おもん さん プロフィール

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おもんさん: 徒然日本史
ハンドル名おもん さん
ブログタイトル徒然日本史
ブログURLhttp://ohmon.net/
サイト紹介文戦国時代をメインにした日本史ブログです。自分の勉強も兼ねてます!自由に思うがまま執筆します。
自由文戦国時代が大好きです。どうしても片寄ってしまうかもですが、いろんな時代をいろんなテーマで書いていきます。専門的や小難しいことは書きません!入りやすいような書き方や私見を心掛けていきます!ニュースや話題になったものなど、分かりやすい書き方を心掛けますが、文章力がついていけるかどうかが懸念です…!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供139回 / 208日(平均4.7回/週) - 参加 2016/08/31 22:09

おもん さんのブログ記事

  • 伊達政宗 たられば2
  • 政宗が天下を取るために南下することが容易ではないこと。それは当時の奥州、北関東は化け物クラスの英雄、豪傑の類いがウヨウヨいたから。まず仮に政宗が初陣とほぼ同時に天下統一の戦いを初めるとして最大の障壁となるのが、会津の芦名家でしょう。史実では1589年に芦名は一族の世代交代に大失敗をやらかして、それを政宗につけこまれて滅亡していますが、1570年代当時の芦名は当主、盛氏が優れた外交手腕を発揮し、近隣の田村、 [続きを読む]
  • 伊達政宗 たられば1
  • 日本史にまつわる文献や映像作品を愛する友人と歴史ネタ、特に戦国ものの談義をするときに「武田勝頼が長篠を避けてたら、武田は存続してたのかなー」とかみたいなタラレバ話で盛り上がるのはお決まりの展開ではないでしょうか?今は亡き戦国の英雄たちにロマンを抱きながら仲間と上手い酒を酌み交わす……歴史ファンにとってまさしく至福の時ですね。しかし、そんなタラレバ話を妄想に留めるに飽き足らず、実際に豪語している人と [続きを読む]
  • 戦国時代の保存食
  • 3月になると東日本大震災を教訓に各種防災グッズがお店に並びますね。保存の利く食料は今も昔も研究され続け、現代では化学反応などで、火がなくても温かいご飯(カレー、牛丼、シチューなど)が食べられる優れものありますよね。まあ、そんな便利な保存食はつい最近のものとして、昔からある保存食はなんでしょうか?思うには日本が保存食研究に一番最初に力を入れていた時期は戦国時代ではないでしょうか?一説には朝、昼、晩の3 [続きを読む]
  • 徳川の盤石さと豊臣家の運のなさ
  • 徳川と豊臣の関係の歴史小説とかドラマを見ていると豊臣が滅びる原因は明らかで、徳川の世になったのは当たり前という描き方をしているものが多く見受けられます。しかしながら豊臣秀吉が亡くなる以前に、この既定路線みたいな事はなかったと個人的には思います。 あれだけ、経済的にも豊かでほとんどの大名を服従させた豊臣政権がもろくもくずれさったのは、中心人物や要の大名が家康より先に亡くなるという不運が一番にあげられ [続きを読む]
  • 戦国時代を考える4
  • 戦国時代の日本は、無政府状態でした。足利将軍の室町幕府があったけど応仁の乱が起き、それ以降は政権運営能力はなくなってしまいました。大名たちは領地をたくさん持ち財力を蓄え多くの兵を養ったものが、天下を取るために一番近い立場にあるわけです。戦が決まると、今度はその準備をします。大きないくさの場合は、必要な兵士と武器を揃えなければなりません。大名や場合によっては軍師(要は参謀ですね)が出陣の日取りを決め [続きを読む]
  • 戦国時代を考える3
  • 戦国時代と言う言葉は、明治維新以降に作られた言葉で、実は学術的には戦国時代と言った時代名称はありません。室町時代以降から秀吉が天下をとる安土桃山時代が始まるまでの間を戦国時代と言われてますが、一体どんな時代なんでしょうか。約100年間の間、何故争いが起きたのでしょう。人により様々な意見がありますが、応仁の乱や北条早雲の伊豆侵攻など時代が動いたタイミングを戦国の始まりと見ることに異論はないと思います。 [続きを読む]
  • 戦国時代を考える2
  • 戦国時代は、日本全国を群雄が割拠して天下統一を目指し合って争った戦乱の時代のことをいいます。戦国時代の初期には、多くの権力者が日本の各地に大小さまざまな国を乱立させていました。この状態のことを群雄割拠と言います。そして争いの末、生き残って徐々に勢力を広げていった権力者が、後に大名と呼ばれました。特に群雄がひしめいていたのが関東から中部地方だそうです。当初は徳川家康は今川家の配下で、豊臣秀吉は織田家 [続きを読む]
  • 長野業正 〜上州の忠将〜
