奈良学舍 さん プロフィール

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奈良学舍さん: 久遠の友
ハンドル名奈良学舍 さん
ブログタイトル久遠の友
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/hideken118/
サイト紹介文日蓮、法華経に導かれて
自由文日蓮、法華経を一人で信仰して学び、生きる糧としている会社員です。
特定の宗派とは一切関係ありません。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供298回 / 284日(平均7.3回/週) - 参加 2016/11/09 22:38

奈良学舍 さんのブログ記事

  • 五五百歳の長き闇を照す
  • 空には限りがありません。羽ばたき、飛び出したら永遠に飛び続けられます(物理的なものは別として)。異なる国、異なる民族を俯瞰しながら、同じ地球上の家族を実感できるかもしれません。海も異なることがありません。どこまでも続く「世界」であり、あまりにも広い、視界いっぱいの海を見ていると、国家の都合で作られた境界線も空しく感じてしまいます。しかし、地には「限り」があります。遥かなる地平線を目指して進めば、「無 [続きを読む]
  • 寿量品は日の如し
  • 日蓮遺文『薬王品得意抄』第四に日の譬は、星の中に月の出でたるは星の光には月の光は勝るとも未だ星の光を消さず。日中には星の光消ゆるのみに非ず、又月の光も奪いて光を失う。爾前は星の如く法華経の迹門は月の如し、寿量品は日の如し。寿量品の時は迹門の月未だ及ばず、何に況や爾前の星をや。夜は星の時、月の時も衆務を作さず、夜暁て必ず衆務を作す。爾前迹門にして猶生死を離れ難し、本門寿量品に至つて必ず生死を離る可し [続きを読む]
  • 衆明の中の大日天
  • 日蓮遺文『報恩抄』法華経の第七に云く「能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」等云云。此経文のごとくならば、法華経の行者は川流江河の中の大海、衆山の中の須弥山、衆星の中の月天、衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり。法華経の行者は大海・須弥山・月天・大日天・大梵王である・・・力強い言葉ですね。安房の国の門下は大いなる確信を得たことでしょう。 [続きを読む]
  • 大いなるものと共に生きる
  • 日蓮遺文『上野殿御返事(龍門書)』願はくは我が弟子等、大願ををこせ。去年(こぞ)去々年(おととし)のやくびゃう(疫病)に死にし人々のかずにも入らず、又当時蒙古のせ(攻)めにまぬ(免)かるべしともみへず。とにかくに死は一定なり。其の時のなげ(嘆)きはたうじ(当時)のごとし。をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ。つゆ(露)を大海にあつらへ、ちり(塵)を大地にう(埋)づむとをもへ。弘安2年11月6日宗教は一見、眼に見えない [続きを読む]
  • 是日尼御書
  • 日蓮遺文『是日尼御書』さど(佐渡)の国より此の甲州まで入道の来たりしかば、あらふしぎ(不思議)やとをも(思)ひしに、又今年来てな(菜)つみ、水くみ、たきぎ(薪)こり、だん(檀)王の阿志仙人(あしせんにん)につかへしがごとくして一月に及びぬる不思議さよ。ふで(筆)をもちてつくしがたし。これひとへに又尼ぎみの御功徳なるべし。又御本尊一ぷくかきてまいらせ候。霊山浄土にてはかならずゆ(行)きあ(合)ひたてまつるべし。 弘安元 [続きを読む]
  • 一切経の眼目
  • 日蓮遺文『妙心尼御前御返事』をさ(幼)なき人の御ために御まぼ(守)りさづけまいらせ候。この御まぼ(守)りは、法華経のうちのかんじん(肝心)、一切経のげんもく(眼目)にて候。たとへば、天には日月、地には大王、人には心、たからの中には如意宝珠のたま、いえ(家)にははしら(柱)のやう(様)なる事にて候。 このまんだら(曼荼羅)を身にたもちぬれば、王を武士のまぼるがごとく、子ををや(親)のあい(愛)するがごとく、いを(魚)の水を [続きを読む]
  • 釈迦如来の御神
  • 日蓮遺文『撰時抄』外典に云はく、未萠をしるを聖人という。内典に云はく、三世を知るを聖人という。余に三度のかうみゃうあり。一つには去にし文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向かって云はく、中略二つには去にし文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向かって云はく、日蓮は日本国の棟梁なり。中略第三には去年文永十一年四月八日左衛門尉に語って云はく、王地に生まれた [続きを読む]
  • 釈迦仏独り主師親の三義をかね給へり
  • 日蓮遺文『祈祷抄』而れども仏さまざまの難をまぬ(免)かれて御年七十二歳、仏法を説き始められて四十二年と申せしに、中天竺王舎城(おうしゃじょう)の丑寅、耆闍崛山(ぎしゃくっせん)と申す山にして、法華経を説き始められて八年まで説かせ給ひて、東天竺倶尸那(くしな)城、跋提(ばっだい)河の辺(ほとり)にして御年八十と申せし、二月十五日の夜半に御涅槃に入らせ給ひき。而りといへども御悟りをば法華経と説きをかせ給へば、此の [続きを読む]
  • 世尊の使い
  • 法華経 勧持品第十三 我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所無し 我当に善く法を説くべし 願わくは仏安穏に住したまえこの一節を拝して思います。我れは久遠仏の使いにして、我が人生に縁する人々に久遠仏の慈悲を届けん。自らをして自らの心田を耕し、その実りを分け与えん。さあ、明日もまた精進行を! [続きを読む]
  • 日蓮に会いたくなった時は?
