帆場暎一 さん プロフィール

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帆場暎一さん: 対論向上委員会チームH
ハンドル名帆場暎一 さん
ブログタイトル対論向上委員会チームH
ブログURLhttp://trcomh.sblo.jp/
サイト紹介文法華講(日蓮正宗)との対論・法論における教学内容の向上を目指します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 100日(平均2.7回/週) - 参加 2016/06/14 23:00

帆場暎一 さんのブログ記事

  • 本山へ参拝しないと功徳がないとのデマ
  • 日蓮正宗より破門されて以降、学会員は当然ですが総本山への登山(参拝)はしていません。まぁ破門されているのですから当然ですが・・・その当然の道理が分からなくなっているのか?法華講では学会員宅を突然訪問してきては、「総本山に登山して、戒壇の大御本尊を参詣しないと成仏できない」などと的を射ていない事を言ってきます。法華講さん「直接、戒壇の大御本尊を参詣しないと成仏できないって御書ありますか?」逆の御書は [続きを読む]
  • 大聖人直結は謗法とのデマを切る
  • ネット上でもよく目にする「大聖人直結」は謗法とのデマを紹介しましょう。佐渡の国法華講衆御返事 歴全1巻『案のごとく聖人の御後も末の弟子共が、誰は聖人の直の御弟子と申やから多く候。これらの人は謗法にて候也。』※ 原文はひらがなですが、漢字をあてています。この日興上人の御書を依文として、法華講では学会の「大聖人直結」を謗法であるとしています。しかし、法華講は重大な自語相違をしています。<大白法 S37年11 [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!法主のみが本尊書写の権能がある
  • 法華講では、学会下附の御本尊は無許可の御本尊であるとの批判をしてくる。富士宗学要集1巻 p112-9 有師化儀抄註解『曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り敢(あえ)て沙弥輩(しゅみのやから)の呶呶(どど)する事を許さんや』※ 有師とは、大石寺第9世の日有の事法主のみが、漫荼羅書写の大権があるとの事だが、日興上人の本六(本弟子六人)の日華(にっけ)は、法主でもないのに御本尊を書写している。日興上人詳伝 p5 [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!歴代法主も開眼が必要と言っている
  • 法華講では、御本尊の開眼供養は大聖人以降の歴代法主も開眼の必要性を言われていると主張します。第二十二世日俊『本門如来寿量品二十三座』 『歴全』3巻 p3『開眼と云うは、眼(まなこ)を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益(やく)も無く用(ゆう)も無し』第三十一世日因※ 出典を失念『木絵の二像は本(も)と草木にて有り、然(しか)るを生身の妙覚の仏と開眼したまふ事は大事至極の秘曲(ひぎょく)なり、日 [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!授与書き・脇書きを削る
  • 法華講は、よく学会の本尊は「授与書き・脇書き」を削除した変造本尊だから、ニセ本尊だ!との批判をしてきます。富士宗学要集8巻 第三漫荼羅脇書等 p178弘安三年の日禅授与の大聖人御筆漫荼羅に、『殊更に文字を抹消したる所を判読すれば』とあり、大聖人御筆漫荼羅に日興上人加筆の部分を殊更に抹消している箇所があります。歴史に詳しい法華講は、重須(北山本門寺)に武田の軍勢が押し入って、奪っていった本尊だから宗門が [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(10)完
  • (前回のつづき)論点(5)加える「経典」が重要、「法華経」こそが純円の仏となる「経典」開眼供養と言っても、「法華経」こそが純円の仏となる「経典」であり、木像・絵像に欠けている「梵音相」を目に見える形としてあらわされた相です。しかも日蓮大聖人は、ご自身の御本尊を法華経のすりかたぎ(摺形木)と言われています。すりかたぎ(摺形木)とは、そのままコピー複写したとの意味です。日女御前御返事 御書p1243『此の [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(9)
  • (前回のつづき)論点(3)と(4)「梵音相」=「清浄なる仏の声」=「経典」を加えることで三十二相が具足木像・絵像では「梵音相」をあらわすことができないので、「経典」を加えることで三十二相を具足させます。もし曼荼羅本尊にも「梵音相」が欠けているとするなら、勤行の際に「経典」=法華経の経本を置いていますから、その時点で具足してますね。あれ?簡単なことですね?(つづく) [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(8)
  • (前回のつづき)論点(2)木像・絵像は、三十一相しかなく「梵音相」がない。そもそもが、木像・絵像の開眼の事ですね。日興上人は、「富士一跡門徒存知の事」で、日蓮大聖人の法門では絵像・木像の仏は本尊ではないと断言されています。その本尊でないモノの開眼を曼荼羅本尊(大聖人の御本尊)に当てはめること自体が可笑しな発想です。富士一跡門徒存知の事 御書p1606『日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(7)
  • (前回のつづき)論点(1)仏とは三十二相を具足している。三十二相八十種好の色法を備えた仏とは、色相荘厳の仏です。色相荘厳の仏は、正法・像法時代の仏です。日蓮正宗は自宗の法主「日寛」の六巻抄「文底秘沈抄」で、三十二相の仏が「虚仏」となっていることを知っているのでしょうか?文底秘沈抄「若し色相荘厳の仏は是れ世情に随順する虚仏なり」論点(1)の三十二相の仏とは、そもそも正法・像法時代の仏です。(つづく) [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(6)