  • 室町幕府が衰退を極め、将軍や公家の力は萎え、新興勢力や国衆たちが力を持ち争いが絶えなかった戦国時代。特に甲斐の名門・武田家、相模の風雲・北条家、越後守護代・長尾家の台頭により、関東平野は激戦の地でありました。彼らの圧迫により完全にかつての力を失っていた上州平井城主にして、関東管領職に就いていた上杉憲政は窮地際まれりとみて、上杉衰退の切欠となった河越夜戦(1546)より6年後の1552年、かつての仇敵・越後長 [続きを読む]
  • 室町時代 北山文化と東山文化
  • 南北朝時代には、動乱のなかで時代の転換期を見すえた歴史書や軍記物語が書かれました。北畠親房は、南朝の皇統の正統性を論じた歴史書「神皇正統記」をあらわしました。軍記物語では、南北朝動乱をえがいた「太平記」がまとめられました。3代将軍の足利義満のころの文化は、義満が京都の北山の別荘にたてた華麗な金閣に代表されるので、北山文化とよばれます。このころ幕府は武家社会に広まった臨済宗を保護し、五山の制をととの [続きを読む]
  • 室町時代 一揆の台頭
  • 戦国時代の前の時代と言えば室町時代です。室町時代と言えば足利尊氏から始まる足利幕府ですね。室町と戦国の狭間は微妙なところではありますが、それゆえに当然近い部分も多くあります。室町後期から戦国時代にかけての大名にとって一揆は非常に大きな問題でした。1488(長享2)年におこった加賀の一向一揆は、一向宗(浄土真宗本願寺派)の勢力を背景としていました。蓮如(1415〜99)年は、本願寺派の再興をめざして阿弥陀仏の救いを [続きを読む]
  • 都市と町衆
  • 戦国大名は分国支配の強化をめざして、富国強兵策をすすめました。そのために各大名はいろんな政策を行っています。領国を豊かにするため、治水・灌漑事業に力をいれて農業を盛んにするとともに、土地を調査して税を定める検地を行って、農村からのあたらしい収入を確保しました。鉱山開発などの諸産業をおこし、居城の城下を領国の経済の中心地として城下町をつくり、商業も盛んにしました。中央から文化人を招いて、文化が発展す [続きを読む]
  • 石田三成 事実は勝者によって歪められる?
  • 勝者が歴史を作る面は否めないと思います。この件については以前も書いたことがあります。負けたことで実像と異なる評価や伝承がなされている人物はたくさんいると思います。石田三成もその中の一人だと思います。天下分け目の関ヶ原の戦い以降、石田三成は極悪人のように扱われることが多く、大河ドラマでも冷淡な表情もできる俳優をキャスティングしていたりします。けれども、石田三成は本当はそこまでの嫌われ者ではなかったと [続きを読む]
  • 本能寺の変と山崎の戦い 黒幕がいる?
  • 1582年に織田信長が本能寺にて明智光秀に討たれてからわずか11日後に、当時信長より中国の毛利攻めに行くよう指示されていた羽柴秀吉が主君信長の仇を討とうと打倒明智として動いたのが山崎の戦い、通称天王山の戦いです。現代でも、何かしらの山場のことを「天王山」と言うことがありますが、その語源はこの山崎の戦いの中の要所であった天王山から来ています。この戦いは一見ただ秀吉が主君の仇を討とうと躍起になった戦いのよう [続きを読む]
  • 伊達政宗 ハーフ?
  • 伊達政宗といえば、「独眼竜正宗」と呼ばれるくらい、後世の私たちにとっては「右目に眼帯をした武将」として知られた武将です。大河ドラマにもなりましたし、人気の戦国武将です。政宗の右目については色々な説があり、一般的には天然痘の痕を隠すためとも言われていますが、中にはスペイン人の血を引く証である「オッドアイ」を隠すためだったとも言われています。「まさか!?」と仰天するような説でよね!今回は、この異国の血 [続きを読む]
  • 戦国時代を考える
  • 日本の歴史上の時代の中でも、戦国時代はよく話題に上がります。戦いの悲惨さやむごい話も多いのですが、何と言っても激動の時代でやっぱり華やかなイメージがあるからでしょうか。テレビドラマなどにもなり、戦国の武将たちの名前もよく知られるようになりました。戦国時代の印象として、激動の時代で登場人物が生き生きとしているイメージがあります。戦国時代はいつからいつまでなのかは、実ははっきりしていなく、戦争が続いた [続きを読む]
  • 戦国時代の終わり
  • 戦国時代は日本の歴史のなかでも特殊な時代で、「織田がつき羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うが徳川」なんてことわざがありますが、決して徳川家康は楽をして幕府をおこしたわけではありません。さて戦国時代は織田信長の出現によって様相を呈してくるのですが、そのきっかけとなったのが「桶狭間の戦い」です。公家かぶれの今川義元の大軍勢を深夜の奇襲攻撃で義元の首級を取ったのは有名な話ですね。義元は公家かぶれで、大 [続きを読む]
  • 応仁の乱2 乱後
