青葉ドロン さん プロフィール

  •  
青葉ドロンさん: SL現役の頃、そしてその後
ハンドル名青葉ドロン さん
ブログタイトルSL現役の頃、そしてその後
ブログURLhttp://slgenneki.blogspot.jp/
サイト紹介文蒸機が主力の頃から今迄、線路大好きオヤジが撮り溜めた機関車客貨車電車ほか、大画面写真と撮影苦労話を。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供58回 / 91日(平均4.5回/週) - 参加 2017/01/25 21:15

青葉ドロン さんのブログ記事

  • 磐越西線 中山宿・更科 1983.11.26
  •  磐越西線はこの年の5月にも訪れていますが、お気に入りの路線なので、冬が迫る11月の末に再び立ち寄りました。 今回は中山宿駅から更科信号所に行き、帰り道で再び中山宿駅にて撮影しました。 最初に訪問した中山宿駅から。 レッドトレイン1224レが勾配を下ってきて、折返し線に入ります。 中山宿駅での客扱い後、出発して行きました。 続いて、1229レが勾配を登ってきて、本線上をバックし折返し線に入って行きます。 こ [続きを読む]
  • 高萩機関支区 1970.3.11
  •  南中郷駅付近でのモーガル撮影後、高萩駅で下車し、高萩機関支区を訪れました。 走行写真撮影ではC50は単機回送のバック運転1本のみだったので、ここにはきっといるだろうと目論んだのです。 機関支区というのは配置両数がそれほど多くなく、機関区ほどの規模ではないものの、一通りの設備があり、上位の機関区からある程度離れたところに置かれていたものと思います。 当時、高萩機関支区にはC50 8620 の他に、9600 や D51 [続きを読む]
  • 常磐線 高萩のモーガル 1970.3.11
  •  SLの軸配置 1C をモーガルと称するのはご存じのとおりですが、この当時常磐線は既に全線電化されていましたが、高萩駅の北方での区間運転で、モーガル:C50と8620 を使用した列車が設定されているのを知りました。 特にC50は殆んど本線上での運転がされておらず、ぜひとも記録しなければと出かけました。 高萩駅と南中郷駅の間には小さな峠があり、目的の列車は上り貨物なので、南中郷駅を目指しました。 上野駅から急行列車 [続きを読む]
  • 奥羽本線 庭坂 1983.5.4
  •  奥羽本線の福島側は現在は山形新幹線となり、標準軌になってしまいましたが、それ以前は板谷峠越えの魅力ある路線でした。 福島駅を出ると庭坂駅までも上り勾配ですが、ここから本格的な山越えが始まり、庭坂駅の先の大カーブから25‰となり、更に33‰へと続いて行きます。 この大カーブが今回の撮影地ですが、その前にもう少し山の中、赤岩駅との間から撮影を始めました。  赤岩駅方向へはロクな道が無く、ようやく車が通れ [続きを読む]
  • 仙山線 奥新川 1983.5.4
  •  仙台と福島(羽前千歳駅)を結ぶ仙山線は交流電化発祥の地であり、そのための様々な実験を行った路線として知られています。 元々長大な仙山トンネル(面白山トンネル)での煙害防止のため一部区間(作並駅〜山寺駅)が早々に直流電化されていましたが、列車密度や勾配等の条件から交流電化の実用化に向けた検証がなされた路線です。 1955年の陸前落合駅〜熊ヶ根駅での交流電化の実験開始後、1968年に全線交流電化が完成し、奥 [続きを読む]
  • 福知山機関区 1969.8.27
  •  福知山機関区を訪れたのは、余部鉄橋で丸1日撮影をした翌日でした。 山陰本線のほか、福知山線その他の支線を担当する福知山機関区にはいつも多くのSLがいたのですが、ここにもDLの姿が見られるようになってきた頃です。 広い区内に多くのSLがいるのを順に撮影して行きました。 D51が主ですが、C58の姿も見られました。 このC11は、デフのステーがきれいにカーブしています。 扇形庫の周りにはSLと並んで、DLもいました。 [続きを読む]
  • 山陰本線余部鉄橋 1969.8.26
  •  山陰本線の余部鉄橋はコンクリート橋に架け替えられてしまいましたが、まだ一部の列車がSLで牽引されていた頃の写真をご覧願います。 余部鉄橋のすぐ西横には餘部駅がありますが、この駅は地元の通学生のために昭和59年に設置されたもので、それまでは鎧駅まで鉄橋を渡り、トンネルを越えて通っていました。 従いまして、当初は停車列車が登下校の時間のみの設定であり、最初に私が訪れた時も1日3本のみの停車で、鎧駅から [続きを読む]
  • 呉線の蒸機急行 あき 1969.8.22
  •  呉線を日中走る急行 あき にヘッドマークが取付けられるようになり、SLの定期列車のヘッドマーク付きは特急 ゆうづる 以来なので、一度は撮影しておかなければと、布原詣でに続いて訪れました。 未明から出かけて朝の通勤列車から撮影開始ですが、今回は安芸阿賀駅付近にての撮影です。 最初に呉駅方向から、DD11が逆向きC62 2両を牽いてやって来ました。 牽かれて行くC62の後姿も。 太陽が上がり始めると、下りの通勤列車が [続きを読む]
