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逍遥亭主人
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大網白里市
出身
佐川町
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2017/02/13

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  • ブログ移行のお知らせ

    2019年1月より、この「天下の小論」は、私の乗馬に関するブログである「還暦からの乗馬日誌」と統合させ、「馬に乗ったり本を読んだり」というブログ名で活動致します。 www.quest-corporation.co.jp 引き続き、宜しくお願いします。 2019年1月14日 西森憲司(逍遥亭主人)

  • 『荀子』 アメとムチ

    アメとムチという言葉は、嫌う人もいる。 しかし、人を動かす上で有効な手段である。 この、アメとムチをどうふるうか、その基本の考え方が『荀子』にある。 賞は過分であってはいけない。 また、刑は過重であってはいけない。 賞が過分だと、本来功績が無い者まで賞してしまう。 刑が過重だと、罪の無い者まで罰してしまう。 もし、不幸にも間違うとしたなら、賞が過分であってもいいから、刑が過重になってはいけない。 罪の無い者を罰するよりも、功績が無い者に賞を与える方が、まだましだからである。 部下を評価する時、今でも充分に通用する考え方である。 出典 (明治書院)新釈漢文大系5 『荀子 上』藤井専英著 399頁…

  • 『淮南子』 理想の上司とは

    立派な上司というものは、部下に全てを求めない。 人格、能力、技術、知識、自分自身がそれら全てを備えていたとしても、部下に同じことを求めようとはしない。 ところが、実際は、部下の無能、無気力、節度の無さを嘆く上司は多い。 しかし、考えてみれば、部下に全てが備わっているならば、そもそも上司は必要ない。 また、立派な上司は、自分自身は理想の人格を追求するが、部下にまで、そのことを求めない。 部下に求めるのは、まず普通に努力すれば出来る内容である。 確かに、理想の人格を有する部下がいたならば、その人は、部下ではなく、自分の上司になるだろう。 部下の無能さを嘆く上司は、たまたま部下が無能だったおかげで上…

  • 『世説新語』 宇宙より大きな志

    中国に仏教が伝来したのは、後漢の時代だといわれている。 そして、戦乱の多かった魏晋南北朝時代に、救済を求める人々の心を捉え、大いに広まったという。 粱の武帝は、何度も寺に奴隷として仕え、皇帝を買い戻すために、国は多額の寄進を行なった、とされている。 酷いのは南斉の明帝という皇帝である。 熱心な仏教信者ではあったが、その反面、権力争いで多くの同族を殺害した。 明帝が涕を流し焼香した日には、誰かが殺されたという。 話は変わって、東晋の時代、何充(かじゅう)という人がいた。 ある時、瓦官寺(がかんじ)という大寺に参拝し、熱心に祈っていたという。 それを見た友人の阮裕(げんゆう)が、 「君の志と勇気は…

  • 『世説新語』 おいしい話

    おいしい話というものは、そうそう世の中にあるものではない。 何もせず、楽して儲けるなんてことが、出来る筈もない。 これは、子供でも分かる。 ところが、70歳の年寄りが簡単に騙されたりする。 詐欺は、もちろん詐欺する方が悪い。 しかし、騙される方の心理も、僕にはよく分からない。 詐欺までいかなくても、 「○○日で、○○語が話せるようになる」 とか、 「○○すれば人生で成功する」 とかいった話を、信じる人の心理が分からない。 ただ、「信じたい」という気持ちは、理解できる。 楽して儲かる方法や、語学がすぐに出来るようになる方法や、人生で成功できる方法や、タイムトラベルする方法があればいいなとは、僕も…

  • 『孔子家語』 貧は士の常なり

    孔子が太山(泰山)に行った時のことである。 栄啓期(えいけいき)という人が、郕(せい)という魯の町の野で、貧しい身なりで琴を弾いて、楽しそうに歌を歌っていた。 奇異に感じた孔子は、尋ねた。 「あなたの楽しみは何ですか」、と。 栄啓期が答えるに、 「私の楽しみは沢山ある。 まず、天が万物を生じて、その中で人が最も貴い。その人に生まれた。これがまず一つ。 男女でいえば、男が貴い。その、男に生まれた。これが、二つ目。 日の目もみずに幼くして死ぬ者もいるが、私は今、九十歳になった。これが三つ目の楽しみだ」、と。 楽しみは沢山ある、と言いながら、三つであるところが、奥深い。 三つしかないのではなく、三つ…

  • 『孟子』最後に善は勝つ?!

