店長 さん プロフィール

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店長さん: 月が出てるね
ハンドル名店長 さん
ブログタイトル月が出てるね
ブログURLhttp://ameblo.jp/ripp-ar/
サイト紹介文相模、武蔵を中心に様々な歴史を散策します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供49回 / 90日(平均3.8回/週) - 参加 2016/12/25 18:29

店長 さんのブログ記事

  • 法隆寺再建非再建論争2
  • 法隆寺は謎が多いお寺としても有名です。いつ、何のために、誰が建てたのか良くわかっていません。法隆寺にまつわる論争として一番最初にして特に有名なものに「法隆寺再建非再建論争」と言われるものがあります。今の法隆寺西院の近くに普門院という子院があります。その裏に若草伽藍の塔の跡と伝えられる大きな礎石があって、これが最初の法隆寺の塔であるという言い伝えが古くからあったそうです。これに反して法隆寺は太子が [続きを読む]
  • 法隆寺ー再建非再建論争の軌跡
  • 法隆寺というと、再建、非再建論争や、聖徳太子の怨霊のお寺であるとか聖徳太子は実在しないとか、、特に怨霊については、梅原氏は法隆寺(もしくは四天王寺)からその鎮魂に対する考え方がはじめて出てきたと説いておられます。怨霊というのはギリシャ神話のオイディプスのエピソードのように、そもそも人間の生への恐ろしい程の執着と、罪に対する恐れ、あるいはコンプレックスというものから生まれたのだと思います。僕は怨霊概 [続きを読む]
  • 東国のヤマトタケルー開拓の記憶。
  • ヤマトタケルのストーリーで、征服される主体についてはクマソタケル、あるいはイズモタケルなど九州や出雲については人が主体になっています。しかし、畿内より東については自然が主体でそれは神と表現されています。特に伊吹山のケースは最期のシーンになっていますが、ここのストーリーは私にとってはあまりにも考古的な資料が少ないので、語ることは出来ません。さて、神話についてどのように理解するのかということについて [続きを読む]
  • 東国のヤマトタケルーmigration
  • 何ゆえに東海から関東に移住してきたのかということについては「倭国大乱」ということも、その理由の一つと言われています。全国規模の騒乱が移住を促したということですが、この点についてはあまり合理性がないと思う。卑弥呼の鬼道による統制ををもって、それが全国的(あるいは近畿以西)なひとつの「権力」があったとは到底思えないということ。魏志倭人伝でも倭国の範囲が記述されていて、この時期ではやはり九州を出ることは [続きを読む]
  • 東国のヤマトタケルー弥生中期の相模
  • 弥生から古墳時代にかけての神奈川県内の実際の遺跡を概観してみる上で主な代表的な遺跡資料を3つ上げてみます。1、中里遺跡。小田原市の遺跡で大規模な水田が発掘されています。これは関東全体を見ても早い時期にあたる遺跡です。2、神崎遺跡。綾瀬市の遺跡で東海地方からの移住の痕跡が残っています。3、赤坂遺跡。三浦半島の遺跡で漁労中心の生活のあとがあります。これらの遺跡は、1が相模国(つまり南関東)の稲作の開始期の状 [続きを読む]
  • 東国のヤマトタケルについて。
  • ヤマトタケルの物語についてはいくつかのストーリー構成による人物像という理解が一般的と思われる。そして、東征のヤマトタケルについては東国の英雄譚がベースになっているという。とはいえ、東国のヤマトタケルを語る上で避けて通れないのは「ヤマトタケル腰掛け石」の存在だと思う。ヤマトタケル腰掛け石を通して東国のヤマトタケル像をみてみたいと思います。そもそも、ヤマトタケルは東国において、一体なにを征服したのだ [続きを読む]
  • 大塚 歳勝土遺跡ーFile2
  • 今日は横浜歴史博物館で隔週で受講してる民俗学の講習日です。先週、神崎遺跡資料館に行ってみましたが、ここ横浜歴史博物館も大塚歳勝土遺跡が隣接しています。弥生中期の遺跡で環濠集落が復元されています。それと、方形周溝墓。天気はあまり良くありませんが、ちょっとご紹介します。方形周溝墓って意外と大きくて、あまり近寄ると全景が入りきりません。下は墳丘内部を説明したもので、本当は木棺に収められていたものですが [続きを読む]
  • 神崎遺跡ーFile1
