tempsperdu さん プロフィール

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tempsperduさん: がん患者のメメント・モリ
ハンドル名tempsperdu さん
ブログタイトルがん患者のメメント・モリ
ブログURLhttp://tempsperdu1215.blog.fc2.com/
サイト紹介文余命が1年半だとするなら、考えておきたいこと、読みたい本、見たい映画・絵画、聞きたい音楽は何か?
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供37回 / 54日(平均4.8回/週) - 参加 2017/02/04 09:16

tempsperdu さんのブログ記事

  • 宮崎駿「風の谷のナウシカ」コミック版全7巻
  • 無垢なるものは支配欲も承認欲求も自己実現の欲求もすべての欲望に働きかけてそれらの攻撃性・排他性を無力化し世界を統一する原理たりうるのではないかいや、そうなってほしいそんな祈りに似た思いがこの作品に通底している。映画でこの作品に興味をもったのでコミックも読んでみたのだが映画はコミックでいえば1、2巻をフォローしているだけで話としてはイントロに過ぎない部分しか描いてない。コミックで展開されるストーリー [続きを読む]
  • メールの返信
  • 親しい人から受け取ったメールへ返事を書かなければという意識が起床したときから頭にあってそれがコーヒーを淹れているときも洗濯をしているときもやっていることへの集中度を下げている。なぜメールの返事を書くといったことが自分の気持ちを圧迫するのだろう?「なすべきこと」とラベリングされたボックスに入っているから。そのボックスに入っていればどんな内容のことでも効率的な遂行が義務になる。本当は親しい人へのメール [続きを読む]
  • テッド・チャン「商人と錬金術師の門」
  • テッド・チャンはあるテーマに興味をもったらそれについての思考実験を物語という形でやり抜きその結果を無駄のまったくない表現で彫琢する。どの作品を読んでもそこに込められた思考の厚みを感じることができ再読、三読でも新たな発見を得られる。「商人と錬金術師の門」はタイム・トラベルをテーマにしている。タイム・トラベルはアインシュタインが時空連続体を数式で表わして以来理論的には可能だと分かり具体的なタイムマシン [続きを読む]
  • プルースト 人生を構成する自我の音符
  • ある人を待っていて約束の時間は過ぎているのにその人が来ないときなにか事故でもあったのではないかと不安になりその不安が事故にまつわる空想を生んで苦しい思いをする。しかし、その人は遅れはしたものの結局やって来て事故などなかったことがはっきりすると空想は妄想だったと判って安心する。これはいっときの不安が安心を得た経験のよくある一例だがこの経験における自我の変化をプルーストならどう見るだろう。常識的には、 [続きを読む]
  • プルースト 死の恐怖を乗りこえる5
  • プルーストは「失われた時を求めて」なにを発見したのか?「死んでしまえば<時>は肉体から去ってゆく」生きているということは肉体である、ということで死ぬことは肉体の消滅だがそれは「時」が去ること「時」の働きかけが止むことだ。私たちが一人ひとり異なるのはそれぞれが違う過去をもつからで個人とは実質的には過去の総体だがその過去が現在という物質的な場で肉体を通して未来に向けて変化していく。この物質的な場をつく [続きを読む]
  • プルースト 死の恐怖を乗りこえる4
  • ある感覚を通して過去が現在によみがえるこの体験をプルーストは次のように分析している。「私は過去を現在に食いこませることになり、自分のいるのが過去なのか現在なのかも判然としなくなっていた」この体験はまず過去と現在という常識的な判断を停止させている。「そのとき私のなかでこの印象を味わっていた存在は、その印象の持っている昔と今とに共通のもの、超時間的なもののなかでこれを味わっていたのであり、その存在が生 [続きを読む]
  • プルースト 死の恐怖を乗りこえる3
  • プルーストは紅茶にひたしたマドレーヌの味や皿に当たるスプーンの音など現在と過去に共通する感覚によって過去がそのままに再現されるのを体験する。「かつて聞いた音や、かつて呼吸したにおいが、同時に現在と過去のなかで、現実的ではあるが現在のものではなく、観念的ではあるが抽象的ではないものとして、ふたたび聞かれたり呼吸されたりすると、たちまちふだんは隠れていた事物の恒久的な本質が解き放たれ、私たちの真の自我 [続きを読む]
