一切声を出さないことを厳しく言い渡し、父にも知らせぬように誓わせた。今から思...35.生命維持装置.2

  • 35.生命維持装置.1

    父が余命宣告を受けたとき、もしものときに――ということで生命維持装置を使うかどうか尋ねられたことがある。その際に説明を受け、私なりに納得したつもりだった。「父は無理な延命は望まないと思う」そう答えた私に婦長(今は師長と呼ぶらしいのだが、私はつい婦長さん、と呼んでしまう)は小さく頷いた。「立場上、こんなことを言ってはいけないのかもしれませんけど、私が志穂さんだったら同じことを言うと思います。装置つけて、お気の毒だと思う例も随分見てきましたから……」私はその答えを聞いて、自分の出した判断になんとなく安堵したものであった。そしてその後、その装置について調べることはしなかった。父にとってこの装置は不要にしよう。充分に戦ってくれている父に、これ以上苦しい思いはさせたくなかった。いつかその日が来たら、お疲れ様でした、と見送...35.生命維持装置.1

  • 34.日めくり.4

    その日の午後三時頃、今日は一日何事もなく閉店までいられそうだ、と私はほっとしていた。ここのところ父の病院、あるいは母の施設からの度重なる呼び出しにより、誠に勝手ながら――の貼紙をしょっちゅうドアにやって早じまいしなければならない日が多く、夕方はあてにならぬ店、の悪評が定着しつつあってそれも頭痛の種だった私にとっては、定刻に閉店できた日は本当に嬉しかったのである。しかしそのとき母が入居している施設の施設長から携帯電話に着信があり、「お母さんは大丈夫だから、呼ばなくていいから、と言っておられるんですが……」と申し訳なさ気に、朝から微熱があってフラつきがある、と報告を受けた。嘆息が出てしまった。今日も”誠に――”の貼紙の日になってしまうのか。父はともかく、母はこんな私の事情をもう少し察してはくれないのだろうか。もう少...34.日めくり.4

  • 34.日めくり.3

    「父さんとね……」母がぽつり、と語りだした。「父さんとね、最近よく話しとるの。私らが死んでしもうたら志穂一人ぼっちになってしまう。志穂の身がちゃんと立つようにしといてやらんと……って」「あんたは二言目には何もいらん、何も欲しくないって言うけども……でもあんたが継いでくれんと。あんたがあの家守ってくれんと」「母さん、この後の面倒事も私が何とかせんとあかんの?」自分の声が尖っているのは気が付いていた。「大体、父さんと母さんが色んなことちゃんと決めておかんから、こんなことになるんよ!家のことやら地面のことやら、姉ちゃんらのことやら……。ちゃんと計画しといてくれんから私がいっつも後始末しとらんといけんのよ」語尾がきつくなった。母は困った顔で、左手の薬指にもうかれこれ五〇年以上着けている指輪を回した。父が母の誕生日に贈っ...34.日めくり.3

  • 34.日めくり.2

    私は冗談めかして両親にいつも話した。「使えるものは、みんな使っていって。そりゃあ残ったものは燃やしてしまえって言われるとムッとするけどね。でも父さん母さんが一生懸命頑張って貯めたお金なんだから、使いきってしまった方がいいんよ。残そうなんて思ったらケンカのもとになるだけやもん」良い子ぶって言ったわけではない。私は二人にかかった費用は全て記録し、領収証やレシートに至るまで全て保存していた。とにかく後々面倒事に巻き込まれたくなかった。使いきってしまえばいい。残る不動産は兄や姉たちが納得する形で分割すればいい。私は元々どこの誰でもない。二人の間に産まれた子なのだから、二人が亡くなれば私の杠家での役割はそれで終わりにしてもらっていい。そしてこの後は”私”という一人の人間として生きていきたい。清々と息子たちと出て行けばいい...34.日めくり.2

  • 34.日めくり.1

    すずちゃんが逝ってしまってから、しばらくは虚脱状態に陥ってしまった感のある私たちだったが、そんな事とはお構いなしに日めくりは誰にも平等に正しくめくられていった。元々、頻繁に交流できるほど近い場所に住んでいたわけではなかったのが幸いであったのかもしれない。彼女がいない、という現実を私たちは時折忘れそうになったりもできたから。今はお互いに忙しくてコンタクトが取れていないだけ。電話をすれば、メールを送れば彼女の可愛いおしゃべりや、ウィットに富んだ返事が必ず帰ってくる。お互いの忙しさを思いやって今は遠慮してるだけ。そう、いつかはきっと会える。そう信じよう。私やさっちゃんが『大きな宿題』を終えたとき、きっとすずちゃんはにっこり笑いながら「うーん、まあまあやねぇ」なんて憎まれ口を叩きながら、「お疲れ様。ご苦労様でした」って...34.日めくり.1

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