だけろう さん プロフィール

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だけろうさん: オーロラの缶詰 〜愛と勇気と幸せを・・・〜
ハンドル名だけろう さん
ブログタイトルオーロラの缶詰 〜愛と勇気と幸せを・・・〜
ブログURLhttp://ameblo.jp/auroranokandume/
サイト紹介文日々、創作した絵とフィクションの物語を載せています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供55回 / 43日(平均9.0回/週) - 参加 2017/02/14 00:02

だけろう さんのブログ記事

  • 遅刻
  • おかしな話し 2      ??????遅刻??????目覚まし時計が鳴る。??「おはよう!おはよう! 朝ですよ。会社に行く時間ですよ」??「ああーまだねむいのに」??おはよう…また始まった。今度の録音は??遅刻しますよ??せめて時計位の声は可愛くしたかった。可愛い甘い声。その声を聞きながら起きた。いつものように歯を磨く。トーストを焼きながらコーヒーをいれる。 いつもと同じ。 鞄にスマホを入れ忘れ物の [続きを読む]
  • 初めてのお使い 
  • 食事の時は家族が揃う。今夜の食事は煮込みうどん。箸の使えない小さい子の分は上の子が手伝う。全員の分が揃うと「いただきます」と言う。みんな一生懸命食べる。おかずは漬物。皆はお腹が一杯になるだけで満足だった。引き揚げてから食べられない日が何日もあった。食べる物の無い時は、母さんが山に行って蕗・ウド・ぜんまい等、食べられるものならなんでも食べた。母さんはどんな方法をしても子供も達の為に食事を作る。小さい [続きを読む]
  • 山吹の花が咲く
  •  七重 八重      花は咲けども山吹の 身のひとつだに なきぞ悲しき   太田道灌  太田道灌は永享四年(1432年)〜文明十八年(1486年) 五十四才没 室町時代後期の武将で建築家。江戸城築城  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜今年も 畑には{やまぶき}の花が黄色く咲いています。? ???? ???? ???? ???? ??? ???? ???? ???? ???? ???? ? [続きを読む]
  • 人をかじる猫
  • ラジオもテレビも無い時代 役場や町内の連絡は回覧板でした。隣からまた隣と届ける。晩御飯の用意を終わせて孝子の母さんが回覧板を持っていった。そしてすぐ帰った時には顔から血が流れていた。手ぬぐいを借りて傷口に当てていたのに血の量が半端ではない。顔面の毛細血管が切れた。消毒の後しばらく傷口を押えていた。「いきなり猫が飛んできた」 その猫は前にも子供をかじって近所では一寸有名な話し。 (灯台下暗し) 隣の私 [続きを読む]
  • ベットの中に
  • 可笑しな話し3・・・・ベットの中に?・・・・最近 ひざが痛い。病院に行く。半月板の軟骨が擦り減って骨と骨がぶつかり神経に触っている。素人の私はそう解釈した。手術もできるとも言っていた。友達は「去年右をして 今年は左と言われた。もうどんなに痛くても手術だけはしたくない」言っている。 それを聞いていたので我慢して貼り薬だけでいいと、お風呂上りには貼り薬。後は塗り薬と痛みを押えている。 そんな朝 シーツの [続きを読む]
  • 白昼の花泥棒
  • (可笑しな話し) 1     白昼の泥棒 縁側に春の陽の光りがゆったりと入っていた。二人はまだ雪の残る花畑に、春に咲く花では一番早く咲くピンクの花を 見ている。 春一番に咲く強い花。あと少しで雪が全部解けると緑の大きい葉っぱが出てきて大きい花が咲く。北の街の人は(雪の下)言っていた。 二人でお茶を飲み静かな時間。花畑の入り口にはまだまだ雪が残っている。突然。その雪を踏んで防寒具を着て手には剣先スコ [続きを読む]
  • 移動したクラス会
  • 今年の高校のクラス会の準備は春木君がした。開催まで大変な時間が掛っただろう。私は飛行機の都合で二十分遅れて会場に着いた。入口の受付に、何冊かのパンフレットが置いてあった。 几帳面な青木君が作ったのだろう。開いて見た。 挨拶も先生への言葉も会社社長の佐藤の名前で青木君の名前は、 一番後ろの会費受け取りの名前だけだった。私は静かに戸を開けた。誰も気付かない。入ってすぐのテーブルに  御馳走が並べ [続きを読む]
  • 我が家のゲンゴロウ
