yukemuriのブログ さん プロフィール

  •  
yukemuriのブログさん: yukemuriのブログ
ハンドル名yukemuriのブログ さん
ブログタイトルyukemuriのブログ
ブログURLhttps://yukemuri.muragon.com/
サイト紹介文コント(掌編小説), いろはカルタに纏わる思い、人情の機微に触れる江戸川柳色は匂へ、趣味の5・7・5
自由文玄冬期に入って、遊行ライフを執筆と読書で過ごしています。俳句108句、掌編小説108本を推敲編集して整理を終わりたいと思っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供398回 / 365日(平均7.6回/週) - 参加 2016/09/11 16:08

yukemuriのブログ さんのブログ記事

  • 花かるた 色は匂へ 「け」の4 鷄 頭 (秋)
  •    鷄頭や一つは育つこぼれ種    大 祗    鷄頭の宿や窓から答へけり    召 波            季節の花300より    活けてみて鷄頭といふ昏(くら)き花  後藤比奈夫            季節の花300より    花言葉は、「おしゃれ」「気取り」「風変わり」 花名の鶏頭(ケイトウ)は、雄鶏の赤いトサカのような花の形にちなみます。英語でも「Cockscomb(雄鶏のトサカ)」 [続きを読む]
  • つぶやき 97  「学校が壊れる」週刊東洋経済
  •  行きつけの本屋で9月16日号の週刊東洋経済を買った。 「学校が壊れる」〜学校は完全なブラック職場だ〜を一気に読んだ。  昭和30年代の教員の勤務実態は凄かった。こんなもんじゃないぞ。  授業が終わって、部活や個別指導が始まり、夕方の5時過ぎから職員会議や学年部会、研究会、組合の話し合いと夜中の12時に家に帰り着けばよい方だ。  まだ教員の中で車を持っている人は一人もいない。単車を持っている人が学 [続きを読む]
  • 花かるた 色は匂へ 「け」の3 月下美人 (夏)
  •       月下美人咲いて客なき今宵かな  藤岡細江                 季節の花300より       月下美人開くところを圍みけり  入星曉圃                季節の花300より       寝もやらず月下美人の開く待   渡部三與   花言葉は、「はかない美」「はかない恋」「あでやかな美人」   花名の月下美人は、この花が夜に咲き始め、翌朝までにしぼんでしまうことに [続きを読む]
  • 江戸川柳 色は匂へ  「わ」の2 若後家(わかごけ)
  • 若後家のふしゃうぶしゃうに子にまよひ   子のために生きるか、それと                      も。 若後家の剃りたいなどとむごがらせ   尼に、もったいない。 若い身で安請合の後家を立て      意地を捨てるべきか、女を捨てる                    べきか。 若後家のたよりになってやりたがり   ごもっとも、ごもっとも。 [続きを読む]
  • 江戸を見れば 53  消費生活の向上と貨幣経済の発展
  • 1655年承応4年乙未(きのとひつじ)明暦元年(4月13日)  城下町での家臣団の消費生活の向上に伴い江戸のインフラ整備や貨幣経済の改革が進行していった。  消火用の堀井戸の準備と水桶(防火用水)の完備を急いだ。1町の両側に8つずつを原則に堀井戸を設け、商売の妨げになるときは蓋をすること。水桶も井戸と同じように蓋をして常時満水の水を貯えることを整備した。  江戸の生活の発展に伴い膨大なゴミがでてそ [続きを読む]
  • 花かるた 色は匂へ 「け」の2 罌粟(けし)の花 (夏)
  •    僧になる子の美しや芥子の花   一  茶                    季節の花300より    輕ろやかに見えゐて風に散らぬ罌粟  小山白云                季節の花300より    芥子挿してドラマ始まりさうな宵  竹腰八柏    花言葉は「眠り」「慰め」「恋の予感」「思いやり」   和名: 雛芥子(ヒナゲシ) 別名: 虞美人草(グビジンソウ)、ポピー、コクリコ、シ [続きを読む]
  • つぶやき 96  年寄りと若者を結ぶ「今日」を
