博 さん プロフィール

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博さん: 人生哲学の並木道
ハンドル名博 さん
ブログタイトル人生哲学の並木道
ブログURLhttp://sgi.blog.jp
サイト紹介文人生の学びに終わりはなし。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供84回 / 143日(平均4.1回/週) - 参加 2016/09/09 00:49

博 さんのブログ記事

  • 生命の庭(死後の生命はどうなっていくのか)
  •  戸田城聖は、この「生命論」と題する論文を、ここまで書き上げるのに、ほぼ一週間の日を過ごしてしまった。彼は、多忙のため、毎夜続けて書くわけにはいかなかったのである。 昼間は会社での戦いがあった。出版の仕事も、この時勢では少しの油断もならない。まして、会社を休んだり、出勤に遅れたりすることすらできなかった。・・・・・今夜は、なにがなんでも書き上げるぞ。彼は心で決意した。戸外に出て、足を急がせる彼の長 [続きを読む]
  • 人間の幸福と平和への思い
  • 創価学会の池田大作名誉会長は、これまで一人の人間の幸福と、世界平和への思いを胸に、一人の民間人として、世界の数々の指導者と会い、平和を推進してきました。下に掲載したyoutubeの動画には、創価学会三代会長推戴への真実と、また、日中国交のための平和旅、ソ連のコスイギン首相、ゴルバチョフ大統領との会見など、創価学会の歴史の真実が収められています。 [続きを読む]
  • 生命の庭(仏の実体が明らかに)
  • ――― 三十四の「非」は、形容ではない。現として実在する。あるものを説き明かそうとしているのだ。しかし、その実在は、有るのでもない。無いのでもない。・・・・・・四角でもなく、丸くもなく、短くもなく、長くもない、という。・・・・・・動くのでもなく、転がるのでもなく、じっと静かだというのでもない。・・・・・まるで判じものだが、いったいなんだというのだろう。いま、自分に解っていることは、このような判じも [続きを読む]
  • 生命の庭・其の身とは・・・・・
  •  戸田先生が戦時中、巣鴨にあった東京拘置所の独房に、思想犯として拘禁されていた折のことである。 昭和19年元旦を期して、戸田先生は、毎日『日蓮宗聖典』のなかの法華経を読むことにした。さらに、日に一万遍の題目をあげることを、実践し始めたのである。 白文の法華経は読みづらかった。この本は、何度宅下げしても、不思議に戸田先生の独房へ舞い戻ってきた。それが看守や雑役夫たちの、意地悪い作為や怠慢によるものでな [続きを読む]
  • 生命の庭(執筆前夜)
  •  これまで4回に分けて、戸田先生の「生命論」を転載、紹介してきましたが、戸田先生が、この生命論を書き上げるまでの情景が、人間革命第4巻の「生命の庭」の章に詳しく描かれているので、それを紹介しながら、生命論理解の一助になればと思います。 <生命の庭より> 深夜――戸田城聖は二階の書斎で、机に向かったまま動かなかった。 机の上には、原稿用紙が広げられている。その上に「生命論 戸田城聖」と第一行が書かれた [続きを読む]
  • 生命論(4)生命の連続
  • 戸田先生の生命論(4)  < 生命の連続 > 生命は永久であり、永遠の生命であるとは、人々のよく言うところであるが、この考え方には、いろいろの種類がある。 ある人は観念的に、ただ『永遠』であると主張して、ぼんやり信じている人があるが、こんな観念的な永遠は吾人のとらないところである。 また、子孫に生命がつたわって、その子孫につたわる生命の中に自分が生きてると考えている者があるが、これでは永遠とは言え [続きを読む]
  • 生命論(3)永遠の生命
  • 戸田先生の生命論(3)  < 永遠の生命 > 人間の生命は三世にわたるというが、その長さはいかん。これこそ、また仏法の根幹であるゆえに、いま左の経文を引用する。 法華経如来寿量品にいわく、 『然るに善男子、我実に成仏してより巳来無量無辺百千万億那由陀劫なり。譬えば五百千万億那由陀阿僧祇の三千大千世界を、仮使人あって抹して微塵と為して、東方五百千万億那由陀阿僧祇の国を過ぎて乃ち一塵を下し、是の如く東 [続きを読む]
  • 生命論(2)三世の生命
  • 戸田先生の生命論(2)  < 三世の生命 >  法華経譬喩品(ひゆぼん)にいわく、 『爾(そ)の時に仏、舎利弗に告げたまわく、・・・(省略)・・・若干(そこばく)千万億の仏を供養し、正法を奉持し菩薩所行の道を具足して、当に作仏(さぶつ)することを得べし』 化城喩品(けじょうゆぼん)にいわく。 『是の十六の菩薩沙弥(ぼさつしゃみ)は甚だこれ稀有(けう)なり。・・・(省略)・・・世々に生まるる所菩 [続きを読む]
