ひょうすんぼ さん プロフィール

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ひょうすんぼさん: ひょうすんぼ
ハンドル名ひょうすんぼ さん
ブログタイトルひょうすんぼ
ブログURLhttp://hyousunbo.hatenablog.jp/
サイト紹介文宮崎県の田舎町都農町について 民俗、歴史、観光の話し
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供81回 / 297日(平均1.9回/週) - 参加 2016/09/04 00:48

ひょうすんぼ さんのブログ記事

  • 戦時下の都農
  •  まずは都農の戦時下について町史に書かれていることを簡単に書く。 都農は隣の川南に空挺部隊の演習場があった影響で、野営地の一つとなっていた。都農からも多くの兵士が徴集され、都城連隊に編入されて中国、フィリピンなどを転戦した。また沖縄県の糸満市から疎開を受け入れていたという。その縁で姉妹都市となっている。 戦争末期になると予測される米軍の上陸作戦(オリンピック作戦)に対処するため、都農に師団が配備さ [続きを読む]
  • 都農のゲストハウス
  •  都農駅がリニューアルしたそうだ。8月になれば夏休み入るので、ジオラマも見に行ってみたい。都農駅がリニューアルしました - 日々の都農 都農にはあまり宿泊施設が多くない、最近出来た国道沿いにあるホテルAZと駅前の亀屋、町中の大黒屋のみである。 私は一人で旅行するときにはゲストハウスに泊まることが多い。大抵一泊2000円程度と安く、また同年代の宿泊客と交流出来るからである。 調べてみたところ都農にもゲ [続きを読む]
  • 南原繁と折口信夫 その四
  •  一応柳田の祖霊信仰(固有信仰)が神道の普遍宗教化につながる可能性について考えてみる。祖霊信仰はその名が表すとおり、祖先信仰が根底にあり、丸山の南原に対する批判がそのまま当てはまる。柳田の祖霊信仰においては氏族的な性格は弱められているという反論があるかもしれないが、日本的な習俗が背景にあるわけで普遍宗教とは言い難い。またそもそも柳田は祖霊信仰の普遍宗教化を企図していないだろう。 ここまでみてきたこ [続きを読む]
  • 南原繁と折口信夫 その三
  •  折口信夫の神道普遍宗教化については柄谷行人氏が「遊動論 柳田国男と山人」において批判している。ただしタイトルにもあるようにあくまで柳田国男論が中心で、柳田国男の固有信仰と対比する形で折口を批判している。(第四章の5 p157~166)Amazon CAPTCHA 該当部分の要約 折口信夫は神道から祖先信仰的なものを取り去れば普遍宗教化出来ると考えているが、祖先信仰は普遍宗教化の妨げとなるものではない。普遍宗教には神 [続きを読む]
  • 南原繁と折口信夫 その二
  •  前回の記事の続きになります。今回は前回取り上げた南原繁と折口信夫の論考についての批判になります。 南原繁に対する批判は丸山真男によってなされました。1964年に行われた南原繁と丸山真男の座談会において南原は以下のように述べます。  民族の個性があって、ほんとうの祖国日本という意味においての民族の共同体はいつまでも残さなければならない。世界の共同体ができても、これを踏まえてのものですね。それはい [続きを読む]
  • 日向(市)観光
  • ①馬ヶ背・クルスの海 以下の写真の切り立った崖の部分が有名。(この写真の部分が馬ヶ背ではなく、岬の突端部分が馬ヶ背と呼ばれている。) 岬の突端まで歩いていくことが出来る。三方を海に囲まれているため、晴れた日は見晴らしも良く、気持ちが良い。 馬ヶ背から車で2、3分のところにクルスの海と呼ばれる場所がある。 写真だと少しわかりづらいのだが、岩によって区切られた海が「叶」という文字に見えることから、願 [続きを読む]
  • 古代日向の国
  • 「古代日向の国」 西都原古墳研究所所長 日高正晴、1993年、NHK BOOKSAmazon CAPTCHA 古代日向の国がタイトルではあるが、内容の中心は児湯地域となっている。西都原古墳研究所所長が著者ということもあって西都贔屓な記述なのではないかと感じなくもないが、児湯地域を中心として取り扱った本は少ないので参考になった。 以下に気になった部分をメモする。第Ⅰ章の三で日向が本来は豊の国であり、西都がその中心であ [続きを読む]
  • 南原繁と折口信夫 その一