  • プルースト 死の恐怖を乗りこえる2
  • プルーストは死をどういうものだと思っていたのだろう。死と恐怖についてこんな一節がある。「いつかは肉体を持たないときが来るけれども、それさえ、いつかはアルベルチーヌを愛さなくなるということが以前にひどく悲しく思われたのと比べれば、けっして同じような悲しみには見えなかった。」プルーストにとって死とはまず肉体の消滅だ。この死をプルーストはアルベルチーヌという女性への愛の消滅と比較している。彼女を愛してい [続きを読む]
  • プルースト 死の恐怖を乗りこえる1
  • プルーストを読みはじめたときまず感じたのは表現が技巧的で誇張が多いということだった。しかし、詩的な描写がときおり出てきてその華麗さは息をのむほどに素晴らしくつい読みつづけてしまった。そして、誇張の多い技巧的な表現に慣れてくるとしだいにそれが当たり前になって技巧は気にならなくなった。そればかりか、やがて誇張も感じなくなりプルーストは感じたままをむしろできるだけ忠実に表現していると思うようになった。自 [続きを読む]
  • ヴィム・ヴェンダース「ベルリン・天使の詩」
  • 初めて見たときは前半でなかなか話が進まないので少し退屈を感じはじめたが天使が地上の肉体を欲しはじめると展開がイキイキとしてきて最後はなんとも爽快な気分になった。と同時に、もう一度前半を注意深く見てみたいと思った。結局数年後にもう一度見たがそのときは活劇的な要素のない前半がむしろ強く印象に残った。ただそれは映画としての感動ではなく詩を読む魅力だった。天使は人間の内面の声を聞きとるがそうやって聞きとら [続きを読む]
  • デイヴィッド・フィンチャー「ドラゴン・タトゥーの女」1
  • 1度目はミステリーの筋を追うだけで面白かった。多くのハリウッド映画は見たあと面白かった!で終わりだがこの作品は見直したいと感じた。いくつかシーンの意味がよく解らず確かめたいという気持ちもあったが明言できない魅力を感じていてそのことが見なおしたい気持ちを刺激していた。2度目で筋はだいぶよく解ってきた。ある娘の失踪事件がストーリーのたて糸になりその事件を解明するジャーナリストによる闇の世界との闘いが横 [続きを読む]
  • プルースト 永遠でも長すぎない
  • 「私」は死んだ祖母を思い出し彼女から受けた愛情がよみがえるのを感じて幸福感を味わうが次の瞬間、祖母はもはやこの世にいないという虚しさの実感が湧きあがりその幸福感はくだかれる。このとき「私」は親しかった人の死にかんしてもっとも痛切で絶望的な想像にとらわれる。虚しさの実感が「私」に対する祖母の愛情を打ち消してしまい「過去にさかのぼって私たち二人が互いにあらかじめ運命づけられていたという事実を消滅させ、 [続きを読む]
  • プルースト 起きたことを尊重する
  • 生前に祖母を傷つけてしまった記憶は「私」を苦しめるが「私は感じていた、本当に祖母を思い出すのは、ただ苦痛を通してのみだということを。」自分が傷つけてしまったときの祖母こそが祖母のやさしさをもっとも現わす祖母らしい祖母であるとき傷つけてしまったことによる自責の苦痛なしに祖母の存在を強く感じることはできない。本能は苦痛を避けるもので思い出すことが苦しければその思い出は意識から遠ざけられるはずだがプルー [続きを読む]
  • プルースト 苦痛をもたらす思い出にしがみつく
  • 祖母が重病だというとき「私」はその事実に無関心であった。祖母の死後「私」はその死について口にもし、考えもした。しかし、かつていっしょに来たバルベックのホテルで「私」は「祖母の埋葬から一年以上もたって―はじめて祖母が死んだことを知った」「私」はもちろん出来事として祖母の死を理解していた。しかし、そのリアリティは分かっていなかった。リアリティの体感は祖母の埋葬から1年以上たってようやく偶然のような、恩 [続きを読む]
  • プルースト 失うことでしか見いだせない愛
  • バルベックを2度目に訪問して祖母を思い出した語り手はその瞬間を次のように表現している。「私の胸はある未知の神々しい存在に満たされてふくれあがり、嗚咽が身体を揺り動かし、涙がはらはらと目からあふれ出た。」思い出した瞬間祖母はまず祖母として認められているわけではなく「未知の神々しい存在」として感じとられている。ただ「未知」とはいえ「私」にとってその存在が決定的に尊いものであることは本能が分かっていて嗚 [続きを読む]