  • どこの家でも一・二週間に一度は煙突を掃除する。しなければ煙突の中が煤(すす)でふさがりストーブが燃えなくなってしまう。 学校から帰ると母さんが一人で(煙突掃除)をしていた。 普段着に着かえると、外に出してあった煙突に中に掃除の棒を上下して煤を取るのです。小さい私は長い針金を動かすのが大変でした。 そんな時、頭の上を大きい虫がぐるぐる飛んでいた。 煙突を玄関まで運ぶと母さんは驚いて肩に虫が付い [続きを読む]
  • 山が白くなる
  • 春の選抜高校野球が始まった。((甲子園))は大正十三年にできた。何故その名前の由来は六十年に一度大きい甲子{きのえね}の年がくる.小さいのになると一年に五回、大黒様のお祭りがある。そのお祭りをきのえねという。私は、大正十三年の後の六十年後の昭和五十九年に(白い山)を見た。何かいつもと違う奇妙な山のことは、誰にも言なかった。 そして六十年後は(白い山)は見られない。何故ならその時 私の [続きを読む]
  • 我が子を返して    その三・他
  •           (吾が子の死)  その三いじめは続く。何年も何年も続いている。子供達はいじめに遭って次々と死んで逝く。私達はテレビで知り、悲しむ。私にはそれだけしかできないのです。赤い着物を着て笑っている子。修学旅行に行って金網をくぐって線路に飛び込む子供。教室の全部が一人の生徒に襲い掛かる。先生までも(菌)と呼ぶ。呼ばれる子供の悲しみを知らないのですか。被害に遭う子は{優しく}育てられ [続きを読む]
  • 我が子を返して      その一・その二
  •      (吾が子の死)  その一 火の中で泣き叫ぶ声。火だるまの子供が一人飛び降りたもう一人。そしてもう一人の子が飛びながら「達ちゃんが…」と云って気を失った達ちゃんはジャングルジムの一番上にいた火は激しく燃える 勢いが強すぎる。誰も火の中に入る事ができない。 数十分後 火が消えた達ちゃんは死んだ友達五人で遊んでいた一瞬の出来事だった お父さんは運転中お父さんは音楽を聞いてい [続きを読む]
  • わかれ  
  • ????良いにつけ 悪しきにつけ人は、忘れることができる。 それでも忘れられない事が一つや二つはある。 男の子が全身を四十七箇所切られた。水の中で助けを求めて近づくと、また切られ陸にはい上がって死んだ 同級生は上村をカミソン君と呼んでいたそうだ。 私はその時 何故か{神尊}君とメモに書いた。 ニュースは、幼い顔を映していた。 テレビに、村を離れる神尊君は母親と舟に乗っていた。村の人が大勢見送りに来て [続きを読む]
  • 山が白くなる
  • 春の選抜高校野球が始まった。((甲子園))は大正十三年にできた。何故その名前の由来は六十年に一度大きい甲子{きのえね}の年がくる.小さいのになると一年に五回、大黒様のお祭りがある。私は、大正十三年の後の六十年後の昭和五十九年に(白い山)を見た。何かいつもと違う奇妙な山のことは、誰にも言なかった。 その後の六十年後は(白い山)は見られない。何故ならその時 私の平均寿命が過ぎ [続きを読む]
  • 遊びにおいで
  • 葉山君。どうしていますか。結婚式にもいませんでした。身体を壊していると聞きました。何か事情があったのでしょう。それでも どんな事があっても生きていかなければならないのがつらいでしょう。  あの日、大盛りの天ぷらを二人でぺろりと食べて後ろに倒れて。 「美味しいかった。美味しかった」酔って寝てしまった。思い出します。 あの日に戻ることはできません。 でも前に進むことはできます。 どうぞ北海道 [続きを読む]
  • 戦後の子供達         Ⅵマッ太の事 2
  •          その二中学生になると組は違っていましたが、でこぼこコンビは何時もいっしょに廊下でふざけているのと昆布採りの時と同じに真っ黒な顔をして騒いているのは小学校の時と同じでした。中学の三年間は、すごく早く過ぎ一生を決める進学か就職か、それは貧富の差で高校に入れられるかどうかでも決められるのです。 半分の生徒は就職か職を付ける短期の補導所へ行きます。 女子は看護婦、バス・ガール、給仕、電話 [続きを読む]
  • 戦後の子供達         Ⅵマッ太の事 その一
  •           その一 出席簿の順番は斎藤宏志 次が松坂叉治郎でした。 斎藤君は痩せて背が高く松坂君は太って背が低い、そんな二人は仲が良く何時も一緒でした。 小学生は生まれた順に出席をとります。二人とも終戦で引揚が遅れたので1番と2番でした。みんなは叉次郎を(マッ太)と呼んでいて、授業中騒ぐマッ太を先生は( 木のマッ太)と呼んだ。それでもふざけて廊下に立たされても、ガラス窓に紙を貼っている隙間か [続きを読む]
  • あの日 あの時