  •  年寄りは過去を多く語ることが常である。若者は未来を語ることが多い。  それは当然である。  年寄りは長い過去を背負い、若者は長い未来を孕んでいる。  これからの年寄りは努めて過去を見つめて、「今」を語り、若者は未来を眺めて「今」を語ることが大切である。 「今」をあるがままに受け入れることから全ては始まる。 「今日」一日をどう生きるかだけに専念すること。今日は明日の過去になり、明日は今日の未来にな [続きを読む]
  • 江戸川柳 色は匂へ  「を・お」の2 大一座(おおいちざ)
  • 施主はまだ泣いてゐるのに大一座   よからぬ相談はすぐにやる。  大一座=川柳では多人数で女郎屋に登楼することをいう。葬式帰りや花見や夕涼みのくずれが多い。 町内のぎりさへすむと大一座   なにはともあれ義理とふんどしは。 大一座無理往生は数珠をもち   年寄りの冷や水、ポックリ行くかも。 その数珠はしまってくれと土手で言い  爺ちゃん、それはしまってよ。 人といふものは知れぬと大一座   集団心 [続きを読む]
  • つぶやき 95  十人十色の遊行ライフ 鴨 長明
  •  鴨長明が遊行ライフの入り口に立った時の意識が方丈記であろう。  「あるがままの自分」を受け入れる自己受容の始まりが方丈記の執筆であったと思う。  平安貴族のお坊ちゃんとして何不自由なくちやほやされて育った長明が方丈の一室に閉じこもって一気呵成に方丈記を書き上げた。  方丈=一丈四方(九平方メートル)の正方形の部屋。  インドの維摩(ゆいま)という大富豪が、出家をしないで仏教に帰依し在家の仏弟子と [続きを読む]
  • 花かるた 色は匂へ 「ま」の3 曼珠沙華(秋)
  •    赤も亦悲しみの色曼殊沙華  中村芳子            季節の花300より    燃えうつることなく燃ゆる彼岸花   桔梗きちかう            季節の花300より    花言葉は、「悲しき思い出」「あきらめ」「独立」「情熱」   花名の彼岸花(ヒガンバナ)は、秋の彼岸の頃に開花することに由来します。別名の曼珠沙華(マンジュシャゲ)は、法華経などの仏典に由来。彼岸(あの世)とい [続きを読む]
  • 江戸を見れば 52  隠元、弟子6人と来日 
  •  1654年承応3年甲午(きのえうま)7月、明僧隠元が黄檗宗(おうばくしゅう)伝道のために来日する。  隠元自身は臨済正宗と称していたが、独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えた。  日本では禅宗の一派として独立した。  なお、明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝え、隠元 [続きを読む]
  • 花かるた 色は匂へ 「ま」の2 待宵草・月見草(夏)
  •    帰らざる人を待宵草と待つ       川口咲子    天幕張る待宵草も中に入れ       城谷文城             季節の花300より    よりそへばほころびそめぬ月見草    池内友次郎    月見草ランプのごとし夜明け前     川端茅舎            季節の花300より     花言葉は、「無言の愛情」「移り気」  花言葉の「無言の愛情」も人目を避けるように夕方ひっ [続きを読む]
  • つぶやき 94 十人十色の遊行ライフ 鎌田實著より
  • 「遊行」とは、人によっては、解脱、煩悩から自由になることを目標にする時期だといいます。でも僕は字の通り、「遊び、行く」と考え、フラフラしてもいいと考えています。この時期こそ、自分の好きな仕事や、やりたいことをするときでもあるのです。 「遊行」とは、1人の人間が子どもの頃のような、自由な心で生きること。先入観などにとらわれず、こだわりなど捨てて、"遊び"を意識するのです。さまざまな殻を打ち破って、生 [続きを読む]
  • 江戸を見れば 51  近松門左衛門誕生
  •  1653年承応2年癸巳(みずのとみ)6月23日に京都の内裏で出火し、宝庫一つを残して全焼した。その復興は幕府にとって大きな問題であった。  近松誕生の年に松永貞徳82歳で没、西山宗因48歳、西鶴12歳、芭蕉10歳であった。  当時の初等教育は8歳を目安に寺子屋に入学するのが一般的で西鶴も芭蕉も学生期(がくしょうき)を励んでいたはずである。  芭蕉家は分家筋にあたり、本家は無足人(郷士)で、身分は [続きを読む]
