気ままに何処でも万葉集! さん プロフィール

  •  
気ままに何処でも万葉集!さん: 気ままに何処でも万葉集!
ハンドル名気ままに何処でも万葉集! さん
ブログタイトル気ままに何処でも万葉集!
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/codaisinonazo
サイト紹介文千年以上も前の出来事を直に見聞きするなんて無理。でも、その時を生きた人の息づかいがそのまま残されてい
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供55回 / 48日(平均8.0回/週) - 参加 2017/02/09 23:12

気ままに何処でも万葉集! さんのブログ記事

  • 55草壁皇子のために額田王が建てた寺
  • 額田王は草壁皇子のために寺を建立した壬申の乱後、近江京で天智天皇に仕えていた額田王は、夫(大友皇子)を亡くした娘と明日香に帰って来ました。飛鳥で額田王はどんな生活をしていたのでしょうか? (額田王が弓削皇子に応えた歌・古を恋しく思う鳥は、それは霍公鳥でしょう。その鳥はきっとわたしが昔を懐かしく思うように懐かしそうに鳴いたのでしょうね。)天武七年(678)十市皇女の突然死で額田王は苦しんだと思います [続きを読む]
  • 54持統天皇の孫、文武天皇の仕事・八角墳への改葬
  • 持統天皇の孫・文武天皇の仕事持統天皇元年(686)は、天武天皇崩御年であり、大津皇子と山辺皇女の没年です。持統帝が即位したのは草壁皇子が没した年の翌年(690)でした。つまり三年間は空位で、持統称制となっています。皇太子が決まっていたのに空位とはおかしなことですから、様々に憶測が飛ぶのです。文武天皇の即位は高市皇子薨去の翌年(697)で、二月に立太子、八月即位となっています。高市皇子の薨去から一年 [続きを読む]
  • 53持統天皇との約束・柿本人麻呂事挙げす
  • 持統天皇との約束・柿本人麻呂事挙げす「柿本人麻呂が初期万葉集の編纂者」と以前からブログに書いていました。(持統帝の霊魂に再会した人麻呂は、持統帝に聞きたいことがあった。)紀伊国への旅は、持統天皇との思い出の地を訪ねる旅愁を求める旅ではありませんでした。その目的は、形見の地(亡き人の霊魂が漂う地)を訪ね、霊魂に触れることでした。女帝との約束を果たすべきか否か、人麻呂は女帝の霊魂に確かめに行った [続きを読む]
  • 52持統天皇の秘密のすべてがここにある
  • 持統天皇の最後の願い・火葬と合葬大宝2年十二月二十二日、持統天皇崩御「続日本紀」文武天皇、大宝二年十二月条に、太上天皇、崩(かむあが)りましぬ。遺詔(いせう)したたまはく「素服(そふく)、挙哀(こあい)することなかれ。内外の文武の官(つかさ)の釐務(りむ)は常のごとくせよ。喪葬のことは、努めて倹約に従へ」とのたまふ。と、書かれています。持統天皇の火葬・天武陵への合葬持統天皇の最後の願いは火葬であり、野口 [続きを読む]
  • 51天武帝が心から愛したのは持統皇后なのか
  • 天武帝は、心から持統皇后を愛したのか「持統帝と天武帝のつながりの深さ」と「天武天皇の霊魂は伊勢へ」で、二人の絆の深さを考える材料としました。二人の結びつきは希薄だったという、わたしは勘違いしているのでしょうか。二人は強い絆で結ばれていたのでしょうか。持統帝の歌を詠めば、どちらかというと持統帝は天武帝に対してさっぱりしていた、あまり執着がなかった…と思うのです。では、持統帝は噂通りの冷たい女性なの [続きを読む]
  • 50天武天皇崩御の八年後に「持統帝の御歌」
  • 天武天皇崩御の八年後の持統帝の御歌天武天皇崩御の八年後(693)の九月九日(天武帝の命日)の御斎会(ごさいえ)の夜、持統天皇の夢の中に詠み覚えられた御歌一首が、万葉集にあります。御歌なので(御製歌ではないので)皇后であった時の持統天皇の歌となっています。御斎会は宮内にて行われましたが、まだ藤原宮には遷都していません。飛鳥浄御原宮は天武天皇の宮で、伝板蓋宮(いたぶきのみや)跡から掘立柱の大型建築 [続きを読む]
  • 49持統皇后と天武天皇の絆は強かったのか?
