よも助 さん プロフィール

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よも助さん: 毎度!よも助です
ハンドル名よも助 さん
ブログタイトル毎度!よも助です
ブログURLhttp://yomosukehasiru.take-uma.net/
サイト紹介文日々の暮らしを毎度!思った通りに毎日うたってみたよも助です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供132回 / 150日(平均6.2回/週) - 参加 2016/10/26 14:14

よも助 さんのブログ記事

  • 信州菅平高原桑田館
  • は冬はスキー客夏はラグビー合宿の学生を相手に商いする旅館だが十九歳の夏と冬、二十歳の夏、そして二十二歳の夏と四度草鞋を脱いだいまでこそ労働は罪悪とうそぶいているが当時は生きるために働くのは仕方のないことと割り切っていた根が真面目で正直者でおまけに小心者のぼくは<それはいまでも変わらないが>さぼるということができず陰日なたなくそれこそ一心不乱に働いてしまうそこをおかみさんが気に入ってくれたわけだ [続きを読む]
  • うつろい摩訶不思議
  • [大昔は刺激を感じてました昔は刺激を望んでました今は何もないのが一番いいと思います]このあとも何やらごちゃごちゃっと書いてそれは覚えてないのだがこれは中学三年か高校一年の時に作った詩の冒頭の三行です大昔が何年前で昔が何年前なのかは知らないが大昔のぼくは考え方は似ていても今のぼくとはまったくの別人です昔のぼくは人格も性格も今と瓜二つであってもやっぱりぼくではないでしょう不思議なことなのですが還暦を [続きを読む]
  • 乳首からちんぽへ
  • 小学生の中頃までぼくは茶の間で母と一緒に寝ていた母の乳首をいじりながら眠ったそれはいつしか自身のちんぽの先に取って代わったちんぽの先をポロンポロンと爪弾くのだ母に、もう大きいのだからとたしなめられた記憶はないしやめなくちゃと自分を戒めた覚えもない単にちんぽの方が気持ち良かったからだろう還暦を過ぎた今でもあしたは早いんだから眠らなくちゃとちんぽをいらっている自分に気づくことがある父が、月に何回か [続きを読む]
  • 母は6月生まれだが
  • 何日かは知らないいや、覚えていない母は大正生まれだが何年かは知らないいや、忘れてしまった7か9か11の奇数年とは思うのだが父も大正生まれで母とは2年違いだがそして同じ6月生まれだったような気がするのだが調べればすぐ分かることだろうがそんなわけで正確なところは分からない何がそんなわけかは問うまいふたりの姉に聞けばすぐに分かることだと思うのだが母の名前はさだかさだ子かサダかサダ子だ母は封筒の裏やは [続きを読む]
  • かちゃんへ
  • 茶の間の真ん中に掘り炬燵があり母専用の箪笥の前が父の定位置だった母は台所寄りつまり土間側に座ったぼくはあっちこっち誰かの隣にもぐりこんだ母の箪笥の一番上は戸棚になっていて裁縫道具や風呂敷などの小物類それに財布もしまわれていた兄はちょくちょく母の財布からちょろまかしたらしいぼくにそんな勇気はなかったけれど一度だけ百円を抜き取ったことがある何のための百円だったかは覚えていない後悔したがそれが使う前 [続きを読む]
  • 夕べときのうの間に
  • ポッカリと開いた一日があったポッカリと開いた一日はおいらを男にしてくれたおいらに友を与えてくれた一瞬だがおいらを奮い立たせてくれた夕べときのうの間のポッカリと空いた一日にぼくは感謝する走る酔っ払いよも助がうたう [続きを読む]
  • フニクリフニクラ
  • この年になると友人知人が、好きな作家芸能人がどんどんどしどし死んでいく好きでもないタレントや有名人、はたまた見知らぬひとまで含めると一日にいったい何人の人間が死んでいっているのか百万か一億かまあ算数の苦手なぼくには百万と一億の区分けはつかないがー生きている時ぼくは彼でなかったように死んだあとだってやっぱり彼にはなれない順調にいけば妥当な線ならぼくが殺されるか居眠り運転のダンプカーに [続きを読む]
  • 最後の言い訳
  • 毎朝走るのを日課にしているなのだが週に三回走れば御の字だろう走れないわけじゃない、走らないだけだと言い訳するあしたはきょうの分も走ってきっちりけりをつけてやるもちろんけりをつけたことはただの一度もない今はそんなことはないが若い頃は必要に迫られよくソープランドへ行った行ってしまったらあしたからの生活に支障をきたすそんな時は神様に運命を委ねた十円玉を投げ表だったら行き裏なら行かない裏だあしたから醤 [続きを読む]
