onemind1111 さん プロフィール

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onemind1111さん: ワンマインドのブログ
ハンドル名onemind1111 さん
ブログタイトルワンマインドのブログ
ブログURLhttp://onemind.blue/
サイト紹介文神経症(強迫性障害)、うつ、各種心の悩みのご相談を行なっております。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供38回 / 178日(平均1.5回/週) - 参加 2016/11/28 17:46

onemind1111 さんのブログ記事

  • 理屈抜き
  • 神経症で悩んでいる人はとにかく言葉や理論に囚われます。それは常に「治そう」という動機が孕んでいることと、心が自分の意思でコントロールできると勘違いしているからです。神経症を治すために森田療法を勉強してみたり、認知行動療法を取り入れてみたり色んなことに挑戦しますが、ほとんどの人は途中で挫折します。なぜかというと理屈・理論を心に当てはめようとするからです。そして思うようにならない自分の心に失望し、症状 [続きを読む]
  • 不安に抵抗する度合いで苦しみが決まる
  • 不安は健康な人間になら誰にでも備わった基本的な機能です。しかし、その不安があまりにも強すぎて生活に支障をきたしてしまう人たちがいます。それでは、正常に日常を営む人と、不安で苦しむ人の違いは何でしょうか?もちろん、神経質で物事に敏感だという多少の素質はあるでしょう。しかし、それだけで生活に支障をきたすほどには普通はなりません。その素質にプラスアルファする要素があるのです。それはとっても簡単です。不安 [続きを読む]
  • 条件反射している
  • 心の悩みに陥ってしまう時は、自然と湧いてくる感情に条件的に反応していることに気づく必要があります。強迫観念に悩んでいる人ですと、他人から見るとまるで普通の考えでしかないのに、本人にしてみるとその浮かんでくる観念が恐怖でしかない、ということがあります。これはなぜそうなるかというと、その不快な観念が恐ろしいものだという刷り込みが本人の中に起こってしまっているのです。そして、常にその考えが起きれば困る、 [続きを読む]
  • 気になるなら気にしてればいい
  • 強迫観念がなぜ生じるかというと、自分にとって不快な思いをあってはならぬ、考えてはならぬとして追い出そうとするからです。嫌な思い、不快な思いなど誰でも生きていれば必ず生じてくるものです。普通の人は「ああ、嫌だな、心配だな」でしばらく悩んだとしても一過性で終わってしまうのですが、神経質に悩む人はその思いを否定し、浮かぶまい、考えまいと努力するために余計に追いかけられてしまうのです。強迫観念に悩む人の話 [続きを読む]
  • 嫌々ながらやってみるときに気づきがある
  • 何か気分が乗らずに物事に手につけるのが億劫うなときや、人と会う気分ではないのに会わなくてはならず出かけていくときなど自分の気分が乗らなくても行動してみるときに、気づきがある場合が多いことがあります。大抵気分が乗らないときというのは自分の心の中のモヤモヤがあるときなのですが、それをほったらかしてとりあえず、動いてみると思った以上に良い収穫があるものです。こういうときに事実以上に自分の思いにとらわれて [続きを読む]
  • 思考とは過去の産物
  • 我々が悩みに陥る時には必ず自分の内側に向かって思考を行なっています。なぜこのような思考をしてしまうかというと自分に向かう内的な思考が現在に根ざしていると勘違いしてしまうからです。しかし、内的な思考は過去もしくは起きていない未来へと向けられています。あの時こうすればよかった、将来が不安だなど過去を悔やみ、未来へと取り越し苦労をするのがまさに内的な思考の性質です。しかし、この瞬間にあるのは「ただ今だけ [続きを読む]
  • 外のことだけしてればいい
  • 自分に悩みがある時、ある思いが出てきて苦しい時、そう言う時はただ自分以外のことに取り組むだけで自然と解決されて生きます。内側に意識が向き、それに取り組んでいくと事実でないただの思いと戦うことになり、余計苦しくなります。意識が外に向き、現実のことに取り組んでいくと、知らない間に抱えていた思いが放置され、やがてその思いさえも忘れていくようになります。世間では心を大切にしろと言いますが、心をむしろ放置し [続きを読む]
