kazoomin2 さん プロフィール

  •  
kazoomin2さん: がんが再発・転移してからのこと
ハンドル名kazoomin2 さん
ブログタイトルがんが再発・転移してからのこと
ブログURLhttp://ameblo.jp/kazoomin2/
サイト紹介文乳がん再発で現在ステージ4 前向きに闘ってます。
自由文2015年秋、乳がんステージ2
2016年秋、仙骨、腰椎転移、肺転移、脳転移、肝臓転移・・・
ステージ4になりました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供45回 / 67日(平均4.7回/週) - 参加 2017/02/09 15:55

kazoomin2 さんのブログ記事

  • オトナのデコ弁
  • 画像のタイトル変更|Ameba (アメーバ)http://blog.ameba.jp/ucs/upload/srvimageupdateinput.doなんと御礼をすればいいのか、また、どのような形で恩返しをすればいいのか、この数日間考えておりました。もう20年来のお付き合いになる、女性研究者や起業家の方たちと娘さま。癌が進行した、私に何かできることはないかしらと、SNSに私が撮りためてきた「オトナのデコ弁」を、立派なハードカバーの本にして贈ってくださったのです [続きを読む]
  • vol.15 27歳 長女、30歳.長男の誕生。
  • マタニティウェアを着ながらの通学、研究。違和感を感じるかもしれないが、通常の学生のように毎朝通学するわけじゃあない。自宅で子育て雑誌と研究論文を読みながら脳ミソを何度も切り返し、夜は晩御飯の準備。よく、仕事と子育ての、両立なんて無理無理!なんて、やってもみないのに最初から宣言しちゃうママさんがいますが、なんでもやってみんとわかりません。途中で、投げ出したくなっても、学問にタイムリミットはないから [続きを読む]
  • vol.14 結婚式、披露宴、やりました。
  • 27歳、6月5日、浦安ヒルトンホテルにて挙式、披露宴。このホテル、当時高島君がホテルマンとして働くドラマの舞台でした。披露宴での珍事は数多くあれ、まずは私、新婦がカラオケで「時の流れに身を任せ」なんて、フルコーラス歌って気分良くなってたこと。あり得ん!?さらに、主賓のスピーチは、やはり当時一番お世話になってた指導教授。このスピーチ、とにかく内容は「花嫁さん、ご家庭に入って幸せな第二の人生を…」なんて [続きを読む]
  • vol.13 ダンナ25歳、アタシ27歳
  • いつから付き合い始めたのか、覚えてないんだけど、当時、ポケベル全盛期。夜勤同士の私たちには、便利ツールだった事はよく覚えてる。そこから、いろんな言葉や心のやりとりがあった。でもメールでどうのなんて、まだまださきの時代。かわらないのは、私、27歳の冬、結婚を決めたこと。小さな命が、私の中にやどつたから。当時も、いまも、「できちゃった結婚」とかデリカシーのない言葉を使う輩がいるが、その境遇で生まれた人 [続きを読む]
  • vol.12 教職免許も取ったど〜!
  • ややこしいのですが、一応正確に書くと、26歳の夏、まだダンナと出会う前、母校の中学校に教育実習に行きました。大学の先生っていうのは、本当は教職免許なんて必要ないんですが、何かしら時間があるならとっとけばいいじゃないとの師匠からの助言もあり、母校へ。あの問題児がまさかの教育実習生⁈ときたもんで、まだ現役退いてなかった担任始め、皆さんビックリ。まあ、これからは、こんな人達が教育を担っていくんですよ。 [続きを読む]
  • ネットワークビジネスにはまる若者たち
  • 新社会人の娘が、今夜は久しぶりの高校時代の友人w子ちゃんとのカラオケを楽しんで帰宅。18歳から単身上京w子ちゃんは色々友達作りも大変だったらしく、w子ちゃんは得意だったテニスの社会人サークルで友達がたくさんできたらしい。いい事だ。しかーし!問題はこのあと。この時期になると、大学教員の私にも学生指導でかなり多く関係してくる。つまり、いまだネットワークビジネスがなんたるかを知らずに生きてきた若者たち。化粧 [続きを読む]
  • ビワの葉お灸
