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  • 社長

    この春より念願だった社長に就任した。今の会社に就職して28年目を迎える。どんな山登りになり、どんな風景が見えてくるのだろうか。そんな思いをまた綴っていきたいと思います。社長

  • 生きるとは

    生きるとは戦いの連続だ。疲れる。つくり笑いをしながら、午後もしがみついて生きてやる。プライドもメンタルもボロボロだけど・・・54歳のオヤジは這いつくばって生きている。昭和42年生まれの皆さん、最近も調子はどうですか?生きるとは

  • 泥水を飲む役目

    取引先の部長が「うちの会社では、部長のところまでクレームが来ないんですよ。その前にみんな部下が処理してくれるんです」と自慢げに話している性格の悪い人がいる。その会社は社内の雰囲気が暗幕で覆われているような独特なものだった。みんな疲弊していた。おそらく上司にクレームを報告すると余計に怒られるのだろう。恐怖で押さえつけられていると推測できた。私は尊敬する上司から出世するほどに誰もが嫌がる相手との取引や苦情を引き受けろと教えられた。部下のストレスを除去する上司でなければ信頼されないことを学んだ。今でもその教えは正しかったと思っている。今日も疲弊する苦情処理に自ら手を染めた。メンタルはボロボロだ。しかし、帰り際、みんなが心の底から「部長、お疲れ様です」と言ってくれたような気がした。少しだけ癒された。泥水を飲む役目

  • 感情コントロール

    全ては感情のコントロールができるかだ。イライラ、不機嫌オーラ等をいかに包み込めるかだ。勝負だ。感情コントロール

  • 理屈っぽい人

    みんなから煙たがられている50代の社員が私の部署にいる。とにかく理屈っぽい。若いころからそうだった。理論武装が好きで、議論大好きのタイプだった。20年前はそれでも会社への存在価値はあった。何かあったら上司にでも食って掛かることに生きがいを見いだしていた。理屈っぽい正義感が売りのタイプだ。しかし時代は変化した。会社に貢献し、チームとして同僚性を発揮することができなければ口先だけの人間で相手にされなくなる。現実に彼も正論をふりかざすが、成果が伴わない。だれからも相手にされない晩年を迎えている。彼は常に相手を議論や理屈でねじ伏せようとする。それでは相手に恨まれるだけだ。相手を理論的に屈服させるのではなく、歩み寄り、理解する姿勢が今は求められている。あたたかい雰囲気で相手に接することができるかだ。今日も一日が始まる。理屈っぽい人

  • 仕事ができる幸せ

    いつも文句ばかり垂れているが、仕事ができることは、この上ない幸せだ。毎日毎日忙殺されている日常だが充実している。目の前に広がる部下の机常に判断と決断を要求される場面緊張させてもらえる仕事を与えてもらっていることにも感謝だ。さて、今日も張り切って行こう。仕事ができる幸せ

  • 周りを元気にさせる人

    私の部下で10歳年下の課長がいる。私なんかよりも出世コースの王道を歩んでいる。彼は、とにかく周りを明るくする才能がある。彼が来ると周辺は明るく爽やかになる。私なんかは暗さと近寄りがたさを発しているが、そんな雰囲気は彼からは一切出てこない。王道を行く人はやはり違う。周りを元気にさせる人

  • 胸の苦しさを抱えながら

    月曜日、外は天気がいいのに、自分の心は相変わらずにぼんやりしている。というか、胸の苦しさが感じられる。権限、責任、判断、決定・・・複雑化する自分の仕事内容それに伴い、慢性的な胸の苦しさに襲われている。しかし、この苦しさを感じなくなった時、自分の人生は味気ないものになるのかもしれない。まだ、月曜日・・・今日も帰りは22時を過ぎそうだ。胸の苦しさを抱えながら

  • 国武万理「もう離れられない」

    ホームワークというドラマの挿入歌だったこの曲清水美紗が福山に別れを告げに行くシーン福山の家を出たところで一人崩れ落ちるシーンマンションの外には、唐沢が待っていた。抱き合う二人「結婚しよう」という唐沢の言葉にうなづく彼女私の大好きなシーンだ。そしてこのシーンに流れていた「もう離れられない」は名曲だった。さて、月曜日が始まる。国武万理「もう離れられない」

  • お蔵入りと言われたドラマ

    「悪魔のKiss」という1993年頃のドラマがあった。私はこのドラマの主題歌が好きでよく聴いていた。加藤いづみの「好きになってよかった」という歌だった。当時、付き合っていた女性がカラオケでこの歌を歌ってくれた。衝撃的な歌詞だった。また、彼女の歌声に私はいつも深酒をしてしまったものだ。ドラマの内容も今では放送できないストーリーだった。当時はこのような破滅的なストーリーのドラマがよく放映されていた。私は「この世の果て」もよく観ていた。観ていたというより、当時、同棲していた彼女がよく観ていたドラマだった。当時の私は就職もしないで、ひものような暮らしをしていた。そんな時代に出会ったドラマは今も記憶の中に深く刻み込まれている。お蔵入りと言われたドラマ

  • 80年代の映画

    セイントフォーというアイドルグループが出演した映画をCSで放送していた。何だか最後まで見てしまった。世良公則の歌が良かった。また、その歌をセイントフォーがカバーする場面も何だか心に染みた。80年代のカラフルな華やかさが画面から伝わってきた。このころは、華やかな色の服などか流行った時代懐かしかった。華やかさに誰もが憧れた時代・・・それがバブルという時代につながっていったのかなあと感じた。80年代の映画

  • 優しい陽射し

    尾崎豊の「優しい陽射し」という歌が好きだった。人生の絶不調にいたころによく聞いた。「夢は夢のままで諦めてみて・・・」そんな歌詞に傷口が癒されていた。大学を卒業しても定職には就かずに彷徨っていたあの頃・・・周りからもあいつの人生を終わったと陰口を叩かれていた。あれから30年あまり・・・何とか今日も生きている。部長という役割を弱々しく演じながら・・・優しい陽射し

  • かなわない

    30歳前後になると、将来、出世するかどうかの雰囲気が漂ってくる。うちの部署にも若手の優秀な社員がいる。彼を見ていると、全てにおいて、かなわないと感じてしまう。コミュニケーション能力が半端じゃない。常に相手目線の言動なのだ。だから、顧客はもちろん社内でも抜群の評価だ。私の時代は一芸に優れた職人タイプが出世した。○○といったらあいつに任せとけ・・・こんなタイプで会社を引っ張っていた。しかし、今は全てにおいて、相手の期待を上回る成果を求められる。これからの時代、生き残っていくのは難しい。かなわない

