末永能登守14611514 さん プロフィール

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末永能登守14611514さん: 土芥の一類〜奥州葛西家臣末永氏一族〜
ハンドル名末永能登守14611514 さん
ブログタイトル土芥の一類〜奥州葛西家臣末永氏一族〜
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/notnokami14991006
サイト紹介文葛西一族とその家臣末永一族の視点から、郷土史、日本史の闇に埋もれた声なき声を明らかにしていきます。
自由文時は鎌倉時代から戦国時代、現在の宮城県北から岩手県南にかけて蟠踞した武家の一族葛西氏の家臣末永氏。我が母方の先祖とされるこの一族、時に主君に謀叛を起こしながらも家老にまで立身を遂げた叛骨気鋭の武者ぶりを、様々な視点から論じ、滅びし者達の声無き声を明らかにするブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供163回 / 238日(平均4.8回/週) - 参加 2016/09/03 00:53

末永能登守14611514 さんのブログ記事

  • 第九章77虚空の柏・蒙古襲来前夜の上を下への大騒ぎ
  • 蒙古の使者らが実質何もしないで帰って来たことや、一命捧げる勢いで忠誠を誓った筈の高麗王国が実はそうでもなかったことに、クビライ=カアンは機嫌を悪くし、今度は高麗王国に直接使者を派遣するよう命じます。文永4年(1267)12月1日、90代亀山天皇に第2皇子世仁親王が誕生します。文永5年(1268)1月1日、高麗王国からの使者潘阜(パン・プ)一行が大宰府に到着、大蒙古国皇帝奉書なる、被征服者による征服者の貶称を征服者が [続きを読む]
  • 第九章75虚空の柏・宗尊親王廃立と吾妻鏡終了
  • この頃の「吾妻鏡」は本当にやる気が感じられません。そして天変地異も、異例の行事も、罹患も、これより勃発する政変のフラグであるように感じます。文永3年(1266)6月20日、4代連署時宗邸にて、“深秘の御沙汰”なる秘密会議が開かれます。7代執権政村、金沢実時、安達泰盛のみの参加という、正に密室の政治でした。近衛宰子付きの祈祷僧・良基なる坊主が突如逐電します。6月23日、近衛宰子と惟康王、りん子女王が宗尊親王から [続きを読む]
  • 第九章74虚空の柏・宗尊親王と時宗の亀裂、海外から忽然と忍び寄る動き
  • 日蝕が発生した文永2年(1265)1月1日の椀飯は、得宗家家督とは言え執権ではない4代連署時宗が差配するという異例のものでしたが、これに対し6代将軍宗尊親王は欠席するという、天も地も異例ずくめの事態となります。まぁ、逆に考えれば日蝕を不吉として宗尊親王は欠席したのだろうし、時宗がゆくゆくは執権北条得宗家家督になるのですから、よくよく考えれば異例では無いのかも知れません。ただ何となく、時宗と宗尊親王の亀裂を [続きを読む]
  • 鬼のやうなる大河論第2回・花燃ゆ
  • 4月14日をもちまして、当ブログは16000ヒットを達成させていただきました。ご訪問の皆様にはこの場を借りまして厚く御礼申し上げるものであります。さて、鬼のやうなる大河論は第2回め、昨年の平成28年(2016)の作品「花燃ゆ」を俎上に乗せますってんで始まり始まり。政治家が創作の世界に介入するとまぁロクな事にならないってのは、手鎖つけられた山東京伝の昔から、最近だと映画「バトルロワイヤル」にケチをつけた石井なにが [続きを読む]
  • 第九章73虚空の柏・謎の人物島津陸奥守
  • 編者不詳の「仙台鹿の子」(元禄8年・1695年成立)、佐久間洞巌義和編纂「奥羽観蹟聞老誌」(享保4年・1719年成立)、田辺希文編纂「封内風土記」(明和9年・1772年成立)によれば、文永元年(1264)、宮城郡根岸・野手口山茂ヶ嶺城主(仙台市太白区大年寺山茂ヶ崎)島津陸奥守なる人物が、宮城郡荒巻千代城(青葉区仙台青葉城)に移住し、天神社を宮城郡国分荘小俵村玉崎山中(青葉区小田原及び仙台東照宮周辺)に移築再建したこ [続きを読む]
  • 第九章72虚空の柏・文永の大彗星、政村の巡り合わせ、北の蒙古襲来
  • 5代執権時頼の死の床に侍った南部実光。これが史実における最後の登場となります。年齢は不明ですがかなりの高齢だったと見られます。弘長3年(1263)11月23日、時頼の葬儀が、恐らく時頼が禅宗(臨済宗)に帰依していたため、禅宗での葬式で執り行われます。その際かそれ以前、先祖2代執権義時には禅宗に従い、“徳崇”という戒名が追贈されました。よってこの家系を北条得宗家と呼び習わされます。11月24日、6代将軍宗尊親王は10 [続きを読む]