  • 戸田先生の生命論(1)
  •  戸田先生の生命論は、昭和24年7月に発刊された機関紙大白蓮華第1号に掲載された論文です。この生命論を4〜5回に分けて紹介し、またできればこの生命論を戸田先生が書き上げるまでの逸話等を、小説人間革命を通しながら紹介していきたいと思っています。  < 生命の不可思議 > わが国の神道が超国家主義、全体主義に利用されて、ついには、無謀なる太平洋戦争にまで発展していったときに、私は恩師牧口常三郎先生および親 [続きを読む]
  • ”名をあげる”とは人に尽くす生き方
  •  人身は受けがたし爪の上の土・人身は持(たも)ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くた(腐)して死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそたいせつなれ(現代語訳) 人間として生まれることは難しく、爪の上の土のようにまれである。その身を持つこともまた難しく、草の上の露のようにはかない。百二十歳まで長生きして汚名を残して一生を終るよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。  こ [続きを読む]
  • 生命の鍛錬が可能性を開く
  • 1月20日聖教新聞 名字の言 転載 雪晴れの日曜の朝、ジャージー姿の高校生たちが、歩道橋の階段に残る雪を掃いていた。「今日は学校?」と話しかけると「野球部の朝練です!」と元気な返事と白い息。「グラウンドが使えないと練習できないね」と言うと、彼らは胸を張って答えた。「これも練習です」 上達に技術の習得は大事。だが、それ以上に「人間教育」ともいうべき ”心の修練” が大切だと彼らの言動に教えられた。  [続きを読む]
  • 障魔を打ち破る
  • 「臨終只今」「臨終正念」を考える際に、一点、見落としてはならない重要な信心の姿勢があります。それは、「障魔と戦う」ことです。「臨終正念」は、「死魔」を乗り越えることでもあるからです。日頃から、三障四魔との対決を避けている人は、死魔という越えがたい障魔に到底、打ち勝つことはできない。「臨終只今」の信心の本質は、魔に蕩(とろ)かされたり、恐れおののいたりしないことです。 そのために信心を奮い起し、 [続きを読む]
  • 心の財(たから)を築く
  • ここでは、前の「臨終只今」と「臨終正念」の内容について、誤解を招かないように、補足の意味で確認しておきたいことがあります。一つは、臨終只今とは、当然のことですが、「死」を賛美しているのではないということです。むしろ「臨終只今」の真意は、生きて、生きて、生き抜くべきことを教えられています。仏法には、命を粗末にするような殉教主義は断じてありません。まして、生死(しょうじ)が連続しているからといって、安 [続きを読む]
  • 臨終只今と臨終正念
  • 日蓮大聖人御書 「生死一大事血脈抄」〜抜粋 (現代語訳) 所詮、”臨終は只今にある” と覚って信心に励み、南無妙法蓮華経と唱える人のことを、普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつぼん)第28には、「この人は寿命が終われば、千もの仏が手を差し伸べ、死後への恐怖を起こさせたり、悪道に堕とさせたりするようなことはしない」と説かれている。 喜ばしいことに、一仏や二仏ではなく、また百仏や二百仏でもなく、千仏ま [続きを読む]
  • 苦をば苦と悟り
  •  私たちの生命の中に、肉団の中に、もったいなくも大聖人と同じ仏という生命があるのです。これが曇っているが故に仏の生命が出てこない。罪業に染まっているのです。それを懸命に磨くことが題目であり、折伏です。 仏法から見れば、われわれが難を受けるということは、水に濡れるようなものであり、雨に打たれるようなものです。あとがさっぱりするのです。 苦をば苦とさとり 楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合わせて 南無妙 [続きを読む]
  • 幹部の姿勢
