おかんが急性膵炎で入院しPET検査を経て「膵頭部癌」と判明!膵頭十二指腸切除で膵臓周りの臓器を摘出
敵の正体が判明した以上、この膵臓ガンとの闘いを記録に残していきます。
世の中クソみたいなやつが多すぎるな。 所詮は周りに流されて世の中の大局も分からずまま一生を終えるやつ。 親の七光りで上手く行ってるだけなのにそれを自分の実力と勘違いするやつ。 遠い親戚、近くの他人。 まさにこれ。 ろくに絡みもしてないのに血が繋がってるからと言って要所要所の場面で絡んでくるヤツ。 まぁこれが一番害悪やな。 血のつながりなんぞどうでもよい。 これに尽きるわ。
9月も終わりだがまだまだ暑い・・ ふざけてるようだが決してふざけてはいない。 お菓子好きだったからな(笑)
無宗教の場合の葬儀って 僧侶や神職を招かない 戒名などはない のが基本である。 現にうちのおかんは戒名なるものは無い。 本人が必要ないと言っていたから。 さらに宗派に関しても祖先はそうかもしれないけど 私はどこにも属さない無宗派で、とも言っていた。 そう、無宗教の場合は供養の形に決まりがないのがほとんだ。 つまりは年忌法要やお盆などというものは本来無いものなのだ。 見送ることは自由でありこれこそが供養の形ともいえる。 しかし 葬式の連絡もなし、戒名もなし、お経もなし、だけど納骨だけさせてくれというのはお寺側も納得しない。 もちろん親族なども含めてだ。 (これが事実) だから無宗教だけど仏式を取り入れて坊主を呼んで形式ばった葬儀や納骨を行ったんだよね。 ※無宗教葬もお任せください!と謳っている葬儀社でも実際には難..
冬真っただ中、身を切るような寒さが続いている。 俺自信は持病のヘルニアがいつ続くのかそれだけが心配だ。 ただいつもの傾向だと冬になるというよりは春が近づく頃、まさに季節の変わり目に立ち上がれないほどの腰痛が起こることが多い。 あーあの痛みはイヤだなぁと久々に思い出してしまった。 PC用の椅子は腰に良いものを選んだし何とか気を付けながら作業はしているがこの寒さは本当にキツイ。 もし冬に5月6月の状態の看病をしていたら俺はちゃんと出来たかな?なんて考えてしまった。 まぁなんとかやってはいたんだろうけどやっぱりこの寒さはきついだろうなあ。 冬が終わって春が来るのもあっという間だろうな。 もう半年が過ぎたんだなぁって。 一年なんてあっという間に過ぎてしまう。 本当に時間のありがたみってこの歳になってつくづく大切だなと感じた瞬間だった。 にほんブログ村 気になる順位..
20日ほど前のクソ暑い8/4(金)に滞りなく49日も終わった。 こじんまりした霊園で坊さんがお経をあげ白木の仮位牌から本位牌に魂入れをした。納骨を終えて普通に飯を食って何事も無く終了。 そしてある日、少し弱気になった時にふと俺はおかんを思いだした。 か細くなった声、 痩せ細った顔を思い出す度に目頭が熱くなってくる。 この半年は激闘だったよなぁ・・ 無くなってからまだ二か月だし・・ なまじ元気だった姿の方が印象深いから尚更だ。 これからもこのような辛い出来事を体験しながら生きていくのだろう。 あたりめーだよ! みんなそうなんだよ! あまったれるなよ! もう一人の俺が気合いを入れ直す。 そういえば昔こんな歌あったよなぁってふと思い出した。 たしか岡本真夜の歌だったな。 サビが「涙の数だけ強くなれるよー、アスフ..
今日はじめておかんの夢を見た。 葬儀の事や相続の事で話を進めていくうちになぜかおかんがいて、 なんでそういうこと言うの? とか なんでこうなるの? とか ○○がこう言ってたから!とか それに対して俺が 「いや、だからそれはああしてるからこうなっているんだよーっ」と返答している。。。そんな感じのシーンだ。 なぜか葬儀にもおかんが手伝ってくれて しゃしゃり出てくれて 挨拶までしちゃったりして そして、あれ? 葬儀って? 誰のだっけ? ん?なんでおかんと喋ってんだ? と疑問に思ったところで目が覚めた。 いやぁ余り夢って見ないし、すぐ忘れちゃうし、自分の都合の良いように改変するって言うからさ、目覚めた所ですぐにスマホのメモ帳アプリに記入しておいた。 気にしてるから夢を見るって言うけど 今回は何かを伝えたかったのかな?..