  • プルースト よみがえる体験
  • ある過去の体験が記憶によってそっくりそのまま再生するという特異といってもいい事実をとおしてプルーストは時間についての認識を深めている。「失われた時を求めて」のなかにこの過去の再生がいくつか出てくるが有名なのはマドレーヌの話でお茶に浸したマドレーヌを食べたらそれを習慣にしていた過去の自分とその自分が生きていた町とが記憶によってそっくりよみがえったという。プルーストにとって切実な意味をもつ過去の再生は [続きを読む]
  • アントニオーニ「欲望」
  • スナップショットを何枚重ねても現実は再現できない。無限枚重ねてもそのことに変わりはない。これはベルクソンの考えで現実を外から撮影しても本質である持続という運動はとらえることができない。持続は生きるしかない。アントニオーニの「欲望」はカメラマンを主人公にしてスナップショットの限界を描き出している。スナップショットにはその場限りの現在しかなく持続を形成できないから時間の持続を共有することで成立するひと [続きを読む]
  • プルースト ただの一時間ではないもの
  • 余命がたとえば8か月だと告げられたとしてその8か月という時間はどうとらえたらいいのだろう。余命の宣告など当たりはしないそう考えることはもちろんできる。それでも、しつこい呪いのようなものとして歓びや楽しさを感じるようなときでさえ影のようにその数字は意識に現れるだろう。自分の生きている時間というものがどうなっているのかがんが発覚してからはとくに抽象的な時間論としてではなく切実なテーマとして理解したいと [続きを読む]
  • プルースト すべての時間の肯定
  • がんで余命が短いと分かったとき残された時間の使い方について何度か考えた。そのとき感じた欲求のひとつがプルーストを読むことだった。「失われた時を求めて」は長い作品で読破するのがむづかしいといわれ自分もやはり最初から最後まで読み通すことはできずに気が向くとあちこちを拾い読みしていた。ただ、そんな読書でもプルーストの魅力ははっきり感じていたしがん発覚後でも読みたいと思うほど自分で意識していた以上にその魅 [続きを読む]
  • ビリー・ワイルダー「お熱い夜をあなたに」
  • 自分でも意外なほどこの映画が好きで何回か見なおしている。そしてそのたびに気持ちが温かくなる。ロケ地のイタリアの光景が光に満ちているとか仕事中心で生活している者は男性主人公に自分を投影しやすいとか好きになる理由はいくつか考えられるが一番は主人公がしだいに魅了されていく女性の心の純粋さなのだろう。男性主人公は企業経営を最優先にしていて効率重視の合理的な判断をいかにスマートに下すかが重要でその判断の有効 [続きを読む]
  • ガルシア=マルケス「雪の上に落ちたお前の血の跡」
  • 世界の中に自分がいる事態を主体と客体に分けて整理しようとすると社会生活上は主客の区別が有用な局面が多いとしても哲学になると乗り越えられない一線が出て来てしまい暗礁に乗り上げる。わたしはわたしで冬の朝日を浴びている桜の木ではないこれは当たり前のことでわたしは冬の朝日を浴びている桜の木だとひとにいったら少なくとも怪訝な顔をされるだろう。しかし、世界と自分がなんらかの一致を共有していなければわたしはこの [続きを読む]
  • コクトー「耳」
  • 耳          ジャン・コクトー          堀口大學訳私の耳は貝の殻海の響きをなつかしむこの詩は「私の耳」が「貝の殻」だと言い切っていて気持ちいい。「海の響きをなつかしむ」この表現に共感するのは自分が海辺で生まれ育ったからだろうか。ただ、コクトーのオリジナルには「なつかしむ」というノスタルジックなニュアンスはない。Mon oreille est un coquillageQui aime le bruit de la mer.2行目を直訳す [続きを読む]
  • サリンジャー「エズミに捧ぐ」
  • サリンジャーの短編集「ナイン・ストーリーズ」はどの作品にも感心したが感動したのは「エズミに捧ぐ」だった。その感動の強さは不思議なほどでどこにその秘密があるのか知りたい気持ちもあり何度か読み直した。3Bの法則というハリウッド的なテクニックがある。美女(beauty)か動物(beast)か赤ちゃん(baby)を出せば感動を引き起こしやすいというものだが「エズミに捧ぐ」には子どもが出てきて「baby」の法則に匹敵する効果 [続きを読む]