    居酒屋などで、中年のサラリーマンが若い社員を相手に、こんなことを言ったりする。 「どうも俺はうまく立ち回れないタイプだから・・・」 とか、 「間違ったことは、上に対してもはっきり言ってしまう性分だから駄目なんだな」 ドラマなどでは、悪人がどんなに策略をめぐらしても、最後には善良で正直な主人公が勝ちを収める。 しかし、実際の世の中では、正直者は馬鹿をみることの方が多いようである。 だからこそ、私たちは勧善懲悪の、ハッピーエンドで終わる物語が好きなのかもしれない。 やはり、「最後に善が勝つ」ということは幻想なのであろうか? いや、決してそんなことはないと、孟子は言う。 水が火に勝つように、善は不善…

  • 『世説新語』 給料が少なかった人の話

    西晋の初代皇帝で、呉を滅ぼして三国志の時代を終わらせた武帝(司馬炎:諸葛亮孔明との戦いで有名な司馬懿仲達の孫)は、竹林の七賢の一人である山濤(さんとう)を重用していた。 しかし、重用している割には、与えている禄、つまり給料は少なかったという。 ある時、東晋の有名な政治家である謝安(謝太傅)が、その子弟たちに、何故だと思うかと尋ねてみた。 そうすると、謝安の甥で、前秦の苻堅との戦で活躍した謝玄(車騎)が答えた。 貰う方の山濤自身が多く貰おうと考えていなかったので、与える方の武帝も少ないとは思わなかったのでしょう、と。 当時、流行った清談というものは、このような受け答えを珍重したのだろう。 雅趣に…

  • 『春秋左氏伝』 物言えば唇寒し

    陳の国の轅頗(えんぱ)という人は、国人に税を割り付け、陳の公女の結婚資金にした。 そこまでは良かったのだろうが、その金が余ったので、自分用に大きな銅器を作ってしまった。 国人は、この横領を憎み、轅頗を追放した。 取るものも取り敢えずに逃げる途中、喉が渇いた。 すると、一族の一人である轅咺(えんけん)が、濁り酒、乾米、乾肉をそろえて進めた。 轅頗は、喜ぶと同時に驚いて、 「何故、こんなに揃っているのか」 と、轅咺に尋ねた。 「あなたが銅器を作った時、こんなことになるのではと思い、準備をしておいたのです」 と、轅咺。 「それが分かっていたなら、あの時、何故、私を諌めてはくれなかったか」 と、轅頗。…

  • 『春秋左氏伝』 なかなか賢い人にはなれません

    子供の頃、大人ってものは賢いもんだと思っていた。 きっと、自分も大人になれば、少しは賢くなるだろうと、思っていた。 もちろん、大人になっても賢くはなれなかったが、きっともっと年をとれば、年寄りになれば賢い人になれるんじゃないかと、信じた。 しかし、実際に年をとってみると、賢いどころか、若い頃より愚かになってるんじゃないかと、気づくことの方が多い。 時間の流れと人の成長には、ほとんど相関はないようである。 これは人類の歴史を鑑ても同じである。 過去から現在まで、人類が進歩してきたのかと言えば、決してそうではない。かえって昔の方が優れていたのではよいう部分がかなり多い。 紀元前639年、魯の国がひ…

  • 『論語』 神は乗り越えられる試練しか与えない?

    記事の題名の言葉は、いつ頃からか、よく聞くようになった言葉である。 素晴らしい名言だという人が多いようだが、私は好きになれない。 極めて傲慢な匂いがする。 「人に乗り越えられない試練は無いんだ、人間は何でも出来るんだ」 とんでもない話である。 「死生、命あり。富貴は天にあり」(論語 顔淵第十二)である。 この言葉の元は、新約聖書のパウロによる「コリント人への手紙第一 10-13」であろう。 そこには、 「神は信頼に値する方です。耐えられないような試練をあなたがたに遭わせるようなことはなさらず、むしろ、耐えることができるように、試練とともに抜け出る道をも用意してくださるのです」 と、書かれている…

  • 『世説新語』 財物は人のためにある

    何有以財物令人慙者 いずくんぞ、財物をもって人をして慙(はず)かしめることあらんや 司馬徽(しばき)の逸話である。 司馬徽は、三国志の中で、劉備に孔明を推薦することで有名な人で、水鏡先生と呼ばれている。 何を言われても「好(よし)」と答えた、という。 ある人が、自分の子供が死んだことを伝えると、それにも「好」と答えた。 妻が、「人が死んだのに、好(よし)とはおかしいでしょう」と責めると、 「おまえの言う事も、また大いに好(よし)だ」、と。 仕官せず貧乏暮らしであった。 ある日、知り合いが蚕を飼おうとして、簇(まぶし)を貰いに来た。 簇(まぶし)とは、蚕が繭を作るための枠、人口の巣のことである。…

