末永能登守14611514 さん プロフィール

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末永能登守14611514さん: 土芥の一類〜奥州葛西家臣末永氏一族〜
ハンドル名末永能登守14611514 さん
ブログタイトル土芥の一類〜奥州葛西家臣末永氏一族〜
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/notnokami14991006
サイト紹介文葛西一族とその家臣末永一族の視点から、郷土史、日本史の闇に埋もれた声なき声を明らかにしていきます。
自由文時は鎌倉時代から戦国時代、現在の宮城県北から岩手県南にかけて蟠踞した武家の一族葛西氏の家臣末永氏。我が母方の先祖とされるこの一族、時に主君に謀叛を起こしながらも家老にまで立身を遂げた叛骨気鋭の武者ぶりを、様々な視点から論じ、滅びし者達の声無き声を明らかにするブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供219回 / 326日(平均4.7回/週) - 参加 2016/09/03 00:53

末永能登守14611514 さんのブログ記事

  • 第十章15母衣のお墨付き・護良親王抹殺
  • 1335年(南建武2年)後醍醐天皇(皇族・48歳)足利尊氏の願い出を却下護良親王(皇族・28歳)東光寺に幽閉中、渕辺義博に殺害される?北畠顕家(公家・18歳)護良親王逃避行を斡旋?新田義貞(武家・34歳)護良親王の尊氏討伐計画に加担?足利尊氏(武家・31歳)中先代の乱討伐を願い出る斯波家兼(武家・28歳)兄高経が越前国を与えられる葛西清貞(武家・45歳)護良親王逃避行を斡旋?建武政権は初め、鎌倉幕府御内人であった諏 [続きを読む]
  • 第十章14母衣のお墨付き・護良親王の失脚、北条時行の挙兵
  • 1334年(南元弘4年、建武元年)後醍醐天皇(皇族・47歳)失政の末、護良親王を尊氏に引き渡す護良親王(皇族・27歳)失脚、鎌倉の直義預かりの囚人となり、東光寺に幽閉北畠顕家(公家・17歳)津軽の北条残党を討伐新田義貞(武家・33歳)護良親王の尊氏討伐計画に加担?足利尊氏(武家・30歳)逮捕された護良親王を鎌倉に押送する斯波家兼(武家・27歳)兄高経が越前国を与えられる葛西清貞(武家・44歳)江戸氏らと共に鎌倉将軍 [続きを読む]
  • 第十章10母衣のお墨付き・波乱含みの新政権に新田義貞が現れる
  • 1333年(北正慶2年・南元弘3年)後醍醐天皇(皇族・46歳)新政権下、除目を主催護良親王(皇族・26歳)征夷大将軍に任命され、警戒する足利尊氏を牽制すべく北畠顕家を推挙北畠顕家(公家・16歳)護良親王の推挙により、陸奥守・鎮守府将軍に就任新田義貞(武家・32歳)鎌倉で戦後処理、除目に参加すべく上洛足利尊氏(武家・29歳)鎮守府将軍を拝命し、尊氏と改名するが、間もなく武蔵守に転任斯波家兼(武家・26歳)動向不明葛西 [続きを読む]
  • 第十章8母衣のお墨付き・鎌倉幕府滅亡
  • 1333年(北正慶2年・南元弘3年)後醍醐天皇(皇族・46歳)鎌倉幕府を滅ぼす護良親王(皇族・26歳)鎌倉幕府を滅ぼす北畠顕家(公家・16歳)鎌倉幕府滅亡後、陸奥守に就任新田義貞(武家・32歳)鎌倉幕府を滅ぼす足利尊氏(武家・29歳)船上山を攻めると見せ掛け、佐々木道誉と共に六波羅探題を滅ぼす斯波家兼(武家・26歳)動向不明葛西清貞(武家・43歳)新田義貞軍に属し、鎌倉を攻略ここにおいて16代執権赤橋守時の立場は微妙で [続きを読む]
  • 第十章7母衣のお墨付き・新田義貞軍が鎌倉に到達する
  • 1333年(北正慶2年・南元弘3年)後醍醐天皇(皇族・46歳)船上山にて倒幕綸旨を全国に発令護良親王(皇族・26歳)倒幕の令旨を発しながら同志を募り、各地で抵抗北畠顕家(公家・16歳)鎌倉幕府滅亡後、陸奥守に就任新田義貞(武家・32歳)新田荘で挙兵、分倍河原で幕府軍を破り、鎌倉を包囲足利尊氏(武家・29歳)船上山を攻めると見せ掛け、佐々木道誉と共に六波羅探題を滅ぼす斯波家兼(武家・26歳)動向不明葛西清貞(武家・43 [続きを読む]
  • 鬼のやうなる大河論4「八重の桜」
  • おかげ様を持ちまして当ブログはご訪問者様のべ17000ヒットを達成致しました。ここに篤く御礼申し上げます。恒例となりました、鬼のやうなる大河論、第4回目は「八重の桜」、サブタイトルは、〜会津の人、マジで坂本龍馬ってどうよ?〜にしたかったけど、〜人は何かを始める時、狂気だ、って吉田松陰ホントに言ったのか?〜にしますよ(笑)東日本超巨大地震で古今未曽有の災害を被った東北地方、殊に太平洋側を励まそうとの企画か [続きを読む]
  • 第十章2母衣のお墨付き・幻の星、凶事の前触れ
