新イタリアの誘惑 さん プロフィール

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新イタリアの誘惑さん: 新イタリアの誘惑
ハンドル名新イタリアの誘惑 さん
ブログタイトル新イタリアの誘惑
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/gloriosa-jun
サイト紹介文ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供104回 / 347日(平均2.1回/週) - 参加 2016/06/03 21:18

新イタリアの誘惑 さんのブログ記事

  • 東京探訪 「千登勢橋」  過ぎ去った季節への哀切を想う瞬間
  •  ある時期、北海道出身の倉橋ルイ子という歌手の歌に魅せられたことがあった。 その中の一曲「幾春別の詩」  遅い北海道の春。廃坑となった炭鉱の町に吹きすさぶ風の冷たさと、荒涼とした風景を思わせる旋律と情感。 彼女独得の声質によって増幅され、胸に迫った。 幾つもの春と別れを告げてきた半生を振り返るとき、戻れない時代への哀切を、その歌に見た。 そして「千登勢橋」。 別れの歌。 池袋という盛り場からほんの [続きを読む]
  • 東京探訪 東京三大たい焼き巡り 人形町、麻布十番、四谷
  •  ある早春の土曜日、友人と夕食の約束をしていたが、夕方まではたっぷり時間がある。そこで、ふと思いついて「東京三大たい焼き巡り」を実行することにした。 かねて評判の高い老舗の3つのたい焼き店、人形町の柳屋、麻布十番の浪花屋総本店、四谷のわかばを一日で巡り、味比べをしてみようという、何ともまあミーハーなプランだ。  まず目指すは人形町。自宅からの電車の都合で半蔵門線水天宮駅で降り、街路にある火の見やぐ [続きを読む]
  • 東京探訪 文京シビックセンターから都心を見下ろす
  •  樋口一葉、石川啄木と、明治の若き天才たちを追う探索を一応終えて、帰りがけに文京シビックセンターに寄った。  ここは文京区役所であると同時に、高さ105mの展望ラウンジを持ち、都心で360度の展望が出来る公共スペース。早速25階の展望ラウンジに上った。 まず、目に入ったのはやはり東京スカイツリー。さすがに634mの塔は高い。 新宿副都心方面には高層ビルがニョキニョキと建っている。 池袋側も高層ビルが [続きを読む]
  • 東京探訪・石川啄木編③ 長男の死、母の死、そして自身の死
  •  朝日新聞社での仕事は、二葉亭四迷全集の編集を任されるなど責任ある職務にも就いた。 そんな中、うれしい出来事もあった。1910年(明治43年)10月4日男児誕生。新聞社入社の恩人である佐藤北江の本名である「真一」の名前を息子につけた。 ただ、この子は生まれながらにして病弱だった。生後わずか27日目にして急死してしまった。 「夜遅く 勤め先よりかヘリ来て 今死にしてふ子を抱けるかな」 実は、処女詩集「一握の砂 [続きを読む]
  • 東京探訪・石川啄木編② 2度目の転居。朝日新聞社勤務を始める
  • 蓋平館別荘での生活が始まったが、それもほどなく解消されることになる。詩歌を創作する日々の中で、しばしば雑誌などに掲載されることもあったが、中には全く原稿料が支払われないこともあり、生活の見通しは一向につかなかった。 そんな中啄木は、朝日新聞編集長佐藤北江が自分と同じ盛岡中学出身ということを知り、全く面識がないにもかかわらず求職の手紙を書く。 すると、意外にも面会承諾の返事が届いた。そこで啄木は自 [続きを読む]
  • 東京探訪・樋口一葉編⑤ 竜泉寺町への転居、「たけくらべ」の舞台が展開する
  •  いよいよの極貧状態に追い込まれた一葉一家は、窮余の一策として商売を始めることになった。1893年(明治26年)7月、下谷区(台東区)竜泉寺町に引っ越しし、荒物や駄菓子を商う店を開いた。 参考までに、周辺の地図を掲載しておこう。 旧居跡には標識があったが、もちろん当時の家は残っていない。 この通りは、ちょうど遊郭のある吉原への通り道。人力車などの通行は夕方から夜にかけて激しくなり、これまで住んでいた菊坂 [続きを読む]
  • 東京探訪・樋口一葉編③ 質屋通い、ほのかな恋の行方
  •  散策に戻ろう。ホテル跡のすぐ下を通る菊坂を西に向いて歩く。 本郷3丁目31の路地を左手に入ると、行き止まりの、しかし落ち着いた小路がある。ここが、一葉が18歳の時に転居した家の露地だ。 当時、父や兄たちが次々と死去、母親と妹を抱えて自らが戸主となって暮らしを支えなければならない苦境に立っていた。 路地の途中には堀抜き井戸があり、ここから汲み上げた水が一葉一家の生活用水となっていた。 「小説を書い [続きを読む]
  • 東京探訪・樋口一葉編② 歌塾「萩の舎」、漱石と一葉が義兄妹に!?
  •  一葉は14歳のころ、小石川安藤坂にあった中島歌子の主宰する歌塾「萩の舎」に入門する。この塾は、主に上流階級の女性に和歌や書を教える私塾で、最盛期には1000人を超える塾生が集ったという。 樋口家は、父則義の事業失敗などで経済は苦境に立たされ始めていたが、青海小学校高等科を首席で卒業した一葉にもっと学問させたいとの父の思いもあり、入塾がかなった。  そうして一葉の十代は、主としてこの萩の舎を中心と [続きを読む]