ABFM2218 さん プロフィール

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ABFM2218さん: 思い出にある小田急
ハンドル名ABFM2218 さん
ブログタイトル思い出にある小田急
ブログURLhttp://oer2218se.blog.fc2.com/
サイト紹介文半世紀前の数年間、電車の車掌をしていたときの、いま懐かしく、思い出す、そのときの話です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供64回 / 147日(平均3.0回/週) - 参加 2017/01/30 23:12

ABFM2218 さんのブログ記事

  • 48.藤沢ー江ノ島間
  • これからは、しばらくの間は、主として、江ノ島線の話に、移ります。江ノ島線にも、江ノ島(正式には、片瀬江ノ島)から、新宿まで、三十分毎に、準急列車が出ていて、途中の相模大野で、箱根湯本から来る、急行列車に接続して、いました。この準急列車は、急行列車が、発車すると、その後を追って、新宿に向かいました。準急列車とは、いうものの、江ノ島線内は、勿論、相模大野を、発車してからも、途中の成城学園前までは、各駅 [続きを読む]
  • 47.昼間の急行列車 遅い昼食 
  • 急行列車が、箱根湯本に着くと、反対側の、ホームから、特急列車が、新宿に向かって、出て行きました。この、新宿行の、特急列車が、隣の、入生田を通過すると、いま、箱根湯本に、停まっている、急行列車から、、新宿を25分遅れて出発した、特急列車が、そこで、待っていました。上りの、特急列車が、その脇を通過して行くと、そこを発車して、やがて、箱根湯本に、到着しました。すると、箱根湯本に停まっていた、急行列車は、新 [続きを読む]
  • 46.昼間の急行 箱根湯本行
  • 相模大野で、引き継いだ、上りの急行列車が、新宿駅の9番線に到着しました。折り返しは、急行、箱根湯本行です。いままで掛けてきた、行先表示板の、□新宿は、裏返して、掛けると、□箱根湯本に、なりました。急行列車を表す、○急は、そのままにして、車掌鞄と、手旗を持って、車内に入り、網棚や、座席に、忘れ物が無いか、どうか、見ながら、車内を歩いて、これからの、乗務位置、いままでの前、これからの、後ろへ向かいまし [続きを読む]
  • 45.急行列車、車内改札(検札) 
  • 私たち車掌にとって、急行列車は、どんな存在だったのでしょうか。途中停まる駅が、少ないので、扉を開閉する作業の、間隔が広がり、他の作業をすることが、出来ました可能となりました。例えば、駅間の短い、新宿ー向ヶ丘遊園間では、各駅停車に乗っていると、2分弱に、一回行っていた、扉を、開け閉めする作業は、途中下北沢だけ、一回となりました。下北沢ー向ヶ丘遊園間の、走行時間は、16分でしたから、この空いた時間は、通 [続きを読む]
  • 44.朝の上りの急行列車 その3
  • 3.新宿到着成城学園前を、出発しました。定時の出発でした。車内が混雑していて、乗ることが、出来なかった、大勢のお客さんを、続いて出車する、各駅停車に押し付けて、出発しました。停車駅は、あと一か所、下北沢だけでした。前を走っている、各駅停車が、遅れていなければ、新宿には、定時に到着が出来そうでした。先行している、各駅停車が、待避している、経堂に接近しましたが、速度は落ちません。窓から顔を出して、前を [続きを読む]
  • 1079.朝の上りの急行列車
  • 運転状況この時間帯、軸となった、急行列車は、このような形で、走っていました。列車番号には、2桁が使われていて、上り列車は、10〜、下り列車は11〜、始まっていました。10列車 始発駅 小田原、新宿まで、四両編成、途中、増結、併合は無し、新宿着 7:15 折返 15列車 箱根湯本行 新宿発 7:3512列車 始発駅 小田原 四両編成 相模大野で、空車二両増結 六両編成   新宿着 7:35 折返 回 [続きを読む]
  • 43.朝の上りの急行列車 その2
  • 2満員電車横浜行を待つ、ホーム一杯の、お客さんが、もしも、発車した列車にふれたら、すぐに止められる、態勢で、本厚木を発車させました。定時でした。次の停車駅は相模大野です。厚木、海老名、座間、相武台前、小田急相模原と、五駅通過します。走行時間は13分、通過駅がふえて、やっと、急行列車らしくなりました。この先しばらくの間は、電力事情の、あまりよくない区間でした。今の時間は、走っている列車が多いので、電力 [続きを読む]
  • 43.朝の上りの急行列車 その1
