クボニー さん プロフィール

  •  
クボニーさん: 世界遺産と旅情報サイト
ハンドル名クボニー さん
ブログタイトル世界遺産と旅情報サイト
ブログURLhttp://tabijyoho.net
サイト紹介文世界遺産の概要や見所、現地の気候や交通手段、入国やビザ情報などをわかりやすく書いています。
自由文これから旅に出る人に役立つ情報が満載です!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供267回 / 20日(平均93.5回/週) - 参加 2017/01/29 00:24

クボニー さんのブログ記事

  • 誰でも行ける?世界遺産スコータイへの行き方!
  • スコータイとは?首都バンコクから北へ約400?、タイ北部の町スコータイは、1238年にタイ民族最初の王朝として誕生したスコータイ王朝の都として歴史が始まり、スコータイとは“幸福の夜明け”という意味をもつ。1278年に初代国王の息子ラームカムヘーンが第3代国王に即位すると、優れた武人である彼の活躍によって王朝は栄華を極め、その絶大な勢力で国土を現在の隣国にまで拡大した。 しかし、彼の死後は徐々に勢力は衰退し、南 [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産アユタヤへの行き方!
  • アユタヤとは?首都バンコクから北へ約80?、チャオプラヤー川とその支流に囲まれた中洲の町アユタヤは、1351年から約400年にわたってアユタヤ王朝の都として君臨し、アユタヤとはヒンディー語で“難攻不落”を意味する。“黄金の都”と称されたアユタヤはウートーン王によって建都され、インドシナ半島最大の都市として栄華を極めると、ヨーロッパ諸国から“ロンドンのように見事”と褒め称えられる国際都市に発展していく。その [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産コインブラ大学への行き方!
  • コインブラ大学とは?首都リスボン、ポルトに次ぐポルトガル第3の都市であるコインブラは、文化と学問の町として栄えた。 ポルトガルの歴史に影響を与えた多くの政治家や文化人を世に送り出したコインブラ大学は、1290年に当時のポルトガル国王ディニス1世によって創設された700年以上の歴史をもつ大学である。 丘の上の大学を中心に町を形成していき、中世のカテドラルや修道院なども多く残されている。 14世紀以降大学として使わ [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産ギマランイス歴史地区への行き方!
  • ギマランイス歴史地区とは?ポルトガル第二の都市ポルトの北東に位置し、初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス生誕の地であるギマランイスの町の入口には、“ここにポルトガル誕生す(Aqui Nasceu Portugal)”と記されている。宗主国に反旗を翻したエンリケスは戦いに勝利し、さらにイスラム勢力を打ち破り領土を広げると、ポルトガル王アフォンソ1世を名乗り、1143年にローマ教皇の仲介によってポルトガル王国の建国を果たす。 [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産ポルト歴史地区への行き方!
  • ポルト歴史地区とは?首都リスボンから北へ約300km、ドウロ川河口に位置するポルトガル第二の都市ポルトは、ドウロ川北側には大聖堂や教会などの建造物が多く残る旧市街が広がる。南側のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアというエリアは、かつてはカーレ(Cale)という名で、港(ポルトゥスPortus:ラテン語で港)だったためポルトゥス・カーレと呼ばれ、この名称がポルトガルという国名の語源である。町の歴史は古く、ローマ時代から港町として栄 [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産エヴォラ歴史地区への行き方!
  • エヴォラ歴史地区とは?“テージョ川の彼方”という意味をもつアレンテージョ地方の中心都市であるエヴォラは、先住民族であるルシタニア人がこの地に町を造ったことから始まり、2000年以上の歴史をもつ古都である。 紀元前57年のローマ時代に町がローマの支配下になると、城壁に囲まれた要塞都市として発展する。 その後は、ローマ帝国の時代が続いていた4世紀にキリスト教が伝わり、8世紀に侵攻してきたイスラム教徒が町を商業都 [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産マデイラ島への行き方!
  • マデイラ島とは?ポルトガルの首都リスボンの南西約1000?の大西洋上に浮かぶマデイラ諸島は、マデイラ島を中心とした4つの島々から成り、ローマ時代にはすでにその存在が知られていた。島が再発見されたのは1419年、探検家ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコによるもので、その後は新大陸との貿易の重要な中継地点として発展していき、温暖な気候を生かしたワイン造りも盛んに行われている。“冬が春を過ごしにやってくる土地”と称 [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産シントラへの行き方!
