椿あやめ さん プロフィール

  •  
椿あやめさん: 声の記憶
ハンドル名椿あやめ さん
ブログタイトル声の記憶
ブログURLhttp://ameblo.jp/chibimaru230maru/
サイト紹介文進行性難聴と診断された20代女のブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 146日(平均1.3回/週) - 参加 2017/03/19 20:37

椿あやめ さんのブログ記事

  • 見えない敵
  • 急性低音障害型感音難聴になったことによって、体力の著しい衰えと、情緒不安定が続くようになった。 どのように体力の衰えを感じたかというと、8時間勤務が恐ろしく辛い状態だった。9時に会社に出社して、16時には体力の限界を感じた。正社員なので、あと2時間は働かなければならない。しかし、これ以上会社に迷惑をかけまいと定時まで何とか乗り切った。 それに加えて、被害妄想が激しくなった。どこからか話し声が聴 [続きを読む]
  • はじめて知った宿命
  • 急性低音障害型難聴だけなら数か月で治るはずだった。ストレス性の難聴なので、数カ月もすれば60〜70%の確率で治るはずだった。 だから、何ヶ月たっても改善が見られないのはおかしい。 しかし、元々難聴を持っていたので、完全に回復することはないのを知っていた。 この状況をどうすればよいのか・・・。元々難聴を持っていたことを知られたら入社前に話していなかったので、解雇事由に相当する。大学を [続きを読む]
  • 診断
  • 診断書をもらった次の週の月曜日、会社近くの総合病院へ行った。 診断次第では会社をやめさせられうかもしれない・・・。 そう思いながらも病院へ行った。大きい病院は平日しかやっていないから厄介だ。 9時診察開始とあったので8時半ぐらいに行ったのだが、耳鼻科は10時と言われ、10時に診断が開始された。 1番に診察室に入る。 「若いのにね・・・。元から悪かったんじゃないの?」そんな無神経な言葉 [続きを読む]
  • 人間関係に異変
  • 翌朝、家族に前夜の芝刈り機の音の話をした。 すると、誰も知らなかった。真夜中の2時だったし、無理もないかと思っていた。 そのころから寝れない、食欲のない日々が続いた。夏場に食欲がないことはほぼ毎年のことだし、食費もかからないからと気にしていなかった。寝られないのも、寝坊するよりはましとあまり気にしていなかった。 そのころ、社長と不仲だったパートの同僚(60代男性)が突然退職した。本人がやり [続きを読む]
  • 気付かなかった違和感
  • 次回のセミナーの講師は私がすることになっていた。 そのために資料を作らなければならない。その資料を作るためにはいろいろな調査をしなければならなかった。その調査をお盆前からやっていたのだが、お盆明けにやり直さなければいけないことができた。そのために、先輩が半日つきっきりになって調べ方を教えてくれた。 お盆明け早々の出社日の帰りは22時になっていた。先輩はまだ仕事があるようで帰ろうとしなかった [続きを読む]
  • 責任感
  • 入社してから4ヶ月目で新人さんを指導することになった。指導の内容は、社内で使っているソフトの使い方だった。私はカスタマーサポートなので、ソフトの使い方の指導をする役目だった。とはいえ、自分もまだまだ使いこなせないのだが… 社長「おじいちゃん、というか、年配の方で、おしゃべり好きだから質問だけ聞いて、あとは自分も仕事があるので、って言ってきりあげていいよ」 めんどくさい新人なようで嫌な予感は [続きを読む]
  • 再出発
  • めでたく就職が決まり、再就職した。 就職するときはいろいろな不安があった。ホントに未経験の業界・・・仕事が務まるだろうか…聴こえなくて怒られたりすることはないだろうか… やはり一番大きかったのは自分の聴力だった。 人数が少ないのもあり、離れた席でも自席から話しかける人もいる。少しの会話や雑談なら離れた所から話をすることもあった。 そして、2週間たったころ社長「椿さん、ちょっと耳が聴 [続きを読む]
  • 就活終了
  • 結局、面接には時間通りに行った。 会社は結構古びたビルの最上階で、今時珍しく、インターホンを押して尋ねるところだった。中からは小柄な女性がラフな格好で出てきた。 女性「ごめんなさいね、日程合わせていただいて。」「社長と面接をしていただきますので、来るまでにこのアンケートを書いててくださいね」 しゃ、社長?? こんなにレベルが高そうな会社だから、「社長」は、おじいちゃんなんだろうな [続きを読む]