今日で3週間目、流れるように時間が経過していく。 学生のときにはありえない感じだ。 弔問客もほとんど来なくなった。 来客用の湯飲みもとりあえず邪魔なので一旦サイドボードにしまう。 悲しみがなくなったのかと言われればそれは違う。 悲しんでばかりも入られないから前に進まなければならない。 生きるためには泣いていても何も解決はしない。 働かなければご飯を食うことも出来ないからだ。 持病の腰痛は少しは良くなったと思うんだがまだまだ歩くスピードも遅いため無理は禁物。 午後に法要申込書の書き方が分からなかったので霊園に行って空欄を埋めて提出。ここはコンパクトにまとめられた綺麗な霊園だ。 家から5分の距離だしアクセスも良好。 これなら定期的に来れるかな。 しっかり掃除しないと怒られそうだったけどとりあえずは一安心。 最近の俺は毎日線香を上げるたびに 「早く腰が治り..
早いものでもう2週間がたった。 こんな風にして月日はどんどん流れていくだろう。 俺はやることは腐るほどあるが、如何せんぎっくり腰が未だに治らずもどかしく辛い毎日を送っている。 うんこをしたあとに手が届かない事に気付き、畜生と思ったが、 あぁ、おかんもそうだったな。 まさに今同じ経験をしているとはこのことだ。 俺は悔しさと情けなさが入り交じっているが、おかんもそうだったのかな?とふと考えてしまう。 はっきりいって何も出来ないのは本当に辛い。 余計なところでイライラが爆発してしまい、被害を拡大させ自分にも大ダメージを与えてしまう。 まさに負のループとはこの事だ。 今度は腰痛とかぎっくり腰とかそんなキーワードでググることが多くなっている。 視聴動画も腰痛関連のものばかりだ。 早く治して次に進みたい。 霊園にも行..
ぎっくり腰から8日目 ※初日は6/24(土)良くなっているのか良くなっていないのか分からないが痛みはまだある。 足首を曲げたら痛いし、歩くのもしんどい。 この痛みはいつ引くのだろうか。 二件の接骨院に行ってから痛みが酷くなったような気がする。 ぎっくり腰3日目、4日目に行ったときはまだまだ安静だったのでは。 無理にマッサージなんかして揉んだり、骨盤矯正などしたから余計酷くなったんじゃないのか? もう悔いてもしょうがない。 とにかく時間がもったいない。 やるべき作業がまったく出来ないため焦りと苛立ちが自分を更に追い詰めている感じだ。 結局ここまで酷くなる腰痛の原因っていったい何だったのだろうか? 思い起こせば高校の時に掃除のバイトでポリッシャーを使っていたとき、 腰の痛みが酷くなったのを覚えている。 また飲み屋のバイトでビール樽を持ち上げていた時に痛め..
ぎっくり腰になってから5日目、緩和どころかまったく治る気配がない。むしろますます悪化しているように思える。 その証拠に今日は10歩歩いただけでまったく動けない。 どうも立て続けに接骨院に行ってからどんどん酷くなっているような気がする。 それが原因ではないような気もするが、直後に揉むのは良くないって情報もあるし。 正直ここまで酷いのは初めてだ。 痛いながらも辛うじて歩いていたが、今回ばかりは少し歩いただけでももう立っていることが非常に困難だからだ。 俺は四つん這いになりながらハイハイしてトイレに向かった。 この痛みが早く取れますように。 今願うのはそれだけだ。 にほんブログ村 気になる順位をチェック! がん・腫瘍 ブログランキングへ スポンサードリンク
この日はちょうど雨。 涙雨ともいうべきか。 今日は葬儀の日だ。 普段あまり着ることがないような喪服に身を包み 葬儀が行われるティア会館へ出発した。 家族葬ということでおかんが呼んでほしい身内や親しい人だけを 呼ぶつもりがイレギュラーが生じ人が増える羽目に。 まぁこれも葬儀のあるあるらしいんで今となっては笑い話だ。 無事に葬儀を終え、遺影を持ちながら助手席に座り火葬場へ車が走り出す。 言われるがままに説明を受けて待合室に。 ここまではボーっとしていて涙すら出なかった。 が、最後の最後に火葬炉の中に入る棺を見て堪えていた涙が咳をきったように溢れだした。 身体を震わせ鼻水を垂らしながら顔をあげることが出来なかった。 しばし呆然としながら待合室へと戻る。 歩きながら鼻水を拭き取り涙を拭い去った。 焼いてい..