  • 1.本厚木 発車まで新宿発の、一番列車は、途中の、全ての駅をに停まって、小田原に、到着しました。この列車から、降りたお客さんは、みんな地下道に吸い込まれて、行ってしまい、また、静かになって、しまいました。なかには、駆け出していた人も、大勢いました。東海道線の、上りの東京行は、ここ、小田原からは、始発電車や、熱海の、ほうから来た電車は、増結され、座ることが出来るので、そのために、駆け出して、行ったの [続きを読む]
  • 42.朝の下りの一番列車
  • 出発信号機が、緑色灯を、点灯しました。 緊張の一瞬です。信号を、指差し、声出し、「出発進行」扉を、閉めると、警笛一声、今日の一番電車、各駅停車新宿行は、動き出しました。今日の始まりです。座席は既に三分の一ほど、、埋まっています。みんな、寝ています。 女性の、お客さんは、若い人が、多いです。バスの、車掌さんでしょう。彼女たちの、始業は、6時ですから。今の時間から、考えると、彼女達が勤務している、バス [続きを読む]
  • 41.朝の上りの一番列車
  • 特急列車は、新宿や、その終辺に居住していて、小田原より先に、用務があるか、または、その行動が逆でないと、利用できませんでした。沿線に、住んでいる人にとっては、必要のない列車でした。沿線に住んでいる人達が、利用できるのは、急行列車や、準急列車、そして、どの駅にも停まる、普通列車=各駅停車の列車でした。急行列車は、沿線の主要駅、十か所に停まり、新宿ー小田原間を、ABFMの車両を、充当された列車は、1時間25 [続きを読む]
  • 40.落穂ひろい三
  • 3.準特急土曜日になると、新宿駅で、箱根に行きたいのだが、特急券は、すでに、売り切れってしまい、乗ること出来ない、お客さんを、大勢乗せて、急行列車は、箱根湯本を、目指して走っていました。ところが、この急行列車の中で、繁忙期の正午頃に、新宿を発車する、急行列車の列車なかで、ロングシートよりは、やゝ座席数の多い、セミクロスシート(2300形、2320形の三本全て)が、使われている列車は、相模大野まで来ると、乗 [続きを読む]
  • 39.落穂ひろいの二
  • 2.行先表示幕2220形は、正面の中央窓下に、行先表示幕を内蔵した、電照式の行灯を、取り付けて、出場して、来ました。この後から、出て来る車両は、もちろんですが、いま、走っている車両も、なにかの折に、取り付けられる、だろうという、期待も、出てきました。そして、ゆくゆくは、もう、重い行先表示板を、持ち運ぶことは、無いと喜んだのですが、別の、あまり喜ばしくない、問題を、抱えたままの、出場でした。それは、終端 [続きを読む]
  • 38.落穂ひろいの一
  • これまで、車両のことを、書いてきて、思い出したこと、書きたりなかった、ことなどを集めました。1.貫通路お客さんを乗せて、走るときには、少なくても、二両つないで、走っていました。そして、前の車両と、後ろの車両との間には、連結器の上には、四方を幌で覆われていて、足元には、鉄板の踏板がある、貫通路があったので、駅に停まった時だけではなく、走っている間でも、前の車両と、後ろの車両との間を、行き来することが [続きを読む]
  • 37.車両のようす その五 急行列車の主力だった三
  • 最後のグループは、戦後の研究が実った、結晶でした。走るときの、駆動システムも、「吊りかけ駆動」から、「カルダン駆動」に変わり、止まるときの、制動には、電気制動が、加わった、「電空併用方式」に、変わりました。昭和29年(1954)に、2200形として、最初の4両が、登場しました。もちろん、これまでの、車両と連結しての、運転は、出来ませんでした。全車両が、モーターを持った、「デハ」(電動車)だったので、モーターその [続きを読む]
  • 36.車両のようす その四 急行列車の主力だったの二
  • 話は、さかのぼりますが、昭和十年代になると、東京周辺の各地に、陸軍の施設が、建設されるようになり、ここ小田急の沿線も、同じでした。昭和4年(1929)に、江ノ島線が開通したときに、分岐点として設置された、「大野信号所」「は、昭和13年(1938)には、「通信学校」という、駅名で、駅になりました。また、隣の「小田急相模原」は、同年、駅付近に、陸軍病院の、開設に伴って、「相模原」の名で、開業しましたが。昭和16年(1941 [続きを読む]
  • 33.急行列車など 車両のようす
