断片録 さん プロフィール

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断片録さん: 断片録
ハンドル名断片録 さん
ブログタイトル断片録
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/theawfulshadow
サイト紹介文思うことなど漫然と記す。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供16回 / 170日(平均0.7回/週) - 参加 2017/02/23 15:42

断片録 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • ・不況の時は、労働者は生きていけるかどうかで苦しんでいるのか。
  • 『経済学・哲学草稿』マルクス、長谷川宏訳、光文社古典新訳文庫より。「一般論として言えるのは、労働者と資本家がともに苦境にあるとき、労働者は生きていけるかどうかで苦しんでいるが、資本家は金もうけできるかどうかで苦しんでいるということだ」(「1.賃金」、20頁)マルクスの時代はそうだったのかもしれないが、現代の日本では必ずしも妥当しない。不況であっても、労働者は必ずしも「生きていけるかどうかで苦しんでい [続きを読む]
  • ・不景気の時は、社長と一緒に社員も損をするのか。
  • 『経済学・哲学草稿』マルクス、長谷川宏訳、光文社古典新訳文庫より。「労働者は、資本家がもうけるときいっしょにもうけにあずかるとは限らないが、資本家が損をすれば必ずいっしょに損をする」(「1.賃金」、19頁)資本家を社長、労働者を社員としよう。私の個人的体験を書いてみよう。もう十年以上も前になるかと思う。私の勤めていた会社は、業界の構造的不況により、十数年間自転車操業で苦しんだのちに倒産した。その十数 [続きを読む]
  • 宗教と科学
  • 宗教と科学は一致する。これは、少なくとも数十年前の言葉である。あれからだいぶ時間がたったのだから、もしそう主張する者がいるとしたら、具体的に何がどう一致するのか、詳細に論じるべきである。宗教と科学の一致を念仏のように唱えるだけでは、もはや無意味である。どのようにしてモーゼは海を割ったのか、地球物理学的に述べよ。なぜ耶蘇は十字架上で苦痛を感じなかったのか(少なくとも聖書では痛そうには見えない)、生理 [続きを読む]
  • 疎外2
  • 労働者は生産物を自ら所有すれば喜ばしい、そんなふうに言っているように見えるのだが、結局、労働者は所有したいのだろうか。私有財産を否定するマルクスが、「労働者をして私有せしめよ!」と言うのだろうか。だとしたら、矛盾ではないのか。だって、私有財産を糾弾すべきマルクスが、労働者による私有を主張するのだから。労働者が生産したものを資本家が奪う、とでも言いたいのだろうが、果たしてそうなのか。棺桶工場の工員が [続きを読む]
  • 疎外1
  • マルクスは『経済学・哲学手稿』で次のように言う。人間は意識をもって生きる類的存在である。類的存在とは、人間が互いに助け合い、自然に働き掛けて物を生産し、それによって生きるものをいう。このように労働し生産することによって人間の類的本質が実現される。生産的労働こそ自己実現であり、類的存在たる人間の本質的在り方である。ところが、市民社会では事情が異なる。労働者が生産した生産物は、本来ならば労働者の本質実 [続きを読む]
  • 存在と意識
  • マルクス主義は、「存在が意識を規定する」、言い換えれば、現実に存在する社会体制から人間の意識が決定されると主張する。それに対して、著名な社会学者であるマックス・ウェーバーは、そんな簡単な話ではないと反論する。ウェーバーは、アメリカ独立革命で活躍した、政治家にして科学者でもあるベンジャミン・フランクリンの思想を手掛かりにして、以下のようにしてマルクス主義の思想を批判する。ベンジャミン・フランクリンは [続きを読む]
  • 環境と主体
  • 以下、『生態学入門』(梅棹忠夫/吉良竜夫、講談社学術文庫)35〜36頁より。生態学的には、次のように言えるそうである。「環境とは、具体的には生活の場である。具体的な存在としての生活体は、つねに生活の場においてある。生活の場とは、かれの生活に必要な、また何らかの関連をもつ、もろもろの事物によって構成せられたところの、具体的な空間である。生活体は、生活の場において、その場の個々の構成物と、機能的に連関しあ [続きを読む]
  • 意識が存在を規定する?