  • (忘れられないこと  Ⅰ) あんなに小さかった子供が、大きくなった。 一番驚いたのは交通事故の時には頭が真っ白になった。人は最高の苦しみが頂点に達すると笑ってしまう。笑うと変になったかと疑われるので冗談で返す。 一生の間 どれだけ そんな冗談を言うだろう。親は子供からいろいろな事をもらう。その中で貴男から頂いた決して忘れられない幸せな話しをします。(1)風邪を引くとその後に喘息がくる。喘息の時は病院へ連 [続きを読む]
  • 戦後の子供達    Ⅳ 産めや増やせや
  • 少ない家で五人。五人の兄妹の家は少ない方で八〜十人の子供がいるのが普通だったが多い家になると十二人〜十五人もいた。先に生まれた子供は下の兄妹の世話をした。背負って登校していた人もいる。両親は朝早く働きに行きます。学校を休んで下の子を見る。そんな時にはみんなは学校へ来れない友達の家に顔を出して、学校の出来事を話して帰った。誰から言われた訳でもない。{貧困は優しさや思いやりを教えてくれます} 学校 [続きを読む]
  • 戦後の子供達         Ⅲ  愛ちゃんと運動会
  •        愛ちゃんと運動会今なら愛ちゃんは絶対にオリンピックの選手になっていたでしょう。六年生でも身長は165?位でした。均整のとれた愛ちゃんの走りは誰よりも速く風のようでした。運動会では何時もクラス代表と地区別対抗リレーでも選手になりました。それと父兄も競技があり大漁旗を持って来ての応援合戦は、すざましいものでした。親達の綱引きも地区リレーも本気でした。リレーの時の顔も真剣で走る地響きの(ドシン [続きを読む]
  • 戦後の子供達   Ⅱ学校の昼休み
  •        Ⅱ 学校の昼休み  一番 嫌な時間でした。 弁当を持ってきた生徒も弁当を隠して食べます。 舟の帆のように蓋を立てている生徒。腕の中に見えないようにして食べている。 それでも持ってくるだけでもいい方で 持ってこない生徒は、 小使い室へ行って水を飲んで餓えを忍んでいました。 その水も小使いさんのおばさんが 沢の水をバケツで汲んで来た水で、今なら臭くて飲めないでしょう。 食事が十五分位 [続きを読む]
  • 戦後の子供達        お尻から虫が出る
  •                                      5  お尻から虫が出る虫         どこの家にも一年生がようやく手が届く高さのごみ箱があった。板で作られ上に蓋があった。 引き揚げ者の子供はお腹が空いて、どうすればいいかと考えて、暗くなるのを待ってごみ箱をあさった。子供達は臭くてそれに回虫が付いていても、まず口に入る物であればどんなものでも良かった。その結果  [続きを読む]
  • 戦後の子供達       目次 ・ 馬橇
  •  目     次 Ⅴ産めや増やせや(9日)Ⅳお尻から虫(10日) Ⅱ学校の昼休み(7日)          Ⅰ 馬橇 (6日)   Ⅲ愛ちゃんの運動会 (8日) Ⅵマッ太のこと(13日)       1  馬橇  家から学校までは2キロメートルから遠い生徒は5キロメートルも歩いて通う。 荷物を運ぶ仕事を職業にしている家が多く、馬を飼い夏は馬車 冬は馬橇で仕事場まで行きます。その仕事に行く時刻と子 [続きを読む]
  • どんぐい
  • どんぐいと言うのは、小さい時の聞いた名前で(痛取り・すかんぽ)と言うのが本当の名前らしい。痛取りと書くように根が痛みを取る。                     春・新芽 冬・枝が枯れる    秋・花を付ける     夏・葉が伸びる けれども終戦の昭和20年私の小学2年生の時は違っていた。晴れた秋の日には学校に着くと全校生徒は、グランドに集まり袋を持つ。男の子の一人が「俺は今日2つ拾う」 [続きを読む]
  • 戦後の子供達         愛ちゃんの運動会
  •        愛ちゃんと運動会今なら愛ちゃんは絶対にオリンピックの選手になっていたでしょう。 六年生でも身長は165?位でした。均整のとれた愛ちゃんの走りは誰よりも速く風のようでした。運動会では何時もクラス代表と地区別対抗リレーでも選手になりました。それと父兄も競技があり大漁旗を持って来ての応援合戦は、すざましいものでした。親達の綱引きも地区リレーも本気でした。リレーの時の顔も真剣で走る地響きの( [続きを読む]
  • 誰も知らない話し
  •  その二 高校の野球部 終戦の翌年から中学生が高校に変った。 初めての高等学校の始まりだった。 その頃の学生は全員ではないがねマントを着て学生帽をかぶり、靴ではなく(あしだ)を履いていた。高等学校は今の大学で入れるのは、親が余程教育熱心か本人の強い意志で入る。子供が七・八人も居て食べるだけで余裕のない家が多かったが、引揚げ前の中学生は全員 高等学校に入った。家には従弟が教師を目指して田舎から [続きを読む]