奈良学舍 さん プロフィール

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奈良学舍さん: 久遠の友
ハンドル名奈良学舍 さん
ブログタイトル久遠の友
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/hideken118/
サイト紹介文日蓮、法華経に導かれて
自由文日蓮、法華経を一人で信仰して学び、生きる糧としている会社員です。
特定の宗派とは一切関係ありません。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供193回 / 196日(平均6.9回/週) - 参加 2016/11/09 22:38

奈良学舍 さんのブログ記事

  • 宇宙と時間を見つめて
  • 北アルプスなどの高山に登り、夜になって仰ぎみれば満天の星のきらめきです。そこでは誰しもが、「宇宙に生きていることを実感」するのではと思います。郊外の田園地帯でも星は見えますが、深山のそれは全くの別ものですね。そこは「星座観察のステージ」、自然界でのプラネタリウムみたいなもの。体全体を包み込み、隙があればもぐり込んでくるような、そんな山独特の冷気に神経は研ぎ澄まされ、聞こえるはずのない「静寂」という [続きを読む]
  • 真に求むべきもの
  • 今日は真夏のような暑さですが、たまにはタイムスリップして日蓮在世の身延を訪ねてみましょう。時は建治4年2月、冬の身延での、導師日蓮の教示です。(「松野殿御返事」建治4年[1278]2月13日をもとに)涅槃経を御覧なさい。「人命の停らざることは山水にも過ぎたり。今日存すと雖も明日保ち難し」と。人は誰しも死を願う人などはいません。長寿を、むしろ不死を願うことでしょう。でも、生まれた者が死すのは万人に課された「等しき [続きを読む]
  • 善知識
  • 導師日蓮は過ぎ去りし法難の日々を思いながら、感慨を込めて綴られたのでしょうか。「種種御振舞御書」の一説が思い浮かびます。「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ」なぜでしょうか?それは「今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも、強敵が人をばよくなしけるなり」ということであり、強敵ありてこそ自身の修行が成り、その法の正しさも証明される。「日蓮が仏にならん第一のかたうど」とは、「景信 [続きを読む]
  • 大衆唱導の首
  • 法華経を拝して心田を耕す・・・これ以上の至福の時間はありません。法華経全編が「壮大な物語」でもあるのですが、特に挙げれば「従地涌出品第十五」における地涌の菩薩登場の描写、久遠実成を明かされた「如来寿量品第十六」は私の大好きな箇所で、何度拝しても新たなる感動を覚えますね。難しいことは横において「従地涌出品第十五」の一説に関して、思いつくまま書いてみましょう。従地涌出品第十五仏是れを説きたもう時、娑 [続きを読む]
  • 一切衆生の同一苦
  • 日蓮遺文『諌暁八幡抄』涅槃経に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」等云云。日蓮云く、一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし。釈尊と日蓮「決意してことを始めた時」から、「我れの身命は法に帰すものにして己のものに非ず」の境地だったのでしょうか。その後に「形として現れる障害」などはなんの問題でもない。それは我が説きし教えの真実の証明であり、自らの誓願を真っ直ぐに歩んでいることを [続きを読む]
  • 強盛の菩提心
  • 釈尊と日蓮。今日の視点で客観的に見れば、ほんの一時だけの、小さな国での「新しい運動の創唱者」に過ぎない二人だったかもしれません。しかし、その遺した言葉が信ずる後継者達によって「灯明の書」「救済の書」「教えの書」としてまとめられ、人へ、国へ、世界へ紹介されるや、二人は「世界的人物」ともなりました。その教えは今や「世界のこころ」の少なからぬ空間を占めるまでに至っている、と思うのです。◇釈尊はガヤー村の [続きを読む]
  • 「語る」それは仏教者のなすべきこと
  • いきなりですが、まずは結論。何か躊躇することがあったなら、「迷うな!動こう!前へ一歩踏み出してから、又考えよう」ということがいえると思います。日常で、たまに迷うことがあります。「どうしようかな」「やめておこうか」「やるべきかやらざるべきか」それとは違うスケールで、考え抜いた末に「大いなる行動」を開始した人がいました。釈尊と日蓮です。「大いなる行動」といっても、現代から見れば「限られた地域」でしかな [続きを読む]
  • 等正覚を成じて広く衆生を度する