  • 夏と言えば

    高校2年生のころ山下達郎の「Bigwave」のアルバムをよく聴いていた。浪人一年目のころ、TUBEのテープを擦り切れるまで聴いていた。個人的には稲垣潤一の「夏のクラクション」が好きだった。80年代の夏の思い出の曲・・・夏と言えば

  • 80年代の思い出~オリジナルテープ~

    車のダッシュボードの上にお気に入りのテープを並べていた。その人の車に乗るとその人の音楽センスがわかった。オリジナルのテープをよく作っていた。どんな曲の構成にするか、順番は?どんな時に誰に聞かせるか?そんなことに夢中な時代だった。LPを借りて、テープに録音していたあの頃今朝は浜田麻里を聴きながら出勤した。今日も一日が始まる。80年代の思い出~オリジナルテープ~

  • 1984年

    1984年私は高校2年生だった。頭の中は「彼女が欲しい」ということ彼女とデートをしたいということ当時、流行っていたホットドックやポパイなどの雑誌を購読していた。ちょうど、今ぐらいの季節に同じ学年の女性と付き合った。テニス部のマネージャーをしていた。ポニーテールが可愛らしかった。初めてのデートの日、待ち合わせは喫茶店だった。前の日から緊張で眠れなかった。何を話そうか何を着ていこうか喫茶店のあとはどこに行こうかそんなことばかりを考えていた。背伸びしていた1984年さて、今日もがんばりますか1984年

  • 80年代

    80年代を美化する番組が多い。「生きやすかった」と伝える人たちも多い。しかし、何事も表裏一体だ。80年代は、今よりも治安が悪かった。私が中学生ぐらいのときは、街に行くと、よく「カツアゲ」と言われる恐喝もよくあった。街には不良が溢れ、喧嘩や小競り合いもよくあった。公園では集団の乱闘もあった。学校対学校でケンカをする時代だった。また、街には吸い殻が溢れていた。空き缶もよく落ちていて、今より街も汚かったように思う。反対に今、街で恐喝にあう機会はほとんどないだろう。防犯カメラと人の目の監視、加えて誰もが画像や映像を撮影できる時代証拠はすぐに保存され拡散される時代治安はよくなったが、生きにくい時代かもしれない今日も一日が始まる。80年代

  • 恨みとの付き合い方

    仕事をしていると理不尽な怒鳴られ方をすることがある。お客様という関係を利用して、攻撃される。もう30年近く働いているが、何度経験してもメンタルに来る。相手に復讐したいという衝動が溢れてくる。相手の住所も電話も名前もわかってるときは、何とか相手に仕返ししたいという思いが日々継続する。どのぐらい時間が経つと許せるのだろうか。私はとことん復讐する方法を考える。実行しないが、とことん考えているとだんだん面倒くさくなる。そのうち、恨みも消えていくことが多いようだ。それでも完全には消えない。だから、人を攻撃すると、その恨みは残り続けるということ。恨みを買うような言動はしてはいけない。恨みとの付き合い方

  • 日曜の夜

    日曜の夜、一人で映画に出かけた。映画館を出ると夜9時を過ぎていた。緊急事態宣言で街は暗闇に包まれていた。人々のため息が聞こえてくる。日曜の夜、サザエさんのエンディングを聞くと、憂鬱になると新入社員が話していた。いつの時代も変わらないんだなあという思い新人さんはこの時期みんな覇気がない。転職サイトを見ているにちがいない。今日はそんな新入社員に研修で話をする。乗り越えた先輩として、あの経験があったから・・・そんな話はしたくない。新人は出社しているだけで100点だということ研修を受けられているみなさんはすごい優秀だということだから優秀さをつぶさずに会社は支えていく日々の小さな幸福感を感じられる生き方仕事以外の充実さこんなことを伝えていく日曜の夜

  • 帰る

    腹が立ったから帰る。そればできないから、会社を離れて、クールダウン。このままだと誰かを怒鳴ってしまいそうなので・・・帰る

  • 当たり前の日常の風景

    当たり前の日常が戻る前に続々と店が閉店している。私の街も繁華街のビルの看板がめっきり少なくなった。ここは何のお店が入っていたのかという感覚になる。仕事が終わり、仲間とお酒を飲んでいた風景が消失した。私は一人で夜の街を彷徨うのが好きだった。馴染みの居酒屋と色気のあるお店のセットで癒されてきた。そんな日常はいつ戻るのだろうか。当たり前の日常の風景

  • ラストシーン

    恩師の葬儀でかつての同僚だった女性と再会した。私と同じ54歳彼女は結婚して退職した。24年ぶりの再会だった。彼女とは付き合うというような関係ではなかったが、食事やお酒を飲みに行くことがあった。私は好意を抱いていた。知的で優しい女性だった。「出世したんだったね。社長も夢じゃないよね」と優しい言葉をかけてくれた。出世か・・・その言葉が何だか心に残った。出世はしたが失ったものもある。それは「優しさ」だ。偽の優しさをふるまいながら日々生きている自分今日も一日が始まる。ラストシーン

  • 号泣

    恩師の遺体を前に私は号泣した。その理由は恩師の死ばかりではない。自分の情けなさ、不甲斐なさからだ。「お客の立場になって考えろ」「外見や身なりでお客を判断するな」「商売とは、弱者の味方になってあげること、貧乏な人にこそ誠実に接しろ」「仕事ができない人の視点に立って仕事をしろ」「華やかな人たちばりに目を奪われるな」こんなことを新入社員の私に叩き込んでくれた。部長となり、日々、問題なく、自分に責任が来ないように避けるスキルばかりが上達している自分自分は本物ではないことは痛切に感じている。恩師と酒を飲みながら、理想の会社について熱く語り合ったあの頃の自分自分の不甲斐なさ、狡さに申し訳なく、恩師の遺体の前で号泣してしまった。恩師は何も語らない。いや今の私には何も語りたくないことだろう。今日も一日が始まる。号泣

  • 恩師の死

    新聞のお悔やみ欄に恩師の訃報が掲載されていた。私がこの職業に就く恩人となった人だ。30年ぶりの再会だった。私に仕事の基本を叩き込んでくれた。本物とはプロとは何かを教えてくれた。その顔をみたら、号泣してしまった。奥さんと娘さんに、恩師のようになりたいと思って、仕事を続けてきたことを伝えた。「主人も喜んでいますよ」と言ってくれた。今年の年賀状に「あなたは義理を欠かさないいい男だね。今の立ち位置は大変だろうが登りなさい」と一筆添えてあった。今でも私は「こんなときは○○さんだったらどうしているだろうか」という視点で考えている。今日も一日が始まる。恩師の死