  • 腰掛神社の後、神崎遺跡資料館に行って来ました。平成29年に遺跡の復元もされて本格開館されるそうですが、資料館の方もだいぶ充実していましたよ。最近、こういう資料館って本当にきれいに整備されています。駐車場も完備は当然ですしね、、ここの遺跡は、遠州からの移住者が一旦集落を作って、程なくまた移住して行ったということがわかっている遺跡です。なぜ、移住してきたのかは良くわかっていません。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 腰掛神社ーFile5
  • この時期は朝晩はまだ少し寒いのですが、お昼くらいになると本当に暖かくなってきます。午後に久しぶりにバイクのエンジンに火を入れてちょっとお散歩。藤沢の腰掛神社に行きました。奥が本殿。そのすぐ横に腰掛け石があります。ここは、ヤマトタケル腰掛石がある神社です。神奈川県の県央部にはいくつか「ヤマトタケル腰掛石」があるのですが、ここは立地的にいうと相模国一宮の寒川神社も非常に近くにあります。前にご紹介した [続きを読む]
  • 青髭2
  • グリム童話の中のお話に「マリアの子ども」(グリム童話集KHM3)というお話があります。これは、主に南欧の各地に伝わるお話だそうですが、ほぼ、マリアと青髭が入れ替わっているだけとも指摘されているお話しです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82青髭とはキリスト教以前の時代の「神」そのものの姿なのではないでしょうか。もちろん、たくさんいるうちのなかのひと [続きを読む]
  • 青髭
  • 青髭とはグリム童話の中のお話のひとつです。「初版グリム童話集」かねて、現在のお話と初版のお話ではだいぶ違うということを聞いていたので、思わず手にとってみました。なるほど、、実際に読んでみるとあまり子供向きではないかもしれません。というか、民間伝承をグリム兄弟が収集したものだからまだフィルタリングがあまりされてはいないので、、残酷なお話が多いのです。。どれも、興味深いお話なのですが特に僕の興味をひい [続きを読む]
  • お詫びと訂正
  • 昨日の「捨てられた神」の記事で「ちょっと休憩-イマジネーションの翼」の筆者のお名前を水名?ゆう様と表記いたしましたが、正確には 水無瀬ゆう 様です。重ねてお詫びの上訂正致します。 [続きを読む]
  • 捨てられた神
  • 水無瀬ゆう 様のブログ「ちょっと休憩-イマジネーションの翼」という記事が大変面白く、ついコメントをさせていただきました。その返答について、長くするのはどうかと考えたのですが、日本人の「神」概念に対するいろんなヒントがありましたので書かせていただくことをお許しいただきます。捨てられた神が福の神に転換するというのは、関西より西と東ではその解釈が少し違っているように思えます。これは、ただの違い [続きを読む]
  • 草薙剣と蛇
  • 草薙の剣はスサノオによってヤマタノオロチの尾から出てきたものという。正式な名前は天叢雲剣(アメノムラクモ)。しかし、古事記において「またの名」で表現されているので、やはり草薙剣と天叢雲剣は本来は別物なのだ思う。草薙剣をwikを見てみると、この剣の名の由来に「蛇の剣」という説がある。すなわち、クサナギとは獰猛な蛇という意味であるとする説です。「クサ」とはどういう意味があるのかというと、やはり匂いに関する [続きを読む]
  • 邪馬台国ー畿内説?九州説?
  • 邪馬台国の所在地について畿内説と九州説が代表的な議論の対象です。僕自身は、どちらにあったのかよくわかりません。魏志倭人伝を読むと、距離的には九州にあったようには思うのです。しかし、巨大な古墳は奈良で誕生し、同地はその後の日本の政治の中心になっていくわけです。権力の継続性を考えると畿内説はやはり有力なのでしょう。それに近畿で大量に出土する鏡も一旦畿内に集められ、同じイデオロギーを持つ首長に配布されて [続きを読む]
  • 怨霊についてーまとめ
  • 僕は怨霊とか祟りって言葉を普通に使ってしまっているのですが、現代における祟りと古代における祟りって同じ意味では無いのですね。現代に生きる我々はそれなりに時間を経ているわけで、700年代当時の人間と現在を生きる私たちが一つのワードについて、同じ解釈のわけがありませんよね。つまり、8世紀にはまだお岩さんやお菊さんは存在しないので、個人的な怨恨を主体に持つ怨霊とは違うはずです。祟りとは一体何か、もう少し考え [続きを読む]
  • 怨霊についてー崇道天皇の誕生
  • いよいよ最高の権威を身につけた桓武は天平以来の騒乱と坊主の巣窟と化した平城京を捨てる決心をするのです。彼はおそらく、井上皇后の亡霊というものも、感じていたのだと思います。なぜというに、桓武天皇は死ぬ間際までこのことに悩まされ続けているのですから。遷都にあたり桓武のブレーンは百川の甥、藤原種継になっています。種継もまた桓武と同じ帰化人の母を持つ身として公私に渡りいろいろ相談し合う仲であったといいます [続きを読む]