  • これまで、書いてきた、特急列車は、新宿を発車すると、終点の、箱根湯本までは、途中は、小田原以外は停まりませんでした。逆に走る、上りの列車も、同じでした。沿線に住んでいる、人達にとっては、利用できる、列車では、ありませんでした。また、特急として走らせた、3000型SE車は、途中、多くの駅で、停まって、その都度、お客さんを、乗り降りさせるのには、不向きな、構造、例えば、立席が無いこと、扉は、手動など、でした [続きを読む]
  • 34.車両のようす その二 六三型
  • 当時の車両のようすを、古い順に並べると、その次の、グループは、昭和21年(1946)に、入線して来た1800型で、このとき、16両入線しました。制御電動車(Mc)と、制御車(Tc)の、二両が、一つの編成を、組んで、使用されました。この、車両は、後で、書くような理由で、国鉄と、同じ車両でした。ところが、その翌年、昭和22年(1947)には、このうちの、6両が、相模鉄道に、譲渡されました。この、車両が、夏の日曜日には、奥応援に、や [続きを読む]
  • 32.ウソの電話
  • 電話の話の続きです。やはり、駅にいたときの、ことでした。朝、朝礼をしていると、外線電話がかかって、来ました。業務用の鉄道電話に対して、NTTの、電話をそう呼んでいました。電話に出ると、交換手が、「東京」の、○〇番ですか、」と、こちらの電話番号を、確認して来たので、「そうです。」と、答えると、「熱海から、お電話です。いま、おつなぎしますから、そのまま、切らずに、お待ちください。」と、言われたて、待って [続きを読む]
  • 31.電話
  • 今回の話は、現在、NTTで、管理している、一般の電話が、昭和30年代では、どのような、状態だったのか、当時の、業務用の電話(鉄道専用の内線電話)と、比べられる、出来事が、あったのを、思い出しました。それは、入社して間もなく、経堂駅の駅務掛を、していたときの、出来事でした。ある夜、業務用の電話が鳴り、受話器を取って、耳にあてると、女性の交換手の声がして、「小田原からです。つなぎますので、しばらく、お待ち [続きを読む]
  • 30.出勤出来ないとき
  • 遅刻の話の続きです。運転士を含めた、乗務員の出勤時間は、その日の仕事に応じて決められていました。その決められた時間を、失念して、遅刻しないよう、どのようなことを、していたのか、言うと、それは、その日の前の、帰宅時の、終了点呼のときから、始まりました。終了点呼の、最後に、次の出勤日の、出勤簿を拡げて、自分の氏名を探し出し、出勤時間を確認して、その脇の欄に、自分の私印を、確認印として、押印し。点呼助役 [続きを読む]
  • 29.スピードアップ
  • この日組んでいた、年配の運転士が、こんな話を、してくれました。新宿を、朝9時に出発する、特急「あしがら」に、乗務して、箱根湯本に到着後、一旦、小田原の一つ手前の、足柄へ戻り、再度、箱根湯本に戻る、長い休憩時間のときでした。「下りのとき、小田原を出るとすぐに、東海道の「つばめ」が、後ろから、やって来て、追い抜いていくだろ。同じ9時に、あちらは、東京を出発したんだ。 でも、こっちが、先に、小田原に着い [続きを読む]
  • 27.出場延(遅刻)
  • この日は、新宿9:0発の特急第2005列車「あしがら」に、乗務することになっていました。宿泊明けで、新宿ー向ヶ丘遊園を、各駅停車で、一往復、車掌区へ戻って、朝食、特急乗務に必要な、持ち物を揃えて、乗務準備は完了、時計を見ると、新宿までの、回送列車の発車までは、まだ時間があるので、同僚と談笑していました。お互いに、あること、無いことを、夢中でしゃべって、笑い転げていて、奥にある、事務所の電話が、鳴っ [続きを読む]
  • 26..江ノ島線の特急列車 (江ノ特)
  • 3000型SE車は、江ノ島線も、走りました。それも、入湯会や、観劇会ように、団体専用列車ではなく、誰でも乗れる列車として、座席指定料金不要の、納涼電車も、ありましたが、座席指定の、特急列車としても、走りました。ただし、夏の土曜日と、日曜日だけでした。この、特急列車は、納涼電車とは逆に、箱根湯本に行く前に、江ノ島へ、海水浴客を、運んだのでした。当日が雨天のときは、運休になりました。新宿の発車は、6時30分 [続きを読む]
  • 25.納涼電車
  •  3000型SE車を、沿線に住んでいる、人たちにも、利用してもらおうと、いう目的で、真夏になると、新宿ー江ノ島間を、平日は一往復、土曜日と日曜日には、二往復、夕方から、夜にかけて、「納涼電車」という、名前の列車が、運転されました。箱根湯本行の、特急と同じように、座席指定で、お客さんを、乗せて行きました。片道だけの乗車も、往復乗車も、お客さん次第でした。夕方、箱根湯本から、新宿に帰って来た、SE車は、お客さ [続きを読む]