青葉ドロン さん プロフィール

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青葉ドロンさん: SL現役の頃、そしてその後
ハンドル名青葉ドロン さん
ブログタイトルSL現役の頃、そしてその後
ブログURLhttp://slgenneki.blogspot.jp/
サイト紹介文蒸機が主力の頃から今迄、線路大好きオヤジが撮り溜めた機関車客貨車電車ほか、大画面写真と撮影苦労話を。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供93回 / 156日(平均4.2回/週) - 参加 2017/01/25 21:15

青葉ドロン さんのブログ記事

  • 復活SL C62ニセコ号 1988.7.2
  •  SL全廃後、大井川鉄道では1970年、SLやまぐち号は1979年にそれぞれ復活運転が始まりましたが、大井川鉄道は架線の下の保存鉄道、山口線は現役の頃とは機種が違うのでそれ程興味がありませんでした。 1988年に北海道鉄道文化協議会が、現役の頃に近い姿でC623を復活運転するようになり、それならば北海道旅行の1日をその撮影にあててみようと向かってみました。 7月始めの暑い日、勾配のある区間が良かろうと、銀山駅の然 [続きを読む]
  • 仙山線 山寺 1984.4.28
  •  仙山線については4月17日に奥新川駅あたりをご覧いただきましたが、今回は山形県側の山寺駅から仙山トンネルとの間の区間です。 この区間は1960年に直流電化、1968年に交流化しており、残念ながら直流時代は知りませんが、ED78という可変軸重従台車付の特殊な機関車が配置されていました。 山寺(立石寺)は観光地としてにぎわっていますが、その奥の方は行き止まりの道路で、道幅も狭いのですが、景色は俄然良くなります。  [続きを読む]
  • 山陰本線 保津峡 1970.8.30
  •  山陰本線の京都口の嵯峨駅から馬堀駅にかけての区間は、複線・電化にあたり長大トンネルを掘削し別線に切り替えられ、旧線は嵯峨野観光鉄道になり人気を博しています。 その中央にあった保津峡駅は、京都駅から近いこともあり、夏季には涼を求める観光客が多く訪れていました。 大都市近郊にもかかわらずSLがこの時代でも多く使用されており、風光明媚な撮影地でしたが、難点は保津峡駅近くでは線路が川の南側を走り、北側の道 [続きを読む]
  • 播但線 生野越え 1970.8.28
  •  播但線は山陽本線姫路駅と山陰本線和田山駅を結ぶ、いわゆる陰陽連絡線の一つで、和田山駅にほど近い生野駅を頂点とした峠があります。 この生野峠を越えるために貨物列車には補機が付くのですが、補機のDL化は早く、1960年にはDF50が、そして1969年からはDD54がその任に当たっていました。 DLが補機に付く路線は敬遠していたのですが、箱型車体のDD54は嫌いでなく、その様子を撮影に行きました。 生野駅で下車し、長谷駅側に [続きを読む]
  • 大阪万博 1970.8
  •  SLを求めて各地を右往左往していたこの年の最大の国民的行事は、大阪の千里丘で開催された大阪万博(正確には日本万国博覧会)で、鉄道に関してはいわゆる万博輸送として臨時列車が多数運転されたほか、会場内外にも仮設の鉄道関連施設が設置されました。 特にそれらを求めて撮影を行ったわけではありませんが、フィルムに残っていた当時の記録をご覧いただきます。 会場への主要なアクセスとして、北大阪急行電鉄を延長した仮 [続きを読む]
  • 関西本線 加太越え 1970.8.24
  •  関西本線の最大の難所、加太越えは加太駅と柘植駅の間の加太トンネルをサミットとして、前後に25‰の勾配が連続し、その途中には加太信号場が設けられていました。 夏の暑い日に加太駅で下車し、有名撮影地である大カーブの大築堤を目指して国道を歩き始めたのですが、まだ目的地に着かないうちに、後方から下り貨物列車が接近してきました。 後補機が付いていて、安全弁を吹きながら猛烈に押上げています。 大築堤に登るので [続きを読む]
  • 城東貨物線 北線 1970.8.22
  •  城東貨物線は、関西本線の竜華操作場から片町線放出駅を通り、東海道本線の吹田操車場までの貨物専用線(正式には片町貨物支線)で、片町線を境に南線・北線と分かれており、現在ではおおさか東線という名称で、旅客線として整備が進められています。 1月23日に掲載した城東貨物線の記事は南線の蛇草信号場で、今回紹介するのは北線の吹田操車場の近く、東海道本線と分かれた地点での撮影です。 東海道本線をオーバークロスす [続きを読む]
  • 中央西線 中津川 1970.8.19
