まこまこ さん プロフィール

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まこまこさん: makoのつぶやき日記
ハンドル名まこまこ さん
ブログタイトルmakoのつぶやき日記
ブログURLhttp://ameblo.jp/makorekishi/
サイト紹介文歴史に詳しくない孫が祖父の経歴をたどる日記です。 陸軍 軍隊
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2016/06/03 20:42

まこまこ さんのブログ記事

  • 戦前の女子医学教育と大伯母の話
  • 祖母のことなど以前書いた☆のですが、そこで私が尊敬している祖母の姉の話など。 祖母と祖母の姉は2学年差ですが、ほぼ1歳半の年の差の仲の良い姉妹でした(さらに妹がいました)。大伯母は(祖母の姉)昭和11年3月に広島県立広島高等女学校を卒業します。(30期生)多分昭和6年に女学校入学だと思われます。 昭和6年ですと、その年の9月に満州事変が起き、だんだん世間が軍国主義に向かっていこうとする時期だと思いま [続きを読む]
  • 五・一五事件
  • 本日は5月15日。85年前の今日、五・一五事件が起こりました。 以前書いたように陸軍士官学校本科生徒から12名(正確には11名と中退者1名)が襲撃実行に加わっています。すべて44期生です。そのうち祖父のいた士官学校予科8期の第一中隊第五區(区)隊からは5名が襲撃に加わっています。その5名が池松武志(士官学校は退学していた)坂元兼一篠原市之助吉原政巳金清豊で4名は残りの残り7名と一緒に即退学、禁錮4 [続きを読む]
  • この世界の片隅に
  • 近所の映画館が土曜日までこの世界の片隅にを上映するはずが急きょ来週末まで延びたと聞いて来週もう一度見に行こうかなあと思っています。 どうしてもすずさんと祖母を重ねてみてしまう(いや実際には全然違うんですけどもちろん)多分、そんな方も多いのではないのかな。祖父のことを調べたり、先祖の事を調べても写真は白黒だし、資料は少ないし、やっぱり別世界という認識が強かったのだけど、あの映画を見て別世界というより [続きを読む]
  • この世界の片隅にを観に行きました
  • この世界の片隅に 先日観に行きました。少し離れた駅では上映されてたのですが、地元で観たかったので今年に入ってからになってしまいました。 原作を読んだときは知識(というか、自分の先祖のことを知らなくて)がなくて広島のお話と言う漠然としたものだったのですが、色々調べていくうちに父方の祖父母や曾祖父、高祖父は広島にいたということがわかって、地名も少しずつですが地図とにらめっこしたりして頭に入った状態で観た [続きを読む]
  • 先祖と広島
  • 祖父のことを調べていたつもりが、祖母のことにまで手が及び、そのまま調べていくと今度は曾祖父の記録を見つけたりとどんどん収集がつかなくなってきています。 以前少し書きましたが、曾祖父は広島でゴム会社を経営していたようです。その広告や商工会議所の記録がほんの少しだけ見つかりました。    ここの試験室などで色々研究していたようです。どうやら東白島という場所のようで、第五師団の敷地内、広島城近くにあったよ [続きを読む]
  • 曾祖父の会社
  • 今年も残りあとわずかですね。バタバタしていましたが、暇を見つけては色々調べ物をしていました。なかなか手掛かりがないのでほとんど勘と言うか当てずっぽうな感じで調べていました。 以前、祖母の人生1で 祖母と祖母の姉は山口県で生まれていますが、祖母の妹の戸籍を見てみると大正13年の時点で広島で出生届けが出されています。昭和4(1929)年、高祖父(祖母の祖父)が亡くなったのも広島になっていたので、5歳くら [続きを読む]
  • 名前の流行り
  • 祖父母の経歴などの調べ物をしていると名簿を調べることがやはり多くなりますが、その時代時代の流行りの名前がなんとなく見えてきて面白いです。 祖母の女学校の名簿ですが、一期生(明治39年卒業)の名前では、○子といったような子がつく名前は意外と少ないです。77名のうち、子がつく名前は7名でした。ではどのような名前が多いのかと言うと、キク、アイ、キヨといったようなカタカナ名が多数を占めていました。 九期生( [続きを読む]
  • 祖母の人生3