  • 応仁の乱は長く続いた一連の戦い、抗争、政略などを統括した乱ですが、この乱を契機に地方のあり方も大きく変わりました。応仁の乱後、京都は荒れ果て生活基盤を失った京都の公家や僧たちは地方にくだり、大名を頼りました。地方の大名たちも、彼らを積極的に迎えました。対明貿易で栄えていた大内氏の城下町山口には、多くの文化人が集まり、儒学や古典の研究・出版が行われました。関東でも、15世紀の中ごろに関東管領上杉氏が足 [続きを読む]
  • 応仁の乱1 
  • 戦国時代を考えるにおいて応仁の乱を外すことはできません。戦国時代という一時代が始まる前に起こった乱です。教科書にも必ず出てくるので聞いたことがない人はほとんどいないのではないでしょうか。この乱を契機に日本は大きな転機を迎え、やがて戦国時代へと突入していくのですから。15世紀の後半になると、将軍の権力の座は大きくゆらぎはじめていました。8代将軍の足利義政の時代には、政治・社会が混乱するなかで管領の細川 [続きを読む]
  • 武田信玄 内治政策 〜治水 甲州法度〜
  • 内治政策治水事業戦国大名にとって国力の基盤となるのは、生産に従事する農民と戦闘力を構成する家臣団である。特に兵農未分離の当時は、農民は米を始めとする主食の生産者であると同時に軍隊組織の末端機構としても重要な機能を果たしていた、。思慮深い信玄は国力増強と同時に農耕対策としても治山・治水・新田開発・検地・人口増加策などの政策をもって富国強兵の基本とした。ではその中の治水としての信玄堤を簡単に述べる。甲 [続きを読む]
  • 武田信玄 内地政策 〜治山〜
  • 内治政策戦国時代を考えると、どうしても華やかな合戦ばかりに気を取られるのは否定できない。しかし、信玄は合戦だけでなく内政にも大きな力を注いでいる。「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵なり」という有名な言葉は甲陽軍鑑にもあるが、これは信玄が人身掌握を重要視していたことをあらわしているのではないか。もっとも、信玄の時代の甲斐には近代城郭に見られるような強固な石垣は存在せず、信玄が「人は石垣」 [続きを読む]
  • 武田信玄 対外政策 〜外交1〜
  • 外交信玄が行った外交政策は有名な所では「信長包囲網」「一向宗との協力」「同盟政策」などが有名であろう。信玄が直接行った外交ではないが、ここでは武田家発展の大きな役割を果たした甲相駿三国同盟に焦点をあててみる。この同盟の意義は武田・今川・北条の三大名が成長する契機となったことである。目的は後顧の憂いをなくし、各々の軍事目標に専念することであり、締結は天文23年(1553)である。この年は今川と北条の間に紛 [続きを読む]
  • 武田信玄 対外政策 〜合戦3〜
  • 合戦三方ヶ原の戦い越後の謙信を一向一揆と結ぶことで、相模の北条氏政を相甲同盟を結ぶことで、背後の憂いをなくした信玄は元亀三年(1573)十月、念願の西進を開始する。信玄は51歳であり、人生50年といわれた戦国時代においては決して若くはない。しかも労咳によって健康状態は悪かったが、長年の野望である西進すなはち上洛を目指したのである。 武田軍が西進する進路は北陸路・中山路・東海路が考えられる。このうち、北陸路 [続きを読む]
  • 武田信玄 対外政策 〜合戦2〜
  • 合戦川中島の戦いこの合戦は北・南信濃大部分を平定したことを最大の要因として、上杉謙信との対立から派生した合戦である。というのも、信濃平定により小笠原長時と村上義清が謙信を頼り越後に落ち延びたからである。 武田・上杉両軍は合計5回川中島で戦ったといわれるが、最も激しい戦いだったのは永禄四年(1561)の第4回目の「八幡原の戦い」である。武田軍2万、上杉軍1万3千の極めて大規模な戦いだった。 この合戦では、弟の [続きを読む]
  • 武田信玄 対外政策 〜合戦1〜
  • 合戦信玄は多くの合戦をしている。その中から主要な合戦と思われるものを四つ取り上げてみよう。志賀城攻め天文一六年(1546)の合戦である。この戦は信玄初期の合戦として大きな意義を持ったものである。この年に信玄は甲州法度之次第を発布している。つまり、憲法制定直後の遠征と言うことであり、信玄に不平を持つ者がこの機に反乱を起こす懸念がある。その豪族達が信玄の指揮に従うかどうかを試す、いわば、家臣団の忠誠の試金 [続きを読む]
  • 武田信玄 武田家の概要 〜父信虎との関係〜
  • 父信虎との関係成長期大永元年(1521)信虎の長男として石翠寺で生まれる。幼名は勝千代、元服後に晴信と名乗る。幼少の頃のエピソードは多い。例えば、大量の貝殻を積み上げておき、家臣にその数を推察させたところ、大方が一万、二万と答えたため、信玄は嘆息し、「わずか三千七百の貝殻を二万と間違えるなど、これが戦場の兵数推量であったらどうするか」と言ったとすることや、父信虎に背いて功をあげたと言う16歳の初陣説など [続きを読む]