ひょうすんぼ さん プロフィール

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ひょうすんぼさん: ひょうすんぼ
ハンドル名ひょうすんぼ さん
ブログタイトルひょうすんぼ
ブログURLhttp://hyousunbo.hatenablog.jp/
サイト紹介文宮崎県の田舎町都農町について 民俗、歴史、観光の話し
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供73回 / 262日(平均2.0回/週) - 参加 2016/09/04 00:48

ひょうすんぼ さんのブログ記事

  • 日向観光
  • ①馬ヶ背・クルスの海 以下の写真の切り立った崖の部分が有名。(この写真の部分が馬ヶ背ではなく、岬の突端部分が馬ヶ背と呼ばれている。) 岬の突端まで歩いていくことが出来る。三方を海に囲まれているため、晴れた日は見晴らしも良く、気持ちが良い。 馬ヶ背から車で2、3分のところにクルスの海と呼ばれる場所がある。 写真だと少しわかりづらいのだが、岩によって区切られた海が「叶」という文字に見えることから、願 [続きを読む]
  • 都農の方に聞きたいこと その2
  •  以前も同様の記事を作成したのだが、半年以上経って聞きたいことも変化したので、改めて作ることにした。 各質問に関連した記事を質問の下にリンクしたので、興味のあるかたは覗いてみてください。 これらの質問以外の関することでも何かありましたら、コメントしていただけると幸いです。①尾鈴山を「ささが丘」や「ほこの峰」と呼んだこと、あるいは呼んでいるのを聞いたことはあるか。 1955年の都農町史にそう呼ぶと [続きを読む]
  • 郡衙
  •  三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」に興味深い話しが載っていた。以下は太字は引用※ある識者の説 滝神社の近くには、弥生時代の竪穴式住居跡の一部が確認された境ヶ谷遺跡、古代土器の出土を見た京塚、黒石などの遺跡が存在しており、ある識者は、不明としながらも「日向の国一之宮都農神社があり、その西に西の郡という集落があることから都農神社付近に駅家を兼ねた郡衙の存在を指摘し、当駅の比定はこれに続く児湯 [続きを読む]
  • 延岡の諸神社
  • 1.三輪神社 三輪氏の痕跡が見られる地ということで行ってみた。五ヶ瀬川沿いに延岡市街地から登っていき、ちょうど高速の下のあたりにある。祭神は三輪系ということで大己貴命である。 神社そのものは地域にある普通の神社という感じがしたが、この地は下三輪という地名であり、地名からして三輪氏の痕跡が感じられる。 神社の前にあった碑によれば養老2年(718年)にすぐ裏手の山のほうにある青谷城から移転して来たという [続きを読む]
  • 日向国都農町史
  •  「日向国都農町史」,都農町教育委員会, 1955年 1998年に発行された都農町史の一個前のものにあたる。現在の都農町史に比べると薄く、200ページにも満たない。記述には推論や確証のない話が多く、現在の都農町史に載っていない内容が多い。その意味では大変参考になる。※以下太字は引用 饒速日命の伝説としては、尾鈴山に残されています。尾鈴山は命が御降臨なつた所で、同山中の都農崎―吐濃崎―に現在ある、長 [続きを読む]
  • 西都について その2
  • 1.石貫神社 西都の市街地から米良方面に少しはずれた地にある。この周辺には神話の伝承地が密集している。地区名が三宅となっているのだが、ヤマト政権の直轄地であった屯倉がその由来だと思われる。このことがその密集と関係しているのだろうか。 石貫の石は神社の入り口近くにあり、さほど大きくなかったため見逃してしまった。 コノハナサクヤヒメの父の山の神オオヤマツミノカミを祀っています。鬼と「一晩で岩屋を完成さ [続きを読む]
  • 耳川の戦いと都農
  •  耳川の戦いは、最近は小丸川(高城)を耳川と誤記したのではないかということで高城川の戦いとも言う。都農でも激戦があったようだ。 まず大友軍の南下を島津軍が都農で迎撃したのだが、すぐに破れ大友軍は高城まで進軍した。恐らくその際都農神社が焼き払われたのだろう。 その後高城で大友軍が大敗し、敗走する。合戦の詳細については以下のリンクを参照。佐土原城 遠侍間 -高城の合戦(天正六年)-大友記に曰く耳川の合戦  [続きを読む]
  • 川南の諸神社
