セルフコラボレーション、この趣味とあの趣味をコラボ さん プロフィール

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セルフコラボレーション、この趣味とあの趣味をコラボさん: セルフコラボレーション、この趣味とあの趣味をコラボ
ハンドル名セルフコラボレーション、この趣味とあの趣味をコラボ さん
ブログタイトルセルフコラボレーション、この趣味とあの趣味をコラボ
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/idealblog2
サイト紹介文日本の城、写真、ダートレース等の趣味を相互に関連づけて趣味を深く追求!
自由文三重県を中心に徹底訪城、伝えて残したい山城遺産。時々ダートレースで若さを保ちつつ、セルフコロボレーションを試みる。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供88回 / 365日(平均1.7回/週) - 参加 2016/07/05 22:30

セルフコラボレーション、この趣味とあの趣味をコラボ さんのブログ記事

  • 赤木城
  • 城名 赤木城住所 熊野市紀和町赤木築城年 天正17年(1589)築城者 藤堂高虎、羽田長門守形式 平山城遺構 曲輪、堀切、石垣(野面乱層積)、水溜規模 東西100×南北170m 城主 藤堂佐渡守標高 230m比高 22m歴史 天正13年(1585)北山郷民が検地に反対して一揆を起す。まだ国内での検地の実績は11%程度で一般的ではなかった。 羽柴秀長が自ら出陣し犠牲を払いながらも鎮圧した。この冬は大雪のため成敗 [続きを読む]
  • 宮山城
  • 戸木三城;戸木城、宮山城、城山城 城名 宮山城読み みややまじょう住所 津市久居戸木町(へきちょう)敏太(とした)築城年 天文年間(1554頃か)築城者・城主 木造具正形式 平山城遺構 曲輪、土塁、空堀規模 50×70m標高 42m比高 20m歴史 戸木本城と同時期、出城(北の備え)として天文年間(1554頃か)に築城された。小牧長久手の戦いの時、羽柴秀吉側の家所帯刀一隊が風早池の西に陣を構えた。織田信雄 [続きを読む]
  • 城山城
  • 戸木三城;戸木城、宮山城、城山城 城名 城山城読み しろやまじょう住所 津市久居戸木町(へきちょう)城山築城年 天文年間(1554頃か)築城者・城主 木造具正形式 平山城遺構 曲輪、土塁、空堀規模 70×70m標高 31m比高 8m歴史 戸木本城と同時期、出城(北の備え)として天文年間(1554頃か)に築城された。 小牧長久手の戦いの時城山城は落城し秀吉方の軍に乗っ取られ、戸木城攻めに利用されたと思われる [続きを読む]
  • 戸木城
  • 戸木三城;戸木城、宮山城、城山城 城名 戸木城(へきじょう)住所 津市戸木町桃里築城年 天文23年(1554)築城者 木造具政(北畠具教の弟で木造家へ養子)隠居所として築城 - 天正12年(1569)(子)木造長正が戦いの城に増強形式 平山城遺構 全壊(堀らしき片鱗が一部に残る)規模 東西160m標高 21m 比高11m城主 木造具政 - 長正歴史 信長の侵攻を助けたのは皮肉にも北畠具教の弟であり木造家の当主 [続きを読む]
  • 法性寺
  • 法性寺 ほうしょうじ住所 松阪市曽原町標高 1.0m歴史 蘇原城主天花寺氏の菩提寺 江戸時代は「曽原の道場」資料 案内看板 松阪市の指定文化財案内環境 曽原城跡から東へ300m。北方面から見た場合、雲出川を渡ると松阪を守る最初のラインで防衛の際は最前線になったと考えられる。曽原城と法性寺が東西横一線に配置されているのもそんな理由があるのかもしれない。銅鏡 平安時代のもので鏡面に三尊仏の毛彫りが [続きを読む]
  • 柚原中世墓