  • ビワの葉自然療法とお灸セットを購入。以前からビワの葉っぱがガンに効くという情報はキャッチいていたのです。しかも私、ビワが名物の千葉県民。早速試してみようと思いきや、あの手のひら大のビワの葉っぱがない・・・しかもシーズンオフ。ですが・・・実家の前に半分放置状態にあったビワの木があって、やはり野生に近づくと植物はたくましい。葉っぱがたくさん生息しているじゃあないですか!早速今日からビワの葉でお灸しま [続きを読む]
  • トリセツ2
  • たまに、理由なくスネる。人の質問に無視、シカトする。この状態は、パチンコにいく時間を奪われているケースが多い。まず、時間の余裕を作ってあげて、そのあと、牛肉で機嫌を取り戻すべし。できれば、A5ランク「パパはA5でコントロールすべし」 [続きを読む]
  • 父のトリセツ1
  • やはり、ダンナはクセがあるから、子供達に伝えといた方がいいね。トリセツ1家事が未だ大嫌いだから、手際よくできてたら、必ずひと言ほめてあげてや。え?パパが、やっといてくれたの?「すごいありがとう!」これだけでだいぶ変わる。 [続きを読む]
  • ゼローダ300も結局きかず…
  • 4月5日水曜日。久しぶりの、医療センター。採血を終えて診察、採血結果は最悪で、癌マーカーはCA15-3確実に上がってるんです。念のため胸部と、腸閉塞が無いかの確認のレントゲン今日は体調悪いピークで、酸素が無いと10秒でもつらい。後で分かったんだけど、皮下注射のモルヒネの針が折れ曲がってたんだわ。介護ヘルパーさんもとりあえず来てくれることになったので、少しずつ、家で快適に過ごせる方法を探して行きます。ガンに [続きを読む]
  • 3月24日 地方新聞社からの取材
  • 3月24日、もう15年来のお付き合いになる女性地方新聞記者のSさん。私より年上なんだけど、いつも若い。それも不自然ではなく生き生きとして若い。東京でのお仕事に合わせて、わざわざ自宅に来てくれました。今回の取材のテーマはがん患者さんがターゲットなんだそうです。乳がんなんて日本人女性の12人に1人がなる時代女子校の1クラスが36人としたら、3人くらいは乳がんになるくらい多いんだ、みたいなイメージすると思 [続きを読む]
  • vol.11 大学院生の研究生活と仕事とそして結婚
  •  晴れて26歳の春、大学院生になった。もちろん、修士1年目は24単位を取ることが基本。かなり総人数になるが、大学院の授業を受ける。自分の研究に全く関係ない教授の授業も取らなければいけないのはちょっと苦痛でもあったが、これをきっかけに仲良くなれる先生や研究仲間も作れた。 さて、私の生活。今度は昼間の講義だから仕事を代えなくてはいけない。せっかくオフィスワークの基本を教えてくださった特許事務所ともお別れ [続きを読む]
  • 3月20日今日は卒業式
  • 卒業式シーズン到来。3月20日は、勤務先の大学の卒業式。新しい体育館が竣工したばかりで、そこでの卒業式は4年生の思い出に残るものだったと思います。姉と息子が付き添ってくれて、どうにか私も車椅子で列席することができました。今年ゼミ生は5人が卒業だけど、恒例のメッセージボードを渡すことができてとりあえずよかった。うちの学長はあまりスピーチがうまくないのだが、今回は1つだけ響いた言葉があった。「笑いまし [続きを読む]
  • 3月17日、退院して在宅医療・看護にお願いします。
  • 早く帰りたい。家に帰りたい。これ以上家族にも大変な思いさせたくないし、残された時間を大切に使いたい。今週はそんな思いをMドクターにずっとぶつけて来て、金曜日にようやく退院できました。娘がテキパキと介護認定の手続きをやって来てくれたので、家に帰るとベッド、玄関、トイレ風呂、私の生活導線を福祉用具会社の方と綿密な相談をしてくれていて快適な自宅生活がスタートしました。ありがとう。娘。今後皮下注射で1時間 [続きを読む]
  • 渡瀬恒彦さん胆のうガンで亡くなる
  • 俳優の渡瀬恒彦さんが、72歳でこの世を去った。昨年ガンを公表した際に、ガンになって初めて妻と結婚した意味がわかったと語っていた。家族がどれだけ大切な存在だったか、しみじみ感じて、旅立っていかれた。そういえば、ガンと告知されてすぐ、一番に電話をしたのは、迷いもせず、夫だった。やはり夫婦というのは、そういうものなんだ。銀婚式まであと2年、がんばらなきゃ。 [続きを読む]
  • vol.10 大学生から大学院生になる