  • 1.白鬚神社 木城との境にある。浦島太郎が最後にたどり着いたという伝承も残されている。御神体は後ろにある山で、修験者の修行場となっていたという。 白鬚神社の総本山は琵琶湖畔にある。宮崎市内にも白髭神社があり、そちらは伊東氏が日向に下向した際に勧請して来たのだという。説明書きによれば825年に建立されたとのことだが、その際の祭神は土着の神で、後に(恐らく市内と同時期に)名と祭神を白髭神社と猿田彦大 [続きを読む]
  • 米良について
  •  米良にはもともと東米良と西米良が存在し、東米良は現在西都市に属している。西米良は現在も西米良村として存続し、山奥にありながらも一風変わった村政で人口現象を食い止めている。1.銀鏡(東米良) 米良街道からそれて山道を10キロ弱行くと銀鏡地区に着く。銀鏡という地区名は磐長姫命の神話に由来する。みやざきの神話と伝承101:銀鏡の地名伝説 銀鏡地区にある銀鏡神社は国指定重要無形民俗文化財に指定された銀鏡 [続きを読む]
  • 宮崎の城
  •  宮崎県内にある城をいくつか訪れたので、観光案内として記事にしました。1.飫肥城 百名城にも選ばれた城で、日向を代表する戦国大名伊東氏と九州を代表する戦国大名島津氏の係争地となった城です。 現在は復元された門があるのみですが、空堀が一部残っています。正直に言うと城としての見どころはあまりません。しかし周辺には風情のある街並みが残っており、そちらの方は見応えがありました。 また城の側に飫肥出身の小 [続きを読む]
  • 都農の諸神社 その二
  • 1.瀧神社 ワイナリーに行く途中にあります。かつては都農神社の奥宮であったようです。その名の通り、社殿の裏に滝があります。滝といっても水量は少なく水が滴り落ちる程度です。 境内の掃除をしている方にお話しを伺うことが出来ました。その方によるとこの滝には龍神様が2匹いるとのことで、その方は毎月卵を2個奉納しているそうです。龍神に卵を奉納するのはよく見られるもので、近くでは西都の速水神社で見られます。  [続きを読む]
  • 都農の諸神社 その一
  •  都農には日向国の一宮たる都農神社がありますが、それは以前書いたので、今回は都農にある小さな神社について記事にしました。 三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」は大変が参考になった。ファイルをまとめたような形であったので恐らく出版はされていないだろう。都農図書館のカウンターで貸してもらえる。 1.ねこ神様  線路を越えた海の側、福原尾にあります。ここは少々変わっていて、魚の骨が喉に引っかかてしま [続きを読む]
  • 備忘録
  •  色々お話しを伺うことが出来たので、それについての備忘録です。1.都農の夏祭りについて 2階から御輿を見下ろすのは失礼とされた。 昔は朝浜まで塩を採りに行き水を撒いていたそうだが、なくなってしまった。 都農の祭りの見どころである御輿のぶつけけ合いは、神社に入るのを嫌がる御輿を押し入れるためだという話しが伝わっているそうだ2.移住者について 柳田国男の「九州南部地方の民風」において児湯地域が紹介さ [続きを読む]
  • 網野善彦について
  •  網野善彦の研究領域はもし分類するならば、歴史学となるであろうが、民俗学にもかなり近い。民俗学的な研究が歴史学に反映されたかたちとして興味深い。 民俗学についての記述が多いのは以下の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」であろう。非常民に注目して研究を続けた民俗学者宮本常一についての回想録を交えつつ、記述がなされている。www.amazon.co.jp 著作として一番有名なのは以下の「無縁・公界・楽」になるだろ [続きを読む]
  • 「山民」と「山人」の混同
  •  柳田国男はいくつかの著作で「山民」と「山人」という言葉を用いていますが、この両者を混同してしまったかたは多いのではないでしょうか。私も最初に読んだ時は混同してしまい、柄谷行人さんの「遊動論」を読んで両者の違いに気付きました。 今回は「山民」とは何なのかを柳田の著作を引きながら明らかにして行きます。 理解を助けるために最初に端的に述べておくと、「山人」は存在するかどうかわからない日本の先住民(縄文 [続きを読む]
  • 問題意識
  •  自分の中の問題意識の一つとして格差というものがあります。共産主義的な思想を持っているからでも、搾取だなんだと喚き散らしたいからでもなく、ただ単に中産階級の減少による社会の不安定化を危惧しているだけです。 そういう背景で注目したのが「協同自助」の思想なのであり、だからこそ何度も記事を書いているわけなのですが、また書きます。※例のごとく試論です。 「協同自助」の思想は山村特有のものなのかという疑念 [続きを読む]
  • 都農でしたいこと