  • 松阪市柚原町寺谷の谷に突出した尾根突端部にある。室町時代のものと比定されている。土饅頭形をした盛土があり宝篋印塔3基が現存し、内1基が墓域とともに史跡に指定されている。笠の隅飾突起は室町時代の特色を示す。墓域には土師器片・常滑製陶器片・人骨片が散乱しており、盗掘により常滑の骨壷が出土した。壷は高さ16cm、広い平底を有するもので室町時代後期頃と推定され、指定の石塔の時代比定とも合致する。(松阪市HP [続きを読む]
  • 岩内城
  • デジブック 『山城遺産 岩内城』 城名 岩内城住所 松阪市岩内町築城年 室町時代形式 山城遺構 曲輪、堀切、帯郭、竪堀規模 東西100m×南北80m 兵の数約500人城主 岩内主膳正光安(北畠13人衆の一人)標高 180m比高 80m歴史 北畠は迎撃態勢の一環として岩内城には岩内御所一族(岩内主膳正光安)兵500を置き、信長の侵攻に対抗しようとした。信長は近隣の岩内城と阿坂城に降伏勧告(和睦案)を出し [続きを読む]
  • 天ヶ城
  • 天ヶ城 平成29年8月9日 岩内城より天ヶ城に改定城名 天ヶ城住所 松阪市岩内町/伊勢寺町築城年 室町時代形式 山城遺構 郭、帯郭、土塁規模 35×40m 兵の数約500人城主 岩内主膳正光安(北畠13人衆の一人)標高 420m比高 310m歴史 北畠は迎撃態勢の一環として岩内城には岩内御所一族(岩内主膳正光安)兵500を置き、信長の侵攻に対抗しようとした。信長は近隣の岩内城と阿坂城に降伏勧告(和睦案)を出 [続きを読む]
  • 赤城
  • 赤城はあった!!!赤城(野村城)あかじょう(のむらじょう)一か月前のこと松阪市の遺跡をまとめた資料によると「赤城」は城跡ではなく集落の名称である。しかも訪ねた場所は赤城集落ではなくそばの美濃田古墳群であった。しかし、写真で分かるように中世平城の風情が感じられ城跡として見れば十分見れるものだ。切岸、土塁、郭など一通り揃っている。石垣が散見されるがこれは後世のものだと推定した。赤城 5月31日 新展開 [続きを読む]
  • 星合氏館
  • 星合氏館 ほしあいうじやかた 城名星合氏館住所三重県松阪市星合町里中築城年永生年間に築城し居城とした(1504〜1521)築城者北畠政郷の三男・北畠頼房(星合頼房⇒大河内頼房)形式居館遺構無し規模東西100m×南北160m城主星合(大河内)頼房---具種(坂内具佑)---具?---標高2m歴史廃城時期;元亀3年経緯 北畠政郷の三男・頼房が永生年間にこの地に館を築き住まいした。 兄の材親の信頼厚く伊賀甲賀の乱では大 [続きを読む]
  • 佐藤氏館
  • 跡地に建つ金剛寺さとううじやかた佐藤氏館館主;佐藤氏築城時期;不明住所;三重県松阪市肥留町遺構;なし位置づけ;伊勢平野の中にあり雲出川の南を守る。伊勢街道に面して館は 造られていた。東1.5Kmに星合氏館、南東1.5Kmに曽原城、南西2 Kmに須賀城がある。経緯;佐藤家文書によると織田信長が伊勢に侵攻してきた時北畠氏は佐藤  氏に天花寺城に入るように命令している。そこで織田軍と籠城戦を行 [続きを読む]
  • 神山城
  • 神山城(こうやまじょう) 住所;三重県松阪市中万町字川の上 築城年;延元2年(1337)城主;潮田刑部左衛門尉幹景(うしおだぎょうぶさえもんのじょうみきかげ) 神山城は本流櫛田川を南に見下ろし脇に孫川を、向う岸には佐奈川と祓(はらい)川を持つ水運に有利な場所にあり住所が示す通り城は川の上にある。 古墳時代以前、倭姫命(やまとひめのみこと)が四年間にわたって大神を奉斎した「飯野の高宮」が山頂にあったとある [続きを読む]
  • 尾岳館(オタケヤカタ)
  • 尾岳館 神山城の西1Kmのところに尾岳館跡がある。時代、館主は不明。館跡は射原垣内(イハラカイト、垣内=荘園の古い言い回し )遺跡の範囲内にある。丘陵の平坦地に土塁で仕切られた区画がある。当時の整然とした館などの建築物や生活までもが想像される。また敷地内には射原垣内古墳もあり歴史を感じるロケーション。神山城、尾岳館跡、周辺の田んぼ、豊富な水脈とセットでいにしえの荘園を想像させる。時代は異なるが中万町 [続きを読む]
  • 戸垣内館