  • ルフェーブルは言う(『マルクス主義』文庫クセジュ、白水社)。「個人は、その行動において、彼をとりまく自然または世界を変化させながらも、自分が創造したのではない諸条件――自然そのもの、人間自身の自然、彼をとりまく他のもろもろの人間存在、および、すでに構成された活動の諸様態(伝統、道具、労働の分割〔分業〕と組織等)――からはたらきを受ける。」(73頁)すなわち、人間はさまざまなレベルの環境に取り囲まれて [続きを読む]
  • 人間集団の長短
  • どんな人間にも長短があるように、どんな人間集団にも長短がある。家族や村落のような人間集団は、互いに自然的愛情をもって接するがゆえに、きわめて居心地のよいものである。その一方で、居心地のよいがゆえに、しばしばケジメがつけられず、「なあなあ」の関係にもなる。企業や政党のような人間集団は、特定の目的を絶えず追求しており、常にその目的にかなった行動だけを選ぼうとするので、きびきびとしてだらけることがない。 [続きを読む]
  • プロレタリアートは無謬なのか
  • ルフェーブルは言う。マルクス主義が既成道徳を否定するからといって、マルクス主義が背徳的であるのではない。「背徳主義間的シニズムは退廃したブルジョアジーの(文学的、イデオロギー的、政治的)代表者たちのうちにこそ…見いだされるのである」そして、退廃したブルジョアジーによって支配された社会を解放できるのは、プロレタリアートだけである。「プロレタリアートのみが自己自身を解放することによって、社会と人間とを [続きを読む]
  • 霊能力
  • 霊能力とかに半信半疑の人が、ある霊能力者に会った。すると霊能力者は、その人の過去や現在の悩みをピタリと当てた。その人はビックリして、それ以降は霊能力者の信者となった。しばしば、世間にはこんな話がある。霊能力を信じるようになったのは、ある意味で合理的である。なぜなら、そうとしか言い様のないものを、まざまざと見せつけられたからである。しかし霊能力者の信者になったのは、必ずしも合理的であるとは言えない。 [続きを読む]
  • 法はインチキか
  • ルフェーヴルは言う。「道徳と同じく法も、つねに、現存する諸機関と諸条件とを不動のものにし、経済的には特権をもち政治的には権力をつかさどっている階級の支配の方向に傾かせるような仕方で、それらの関係や条件を是認したのである。」(『マルクス主義』文庫クセジュ、白水社、64頁)つまり、法も道徳と同じくインチキなのである。支配階級は自らの都合に合わせて法をつくる。自分たちが盗まれたくないし、殺されたくないから [続きを読む]
  • マルクス主義の道徳否定説
  • ルフェーヴルは言う、道徳は支配者階級の都合に過ぎない、と。「…道徳はつねに一つの身分または階級にとって支配の道具であったし、またつねにそれに転化した…」(『マルクス主義』、文庫クセジュ、白水社、63頁)ずる賢い王様が、「(俺様の財産を)盗んじゃいけないよ(俺様がお前らから奪ったものだがね)」とか、「(俺様を)殺しちゃいけないよ(お前らを虐げている俺様とかな)」とか言うんだったら、なるほど道徳律はイン [続きを読む]
  • 恩賜の民権
  • 英仏の民権は、下から進んで取った回復の民権である。日本の民権は、上から恵み与えた恩賜の民権である。中江兆民はこのように述べた(『三酔人経綸問答』)。おそらく、兆民の力点は回復の民権にあったのだろうが、だからといって、恩賜の民権が無価値というわけではない。兆民も言うように、これをちゃんと守って、大切に扱い養えばよい。社会に矛盾があった場合、英仏のように革命によってそれを解決する道もあるが、日本のよう [続きを読む]
  • 棲み分け
  • ダーウィン流の進化論は生存競争、すなわち闘争を強調する嫌いがある。自然界には矛盾も闘争もあるのだろうが、矛盾があるからといって常に闘争が帰結するわけではない。矛盾を「棲み分け」によって解消する場合もあるようである。棲み分けとは、「二つ以上の近縁の種が時間的・空間的に生活の場を違えること」を言う。「同一の資源を必要とする近縁種が競争を避けるという機能をもつ」(『マイペディア』「棲分け」)。川底に棲む [続きを読む]
  • マルクス主義的世界観
  • マルクス主義者のアンリ・ルフェーヴルは言う。「マルクス主義者は人間と社会との諸要素間に、できあがった不変不動な従属関係を立てることをきっぱりと斥ける。しかし、それはおのずからな調和という仮説をも同じように認めない。じっさい、マルクス主義は人間と人間社会とのなかに矛盾があることを証明するのである。」「ルソーのような偉大な個人主義者たちが自然と人間とのあいだに見いだされると信じていた調和は存在しない。 [続きを読む]
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