  • 持統皇后と天武天皇の絆・強かった?それとも…持統皇后は藤原鎌足の子・不比等と手を組んで孫の軽皇子(文武天皇)の即位への道を造り上げた人だとされ、大津皇子だけではなく天武帝の皇子を死に追い込んだように言われています。また、天武・持統の合葬墓に見られるように、二人は相愛で仲睦まじかったとされています。二人の絆の深さは、万葉集で読めるのでしょうか。不比等の父の藤原鎌足は、天智帝の腹心の部下でありました。 [続きを読む]
  • 48高松塚古墳の謎は解ける
  • 高市皇子の薨去と謀反事件ヨミガエリを拒否された大王・高市皇子高松塚古墳が発掘された時、その埋葬の様子が問題になりました。石室は狭いのですが、壁画があり、それが大きな話題となったので、その為に他の事実が目立たなくなってしまいましたが、当時、被葬者は「何か罰を受けるような、事件に巻き込まれた人」であるとされていました。わたしの記憶が確かであれば、遺体の様相が問題だったと思います。頭蓋骨がなかった…首の [続きを読む]
  • 47人麻呂は知っていた・高市皇子の薨去の意味
  • 人麻呂は高市皇子の不審な死を知っていた!高松塚古墳の被葬者と耳成山持統天皇は、高市皇子をどのように葬ったのでしょうか。死後の葬儀や陵墓はその被葬者の立場をそのまま示すものです。万葉集で一番長い挽歌を奉られたのは、高市皇子です。最高権力者としての葬儀だったのです。高市皇子は天武天皇の第一子で、妻は天智帝の皇女・御名部皇女でした。草壁皇子は死後に日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)と諡され、高市皇 [続きを読む]
  • 46高市皇子を裏切った但馬皇女
  • 高市皇子を裏切った但馬皇女記紀には道ならぬ恋の話が出てきますが、その恋は許されていません。しかし、天武朝では許されたのでしょうか。高市皇子の宮に居た但馬皇女は、穂積皇子を好きになります。二人は恋仲になったようですが、穂積皇子と但馬皇女のふたりは咎めは受けなかったのでしょうか。但馬皇女、高市皇子の宮に在(いま)す時、穂積皇子を思(しの)ひて作らす御歌一首114 秋の田の穂向きのよれるかたよりに君により [続きを読む]
  • 45天武天皇の歓喜!芳野よく見よ
  • 天武天皇の歓喜! 吉野盟約天武天皇は大喜びした! それが「吉野盟約」でした。天智帝の前で出家すると宣言し吉野に落ち延びた時の天武天皇御製歌は、冬の吉野の山越が大変苦しかったと、そこを耐えて何とか落ち延びたのだという内容になっています。しかし、次の吉野の歌は何でしょうね。手放しで喜んでいるのですね。正直、昔この歌を読んだ時、何も物語性を感じることができず、面白くないしつまらないと思ったのです。こんな [続きを読む]
  • 44柿本人麻呂が詠んだ吉備津采女の罷り道
  • 吉備津采女の罷り道は何処か万葉集巻二の217〜219「吉備津采女が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 併せて短歌二首」は、どんな状況で詠まれたのでしょうか。(217)秋の山のようにかがやく娘、なよ竹のようにたおやかなあの子は、何をどう思ったのか栲縄のようななかなか切れそうにない長いはずの命だったのに、露ならば朝置いても夕べには消えるといい、霧ならば夕べに立って朝は消えるというが、あの子は露でも [続きを読む]
  • 43十市皇女の悲劇・天武朝後宮の女性達(1)