  • シントラとは?ポルトガルの首都リスボンから西へ約28km、深い緑に覆われた山間の町シントラは、夏の避暑地として代々ポルトガルの王家に愛され、この地を訪れた英国の詩人バイロンは“この世のエデン”と称し絶賛した。シントラの町の歴史は7~8世紀頃、イスラム教徒のムーア人が城を造ったことから始まり、1147年にポルトガル初代国王がこの地をイスラム勢力から奪還すると、シントラの町はポルトガルに統合された。 大航海時代や [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産リスボンへの行き方!
  • リスボンとは?ポルトガルの首都リスボン中心部から、テージョ川沿いに約6?西に位置するベレン地区は、ヨーロッパ大航海時代に新大陸に向けて多くの船が出航した歴史ある場所。15世紀にポルトガルで初めて海外進出を果たしたエンリケ航海王子、インド航路を発見して巨万の富をもたらしたヴァスコ・ダ・ガマなどの活躍によって、ポルトガルは急速に勢力を拡大していく。16世紀、ポルトガルに黄金期をもたらした彼らの功績をたたえ、 [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産イグアスの滝への行き方!
  • イグアスの滝とは?アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの3ヵ国に渡って流れるイグアス川の下流に位置するイグアスの滝は、北米のナイアガラ、アフリカのヴィクトリアと並ぶ世界三大瀑布のひとつに数えられる。 イグアスの滝は幅約4?に渡って275もの滝が連なり、最大落差は80m、水量は毎秒6500tを誇る。 イグアスの名の由来は、この地の先住民族グアラニーの言葉でイグ(Igu)は水、アス(Azu)は壮大なものへの感嘆を示す言葉で、イ [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産コルドバのイエズス会管区への行き方!
  • コルドバのイエズス会管区とは?アルゼンチンの首都ブエノス・アイレスに次ぐ第二の都市コルドバは、16世紀に植民地としてスペイン人によって建設された町で、現在も17~18世紀のコロニアルな町並みが残されている。 17世紀に入るとイエズス会の中心地として繁栄し、1613年にはアルゼンチン初の大学も誕生した。 その後もイエズス会によって学校や教会が建設され、郊外では6つの農場(エスタンシアス)が運営された。1767年にスペイン [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産ウマワーカへの行き方!
  • ウマワーカとは?アルゼンチン最北部、フフイ州にあるウマワーカ渓谷は、パラグアイ川の支流のひとつであるリオ・グランデの河川の浸食によって形成された渓谷で、南北約155?にわたって広がっている。1万年以上前から先住民の重要な交易ルートとなっていたこの地には、プレ・インカ時代やスペイン植民地時代の歴史的建造物や遺跡が多く残されている。 これらの遺跡と美しい景観の渓谷は“ケブラーダ・デ・ウマワーカ”として2003年に [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産バルパライソへの行き方!
  • バルパライソとは?首都サンティアゴに次ぐ第二の都市であり、チリ最大の港町でもあるバルパライソ。 チリ中部に位置し、スペイン植民地時代は入植者の小さな集落があるだけの町だったが、1818年の独立後にチリ海軍の主要港となり、以後は貿易と漁業の重要な役割を果たす港町として繁栄した。港周辺と町の中央以外は、石段と急な坂道の続く丘陵地帯となっていて、その斜面を埋め尽くすかのように伝統的な建造物とカラフルな家屋が [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産イースター島への行き方!
  • イースター島とは?チリ本土から約3700km西の沖合、南太平洋に浮かぶイースター島は1722年に発見された孤島。 イースターという名の“キリスト教の復活祭”の日に発見されたことからこの名前がついたが、1888年にチリ領になった時に付けられたスペイン語の名前はイスラ・デ・パスクアといい、現地の島民からはポリネシア系先住民の言葉で“広い大地”を意味するラパ・ヌイと呼ばれている。この孤島にいつ誰がどうやって上陸したのか、 [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産カルタヘナへの行き方!