  • まず一人目は、96代後醍醐天皇(皇族・1288〜1339)。これには異論は無いと思います。何せこの男を中心に時代が動いて行くのですから。皇族からはもう一人、大塔宮護良親王(1308〜1335?)を挙げます。読み方は“だいとうのみやもりながしんのう”と、高校時代近くのコンビニで見つけて買った小和田哲男氏著「日本史こぼれ話」という文庫本を読んで知りましたが、それから間もなく大河ドラマ「太平記」などから、“おおとうのみや [続きを読む]
  • 第十章1母衣のお墨付き・旧制石巻中旧校歌から
  • 旧制宮城県石巻中学校(現石巻高校)旧校歌3番に曰くー我等がしるしは 三つ柏吉野の御代の 忠臣のその紋所 芳しく歴史の跡に 青春の若き血如何で成さざらんー葛西氏が南朝方として忠節武勲を尽くしたという史実は、大正13年(1923)、皇太子裕仁親王(昭和天皇)成婚による南朝遺臣顕彰の一環として葛西6代当主清貞への贈正四位叙勲の一件や、大槻文彦の研究、また、教育者、郷土史家、県会議員として石巻、宮城県の発展に寄与した [続きを読む]
  • 第九章92虚空の柏・遷宮、そして元弘の変
  • 黒沢氏の系図によれば元徳元年(1329)、磐井郡黒沢館主(岩手県一関市)黒沢兵庫助宗重が没します。享年49歳。長男但馬守重尚が後を継ぎます。宗重の妻は葛西越中守貞清と記されますが、6代清貞では世代が合いません。宗清の誤記か系図の改竄かと思われます。元徳2年(1330)4月、尊雲法親王が再び天台座主を退座します。6月24日、香取神宮の遷宮が葛西伊豆三郎兵衛尉清貞の差配によって成し遂げられます。造営宣旨を受けて優に38 [続きを読む]
  • 第九章91虚空の柏・安東氏内紛が鎮圧され、牡鹿郡で謎の大人物が没する
  • 裁定に従わない上国湊安東季長を、鎌倉幕府は北条得宗家御内人工藤祐貞に命じて追討せしめ、祐貞は嘉暦元年(1326)7月26日、安東季長を捕縛します。しかし、今度は季長の残党が蜂起し、反乱は泥沼化していきます。10月30日、6代将軍惟康親王が没します。享年63歳。武家政権のトップに立たされながら一言も声を発することもなく、人物像さえ不明の内に歴史の表舞台から消された不憫な生涯でした。この年は行方郡太田別所城主(福島 [続きを読む]
  • 第九章91虚空の柏・薄衣系図の混乱、女達の遺領争い、高時出家に絡む騒動
  • 薄衣氏の系図によれば正中2年(1325)6月23日、磐井郡薄衣館主(岩手県一関市川崎町)上総介清堅(丹波守清胤)が没します。享年56または51歳。長男内匠頭清村(常隆)が薄衣氏家督を継ぎ、次男豊後守胤村は磐井郡門崎館主(一関市川崎町)門崎氏、3男出雲守清胤は磐井郡金沢朝日館主(一関市花泉町)金沢氏、4男平七郎正村(隼人正常朝)は磐井郡松川館主(一関市東山町)松川氏としてそれぞれ分家します。厄介なことに薄衣氏の系 [続きを読む]
  • 第九章89虚空の柏・葛西宗清一世最期の光芒
  • 元亨3年(1323)10月27日、9代執権北条貞時の13回忌が臨済宗円覚寺派大本山瑞鹿山円覚興聖禅寺、通称円覚寺で盛大に執り行われます。「円覚寺文書・北条貞時13年忌供養記」によれば、各寺院から掻き集められた僧侶が1783人、参列した御家人182人、献上された品々は砂金2560両、銭4450貫など膨大。葛西伊豆入道(宗清一世)は砂金30両を献上しています。ちなみに長崎円喜は銭300貫、足利貞氏は銭230貫。「B類系図」の5代当主文保元 [続きを読む]
  • 第九章87虚空の柏・後醍醐天皇即位、蝦夷大乱、足利高氏元服
  • 文保2年(1318)3月29日、期間限定10年の任期を満了し、95代花園天皇(持明院統)が譲位します。大覚寺統から皇太子(次期天皇予定者)となっていたあの男が即位します。尊治親王、96代後醍醐天皇の誕生です。この時31歳。物心つくかつかないかという時に即位し、子供が産まれたら早々に譲位し、上皇となり、出家すれば法皇となるのが一般的な流れだったこの時代、30代での即位は可成り珍しいケースだったようです。皇室典範要らず [続きを読む]
  • 第九章86虚空の柏・南北朝時代のスターが家督を継ぎ、或いは誕生する
  • 正和6年(1316)2月3日、元号が文保と改元されます。2月7日、伊達氏5代当主宗綱が没します。享年54歳。長男基宗が後を継ぎます。宗綱と基宗の年齢差が10歳しかないため、宗綱の享年は64ではないかとする解釈もあるようです。その場合、父政依とは23歳差になるので整合はします。何にしろ、この頃の伊達氏の系図は同時史料の裏付けが取れないこともあり、あやふやな部分が多いです。「B類系図」によると4月2日、“5代当主清信”が享 [続きを読む]
  • 第九章85虚空の柏・北条高時の人物評
  • 桁渕山について掘り下げていくと、非常に興味深い事実に邂逅します。まとめて後述したいと思います。正和2年(1313)、大覚寺統の皇太子尊治親王の6歳になる次男を、天台宗梶井門跡(魚山三千院、京都市左京区大原)にて出家せしめ、近所の左京区岡崎に建っていた法勝寺八角九重塔に因み、大塔宮尊雲法親王と名乗らせます。名前については、昔はだいとうと訓まれ、最近になっておおとうと訓むようになっています。国分氏の系図によ [続きを読む]