  • ウエスタン村の消えたSL 1999.4.2
  •  今回は少し趣きの異なる写真を紹介します。 現役SLがなくなってからは、SLが線路上を煙を吐いて走るのならば、それが保存鉄道でもテーマパークでも出かけて行きました。 そんな中には、既に無くなってしまったものもあります。 栃木県のテーマパーク、ウエスタン村では2両のアメリカ製のSLが運転されていましたが、運営会社が倒産してパークは2006年に閉鎖されてしまいました。 当日撮影した順に紹介しますと、まず目につい [続きを読む]
  • 布原信号所での3日間(3日目)そして木次線と芸備線 1969.8.21
  •  布原通いの3日目、信号所に降り立った我々に、「今日は三重連があるよ」といつもの係員から声をかけられホッとしたものでした。 何本かを撮影後、三重連の時間が近づいたので鉄橋を渡り、カメラを構えました。 線路のアウト側、順光側からの写真が有名かつ一般的なのですが、アウトカーブのため3両目の姿が見えにくいので、あえてインカーブの逆光側から3両のD51の姿を狙いました。2492レ この後は連日のごとく河原へ降りての [続きを読む]
  • 布原信号所での3日間(2日目) 1969.8.20
  •  この日も新見駅から、布原停車のDCでやって来ました(新見駅の時刻表の備考欄に「布原停車」と表示されています)。 降りたとたんに、昨日と同じ係員から「本日も三重連はありません」と言われてしまいました。 この方は優しい方で、信号所内で冷えた麦茶をご馳走してくれたり、前日の補機の運用等、色々と教えてくれたのです。 気を取り直して、撮影開始です。 下り列車が続くので、先ずは備中神代側に向かいました。823レ [続きを読む]
  • 布原信号所での3日間(1日目) 1969.8.19
  •  この年の夏休み、3日間続けて伯備線布原信号所へ通い、暑さの中D51三重連を求めて撮影を行いました。 最初に訪れた時よりはこの場所も撮影地として知られるようになり、信号所では撮影者のための時刻表を配布してくれました。 それでも3日間共、我々以外には殆んど鉄はいない状況で、その後のすさまじい三脚の林立する様は想像ができませんでした。 今回はその1日目です。 前日夕方に新見駅に着いたのですが、新見駅で入換中 [続きを読む]
  • 身延線の桜 1984.4.21
  •  季節柄、桜の写真をご覧いただきます。 身延線で桜を入れて撮りたいと、4月の半ば過ぎに出かけました。 丁度この頃満開であることを何かで見かけたので、あまり天候は優れなかったのですが、休日にクルマを走らせました。  朝の内はまだ小雨が残り、露出が上がらない中で何カットかを撮り、内船駅と甲斐大島駅の間の桜のポイントではようやく明るくなってきました。4713M 続いて塩之沢駅へ向かいましたが、この駅には多くの [続きを読む]
  • 早朝の八高線と川越線 1969.8.16
  •  八高線にはD51重連が運転されていましたが、早朝というよりは未明の頃、9600の重連貨物列車が運転されていたのです。 ようやく運転免許がとれる年になり、自動車でないと撮影できないこの列車を目的に、いつもの東飯能駅−高麗川駅間に向かいました。 現地に着き列車の通過を待つのですが、さっぱり明るくなりません。 8月も半ばとなると、日の出はそれ程早くなく、動体ブレの写真となってしまいました。 背中合わせの重連で [続きを読む]
  • 初夏の足尾線 1969.6.15
  •  C12を求めての足尾詣ですが、その2回目は、初夏6月のまだ梅雨が本格的にはならない蒸し暑い日でした。 前回同様に、渋谷駅から国鉄利用で時間ばかりかかり、桐生駅に着いたら10時を過ぎていました。 足尾線のDCの乗客となりノンビリ走る景色を楽しんでいると、駅でしばらく停車、上りの貨物列車と交換のためです。 最後尾の車内から通過するバック運転のC12を撮影です。 そのまま乗車を続けて、今回も重連を求めて補機を連結 [続きを読む]
  • 奥羽本線 板谷峠 1983.5.4
  •  奥羽本線の福島駅を出て最初の難所が板谷峠になります。 古くは4110やE10といったEタンクのSLが使用されていましたが、この難所を克服するためこの区間のみ地域に先駆けて1949年に直流電化、1968年に周りに合わせて交流化されましたが、今では改軌までされてしまっています。 最初にこの地を訪れたのはEF64を使用した直流電化の時代で、機関車にも添乗させてもらったのですが、今回お目にかけるのは交流化された後のものです。 [続きを読む]
  • 羽越本線のC57とD51 1969.3.18