  • 満天の星に捧ぐ くだんのくだる
  • がいってしまった。まあるい顔とまんまるいお腹がトレードマークのくだるが満天の星に向かい昇って逝ってしまった。ちょいと異端を気取った元気いっぱいのいたずら坊主がおおいに遊びちょっぴり勉強しただほんの少しを望んで結婚し離婚しまた結婚しその節目節目にはまるで己に落とし前をつけるかのように働きづめに働きやっとゆっくりできる境遇に見舞われたその矢先だどこまでもクソ真面目にいつまでもバカ正直に自分を励ます [続きを読む]
  • ママチャリブルース パート2
  • 観光ビザの延長にプロムナーダへ行く俺のアパートから入国管理局までゆうに5キロ以上あるもちろん我が良き友ママチャリに跨って行く手続きを終えさらにそこから軽く5キロ以上離れた友人A宅を目指す友人Aが借りている一軒家はチェンマイ県に属するが200メートル先の大家の豪邸は隣県のランプーンで友人Aはランプーン県の住人を気取っているさっそく飲み出す 何本空けたろうかやはりその日プロムナーダで90日出頭 [続きを読む]
  • よも助のチェンマイところどころから???市場
  • 最近取り壊され今はないが、チョタナ通りをメーリム方面に向かいチャングプアクバスターミナルを少し過ぎた右手に日用雑貨や服を売る店を集めた上記の市場があった。ここ15年、日本の夏場やチェンマイで暮らす時は半ズボンにノースリーブの丸首白シャツという格好がぼくの定番ファッションになっている。それらすべてはこの市場で買ってきた。ノースリーブ丸首白シャツは何社かが競合していたがBigbandブランドが断トツで、 [続きを読む]
  • よも助のチェンマイところどころからチェンマイラーム病院
  • わたくしはタイのチェンマイと栃木県は日光市の間を行ったり来たりしているよも助と申す者ですが これまでに二度急性アルコール肝炎を患っている。許容量をはるかに超えるアルコールを体内に取り込んでしまうためだが、ぼくの許容量はごくごく普通なので大酒飲みというわけではない。 身も心もだるくなり、小便がコーラ色ナムプラー色になり、糞は脱色したように白っぽくふやける。 黄疸症状で手が目が黄色くなり、この時期に [続きを読む]
  • もう、やり過せないのなら
  • 飽きる ということは確かにあるこの十年、日本に半年タイに半年という生活を続けているタイに来て三ヶ月もすると飽きてきて日本に帰りたくなるなら飽きた時点で予定を切替え帰るなり行くなりすれば良さそうなもんだがチケットの問題とかあってそこまではしていない河岸を変えたところでそれほど気分が変わるものでないことは骨身に沁みているただ飽きるスピードは年々速くなっている飽きるとは、あきらめる、明らか [続きを読む]
  • さようなら、ぼくは気まぐれ
  • 最後のためいき 君にはなにも聞こえないかも知れないがこれがぼくの精一杯のつぶやきです叫ぶのだがその裏返った声はまたたくまに蒸発し身も蓋もなく跡形もないおらんでもその恨みつらみは3秒で地球を1周しぼくの後頭部を指ピンする見つめたいのに話したいのにぼくにはコトバが見つからないあきらめてひきこもり投げ出して飲んだくれ捨て去って押し黙っても下腹のその下のさらに下のほうでくすぶり続けるものがあるそれをつ [続きを読む]
  • 母、断章 諦念からその3
  • 一山離れた母の実家というのは山久保で合併前から日光市だがぼくらが行く時は電車かバスでまず国鉄の今市駅まで出てそこから小来川行きのバスに乗り換えるのだった山久保小学校の子供らは中学に上がると日光東中に通うことになるぼくも日光小学校から東中へ行ったが毎日山道を大変だなと思っていた今も昔もバスは通っていない野球部の恒例の伝統行事に山久保までのマラソンがあった都合3回山久保へと走ったが母の実家手前の神 [続きを読む]
  • 母、断章 諦念からその2
  • イザワさんは稲荷町三丁目に越して来たが母が駆け込んだのは志度淵川の向こう側にあった家だ町名でいえば松原町だろうがスケートリンクからさらに上に上がったところにあったその頃その辺りに家作はほとんどなかった間口の広い横にだだっ広い家だった看板は見かけなかったが何か商売でもしていたのだろうか囲炉裏があった気がする昼間でも薄暗かったいや、あれはもう夜だったのか地の果てに来てしまったような印象を持ったので [続きを読む]
  • 母、断章 諦念からその1