  •  大糸線のC56撮影の翌日、大阪への移動日ですが、どこかで少しでも撮影したいと思い、優等列車も停車する中津川駅で下車、次の乗車列車までの間で撮れるよう計画しました。 中津川駅から木曽路の急勾配が始まるので、駅のはずれで出発してくる列車を待ちうけしました。 最初は貨物列車です。 駅構内のはずれから急勾配になっています。 この貨物列車には後補機が付いていました。 次に来たのは客車列車です。 安全弁が吹い [続きを読む]
  • 東洋活性白土(株)の小さなSL 1970.8.18
  •  大糸線のC56を追いかけて来て、糸魚川での上り貨物列車の時間までは東洋活性白土(株)の専用線を訪問しました。 糸魚川駅の西に位置する同社の工場まで、国鉄との積み替えホームから約700mの線路が敷かれ、軌間は610?のナローゲージです。 当時から一部のファンには知られた存在でしたが、私が訪れた時には同好の士の姿は無く、のんびりと撮影できました。 積み替えホームから、単機で工場へ戻って来ました。 大きなポプラ並 [続きを読む]
  • 大糸線のC56 1970.8.18
  •  松本駅から糸魚川駅までの大糸線は、途中の南小谷駅までが直流電化されており、路線の北半分と南半分ではその性格が大きく異なっています。 この大糸線では全線通しの貨物列車が1本設定されており、C56がその任に当たっていました。 今回もクルマで追いかけますが、ノンビリと出発したので、最初は木崎湖をバックに撮れる稲尾駅と海の口駅の間でカメラを構えました。 足回りが少し稲に隠れてしまいましたが、すぐに列車を追 [続きを読む]
  • 無煙化迫る八高線 1970.7.23
  •  通い慣れた八高線にも無煙化の波が押し寄せてきました。 関東地方の無煙化が迫る中、足尾線にDE10が進出してきたのを見た2日後の夏の暑さの中、八高線の様子を見に行きました。 いつものように金子駅と東飯能駅の間、通称金子坂でカメラを構えていたのですが、登場した上り貨物列車はDD51の牽引でした。 並行する道路は相変わらず未舗装で、砂ぼこりが舞っていますが、鉄道の方は、煙が無くなっていました。 続くD51バック [続きを読む]
  • クルマで足尾線のC12重連を追う 1970.7.21
  •  足尾線の朝のC12重連を撮影するには、前日から入る必要があるので、それならばと仲間を募ってレンタカーで追いかけました。 早朝に出発する必要があるので、レンタカー屋には前夜に借りられるように交渉し、渋谷を未明に出発、途中で仲間を拾いながら、足尾線の神土駅を目指しました。 目的の朝一番の重連791レは、神土駅を7時少し前に発車するので、これを草木駅との間の鉄橋で迎え撃つところからスタートしました。 逆光で [続きを読む]
  • その後の雪の奥中山ー2 1984.3.3
  •  雪の奥中山撮影記の続きです。 大カーブに到達し、撮影を続けました。 上り線側の擁壁によじ登り、下りコンテナ貨物列車を迎え撃ちます。 風が通り寒いので、高いところでじっとしていられず、また下に降りての撮影です。 1本撮ったらまた擁壁上へ。 上り貨物列車が通り過ぎて行きます。 上り貨物が大カーブをまだ通り過ぎないうちに、特急はつかり5号が登場です。 はつかり に続いて、普通列車のレッドトレインがやっ [続きを読む]
  • その後の雪の奥中山−1 1984.3.3
  •  北海道のSL撮影の旅が終わったので、目先を変えて、その後シリーズの撮影記ですが、またしても東北本線の奥中山です。 SL時代が終わっても、奥中山という地名と撮影地としての魅力に取りつかれて、またしても雪深い彼の地を訪れてしまいました。 未明の盛岡駅から普通列車の乗客となりますが、その前にまだ暗いホームには 583系寝台特急電車はくつる が停車しました。 だんだん明るくなって来た頃に奥中山駅に到着しましたが [続きを読む]
  • 大沼のC62ニセコ号 1970.3.31
  •  この頃の北海道への旅は鉄道利用が大半なので、函館本線の函館駅から長万部駅までの区間を往復利用することが必然となっていました。 北海道の撮影旅行も最終日を迎え、その往復区間の大沼駅周辺での撮影に向かいました。 宿泊地である有珠駅から、朝の列車で特急に乗換える洞爺駅に向かいます。 洞爺駅では乗換列車までの間に下りの貨物列車が来るので、豊浦駅方向に少し歩きましたが、線路際が工事中で良い写真は撮れません [続きを読む]
  • D51前補機のニセコ号 1970.3.30
  •  函館本線の客車急行ニセコ号は、山線の区間は前補機にC62が付き、C62重連となるので魅力的は被写体でしたが、C62が不調や故障の時にD51が前補機に付くことがあり、我々ファンはもとより、乗務員にも不評でした。 この日、山線にC62重連を求めて行ったのですが、生憎大当たりとなってしまいました。 銀山駅で下車し、然別駅方向へ撮影地を探しながら歩いて行きました。 本日最初の撮影は、勾配を上って来る普通客車列車124レで [続きを読む]
  • 函館本線 倶知安駅のC62重連 夜間撮影 1970.3.29