  • 現存しませんが佐渡始顕本尊の讃文、また万年救護御本尊の讃文を拝しています。◇日蓮は観心本尊抄(文永10年4月25日)を著した2ヶ月後の7月8日、佐渡始顕本尊を顕しました。佐渡始顕本尊の讃文此法花経大曼陀羅 仏滅後二千二百二十余年一閻浮提之内未曾有之 日蓮始図之如来現在猶多怨嫉況滅度後法花経弘通之故有留難事仏語不虚也意訳仏滅後、二千二百二十余年を経過した今、一閻浮提の内に未だ出現したことのない未曽有の法華経の [続きを読む]
  • 釈迦仏像を本尊とするのですか?曼荼羅を本尊とするのですか?
  • 今日のように、事実上、教団の教えを拝することがシステム化されていれば、仏像、曼荼羅のどちらか、又は両方を本尊とすることになるのでしょう。でも、宗教団体を信仰するのではなく、祖師・開祖の教えを信仰するのが本来でしょうから、ここはやはり「日蓮の教え」に立ち還って考えるべきなのでしょうね。で、答えは?と日蓮の事跡を見れば、このブログでも今まで触れてきたように釈尊像、曼荼羅どちらもあり、ということになって [続きを読む]
  • 一切衆生を仏に
  • 日蓮遺文『法蓮抄』今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。所謂地獄の一人、餓鬼の一人、乃至九界の一人を仏になせば一切衆生皆仏になるべきことはり顕る。譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し。中略法華経も又一切衆生を仏になす用おはします。素晴らしい教示です。 一切衆生を仏になす・・・一切ですから、例外というのはありません。地獄の一人も餓鬼の一人も、九界のあらゆる人々を仏になす。 [続きを読む]
  • 此の功徳を法華経の文字となして
  • 日蓮遺文『法蓮抄』仏は法華経をさとらせ給ひて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備へ給へり。此の仏の御功徳をば法華経を信ずる人にゆづり給ふ。例せば悲母の食ふ物の乳となりて赤子を養ふが如し。「今此三界皆是我有、其中衆生悉是吾子」等云云。 教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口になめさせ給ふ。赤子の水火をわきまへず毒薬を知らざれども、乳を含めば身命をつぐが如し。 文永12年(4月25日改元)・建治元 [続きを読む]
  • 一大秘法
  • 日蓮遺文『曾谷入道殿許御書』今親(まのあた)り此の国を見聞(けんもん)するに、人毎に此の二の悪有り。此等の大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶救(ふぐ)せん。大覚世尊、仏眼を以て末法を鑑知(かんち)し、此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。所謂法華経本門の久成の釈尊、宝浄世界の多宝仏、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て、二仏座を並ぶること宛(あたか)も日月の如く、十方分身( [続きを読む]
  • 楊子御本尊
  • 文永8年9月12日の竜口の虎口を脱した日蓮は翌10月9日、相州本間依智郷(神奈川県厚木市北部)において、初めての曼荼羅である通称「楊子(ようじ、楊枝)御本尊」を顕しました。(立正安国会・御本尊集NO1)文永八年太才辛未 十月九日 相州本間依智郷 書之首題 自署花押 不動明王 愛染明王53.6×33.0cm 1紙・伝承では「日蓮、依智発足の前日、樹枝を砕いた楊子(楊枝)を以て認めた故に『楊子御本尊』と名ずく」とされていますが、 [続きを読む]
  • 一幅の曼荼羅から思うこと
  • 文永11年(1274)3月(日蓮53歳)日蓮は佐渡配流を赦免となり鎌倉に入り、4月8日には平左衛門尉と対面して蒙古襲来の近きを警告しています。「四月八日に平左衛門尉に対面の時、蒙古国は何比(いつごろ)かよせ候べきと問ふに、答へて云はく、経文は月日をさゝず、但し天眼(てんげん)のいかり頻(しき)りなり、今年をばすぐべからずと申したりき」(法蓮抄) 「四月の八日、平さえもの尉にあひたりし時、やうやうの事どもと(問)いし中に、蒙 [続きを読む]
  • 曼荼羅本尊はどこから生まれた?
