KY さん プロフィール

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KYさん: 旅 free style
ハンドル名KY さん
ブログタイトル旅 free style
ブログURLhttp://arhrnrhr.blog.fc2.com/
サイト紹介文歴史や民俗学の謎発見の旅に出ます♪
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供33回 / 120日(平均1.9回/週) - 参加 2017/03/19 19:35

KY さんのブログ記事

  • 小野小町は男だった⑮ 『惟喬親王と髑髏本尊』
  • 小野小町は男だった⑭ 『男神を女神に変える呪術』 よりつづく〜①惟喬親王は髑髏本尊だった?五箇村村上家住宅に展示されていた鬼門除けの髑髏(猿の髑髏か?)小野小町は男だった⑫ あなめ小町『小野小町は髑髏本尊だった?』 において、私は「小野小町は髑髏本尊だったのではないか」と書いた。「あなめ小町」は小町の髑髏から薄が生えて髑髏が「あなめ、あなめ(痛い、痛い)」と言ったという話である。真言立川流では [続きを読む]
  • 小野小町は男だった⑭ 『男神を女神に変える呪術』
  • 小野小町は男だった⑬ 『小野小町は男だった!』 よりつづく〜①小町が姿を映した井戸髄心院 石楠花補陀落寺 紅葉髄心院と補陀落寺(小町寺)はどちらも小野小町に関係する寺院である。髄心院は小町の邸宅跡、補陀落寺は小町の終焉の地だと言われている。そしてどちらの寺院にも井戸がある。髄心院のほうは「小町化粧井戸」、補陀落寺のほうは「小町姿見の井戸」と呼ばれている。髄心院の「小町化粧井戸」というネーミングは [続きを読む]
  • 小野小町は男だった⑬ 『小野小町は男だった!』
  • 小野小町は男だった⑫ あなめ小町『小野小町は髑髏本尊だった?』よりつづく〜京都御所①残った4つの小町伝説残る小町伝説は次の4つである。①京都八瀬の里で修行する僧に薪や木の実を届ける女がいた。 女は「小野とは言はじ、薄生いたる、市原野辺に住む」と言って消える。 僧が市原野へ出かけて小町を弔っていると、四位少将の霊が現れ、小町の成仏を妨げる。 少将は百夜通いの後、成仏出来無いで苦しんでいた。 僧が、「懺 [続きを読む]
  • 小野小町は男だった⑪ 深草少将は紀氏だった?
  • 墨染寺小野小町は男だった⑩ 百夜通い 『深草少将・小野小町・惟喬親王に共通する九十九のイメージ』よりつづく〜①墨染寺京都市伏見区墨染町741に墨染寺がある。平安時代に藤原基経がなくなったとき、これを悲しんだ上野峯雄が『深草の 野辺の桜し こころあらば 今年ばかりは 墨染に咲け』と歌を詠んだ。墨染という地名はことにちなむという。墨染寺はこの歌に詠まれた墨染桜があることで知られる。墨染桜は花びらの中央 [続きを読む]
  • 6月13日にメールくださった方へ
  • 矢田の神と春日明神(矢田寺)↑ こちらの記事について、6月13日にメールをくださった方、ありがとうございました。返事をおくろうと思いましたが、メールを送ることができません。お手数ですが、メールを送ることのできるアドレスを明記したうえで、再度メールフォームを送っていただけないでしょうか。宜しくお願いします。 [続きを読む]
  • 小野小町は男だった⑦ 妙性寺縁起 『語呂合わせで神格が変わる神』
  • 小野小町は男だった⑥ 小野小町は衣通姫の流なり 『小野小町は和魂だった?』 より続く①ひょっとこは火男?京都のお盆の風物詩・六斎念仏の演目に『祇園囃子』がある。『祇園囃子』は祇園祭で奏される御囃子で、祇園祭ではゆっくりとしたテンポで奏されるが、六斎念仏の『祇園囃子』はテンポがはやい。繰り返される激しいリズムはどこかヘビーメタルに似ていて、なぜか気分が高揚してくる。京都には数多くの六斎会があり、た [続きを読む]
  • 小野小町は男だった④ 小町、疱瘡を患う 『小野小町は疫神だった?』
  • 小野小町は男だった③ 草子洗い『大友黒主と大伴家持は同一人物?』 より続く ①みとほけに変化する病人伝説 小野小町に次のような伝説がある。 京都・福知山市の温泉町に疱瘡(天然痘)を患った小町がやってきた。 小町は薬師如来に祈って温泉につかった。 すると小町の疱瘡はたちまち治った。 これと同じような伝説が光明皇后と行基にもある。 【光明皇后の伝説】 光明皇后は法華寺に浴室を建立し、千人の民の汚れを洗い流そ [続きを読む]
  • 小野小町は男だった② 六歌仙は怨霊だった。
  • 八坂神社 かるた始め小野小町の謎① 小野小町はなぜ後ろを向いているのか  より続く ①六歌仙1月3日、京都八坂神社で『かるた始め』が行われた。平安装束を身にまとった女性が百人一首かるたをするのだが、百人一首かるたが成立したのは江戸時代である。織田正吉氏はこの『かるた始め』のようすを平安時代の姫が江戸時代に表れた『SF的な風景』だと言っておられた。百人一首とは鎌倉時代の歌人・藤原定家が撰んだ百歌人 [続きを読む]
  • 小野小町は男だった① 小野小町はなぜ後ろを向いているのか