  • 転機
  • 信販会社に入社して1年。 彼とは別れていて、目指していた資格試験も終わった。残念ながら受からず、来年以降も取得の見込みは感じられなかったので、失意の中就職活動を再開していた。 前も見えず、ただただ履歴書を送って面接に行って、また履歴書を書いて面接に行って…の毎日。 耳の悪くて特に能力もない25歳女性を雇う会社なんてあるだろうか。だからといって、信販会社でも社員登用制度はない。というよりも [続きを読む]
  • 再び電話の仕事
  • 信販会社のパート社員として復帰した。 仕事の内容は、クレジットカードの督促状を送った延滞者に、支払いを促したり、状況をヒアリングして、端末に入力するという仕事だ。その過程で住所の変更を承ることもあった。 実はこの仕事は親の反対も押し切り、緑内障の彼(http://ameblo.jp/chibimaru230maru/entry-12261755562.html)にも内緒で始めていた。 ちなみに、彼も偶然にも、柚実ちゃんとは別の学校ではあるが [続きを読む]
  • 再び転職活動
  • せっかく正社員として決まった会社もクビになり、お盆明けから転職活動をしなければならなくなった。 とはいえ、いきなり仕事を探す気にもならず、しばらくは鬱のような状態が続いた。 このころはまだ、定職についていない友人も多く、就職が決まらなかったり学業がうまくいかなかった友人たちと傷のなめ合いのようなことをしていた。 秋ごろからハローワークに通いながら仕事探しを始めた。 このころから面 [続きを読む]
  • 再び…
  • 上司の聴力が改善したのかどうかはわからないが、ボイスレコーダーにつなげた大音量イヤホンのせいか、自分の聴力は落ち続けている気がしてならなかった。それでも補聴器を、と簡単に言う耳鼻科には行く気がしなかった。 結局治療はしてくれないのだ。 とにかく、聴力を犠牲にしている以上、何とかこの会社で乗り切らなければならない。もう就職活動は難しいのだ。 そうはいっても、契約はなかなかな取れなかった [続きを読む]
  • 電話営業の仕事
  • 就職した仕事は投資ファンドの電話営業だった。 ちなみに、3ヶ月の試用期間内に契約が取れなかったら解雇という条件だ。 営業先は個人だが、お年寄りが多く、すごく聞き取りづらかった。それでも何とか会話を成立させなければならない。 ちなみに電話機にはボイスレコーダーを取り付け、電話をかける。それぞれの商談を録音し、自信のトークの振り返りと先輩のトークを聞くためだった。また、周りの社員は電話をし [続きを読む]
  • 電話の仕事
  • 銀行のコールセンターで派遣社員として働くことになった。テレビ電話のコールセンターでお客様と画面越しに話しながら端末を動かす仕事だ。 初めの1ヶ月は座学研修だった。研修ではほとんど聞き取れず、周りの人の画面を見ないと追いつけなかった。 すると、すぐに見回りをしている講師に見つかり、目をつけられることになった。しかも、その見回りをしている講師もこそっと話すため、ほとんど聞き取れずイライラされた [続きを読む]
  • 長く続いた転職生活
  • 公共事業の終了後、就職活動を再開したが、相変わらずご縁がなかった。 中途採用の面接は距離のある面接があまりなかったので助かったが、それでもなかなか採用されなかった。キャリアのなさが響いたのだろう。 無職生活も終わりに近づいたころ、ある企業の体験入社をすることになった。 職種は、旅行の電話営業。条件も良くないし、オフィスも汚そうなので気乗りしなかったが、選んでいられない。 小さなオ [続きを読む]
  • 初めてのカミングアウト
  • 彼と付き合ってしばらくして、聞き返しが多いことを指摘された。 メールではもちろん、電話でも気付かなかったが、彼の声は聞き取りにくかった。 なので、中学生の時に聴力検査で引っ掛かったこと、治らないと言われていることを初めて明かした。 「わかった。俺の声小さいって周りからもよく言われるから、これからは少し大きめの声で話すね」その配慮がうれしかった。 そうはいっても、仕事中のスト [続きを読む]
  • 社会人生活2