  • 戸垣内館 築城時期、城主;不明住所;三重県松阪市八太町戸垣内位置づけ;矢倉山城の北鹿で熊野街道の脇       丘陵地の先端遺構;100×100m程の平坦地、切岸感想;この地域の荘園領主であったかも知れない。    近辺には集落跡の遺跡が散在し荘園の形を成していたのではなかろうか。    矢倉山城の城主であった可能性がある。    矢倉山城は詰城としての意味合いが強いかもしれない。地図;https://www.google [続きを読む]
  • 上山城
  • 上山城 読み;うえやまじょう住所;三重県松阪市御麻生薗町本郷字上山222番地 築城年、城主;不明 県道脇の西光寺の東の道を上ると間もなく遺構らしきものが見えてくる。 近辺では櫛田川と山が迫った通行条件の厳しい地理である。 40m四方の平坦地は曲輪跡だろうか。3m高さの土塁もはっきりと確認できる。石垣や道は後世のものかも知れないが違和感なく納まっている。 東の斜面は池に向かって急峻で地形も変形が [続きを読む]
  • 六呂木城
  • 六呂木城 城名 六呂木城(ろくろぎじょう)住所 松阪市六呂木町落城年 天正11年、具親の挙兵に与して落城した。築城者 六呂木氏(むろきし)形式 山城遺構 曲輪、空堀、切岸規模 東西110×南北70m城主 六呂木十之右衛門実忠標高 140m比高 20m歴史 天正11年(1583)多気郡波多瀬城の城主波多瀬三郎実徳は15歳で、叔父山副十六兵衛実有・六呂木十之右衛門実忠兄弟とともに北畠具親に与して挙兵する。  [続きを読む]
  • 大石御所(館)
  • 城名 大石御所住所 松阪市大石町御所屋敷築城年 永生8年(1511)か築城者 北畠材親(きちか)形式 居館遺構 曲輪、切岸規模 東西100×南北100m城主 北畠材親 儒学に通じた文化人である一方、仏教に深く帰依した信心厚い人物でもあったといわれている。真盛上人(注1)に諭され隠居を決意し大石に館を建てたのではないか。標高 100m比高 10m歴史 永正8年(1511年)、病を理由に剃髪し、家督を嫡男 [続きを読む]
  • 朴ノ木砦・朴ノ木屋敷・花木館跡
  • ほおのきとりで・ほおのきやしき・はなのきやかた跡屋敷跡に立つ伝承の石 城名 朴ノ木砦・朴ノ木屋敷・花木館住所 松阪市小片野町奥出朴木坂築城年 不明築城者・城主 朴ノ木隼人正形式 居館遺構 石規模 東西60m×南北100m標高 80m(比高 0m)歴史 北畠具親蜂起の際、具親に組したため織田信雄に制圧された。書籍 伊勢名勝志参考資料 石野木新聞、大石公民館だより環境 現地の西に山がある。朴ノ木砦の言 [続きを読む]
  • 小牧長久手の戦い その②
  • その②  7月10日 浜田砦を申し付け、普請が完成次第長島へ帰城する旨を報じる。(信雄→吉村氏吉) 7月12日 信雄方の木造具政・具康が籠城している戸木城へ兵糧米を搬入しようとしたが、長引く強風のため輸送ができないことを伝える。戸木城においては堅固に籠城を継続することを指示。(家康→木造具政・具康) 7月14日 浜田砦を敵が攻略したことを了承。敵にとっては萱生砦へのつなぎの城になるだろう、との考えを示す。秀 [続きを読む]
  • 小牧長久手の戦い その①
  •  小牧・長久手の戦いはその名の示す通り愛知県が主戦場であった。しかし、羽柴秀吉と織田信雄・徳川方の戦いは南は三重県の中勢から北は北陸まで広範囲に影響した。 三重県教育委員会・竹田憲治氏の時系列データベースから抜粋して三重県に関係の深い事柄と小牧長久手周辺の事柄をを列記する。その① 天正12年(1584) 3月9日 秀吉軍の先手が3月11日には関に到着する予定となり、秀吉本隊も11日に坂本を出立予定であること [続きを読む]
  • 波多瀬城
  • 城名波多瀬城住所多気町波多瀬字小屋城 波多瀬集落の中央の丘陵頂部築城年天正年間築城者野呂實秀形式山城遺構平坦地のみで他に遺構はない。東側の登城道だけが面影を忍ばせる。城主波多瀬三郎実徳標高120m比高30m歴史 野呂越後守實吉の次男實秀が波多瀬(奉瀬)に居住し五箇篠山城の支城として築城大永年間1525波多瀬観音寺建立永禄年間1558-1569織田信長伊勢攻略で焼失永禄十二年1569 [続きを読む]