「疲れた。。。もう人生の幕引きをしたい。。。」 これがオレが聞いた母親の最後の言葉だった。 夜の22時頃だったように思える。 歯磨きをしたいと言うから歯磨きをして上げて顔を拭いてマダムジュジュのクリームを顔に塗ってあげた後だったから。 声に元気が無くなり、か細くなってきたのが目に見えてわかるようになってきたのは金曜日のお風呂の辺りだった気がする。 そして19日。 時間にして大体午前3時前だっただろうか、オレは半分眠っていた。 一緒にいたB氏が異変に気付き教えてくれた。 最期は「あーっ」と言う微かな声を発してから呼吸が止まったのだ。 そう、息が止まった。 遠目から見る微かなふとんの上下も変化が無い。 鼻や口に手を当てても風圧を感じない。 目は一点を見つめて微動だにしない。 おかんの後輩のB氏もそばに..
きょうは一週間ぶりのお風呂の日。 訪問入浴は今日が初めてだ。 その前に訪問診療の先生が来て人口唾液のスプレーとワセリンを持ってきてくれた。 (慶和病院から山口整形外科・内科クリニックに変更) 早速唾液のスプレーを使ってみるも特に変わりなし。 まぁそりゃそうだよね、実践しても変わらんことは分かっていたし(笑) でも何もしないよりは何かやったほうが良いってことも分かるけど。 昨晩、いろいろと調べながらも そういや死んだあとって救急車呼ぶと警察が来て事件性がないか調べるためにいろいろと事情聴取を家族全員に聴かれるらしい。 死んだ直後の状態で根掘り葉掘りいろいろな事を聞かれても精神的に参るわけだし。 まぁその事をかなり短縮して俺は 「救急車呼ぶと警察来て面倒なことになるんですよね?」 って言ったんだけど 先生「そのた..
腰が痛い自分にとってうんちの処理は一大イベントだ。 どうにも思うようにはいかなく泣けてくる。 看護師さんは上手にこなしているんだが、はぁやっぱダメなのかなぁってね。 なんとかうんちの処理を終え尿取りパッドやおむつを交換。 だが、問題はその後だ。 ベッドの下側部分にずり落ちた体を枕のある上側に移動させなければならない。 これが腰が痛いと上に移動させるのも辛いのだ。 看護師さんが移座えもんシートなるものを用意してくれた。 →● 移座えもんシート 筒型 M モリトー介護用品 移乗シート 移乗用具 体位変換 動画を見て実践してみる。。。が上手く行かない(笑) とりあえず後でもう一度チャレンジしてみよう。 その後訪問診療の先生がやってくる。 スマホみたいな機械でなんでも出来ちゃうんだから凄いなぁと思ったよ。 肝..
朝の電車はラッシュがきついなーと感じながら自宅へ。 夜中は大変だったかな?と思いきやトイレには一回も行くことが無かったらしくオムツは綺麗なままだった。 近所のKさんが毎朝来てくれてうちのおかんの状態を確認してくれている。 本当に頭が下がる思いだ。 たしかに人付き合いはしっかりしている。 上っ面の付き合いでここまでいろいろな人が心配してくれるなんてなかなかいないだろう。 これが人徳と言うものなのか。 ずーっと否定し続けたおかんの性格をこの時ばかりは尊敬した瞬間だった。 そして体調は特に変わりなく食欲だけは旺盛だ。 しかもあまり食べてほしくないアイスやお菓子を欲しがる。 いつものように口のなかに入れてあげる。 なぜか動物にあげる餌やりのような感じだ。 途中にトイレにいきたいというのでベッドから起こし便器に向かう。 行きた..
3回目のKM-CARTが終わりそのまま湯治に5日行く予定のはずが急遽一泊で帰宅。 ※湯治を一泊で切り上げたときの慶和病院のデータ。(2017/06/05) ↓ 14.7まで回復している。 でもこれも一時的なものだろう。 どうやら足に力が全く入らず家に帰りたくなったとのこと。 また床擦れ対応のベッドではないのでかなり厳しかったらしい。 立っても足に力が入らないのでトイレに行くときは抱っこしないといけなかった。 軽そうに見えても腹水のためかなり重く自分の腰に直に響くのが辛い。 なんとか体をトイレまで運んでいきオムツを脱がせ便器に座らせる。 おむつにもうんちはあるが便器の縁にもうんちがついてしまった。 自分でおしりを拭くことも出来なくなったせいで代わりに拭いてあげることに。 ウォシュレットで粘りけのあるうんちをあらかた落とし..