  •  ネタが尽きつつあるので、論考を。 南原繁は戦後最初の東大総長を務めた政治学者である。一方で折口信夫は民俗学者である。両者はかなり異なる背景を持ち、対談などといった形で積極的な交流を持たなかったと。しかし両者とも同じ時期に同じようなことを考え、発表した。それは神道の普遍宗教化である。 南原は1946年2月の紀元節(現在は建国記念の日)に東大で「新日本文化の創造」と題する演説を行った。 簡潔に要約 [続きを読む]
  • 日向観光
  • ①馬ヶ背・クルスの海 以下の写真の切り立った崖の部分が有名。(この写真の部分が馬ヶ背ではなく、岬の突端部分が馬ヶ背と呼ばれている。) 岬の突端まで歩いていくことが出来る。三方を海に囲まれているため、晴れた日は見晴らしも良く、気持ちが良い。 馬ヶ背から車で2、3分のところにクルスの海と呼ばれる場所がある。 写真だと少しわかりづらいのだが、岩によって区切られた海が「叶」という文字に見えることから、願 [続きを読む]
  • 都農の方に聞きたいこと その2
  •  以前も同様の記事を作成したのだが、半年以上経って聞きたいことも変化したので、改めて作ることにした。 各質問に関連した記事を質問の下にリンクしたので、興味のあるかたは覗いてみてください。 これらの質問以外の関することでも何かありましたら、コメントしていただけると幸いです。①尾鈴山を「ささが丘」や「ほこの峰」と呼んだこと、あるいは呼んでいるのを聞いたことはあるか。 1955年の都農町史にそう呼ぶと [続きを読む]
  • 郡衙
  •  三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」に興味深い話しが載っていた。以下は太字は引用※ある識者の説 滝神社の近くには、弥生時代の竪穴式住居跡の一部が確認された境ヶ谷遺跡、古代土器の出土を見た京塚、黒石などの遺跡が存在しており、ある識者は、不明としながらも「日向の国一之宮都農神社があり、その西に西の郡という集落があることから都農神社付近に駅家を兼ねた郡衙の存在を指摘し、当駅の比定はこれに続く児湯 [続きを読む]
  • 延岡の諸神社
  • 1.三輪神社 三輪氏の痕跡が見られる地ということで行ってみた。五ヶ瀬川沿いに延岡市街地から登っていき、ちょうど高速の下のあたりにある。祭神は三輪系ということで大己貴命である。 神社そのものは地域にある普通の神社という感じがしたが、この地は下三輪という地名であり、地名からして三輪氏の痕跡が感じられる。 神社の前にあった碑によれば養老2年(718年)にすぐ裏手の山のほうにある青谷城から移転して来たという [続きを読む]
  • 日向国都農町史
  •  「日向国都農町史」,都農町教育委員会, 1955年 1998年に発行された都農町史の一個前のものにあたる。現在の都農町史に比べると薄く、200ページにも満たない。記述には推論や確証のない話が多く、現在の都農町史に載っていない内容が多い。その意味では大変参考になる。※以下太字は引用 饒速日命の伝説としては、尾鈴山に残されています。尾鈴山は命が御降臨なつた所で、同山中の都農崎―吐濃崎―に現在ある、長 [続きを読む]
  • 西都について その2
  • 1.石貫神社 西都の市街地から米良方面に少しはずれた地にある。この周辺には神話の伝承地が密集している。地区名が三宅となっているのだが、ヤマト政権の直轄地であった屯倉がその由来だと思われる。このことがその密集と関係しているのだろうか。 石貫の石は神社の入り口近くにあり、さほど大きくなかったため見逃してしまった。 コノハナサクヤヒメの父の山の神オオヤマツミノカミを祀っています。鬼と「一晩で岩屋を完成さ [続きを読む]
  • 耳川の戦いと都農
  •  耳川の戦いは、最近は小丸川(高城)を耳川と誤記したのではないかということで高城川の戦いとも言う。都農でも激戦があったようだ。 まず大友軍の南下を島津軍が都農で迎撃したのだが、すぐに破れ大友軍は高城まで進軍した。恐らくその際都農神社が焼き払われたのだろう。 その後高城で大友軍が大敗し、敗走する。合戦の詳細については以下のリンクを参照。佐土原城 遠侍間 -高城の合戦(天正六年)-大友記に曰く耳川の合戦  [続きを読む]
  • 川南の諸神社
  • 1.白鬚神社 木城との境にある。浦島太郎が最後にたどり着いたという伝承も残されている。御神体は後ろにある山で、修験者の修行場となっていたという。 白鬚神社の総本山は琵琶湖畔にある。宮崎市内にも白髭神社があり、そちらは伊東氏が日向に下向した際に勧請して来たのだという。説明書きによれば825年に建立されたとのことだが、その際の祭神は土着の神で、後に(恐らく市内と同時期に)名と祭神を白髭神社と猿田彦大 [続きを読む]
  • 米良について
