oisis さん プロフィール

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oisisさん: 辺見庸 研究
ハンドル名oisis さん
ブログタイトル辺見庸 研究
ブログURLhttp://eger.hatenablog.com/
サイト紹介文辺見庸の世界を旅します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供101回 / 214日(平均3.3回/週) - 参加 2016/11/13 13:28

oisis さんのブログ記事

  • 100.辺見庸の「置き文」
  •  生き苦しさが増している。むしろ「息苦しい」といった方がよいかもしれない。右傾化なんて言葉では片づけられないほど、価値観の底が抜けてしまっている。この苦しさの理由は根深いところにありそうだ。 宮城県石巻に生まれ、太平洋沿いの海岸近くで育った辺見庸は、少年期、いつも潮騒と海鳴りを聞きながら、なにか「妖しい」気配を感じていた。だからなのか、長じてからも「根はとてつもなく明るいけれども、世界観というか未 [続きを読む]
  • 98.「根源」を見つめ続ける 
  •  辺見庸は文学という世界で、厳しい自己との対話を繰り返してきた。スィン(罪業)を凝視しながらクライムを超える自由を達成するべく、もがいてきた。 作品には微細であっても欺瞞があってはならない。それが無自覚な偽りであったとしても。細部に偽りが宿っていれば「罰する」。それは彼自身への戒めでもあった。  作品に下駄を履かせてはいけない。高名な俳人だろうとなんだろうと、上げ底にしてはいけない。また、逆 [続きを読む]
  • 97.距離感覚
  •  去る5月24日に東京拘置所内で多発性骨髄腫の悪化による多臓器不全で大道寺将司死刑囚が逝去した。彼へのへの追悼を込めて、辺見庸が寄稿した文のなかの次のパラグラフに目がとまった。繰り返し読んだ。「若い人びとはおそらく知るまい。一見はげしく対立するはずの、ヒューマニズムとテロリズムの二点をむすぶ線分は、おどろくべきことに、かつて、それほどに長いものではなかったのだ。直線的な理想主義とそれを根拠とす [続きを読む]
  • 96.軍隊の本性 
  •  司馬遼太郎は、高山彦九郎 ( 天皇を潜在的君主とする志を全国行脚して説いた )を、さりげなく評価している。 一方で、司馬にしてはめずらしく、先の戦争末期の陸軍大臣(阿南近畿)の発言や『鉄の暴風』(沖縄タイムス社編)を参照しながら、軍隊の本質を批判的に見抜いている。 軍隊というものは本来、つまり本質としても機能とし ても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る。こ [続きを読む]
  • 95.快楽にしびれる脳内回路
  •      アベ首相は、かつて「美しい国、日本」と言っていた。いまでもこれをひろく浸透させたいらしい。それには春の日、咲き誇る桜の花に皆が集い酔いしれる国のイメージがあるが、実体は違うのではないか。 特攻隊員のことについてアベは、「かれらは、愛しきもののために、他方、自らの死を意味あるものにし、自らの生を永遠のものにしようとする意志もあった。日本という国の悠久の歴史が続くことを願った。かれらはいの [続きを読む]
  • 94.大学生という群体
  •  日本の大学生(学部生)約256万人のうち、積極的に勉強が好きで、日々、興味深く授業を受け、教員と話したり、学生同士で共同研究している学生はどのくらいいるのだろうか? ふと、そんなことを思ったが、自問自答の結果は「きわめて少ないだろう」というものだった。 もちろん、理工系と人文・社会科学系では違うだろうし、医薬看護系、芸術系となるとまた違うだろう。大学院では、さすがに勉強嫌い [続きを読む]
  • 93.恥じなき国の
  •  恥じなき国の恥じなき時代に、「人間」でありつづけることは可能か?と、辺見庸は問うています。厚顔無恥で軽薄な者たちを見聞するにつけ、この辺見の指摘が胸に突き刺ささります。 罪の文化も恥の文化も、本当は自己の目、自己の声に照らして自ら問い答えることによって成り立つものですが、実際はそのようにはなっていません。 自己が横にズレ置かれ(疎外され)、罪の文 [続きを読む]
  • 92.脱・日本的経営の再考