  •  新津駅から秋田駅まで結ぶ羽越本線は延長270km余りに及ぶ路線で、日本海側の主要幹線としてSL時代から多数の列車が設定されていました。 海沿いを走る風光明媚な路線で笹川流れが特に有名でしたが、今回は府屋駅から勝木駅の間での撮影でした。 しかしながら平坦な路線なので、客車列車はC57、貨物はD51という国鉄亜幹線輸送の見本のようで、被写体としては魅力に欠けていました。 府屋駅に降り立ち、上りの貨物列車から撮影 [続きを読む]
  • 奥羽本線 矢立峠 Part-2 1969.3.17
  •  矢立温泉で快適な一夜を過ごした翌朝、雪の舞う中を津軽湯の沢駅に向けて国道を歩き、撮影ポイントを探しました。 矢立峠では一部の列車でD51の3台運転も行われていましたが、東北本線のような三重連は滅多になかったようです。 また山裾を曲がりくねった線形のため、後補機を一つの画面に入れるのは困難な撮影地でした。 国道7号線を歩いていると、後方から貨物列車が左下方の隧道から飛び出してきたので、ともかくシャッタ [続きを読む]
  • 奥羽本線 矢立峠 1969.3.16
  •  大館機関区を辞して、奥羽本線の下り各駅停車の乗客となり、本日の宿に近い陣場駅に降り立ちました。 矢立峠は25‰の勾配が連続する奥羽本線北部の難所でしたが、昭和45年に勾配緩和と複線化工事が別線建設の形で竣工し、切替えられてしまいました。 旧線は国道7号線と絡み合うように敷設されていて、現在でも各所にその遺構が残されています。 陣場駅に到着したのが午後の遅めの時間なので、国道を歩いてまっしぐらに矢立温 [続きを読む]
  • 磐越西線 更科信号所 1983.5.3
  •  磐越西線はかなり変則的な路線で、会津若松駅で線路の向きが変わり、また郡山駅から喜多方駅までは電化されていて、使用車両が東と西で異なっています。 電化は1967年とローカル線にしては比較的早い時期に行われたので、この区間をSLが現役で走っているのは残念ながら見ていません。 ここではED77というマイナーな機関車が使用されており、鉄道的にも面白い線形をしているので、何度も撮影に訪れています。  以前に少し [続きを読む]
  • 大館機関区 1969.3.16
  •  朝方の花輪線龍ヶ森駅での撮影後、向かったのは大館駅でした。 奥羽本線の大館駅は花輪線の終着駅でもあり、またここからは小坂鉱山へ伸びる小坂精練小坂線(小坂鉄道)も接続していました。 大館機関区は駅の北側にありますが、機関区はどこでも駅前の反対側の、言わば裏側に位置しています。 ここには奥羽本線用の重装備のD51が多数配置されていましたが、C11や8620も在籍していました。 先ず機関庫に向かうと、庫外に標準 [続きを読む]
  • 花輪線 龍ヶ森駅 Part-2 1969.3.16
  •  昨日に引き続き、早朝の大更駅からDC列車に乗り、龍ヶ森駅で降り立ちました。 やはり同様に、交換の後補機付の客車列車を見送ります。ドレーンで本務機が雲隠れ:1922レこの後補機が三重連の先頭に立つ 昨日よりも天気が良くありません。 三重連の時間が近づいたので岩手松尾駅側に下って行きます。 今回はカーブの内側で土手の下から、見上げるアングルでの撮影としました。前森山は煙でお隠れ:963レ 先頭がパイプ煙突の [続きを読む]
  • 花輪線 龍ヶ森駅 1969.3.15
  •  花輪線の龍ヶ森駅は8620形式の三重連が走ることで有名で、三重連以外にも重連や後補機付、更に後補機重連付まであり、楽しめる路線でした。 龍ヶ森はかつては信号所でしたが1961年に駅に格上げされ、駅近くのスキー場への利用客のためのスキー臨も客車列車で運行されていました。 また、駅構内にはオハ31系を利用したヒュッテもあり、賑わいをみせた時期もあったのです。 宿泊地の大更駅から朝の下りDC列車に乗ると、龍ヶ森駅 [続きを読む]
  • 東北本線 滝沢駅 1983.4.16
  •  盛岡駅の北、滝沢駅に早朝降り立ち、駅の南側の厨川駅方面へ電化後の東北本線の写真を撮りに行きました。 今では第3セクターに移管され、鉄道名も変わり、更に撮影した辺りには新駅(巣子駅)が建設されて、風景もかなり変わってしまったようです。 当時仕事で盛岡を何度となく訪れていましたが、朝早くホテルを抜け出し、撮影後に仕事に戻る事を時々やっていました。 駅からしばらく歩きトンネルの手前に着くと、青森からの [続きを読む]
  • 花輪線 大更駅 1969.3.14
  •  山田線での撮影を区界駅で終え、ローカル線を乗り継ぎ、花輪線の大更駅に到着したのは既に日が陰ってからでした。 明朝の列車で龍ヶ森駅での撮影を行うので、大更駅近くに宿をとるためでした。 各停のDCを降りると、下りの8620牽引の貨物列車が発車して行きました。 花輪線は未電化路線なのに、向こう側の線路には架線があります。 当時の大更駅は岩手郡松尾村の松尾鉱山へ向かう松尾鉱業鉄道が接続していましたが、この民営 [続きを読む]