  • 法華経 提婆達多品第十二・6等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり。⇒私が真理を体得し、仏の悟りを得て、生きとし生けるものを成仏の彼岸へと導けるのも、皆、提婆達多という善なる知識によるが故のことなのです。諸の四衆に告げたまわく提婆達多却って後無量劫を過ぎて当に成仏することを得べし。号を天王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と [続きを読む]
  • 如我等無異の誓願
  • 法華経 提婆達多品第十二・5提婆達多が善知識に由るが故に、我をして六波羅蜜・慈悲喜捨・三十二相・八十種好・紫磨金色・十力・四無所畏・四摂法・十八不共・神通道力を具足せしめたり。⇒私は、提婆達多という善なる知識によったが故に、六波羅蜜・慈悲喜捨・三十二相・八十種好・紫磨金色・十力・四無所畏・四摂法・十八不共、そして、衆生救済の自由自在なる神通力、正行を体得する道力を具えることができたのです。※釈尊に [続きを読む]
  • 教え教えられて
  • 法華経 提婆達多品第十二・4仏諸の比丘に告げたまわく、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。時の仙人とは今の提婆達多是れなり。⇒ 仏は諸々の比丘に告げられました。その時、修行をした王とは即ち、我が身なのです。その時、私を教え導いた阿私仙人とは、今の提婆達多その人なのです。※さあ、ここですね。三逆罪を犯した提婆達多は、実は「釈尊に仏となる因をもたらした阿私仙人である」ということなのです。これを聞いた弟子た [続きを読む]
  • 心大喜悦を生じ
  • 法華経 提婆達多品第十二・3時に阿私仙あり 来って大王に白さく我微妙の法を有てり 世間に希有なる所なり若し能く修行せば 吾当に汝が為に説くべし時に王仙の言を聞いて 心大喜悦を生じ即便仙人に随って 所須を供給し薪及び果・を採って 時に随って恭敬して与えき情に妙法を存ぜるが故に 身心懈倦なかりき普く諸の衆生の為に 大法を勤求して亦己が身 及び五欲の楽の為にせず故に大国の王と為って 勤求して此の法を獲て [続きを読む]
  • 大法を求むる
  • 法華経 提婆達多品第十二・2爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく我過去の劫を念うに 大法を求むるをもっての故に世の国王と作れりと雖も 五欲の楽を貧らざりき鐘を椎いて四方に告ぐ 誰か大法を有てる者なる若し我が為に解説せば 身当に奴僕と為るべし⇒その時に世尊は、重ねてこの意義を述べんと欲して、偈を説いて示され言われました。私は、過去の言葉で表せないほどの長遠の時間を思うと、多く [続きを読む]
  • 身を以て状座と作せし
  • 法華経 提婆達多品第十二・1爾の時に仏、諸の菩薩及び天・人・四衆に告げたまわく、⇒その時に仏は、諸々の菩薩、天人、人間、仏弟子たる比丘・比丘尼・優婆塞( 男子の在家信者 )・優婆夷( 女子の在家信者 )に告げていわれました。吾過去無量劫の中に於て法華経を求めしに、懈倦あることなし。多劫の中に於て常に国王と作って、願を発して無上菩提を求めしに、心退転せず。六波羅蜜を満足せんと欲するをもって布施を勤行せしに、 [続きを読む]
  • 閻浮提人病之良薬
  • ◇病の起こる六つの因縁日蓮遺文『太田入道殿御返事』止観の第八に云く〜又云く「病の起る因縁を明すに六有り。一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節ならざる故に病む、三には坐禅調わざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起るが故に病む」云云。(建治元年・1275)⇒日蓮は天台大師智顗の「摩訶止観」を引用して、病気のよって来る原因を示しています。①四大順ならざる故に病む「四大」は、人体を [続きを読む]
  • 法華経は須弥山のごとし〜頂を目指して
  • 里では田植えが真っ盛りのころ、雪山の頂上を目指します。下は緑、上は白、新緑と山々の雪が光に照り映えて、新生の息吹漲るとき、自然の生命力を最も感じる時です。一歩、一歩踏みしめながら、前へ、上へと歩みを進めます。息遣いが荒くなり、休憩しながらふと、上を見上げると「随分と来たなあ」と思わず口をついて出てきます。山の頂がぐっと近づき、これから山頂で出会うであろう、その見晴らしへの期待が高まります。下を見る [続きを読む]
  • 法華経は大日輪の如し
  • 日蓮遺文『兄弟抄』夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心十二部経の骨髄なり。三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ。中略彼の一切経は皆各各分分に随って我第一なりとなのれり。然而法華経と彼の経経とを引き合せて之を見るに、勝劣天地なり高下雲泥なり。彼の経経は衆星の如く、法華経は月の如し。彼の経経は燈炬星月の如く、法華経は大日輪の如し此れは総なり。日の出前の海・・ [続きを読む]
  • 医王・大医王