  • 『列子』 狗吠緇衣(くはいしい)

    楊朱の弟である楊布が、白い着物を着て出かけた。 雨が降ってきたので、白い着物を黒い着物に着替えて、家に帰って来た。 家の犬は、白かった筈の飼い主が黒くなって帰ってきたので、怪しんで吠えかかった。 楊布は怒って、犬を叩こうとすると、兄の楊朱が、こう言った。 叩くのはやめなさい。 お前だってそうだろう。出かける時に白かった犬が、帰ってきた時に黒かったら不審に思うのが当然だろう、と。 ただこれだけの話である。 しかし、何とも言えない不思議な味わいを、ユーモアを、僕は感じてしまう。 説いていることは、立場を変えて視ることの重要性、または見た目で判断してはならないということだろう。 しかし、それだけでは…

  • 『国語』 生産性ということ

    英語でいえば、コストパフォーマンスである。 投入した資源に対して、どれだけ成果をあげることができるのか、ということである。 10人で100の仕事をしていた場合、100が150になっても、8人で100の仕事ができるようになっても、生産性は向上したということになる。 悪いことではないと、今も基本的には思っている。 ただ、生産性が、最上位の価値観になることは問題かもしれない。 何故なら、生産性を突き詰めていくと、楽をして成果が上がることが、最善ということになってしまうからである。 楽をして成果が上がって何が悪いと言われそうだし、自分自身、そう考えてきたが、どうも間違っていたのではと反省している。 思…

  • 『韓非子』 「恩知らず」とは言うものの・・

    マキアヴェッリだっただろうか・・・。 臣下が「あなたのためには命を捧げます」という時は、命の危険にさらされていない場合である、と書いたのは。 ビジネスの世界でも、 「あなたに付いていきます」という言い方がある。 僕も、何度か言われたことがある。 こういった局面で、僕が苦境にあるということは、まずない。 「この人についていけば何かいいことがありそうだ」という場合に、人は、こう言うのである。 利を求めて人に従う者が、利を求めて、その人を裏切るのは、理屈として通っている。 しかし、この理屈が分かっていない人、もしくは分かりたくない人は大勢いる。 あれだけ世話をしてやったのだからといって、昔の部下や取…

  • 『韓非子』 まずはミスショットを減らす

    優れたリーダーは、メンバーをモチベートし、同じ方向へと導く。 しかし、そのようなリーダーは滅多にいないし、また、滅多になれるものでもない。 「上司留守、明るい職場で絶好調」というサラリーマン川柳があるように、現実に多いのは、メンバーのやる気を阻害し、チームをバラバラにしてしまうリーダーである。 そう考えると、リーダーとしての最低条件は、少なくともメンバーの仕事の邪魔をしないということになるのかもしれない。 最高のリーダーになるのは難しいが、メンバーの邪魔をしないリーダーであれば、不可能ではなさそうである。 考えてみれば、人をモチベートしようとか、一つの方向に導こうといった考え方自体、傲慢かもし…

  • 『孔子家語』 子供の言い訳

    ある時、「大阪人はケチだ」と言った人がいた。 そうすると、そこにいた一人が、「そんなことはない。東京の人間だってケチだ」と言い返したことがあった。 これは反論にはならない。 反論したいのであれば、大阪人がケチではない証拠を挙げるべきであり、東京人がケチであるかどうかは関係ない。 こういった発想をする人は幼児性が強いのであろう。 子供に、 「・・・・をしては駄目だろう」などと注意すると、よく、 「だって、○○ちゃんだってやってる」と、言い訳することがある。 これと同じである。 他の子供が悪いことをやっているからといって、自分が許されるものではない。 東京人がケチだからといって、大阪人がケチではな…

  • 『孔子家語』 5つの不吉なこと

    ざくっとした感覚ではあるが、西洋でも東洋でも、古代の方が合理的である。 近世、近代になるにつれ、人間は非合理になっていくような気がする。 古代の人である孔子は、「風水」などといった妖しげなことは、言わない。 東に建て増そうが、西に増築しようが、そんなことは不吉でも何でもない。 本当に不吉なことは、五つあるという。 1、他人を犠牲にして自分の利益を考えること 2、若者をちやほやして年寄りを邪険にすること 3、優秀な人材を登用しないこと 4、年寄りが若者を教えず、若者が学ぼうとしないこと 5、徳のある人が隠れ、徳の無い小人が権力を持つこと これらからすると、どうも今の日本は不吉だらけである。 金を…