この戦いは本当に厳しい。 腹水の貯留スピードが早まっているから、厳しい延命をしているようだ。 2回目のKM-CARTは5/10(水)に行った。 そしてそのまま一週間の湯治に(5/19金)まで行ってきた。 自分もバタバタしてて今回は3回目のKM-CART。 5/30(火)に入院。 退院予定は6/1(木)だ。 生活の質?緩和されているようでも介護する側はキツイやね。 俺は改めて介護する人の大変さを思い知ったよ。 人は言うよ。 「家で過ごせるのが一番だよ」 「ホスピスより自宅で暮らせればね」 「息子さんが面倒見てくれるなら良かったね」 恐らく分かっている人もいるだろうし、 俺なんかよりも数年人生の先輩なわけだから..
腹水が溜まり始めて動くのもやっとという時に知った、KM-CARTという方法。 通常の腹水穿刺はどの病院でも行えるが、 腹水には重要な栄養素も含まれているので極力抜きたくはないし、 抜いたら一気に寿命を縮めるのは周知の事実らしい。 しかしCARTという方法は抜き取った腹水の中の栄養素を戻し、 極力生活に支障をきたさないようにするのだ。 更にKM-CARTはCARTの改良型であり 最大でも20リットルの腹水を短時間で抜くことができ、安全性も高まっている。 著名人もよく訪れるというこの病院は 近代的なハイクラスの設備と言われると全くそんな感じはしない。 むしろ古い昔からある街の病院といった印象だ。 東京の要町にあるこの病院、要町病院だが駐車スペースは4台しかないので、 止められない場合は近くのコインパーキングを利用するの..
お腹が張ってきて歩くのもだいぶ辛そうだ。いろいろと試行錯誤した挙句、今回ネットで見つけたKM-CARTなるものを試してみようかという話に。ただ普通に腹水を抜くだけではなく腹水の中の栄養素を戻し生活の質を落とさない方法だ。 このKM-CARTはCARTの進化系であり、より多くの腹水を短時間に安全に抜くことが出来るのだ。※CARTの正式名称は腹水濾過濃縮再静注法と言います。その量はなんと20リットルまで対応可能だとの事。幸い、うちのおかんの場合は5リットルくらいといわれた。5リットルでも相当な量だけどあの川島なお美も5リットルほど溜まっていてこの要町病院のKM-CARTを実践したみたい。最も彼女の場合は2回ほどKM-CARTを実践して最後はお亡くなりになったけど。結局のところ対処療法であることには変わりないのだが自分らしさを保ちつつ生きながらえるためには病院で腹水を抜いて死期を早めるよりも良い..
だいぶ腹水が酷くなってきたようだ。今までの病院から緩和ケアを重視した病院で診察を受ける。大学病院では治療を優先した患者ではないと意味が無いし、既に対処療法しか出来ないからだ。 今の医学ではやはり限界に近いのだろう。(西洋だろうが東洋だろうが)だからこその緩和ケアであり痛みを極力なくしながら苦しまない生活を送ってあげる QOL (生活の質)を重視するのが優しさであり思いやりだからだ。利尿剤、アルブミン、穿刺この3つが基本なわけで末期ガンの腹水患者に対する処置は一時凌ぎであるのも言うまでもない。 あまりにもきつそうだから「腹水抜く?」と聞いても「まだ我慢できると答える」し我慢強い人だからヤバい感じもする。腹水を抜いても(腹水穿刺)貯留スピードが以前よりも早くなる。 そのスピードは一週間もないし2、3日だ。 腹水でお腹が苦しい患者さんが水を抜いてもらって楽になったと喜んでいたのもつかの間、す..
毎日じわじわと増え続ける体重。 ガンによる腹水の場合、余命はあとわずかというのは周知の事実だろう。 増え続けることによって身の回りのことが出来なくなってくる。 立つことも起き上がることも困難になりトイレに行くのもお風呂に入るのも厳しくなってくるのだ。 この場合如何にして腹水を緩和しつつ今後の生活を送っていくかが重要だ。 辛い腹水を少しでも楽にするためには利尿剤やアルブミン投与など限られているが、それも一時しのぎでありすぐに効かなくなってくる。腹水穿刺で一気に腹水を抜けば一旦は楽になるけど重要な栄養素までもが抜けてしまい予後が次第に悪くなってしまう。 取り出した腹水から栄養素だけを元に戻すCART改良型( KM‐CART)もあるけれど根本的に腹水の原因を解決しない限り腹水の貯留スピードは加速度的に早まり結果的には死を一気に近づけてしまうことになる。 しかし、どんな理由であろうとも本人..
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