  • 広島県立広島高等女学校を卒業した祖母は、昭和15年に祖父と結婚します。20歳の花嫁です。広島から東京へと上京してきます。 その頃祖父は日中戦争から帰ってきて、陸軍大学校の学生の大尉でした。その半年後に長男が産まれ、その年(昭和16年)には少佐となります。その年の12月に陸軍大学校を卒業した祖父は、すぐに陸軍士官学校の戦術部教官となります。(第56期あたりになります) 教官となった直後の昭和 [続きを読む]
  • 祖母の人生2
  • 祖母の話ですが、祖母は女学校は汽車(電車?)で通学していた、と話していました。最初山口にずっといたのだと思っていたので山口の女学校なのかと思っていたのですが、広島に小さい頃移り住んでいることがわかり広島の女学校かもしれない、と思うようになりました。 しかし、広島に女学校はたくさんあります。調べるのは無理かなあと思っていたのですが、これも記憶の片隅に「けんじょ」と言っていたのを思い出したのです。 [続きを読む]
  • 祖母の人生1
  • 祖父のことを調べると一緒に祖母のことも知りたくなり、少しずつ調べています。ただ、祖父と違って祖母は社会に出たことがなく、ずっと専業主婦だったので資料はほぼないに等しいです。なので幼い頃に聞いた記憶がほとんどですが・・・。 祖母は大正9(1920)年に山口県で三人姉妹の真ん中、次女として生まれました。姉は大正8(1919)年(早生まれなので学年は2学年差)、妹は大正13(1924)年(早生まれな [続きを読む]
  • 敗戦後拘留生活時代の祖父1
  • シンガポールで終戦を迎えた祖父ですが、連合軍より日本人は軍民友に昭南市を撤退し、武装解除して一定の場所に集結することを命じられます。(民間人で重要産業に従事するものは引き渡しまで現場にいること、引き渡し完了後は連合軍が責任をもって日本人キャンプに送り届けるという但し書きあり) というわけで、電信、電話、電気、銀行、倉庫、船舶、ビール会社などの民間人は残る形を取り、その他は通称ジュロンと呼ばれる [続きを読む]
  • 謹んで哀悼の意を捧げます
  • 三笠宮さま逝去=100歳、昭和天皇末弟−歴史学者として活躍 昭和天皇の末弟、天皇陛下の叔父で、古代オリエント史の研究者としても知られる三笠宮崇仁(みかさのみや..........≪続きを読む≫[アメーバニュース] 三笠宮崇仁親王殿下が薨去されました。謹んで哀悼の意を捧げます。三笠宮殿下は大正4年12月2日、大正天皇の四番目の皇子としてご誕生されました。昭和天皇の末弟となられます。昭和11年に陸軍士官学校( [続きを読む]
  • 靖国神社へ
  • 昨日靖国神社へ行ってきました。朝はお天気だったのに途中雨が降り、寒い一日でした。 昨日は10月25日。1944年にレイテ沖戦があり、たくさんの軍艦が沈んだ日でもあり、(武蔵は前日)鎮魂祭が行われていたようでした。私が通りかかった時も、軍艦千歳の鎮魂祭の参加者なのか、ご年配の女性が数人いらっしゃいました。(その時男性方は別の場所にいたようです。)ご遺族の奥様、姉妹様、ご親戚、ご息女、色々だとは思 [続きを読む]
  • 国立国会図書館
  • ずっと行きたいと思っていた国立国会図書館に行ってきました。駅から歩くのかなあと思ったらすぐ近くで安心(笑)図書館の中で迷いましたが・・・。 最初は色々と手続きが面倒ですが、ここでしか見られない資料もあるのでまたたびたび行きたいなあと思います。もう一か所行ってみたい場所があったのですが、休刊日だったのが残念です。 [続きを読む]
  • 祖父と二・二六事件
  • 前回は祖父の周りの二・二六事件、ということで書きましたが今回は祖父は当日どのような行動を取ったのか、というお話です。 と言っても、そんな一学生の行動なんて資料に残っているわけではありませんので、想像の域を超えないお話ですが・・・。 昭和11年2月26日当時、祖父は陸軍自動車学校長期学生でした。長期学生は、最初甲種学生となり、成績の良かったものがそのまま学生時間を延期して勉強する形です。祖父 [続きを読む]
  • べっぴんさん
  • べっぴんさん、見ました〜きらきらして美しいものばかり見てると朝から幸せな気持ちになります。 ファミリアと言えば私が子供の頃、祖母や伯母がファミリアのお洋服を買ってくれてよく着させてもらっていました。我が家は庶民でどちらかと言えば貧乏だったのですが、祖父母の家に行くとレースの付いた靴下や、リボンやフリルの付いたお洋服、ストラップの付いた可愛い靴、行くたびに贈り物として置いてあってこんな美しいもの [続きを読む]