  • 小野小町歌碑 隨心院 (京都府京都市山科区小野御霊町35) ●小野小町はなぜ後ろを向いているのか 京都山科にある隨心院は小野小町の邸宅があった場所と伝わり、卒塔婆小町像や小町が化粧に使ったという井戸などが残されている。 また境内には小野小町が詠んだ歌を刻んだ歌碑がたてられている。 花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに(小野小町) 百人一首にも採られている有名な歌だ。 歌 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑳ 空也と茶の湯 (最終回)
  • 土蜘蛛の謎⑲ 平将門を慰霊した時宗の僧侶たちよりつづきます〜●空也は本当に高価なお茶を病人に飲ませたのか?六波羅蜜寺 皇服茶951年に京で疫病が流行った際、空也は十一面観音を刻んで市中を引き回し、病人にはお茶を飲ませたという。これにちなみ、六波羅蜜寺では正月に仏前に献じたお茶に梅干しと結び昆布をいれた皇服茶の授与を行っている。しかし、これをにわかに信じることはできない。お茶は中国が原産地で、平安 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑲ 平将門を慰霊した時宗の僧侶たち
  • 土蜘蛛の謎⑱ 「空也が十一面観音を刻んだ」ということの意味 より続きます〜①空也はなぜ阿弥陀仏ではなく十一面観を刻んだのか六波羅蜜寺 空也像https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ae/Kuya_Portrait.JPG よりお借りしました。作者 ASUKAEN [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で空也像は各地にあるが、上の六波羅蜜寺像のように、口から六体のみほとけがほとばしり出るおすがたに作られる。空 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑱ 「空也が十一面観音を刻んだ」ということの意味
  • 土蜘蛛の謎⑰ 空也搭はなぜ首桶の形をしているのか? より続きます〜①菅原道真は十一面観音の生まれ変わりかつて北野天満宮の神宮寺だった東向観音寺の門前に「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑が建てられている。天満宮とは北野天満宮の御祭神の菅原道真のことである。御本地仏とは本地垂迹説に基づく言葉である。本地垂迹説とは日本古来の神々は仏教の神々(みほとけ)が仮に衆上を救うためにこの世に現れた [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑰ 空也搭はなぜ首桶の形をしているのか?
  • 土蜘蛛の謎⑯ 東国に飛び立った将門の髑髏 と 東国へ旅立った空也 より続きます〜①将門の怨霊鎮魂に情熱をそそいだ空也940年、平将門は東国で反乱をおこし、朝廷が派遣した平貞盛・藤原秀郷らの軍と戦って戦死した。将門の首は京に持ち帰られて鴨川のほとりで晒された。その首が飛び上がって鴨川を越え膏薬図子に落ち、近隣住民に祟ったたという伝説がある。空也は将門の供養のため念仏道場をつくり毎日念仏をあげたところ、 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑯ 東国に飛び立った将門のドクロ と 東国へ旅立った空也
  • 土蜘蛛の謎⑮ 空也はなぜ南無阿弥陀仏と唱えながら十一面観音を彫ったのか? より続きます〜空也堂 空也歓喜踊躍念仏①空也が愛した鹿空也堂の創建説話として次のような物語が伝えられている。空也は毎夜鹿の鳴き声を聴くのを楽しみにしていたが、ある夜からばったりと鹿の声がきこえなくなった。鹿は平定盛という猟師に殺されたのだった。空也に諌められた定盛は殺生を悔い、空也の弟子となって空也堂を創建し、空也を空也堂の [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑭ 六波羅蜜寺に現れた土蜘蛛 
  • 土蜘蛛の謎⑬ 六波羅蜜寺にもあった土蜘蛛の塚 より続きます〜①六波羅蜜寺に現れた土蜘蛛節分の日、私は追儺式を見るために六波羅蜜寺に出かけた。中堂寺六斎会の方々が登場し、太鼓や鉦を打ち鳴らす。六斎念仏とは念仏を唱えつつ太鼓や鉦を打ち鳴らすというもので、六斎念仏の祖は六波羅蜜寺の開基でもある空也とされる。六斎念仏は念仏系の干菜寺系と芸能系の空也寺系の二派がある。中堂寺六斎会は空也寺系で、お盆には壬生 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑬ 六波羅蜜寺にもあった土蜘蛛の塚
  • 土蜘蛛の謎⑫ 蛙は髑髏をあらわしている? より続きます〜①六波羅蜜寺型燈籠図書館で六波羅蜜寺に関する古い本を借りた。その本の中に六波羅蜜寺型燈籠の写真があった。私は実際にその六波羅蜜寺型燈籠を見てみたいと思い、六波羅蜜寺を訪ねた。六波羅蜜寺六波羅蜜寺は951年に空也上人が開いたとされる寺で、かつて鳥辺野の風葬地だった場所にある。このとき、京都は疫病が大流行し、鴨川は死体で溢れ返るほどの惨状であった [続きを読む]