  • (前回のつづき)法主の特別な秘伝による「開眼供養」が無ければ、魂が無いニセ本尊と言うのが法華講(日蓮正宗)の理屈です。それでは論点を整理してみましょう。(1)仏とは三十二相を具足している。(2)木像・絵像は、三十一相しかなく「梵音相」がかけている。(3)「梵音相」とは、目に見えない「清浄なる仏の声」(4)「梵音相」を目に見える「経典」として加えることで三十二相が具足(5)加える「経典」が重要、「法 [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(5)
  • (前回のつづき)三十一相の木像・絵像の前に、経典を置くことで三十二相が具足した仏となると、御書「木絵二像開眼之事」で言われています。木絵二像開眼之事 p468-18『法華経の文字は、仏の梵音声の不可見無対色を、可見有対色のかたちとあらはしぬれば、顕・形の二色となれるなり。滅せる梵音声、かへて形をあらはして、文字と成りて衆生を利益するなり。』法華経の文字こそが、開眼で供養すべき三十二相のうちの一相「梵音声」 [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(4)
  • (前回のつづき)大聖人は、木絵二像の開眼について、更に以下のように言われています。木絵二像開眼之事 p468-10『木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり。但し心なければ、三十二相を具すれども必ずしも仏にあらず。(中略)三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつれば必ず純円の仏なり云云。』梵音声として、経を供養する事で三十二相が具足しますが、どの経を供養するのかが重要であり、法華経こそが純円の仏 [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(3)
  • (前回のつづき)三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)とは、仏の身体に備わっている特徴のことで、見てすぐに分かる三十二相と、微細な特徴である八十種好を併せたものを言います。木絵二像は、三十一相までしか表現できないため、三十二相にするためには木像・絵像では表現できない「梵音声」を後から追加する必要があります。この「梵音声」を加えることを「開眼」であると言われているのです。木像・絵像では [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(2)
  • (前回のつづき)「木絵二像開眼之事」で木像・絵像の開眼について、以下の通りに言われています。木絵二像開眼之事 p468-6『仏に三十二相有り、皆色法なり。最下の千輻輪より終り無見頂相に至るまでの三十一相は、可見有対色なれば書きつべし作りつべし。梵音声の一相は、不可見無対色なれば書くべからず作るべからず。仏滅後は木画の二像あり。是れ三十一相にして梵音声かけたり。故に仏に非ず。又心法かけたり。』仏とは三十二 [続きを読む]
  • ニセ本尊デマを切る!木絵二像開眼之事(1)
  • 法華講は『唯授一人の血脈があるご歴代猊下様の書写と開眼がなければ、学会の本尊は仏力・法力も、魂もないニセ本尊だ!』と主張してきます。その依文としている御書が「木絵二像開眼之事」です。ニセ本尊デマについては、数回に渡り破折していきます。木絵二像開眼之事 p469-17『法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。』上記を依文として、法華講は「開 [続きを読む]
  • 新聞啓蒙に対する批判
  • 諸宗問答抄 p381『文字は是れ三世諸仏の気命(いのち)なり』蓮盛抄 p153『仏は文字に依って衆生を度し給うなり』蓮盛抄 御書p153『願わくは諸の衆生悉く皆出世の文字を受持せよ』池田先生のスピーチ「人を救う文字」を広める。配達する。―その方は、立派な弘法をされていることに通じる。功徳も生々世々に続き、また家族にも及んでいく。(1994・4・23 本部幹部会のスピーチ) [続きを読む]
  • 選挙支援に対する難癖
  • 守護国家論 p84『若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり』観心本尊抄 p254『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。』そもそも、大聖人は『立正安国論』で北条政権に対して、宗教政策を改めるように諌言(かんげん)したのですから、蓮祖・大聖人から政治に対して真正面から関わってきているのです。 [続きを読む]
  • 難しい事は分からないと言って逃げる法華講には
  • 諸宗問答抄 p375-17『若し教相(きょうそう)に闇(くら)くして法華の法門を云ん者は雖讃(すいさん)法華経還死(げんし)法華心とて法華の心を殺すと云う事にて候』伝教大師の法華秀句の文「雖讃法華経・還死法華心等云云」とは、「法華経を讃(さん)すと雖(いえ)ども還(かえ)って法華の心を死(こ)ろす」「法華の心」=「法華経の肝心」とは、題目の事種種御振舞御書 p910-L18『法華経の肝心諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字末法の始に一 [続きを読む]
  • 良観と一緒で、自語相違は天魔だよ
  • 頼基陳状 p1157-9『抑(そもそも) 生草(いきぐさ)をだに伐(き)るべからずと六斎日夜の説法に給はれながら、法華の正法を弘むる僧を断罪に行はるべき旨申し立てらるるは、自語相違に候はずや 如何。此の僧豈(あに)に天魔の入れる僧に候はずや。』(極楽寺良観は)「生きている草も切るな」と説法し聖僧のような面(つら)しておきながら、日蓮大聖人の竜の口の法難では、「後家尼」など女房連中をけしかけて、死罪にしようとした。これ [続きを読む]