  • 祖父の周りの二・二六事件
  • 祖父の同期が五・一五事件に関わっていたことを知り、その流れで二・二六事件についても少しですが調べていました。今はこの本を読んでいます。 祖父のいた陸軍士官学校44期には二二六事件に関与した坂井直中尉(歩兵第三連隊附)と田中勝中尉(野戦重砲兵第七連隊附)がいる(田中中尉は正確には病気で一期延期しており、45期で卒業)。 二・二六事件は昭和11(1936)年2月26日に起きた事件です。昭 [続きを読む]
  • 熊本陸軍幼年学校27期・29期
  • 祖父は熊本陸軍幼年学校27期生です。大正12年(1923)4月1日入校大正15(昭和元)年(1926)3月19日卒業です。 27期生の入校は東京、広島、熊本の3校のみでした。大阪名古屋は廃校、仙台は翌年廃校予定のために27期の入校なし。のちの士官学校44期はほとんどがその2年後の29期になります。熊本陸軍幼年学校は城内時代と清水台時代とに分かれますが、29期が城内時代の最後の期となります。なの [続きを読む]
  • 陸軍士官学校44期(2)
  • 44期生続きです。 五・一五事件の前に池松武志らと結託していた米津三郎も前年の昭和6年に士官学校を退校処分となっています。どうも色々と不穏な動きがあったのでしょうね。 二・二六事件で刑死した坂井直には結婚したばかりの妻がいましたが、その後同じ同期の浦香治という方と再婚されます。しかしその方も昭和19年にビルマのマンダレーという所で戦死されます。野戦高射砲第51大隊長(森第3629部隊長)と [続きを読む]
  • 陸軍士官学校44期生
  • 祖父は陸軍士官学校44期を卒業しています。本来なら年齢的に42期あたりだったと思われますが、病気延期のため44期です。(士官学校予科の入校年が不明です。卒業は昭和5年、士官学校予科8期になります)44期にはかの有名な瀬島龍三氏がいます。彼のことはまた後日触れたいなと思っています。 44期には他に二・二六事件に参加している坂井直(1910−1936)がいます。祖父とどれくらい面識があったかわかり [続きを読む]
  • 篠崎護と祖父2 昭南市民の疎開
  • それまで戦地にしては平穏であったシンガポールで昭和18年9月27日未明に7隻の大型軍用船が沈没、一方では抗日ゲリラも激化していきます。この頃から食糧事情はますます悪化、敵の空襲も予期されるようになり、第7方面軍は昭南(シンガポール)市民の疎開を実施することになります。 軍司令部より作戦命令が出され、市長より疎開人口最終目標30万人、疎開受入マレー各州という内容の実施担当として任命されたのが、篠 [続きを読む]
  • 篠崎護と祖父1
  • ここでも少し触れたのですが、篠崎護氏について。Wikipediaなどで見ていただけたらわかるとは思うのですが、おおまかに。 元々は報道記者のようです。戦時中はシンガポールにて教育科長や厚生科長を務めていた人物のようです。シンガポール華僑粛清事件(1942年2月〜3月頃)の際には華僑を助けるために警備司令部特外高という立場を利用して、日本軍と戦前から関係あることを示す保護証を作成・発行して、多数の華人を [続きを読む]
  • 祖父の軍歴
  • 祖父の名前を出したので・・・。軍歴は以前書いたので重複しますが期数などを。 大分県出身熊本幼年学校27期卒陸軍士官学校予科8期(その後原隊にて病気延期)昭和5年4月〜9月輜重兵第5大隊 士官候補生 広島昭和7年 陸軍士官学校44期卒昭和9年9月 陸軍自動車学校 甲種学生輜重兵中尉昭和10年4月 陸軍自動車学校 長期学生昭和11年8月 陸軍自動車学校教官兼研究部部員輜重兵大尉昭和12年 動員下令 陸 [続きを読む]
  • 祖父の終戦
  • ポツダム宣言受諾後の8月18日、第七方面軍司令官板垣征四郎大将は、大隊長以上、及び文官の科長以上をラフルス大学(現シンガポール大学)に置かれている軍司令部に集合を命じ、聖旨を伝達、各々その部下を掌握して、軽挙を厳重に戒めたと言います。それでも自決する将校はいたようです。翌日から忠霊塔や昭南神社も跡形なく破壊されました。 祖父もその場にいたと思われます。 民間人の引き揚げ工作には篠崎護氏も加 [続きを読む]