青葉ドロン さん プロフィール

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青葉ドロンさん: SL現役の頃、そしてその後
ハンドル名青葉ドロン さん
ブログタイトルSL現役の頃、そしてその後
ブログURLhttp://slgenneki.blogspot.jp/
サイト紹介文蒸機が主力の頃から今迄、線路大好きオヤジが撮り溜めた機関車客貨車電車ほか、大画面写真と撮影苦労話を。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供43回 / 60日(平均5.0回/週) - 参加 2017/01/25 21:15

青葉ドロン さんのブログ記事

  • 奥羽本線 板谷峠 1983.5.4
  •  奥羽本線の福島駅を出て最初の難所が板谷峠になります。 古くは4110やE10といったEタンクのSLが使用されていましたが、この難所を克服するためこの区間のみ地域に先駆けて1949年に直流電化、1968年に周りに合わせて交流化されましたが、今では改軌までされてしまっています。 最初にこの地を訪れたのはEF64を使用した直流電化の時代で、機関車にも添乗させてもらったのですが、今回お目にかけるのは交流化された後のものです。 [続きを読む]
  • 羽越本線のC57とD51 1969.3.18
  •  新津駅から秋田駅まで結ぶ羽越本線は延長270km余りに及ぶ路線で、日本海側の主要幹線としてSL時代から多数の列車が設定されていました。 海沿いを走る風光明媚な路線で笹川流れが特に有名でしたが、今回は府屋駅から勝木駅の間での撮影でした。 しかしながら平坦な路線なので、客車列車はC57、貨物はD51という国鉄亜幹線輸送の見本のようで、被写体としては魅力に欠けていました。 府屋駅に降り立ち、上りの貨物列車から撮影 [続きを読む]
  • 奥羽本線 矢立峠 Part-2 1969.3.17
  •  矢立温泉で快適な一夜を過ごした翌朝、雪の舞う中を津軽湯の沢駅に向けて国道を歩き、撮影ポイントを探しました。 矢立峠では一部の列車でD51の3台運転も行われていましたが、東北本線のような三重連は滅多になかったようです。 また山裾を曲がりくねった線形のため、後補機を一つの画面に入れるのは困難な撮影地でした。 国道7号線を歩いていると、後方から貨物列車が左下方の隧道から飛び出してきたので、ともかくシャッタ [続きを読む]
  • 奥羽本線 矢立峠 1969.3.16
  •  大館機関区を辞して、奥羽本線の下り各駅停車の乗客となり、本日の宿に近い陣場駅に降り立ちました。 矢立峠は25‰の勾配が連続する奥羽本線北部の難所でしたが、昭和45年に勾配緩和と複線化工事が別線建設の形で竣工し、切替えられてしまいました。 旧線は国道7号線と絡み合うように敷設されていて、現在でも各所にその遺構が残されています。 陣場駅に到着したのが午後の遅めの時間なので、国道を歩いてまっしぐらに矢立温 [続きを読む]
  • 磐越西線 更科信号所 1983.5.3
  •  磐越西線はかなり変則的な路線で、会津若松駅で線路の向きが変わり、また郡山駅から喜多方駅までは電化されていて、使用車両が東と西で異なっています。 電化は1967年とローカル線にしては比較的早い時期に行われたので、この区間をSLが現役で走っているのは残念ながら見ていません。 ここではED77というマイナーな機関車が使用されており、鉄道的にも面白い線形をしているので、何度も撮影に訪れています。  以前に少し [続きを読む]
  • 大館機関区 1969.3.16
  •  朝方の花輪線龍ヶ森駅での撮影後、向かったのは大館駅でした。 奥羽本線の大館駅は花輪線の終着駅でもあり、またここからは小坂鉱山へ伸びる小坂精練小坂線(小坂鉄道)も接続していました。 大館機関区は駅の北側にありますが、機関区はどこでも駅前の反対側の、言わば裏側に位置しています。 ここには奥羽本線用の重装備のD51が多数配置されていましたが、C11や8620も在籍していました。 先ず機関庫に向かうと、庫外に標準 [続きを読む]
  • 花輪線 龍ヶ森駅 Part-2 1969.3.16
  •  昨日に引き続き、早朝の大更駅からDC列車に乗り、龍ヶ森駅で降り立ちました。 やはり同様に、交換の後補機付の客車列車を見送ります。ドレーンで本務機が雲隠れ:1922レこの後補機が三重連の先頭に立つ 昨日よりも天気が良くありません。 三重連の時間が近づいたので岩手松尾駅側に下って行きます。 今回はカーブの内側で土手の下から、見上げるアングルでの撮影としました。前森山は煙でお隠れ:963レ 先頭がパイプ煙突の [続きを読む]