  • 第九章69葛西定広の死、国分氏と留守氏の通婚
  • にわかにマラリアと思われる熱病を発症した2代連署極楽寺流北条重時は、一旦は回復したものの、苦悶の末、弘長元年(1261)11月3日、没します。享年64歳。当時の北条氏の最長老の死がそうさせたのか、「吾妻鏡」は弘長2年(1262)がまるまる欠落します。そのさなか、「笠井系図」によれば、弘長2年(1262)8月3日、葛西又太郎定広が没します。享年不明。大須賀胤氏の娘を妻に、3男1女があったと記されます。系図では定広の兄に朝清 [続きを読む]
  • 第九章68虚空の柏・葛西光清の供奉辞退と平頼綱の出仕、御内人になった南部氏
  • 弘長元年(1261)の鶴岡八幡宮放生会は出仕者が決まってより、何かにつけて都合が悪いから辞退したいという御家人がわんさか登場します。それは毎年のことなのか、この年に限ったことなのかは定かではありませんが。8月5日、伯耆四郎左衛門尉(葛西光清)が所労、すなわち在国して所領の経営に勤しみたいとの理由で供奉辞退の申請を出しています。この頃の葛西氏が供奉出仕していないのは、領国経営にシフトしていたからなのかも知 [続きを読む]
  • 第九章67虚空の柏・何様気取りの佐々木泰綱、謀反する坊主、亡国の独裁政治
  • 弘長元年(1261)4月28日、黄色、赤、白の日傘現象が発生しますが、その後天気が崩れたという記述がありません。5月1日、比企能本邸から程近い大蔵稲荷(鎌倉市雪ノ下)で、たむろする謎の輩があり、逮捕しようとした所、逃げられるという事件が発生します。5月5日、将軍御所で和歌の会が催され、その道の手練、後藤基政らが参加します。5月13日、鎌倉幕府昼番の間で佐々木六角泰綱と渋谷武重が口論となります。母は北条義時の娘、 [続きを読む]
  • 第九章65虚空の柏・蛇になったらしい若狭局と葛西定広登場の背景
  • え!今更?という、変な事件が文応元年(1260)10月15日に発生します。3代連署政村の娘の1人(実名等は不明)が突如邪気に取り憑かれて悩乱します。曰く、比企能員の娘で、建仁3年(1203)11月に政村の祖父・時政の命令で父・義時の郎党に息子一幡丸共々惨殺された2代将軍頼家正室・若狭局が蛇の姿になって乗り移ったというのです。鎌倉市大町にある比企能員屋敷跡にはその末子で若狭局の6弟でもある比企大学三郎能本が居を構え、 [続きを読む]
  • 第九章64虚空の柏・葛西時重逝去説、時頼の嘆き、天変地異と飢饉と疫病と
  • 「吾妻鏡」も相馬胤村や宇佐美祐泰の悪口は言えた義理じゃありません。正嘉3年(1259)、「吾妻鏡」は又もや欠落します。2月には大飢饉、大疫病があまねく世に満ち溢れ、人も動物も大勢の犠牲者を出し、死体の埋葬が間に合わず路傍に遺棄され、うず高く積み上げられるという眼を覆わしむる惨状となります。3月26日、元号は正元と改元されます。「奈良坂系図」によると、正元元年、黒沢七郎左衛門尉葛西時重が享年62歳で没したと記 [続きを読む]
  • 鬼のやうなる大河論1真田丸
  • 遅れ馳せながら2月12日を持ちまして15000ヒットを達成致しました。つつしんで御礼申し上げます。さて、今迄はナンセンスな漫談に興じていましたが、これよりは趣向を変えまして、歴代大河ドラマのレビューをおいらなり書いてみようという企画を立ち上げました。基本名作だろうが駄作だろうが毒舌もて斬るのがこの企画のコンセプトですので、この作品をケチョンケチョンにしやがってー!と文句言われても当局(おいら)は一切知った [続きを読む]
  • 第九章61虚空の柏・正嘉の連続超巨大地震、葛西定広と桑折親長の登場
  • 正嘉元年(1257)6月、3代当主国分胤重の3男八郎定光(1250〜1311)が名取郡馬場(仙台市太白区秋保町馬場)の馬場源内左衛門尉定行の養子に入ったと系図に記されます。馬場氏の末裔・讃岐守が後に13代太守宗清となる伊達七郎の守役として日和山葛西氏に仕官します。この年の気象は日照があったかと思えば大雨になったりと一定しません。8月1日、鎌倉は又もや大地震に見舞われます。鎌倉の大地の底が動揺する中、8月15日、鶴岡八幡 [続きを読む]
  • 第九章59虚空の柏・はしかの大流行のさなか、3代当主時清が没する
  • 建長8年(1256)7月末、京都で赤斑瘡(麻疹、はしか)が大流行します。8月6日には鎌倉で大風、洪水、山崩れが発生します。8月11日、5代執権時頼の長庶子が元服します。加冠役は足利利氏。その一字と北条氏の通字を合わせ、時利と名乗ります。しかし、足利利氏は間もなく時頼の偏諱を受けて頼氏と改名します。京都では5代将軍藤原頼経が流行中の赤斑瘡、又は赤痢に罹患し、39年の僅かな生涯を散らします。幕府にいたころは第一線の [続きを読む]