  •  群体として惰性で生きることは生きるとは言えず、個人として個体知で生きてこそ生きるということである(辺見庸)。 個力の強化、個体知は産業界おいても求められる。 中小企業のなかには、産業経済の発展・成長の先駆的役割を担う企業があり、マイクロ企業のなかにも同じような企業がある。それらを政策的に支援することは有意義なことである。 一方、中小企業政策の基本は「所得と資源の再配分」である。大企業と中小企 [続きを読む]
  • 91.異常の有理
  •   戦争という名で殺戮しても強者(勝者)は処刑されない。ブッシュ親子やオバマは今ものうのうと生きている。彼らにとって外交戦略は物的暴力にすぐ転化してしまう。 アメリカに追い込まれフセインは処刑され、ビン・ラーディンは暗殺された。パワーポリティクスからの報復による殺人であった。 トランプも金正恩もいわば権力抗争の「あだ花」なのだが、処刑されたり葬られないために勝つことだけに執念を燃やす。  本質的に [続きを読む]
  • 90.生存感覚・生存意識
  •   本来の生存条件である稀少性、有限性そしてマチエールにかんする感覚の欠如ないし希薄化によって生存感覚・生存意識は、本来の健全さを喪失し認識力・判断力も歪になっている。 その主な原因は、マスメディアとインターネットによる過剰ともいえる情報によるところが大きいと考えられるのだが、あらためて次の所説を確認しておきたいと思う。 稀少性について: 小山俊一 この地上に生れてくる人間がみな衣食足りて生き [続きを読む]
  • 89.沖縄米兵の子が吊るされる日
  •  辺見庸は、自らの必然があればテロを敢行すると述べている。私的な被害・屈辱であったとしても、相手の行為が国家暴力を背負ってのものならば、公権力にゆだねることなく個人として制裁を加えるというのである。 もしぼくがパレスチナの西岸やガザ地区などに生まれていて、いまのようなかたちでで(ママ)あんなでたらめな空爆をうけたら、八割ぐらいの確率でぼくはいわゆるテロリストになりますよ。親を殺され、妹を殺され、 [続きを読む]
  • 87.国家・戦争・人間
  •  テレビやVR(ヴァーチャルリアリティ)に慣らされて、「生身」や「マチエール」感覚が希薄化してしまっている。これに対して、辺見庸は述べている。 戦争って大変に身体的なことですね。ぼくはアメリカが戦争を工業化しているといいましたが、工業は数値で説明できても、身体はそうはいかない。アメリカ国民には柔らかで痛ましい身体があるけれども、それ以外の他者は数値でしかないというのではおかしい。着弾の音で発狂してしま [続きを読む]
  • 87.生命は個としてのみ実現する
  •  大量殺りく、核攻撃、動機不明の殺傷、大規模災害、 人びとは、いつ「殺され死」に追い込まれるかもしれない、そう観念するようになってしまっている。「人間一人の生命は地球より重い」はずなのに。 だが、・・・・「生命の尊さ」とはウソであって、どうしても「尊い」といいたければ「個(人)の尊さ」といえばよい、「生命」よりも「個(人)」の方が上なのだ。(「殺すな」というときの、殺されるものは「生命」ではなく [続きを読む]
  • 86.「それでも人生にイエスと言う」
  •  V・E・フランクルが著した『それでも人生にイエスと言う』(山田邦男・松田美佳訳、春秋社)は、「心の救い」と「矛盾隠ぺい」の両刃の剣であるが、実際は前者の書として世界中の人びとに読まれてきた。とりわけ悩める若者や挫折者に生気を回復させてきた功績は大きい。しかし「この言葉は生半な生の賛歌では無論ありえない」(辺見庸)。 この言葉が発せられたのはナチによる強制収容所においてである。人間扱いされない極度 [続きを読む]
  • 85.辺見庸 ×目取真 俊 : 対談
  •  戦争へ向けて歩み始めている。戦争前夜の様相さえ感じさせる。 目取真俊 × 辺見庸の対談は、そのような情況下においてなされた。まさに時宜にかなった対談である。 だがこの対談、共同通信社の配信によって4月16日に沖縄タイムスと琉球新報に載ったものの、今のところホンド(本土)の各新聞には掲載されていない。大手新聞および全国の地方紙は、この二人の見解をスルーすることが現政府に良い印象を与えるとでも判断し [続きを読む]
  • 84.「自己教育」 (その2)
  • 小山俊一のことば。(『プソイド通信』『EX―POST通信』から)。〇教育というのは、これを与える側からいえば、ひっきょう上から(外から)の論理、罠を仕掛けることにほかならぬのではないか、というのが教師をやっているあいだつきまとわれた根深い疑問だった(186頁)。〇どんな「外発」力も、そこにある種の「内発」を生じさせるだけの喚起力・挑発力をもつものでなければ、どんな「一種の形式」もそこに生れることはで [続きを読む]