  • あるがままとは
  • あるがままとは湧いてくる思いや不安があっても一切手を出さずにそのままにしておくことです。あるがままになろう、あるがままに受け入れようとするとこれはもうあるがままではありません。前者と後者の違いは自分の心の働きを操作しようとするか、操作しないかの差です。心の自立性に任せると心はきちんと正しい方向へと進んでいってくれます。しかし、人為的に手を下して心を操作しようとすると必ず、迷いの中に落ち込んでしまい [続きを読む]
  • 不安のまま、囚われたままで進む
  • 心に悩みのある時、もしくは神経症の症状に囚われた時、不安をなくすために必死に理性を使って不安を取ろうとしてしまいます。しかし、それをしていてもいつまでたっても不安は大きくなり、さらに囚われは大きくなってしまいます。それはなぜかというと不安という根拠のない、事実でないものと取り組んでもまるで手応えがないからであり、さらに深みにはまってしまうからです。だからこういう時は不安な思いはそのままにして前進し [続きを読む]
  • 事実に従う
  • 不安に襲われたときに、まずしてしまうのが頭で不安を解決しようとする試みです。もう一度冷静に考えてみて大丈夫なのか確認したり、原因を追求したり。それで一瞬は安心するのですが、その後更なる不安に襲われてしまい、これを繰り返してしまいます。人間は自分の姿は鏡に映さない限り客観的に見ることはできません。実体の姿ですらそうなのに、自分の心はどうでしょうか?どんなに自分が自分の心を見ようとしてもそれはつかむこ [続きを読む]
  • 全治というゴールを設定した時から神経症はスタートする
  • 神経症とは健康な人ならば誰もが経験しうる観念や感覚を必死に治そうとすることで固定化されていきます。つまり全治というゴールを設定した瞬間から苦しいレースに参加しなければなりません。まだしも努力をすれば必ず全治というゴールに到達できるようなものであれば努力のしがいもあるのですが、神経症の全治を目指すゴールは頑張れば頑張るほどどんどん遠のいてしまいます。そして参加者はその終わらないレースにほとほと疲れて [続きを読む]
  • 健康人として扱う
  • 森田正馬先生の言葉に「神経症で悩んでいる人を病人として扱えば、決して治らずひどくなるが、普通の健康な人として扱えばすぐに治る」というものがあります。これは実に的を得た言葉で、本当にこの通りに実行すればどんな症状でもすぐに治ってしまうと思います。何故ならば、神経症とは全く普通であるにも関わらず、本人が病気だと信じ込み、それを治そうとすることによって症状が固定化されてしまうものだからです。自分を病気だ [続きを読む]
  • 神経症のメカニズムについて
  • 神経症とは人間であればある機会に誰もが経験しうる不快な感覚や思いを気にしだして、過剰にそれを追い出そうと執着するときに症状が固定化されます。したがって神経症とは病気でも何でもなく、ただの自己観察が過剰に発展した気にしすぎに過ぎないのです。しかし、本人はこの不快な感覚や思いを病的なもの、あってはならぬとみなすことから、これを取り除こう、治そうと努力します。しかし、そうすることより一層、感覚がその症状 [続きを読む]
  • 何の対策もいらない
  • まさに神経症には何の対策もいりません。パニックでも不潔でも対人でも離人でも縁起でも加害でも全部同じです。「何もしないこと」、これが本当に一番の対策となります。症状を重くして行く人は常に不安から逃れよう、あってはならぬと思い込んで対策を常に講じています。しかし、対策をすればするほど傷口をどんどん広げていってしまいます。最近は擦り傷などはただ流水で流して消毒はしないほうが良いと聞きます。それと全く同じ [続きを読む]
  • 神経症の治りとは
  • 神経症の治りとは自分の抱えている症状が実は誰にでもあるただの普通の嫌な感覚なんだなということに気づいた時です。いきなり心が変わって悟りを開くとか、恐怖に打ち勝つとかではなく、ただその症状への不安を治そう、無くそうとしなくなるだけです。不安は正常な人間である限り絶対に無くなりません。その不安を追い出そうとして逆に追いかけられるのが神経症です。理屈はすごく簡単なのです。自分だけが不安を抱いていると思っ [続きを読む]
  • 戦う相手を間違えていませんか?