  • 耐えるしかない

    馴染みの居酒屋に夕方に顔を出した。メニューから刺身が消えていた。生ビールを注文したが、瓶ビールしかないと言われた。経費をギリギリまで詰めて営業している。焼き鳥を注文した。いつもは大きな肉だったが、その肉の半分くらいの肉になっていた。店主は、もう閉店するしかないと言っていた。何とかならないのか。テレビからは、オリンピック開催に向けてのニュースが無神経に流れていた。この国は確実に優しくない方向に向かっている。耐えるしかない

  • 働かせていただけることに感謝

    今週は月曜日からトラブル処理に追われ、早朝5時に出社して対応策を練った。結局この日は夜10時まで会社にいた。18時間会社にいた。一週間がとてつもなく長く感じられた。明日からの休日がうれしい。忙しいからこそ、休日の有難みがわかる。働いているからこそ、休日の有難みがわかる。20代の頃、毎日が休日という荒んだ生活をしていた。腐った時間を過ごしていると、人間性までも腐りかけていった。あの時代があったからこそ、働かせていただいていることに感謝の思いを持てる。今日も一日が始まる。働かせていただけることに感謝

  • 怒りをぶつけられたとき

    怒りへの対応スキルが今の社会では必須になっている。あちこちでクレームや怒りへの対応にあたっている。私の部署でもそうだ。怒りを他人にぶつけてくる人は、何かしらのストレスや不安、悩みを抱えている。自分のたまった負の感情をぶつけるために、何かしらの着火点を探している。「怒っている人の本質を見守る姿勢」という視点で接してみる。それでも怒りをぶつけられたときは、ストレスを感じるが、怒っている人の弱さを少しだけ感じられると相手に寄り添う姿勢が芽生えてくる。今日も一日が始まる。怒りをぶつけられたとき

  • 楽しいこと

    自分にとっての楽しいことは何だろう。1日15時間近くは会社にいる。しかし、そんな忙しい中でもジムには通っている。精神的な疲労が蓄積するほどに体を鍛えている。筋トレしているときに、ストレスが解消される。昔は余暇に体を鍛えている人の心情が理解できなかった。今は痛切にわくわかる。仕事に真剣になればなるほど、余暇は体にいいことをしている。若いころは、仕事のストレスを酒とギャンブルで紛らわせていた。さて、今日も夜はジムに行きますか。楽しいこと

  • 淡々と生きる

    企業のトップに立っている人の立ち居振る舞いは、毎日、同じように安定している。感情のバランスを崩すことがない。それに比べて、私は感情の起伏が激しい。他人の言動に怒ったり、不機嫌になったり・・・反対に何かいいことがあると、ニコニコして人に話しかけたり・・・何があっても同じ雰囲気でいなけばいけない。今日も修行が始まる。淡々と生きる

  • わからなくなる

    54歳にして自分の気持ちがわからなくなる逃げたしたくもなるしかし、ここまで何とか来たまだまだ・・・・・月曜日の夕方、今日も遅くなりそうだわからなくなる

  • たかじんの歌を聴きたくなった

    冷たい雨の降る日曜日の夜誰もいない街を彷徨い歩いていた。緊急事態宣言が延長され、街には人影は見えなかった。冷たい雨が厳しさを倍加させた。たかじんの歌を聴いていた。「明日になれば・・・その日その日のすれすれ暮らし・・・」詩が心に哀しく突き刺さった。前を向いて生きるしかない。家族のためにも・・・今日も一日が始まる。たかじんの歌を聴きたくなった

  • 情報収集・選択・判断

    重要な決断を迫られている。これにより私の部署の命運が左右される決断だ。情報収集し選択し分析しているが最後の判断に迷いが生じる。どちらを選択してもリスクはある。最後は自分の責任で攻撃的な選択をする。保身に走るな。攻めていく。胃のあたりがキリキリと痛む。プレッシャーの仕事をさせていただけることに感謝して・・・。今日も修行が始まる。情報収集・選択・判断

  • 個室の部屋を目指して

    私の前には100人ほどのスタッフの席がある。昇進すると次は個室が与えられる。部長から取締役への道程50代を半ばを迎え、個室に行けるかどうかのターニングポイントを迎えている。熾烈な出世競争の渦の中にいる自分問題がないようにできるだけ自分が火の粉を浴びないようにそんな保身に走りそうになる自分しかし腹をくくれ体を張って部下を守ることもしなくてはいけない。戦略的な誠実なずる賢さが必要だ。今日も修行が始まる。個室の部屋を目指して

  • 80年代

    80年代のアイドルが主演していた映画がCSで放送されている。最近、ぼんやりと見ている。80年代、自分にとっては中学生であり、高校生であり、浪人生であり、大学生でもあった時代だ。夢を追いかけ、挫折をして、歳を重ねていった。80年代の懐かしいファッションと流行したものを観ながら多感で敏感だったあの頃の感性を思い出している。54歳を迎え、変わっていく自分の中で変わらずに自分を大切にしていきたいと思っている。午後からの仕事が始まる。80年代

  • イライラするな

    イライラしているなあ焦っているなあ思い通りに進めようとしているなあこれではペースが乱れるわけだイライラしていて、信頼されるはずがない昨日、テレビに大友康平と渡辺美里と中村あゆみが出演して歌っている番組を見た80年代の懐かしい曲だったつまらない大人になりたくないと思っていたあの頃イライラしてたつまらない大人になっている自分前向きに生きなくてはイライラするな

  • 感情的になるな

    何か問題が起こると、それを余計に大きくしたがる面倒な人がいる。役職から外れ、定年間近な人に多い。トラブルや不幸は蜜の味というが、そういう人は組織には必ずいる嫌な人だ相手にしないさて、一週間が始まる。感情的になるな

  • 週末は何をしますか

    忙しい、疲れる、仕事が多い、次々に襲ってくる苦難・・・こんな日々の繰り返しだが、それでも何とか生き延びていることに感謝だ。さて、週末を迎える。一人を楽しみ、一人の時間に癒され、回復をする。週末は何をしますか

  • 顔を見て話していますか?

    忙しいと相手の顔を見ないで、パソコンを見ながら、話を聞いている自分がいる。苦手な人から話しかけられると、視線を合わせないで、話している自分がいる。どちらも自分が無意識にやってしまうことだ。相手の顔を見て話すぐらいの余裕がなければ、人の上に立つ資格はない。今日も修行が始まる。顔を見て話していますか?

