KY さん プロフィール

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KYさん: 旅 free style
ハンドル名KY さん
ブログタイトル旅 free style
ブログURLhttp://arhrnrhr.blog.fc2.com/
サイト紹介文歴史や民俗学の謎発見の旅に出ます♪
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供25回 / 71日(平均2.5回/週) - 参加 2017/03/19 19:35

KY さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 小野小町は男だった⑦ 妙性寺縁起 『語呂合わせで神格が変わる神』
  • 小野小町は男だった⑥ 小野小町は衣通姫の流なり 『小野小町は和魂だった?』 より続く①ひょっとこは火男?京都のお盆の風物詩・六斎念仏の演目に『祇園囃子』がある。『祇園囃子』は祇園祭で奏される御囃子で、祇園祭ではゆっくりとしたテンポで奏されるが、六斎念仏の『祇園囃子』はテンポがはやい。繰り返される激しいリズムはどこかヘビーメタルに似ていて、なぜか気分が高揚してくる。京都には数多くの六斎会があり、た [続きを読む]
  • 小野小町は男だった④ 小町、疱瘡を患う 『小野小町は疫神だった?』
  • 小野小町は男だった③ 草子洗い『大友黒主と大伴家持は同一人物?』 より続く ①みとほけに変化する病人伝説 小野小町に次のような伝説がある。 京都・福知山市の温泉町に疱瘡(天然痘)を患った小町がやってきた。 小町は薬師如来に祈って温泉につかった。 すると小町の疱瘡はたちまち治った。 これと同じような伝説が光明皇后と行基にもある。 【光明皇后の伝説】 光明皇后は法華寺に浴室を建立し、千人の民の汚れを洗い流そ [続きを読む]
  • 小野小町は男だった② 六歌仙は怨霊だった。
  • 八坂神社 かるた始め小野小町の謎① 小野小町はなぜ後ろを向いているのか  より続く ①六歌仙1月3日、京都八坂神社で『かるた始め』が行われた。平安装束を身にまとった女性が百人一首かるたをするのだが、百人一首かるたが成立したのは江戸時代である。織田正吉氏はこの『かるた始め』のようすを平安時代の姫が江戸時代に表れた『SF的な風景』だと言っておられた。百人一首とは鎌倉時代の歌人・藤原定家が撰んだ百歌人 [続きを読む]
  • 小野小町は男だった① 小野小町はなぜ後ろを向いているのか
  • 小野小町歌碑 隨心院 (京都府京都市山科区小野御霊町35) ●小野小町はなぜ後ろを向いているのか 京都山科にある隨心院は小野小町の邸宅があった場所と伝わり、卒塔婆小町像や小町が化粧に使ったという井戸などが残されている。 また境内には小野小町が詠んだ歌を刻んだ歌碑がたてられている。 花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに(小野小町) 百人一首にも採られている有名な歌だ。 歌 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑳ 空也と茶の湯 (最終回)
  • 土蜘蛛の謎⑲ 平将門を慰霊した時宗の僧侶たちよりつづきます〜●空也は本当に高価なお茶を病人に飲ませたのか?六波羅蜜寺 皇服茶951年に京で疫病が流行った際、空也は十一面観音を刻んで市中を引き回し、病人にはお茶を飲ませたという。これにちなみ、六波羅蜜寺では正月に仏前に献じたお茶に梅干しと結び昆布をいれた皇服茶の授与を行っている。しかし、これをにわかに信じることはできない。お茶は中国が原産地で、平安 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑲ 平将門を慰霊した時宗の僧侶たち
  • 土蜘蛛の謎⑱ 「空也が十一面観音を刻んだ」ということの意味 より続きます〜①空也はなぜ阿弥陀仏ではなく十一面観を刻んだのか六波羅蜜寺 空也像https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ae/Kuya_Portrait.JPG よりお借りしました。作者 ASUKAEN [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で空也像は各地にあるが、上の六波羅蜜寺像のように、口から六体のみほとけがほとばしり出るおすがたに作られる。空 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑱ 「空也が十一面観音を刻んだ」ということの意味
  • 土蜘蛛の謎⑰ 空也搭はなぜ首桶の形をしているのか? より続きます〜①菅原道真は十一面観音の生まれ変わりかつて北野天満宮の神宮寺だった東向観音寺の門前に「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑が建てられている。天満宮とは北野天満宮の御祭神の菅原道真のことである。御本地仏とは本地垂迹説に基づく言葉である。本地垂迹説とは日本古来の神々は仏教の神々(みほとけ)が仮に衆上を救うためにこの世に現れた [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑰ 空也搭はなぜ首桶の形をしているのか?
