ひで さん プロフィール

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ひでさん: ゼロからはじめる愛知の戦国史跡と城巡り講座
ハンドル名ひで さん
ブログタイトルゼロからはじめる愛知の戦国史跡と城巡り講座
ブログURLhttp://sengokushiseki.com/
サイト紹介文歴史初心者向けの分かりやすい愛知の戦国史跡と城巡り講座です
自由文愛知県の戦国史跡や城を歴史初心者向けに詳しく解説したブログです。現地レビューや私の感想など、愛知県内の戦国史好きの方げ向けて情報発信しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供26回 / 67日(平均2.7回/週) - 参加 2017/01/11 13:37

ひで さんのブログ記事

  • 山内一豊出生地説がある一宮市木曽川町の黒田城跡と菩提寺の法蓮寺
  • 愛知県一宮市の黒田城は、山内一豊の父・山内盛豊が城代を務めていた城で、一豊の生誕地説がある地域でもあります。 【黒田城の住所】愛知県一宮市木曽川町黒田古城26-2 黒田城跡の地図 黒田城の築城は古く、明応年間(1492〜1500に相模国から尾張にやって来た五藤源太左衛門光正が居館を築いたのが始まりといわれています。 戦国時代には、岩倉城を本拠とした織田伊勢守家のものとなり、その家老 [続きを読む]
  • 戦国時代を食から見る!永山久夫【著】武士のメシの感想
  • 【著者】永山久夫【発行所】宝島社【定価】1429円+税【ひとことで言うと】 戦国時代の(食)を再現、解説した本 戦国時代を語る時、いろんなキリクチがありますよね。例えば城武将、古戦場など。 そんな中、【食】という観点から戦国時代を解説したのがこの本です。 あの武将の【食】がココに!歴史本を読んでると、少なからず食に関する記述というかネタが出てきますよね。例えば、・徳川家康と [続きを読む]
  • 桶狭間古戦場で亡くなった人が眠る愛知県豊明市の戦人塚
  • 愛知県豊明市の戦人塚(仙人塚とも)は、永禄三年(1560)に起こった桶狭間の戦いで亡くなった人達を埋葬した塚です。 【戦人塚の住所】豊明市前後町仙人塚 戦人塚の地図 桶狭間の戦いでは多くの戦死者が出ました。 資料によって戦死者数の違いはあるのですが、緑区桶狭間古戦場保存会の調査では、今川軍と織田軍合わせて約3500名の方が亡くなったそうです。 この戦人塚は、曹源寺二世・快翁龍喜 [続きを読む]
  • 地図で説明!桶狭間古戦場の井伊直盛陣跡の場所と感想
  • 2017年NHK大河ドラマの主人公・井伊直虎の父である井伊直盛(なおもり)は、永禄三年(1560)の桶狭間合戦に出陣し、討死したといわれています。 この時、井伊直盛が陣を置いたといわれる場所は、名古屋市緑区桶狭間の巻山(まきやま)という場所と伝わります。 現在、桶狭間古戦場といわれる場所は、愛知県豊明市と名古屋市緑区の2ヵ所がありますが、両方とも現在では閑静な住宅地となっており、開発が進んで [続きを読む]
  • 歴史を変えた日本の合戦・長篠設楽原の合戦
  • 【原作】すぎたとおる【発行所】株式会社ポプラ社【価格】1,000円(税別)【一言でいうと】長篠・設楽原合戦を漫画で解説した本 天正三年(1575)年に愛知県新城市で起こった、織田・徳川連合軍VS武田軍の長篠・設楽ヶ原を漫画で詳しく説明した本です。 単なる戦国アニメ本ではなく、新城市立長篠城址史跡保存館顧問の馬場高夫氏が監修しているだけあって、合戦の最新の研究に基づいた内容になって [続きを読む]
  • 桶狭間合戦で大高城や丸根砦と共に重要だった沓掛城跡公園の感想
  • 沓掛城(くつかけじょう)は愛知県豊明市にある城址です。正中年間(1324〜26)の頃には、この地を治める豪族の館があったみたいですが、沓掛城が有名になるのは何といっても永禄三年(1560)の桶狭間合戦です。 織田家に従っていた鳴海城主・山口教継が大高城、沓掛城を攻略して今川氏へ寝返り、今川氏の尾張侵出の機会となりますが、今川義元は沓掛城に入城した次の日に桶狭間で討たれてしまいます。 その後 [続きを読む]
  • 豊明市桶狭間古戦場伝説地でチェックしておきたい史跡はココ!
  • 愛知県豊明(とよあけ)市にある、桶狭間古戦場伝説地でチェックしておきたい史跡やポイントを説明します。 まずアクセスですが電車で訪れる場合、最寄り駅は名鉄(めいてつ)線の中京競馬場前駅なので、そこで降りて歩いて桶狭間古戦場伝説地へ向かうと便利です。 以前の記事に詳しい電車アクセス方法を説明したものがあるので、チェックしてみてください。 >>地図で説明!名古屋駅から電車で豊明市桶狭間古戦場 [続きを読む]
  • 織田と今川の戦いの歴史がハンパない!愛知県安城市の安祥城址
  • 愛知県安城(あんじょう)市の安祥(あんしょう)城址は、戦国時代に尾張の織田氏と三河の松平氏&駿河の今川氏の攻防が激しかった城です。 ●安祥城城の住所安城市安城町赤塚1 安祥城の地図 戦国時代、尾張の織田信長と三河の徳川家康は同盟を結んでいましたが、それ以前、つまり親の代までは犬猿の仲で、尾張と三河は敵対していたのです。 織田VS徳川(松平)の攻防は一進一退で、織田は安祥城 [続きを読む]
  • 家康が竹千代時代に幽閉されていた名古屋市熱田区の加藤順盛屋敷跡
  • 徳川家康が幼少の竹千代時代に過ごした場所が、名古屋市熱田区に残っています。それが加藤順盛屋敷跡です。別名・熱田羽城跡。 家康が生まれた頃の松平家(徳川家の前身)は、尾張の織田氏との仲が悪かったのですが、松平家だけで対抗できず、駿河の今川氏の力を頼っていました。 そのかわりに松平家の嫡男・竹千代が駿府に人質として預けられる事になっていたのですが、田原城の戸田氏が竹千代をさらい、織田氏に売り飛 [続きを読む]
  • 織田信長が元服した名古屋市中区古渡城
  • 名古屋市中区の古渡城は織田信秀の居城で、信長が元服した城です。 織田信秀は今川氏豊の那古野城を奪い、息子の信長に与え、自身は天文三年(1534)に古渡城を築き移りました。 吉法師と名乗っていた信長は、天文十五年(1546)にこの古渡城で13歳で元服します。 信長公記によると、当時の織田家家老だった林秀貞、平手政秀、青山与三右衛門、内藤勝介らがお供をして、古渡城へ行き、吉法師は織田三郎信長と [続きを読む]
  • 名古屋城西北隅櫓は清洲城天守?内部特別公開に行ってみた感想
  • 名古屋城には3つの重要文化財に指定されている隅櫓がありますが、そのうちの西北隅櫓は、なんとかつての清洲城天守を移築したもの、もしくは清洲城天守の廃材を再利用して築かれたものといわれています。 基本、内部非公開なのですが、年に数回、内部を公開することがあるのです。 公開期間は毎年決まっておらず、名古屋城の気まぐれで公開していますが、今回、運良く西北隅櫓の公開期間中に名古屋所城に行く事ができた [続きを読む]