  • 花輪線 龍ヶ森駅 1969.3.15
  •  花輪線の龍ヶ森駅は8620形式の三重連が走ることで有名で、三重連以外にも重連や後補機付、更に後補機重連付まであり、楽しめる路線でした。 龍ヶ森はかつては信号所でしたが1961年に駅に格上げされ、駅近くのスキー場への利用客のためのスキー臨も客車列車で運行されていました。 また、駅構内にはオハ31系を利用したヒュッテもあり、賑わいをみせた時期もあったのです。 宿泊地の大更駅から朝の下りDC列車に乗ると、龍ヶ森駅 [続きを読む]
  • 東北本線 滝沢駅 1983.4.16
  •  盛岡駅の北、滝沢駅に早朝降り立ち、駅の南側の厨川駅方面へ電化後の東北本線の写真を撮りに行きました。 今では第3セクターに移管され、鉄道名も変わり、更に撮影した辺りには新駅(巣子駅)が建設されて、風景もかなり変わってしまったようです。 当時仕事で盛岡を何度となく訪れていましたが、朝早くホテルを抜け出し、撮影後に仕事に戻る事を時々やっていました。 駅からしばらく歩きトンネルの手前に着くと、青森からの [続きを読む]
  • 花輪線 大更駅 1969.3.14
  •  山田線での撮影を区界駅で終え、ローカル線を乗り継ぎ、花輪線の大更駅に到着したのは既に日が陰ってからでした。 明朝の列車で龍ヶ森駅での撮影を行うので、大更駅近くに宿をとるためでした。 各停のDCを降りると、下りの8620牽引の貨物列車が発車して行きました。 花輪線は未電化路線なのに、向こう側の線路には架線があります。 当時の大更駅は岩手郡松尾村の松尾鉱山へ向かう松尾鉱業鉄道が接続していましたが、この民営 [続きを読む]
  • 雪の山田線のC58 1969.3.14
  • 東北地方のローカル線の山田線については、先の大震災の被害でこれからの存続等いろいろと検討されて入れようですが、C58が健在の頃、雪深い彼の地を訪れました。 この時の訪問では、といってもSL時代には一度だけですが、盛岡駅からサミットの区界駅までの間までで、その先の撮影記録はありません。 最初に降り立ったのは大志田駅で、隣の浅岸駅と共に利用者の減少で既に廃止となってしまいました。 両駅とも25‰の連続 [続きを読む]
  • 雪晴れの八高線 1969.3.5
  •  この年は正月からどこへも撮影に行ってなかったのですが、3月になって関東地方に雪が積もりました。 その翌日は良い天気になったので、雪景色とSLを求めて通い慣れた八高線に出かけました。 いつものように東飯能駅に行き、金子駅を目指して歩き始めたところ、下り貨物列車が緩い勾配を煙を上げながらやって来ました。2285レD51重連ですが 気温が低いので煙は綺麗ですが、風に巻かれて後ろが霞んでいます。 入間川の近くの築 [続きを読む]
  • その後の磐越東線 1980.5.4
  •  磐越東線でD60が活躍した時代については既に掲載しましたが、今回はその後の、無煙化が完了してDD51が取って代わった時代の記録です。 東京から車で国道6号線を北上し、いわき市側から郡山へ抜けるルートでの撮影行です。 行きがけの駄賃で、常磐線の貨物列車と583系の特急みちのくを撮影。上り貨物列車もう少し良い場所で撮れば良いのに ゆっくりしている暇は無いので、磐越東線に沿って県道を夏井渓谷へと急ぎました。 途 [続きを読む]
  • 小海線 野辺山のC56 1968.8.23
  •  小海線は国鉄最高地点に達する高原鉄道で、清里辺りをはじめ観光路線として現在でも賑わいを見せています。 夏季には避暑地として多くの人が訪れるのですが、当時はそれが一段落した8月20日からこの線に1年で最も多くの貨物列車が設定されていました。 それは沿線の高原キャベツの出荷に合わせ、他区からもC56を借受けてその輸送を担っていたのです。 野辺山高原東側の勾配途中のキャベツ畑に空の貨物列車を留め、積込を終え [続きを読む]
  • 吹田第1機関区 1968.8.8
  •  大阪の北東に位置する吹田機関区にはSL・DL・ELのすべてが配置されており、稲沢機関区と同様に、電化後のEL配属と共に第2機関区として分割されました。 吹田第1機関区では城東貨物線等、本線の運用もありましたが、隣接する大規模貨物ヤードでの入換やハンプの仕業を担っていました。 今回はその吹田第1機関区を訪問したのですが、ここでは第2機関区との境界があいまいで、ついでにそちらにもカメラを向けています。 最初 [続きを読む]
  • 北陸本線交直接続と米原機関区 1968.8.7
