新イタリアの誘惑 さん プロフィール

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新イタリアの誘惑さん: 新イタリアの誘惑
ハンドル名新イタリアの誘惑 さん
ブログタイトル新イタリアの誘惑
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/gloriosa-jun
サイト紹介文ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供99回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2016/06/03 21:18

新イタリアの誘惑 さんのブログ記事

  • モナリザがヴィトンのバッグに?変身”した!
  •  ポルディ・ペッツオーリ美術館から裏に回ると、ちょっと素敵にカーブする小道があった。 個人的に、こんな一見迷路風な道が大好きだ。 その先にはオメノーニの家。堅固な建物の壁に8人もの巨人が並ぶなかなかの光景。 それぞれの表情は結構怖い。建物の主を守る役目があったのかも。 こんな顔でにらまれたら、泥棒に入ろうなどという気持ちはすぐに消え去ってしまいそうだ。 さらに、その先の広場にあった建物にも、怖そう [続きを読む]
  • ドラマチックなヴェネツィア風景を!
  •  今回持参したカメラには、対象を強いコントラストで写し取る機能が付いていたので、ヴェネツィアの風景でそれを試してみた。ちょっと変わったヴェネツィアをどうぞご覧あれ。 初めはサンマルコ聖堂。聖マルコ像と上空の三日月とが印象的。 鐘楼の見えるラグーナの風景 今回宿泊したホテル近くの運河。運河は特別な雰囲気を醸成してくれる。 そこにゴンドラが通れば、一層の趣が。 運河脇の建物の色が水面に美しく映る場所が [続きを読む]
  • 「ヴォガロンガ」下 競技者と観客が一体となった興奮のイベント
  •  ヴォガロンガのスタートを見送った後、一旦ホテルに戻り朝食を摂ってから散歩がてら歩いてカンナレージョ側に移動した。というのは、レース中水上バスは運航中止になっているので、車の一切ないヴェネツィアでは自分の足しか移動手段はないため。 トレアルキ(3つのアーチ)という橋のところが離島を回って戻ってくるボートたちがヴェネツィア本島の運河に再進入する場所になっている。この辺は運河の幅が狭くなっているので、 [続きを読む]
  • ドイツ人商館屋上からの眺めは、新発見が体験できる
  •  新装なったドイツ人商館。でも貧乏旅人の私には高級ブランドは無縁。お目当ては屋上に設けられた展望スペースだ。 ちょうどリアルト橋のたもとにあるだけに、カナルグランデ(大運河)が大きくカーブを描く地点からの展望が望める。 そのため、鉄道駅(サンタルチア駅)方面とアカデミア橋方面との、運河の2つの流れが両方とも1か所でながめられるという絶好のポイントになっている。 まずは鉄道駅側を見てみよう。真っすぐ [続きを読む]
  • 再びマッジョーレ教会の?至宝”を見る
  • マッジョーレ教会の中については旧ブログで詳しく紹介しているが、ここに寄ったついでに、改めてこの教会の?目玉”を紹介しよう。その1つは外観。サンマルコ広場からの眺めは、何世紀にもわたって世界からやってくる観光客に感動を与え続けてきた。アンドレオ・パラーディオの設計による彼の代表作品だ。 特に、ゴンドラと組み合わされた光景は、いつも立ち止まって見てしまう。 内陣にはティントレットの名作が掲げられてい [続きを読む]
  • ヴェネツィアのメインストリートを俯瞰する
  •  皆様、お久しぶりです。先日イタリアから帰ってきました。 今回の旅は、南はサルディーニャから北はベルガモ、ヴェネツィアまで11都市を巡った来たので、整理に手間取っていますが、まずはヴェネツィアから。 通常、ヴェネツィアを俯瞰する場所というと、サンマルコ広場の鐘楼ということになるが、今日は角度を変えて、同広場の対岸サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の教会に建つ鐘楼からの眺めをどうぞ。  サンマルコ広場 [続きを読む]
  • 東京探訪 「千登勢橋」  過ぎ去った季節への哀切を想う瞬間