  • 十市皇女・天武朝後宮の悲劇(その1)壬申の乱で勝利した天武天皇は、滅ぼした天智天皇の皇女達を後宮に入れました。特に有力氏族の皇女は、外に出しませんでした。理由は、女性たちが天智帝の血統をつなぐ存在であり、皇位継承者を生む可能性があるので、高貴な血統を他に渡すことを避けたのです。壬申の乱後には、敵だった王家に仕えなければならないのですから、女性達には辛く重い束縛になったのではないでしょうか。十市皇女 [続きを読む]
  • 42大津皇子を愛した女性達
  • 大津皇子を愛した女性達夕闇に飲まれていく二上山。天武陵から見ると、夏至の陽は二上山に沈みます。天武帝と大津皇子を結ぶのは「夏至の日没と冬至の日の出」のラインなのです。意味深だと思います。さて、今日は、大津皇子を愛した姉の大伯皇女の歌です。万葉集と云うと、持統天皇・有間皇子の歌と、この大伯皇女の歌が紹介されますね。大津皇子事件を詠んだ歌でもあります。父の天武帝の殯の中に大津皇子は密かに倭を抜け出しま [続きを読む]
  • 41大津皇子の賜死
  • 41・大津皇子の流涕して作らす御歌大津皇子は若く賢く父の帝の期待を背負っていました。妻は蘇我赤兄の娘(常陸)と天智天皇の間に生まれた山邊皇女でした。草壁・大津・高市の三人は、すべて正妃は天智天皇の娘です。それも蘇我氏系の皇女でした。この事実は三人が選ばれた特別の存在だということを示します。しかし、大津皇子は死なねばならなかった…天武天皇崩御の前後の記述から分かるのは朱鳥元年(686)5月、 [続きを読む]
  • 40大津皇子の愛
  • 草壁皇子のライバルは、本当に大津皇子だったのか? 女性問題に関しても、草壁皇子は大津皇子にポイントを取られていたと解釈されています。草壁皇子の歌は、集中に次の一首のみです。日並皇子尊、石川郎女に贈り賜ふ御歌一首 郎女、字(あざな)を大名児といふ110 大名児 彼方(おちかた)野辺に 刈る草(かや)の 束(つか)の間も われ忘れめやああ大名児、彼方の野辺で刈る草の一束のツカのような、ほんの束の間もわたしはお [続きを読む]
  • 39舎人はまどう・草壁皇子の薨去
  • 草壁皇子の突然死に舎人たちは嘆く(治田神社は岡寺の前にある。発掘により礎石と基壇が見つかっている。ここが元の岡寺という)草壁皇子がどんな病で亡くなったのか、書紀には書かれていません。その薨去に対して責任を取ったものもいません。ですが、舎人は深く嘆いています。「舎人等かなしびて作る歌二十三首」これが葬送儀礼としての挽歌だとしても、たくさんの情報があるはずです。何処に住んでいたのか、何処でなくなったの [続きを読む]
  • 38柿本人麻呂、草壁皇子の死を傷む
  • 柿本朝臣人麻呂、草壁皇子の挽歌を詠む草壁皇子の隠された薨去の事情(1) 日本書紀のおける草壁皇子の薨去の記事はわずかです。亡くなったと書かれているのみです。「御病したまう」とか、病気平癒を願って何人得度させたとか、記述はありません。草壁皇子の娘の氷高皇女が病気になった時、持統帝は140人を出家させました。明日香皇女(天智帝の娘)の病気の時にも104人を出家させています。それなのに、草壁皇子のために出 [続きを読む]
  • 37草壁皇子の霊魂に触れた文武天皇
  • 草壁皇子の霊魂に触れた文武天皇「軽皇子、安騎の野に宿リます時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌」は、長歌です。この後に続く短歌四首46 阿騎乃野尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良目八方 古部念尓安騎の野に 宿る旅人 うち靡き 寐も寝らめやも いにしへ思ふにあきののに やどるたびびと うちなびき いもぬらめやも いにしへおもふに日並皇子の想い出の阿騎の野に来て、旅寝をする者たちは、手足を伸ばしてぐっすり寝られはし [続きを読む]