  • 怨霊についてー皇后と皇太子の死
  • 山部王は、白壁王の異腹の長男という立場で母が帰化人でした。その外戚が下級官吏であったということについて若い時はそれほど気にしていなかったようです。とはいえ、ようやく従5位下になったのが28歳の時だそうですから、出世としては相当遅かったわけです。ただ、彼は能力的に優れていたようですぐに頭角を表したようです。というのも野心家、藤原百川はかなり早くから彼に目を付けたようですから。山部王が34歳の時に父白壁王 [続きを読む]
  • 怨霊についてー平安京
  • 梅原猛氏はその著書「隠された十字架」の中で法隆寺は怨霊のお寺だと言っていました。その影響はとても大きかったと思います。法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるお寺。。しかし、梅原氏の言うように聖徳太子の怒りを鎮めるためのお寺だという主張には少々疑問を感じます。法隆寺の「怨霊」があったのかどうか。もう少し探る必要があると思います。日本において怨霊が国家規模で恐れられた起源については定説がありますし、「太古の昔 [続きを読む]
  • スカイツリーと満月の夜。
  • 連休の土曜日。初めてスカイツリーに行ってみました。どうせなら、夕景から夜景にかけて見てみたいので午後4時過ぎに訪れてみました。その前に浅草よってみます。すごい人。しかも、外国人観光客はほんとに多いですね。夕方、早速展望台に、、チラホラともりはじめた街の明かりがとてもきれいです。しかも、2月11日は満月だそう。スカイツリーから見る東京の夜景と満月。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 江ノ島伝説ー稚児ケ淵。
  • 江ノ島に伝わる稚児ケ淵の伝説は建長寺の僧である自休と稚児の話になっていますが、元のストーリーはかなり古いものだと思います。この話のパターンは比較的広範囲に見られるお話で、ひとりの美しい女性を他の二人が相争うという展開の定番ストーリーです。真間手児奈(ままのてこな)伝説、桜児(さくらこ)伝説、うない伝説などに見られます。例えば、うない伝説は神戸に伝わるお話だそうですが、万葉集にも伝わっているとのこ [続きを読む]
  • 続 江ノ島神社
  • 江戸時代に編纂された新編武蔵国風土記の「江島」という項目にはこう書かれています。欽明天皇13、壬申年4月12日より、23日に至て、大地震動して、天女雲上にあらはる。その後海上に忽一島をなせり。これを江島という。12の鵜、島の上に降りる。故に鵜来島(ウキシマ)とも云う。江島神社の縁起と新編武蔵国風土記の違いは天女が従える者の数と、「ウ」という鳥が登場することです。江島神社縁起では15。新編風土記では12。これが何 [続きを読む]
  • 江ノ島神社ー神の降りた島。
  • 折口信夫さんは、常世の国は奈良朝以前から既に信仰内容を失って、次第に実在の国の事としてこれを推定してきている、、と述べておられます。そして、、常世の国なる他界と私達の住む国の間には時間の基準が違うというのは世界的に見られる、、例えば、浦島氏が行ったのもその様な所で、浦島氏の前の、わたつみ宮は常世と一緒になったものでしたが、どちらも海底が舞台、、であると。(第二集より)私達の古い祖先達は「まれびと」 [続きを読む]
  • 邪馬台国論争ー甦る三国志「魏志倭人伝」中島信文著を読んで。
  • この本を読んで、邪馬台国論争はひとつの到達点にたどり着いたという印象を持ちました。邪馬台国論争を展開するうえで、やはり、この説を論証し批判した説が現れない限り信憑性は乏しいのではないかと。おそらく、古代史に興味を持たれている方なら必携であります岩波文庫の新訂 魏志倭人伝を探し出してもう一度読んで見ましたが、これ、、初版が1951年なのですね。やっぱり、最新の翻訳本の魏志倭人伝を読んでみたいと思いまして [続きを読む]
  • 神々の残照ー口裂け女。
  • 最強の都市伝説と言えば、やはりこの口裂け女でしょうか。これは、1970年代の終わりに広まった噂でした。当時、小学生だったか中学生の私も肌感覚でこの恐怖を味わいました。名古屋からやってくるという口裂け女はパトカーより走るのが早いから、絶対に逃げられない、、という話に戦慄したものです。当時、、彼女の出現について、かなり具体的な日にち指定の噂に当日はパトカーが出動するとか、しないとか、、あげくの果てに集団 [続きを読む]