  •  この当時の北陸本線米原口の交直接続は、現在とは異なり、坂田駅と田村駅の間の架線にデッドセクションを設けて行われていました。 交直両用の電車を使用していた特急や急行は、この区間で惰行運転を行い切替をしていましたが、客車列車と貨物列車は米原駅と田村駅でそれぞれ機関車の付替えを行っていて、運転上のネックとなっていたのです。  この区間で使用されていた機関車は様々で、E10やED30、DD50等、珍しいものが多く [続きを読む]
  • 電化後の中央西線 1980.2.16
  •  中央本線は東京から名古屋までですが、塩尻から西の部分を一般的に中央西線と呼び、塩尻駅の配線が東京からも名古屋からも松本方面へと直通する線形に変えられて、東線と西線は全く別線の感があります。 また、距離程が東京からの通しになっているのに対し、列車番号は名古屋からが下りとなっている変則路線です。 中央西線の中津川駅から先の部分は1973年に直流電化され、無煙化されましたが、その中津川寄りをまだ雪が残る19 [続きを読む]
  • 中国地方のローカル線 芸備線・津山線・姫新線 1968.8.4-5
  •  呉線での撮影の翌日は日曜のため同線の通勤列車が運休なので、芸備線に向かいました。 早朝から出かけたのですが、この日は霧が深く、撮影はしたものの後から見るとかすんだ画面で、早い時刻に撮影したものは使い物になりませんでした。  霧が晴れてきた志和地駅を発車してきた客レを鉄橋下から電線をよけて。 この後は、上りの貨物列車が通過。 霧の状態は少しはましになったものの、辛うじて見られる写真はこの2枚だけで [続きを読む]
  • 呉線のC59・C62 1968.8.3
  •  真夏の猛暑の中、この当時唯一C59の走る呉線を訪ねました。 軍港のある呉駅は重要な軍事拠点なので、単線ながら呉線は50?レールが使用されていました。 そのため、C59の入線が可能であり、最後の3両が活躍していたことで有名でした。 また、呉方面から広島へ向けての通勤列車(日曜運休)が運転されていることでも知られ、朝の広駅では発車を待つ始発の蒸機列車の煙が3本立ち並んでいました。 この通勤列車の運転区間は平坦 [続きを読む]
  • 稲沢第1機関区 1968.8.1
  •  夏休みの大阪以西への旅行の途中、稲沢第1機関区を訪問しました。 各地で電化区間の伸長と共に、それまでSLだけだった機関区にELが配置されるようになり、SL配置区を第1機関区と称して区分するようになりました。 ここ稲沢第1機関区も1953年の稲沢電化を機に、東海道本線、中央西線、関西本線を担当していた稲沢機関区を分割することで誕生しました。 稲沢駅で下車し、機関区を目指していると、ヤードでは9600が入換を行っ [続きを読む]
  • 身延線 1979.12.15
  •  SL現役の頃は、当初から電化されていた身延線を訪れる余裕がなく、そんな時間とお金が有ったら煙を追いかけていました。 その煙がなくなり、ローカル単線へも興味が生じてきた1970年代の最後、その上12月という時期に訪問した身延線の記録です。 国道52号線を北上して行くと、十島駅の先で富士川第1発電所をバックにした撮影ポイントがあります。 冬晴れ、順光の中を旧型国電の各駅停車が通過して行きます。626M 富士川を [続きを読む]
  • 三度目の八高線 1968.6.5
  •  この年、三度目の八高線撮影記です。 相も変わらず、東飯能駅から高麗川駅あたりをうろつきに行きました。 東飯能駅と金子駅の間は、入間川橋梁が底になった擂鉢状の線形になっており、東飯能駅に進入してくる下り列車は勾配を登って来ることになります。 金子駅側は俗に金子坂といわれるように、20‰の連続勾配なのに対し、東飯能駅側は大した勾配ではないので、それほど煙を上げてくれません。 その辺りにD51重連の上り貨 [続きを読む]
  • 佐倉機関区 1968.4.28
  •  前回記事にあげたハチロクの追いかけ後、佐倉機関区にも寄ってみました。 ここにいるのは、C57,C58,D51といったポピュラーな罐ばかりなので、意気込んで訪れたのではなく、帰りがけでフィルムの残りもあるし、軽い気持ちでの寄り道でした。 ヤードではハチロクが入換をしていました。電化工事用のポールが積荷  C58牽引の貨物列車が発車して行きます。架線の下を通過 次の写真はC58とC57の重連列車に見えますが、フロン [続きを読む]
  • 千葉にハチロクを追う 1968.4.28
  •  雑誌「鉄道ファン」に、千葉方面にクルマでハチロクを追いかける記事がありました。 残念ながら車はありませんので、列車を使って同じ貨物列車を追いかけてみました。 目的の貨物列車は、総武線から東金線、そして外房線を往復するもので、東京近郊では珍しく、ハチロクが牽引するものでした。 まずは総武線にて成東駅まで先回りし、東金線を求名方面へ少し行ったところでハチロク牽引の283レを待ちます。 今回の撮影では [続きを読む]