  • 幹部が率先して一番困難な所にあたるのだ。法華経は冬の信心ではないか!最も厳しい場所で戦い、そこで勝ってこそ、真実の広宣流布の実像がある。そして、苦難の吹雪のなか、健気に頑張っている人を、仏と思い、菩薩と尊敬し、励ましてこそ、真実の同志である!一般世間では、暑い時には涼しいところへ、寒い時には暖かいところへいくものだ。でも学会はそうじゃない。暑い時には炎暑の所へ、寒い時には極寒の地へ行って同志を励ま [続きを読む]
  • 悪知識と善知識
  •  誰と心がつながるかによって、人生は大きく左右される。多くの人は、「あの人のようになりたい」「あの人の言うことなら聞きたい」というあこがれの対象を無意識にしろ持っている。その対象にどんな人を選ぶかによって、生き方が全く変わってしまう。よき人を選べば、それ自体が限りない向上の力となる。しかし、対象を間違えれば、どんなに努力しても、そもそも目指す方向が間違っているのだから、不幸な結果に終わってしまうだ [続きを読む]
  • 色心不二なるを一極
  •  ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)憲章の前文には、「戦争は人間の心で始まるものであるから、人間の心の中で、平和の砦が建設されなければならない・・・」とある。 確かに、その通りである。しかし、現実はこの憲章を、世界の各地で裏切っている。 心を信頼しようとしても、信頼すべき心が裏切ってしまうのである。人間の心は、戦争より厄介なものといわなければならない。 ユネスコ憲章は、戦争の悲惨を絶滅するために [続きを読む]
  • 庶民の指導者
  •  昭和23年の9月にはいると、戸田先生の法華経講義は、この年の第7回目を迎えていた。受講者も一変し、一段と活気を呈していた。戸田先生の法華経講義は、第9回まで続いたが、なかでも、この7回目の講義が最盛であった。 5,60名の受講者は、さまざまな職場から、駆け付けてきていた。まちまちの服装である。勤労の汗の臭いが、熱っぽい会場に、いつも漂っていた。 このころ、戸田先生は「法華経講義」の修了者に、銀色の鶴丸の [続きを読む]
  • 体験ほど強いものはない
  •  創価学会では、日蓮大聖人の仏法の正しさを実証するため、いろいろな人の体験談に力を入れている。それは、体験ほど強いものはないからである。 理論だけで正邪を争おうとすれば、観念の遊戯に陥りがちで、いつまでも平行線をたどってしまうことが多い。数多くの体験は、単なる観念ではなく、科学的側面からも仏法の正しさを証明するものであった。 美辞麗句の指導や、観念の理論より、現実の体験のほうが人の心を強く打った。 [続きを読む]
  • 家庭不和を抱える婦人への激励
  •  ある婦人の家は、東京の下町で町工場をやっていた。しかし、その経営は危殆に瀕していたし、夫は病弱であり、暴君であった。気丈な彼女は多くの子どもをかかえて、懸命に生活と戦っていたが、力尽きた思いであった。途方にくれていた時、彼女は折伏され入信した。そして前途に希望をもちはじめたが、同時に暴君の主人の猛烈な反対がはじまった。思いのままにならぬ困難のさなかに、入信したことによって、もう一つの困難が新たに [続きを読む]
  • 日蓮大聖人の御書に学ぶ正月
  • 十字(むしもち)御書「 十字(むしもち)一百まい、かし(菓子)ひとこ(一籠)給い了(おわ)んぬ。正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め、此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあい(愛)せられ候なり。・・・・・」 重須どのの女房、このかたは南条時光の姉さんにあたるかたです。南条家から重須の石河新兵衛熊 [続きを読む]
  • 惰性の怖さ
  •  組織が秩序だってくると、どうしても幹部の惰性がはじまる。しかし、自分では気がつかない。相変わらずけっこうやっていると思っている。この相変わらずが、空転になる。それが曲者だ。 宇宙のあらゆる一切のものは、天体にせよ、一匹の虱にせよ、刻々と変転していく。一瞬といえども、そのままでいることはできない。相変わらずでいこうと思うのは、錯覚にすぎない。 そこで、一番の問題は、良く変わっていくか、悪く変わって [続きを読む]
  • 誤れる宗教
  •  誤れる宗教は、教祖だけが悟りを得たように装い、他の信者は、いつまでも無知案愚として取り扱われているのが常である。信者は、教祖の奴隷に似ている。 正法は、真実の師弟不二を説き、弟子が師と共に進み、かつ師以上に成長し、社会に貢献していくことを指導する。 前者は、不合理であり、俗にいう宗教のための宗教、そして企業化した宗教である。 後者は、生きるための源泉であり、生活法である。矛盾のない哲学が裏付けと [続きを読む]