  • 『老子』 マネジメントとは何か

    一時期、フランスの経済学者トマ・ピケティ博士の著書『21世紀の資本』が評判であった。 題名からして、なかなかに挑戦的である。 カール・マルクスの有名な『資本論』は、原題をそのまま訳すと『資本』である。 ピケティ博士は、マルクス向こうを張った題名を付けたわけである。 『資本』という題名を『資本論』にしたのであれば、何故、『21世紀の資本論』という題名にしなかったのであろうか・・・・。 その方が、本の位置づけも明確になるのではないかと、僕は思う。 ところで、ピケティ博士が言っていることは、「格差の問題」である。 このことを、データで実証的に示したことが、博士の大きな功績らしい。 東洋の古典は、この…

  • 『管子』 あいつは良い奴だから昇進させよう

    経営者は、三つのことをしっかりと視ておかなければならない、という。 一つは、地位の高い者が、その地位にふさわしい徳(人間性)を持っているのか。 二つは、業績を挙げた人間に、その業績にふさわしい報酬を与えているのか。 三つは、能力や適性に見合った職務を与えているのか、である。 この三つがきちんと出来ていないと、組織は乱れると、管子は言っている。 二つ目と三つ目については、誰もが問題意識を持っていると思う。 しかし、徳(人間性)と地位という観点は、どうだろう。 多くの組織では、業績を挙げた人間が出世していく。 もちろん、徳(人間性)をどうでもいいとは考えてはいないだろう。 ただ、それを、昇進の際の…

  • 『列子』 自然の凄さ

    好きな話の一つである。 玉を細工して、楮(こうぞ)の葉を作る人がいた。 三年を費やして完成すると、細かな毛や微妙な形まで本物そっくりで、実際の楮の葉の中に混じると、見分けがつかなかった、という。 この人は、ついにその匠の技で、宋の国に雇用された。 この話を聞いた列子は、 「葉を一枚作るのに三年かかるようでは、世の中の樹木には、ほとんど葉が無いことになるだろう」 と述べた。 つまり、人智やその技は、どこまでいっても自然の力には及ばないという話である。 確かに、そう思う。 最近増えている災害などを考えても、自然に対しては、「想定外」が常に「想定内」なのである。 出典(明治書院)新釈漢文大系22『列…

  • 『論語』 転職しなかった人

    こんな会社は辞めてやる、誰でも、一度や二度は考えたことがあるだろう。 そして、実際に辞める人、辞めない人がいる。 辞めて成功した人もいれば、失敗した人もいるし、辞めずにうまくいった人もいかなかった人もいるだろう。 柳下恵(りゅうかけい)という、古典の中では有名な人がいる。 魯の国で、法を司る仕事、今でいえば検事か裁判官のような仕事に就いた。 しかし、清廉な人柄であり、敬遠されて左遷された。 しかし、またその職に任命され、また左遷された。 結局、三度も任命されては左遷された。 ある人が、 「いい加減、魯の国に仕えるのは辞めたらどうか」 と言うと、こう答えた。 今の時代、正しいことをすれば、どこの…

  • 『孟子』 仁義と利益

    論語の冒頭は、 「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来る、また楽しからずや」 と、実に淡々と始まる。 これに比べると、『孟子』の冒頭は劇的である。 それは、梁の恵王という君主との謁見から始まる。 恵王は、孟子に尋ねる。 「老先生は、遠方より我が国においでくだされた。きっと我が国の利益となることを教えてくださるのでしょう」 ごく真っ当な問いかけである。 ところが、孟子は、こう応えるのである。 「王よ、なぜ利益のことを問うのですか。大切なことは、ただ仁義だけです」、と。 ドラマの山場のような風景である。 私の仕事は、企業のコンサルタント、社員教育の講師である。 …

  • 『箸休め』 起きて半畳寝て一畳

    若いころは大きな家が欲しいと思っていた。 住宅展示場で見る広いリビングには随分と憧れたものである。 そして、それなりの家にも住んできたが、最近では家は小さい方がいいなと思うようになった。 その理由の一つとして、数年ほど前に、上野の東京国立博物館で開催されていた「北京故宮博物院200選」を見に行った時に印象に残ったことがあったからである。 商時代の玉や青銅器など、数々の名品が展示されていたが、私が一番興味を覚えたのは、中国史上、屈指の名君と称えられた乾隆帝の書斎であった「三希堂」を原寸大に復元したものであった。 三希というのは、王羲之の「快雪時晴帖」、王献之の「中秋帖」、王珣の「伯遠帖」という世…