  • 夜間の経済学部、三年生の授業は知的探究心をそそられる、面白い授業ばかりだった。学ぶ仲間も、昼間は社会人が多かったが、特に昼間はアルバイトだけの一般学生らしき若者ももちろんともに学んだ。 当時私は、アルバイト先を、神田にある特許事務所のワープロ打ちに代えた。タイピングなんて全くできなかったけど、いや当時まだワープロさえ出たばかりで大学生で使いこなしている人なんて見たことなかった時代だ。 そ [続きを読む]
  • vol.9 短大卒業、編入学で4年生大学へ
  • 1989年冬、当時短大2年生の私は学生生活を満喫して毎週のように夜行バスでスキーに行っていた。今でこそスノボや他のスポーツの方が人気かもしれないが、毎週スキーに行くのがその当時の大学生のトレンドだった。しかし、89年の1月、日本の街から灯りが消えた。昭和天皇崩御に伴い、平成が始まったのだ。夜行バスの車窓から暗い店内のセブンイレブンが見えたのが印象的だった。 さて、短大卒業だけではほとんどの同級生は [続きを読む]
  • 3月9日、外泊許可をもらって家族旅行
  • 1泊2日の安房鴨川への家族旅行。本当は、スノボが好きな娘・息子のために草津を予定していたのですが私の体調を最優先してくれて、同じ県内の鴨川旅行になりました。 車の乗り降りが自力でできない私。移動も新しく借りた車椅子。酸素も常に持っていないとならないし、皮下注射から入れたモルヒネ。病人一人旅に連れて行くには本当に色々面倒なことがあるのに、娘が見事アテンドしてくれた。 そして看護師さん [続きを読む]
  • vol.8 21歳の女子短大生
  • 1987年、21歳の秋、予備校の進路指導の先生からすすめられ、大学もしくは短大への進学を真剣に考え始めた。 女子大生といえば、当時一斉を風靡した、オールナイトフジそのオールナイターズは、松本伊代や秋芳みちるみたいな、素人女子が深夜テレビでモテはやされ始めた時期。 自分も大学生になれば、オールナイターズみたいなもんなのか。へえー。 そういうシタゴコロみたいなものも若干感じ始めてはいたが、とに [続きを読む]
  • 3月3日、再々入院
  • 夜中に息苦しくなって、今度は胸水のせいではない。癌性リンパ播種が肺を苦しめていることを理解しているだけに怖くなった。動けば呼吸が止まるんじゃないか、家で誰も気がついてもらえない中、トイレで倒れているんじゃないか。 そんな不安がよぎり、とにかく病院にいれば、死ぬことはない。そう思って、午後から医療センターに駆け込んだ。 個室病棟では点滴に最後の手段、モルヒネを少しずつ投与しながらの痛みと苦 [続きを読む]
  • vol.7 20歳の大検予備校生から大検合格まで
  • 1987年3月、20歳の春。高校卒業の資格を得るために、学費約70万円を自己投資することにした。 説明会場には15、6歳のつい先日まで女子高生でしたみたいな少女や、誰もが認めるヤンキー上がりの少年、サラリーマン風の兄ちゃん、まあ色々いた。バブル景気真っ盛りだから、ソバージュにボディコンの女子たちもやっぱりいた。 私と同じ年恰好の男女はたぶんいたのだろうが、実はその日までに私は、腰まであったソバー [続きを読む]
  • vol.6 人との出会いの大切さ
  • 「人は、人との出会いによってのみ変わることができる。」 こんな言葉、全く信じてはいなかったけれど、今50歳になってみると、やはり当たってる。結局は人との出会いが大きなターニングポイントになって来たのは事実だ。  18歳の頃からの続きを書こう。  18歳の頃、日本は1984年、これからバブル景気に突入。船橋界隈でも、証券マンやサラリーマンたちは相当景気良く、夜の街は、ぼったくりバーでもなんでも [続きを読む]
  • 娘からの手紙
  • 娘が6枚の便箋に綴られた手紙をくれた。今まで22年間やって来た子育てが果たしてよかったのかどうかずっと、僅かながらの疑念を持って来たんだけど、 この1通の手紙で、全て肯定された気がした・・・。 娘にやられた・・・。 もう大丈夫。 彼女は一人で生きていける。 [続きを読む]
  • Vol.5 今までしてきたアルバイト
  • 22歳の娘から、今までどんなアルバイトをやってきたの?って聞かれたので嘘つく理由はどこにもないから、ちょっと頭の中を整理してみて、アルバイト遍歴を書いてみたい。 高校1年生 谷津の中華料理店での店番。意外と美味しくて出前の注文が毎日殺到。西船橋に昔あったロイヤルホテルのフレンチ喫茶レストランのホール。トレンチの持ち方、ダスターとは何か、美しいウエイトレスの立ち振る舞いとは何かを学んだ。船橋駅のマ [続きを読む]