  • イライラするなよ

    世の中みんながイライラしている。人に攻撃的な言動が日常で飛び交っている。自分はイライラしないで、人の話を丁寧に聴いて対応していく。話しかけるなオーラを出さないで生きていく。今日も一日が始まる。イライラするなよ

  • 休業しない店

    街が暗闇になった。ほとんどの店が休業していた。しかし、その中でも一軒の居酒屋から灯りが灯されていた。店の中から感情を押し殺した硬い表情の店主が見えた。今日も一日が始まる。休業しない店

  • 何もないけど幸福感を感じる時

    先月の超過勤務時間は110時間を超えていた。30代からずっとこんな感じだった。200時間も超えていた時代もあった。そんな時は会社に泊まったり、家に帰らずに近くのサウナに泊まったりしていた。感覚が狂っていくことに、やりがいを感じていた頃だ。家庭なんか顧みたことはなかった。子供の運動会も仕事優先だった。しかし、ふり返ってみると充実感はほとんどない。というか、虚しさが50歳を過ぎるころから駆け巡るようになった。54歳となる今、たいしていいこともないが、それなりの日々を送っている。何もないことが幸せなのだと感じている。何もないけど幸福感を感じる時

  • こんな時だからこそ

    街に緊急事態宣言が発せられた。今朝、寂れた夜の店が集まる街をウォーキングしていたら、シャッターに「要請により〇日まで休業します」と貼り紙が多数あった。コロナ禍のこの一年で大打撃を受けた夜の街への最後通告のような今回の休業要請・・・。もうほとんどの店は持たないだろう。私もこの一年馴染みの夜の店には一度しか行っていない。その一度も飲まないでボトルだけを入れてお金だけを払ってきたという5分ほどの行為だけだ。いつもは月に二回は寄っていた店一人で夜の街を彷徨うことで、何とか癒されていた心のバランスがなくなった。味気ない日常になった。寂れたネオン街が好きだったのに・・・。その寂しさを埋めるためにジムに通いだした。しかし、こんな健全な日常は自分には適していないと薄々感じながら生きている。いつかはこの危機も収まるだろう。しかし...こんな時だからこそ

  • 会社には近寄るな

    9時からのミーティングで部下に話す。「週末は会社には近寄るな。思い切り休養にあててください」私の年代は休日出勤も当たり前だった。会社に顔を出すのが習慣化となっていた。しかし、今の若い世代にはそれはだめだ。休日も会社に出てくるような体質の会社はこの先生き残れない。今日も修行が始まる。会社には近寄るな

  • 乗り越えることで・・・

    苦情に対しての情報が寄せられた。すぐに対策チームを組織し、陣頭指揮を執った。情報を集約し、解決の目指すゴールを全員で確認した。役割分担を入念に決定した。このように言われたら、どう答えるという想定問答を全員で確認した。緊張感の溢れる時間だった。相手と担当者が直接会った。そのやり取りをモニターで全員で見守っていた。何かあったら、すぐに次の担当者が入る段取りをしていた。最初の担当者が実に見事に相手との関係を構築した。相手はこちらの対応に誠意を感じ、笑顔で帰っていった。約10人の対策チームのメンバーみんながほっとした。こんな状況下でなければ、みんなで飲みに行きたかった。乗り越えることで社員の意識と結束力は高まる。「失敗したら全て私の責任です。だから、みなさんは思い切って行動してください。但し、誠実さが前面にでるような言...乗り越えることで・・・

  • いかに人をやる気にさせるか

    昨日の夜は街をウォーキングした。夜景を見ながらのウオーキングでいろいろなことを考えた。4月から新しいメンバーでのスタートになった。約100人いるチームをまとめるためのことを思案していた。結論は「いかに人をやる気にさせるか」ということ。先日、各部長級クラスが集まり会議が行われた。この一年の計画を発表した。どれもがすばらしい計画だ。しかし、会社の業績はそんなに変化していない。どんなに立派な計画を作成しても、それを実行することができるかだ。結論は、人をいかに動かすことにかかっている。部下のモチベーションを上げて、やる気を出させること今日も修行が始まる。いかに人をやる気にさせるか

  • 5月10日月曜日 新入社員のみなさんへ

    連休が終わり、重い気分で出社してくる人がほとんどの今日自分も何だか朝からやる気が出ない。就職して28年目を迎えるのに、毎年、連休明けはこんな気持ちで仕事をしてきた。それでもここまで続けてこれるのだから、新入社員の人たちには自信をもって気怠い雰囲気で仕事を再開してほしいと思う。いつも元気にはつらつと仕事をしている人なんて、凡人にはできないわけだから、いかに続けられるかということを念頭に仕事をしていってほしいと思う。仕事は生計を維持するための我慢料という報酬を受け取ることが最大の目的で、それとともにごく稀に評価されたりしてモチベーションがあがるのだ。ということで、連休明けの新入社員をあたたかく守っていきたい。5月10日月曜日新入社員のみなさんへ

  • 自分の弱さ

    自分は弱い弱いからこそ、徹底的に準備する。弱さを認め、そのために執拗な努力を積み重ねるここまで何とかやってこれたのは、弱さに正対したから今日も弱さに向き合い、生きていく自分の弱さ

  • 這いつくばりながら

    ここまで図々しく生きてきたここまで何とか生き残れた私の会社員としての人生も最終コーナーに入った這いつくばってでもたどり着いてやる最後は執念だ昭和42年生まれの皆さん、がんばりましょう這いつくばりながら

  • 言葉

    相手から面倒な業務や案件を持ち込まれたときに自分は表情や言葉がきつくなる。心の中の感情がストレートに伝わるのが悪い癖だ。自分の発した言動が相手にどう伝わるかを意識しないとこの先出世できない。ここが個室をもらえる役職に就けるかどうかのターニングポイントだ。もう相手を言動で威圧する時代は過ぎ去った。何かあればすぐにパワハラという言葉が社内を飛び交う時代。出世している人は、みんな一流の演技者ばかりだ。したたかで、ずる賢くて、計算高い。このあたりの術を身に付けなければ・・・。自分の言動で相手がいい感情を持ってくれるようにしなければ・・・。今日も一日が始まる。言葉

  • 横顔

    26歳の頃、付き合っていた女性と再会した。私の勤めている会社の掃除のパートとして働いていた。どこかで見たことのある横顔だと思った。名前を見て、若いころの記憶が蘇った。性格の良い優しい女性だった。当時の私は定職にも就かない荒んだ生活だった。それでいてプライドが高く、世の中を小馬鹿にしていた嫌な男だった。彼女との付き合いは三ヶ月ほどだった。別れた理由は私に別の女性ができたという最低なものだった。彼女と別れてから一年後、私は今の会社に入社した。彼女から手紙が届いた。「やっと念願の職に就けましたね。お体だけは大切にしてください」という真っすぐな言葉が書き記されていた。あれから28年・・・。彼女は私に気づいていることだろう。今日も一日が始まる。横顔