  • 83.自己教育(その1)
  •  文化庁長官もであった三浦朱門(曽野綾子の夫で2017年2月に没)について、辺見庸が次のように述べている。 (三浦朱門は)教育基本法改悪にことのほか熱心で、児童教育について「非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばよい」などと真顔で語ったこともある。「法は法」発言同様に、放つ言葉に人間の温もりがない。聞くところによれば、キリスト者なのだそうだ。それだけではなにほども意味しはしないけれども [続きを読む]
  • 82.溶解する「私」
  •  日本には世間はあっても社会がないという話はよく耳にする。「世間」とは、諸個人がつねに集団の価値観や意見を優先する空間であるとすれば、そんな世間で生きたとて本当に生きたといえるのか。 辺見庸は「個」にこだわる。彼の著作のなかで「個」ないし「個人」という語はかなり高い頻度で出てくる。そして「個人という言葉が日本では1884(明治17)年までなかった」との阿部謹也(西洋社会史の研究家)の言葉を紹介している [続きを読む]
  • 81.夜と霧
  •  強制収容所の入り口が近づいてくる。次々に夜間秘密裡に捕縛され、収容所という名の地獄のなかで多くの人が消されていく。 機関車の鋭い汽笛が薄気味悪く響き、それはさながら大きな災厄に向ってひかれて行く人間の群の化身として、不幸を感づいて救いの叫びをあげているかのようであった。そして列車はいまや、明らかに、かなり大きな停車場にすべりこみ始めた。  貨車の中で不安に待っている人々の群の中から突然一つの [続きを読む]
  • ある詩人の「剽窃」?
  •  逸見庸は10年ほど前にこんなことを書いている。 どだい、政治のなにが重要というのか。あれらの言葉の愚弄。空洞。あれらの言葉の死。ほら、そこの軒下に干してある黄ばんだおしめほどの意味すらありはしない。『言葉と死 辺見庸コレクション2』毎日新聞社、2007年、203ページ  政界用語や本性を美化する日本会議の面々による胡散臭い用語。もし言葉に匂いがあれば「異臭」が立ちもめているといってもよいだろう。し [続きを読む]
  • 79.逸見庸:内宇宙への回路
  •  創造的な破壊は否定的破壊であり、現実(構造)を是認したうえでの破壊ではない。批判は現実およびその基礎の構造に対しなされるものである。そして、思想とは批判と不可分で、その意味で思想は批判そのものである。それらのことからすれば、辺見庸の批判はまさに批判の要件を充足している。 辺見庸の賛同者には、熱心な読者、ウォッチャー、さらには受け入れられない部分があるものの大筋では賛同する人までいて幅広い。 また [続きを読む]
  • 79.辺見庸:内宇宙への回路
  •  創造的な破壊は否定的破壊であり、現実(構造)を是認したうえでの破壊ではない。批判は現実およびその基礎の構造に対しなされるものである。そして、思想は批判と不可分で、思想は批判そのものであるともいえる 。そのことからすれば、辺見庸の批判はまさに批判の要件を充足している。 辺見庸の賛同者には、熱心な読者、ウォッチャー、さらには受け入れられない部分があるものの大筋では賛同する人までいて幅広い。 また、初 [続きを読む]
  • 78.「誠実」をめぐる虚実
  •  辺見庸はおもに二つの著作のなかで「誠実」について述べている。玄妙な詩、技巧的で晦渋な表現を組み込んだ鋭い批評や、衒いながらの小説、それらとは逆に、譫言や自らの「痴態」をときに記してきたブログ「私事片々」からは一見程遠い「誠実」ではあるが、彼はそれをどのように語っているのであろうか。 辺見はまず「誠実」の変質を、商品の物神化と商品呪縛(商品フェチ)との関連で指摘し(『しのびよる破局』、52ページ) [続きを読む]
  • 77.シベリアと香月泰男(その2)
  •  辺見庸による香月泰男の絵(「1945」)については前述したが、評論家・ロシア文学者である内村剛介は香月の絵のことを次のように述べている。内村も敗戦とともにソ連に抑留され、11年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、1956年末、最後の帰還船で帰国した 香月の絵の残酷はもうひとつの残酷を打ち消すために惹き起こされてくる残酷なのだ。「この飢えて死んだ兵士たちのむくろは、かつて勝ちいくさのときには無残な加害者でも [続きを読む]