  • 例えば街を歩いている時にいかにも恐そうな人が歩いてきた場合、どう対応するでしょうか?普通は「ああ、恐そうだな」と思いつつ、ただ通り過ぎると思います。しかし、もし、恐そうだと思いながらその人をジロジロと見たり、極端に逃げたり、あるいは恐さを克服するために戦いを挑んだらどうなるでしょうか?ジロジロと見ていたら逆に因縁をつけられそうですし、突然逃げても相手はむしろ追いかけてくるかもしれません。また戦いを [続きを読む]
  • 安心できる要素をなくしていく
  • 神経症とはある特定の観念や感覚を自分が毛嫌いし、追い出そうとしている時に発生するので結局解決策はその症状を受け入れていくしかありません。しかし、本心がまだその症状を嫌っているのに能動的に受け入れよう、あるがままになろうとしても難しいのは目に見えています。そこで、どうしても避けて通れないのが、症状への不安と正面から向き合っていかないといけないということです。自分がその不安から避けようとせずにむしろそ [続きを読む]
  • 時期を待つ
  • 何事もうまくいかぬ時節が確かに人間にはあります。仕事、健康、家族など様々な問題が降りかかって身動きできない時です。1年の中に春夏秋冬があるように人間にも冬のような実りの少ない時期があります。そう言う時はただじっとして春の訪れを待つべきです。冬に時期に種をまいても何も実りません。ただいずれ力強く開花していく春のために力を蓄える時です。こういう時に焦ってことを起こそうとすると必ず失敗します。人生で起こ [続きを読む]
  • 感情の法則
  • 森田療法による感情の法則です。1感情はそのまま放任すれば山形の曲線をなしひとのぼりしてついには消失する。2感情はその衝動を満足すれば急に静まり消失する。3感情は同一の感覚に慣れれば、鈍くなり不感となる。4感情は、その刺激が継続して起こる時と注意を集中する時に強くなる。5感情は新しい経験によってこれを体得し、反復によりますます養成される。感情は、気分と同じで自分でコントロールできるものではなく、自然 [続きを読む]
  • 反芻思考の罠
  • うつ病でも神経症でも思考のパターンにはまり込んでしまい、そこから抜け出さなくなってしまっているのは共通しています。その思考パターンを強化しているのがまさに反芻思考です。反芻とは一度飲み込んでしまった食べ物をもう一度元に戻して味わうなどの意味がありますが、これの思考版を行っているのがうつや神経症に陥っている時です。具体的な例として言えば過去や未来に対しての嫌な気持ちを何度も思い起こして味わおうとする [続きを読む]
  • 逃げないこと
  • 神経症の症状とは自分にとって受け入れたくない感覚や観念です。それを避けているうちに強迫観念となって成長していきます。そのため、その対処法とは実にシンプルです。受け入れたくない、自分の嫌いな不安に正面からぶつかってみることです。不安から逃げたり、頭で大丈夫な理由を確認したりする行為はもう正面から不安と向き合っていないことになります。ある感覚が気になる人はある感覚が襲ってきた時にはその不安感覚から逃げ [続きを読む]
  • 無条件降伏
  • 症状や不安に対して自分の力で解決しよう、治そうとしているうちは絶対に神経症は治りません。神経症とは自力で克服するものでなく、症状に無条件降伏することを通して、解決を諦めることで治癒します。神経症に陥っているときは不安発生→解決を図る→一時的に安心→不安発生のサイクルになります。これを不安発生→全ての解決を放棄ならここで不安との闘いは終わってしまいます。不安や症状への解決をしなければ即ち悩みは生じな [続きを読む]
  • 雑念と強迫観念との差異
  • 湧き上がってくる思いをただの雑念とするか強迫観念とするかの差異はその思いに対する自分の態度にかかっています。その思いを誰にでもある普通の感情や不安であると思えばただの雑念として流れて行きますし、それをあってはならない、恐ろしい思いだからなんとか追い出そうと思えば強迫観念となります。ですから神経症の治りとは強迫観念が思い浮かばなくなることではなくて、その観念を嫌わない、恐れない態度ができることによっ [続きを読む]
  • 自分は異常だ、治さないといけない症
  • 神経症とは別名「自分は異常だ、治さないといけない症」であるといえます。自分の感情や感覚が異常だと思い込んで必死に治そうとしてしまいます。実は強迫観念の正体とは恐怖の対象というよりも「治さないといけない」という強迫観念に取り憑かれています。神経症とは病気ではありません。ただの気にしすぎです。人間なら誰でも感じうるものを大げさに受け取って必死にあってはならぬとして治そうとします。思いが浮かんだ時、ただ [続きを読む]
  • 不安に勝とうとしない
  • 不安を意思の力で変えることはできません。こういう考え方をしようとか、気を紛らすとかするとどうしても人為的なことをしてしまいます。しかし、不安に絶対的に負けて行く(服従する)と、しばらくは苦しくてもそのうちに波は治って行きます。神経症になるとどうしても不安を人為的に操作し、不安に勝とうとしてしまいます。しかし、そうすればするほど、不安は余計に大きくなってくるのです。湧いてくる観念に対して抵抗せずに、 [続きを読む]