  • ロンリーバタフライ

    23時過ぎに帰宅した。遅い夕食を食べながら、何気なくつけたテレビからレベッカのローンリーバタフライが流れてきた。夕食を食べるのも忘れてその映像に釘付けになった。衝撃的なうまさだった。そして歌詞もメロディも魂に響いて来る。80年代の映像がさらに心に染みた。疲れ切った心と体の54歳を目覚めさせてくれた。今日も遅くなりそうだ。ロンリーバタフライ

  • 言動

    人の前で他人の悪口を言う人が多いなあ。またそういう上司もたくさん見てきた。自分の評価を下げる言動とにかくマイナスの感情を人にはぶつけないことだ。今日も一日が始まる。言動

  • 春だなあ

    54歳の春を迎えた春といってもたいした思い出はない。私の若いころはトレンディドラマというのが流行っていた。お洒落なバーでお酒を飲んで、ブランドの服を着て、綺麗な会社で働いて、みんな恋愛に夢中なドラマばかりが世の中に溢れ出ていた。私は当時は20代前半だったが、そのドラマのほとんどをタイムリーでは見ていなかった。そんな綺麗な世界が苦手だった。私の落ち着く空間は、パチンコ屋と場末のスナックだった。20代はこの二つにお金と時間を費やした。そういった人たちとの付き合いで学んだことが、今のキャリアに生かされている。胡散臭いコミュケーションスキルを学び、それが会社でも生き残る源となった。難しい案件を処理する能力が高いと言われるのは、20代のときに身に付けた財産だ。今日も世の中に流されず自分なりに生きていく。春だなあ

  • つくり笑い

    54歳を迎えた。4月の日曜日、一人会社に出社している。誰もいないオフィスが妙に居心地がよい。私の机から、6人グループの机の塊がオフィスの後ろまで並んでいる。総勢100人ほどの部をまとめていくのが私の役割決断の連続の日々部長になって七度目の春を迎えた早く個室が与えられる役職に就きたくて毎日つくり笑いをしながら生きている。渡辺美里の「この先10年も・・・」という歌詞が脳裏に浮かんだ。この先の10年もつくり笑いをしながら必死に生き続けていくのだろう。やるしかない負けてたまるかつくり笑い

  • つまらない男

    排他的でせつなくて自堕落な生き方が大好きだった。陽の当たる場所は落ち着かなかった。寂れた商店街や季節外れの観光地が好きだった。冬の海が好きだった。そんな歓声が少し方向転換してしまったようだ。仕事が終わるとスポーツジムに行き汗を流す。おしゃれな空間で集う人たちも経済的に余裕がありそうな人たちだ。昔はパチンコ屋や競輪場の人ごみが落ち着いた。その日暮らしの勝負をしている人たちが大好きだった。つまらない男になってしまったのだと感じている。つまらない男

  • 劣等感

    私は若いころからコンプレックスが強い。劣等感の塊のようなタイプだった。それでいて変にプライドが高いという嫌な性格だった。しかし、この劣等感があったからこそ、ここまでこれたのも事実だ。人の何倍も働いた。朝早くに出社した。休日も働いていた。働き方改革なんて言葉がない時代けど、不器用だからこそ、人の何倍も働くしかなかった。綺麗事だけで出世している人はいない。努力しているところを出さないようにしているだけ。今の若い人たちに伝えたいことは、成功している人はみんな人の何倍も働いてきた人ばかりということ。それを乗り越えで、働き方改革をしているということ。人生において負けたくないなら、人より働くしかない。しかし、今の時代は、最短距離で勝ち抜く方法を模索する必要がある。根性や量といったものでは勝負できない時代さて、今日も一日が始...劣等感

  • 雨の街

    少しだけ雨が降っていた。昨日の夜、雨の街を散歩した。街は閑散としていた。歩くといろいろなことがリセットされる。雨と夜の街が疲れた心を癒してくれた。今日も始まる。雨の街

  • 変化する勇気

    50代で身を滅ぼす人を見ていると、自分を変えられないというキーワードがある。酒の飲み方人への接し方オフの過ごし方体との付き合い方若いころからの生活習慣をそのままにしていると体は悲鳴は上げる。または心が壊れてくる。これだけストレスフルな社会になると、昔のような過ごし方では生きていけない。自分が潰れてしまう。しなやかさがなければ生きていけない時代変化する勇気

  • 深酒

    若いころは休みの前日は過度な飲酒をしていた。酒は酔っぱらうまで飲むのが当たり前だった。50代を過ぎてくると、前の日の酒が残り、翌日の一日に大きなダメージを与えるようになった。その頃、ウォーキングを始めた。朝の散歩がこんなに気持ちいいことを知った。今はお酒は週に1回、適量にしている。先日、お酒を2週間飲まなかった。体の調子が良く仕事のパフォーマンスが上がった。お酒を飲まないと心も体もこんなに調子がよくなることを実感した。今年54歳、自分の体のメンテナンス法も変えていかなくては・・・。さて、今日も夜のトレーニングの時間を楽しみにしてがんばりますか。深酒

  • 恨み

    人を平気で怒鳴る人がいる。顧客でも客ということで威張り散らす人がいる。そんな人たちに共通していることは悪相だということ人の恨みを買い、妬み・嫉妬に渦巻いた人たちには独特の雰囲気が蔓延している。そんな人たちにはなりたくない。恨みはいつか自分への攻撃や仕返しという方向で自分に向けられる。恨み

  • みんな抱えて生きている

    昨日、新人の女性が上司から指導されて泣いていた。パワハラとかいうものではなく、適切な指導だった。しかし、彼女は自分のプライドとか自尊心が傷つけられたのだろう。また、失敗をした自分を認めたくなかったのだろう。みんなが通る道、がんばれ!私もがんばる。みんな抱えて生きている

  • 調子に乗るな

    部下への配慮が何よりも必要相手の立場に立った伝え方を徹底的に意識せよそれができなければ信頼される上司にはなれない。あとは調子に乗らないこと淡々と誠実に日々生きること調子に乗るな

  • 伝え方

    部下の仕事ぶりを指導した。誠実さと優しさと、それでいて毅然とした態度が求められる。難しい。伝え方

  • 「あなたのあの日の夢を・・・」

    4月のこの時期になると今井美樹の「思い出しただけ」が聴きたくなる。「あなたのあの日の夢をかなえたかしら・・・」浪人しているときに付き合った女性がいた。日曜日の夕方に近くの公園でよく話をしていた。私の夢の話を好意的に聞いてくれる優しい女性だった。部屋に戻ると、当時流行っていた今井美樹のアルバムをよく聴いた。この曲はそのアルバムの中に入っていた。隠れた名曲だった。あれから33年・・・「あの日の夢」は何だったのかなあと思う。「つまらない大人」にはなりたくないと言っていたけれど、当時、嫌がっていたつまらない大人の生き方を必死でしている今の自分。生きるため、お金を稼ぐため、家族のため、必死になってつくり笑いをして生きている。負けてたまるか「あなたのあの日の夢を・・・」