  •  美唄鉄道訪問後、美唄駅で乗車ホームに向かうと下りの貨物列車が通過して行くので、一応1枚記録しておきました。 急行DC宗谷で倶知安駅に着いたのは15時30分、目的のニセコ3号は18時過ぎなので、それまでの間は薄暗くなり始めた倶知安駅周辺で撮影して過ごしました。 倶知安駅構内では、入換中の二つ目の79615の姿が見られました。 駅を出て、南側の道路橋の上から駅に出入りする列車を待ちました。 16時過ぎに、先に下り普 [続きを読む]
  • 三菱鉱業美唄鉄道線のEタンク 1970.3.29
  •  三美運輸のB6の撮影を終え、函館本線美唄駅へ戻りましたが、何やら列車がやって来そうなのでカメラを取り出すと、目前を単機のEタンクがバック運転で走り去りました。 4110形式の4122号機でしたが、情報の伝わらない当時、既にEタンク機は全滅していると思われていたものですから、慌てて美唄鉄道の機関区を訪問しました。 最初に目についたのは国鉄9600形式である6号機でした。 先ほどの4122が戻って来たので、早速撮りま [続きを読む]
  • 三美運輸のB6 1970.3.29
  •  函館本線の美唄駅から南美唄駅までの支線の先に、三美鉱業からの積出し専用線として三美運輸なるものがあり、そこには古典機であるB6が現役で動いていることを知り、訪ねてみました。 郵便局前というバス停の近くにあるとのことで、バスを下車すると確かにありました。 構内の延長はさほどなく、少し先にB6の姿を発見。 一仕事終えたのか、停車したので周りからぐるりと撮影しました。 ライトの取付ステーが長く、特徴的 [続きを読む]
  • 雪の東海道本線 函南・湯河原 −2 198402.18
  •  雪の北海道のシリーズも終盤を迎えつつありますが、ここらで矛先を変えて、以前掲載した雪の東海道本線の別作です。 同じ年の翌2月にも雪が降り、前月よりも多くの積雪となったので、性懲りもなく同じ場所へ撮影に行きました。 最初は小田原駅で乗り継ぎ列車を待っているときに、寝台特急みずほ がやって来たので、この撮影から開始しました。 小田原駅から各停の下り電車に乗り函南駅で下車、三島駅方向の前回と同じ斜面へ [続きを読む]
  • 宗谷本線 塩狩峠 1970.3.28
  •  旭川駅から北へ30km程に位置する塩狩峠は、宗谷本線の唯一の峠越えと言える区間で、これ以外に宗谷本線には大した勾配が無く、C55が軽快に走る路線でした。 石狩川水系と天塩川水系との分水嶺で、塩狩駅のわずかに南側をサミットとし、両側に20‰の連続する難所でしたが、早いうちから補機にDD51を配備しており、訪れた時も既に補機は無煙化されていました。 夜行列車で旭川駅に着き、宗谷本線の列車に乗換える前に、駅で旅客 [続きを読む]
  • 流氷と釧網本線 1970.3.27
  •  当時の気候は今よりずっと気温が低く、この時期のオホーツク沿岸には流氷がびっしりと押し寄せていました。 釧網本線の撮影では釧路湿原がよく知られていますが、初夏の原生花園と共に、流氷の季節は北浜駅から浜小清水駅の間が名撮影地でした。 網走駅から北浜駅に向かいますが、その前に網走駅に停車していた湧網線の貨物列車を見つけ、まずは1枚。 北浜駅で下車し、浜小清水駅方向の鉄橋の近くから、流氷の押し寄せた海岸 [続きを読む]
  • 石北本線 常紋信号場−2 1970.3.26
  •  昨日の続きで、常紋信号場の2回目です。 常紋信号場は、スイッチバック式の交換設備を備えていましたが、列車本数の削減で2001年に交換設備が廃止され、その後閉塞区間の分割も無くなって2017年にその存在を終えてしまいました。 この日は一度信号場へ戻り、列車交換の様子を撮影しようと思いましたが、線路際にはやはり雪の壁があり、下回りが写らないので断念しました。 特急おおとり が通過するので、タブレットの投入れ [続きを読む]
  • 石北本線 常紋信号場−1 1970.3.26
  •  石北本線の常紋信号場は、常呂郡と紋別郡の境界の常紋峠にあり、スイッチバックの配線を有して急勾配の頂点に位置していました。 夜行列車で早朝の信号場に降り立つと、備付けの寒暖計は零下20℃を指していましたが、快晴の上、風が無いので幸いでした。 最初に乗ってきた列車がスイッチバックを折り返し、出発する姿から撮影です。 生田原駅側は信号場に隣接して常紋トンネルがあり、そこでは過酷な労働を強いられた上人骨が [続きを読む]
  • 名寄本線 天北峠 1970.3.25
  •  名寄本線は、石北本線の開通により網走方面へのメインラインから外れ、本線と称するには列車本数の少ない路線で、現在では廃線になってしまいました。 その名寄本線には、名寄駅からオホーツク沿岸へ向かう途中の、上川郡と紋別郡の境界に天北峠があり、トンネルの無いサミットに向かって両方向から25‰の連続する峠越えがありました。 快晴のこの日、上川郡下川町にある一ノ橋駅に降り立ち、峠方向へと歩を進めました。 雪の [続きを読む]