  • 諦念 夕べのことは水に流そう側溝に流した舐め終えたアイス棒みたいに おふくろは覚えているだけでばあちゃんの苛めに耐えかね二度家出している一度目はイザワさんちへ二度目はヤマコシさんちへ駆け込んだのだその道中は永遠のように感じられたが ナニ はいはいでも行ける距離だったのだ一山離れた実家にまで逃げ帰るには背中のぼくが重すぎたのだろういつだって心配事で満腹だった母は夕べのこともあ [続きを読む]
  • 母、断章 橋幸夫と佐分利信からその4
  • もう少し姉の手紙を続ける ばあちゃんにいじめられて辛すぎて かあちゃんは何回家出しようとしただろう 踏み切りに立ち飛び込もうとしただろう 国鉄の駅のところでわたしを負ぶって泣いていた母に わたしは背中で「かあちゃん、泣くんじゃないよ、泣くんじゃないよ」 と何回も言ったんだって ぜんぜん覚えてないんだけど母の口から何度も聞かされました わたしの最初の記憶は何だろうか と思い出をたどるといつも蘇ってく [続きを読む]
  • 母、断章 橋幸夫と佐分利信からその3
  • 下の姉は手紙を書くのが好きな人でぼくも今までに百通近く受け取っている最近貰った手紙から母に関して書かれた部分を抜粋して紹介したい わたしがばあちゃんの葬式で泣いたのは ええちゃんが台所で号泣してたから 隣組のおばさんたちの「ええちゃんはやさしいね」って声が 聞こえてきて、わたしも泣かなくちゃと思って 泣いてしまえばあとはいくらでも泣けました ばあちゃんが寝たきりになったあと かあちゃんの無念を少し [続きを読む]
  • 母、断章 橋幸夫と佐分利信からその2
  • 自殺した弟の他に母には弟が二人と妹が一人いた多分モリちゃんケンちゃんミッちゃんの順でそれぞれに所帯を持ちモリちゃんは実家で林業関係の仕事をしケンちゃんは埼玉で大工ミッちゃんは宇都宮で主婦のかたわら洋裁を教えていた顔つきも性格もモリちゃんが一番母に似ていたよく高い高いをしてくれたケンちゃんとは山久保に行っても顔を合わせることは少なかったが法事なんかで集まるとああだこうだと張り切ったそのうち新興宗教に [続きを読む]
  • 母、断章 橋幸夫と佐分利信からその1
  • 橋幸夫と佐分利信 母は橋幸夫のファンだった小学校の修学旅行の母へのお土産は橋幸夫のブロマイドつき折りたたみ式鏡だった三ヶ月もしないうちにその鏡はぼくの机の上にあった母の影響で御三家の中ではぼくも橋幸夫が一番好きだったが奪い取ったわけではない母に上げたものがいつのまにかぼくの手の中にあるそうしたことはよくあった橋幸夫以外にも母が好きになった芸能人は何人かいるはずだが他で知っているのは佐分利 [続きを読む]
  • 母、断章 八間道路からその5
  • 茶の間の真ん中に掘り炬燵があり母専用の箪笥の前が父の定位置だった母は台所寄りつまり土間側に座ったぼくはあっちこっち誰かの隣にもぐりこんだ母の箪笥の一番上は戸棚になっていて裁縫道具や風呂敷などの小物類それに財布もしまわれていた兄はちょくちょく母の財布からちょろまかしたらしいぼくにそんな勇気はなかったけれど一度だけ百円を抜き取ったことがある何のための百円だったかは覚えていない後悔したがそれが使う前だっ [続きを読む]
  • 母、断章 八間道路からその4
  • 畑は2キロ離れた河川敷にあった違法であり、後に裁判沙汰になった父は既得権を主張したが負けただがそれは先の話で祖母が元気だった頃は家族総出で弁当持ちで出かけたりもしたもちろん専業農家ではない父は古河電工日光精銅所の職工で母はキャデイーだったキャデイーを辞めてからもすぐ物産店に卸すお盆を作っているところに職を得たぼくらは母の勤め先を柏木さんと呼んだ母は働き者だそれにもまして父は働くのが体を動かすのが好 [続きを読む]
  • 母、断章 八間道路からその3
  • 小学生の中頃までぼくは母と一緒に寝ていた母の乳首をいじりながら眠ったそれはいつしか自身のちんぽの先に取って代わったちんぽの先をポロンポロンと爪弾くのだ母に、もう大きいのだからとたしなめられた記憶はないしやめなくちゃと自分を戒めた覚えもない単にちんぽの方が気持ち良かったからだろう還暦を過ぎた今でもあしたは早いんだから眠らなくちゃとちんぽをいらっている自分に気づくことがある父が、月に何回かきょうはとう [続きを読む]
  • 母、断章 八間道路からその2
  • 茶の間の半分は3畳で残りは板敷きだった掘り炬燵に4人で入れば1人が畳部分に尻をつけることになる板の間は土間に接していて一部が廊下となって風呂場と2階に繋がっていた流しの右隣にへっついがふたつありその奥に風呂釜があった3畳に蒲団を敷きぼくは母と寝るのだった朝、目を覚ますとまず母の存在を確認する冬、寒い時は寝床から「かあちゃん!ひしゃくで水」と叫ぶのだすると母は枕元まで来てくれぼくが飲み終わるのを待っ [続きを読む]