  • 土蜘蛛の謎⑯ 東国に飛び立った将門の髑髏 と 東国へ旅立った空也 より続きます〜①将門の怨霊鎮魂に情熱をそそいだ空也940年、平将門は東国で反乱をおこし、朝廷が派遣した平貞盛・藤原秀郷らの軍と戦って戦死した。将門の首は京に持ち帰られて鴨川のほとりで晒された。その首が飛び上がって鴨川を越え膏薬図子に落ち、近隣住民に祟ったたという伝説がある。空也は将門の供養のため念仏道場をつくり毎日念仏をあげたところ、 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑯ 東国に飛び立った将門のドクロ と 東国へ旅立った空也
  • 土蜘蛛の謎⑮ 空也はなぜ南無阿弥陀仏と唱えながら十一面観音を彫ったのか? より続きます〜空也堂 空也歓喜踊躍念仏①空也が愛した鹿空也堂の創建説話として次のような物語が伝えられている。空也は毎夜鹿の鳴き声を聴くのを楽しみにしていたが、ある夜からばったりと鹿の声がきこえなくなった。鹿は平定盛という猟師に殺されたのだった。空也に諌められた定盛は殺生を悔い、空也の弟子となって空也堂を創建し、空也を空也堂の [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑭ 六波羅蜜寺に現れた土蜘蛛 
  • 土蜘蛛の謎⑬ 六波羅蜜寺にもあった土蜘蛛の塚 より続きます〜①六波羅蜜寺に現れた土蜘蛛節分の日、私は追儺式を見るために六波羅蜜寺に出かけた。中堂寺六斎会の方々が登場し、太鼓や鉦を打ち鳴らす。六斎念仏とは念仏を唱えつつ太鼓や鉦を打ち鳴らすというもので、六斎念仏の祖は六波羅蜜寺の開基でもある空也とされる。六斎念仏は念仏系の干菜寺系と芸能系の空也寺系の二派がある。中堂寺六斎会は空也寺系で、お盆には壬生 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑬ 六波羅蜜寺にもあった土蜘蛛の塚
  • 土蜘蛛の謎⑫ 蛙は髑髏をあらわしている? より続きます〜①六波羅蜜寺型燈籠図書館で六波羅蜜寺に関する古い本を借りた。その本の中に六波羅蜜寺型燈籠の写真があった。私は実際にその六波羅蜜寺型燈籠を見てみたいと思い、六波羅蜜寺を訪ねた。六波羅蜜寺六波羅蜜寺は951年に空也上人が開いたとされる寺で、かつて鳥辺野の風葬地だった場所にある。このとき、京都は疫病が大流行し、鴨川は死体で溢れ返るほどの惨状であった [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑫ 蛙は髑髏をあらわしている?
  • 土蜘蛛の謎⑪ なぜ将門の首塚には蝦蟇が供えられているのか。 より続きます〜 ①蛙飛行事7月7日、吉野の金峯山寺・蔵王堂で蓮華会が行われる。吉野の町を「えーらいやっちゃ、えーらいやっちゃ」という掛け声とともに、太鼓台が練り歩く。太鼓台には蛙の着ぐるみを着た人が乗っていた。その後、蔵王堂前に設置された通路の上を山伏さんたちや、蓮の花の入った桶を持つ人などが歩いていった。この蓮は役行者が産湯をつかったと [続きを読む]
  • 豊洲移転問題は『空気』と『東京都の嘘の説明』が問題なのでは?
