kinuko さん プロフィール

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kinukoさん: 巡礼者の小道(Pursuing Veritas)
ハンドル名kinuko さん
ブログタイトル巡礼者の小道(Pursuing Veritas)
ブログURLhttp://japanesebiblewoman.hatenadiary.com/
サイト紹介文聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。
自由文関心・重荷のある分野:聖書的男性像・女性像の回復(Recovery of Biblical Manhood and Womanhood)、真理のための弁証(apologetics)、福音主義教会内のジェンダー・フェミニズム問題、初代教会、宗教改革史、宣教師の伝記、礼拝の中の詩篇歌(Psalmody)、キリスト者の信仰詩、信じること・生きること、世界宣教。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供310回 / 141日(平均15.4回/週) - 参加 2016/12/19 23:19

kinuko さんのブログ記事

  • お知らせです。
  • お知らせです。こんにちは。現在、編集の仕事が入っていて、そのためしばらくの間、定期的にブログを更新することがむずかしくなりそうです。ご理解よろしくお願いします。 [続きを読む]
  • 季節の移り変わりと神の栄光
  •       5月になり、若葉・新樹の光りは、夏らしい輝きをみせるようになってきています。「夏めくや椎のかづきし雲のいろ 高橋潤」春が終わりつつあります。さて、一つの季節が過ぎ去ってしまうことは私たち人間にとって憂いなのでしょうか。それとも歓びなのでしょうか。『千載和歌集』という平安時代に編纂された勅撰和歌集がありますが、その中に次のような歌が収められています。「あかでゆく春の別れにいにし [続きを読む]
  • ある日の覚え書き
  • 2テモテ4章7節私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、I have fought a good fight, I have finished my course,τ?ν καλ?ν ?γ?να ?γώνισμαι, τ?ν δρόμον τετέλεκα,戦う―内なる、外なる信仰の純潔のために善戦したい。―でも、戦う相手やベクトルや種類を間違えないようにいつも気を付けたい。―時が良くても悪くても、味方が多くても皆無でも、主の兵士として常に戦場にいたいと [続きを読む]
  • 偉大なる神!汝はなんと無限なる方でしょう!(イサク・ワッツの信仰詩)
  • 偉大なる神!汝はなんと無限なる方でしょう!そして私たちはなんと価値なき虫けらであることでしょう!おお、あらゆる被造物が額ずき汝に賛美を捧げんことを。汝の御座は、海や星々が造られるはるか以前に永遠より据えられていました。汝はとこしえに生きておられる神であり、汝の前にあってあらゆる国々は無きに等しいのです。天空の形成より、万象の焼け溶ける日に至るまで汝の壮大なる照察の前に、時も自然 [続きを読む]
  • Κοινωνία(交わり)について
  •          聖書のことばの世界は深く、広く、果てしなく拡がる海原のように思われます。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14a)。私たちの神様はなぜ私たちに聖書をお与えになったのでしょうか。なぜ聖書はヘブル語やアラム語やギリシャ語という人間の言語で書かれているのでしょうか。そしてなぜ「翻訳」という人間の手によるプロセスを経た後にも、それは神のことばとして存在し続け、 [続きを読む]
  • 諸契約の成就者キリスト
  • 美しい北海道の自然、苫小牧(写真)諸契約の成就者キリスト(苫小牧福音教会 水草修治師)ブログ管理人より水草牧師への感謝のことば。私は自分の未熟さや愚かさゆえに過去に神学校を一年足らずで中退してしまい、その後、神学教育に関してはほとんど学びらしい学びをすることができず今日に至っています。しかし水草師がこのように神学校での講義ノートを一般公開してくださっていることで、私はようやく基礎の基礎を学ぶ恵 [続きを読む]
  • 女性の結婚指輪は、祈りのベールの代わりになり得る??
  • Jeremy Gardiner, Can Wedding Rings Replace Head Covering?(執筆者:ジェレミー・ガーディナー)被り物に関し「文化的解釈」を採っておられる方々から次のような意見がしばしば出されます。「ベールというのは、現在の西洋文化においては何ら意味を持っていません。ですから私たち信仰者は、このシンボルを、より今日性を持つ別のなにかに置き換えることによって、原則を保持できるのではないかと思います。」そして [続きを読む]
  • 諸文化を超えた恒常性について
  • source私たちクリスチャンが聖書を読む際に大切なことは、その中にまず永遠の真理および教理の本質を識別することであり、そしてそれらを表現している一時的な形式からそれらを区別することであるとミラード・J・エリクソン氏は述べています(『キリスト教神学』第1巻)。しかしながら、時にその区別はむずかしく、私は立ち往生してしまいます。たとえば、ヨハネ13章の洗足のことなどはどう捉えたらいいのでしょう?ここ [続きを読む]