  • 日本には、心穏やかに和ませてくれる仏像が多いですね。その時代の民衆の、素朴な願いというものを感じます。菩薩の顔が優しいのは、やはり、「仏菩薩に求める慈悲」「願いを叶え、救ってくださる仏菩薩は優しいお方」という、心的願望により優しく彫刻されているのかな、と思ったりします。そして、経典に出てくる菩薩というのは「名医」でもあります。「無量義経徳行品第一」で、仏が「王舎城・耆闍崛山の中に住したまい」時に、 [続きを読む]
  • 劫数長遠なる
  • ◇年をとる、年を重ねる・・・それは「経験を重ねる」ということですよね。色々な経験、良いこと悪いこと、嬉しいこと悲しいこと、人生味わうべきものを一通り経験してきたということだと思います。諸先輩方の人生を拝すると、それは、スピードの出る早い特急列車のようでいて、各駅に停まりながら、でも、駅間は全速という、不思議な列車で一生懸命生きてきたようにも拝見できます。また、年を重ねてきたということは、「新しいも [続きを読む]
  • 現世安穏後生善処
  • ◇人間存在の根本的な苦しみである四苦・生老病死に加え、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四つで八苦。いわゆる四苦八苦渦巻くのが世の常でしょうか。そんな娑婆世界の中で日々、仏教を学んでいると、「生きるということは、我れと他者の命を耕すことでもある」と知ります。仏は経典によって「生きとし生けるものの命」を耕します。私たちは朝夕にそれを拝し、命を磨き潤して、より豊かにし [続きを読む]
  • 爪上の土
  • 日蓮遺文『守護国家論』此の文(涅槃経)の如くんば、法華涅槃を信ぜずして一闡提と作るは十方の土の如く、法華涅槃を信ずるは爪上の土の如し。此の経文を見て弥感涙押え難し。今日本国の諸人を見聞するに多分は権教を行ず、設い身口は実教を行ずと雖も心には亦権教を存ず。(正元元年・1259)「爪上の土の如し」・・・・法華経最第一を知れるは、いかに得難いことか。ましてや、心から信じる人は少ない。経典を拝して「感涙押え難し」 [続きを読む]
  • 日本国を助けん
  • 日蓮遺文『上野殿御返事』抑日蓮は日本国をたす(助)けんとふか(深)くおも(思)へども、日本国の上下万人一同に国のほろ(滅)ぶべきゆへ(故)にや用いられざる上、度度あだをなさるれば力をよばず山林にまじはり候いぬ。大蒙古国よりよせて候と申せば、申せし事を御用いあらばいかになんどあはれなり。皆人の当時のいき(壱岐)つしま(対馬)のやうにならせ給はん事おもひやり候へば、なみだ(涙)もとまらず。(文永11年・1274)◇「日本国を [続きを読む]
  • 両眼滝の如く一身悦びを徧くす
  • 日蓮遺文『曾谷入道殿許御書』彼の大集経の文を以て此の法華経の文を惟うに、後五百歳中広宣流布於閻浮提の鳳詔(ほうしょう)豈扶桑国に非ずや。弥勒菩薩の瑜伽論(ゆがろん)に云く「東方に小国有り其の中に唯大乗の種姓のみ有り」云云。中略肇公(じょうこう)の翻経(ほんきょう)の記に云く「大師須梨耶蘇摩(だいししゅりやそま)左の手に法華経を持し右の手に鳩摩羅什の頂を摩(な)で授与して云く、仏日西に入つて遺耀将(いようまさ)に [続きを読む]
  • 目的の時へ
  • 日蓮遺文『減劫御書(智慧亡国御書)』大悪は大善の来るべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば、閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ。(建治元年・1275)私的な考えでは、法華経信仰圏には「三つの目的」があるように思います。一つには、万年に亘る衆生済度の「目的の法=灯明の法」の覚知、そしてその教えとなる「目的の書=灯明の書」の出来。二つには、「灯明の法と書」を証明する「目的の人=流布の人」の出現。三つには、万人が [続きを読む]
  • 不軽菩薩の利益
  • 法華経 常不軽菩薩品第二十我深く汝等を敬ふ、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし。中略爾時の常不軽菩薩は豈に異人ならんや、則ち我が身是なり。日蓮遺文『諌暁八幡抄』末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。不軽菩薩は万人の仏性を信じて、万人の仏性を礼拝しました。もちろん、現在においてそのまま実践してしまったならば、かなり浮いてしまいます。不軽菩薩が万 [続きを読む]
  • 釈迦牟尼仏の衣に覆わるることを為ん
  • ◇法華経は「世を光明で照らそう」と説きます。法の光明により心の闇を、世の闇を照らします。暗い諦めの心が、希望と挑戦の明るい心へと昇華するのです。絶望の地を可能性に満ちた地へと開拓しよう、との力が湧いてきます。仏菩薩に連なる私達は、法の灯りをともす一人なのです。安楽行品第十四遊行するに畏れなきこと 師子王の如く智慧の光明 日の照すが如くならん如来神力品第二十一 日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く [続きを読む]