  • 今年で54歳かあ

    もともとぱっといいこともなかった人生。多分これからもそんなものだろう。54歳になったという実感はあまりない。昨日の夜、「ハイポジ」というドラマを観ていた。80年代のあの頃の色彩が懐かしく感じた。さて、がんばりますか。今年で54歳かあ

  • 4月1日

    4月1日を迎え、新入社員、転勤してきた人たちが交わり、職場は賑やかだ。私の部署にも10人ほどの人の出入りがあった。そんな光景を部長として、あたたかく見守る雰囲気を出しながら、内面は冷めた感情で見ている二面性の自分がいる。本音でもし声を掛けるとしたら、「自分を大きく見せようとするなよ」ということだろうか。私は仕事ができる。私は力がある。私は能力が高い。私はコミュニケーション能力が高い。私は○○の知り合いだ。こんな雰囲気を蔓延させ、その後、苦労している人をたくさん見てきた。誠実さと優しさがこの時期には何よりも大切だ。4月1日

  • 優しさだけでは生きていけない

    いよいよ今日で退職をする人や転勤をする人がいる。昨日、かつて嫌がらせをさせていた人と会った。彼は定年退職を迎える。何人もの人に嫌がらせをして、苦しめてきた人だ。その被害にあった人は、10人ぐらいになる。不幸にして、退職した人もいる。心を病んだ人もいる。そんな人たちの犠牲によって、彼の仕事は成り立ってきた。そんな彼を許せないと思う人は会社の中にたくさんいる。私は彼を許せずに、途中から報復を試みた。泥仕合のような醜い戦いだった。戦いはどちらも疲弊し傷を負ったままで終結した。時には、許せずに、戦わなければいけないときもある。優しさだけでは生きていけない

  • 会いたいときにあなたはいない

    現実逃避をしていた。あまりに仕事量が多く、今晩は夜12時を過ぎるだろう。休憩中にYouTubeで昔のドラマを観ていた。中山美穂主演の遠距離恋愛をテーマにしたドラマ。付き合っていた彼女と遠距離恋愛になったころを思い出していた。スマホもなかったが、何だかいい時代だった。電話をかけても、相手がいないことが多かった。それが切なさと思いを増長させた。少しだけ元気が出た。さて、あと二踏ん張りぐらいするか。会いたいときにあなたはいない

  • 僕の中の・・・

    昨日は夜11時に帰宅した。あまりの業務量の多さに心身共に疲弊している。ソファに寝ころびながら、予約してたまっていた番組を眺めていた。渡辺美里の2020年のコンサートビデオを見た。懐かしい楽曲が心に染みた。「僕の中のロックンロール、帰り道はいつも・・・」この歌詞が疲れた心に染みた。聴き終わると自然と涙がこぼれていた。今日もがんはるのみ。僕の中の・・・

  • 今年で54歳になる

    怒涛の忙しさだ。土日も出勤していた。それでもまだやることは山積みしている。今年で54歳になる。54歳の春・・・たいしたいいこともない。淡々と時が流れている。がんばれ自分、そして昭和42年生まれの人たち。今年で54歳になる

  • 許すということ

    若いころに、いじめられた先輩が退職する。私が30歳ぐらいのころ、同じ部署に配属になった。まあまあ、しつこい性格で、いろいろなことで絡まれた。よく、人を許しなさいということが、啓発本でも書かれているが私は今でもその人のことは、許せない。しかし、いつかこの人より、自分の地位が上に立ってやるという強烈な復讐心が今の私を創ってくれた。昇任していくうちに、次第に彼のことは脳裏から離れていった。今でも「許せない」という感情は消えないが、もう終わったことという想いがあるのも確かだ。結果的にあの人に意地悪をされたことで、自分は仕事を頑張るようになった。一番の復讐は、その人より出世したり、成功したり、幸せになることなのかもしれない。許すということ

  • 鈍感になってはいけない

    27年前、平成6年に入社した。この会社に入ることがうれしくてたまらなかった。両親も喜んでくれた。27歳の春だった。やっと就職が決まった。あの働けるという喜び希望していた職種に就けるという喜びしかし、年を重ね、日に日に働かせていただけるということに鈍感になっていくもう一度初心を思い出してこの会社に尽くす鈍感になってはいけない

  • 別れ際

    転勤、退職のシーズンを迎えた。みんなに嫌われていた取締役が退職する。在職中は、部下をいじめ、暴言を吐き、誰からも嫌われていた。しかし、人事権を持っているので逆らえなかった。醜い表情をしていた。意地悪で姑息な性格だった。自分より弱者には、攻撃的だった。自分より強者には、媚をうって生きていた。先日、彼のもとに挨拶に行った。「ご栄転のポジションには行けなかったな」と嫌味を言われた。最後まで嫌な奴だった。「やっといなくなる」という会話が彼の部署から盛んに聞かれるようになった。最後まで部下から嫌われて終わるサラリーマン人生・・・反対に出世はしなかったが、お忍びで挨拶に来る人たちが後を絶たないベテラン男性がいる。部下の失敗は自分がかぶり、成功は周りの人たちのおかげにしてくれる。懐の深い優しい男性だった。挨拶に行くと「力入り...別れ際

  • 出世するほど絞っていく

    出世しそこそこの収入を得ると、途端にお腹が出てきて、ブランドの装飾品を身に付ける人たちがいる。みんな顔には驕りが表れている。私は反対のような生き方を目指す。体は鍛え、絞り、服や装飾品は控え目にしていく。そんな上司になっていきたい。出世するほど絞っていく

  • あーあー

    休みたいという思いが月曜日の昼から脳裏を横切る。疲れた、休みたい、憂鬱だあ、こんな思いが満ち溢れている。しかし、この大変さが生きるということ。昭和42年生まれ、今日も何とか生きている。負けてたまるかあーあー

  • 休日

    土曜日の過ごし方6:00起床6:30~7:30海沿いの道をウォーキング10:00~12:00映画館で映画鑑賞12:30蕎麦屋で昼食14:00~16:00家の掃除17:00~18:30ジムでトレーニング20:00~22:00家族で外食(焼肉屋さん)22:30就寝日曜日の過ごし方6:00起床6:30~7:30繁華街の街の中をウォーキング10:00~12:00買い物・本屋13:00コンビニで買ったもので昼食13:30~15:00昼寝16:00~18:00映画館で映画鑑賞18:30~19:30温泉19:30~20:30整体で体をほごす21:00夕食22:30就寝自分なりにリフレッシュできた。さて、今週もボチボチがんばりますか。休日