  • カルタヘナとは?コロンビア北部、カリブ海に面した港町であるカルタヘナの歴史は、1533年に上陸したスペイン人がこの地に町を造ったことから始まる。 16世紀前半、インカ帝国を滅ぼしたスペインは、本国に物資を送る港としてカルタヘナに関心を示す。 そして町が建設されると、南米各地から物資を運ぶ一大貿易拠点として栄華を極める。しかし16~17世紀にかけて、カリブ海にはその富を狙うイギリスやフランスの船舶、そして海賊が [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産クエンカ歴史地区への行き方!
  • クエンカ歴史地区とは?エクアドルの首都キトの南約440?、4000~6000m級の中央アンデスの山々に囲まれた標高約2535mに位置するクエンカの現在の町は、スペイン人によって1557年に建設が始められた。 この地に初めて町ができたのは500年頃、先住民族であるカニャーリ人の手によるものだが、16世紀にスペイン人に征服される50年ほど前、この地はインカ帝国に支配され、町は廃墟と化していた。しかし、スペイン人によって再建設が始ま [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産キト市街への行き方!
  • キト市街とは?エクアドルの首都キトは、4000~6000m級の中央アンデスの山々に囲まれた標高2850mの町で、かつてはペルーのクスコに次ぐインカ帝国第二の都市として栄えた。 しかし、16世紀にスペインの侵略を受けて植民地になると、キトの町はスペイン風に造り変えられていくが、1830年にエクアドルの首都として独立を果たすと、コロニアルな街並みを残しながら発展していく。そんなキトの街の現在は、セントロ・イストリコ(旧市街・ [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産チャンチャン遺跡への行き方!
  • チャンチャン遺跡とは?首都リマの北約550?に位置するペルー第三の都市トルヒーヨは、スペイン人征服者によって1534年に造られた町で、この時代のコロニアルな雰囲気が残された美しい街並みをしている。そんなトルヒーヨの北西約5?に、12~15世紀に栄えたチムー王国の首都チャンチャンがある。 インカ帝国に征服されるまで最大規模の王国であったチムーは、現在のペルー北部の海岸地域一帯を支配しており、当時の首都チャンチャン [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産ナスカとパルパの地上絵への行き方!
  • ナスカとパルパの地上絵とは?ペルーの首都リマから南東へ約400km、アンデス山脈と太平洋に挟まれた乾燥地帯に位置するナスカ。 紀元前200~紀元後800年頃にかけてナスカ文化が栄えたこの地域には、約450?という広範囲にわたって現在も謎に包まれている地上絵がいくつも描かれている。いつ誰が何のためにどうやって描いたのか、現在も解明には至らず、地上絵の謎は深まるばかり。 わかっていることは、地上絵は白い地面を覆う石や [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産アレキパ歴史地区への行き方!
  • アレキパ歴史地区とは?ペルー南部に位置し、首都リマに次ぐ第二の都市アレキパは、町の建物が近郊で採れる白い火山岩で造られていることから、“白い町”という意味を持つ別名“シウダー・ブランカ(Ciudad Blanca)”と呼ばれる。 インカ帝国第4代皇帝マイタ・カパックの時代に町は造られ、完成した町を見た皇帝が人々にケチュア語でアリ・キパイ(Ari Quepay:ここに住みなさい)と言ったことが、アレキパの名前の起源だとされている。1 [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産クスコ市街への行き方!
  • クスコとは?ペルーの首都リマの南東約570kmに位置し、アンデス山脈の標高約3400mという高所に築かれた都市クスコは、かつてはインカ帝国の首都として栄華を極め、クスコとはケチュア語で“へそ”を意味する。 11~12世紀頃に築かれたクスコがインカ帝国の首都として機能し始めたのは15世紀前半、第9代皇帝パチャクティの時代で、重厚な石組みの上に神殿や宮殿が造られ、インカ帝国の中心として発展した。しかし1533年、スペインの [続きを読む]
  • 誰でも行ける?世界遺産マチュピチュへの行き方!
  • マチュピチュとは?かつてのインカ帝国の首都クスコの北約110kmに位置し、標高約2400mに造られた都市マチュピチュは、インカ帝国第9代皇帝パチャクティの時代である1450年頃に造れれたといわれている。 しかし、1533年にスペインによって第13代皇帝アタワルパが捕らわれインカ帝国は滅んでしまう。その後、人々から忘れ去られたインカ帝国の都市が再び日の目を見るのは1911年、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムが、緑に覆われ [続きを読む]