  • 大学を卒業し、公共事業の訓練生として働き始めた。 声を掛けられても気付かなかったり聞き返しが多いことを指摘されたが、それでも難聴のことは話さなかった。健常者として働いているはずなのに障害があるとは絶対に言ってはいけないと思っていた。 そんなとき、同じ会社の同期のある人物と話すようになった。 彼は3歳年上だったのだが、17歳の時に緑内障と診断され、24歳で左目の視力を失ったと言っていた。その [続きを読む]
  • 社会人生活
  • 就職が決まらぬまま卒業し、卒業と同時にアルバイトも辞めた。 2ヶ月は母の罵声と「無職」という屈辱感に耐え、6月から訓練生として民間企業の公共事業に入社した。実務経験を積むために6ヶ月間その事業で仕事をするというものだった。 全体では大人数だが、1チーム8人ぐらいで多くのチームが仕事をするので、朝礼や普段の会話は小声メインになる。仕事に集中しているときにパソコン越しに声をかけられたりミーティング [続きを読む]
  • 自覚症状
  • 大学に進学した。高校の時に決めた通り、法学部に入学した。 大学生活は青春そのもので、友人もでき、恋愛もした。アルバイトもするようになった。高校時代もそうだったが、難聴のことをだれにも打ち明けず、すごした。それぐらい、普段は自覚症状がなかった。 3回生になり、就職活動が始まった。初めはエントリーシートや筆記テストが多かったが、4回生手前になると、面接やグループディスカッションが始まる。 [続きを読む]
  • 進路
  • 中学卒業後、英語の名門で有名な私立高校に入学した。同じ中学から進学した友人は少なく、その少ない友人も別のクラスになった。人間関係は1から構築することとなった。 このころから気付き始めたのだが、1対1では普通に話せるものの、大人数で群れるのは苦手だった。当時は自覚はなかったのだが、誰が誰にしゃべろうとしているのかがわからなかったのかもしれない。 例によって、聴力検査では引っ掛かった。 中学 [続きを読む]
  • 信じられない対応
  • 初めて聴力検査の手紙を私から受け取った母は驚いていた。 その時のやり取りは今となっては覚えていない。 その後、耳鼻科のクリニックに予約を取り、市民病院に紹介状を出していただけることになった。 その市民病院言われた言葉が今となっては信じられないものだった。 「たぶん、小さいときから聴こえなかったんじゃないかな。元々聴こえてないから、聴こえてる世界が分からないもんね。だから自覚がない [続きを読む]
  • 異変③
  • 大阪に引っ越した後、聴力検査のことはすっかり忘れ、夏休み中はほぼ毎日ウォークマンを聞いていた。 (有線でもいいから、音楽聴きながらできる仕事につけたら幸せだろうなぁ・・・)などとぼんやり考えていた。 転校後も相変わらず英語だけは優秀で、高校は某公立高校の国際教養科に行きたいと思っていた。ただ、そこに進学するには英語だけではなく、他の教科の成績も必要なので、英語以外の偏差値をあと10ぐらい上げ [続きを読む]
  • 異変②
  • 保健室に行ってみると、聴力検査で引っ掛かったとのことだった。「最近、授業が聴こえにくいとか、お友達の話が聴こえないとかはないですか」「特になかったと思います」「では、もう一度検査をしてみて、もし聴こえていなかったらお手紙を出しますね」 引っ越しが決まったころにこんな手紙を持って帰ったら何と言われるだろう…そんなことを考えながら再検査をした。 検査後、「特に問題ないようなので、このまま様子 [続きを読む]
  • 異変
  • 小学校を卒業し、中学校に進学した。 結局伴走者を担当することもできぬまま、(練習でも伴奏をできるようになれないまま)小学校を卒業したこともあり、音楽への道を本気で目指すこともなくなった。 中学校では、英語が得意で元々読書が好きだったのもあり、授業以外でも英語の文章を読むことが好きになった。 母から「翻訳の道もいいかもよ」と言われながらも、まだ13歳。真剣に将来を考えてはいなかった。 [続きを読む]
  • 幼少期③
  • 合唱部に入り、その傍ら習い事のピアノの課題をこなしながら学校の伴奏の練習を始めた。 週に2日は英会話があったので英語の宿題もやった。小学生にしては多忙な日々を送っていた。 学級委員の経験もあり、頻繁に伴奏の依頼を受けていた國本さんが音楽大学を目指していることを小耳にはさみ、音大の存在を知った。 (音楽の大学に入って音楽を仕事にすることもできるんだ…そんなのもいいかな・・・)と、音大の厳し [続きを読む]