  • 江戸を見れば 50  浪人とかぶき者対策
  •  1652年 慶安5年壬辰(みずのえたつ)承応元年(9月18日) 9月に浪人,戸次(別木)庄左衛門・林戸右衛門らの老中暗殺計画が発覚して処刑されるという承応(じょうおう)事件が起こる。  戸次庄左衛門が同志数人と崇源院(徳川秀忠の正妻)の27回忌が増上寺で営まれるのを利用し、放火して金品を奪い江戸幕府老中を討ち取ろうと計画した。  しかし、仲間の一人が老中・松平信綱に密告したため庄左衛門らは捕らえ [続きを読む]
  • 花かるた 色は匂へ 「や」の6 山葡萄 秋
  •    山葡萄熟れてこぼるゝばかりなり  大瀬雁來紅        裏山にのぼればいたるところに山葡萄の木が茂っていた。それを初めて口にしたのは、近くに住むがき大将のおかげである。がき大将はいろんなことを知っていて子分たちに教えていた。  がき大将になるにはいろんな知識や生きる力を持っていなければなれるもんではない。  山葡萄を見るとがき大将を思い出す。いい思い出として。がき大将には可愛い妹が二人い [続きを読む]
  • つぶやき 93  遊行ライフ真っただ中
  •  これまでにかなりの教典や仏教書や宗教書を読んだ。それなりによい学習ができたと思う。  五木寛之さんの「遊行の門」をよんで、今までとは違う心の安らぎを感じた。私が80歳を超えたからかもしれない。  古代インドには、人生を4っつに分ける思想がある。 学生期(がくしょうき)=世間に生きるすべを学び、体をきたえ、きたるべ    き社会生活のためにそなえる青少年の時期である。 家住期(かじゅうき)=大人に [続きを読む]
  • 江戸川柳 色は匂へ  「り」の2 悋気(りんき)
  • 寝たきりでいるはきれいなりん気也    可愛いね。 りんきにも当りでのある金だらい     斧がとぶ現代は怖い。 りんきのそれ矢戸障子へあたる也     八つ当たり、ごもっとも。 それ矢=狙いからそれて他の方へ飛んでゆく矢。流れ矢。  悋気、嫉妬、やきもちなどと言う言葉が懐かしい時代になった。今は何も言わずにバットで殴られたり、斧で殴られたりする時代になった。可愛いやきもちなんて夢のまた夢。寝たき [続きを読む]
  • 江戸を見れば 49  由井正雪の陰謀発覚
  •  1651年 慶安4年辛卯(かのとう)4月20日に家光が没し、家綱が将軍となる。家光の遺言により保科正之(会津藩主)が補佐役となる。  徳川家康の孫にあたる。江戸幕府第3代将軍徳川家光の異母弟で、家光と4代将軍家綱を輔佐し、幕閣に重きをなした。日本史上屈指の名君との呼び声も高い。第2代将軍徳川秀忠の四男(庶子)として生まれる。幼名は幸松。  大老を抑えて時の権力者のトップとなる。  家光没という動 [続きを読む]
  • つぶやき 92  教育における田中角栄氏の功績
  •  田中角栄内閣総理大臣は殊の外学校教育や教師を大切にした。  当時、教員の給与は公務員の中でも低いクラスに入っていた。高校を出たばかりの教え子たちが「先生」になっても食っていけないと心から同情してくれたものだ。  1972年(昭和47年)に第1次田中角栄内閣が誕生して、「教職への人材誘致の見地から優遇措置が必要」との指摘から、人材確保法が成立して教員の給与を一般の公務員より優遇することを定めた。 [続きを読む]
  • 江戸を見れば 48  お陰参り大流行
  •  1650年 慶安3年庚寅(かのえとら)3月から伊勢神宮への集団参詣がはじまり、江戸の商人は白衣を着て参宮した。日常生活に対する厳しい統制と圧迫、一方、江戸商人は経済的に充実してきた。  神事にことよせての民衆の示威行動が大ぴらになって、商人を核にした時代の流れが始まっていく。  お陰参りの特徴は、奉公人などが主人に無断で、また、子どもが親に無断で参詣しても、確かに参詣したという証拠品、お守りやお [続きを読む]
  • 江戸川柳 色は匂へ  「ち」の2 智 恵
  •  後悔と連立って行く下司の知恵   絞って出した知恵に苦しむばかり。  下司(げす)の知恵=諺に下司の知恵は後から出る、あるいは後の悔やみ。  なろうならせめて文殊の無分別   三人寄っても知恵はない。  何と知恵がと悪いちえを出し    悪知恵はよく出るもんだ。  朝帰り行く時ほどの知恵は出ず   何かしでかそうとするときはねえ。 [続きを読む]