  • 36柿本人麻呂の安騎野の冬猟歌
  • 人麻呂が訪ねた草壁皇子の形見の地草壁皇子の霊魂に触れるために、軽皇子も形見の地を訪れた東の太陽・西の月が象徴する譲位柿本朝臣人麻呂は、天武朝の皇子・皇女のために歌を献じています。草壁皇子や高市皇子の挽歌も詠んでいます。人麻呂の歌の中で最も有名なのは「東の野にかぎろいの立つ見えてかえり見すれば月かたぶきぬ」でしょう。これは、万葉集・巻一の「軽(かる)皇子、安騎(あき)野(の)に宿リます時に、柿本朝臣人麻呂 [続きを読む]
  • 35持統天皇の形見の地を訪ねた柿本人麻呂
  • 人麻呂が偲んだ持統天皇万葉集・巻九「挽歌」の冒頭の五首巻九の挽歌の冒頭は『宇治若郎子の宮所』の歌でした。人麻呂歌集に置かれた五首はセットです。一緒に並べたから意味があるのです。そして、宇治若郎子の運命を有間皇子の運命と重ね、皇子が皇太子だったこと、父王に極位を譲られていたこと、無情にもその命を政敵により奪われたことを伝えたのです。一首目は寓意のある歌でした。次が紀伊国に作る歌四首黄葉(もみじば) [続きを読む]
  • 34 中大兄の三山歌の意味
  • 中大兄の三山歌の意味 有名な、いわゆる「ヤマト三山歌」と呼ばれる歌が、巻一の13番歌にあります。(川原宮跡を望む・斉明天皇の宮跡であり、殯宮の後でもある)天智天皇は九州で崩じた斉明天皇を飛鳥に連れ帰り、ここ川原宮を殯宮の地としました。斉明天皇が崩御しても尚、中大兄は即位していません。二十年以上も皇太子のままでした。長い皇太子時代のどこかで詠んだ「(ヤマト)三山歌」は、明日香の三山を有名にしまし [続きを読む]
  • 33 天智天皇は自由奔放だった?
  • 33 天智天皇と鏡王女鏡王女の墓は、舒明天皇のすぐそばに在ります。舒明天皇の陵墓の前を通り抜けると、目の前にこんもりした塚(円墳)が見えます。鏡女王と名が見えます。そこにあの有名な天智天皇との相聞歌の説明板があります。中大兄皇子の時代に賜った歌です。91 妹が家も継ぎて見ましを やまとなる大嶋の嶺に家もあらましを愛しい貴女の家を続けてずっと見ていたい。やまとの大嶋の嶺にわたしの家があったらい [続きを読む]
  • 32 額田王が分かるページ
  • 額田王は天智天皇を愛したそうですよね。若い時は大海人皇子(天武天皇)を愛した額田王でしたが、最後まで仕えたのは天智天皇でしたね。額田王は政治的な女性更に、額田王は恋多き女性だったのでしょうか。美女だったようですが。万葉集にも額田王の恋の歌はあります。恋の相手は天智天皇です。巻四と巻八に。額田王、近江天皇を思いて作る歌一首488 君待つと吾が恋おれば我がやどの簾(すだれ)動かし秋の風吹く*巻八160 [続きを読む]
  • 31額田王と天武天皇の歌
  • 31 額田王は天智天皇に最後まで仕えた額田王は天智天皇の葬儀の最後まで仕えたと何度も書きました。まだ若い前には、大海人皇子との間に十市皇女をもうけています。十市皇女は天智天皇の息子大友皇子の妃となりました。つまり、額田王は天智帝に信頼されていたのです。では、次の歌をどう詠みましょうか。天智天皇の即位は晩年でした。皇太子時代が長すぎます。斉明帝が崩御しても即位しなかったのは、玉璽が間人皇后の手にあっ [続きを読む]