  • ①豊洲の汚染水は飲むわけではないので問題がない。②メディアが小池都知事をもちあげている。③石原慎太郎氏に責任はない。④小池都知事は豊洲移転を遅らせることで、風評被害を広げ、豊洲の莫大な維持費を無駄にしている。ネット上でこのような意見をよく見かけますが、私は意見が違います。(い)豊洲のベンゼンは地下水ではなく、空気が問題なのでは?豊洲の地下水は飲み水の環境基準の100倍を上回るベンゼンが検出されました [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑪ なぜ将門の首塚には蝦蟇が供えられているのか。
  • 土蜘蛛の謎⑩ 蜂となって飛び去った執金剛神 よりつづきます〜①神田明神元社と神田神宮神田神宮 (京都)2007年、私は京都烏丸駅近くにある膏薬図子と呼ばれる小路を訪れた。車一台がようやく通れるくらいの小路の両側には町屋が並んでいる。この町屋の中の一軒の民家の壁に塗り込められるように小さな祠があり、「史跡 神田神宮 天慶年間、平将門ノ首ヲ晒シタル所ナリ」と記された札がかけられていた。祠の下には石があり、や [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑩ 蜂となって飛び去った執金剛神
  • 土蜘蛛の謎⑨ 清蔵、鉢を飛ばす より続きます〜①不空羂索観音は志貴皇子の本地仏。https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ATodaiji_Monaster_Fukukensaku_Kwannon_of_Hokkedo_(232).jpg よりお借りしました。作者 Imperial Japanese Commission to the Panama-Pacific International Exposition以前の記事、土蜘蛛の謎⑤ 蜘蛛の巣に住む観音 の中で、私は三月堂のご本尊・不空羂索観音について次のように述べた。「蜘蛛 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑨ 浄蔵、鉢を飛ばす
  • 土蜘蛛の謎⑧ 空飛ぶ鉢の正体 よりつづきます〜蔵王堂光福寺 久世六斎 祇園囃子①蔵王堂興福寺創建説話日が暮れてすっかり暗くなった蔵王堂光福寺。そこへ浴衣を着た人々が次々にやってきては舞殿の前に設けられたベンチに腰掛けていく。やがてドーン、ドーンと催し太鼓の音がして久世六斎会による六斎念仏が始まった。蔵王堂光福寺は955年に浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)を開基として建立された寺院で、次のような創建説話 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑧ 空飛ぶ鉢の正体
  • 土蜘蛛の謎⑦ 妖怪ぬらりひょんと亀石と土蜘蛛 よりつづきます〜●空飛ぶ鉢は空飛ぶ髑髏?信貴山の中腹に舞台造りのお堂がある。朝護孫子寺の本堂である。587年、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋の間に戦争がおきた。このとき聖徳太子は蘇我側について闘った。戦いは蘇我側の勝利となり、、聖徳太子はこれを毘沙門天のご加護を得たことによるものだと考えた。そこで594年、毘沙門天を祀る寺院を創建し、『信ずべき貴ぶべき [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑦ 妖怪ぬらりひょんと亀石と土蜘蛛
  • 土蜘蛛の謎⑥ 燈籠の火袋が『土蜘蛛の塚』と呼ばれている理由よりつづきます〜妖怪ストリート①付喪神と終い天神『百鬼夜行絵巻』に次のように記されている。付喪神(つくもがみ)が変化大明神を祀り、祭礼と称して夜更けに徒党を組んで西から東へと練り歩いた。北野天満宮の南200mほどのところにある一条通はこの百鬼夜行があった通りだとされており、これにちなんで現在は一条通の大将軍商店街は妖怪ストリートと称し、店 [続きを読む]
  • 土蜘蛛の謎⑥ 燈籠の火袋が『土蜘蛛の塚』と呼ばれている理由
  • 北野天満宮 梅土蜘蛛の謎⑤ 蜘蛛の巣に住む観音 よりつづきます〜①土蜘蛛の塚満開の梅が咲き誇る北野天満宮。拝殿前にはひっきりなしに受験生が訪れ、柏手を打って合格祈願をしている。北野天満宮の楼門を出て参道を大鳥居の方に向かって歩いていくと右手(西)に東向観音寺というお寺がある。参道を多くの人が行きかっているが、ほとんどの人はそこに寺があることなど気にも留めずに通り過ぎていく。東向観音寺の境 [続きを読む]
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