  • 『韓非子』 人をどこまで信じればいいのか

    韓非子とマキアヴェッリは、よく似ている。 社会が乱れ、裏切りや陰謀が渦巻くようになると、こういった考え方をせざるを得ないのだろう。 韓非子は言う。 君主は、人を信じてはならない、と。信じることが、身を滅ぼす原因となる。 人を信じれば、人によってコントロールされるようになってしまう。 例えば、臣下は、君主に対して肉親の情で仕えている訳ではない。 君主の方に権威と権力があるから、仕方なく從っているのである。 であるから、臣下は常に君主を観察して付け込もうとする。 ところが、君主の方はといえば、自分の地位が安泰だと考え、臣下を信じて疑おうとはしない。 臣下を信じた結果が、臣下に権力を奪われたり、場合…

  • 『蒙求』仁君の条件

    当意即妙の受け応えが素晴らしい話である。 魏の文侯が家臣たちと歓談していた時、 「ところで、私は君主としてどうだろう?」 と尋ねた。 あまり良い質問とはいえない。 真の明君ならこんなことは訊ねないだろう。 家臣たちは、本心は別として、次々と、 「君は仁君です」 と答えた。 ところが、翟璜(てきおう)という家臣だけは、 「君は仁君ではありません。中山の国を征服した時、君は弟君にそれを与えず、ご自身の長子に与えました。これからしても、君は仁君ではないでしょう」 と、思ったことを率直に口に出してしまった。 当然、文侯は怒り、翟璜を追い出してしまった。 次に、任座(にんざ)という家臣が答える順番となっ…

  • 『論語』 コストと収益のバランスを考える

    全ての生き物は、コストと収益のバランスの上に成り立っている。 コスト以上の収益が得られなければ、生き物は死滅するしかない。企業でいえば、潰れるしかない。 このコストと収益を組み合わせることによって、三つの方策が考えられる。 一つは、どれだけコストをかけてもよいから、収益を最大にしていこうという方策、つまり収益最大化策である。 二つ目は、コストあたりの収益を最大にしようとする方策である。つまり、生産性最大化策である。 最後は、収益は小さくてもよいから、コストを最小にしようという方策、つまりコスト最小化策である。中南米に住むナマケモノが、この典型であろう。 人以外の動物が取る方策は、二番目もしくは…

  • 『孟子』年金制度を考える

    鰥夫(おとこやもめ)、寡婦(やもめ)、独者(ひとりもの)、孤児(みなしご)、という4者は、支えてくれない家族を持たない人たちである。 彼らを助けるのが政治だと、孟子は言う。 古代の聖王である文王は、必ず彼らのことを優先したというのである。 今の時代であれば、貧しい人への生活保護ということだろう。 この生活保護が悪用されているという報道が多い。 また、悪用ではなくても、場合によっては年金よりも有利だと聞く。 一生懸命、年金を払い続けてきた人にとっては、腹立たしい話である。 かといって、本当に困っている人たちを救わない訳にはいかない。 そもそも、年金制度という制度自体に、無理があるのだろう。 ミル…

  • 『世説新語』 善を褒めるのが本当の善である

    臣父淸畏人知、臣淸畏人不知(徳行 世説新語) 臣の父の清は、人に知られることを畏れ、臣の清は、人に知られざることを畏る。 本当の聖人であれば、人の評価などは気にしないであろう。 しかし、普通の人間は、そうではない。 やはり、尊敬されたり、信頼されたりすることを求めている。 僕は、それでいいじゃないかと思う。 立派なことをしても、誰も誉めてくれないのであれば、多くの人は立派なことをしなくなる。 それが、今の日本の実情だろう。 西晋の時代に、胡威(こい)という人がいた。 都から、父の許へ帰省した時、父から絹を与えられた。 胡威は、父の清廉さを知っていたから、「どうしてこのような高価な品を」と訊ねた…

  • 『列子』 情けは人のためらなず

    「情けは人のためならず」という言葉があるように、最終的には自分の利益が大切である。 利益が目的であり、人に敬意を払ったり親切にしたりすることは、手段かもしれない。 しかし、手段は大切である。 手段を間違うと、結局、利益を手にすることはできない。 目的は利益であっても、行動の判断基準は手段である。 目的(りえき)を判断基準にしてしまえば、それは禽獣と変わらない。 自分が禽獣になれば、人も禽獣となり、社会は禽獣の社会となる。 これでは、誰一人、利益を得ることはできない。 別に、社会全体のことを考えて行動しなくてもよいだろう。 何が義であり人の道理なのかは、誰もが分かっている。 人間の短い一生の経験…

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