  • そこそこの幸せ感

    50歳を過ぎ、人生のだいたいの勝敗はついた。すごい金持ちにはなれなかったが、それほど貧しくもない。すごい美人と結婚しなかったが、気持ちの優しい妻と一緒になれた。娘にも恵まれた。二世帯住宅を建て、親孝行できた。そこそこの幸せ感のある人生になった。あとはなあ、取締役等のいわゆる重役になれるかどうかということだ。厳しい出世レースの中で、日々、苦しみながら生きている。ストレスとプレッシャーがこれでもかというぐらいに毎日襲ってくる。けど、この苦しみがあるから、人生は味わい深い。今日も一日が始まる。そこそこの幸せ感

  • 器が出る場面

    上司に判断を求めたら、冷たく嫌味を言われた。「なんで」「だから」「どうしてほしいの」そんな言葉ばかりを発してきた。そして最後に「俺、もう帰るわ」という捨て台詞を残していった。こんな人に使われてきたかと思うと情けなくなった。彼はもう少しで定年退職だ。きれいな終わり方をすることができない哀れな人だ。自分はどんな生き方をしていくのか。器が出る場面

  • いつかを信じて・・・

    街の歌が聞こえてきて・・・真夜中に恋を抱きしめたあの頃・・・高校生の頃、佐野元春の「Someday」をテープが擦り切れるほど聴いていた。ちょうど好きだった彼女に失恋したころだった。1984年の秋だった。あれから37年が経過した。高校時代の親友とも年に数回電話で話すぐらいだ。あの頃、同じ時間に同じ思いで遊んだ友が懐かしく思えてきた。みんな必死になって生きているに違いない。自分も頑張らなくては・・・今晩は「Someday」を聴きながらジムでトレーニングをしよう。いつかを信じて・・・

  • 自分を勇気づけてくれた曲

    1986年3月、私は二年目の浪人が決定し、一人都会の予備校へと旅立った。失意と絶望のどん底だった。新幹線の中ですれ違う大学に入る人たちの表情は輝いていた。それら比べて私の表情はどす黒く、妬みと嫉妬に満ち触れていた醜い表情だった。あのとき車内で聞いた曲が渡辺美里のMyRevolutionだった。自分に勇気を与えてくれた。結局私は二浪目を何とか乗り越え、地方の国立大学に進学した。今朝、車の中でこの歌を聴いてきた。まだまだがんばれるそんな思いになった。昭和42年生まれの皆さん、大切な曲を時々聞いてみる心の余裕はありますか?私も疲弊していてそんな余裕すらない日々を過ごしていますが・・・がんばりましょう。自分を勇気づけてくれた曲

  • 53歳の感謝

    働く場所があることに働ける仕事があることに感謝して生きないと・・・今の生活ができるのは、働いているから・・・さあ、今週もがんばっていきますか。昭和42年生まれの方々、モチベーションをあげていきましょう。今朝、ラジオからレベッカのロンリーバタフライがかかりました。名曲ですね。心がぎゅっと締まりました。53歳の感謝

  • 悔しさ

    32歳の時に異動の内示を受けた。希望先とは違う部署だった。それも地方の営業所だった。「私は君の人事に尽力したが、君の評価は低いみたいだ」と上司に言われた。悔しくて外に出た。公園の噴水の所で途方に暮れていた。今でもあの時の上司の勝ち誇った顔が忘れられない。あの悔しさを胸に今日も仕事に励む。負けてたまるか。悔しさ

  • 生きるって戦いなんだ

    去年までは繁盛していた店が閉店した。老朽化していた建物はすぐに更地なった。その更地を呆然と眺めていた初老の男性がいた。店の経営者の男性だ。体が小刻みに震えていた。生きるのは戦いなんだと改めて感じた。今日も一日が始まる。生きるって戦いなんだ

  • 置かれた場所で咲くしかない

    昨日は夜の寂れた繁華街をウォーキングした。街には、「休業」「閉店」の張り紙がたくさん貼られていた。感染症がいかに人々の生活に暗い影を落としたのかを改めて感じた。私はそんな中を悶々と歩いていた。自分が理不尽と感じる会社の人事への不満を考えながら一人街を彷徨った。53歳の男が・・・今までの人生のいろいろな場面を思い出していた。「置かれた場所で咲くしかない」昔、読んだ一節を思い出した。そう、グダグダ言っても始まらない。このプレッシャーと不満の渦巻く場所で生きるしかないのだ。今日も一日が始まる。やるしかない。置かれた場所で咲くしかない

  • サラリーマン

    53歳のサラリーマンの皆さん新年度の人事はどうでしたか?私は前例のない人事となりました。普通なら他の部署に異動になるのに・・・私は同じ部署になりました過去の人事では例のないことですなぜ、私が・・・そんな思いで頭がいっぱいでしたが、やるしかありません。理不尽なことに耐えるのがサラリーマンの宿命あと10年もすればリタイアし、この傷が風化されるのではないでしょうか腐らずに生きていくこと昭和42年生まれの方々、おそらく、理不尽に耐えながら仕事をしている人が多いと思います。共にがんばりしょう。ここまで図々しく生きてきたんです。これから何とかなります。サラリーマン

  • 人事とは

    人事とは理不尽なものなり真面目に働いていても報われない時もあるしかし、腐ってはいけない耐えなければ・・・全ては生きていくために・・・みんなが納得する人事なんでないのだから・・・わかっているが心が痛む負けてたまるか人事とは

  • 月曜日の朝

    今週も始まるのかという思いしかし、こんな時代に仕事があることそれも激務だそして部長職だ会社の業績も好調を維持している大変な事案は抱えているが、それでも死ぬようなものではない週末もそれなりに休めているジムにはほぼ毎日行くことができている土曜日の夜は妻と外食を楽しんでいる映画も月2本は見ることができているお気に入りのマッサージ屋さんにも行くことができているそれなりに幸せだその幸せに感謝しながら生きていこう月曜日の朝

  • 我慢の代償

    若いころは、楽しんで仕事をする職に就きたいと思っていました。しかし、53歳の現在、私は仕事とは、「我慢の代償としてお金を稼ぐこと」だと思います。我慢、我慢、我慢、ひたすら耐え忍んで・・・心身共に擦り減らしながら・・・そうやって働き、お金を稼ぎ、家族を養い、生きています。今日もがんばります。我慢の代償

  • 仕事では常に敬意を払え

    「マウントを取る」という言葉がよく使われます。また、「マウントを取りたがる人」が多いと感じます。しかし、私は仕事では常に相手に敬意を払う必要があると思います。常にへりくだって、相手に気持ちよくなってもらうことが大切だと思います。しかし、これは非常にストレスがたまります。だから、私は「仕事」と割り切っています。プライベートでは絶対に会うことはないと思う人とは、とにかく「仕事」と割り切っていた部分があったから、誰とでも話すことができています。今日もその仕事が始まります。仕事では常に敬意を払え