  •  来月の半ばに都農でしたいことを書き出しておきたいと思います。半分メモ代わりです。したいことが増え次第追記します。・都農牧神社訪問 都農牧神社の岩山が都農神社の御神体であったのではないかと考えているので、訪れて確認してみたい。・尾鈴神社訪問 尾鈴山信仰のあり方を確認しに行きたい。・木戸平神社の捜索 町史にはあると書いてあるが、どこにあるのかわからないので探しに行きたい。都農にいる間はいつもば [続きを読む]
  • 湯ノ本
  •  都農には湯ノ本という地名がある。(墓のあたりです。)都農は岩盤が硬く分厚いため、温泉が湧かないのですが、このような地名があるわけです。何故なのかと思い調べてみると、二つの説が見つかりました。 一つは広報つの2015年10月号p21に載っているものです。この記事によれば、湯ノ本はもともとは秋野という地名だったそうです。それではいつ変わったのかというと、明治に入って都農の測量を任された後藤正淑さんという方が [続きを読む]
  • 第6次都農町長期総合計画
  •  都農町は2020年に町制施行100周年を迎える。それにあたっていくつかの事業が計画されているようで、その計画についてのパブリックコメントの募集がされている。第6次都農町長期総合計画(素案)に係るパブリックコメントの募集について|都農町 150ページほどのオールカラーの資料で、予想以上に充実した内容となっていた。私は農業・商業や社会政策についての知識も乏しければ、経験もないので特に建設的なコメント [続きを読む]
  • 親分子分③
  •  親分子分②の続きになります。 今回は更に踏み込んで親分子分を中心とした社会形態がどういった倫理意識をもたらし、それがどういう結果となったのか考えていきます。考えなければならないことが多く、まだ試論の段階なので、かなり荒い議論となっていますがその点ご理解ください。 「日本における倫理意識の執拗低音」丸山真男 (必要な部分の要約) 日本神話から動機の純粋性を「善」とする傾向が読み取れる。「きよくあ [続きを読む]
  • 檜枝岐村
  •  都農に3月の中旬に帰ることになりました。公務員試験が近づいて来ているので、本当は2月が良かったのですが、親が3月がいいというので3月になりました。そんなに長くはいれないと思いますが、とりあえず調べたいことや行きたい所を整理したいと思います。 また新日本風土記の話しです。最近この番組の存在を知ったばかりですが、気に入って毎週見ています。2月10日に再放送されるということで取り急ぎまとめました。親 [続きを読む]
  • 親分子分②
  •  前回の記事で見たように親分子分の論理というのは日本の社会に深く根ざしているわけです。それは日本社会に良いものも悪いものももたらしました。 先に良いものの方を取り上げると、養子制度によって血縁に縛られず能力による登用が可能になったという点で、同時代の西欧の家産官僚制に比べ日本の江戸時代の家産官僚制は優れていたという研究があります。また地方の親分が行き過ぎた中央集権化を防いたという面もあるでしょう。 [続きを読む]
  • 親分子分①
  •  前回の更新からかなり時間が空いてしまった。3週に渡って続いた期末試験がやっと終わったので、これからはちゃんと更新出来るようにします。  今の日本でオヤと言った時それは血縁的な親を意味することが大半である。しかし柳田国男によれば以前の日本はそうではなく、オヤは労働組織としての親分子分のオヤを言うのが一般的であったという。オヤは血縁的な親のみを意味するのではなく、親分や仮親を意味していた。コもまた同 [続きを読む]
  • レヴィ=ストロース講義録
  •  レヴィ=ストロースは文化人類学者の中でもっとも有名な人物といっても過言ではないであろう。また構造主義を論じた人としても知られる。氏は日本の文化についても造詣が深く、柳田国男や本居宣長らの著作も読んでいるようです。今回はそのレヴィ=ストロースが30年前に日本で行った講義を書籍化した「レヴィ=ストロース講義」ついて書きます。(文化人類学と民俗学との関係は私にもよくわからない。文化人類学の方がより範囲 [続きを読む]
  • 遠野訪問記
  •  今回の記事は遠野物語で有名な遠野の訪問記である。もっとも訪れたのは昨年の2月なので、日記を見て思い出しながら書いている。 花巻からは釜石線に乗り一時間ほどで遠野駅に着く。遠野駅はかなり立派な駅であった。駅舎には屋根があり、駅員もいる。無人の都農駅のようなものを想像していたので、驚いた。駅を出ると、噴水と新しく出来たばかりの観光案内所が見えた。どうやら私が想像していたような田舎町ではないようである [続きを読む]