  • 日蓮遺文『本尊問答抄』此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後、二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず。漢土の天台、日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず、当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ。経には上行無辺行等こそ出でてひろめさせ給うべしと見へて候へども、いまだ見へさせ給はず。日蓮は其の人に候はねどもほぼこころえて候へば、地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみに [続きを読む]
  • 新尼御前御返事・曼荼羅本尊に関する教示
  • 日蓮の故郷・安房国の新尼、大尼から「あまのり」が身延に届けられ、御本尊を要請されたことに対して、教示をされた返状が文永12年(1275)2月16日に著された新尼御前御返事です。身延山中の情景と供養に対する感謝を記した後、大尼から御本尊を所望されたことに対しては、曼荼羅本尊の意義を説きながら、私(日蓮)の重恩の人・大尼御前ではありますが、「日蓮御勘気を蒙りし時すでに法華経をすて給ひき〜中略〜経文のごとく不信の人 [続きを読む]
  • 鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る
  • 日蓮遺文『種種御振舞御書』去ぬる文永五年後の正月十八日、西戎大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状をわたす。日蓮が去ぬる文応元年[太歳庚申]に勘えたりし立正安国論、今すこしもたがわず符号しぬ。此の書は白楽天が楽府にも越へ、仏の未来記にもをとらず。末代の不思議なに事かこれにすぎん。賢王・聖主の御世ならば日本第一の権状にもをこなわれ、現身に大師号もあるべし。中略設い日蓮が身の事なりとも、国主となりまつ [続きを読む]
  • 天神身より光を出だして此の国をおどす
  • 『法蓮抄』又去年の四月八日に平左衛門尉に対面の時、蒙古国は何比(いつごろ)かよせ候べきと問ふに、答へて云はく、経文は月日をさゝず、但し天眼(てんげん)のいかり頻(しき)りなり、今年をばすぐべからずと申したりき。是等は如何にとして知るべしと人疑ふべし。予不肖(ふしょう)の身なれども、法華経を弘通する行者を王臣人民之を怨(あだ)む間、法華経の座にて守護せんと誓ひをなせる地神いかりをなして身をふるひ、天神身より光 [続きを読む]
  • 人生を捧げる?
  • 『キリストに対して人生を捧げる』等の美しい言葉をよく耳にしますが、『神仏に人生を捧げる』等、普通の会社員では中々そうもいきません。忙しい日常ですが『仏とまっすぐに向き合う』時間を少しでもつくり、『我が人生に神仏よ来たって護りたまえ』ならばできると思います。 法華経 普賢菩薩勧発品第二十八普賢、若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見 [続きを読む]
  • この信仰のいいところは?
  • 仏とまっすぐに向き合えるということです。 日蓮がそうでした。経典世界に分け入り、探求と思惟を重ねて『彼だけの答え』を見出だしたのです。その答えが32歳以降の、彼の生き方であるというべきでしょう。これは法然、親鸞も然りだと思います。日蓮の場合は心に教主釈尊を宿し、釈尊と対話し、釈尊の教示により実践。如来使として生きながら、日蓮法華の信仰世界を創出するに至りました。日蓮が引用した経典類を見ると、豊穣なる [続きを読む]
  • 何故あなたは、宗教世界に身を置くのですか?
  • あれがおかしい。これがおかしい。今の世の中、批判スイッチが入れば一日中批判しても足りないぐらい、批判・糾弾されるべきことに満ち溢れています。社会には多様性の花が咲いて然るべきですから、批判もよし、糾弾もよし。大いに結構なことです。でも、宗教の役割は何でしょう?大衆を扇動して既存のものを叩いて、打ちのめして、終わりなき闘争に明け暮れる人々と一緒になって批判に没頭しましょうか?たしかに、活動的な人物には [続きを読む]
  • 随喜せん功徳
  • 法華経 随喜功徳品第十八 阿逸多、是の如く第五十の人の展転して、法華経を聞いて随喜せん功徳、尚無量無辺阿僧祇なり。何に況や、最初会中に於いて、聞いて随喜せん者をや。其の福復勝れたること、無量無辺阿僧祇にして、比ぶること得べからず。 世に、投資に励む人は多くいます。でも、どうでしょう。リターンを求めても、ハイリターンにはハイリスクが伴い、ローリスクではローリターンで満足がいかず、「なんのために投資して [続きを読む]