  • 部長とは

    部長になって6年最初は30人ほどの部署に3年その後、100人ほどの部署に配置され現在に至る部長になって6年の歳月が流れたこの6年間、自分なりに学んだことは、部長とは、常に周囲に気を配っていなければならない職業だということ心身共に激しく消耗するしかし、やるしかない負けてたまるか部長とは

  • 胸が苦しくなることがある

    常に決断の連続だ。対処の難しい案件が山積している。胸のあたりが苦しくなってくる。ストレスが相当たまっているんだと感じる。感情的に向かってくる人と対峙していると、次第に自分の心がダメージを受けている。「スルーする術」なんか何年働いていても見つからない。働くということは、この胸の痛みと共存共栄していくということ。今朝も何だか胸が苦しい。昨夜も質のいい睡眠ではなかった。けど、昭和42年生まれの人は、こんな思いをしながら生きている人がたくさんいるのだと思う。責任のあるポジションに就いている人たちが多い。私の友達もみんなこの「胸の痛み」を感じながら生きている。一人じゃないんだ。がんばろう。昭和42年生まれ。胸が苦しくなることがある

  • 懐かしい場所

    かつて私が働ていた部署を訪れた。30代のころ、7年間お世話になったところだ。スタート時に大失態をして、周囲から「大丈夫か?」と思われた。自分もこんな部署では働きたくないとずっと思っていった。しかし、自分はこの部署でキャリアアップのきっかけを作ってもらった。一番嫌だったところが、自分の人生の土台を創ってくれた。あの頃の経験が生きている。嫌なことの経験は、自分にとって大きな成長の土台になる。嫌いな人苦手な人関わりたくない人こんな人たちとの付き合い方が自分を大きくしてくれる。どこにいったって嫌な人なんてたくさんいるんだから。そんな人たちとの距離感の取り方を学ことが「働く」ということなのだと思う。懐かしい場所

  • 幸せへの気づき

    辛いこと、苦しいこと、腹が立つことばかりにどうしても目が行ってしまう。しかし、目立たない幸せに気づくことができるかが大切だ。結婚できた。離婚もしていない。家もある。家族の仲がいい。当たり前のことだけど、目立たない幸せを築くことが人生にとってはどれだけ難しいか。若いころ、自堕落で底辺の生活を送っていた経験があるからこそ、そう思う。今日も目立たない幸せを噛みしめながら生きていく。幸せへの気づき

  • 仕事があるだけでも・・・

    緊張できる仕事ができることに感謝して・・・プレッシャーがかかるポジションにいられることに感謝して・・・全身全霊を傾けることができる仕事があることに感謝して・・・やっぱり感謝して生きないといけないなあ。仕事があるということは、人生にとって何よりも幸せなこと。いつも文句や愚痴やため息を言っているが、この苦しみがあるから人生はおもしろい。さて、今日も仕事をしよう。夜はジムで汗を流そう。家に帰っておいしい食事を食べよう。仕事があるだけでも・・・

  • 不安解消

    様々な不安がある。ああなったらこうなったらこんなことが起こったら調子が悪いと次から次へと不安が脳裏を横切る。不安とは厄介なものでなくそうとすると余計にからみついてくる。不安とは共存共栄していくのがよい。不安があるからこそ、準備しておく。不安があるからこそ、謙虚に誠実に仕事をしていく。不安はなくならない。共に生きていく関係なのだと思う。今日もがんばりますか。不安解消

  • 空を見上げて

    会社に入る前にふと空を見上げた。曇り空だが、なんだか気持ちよかった。日常の中で、空を見ることすら忘れていた。心も体も擦り減っている。昭和42年生まれの体が疲弊している。けど、まだ何とかなるよとつぶやいている。別に命までとられるわけではないのだから・・・思い切って開き直って生きていく。そんな図々しさがあったからこそ、ここまでたどり着いた。しぶとく、しつこく、ねちっこく、生きてやる。空を見上げて

  • こんな生き方を

    新しくオリンピック委員会の会長に就任した人が丁寧に慎重に言葉を選びながら会見する様子を見ていた。途中、記者から過去の不祥事についての質問があった。「どうしてここでそんなことを・・・」と思った。しかし、彼女は誠実に答えていた。世の中は過去のミスにも寛容ではない。しつこく追及してくる。事態背景が映し出されていた光景だった。こんな時代だからこそ、自分は人に優しく生きていきたい。人を責めることはしない。今日も修行が始まる。こんな生き方を

  • 深夜のファミレス

    仕事が遅くなり、どこかで夕食を取ろうと、一人で深夜のファミレスに立ち寄った。客はほとんどいなかった。閑散とした店内が、自分の心を落ち着かせてくれた。居心地は悪くなかった。「さあ、今日もがんばろうね」「大丈夫、前向きにいけば、チャンスは来るから」「いいよ、失敗しないと覚えないからね。経験が何よりも武器になるから」「早く帰って休まないと」「あとは大丈夫。こちらで処理するから」今日も一日、こんな言葉を発していた。会社というステージで部長という役を必死に演じていた。「よくまあ、本音とは違う言葉がポンポン出ているよな」一人苦笑していた。「しっかりしろよ」「甘えてんじゃあねえぞ」「気合い入れろよ」「自分で何とかしろよ」こんな言葉が本当は隠されている。深夜のファミレスが疲れた心を癒してくれた。「あっ、この場所、この時間、悪く...深夜のファミレス

  • 理不尽に耐えながら

    文句やクレーム等の理不尽なことが多い世の中になったと感じる時がある。人を攻撃して自分を優位に立とうとする人たちが増加している。ただ、彼らは幸せではない。何かしらの不満や不安の感情を相手への攻撃で一瞬だけオブラードに包んでいる。しかし、そのオブラードはすぐに破れ自分への毒薬となる。相手への嫌がらせは、自分に返ってくる。そんな人たちを見て、私は人に優しくしたいと心から感じている。今日も一日が始まる。理不尽に耐えながら

  • 生きる意味

    10代のころ、尾崎豊をよく聴いていた。「生きる意味」を歌を聴きながらよく考えていた。ラッシュアワーの時に同じ方向に向かう人たちの中で生きることに抵抗を感じていた。しかし、それから10年後、私はその流れの中に身を委ねていった。会社に入ると、出世競争の中で生きてきた。53歳、現在、部長。部下を100人程、抱えて、毎日身も心もすり減らしながら生きている。ふっとため息をつくことが多くなった。しかし、まだまだこのゲームは続く。生きる意味とは、必死に生きることだと感じでいる。53歳、今日も必死に生きる。生きる意味

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