  •  ある時期、北海道出身の倉橋ルイ子という歌手の歌に魅せられたことがあった。 その中の一曲「幾春別の詩」  遅い北海道の春。廃坑となった炭鉱の町に吹きすさぶ風の冷たさと、荒涼とした風景を思わせる旋律と情感。 彼女独得の声質によって増幅され、胸に迫った。 幾つもの春と別れを告げてきた半生を振り返るとき、戻れない時代への哀切を、その歌に見た。 そして「千登勢橋」。 別れの歌。 池袋という盛り場からほんの [続きを読む]
  • 東京探訪 東京三大たい焼き巡り 人形町、麻布十番、四谷
  •  ある早春の土曜日、友人と夕食の約束をしていたが、夕方まではたっぷり時間がある。そこで、ふと思いついて「東京三大たい焼き巡り」を実行することにした。 かねて評判の高い老舗の3つのたい焼き店、人形町の柳屋、麻布十番の浪花屋総本店、四谷のわかばを一日で巡り、味比べをしてみようという、何ともまあミーハーなプランだ。  まず目指すは人形町。自宅からの電車の都合で半蔵門線水天宮駅で降り、街路にある火の見やぐ [続きを読む]
  • 東京探訪 文京シビックセンターから都心を見下ろす
  •  樋口一葉、石川啄木と、明治の若き天才たちを追う探索を一応終えて、帰りがけに文京シビックセンターに寄った。  ここは文京区役所であると同時に、高さ105mの展望ラウンジを持ち、都心で360度の展望が出来る公共スペース。早速25階の展望ラウンジに上った。 まず、目に入ったのはやはり東京スカイツリー。さすがに634mの塔は高い。 新宿副都心方面には高層ビルがニョキニョキと建っている。 池袋側も高層ビルが [続きを読む]
  • 東京探訪・石川啄木編③ 長男の死、母の死、そして自身の死
  •  朝日新聞社での仕事は、二葉亭四迷全集の編集を任されるなど責任ある職務にも就いた。 そんな中、うれしい出来事もあった。1910年(明治43年)10月4日男児誕生。新聞社入社の恩人である佐藤北江の本名である「真一」の名前を息子につけた。 ただ、この子は生まれながらにして病弱だった。生後わずか27日目にして急死してしまった。 「夜遅く 勤め先よりかヘリ来て 今死にしてふ子を抱けるかな」 実は、処女詩集「一握の砂 [続きを読む]
  • 東京探訪・石川啄木編② 2度目の転居。朝日新聞社勤務を始める
  • 蓋平館別荘での生活が始まったが、それもほどなく解消されることになる。詩歌を創作する日々の中で、しばしば雑誌などに掲載されることもあったが、中には全く原稿料が支払われないこともあり、生活の見通しは一向につかなかった。 そんな中啄木は、朝日新聞編集長佐藤北江が自分と同じ盛岡中学出身ということを知り、全く面識がないにもかかわらず求職の手紙を書く。 すると、意外にも面会承諾の返事が届いた。そこで啄木は自 [続きを読む]
  • 東京探訪・樋口一葉編⑤ 竜泉寺町への転居、「たけくらべ」の舞台が展開する
  •  いよいよの極貧状態に追い込まれた一葉一家は、窮余の一策として商売を始めることになった。1893年(明治26年)7月、下谷区(台東区)竜泉寺町に引っ越しし、荒物や駄菓子を商う店を開いた。 参考までに、周辺の地図を掲載しておこう。 旧居跡には標識があったが、もちろん当時の家は残っていない。 この通りは、ちょうど遊郭のある吉原への通り道。人力車などの通行は夕方から夜にかけて激しくなり、これまで住んでいた菊坂 [続きを読む]
  • 東京探訪・樋口一葉編③ 質屋通い、ほのかな恋の行方
  •  散策に戻ろう。ホテル跡のすぐ下を通る菊坂を西に向いて歩く。 本郷3丁目31の路地を左手に入ると、行き止まりの、しかし落ち着いた小路がある。ここが、一葉が18歳の時に転居した家の露地だ。 当時、父や兄たちが次々と死去、母親と妹を抱えて自らが戸主となって暮らしを支えなければならない苦境に立っていた。 路地の途中には堀抜き井戸があり、ここから汲み上げた水が一葉一家の生活用水となっていた。 「小説を書い [続きを読む]
  • 東京探訪・樋口一葉編② 歌塾「萩の舎」、漱石と一葉が義兄妹に!?
  •  一葉は14歳のころ、小石川安藤坂にあった中島歌子の主宰する歌塾「萩の舎」に入門する。この塾は、主に上流階級の女性に和歌や書を教える私塾で、最盛期には1000人を超える塾生が集ったという。 樋口家は、父則義の事業失敗などで経済は苦境に立たされ始めていたが、青海小学校高等科を首席で卒業した一葉にもっと学問させたいとの父の思いもあり、入塾がかなった。  そうして一葉の十代は、主としてこの萩の舎を中心と [続きを読む]