  •  米良にはもともと東米良と西米良が存在し、東米良は現在西都市に属している。西米良は現在も西米良村として存続し、山奥にありながらも一風変わった村政で人口現象を食い止めている。1.銀鏡(東米良) 米良街道からそれて山道を10キロ弱行くと銀鏡地区に着く。銀鏡という地区名は磐長姫命の神話に由来する。みやざきの神話と伝承101:銀鏡の地名伝説 銀鏡地区にある銀鏡神社は国指定重要無形民俗文化財に指定された銀鏡 [続きを読む]
  • 宮崎の城
  •  宮崎県内にある城をいくつか訪れたので、観光案内として記事にしました。1.飫肥城 百名城にも選ばれた城で、日向を代表する戦国大名伊東氏と九州を代表する戦国大名島津氏の係争地となった城です。 現在は復元された門があるのみですが、空堀が一部残っています。正直に言うと城としての見どころはあまりません。しかし周辺には風情のある街並みが残っており、そちらの方は見応えがありました。 また城の側に飫肥出身の小 [続きを読む]
  • 都農の諸神社 その二
  • 1.瀧神社 ワイナリーに行く途中にあります。かつては都農神社の奥宮であったようです。その名の通り、社殿の裏に滝があります。滝といっても水量は少なく水が滴り落ちる程度です。 境内の掃除をしている方にお話しを伺うことが出来ました。その方によるとこの滝には龍神様が2匹いるとのことで、その方は毎月卵を2個奉納しているそうです。龍神に卵を奉納するのはよく見られるもので、近くでは西都の速水神社で見られます。  [続きを読む]
  • 都農の諸神社 その一
  •  都農には日向国の一宮たる都農神社がありますが、それは以前書いたので、今回は都農にある小さな神社について記事にしました。 三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」は大変が参考になった。ファイルをまとめたような形であったので恐らく出版はされていないだろう。都農図書館のカウンターで貸してもらえる。 1.ねこ神様  線路を越えた海の側、福原尾にあります。ここは少々変わっていて、魚の骨が喉に引っかかてしま [続きを読む]
  • 備忘録
  •  色々お話しを伺うことが出来たので、それについての備忘録です。1.都農の夏祭りについて 2階から御輿を見下ろすのは失礼とされた。 昔は朝浜まで塩を採りに行き水を撒いていたそうだが、なくなってしまった。 都農の祭りの見どころである御輿のぶつけけ合いは、神社に入るのを嫌がる御輿を押し入れるためだという話しが伝わっているそうだ2.移住者について 柳田国男の「九州南部地方の民風」において児湯地域が紹介さ [続きを読む]
  • 網野善彦について
  •  網野善彦の研究領域はもし分類するならば、歴史学となるであろうが、民俗学にもかなり近い。民俗学的な研究が歴史学に反映されたかたちとして興味深い。 民俗学についての記述が多いのは以下の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」であろう。非常民に注目して研究を続けた民俗学者宮本常一についての回想録を交えつつ、記述がなされている。www.amazon.co.jp 著作として一番有名なのは以下の「無縁・公界・楽」になるだろ [続きを読む]
  • 「山民」と「山人」の混同
  •  柳田国男はいくつかの著作で「山民」と「山人」という言葉を用いていますが、この両者を混同してしまったかたは多いのではないでしょうか。私も最初に読んだ時は混同してしまい、柄谷行人さんの「遊動論」を読んで両者の違いに気付きました。 今回は「山民」とは何なのかを柳田の著作を引きながら明らかにして行きます。 理解を助けるために最初に端的に述べておくと、「山人」は存在するかどうかわからない日本の先住民(縄文 [続きを読む]
  • 問題意識
  •  自分の中の問題意識の一つとして格差というものがあります。共産主義的な思想を持っているからでも、搾取だなんだと喚き散らしたいからでもなく、ただ単に中産階級の減少による社会の不安定化を危惧しているだけです。 そういう背景で注目したのが「協同自助」の思想なのであり、だからこそ何度も記事を書いているわけなのですが、また書きます。※例のごとく試論です。 「協同自助」の思想は山村特有のものなのかという疑念 [続きを読む]
  • 都農でしたいこと
  •  来月の半ばに都農でしたいことを書き出しておきたいと思います。半分メモ代わりです。したいことが増え次第追記します。・都農牧神社訪問 都農牧神社の岩山が都農神社の御神体であったのではないかと考えているので、訪れて確認してみたい。・尾鈴神社訪問 尾鈴山信仰のあり方を確認しに行きたい。・木戸平神社の捜索 町史にはあると書いてあるが、どこにあるのかわからないので探しに行きたい。都農にいる間はいつもば [続きを読む]