戦国時代の合戦を振り返りながら、その土地の観光地やグルメを紹介しています。
真田丸から戦国好きになった嫁と、元々戦国好きな私。 古戦場跡や城巡りをしています。有名な合戦じゃなくても、いろんなストーリーがあります。皆さんも戦国時代の合戦を通じ、戦国武将達(強者達)の熱く儚い生き様を感じて頂ければ嬉しいです。
宇都宮錯乱(うつのみやさくらん) 永世9年(1512年)から同11年にかけて、下野宇都宮氏で発生した内紛。 宇都宮氏は伝統的に足利将軍家に近い立場を取っていたのだが、関東公方が宇都宮城に近い古川御所に本拠を移したために、政治的・軍事的
船岡山の合戦(ふなおかやまのがっせん) 細川澄元勢の勢いに押された細川高国勢は、一旦、高国の守護領である丹波国に逃れたが、2万以上の大軍を率いて再び京都に戻り、洛西の高尾に着陣した。対する細川澄元・政賢らは、高国勢の来攻に備えて船岡
芦屋河原・鷹尾城の戦い(あしやがわら・たかおじょうのたたかい) 細川家の次期家督争いから起こった合戦である。細川政元は、澄之・澄元・高国の3人を養子としたが、次期家督を巡って内訂が起きる。澄元と高国が争い、澄元側の細川尚春が淡路より出陣し深江に
先日、姫路城に行って来ました(^^) 白鷺城と呼ばれるだけあって、瓦から外壁まで綺麗に白く輝いて見えました。 朝9時過ぎに現地に到着したのですが、すでに沢山の人だかり… 2015年に、大天守保存修理が終わって、よりたくさ
深井の合戦(ふかいのがっせん) 永世6年(1509年)、阿波に居た細川澄元は、足利義澄を将軍に復権するべく武略を巡らしていた。そこでまず、永世8年(1511年)7月7日、総大将を同族の細川政賢と和泉守護・細川元常とし、軍を和泉堺の浜に上陸させた。これに山中為俊
般若野の戦い(はんにゃののたたかい) 永世3年(1506年)、本願寺第9世法主実如は北陸の門徒管理にあたっていた兄の蓮綱・弟の蓮悟に対して、朝倉領越前と畠山領能登・越中への進出を命じた。南の朝倉攻撃は名将朝倉教景(宗滴)の前に挫折するが、北の畠山攻めは能
ちょっと前になりますが、滋賀県の彦根城に行って来ました。 福井県に遊びに行った帰りに、真田丸フェアみたいなのが彦根城の近くであったので、そこに寄りがてらの彦根城見学。 子供達は城に入るの
九頭竜川の戦い(くずりゅうがわのたたかい) 永世3年(1506年)7月、加賀一向宗は能登・越中の門徒も加え30万(?)を超える兵で越前に侵攻。対する越前の朝倉氏も朝倉宗滴を総大将とした8000〜16000で出陣し、九頭竜川わ挟んで対峙した。宗滴は敵の機先を制す
第一次淀古城の戦い(だいいちじよどこじょうのたたかい) 永世元年(1504年)に入ると、赤沢朝経と細川政元が対立するようになる。政元は同年3月9日に摂津守護代の薬師寺元一に槇島城に攻城するように命じたが、赤沢軍は700近くの兵を従えて城から離兵してい
船田合戦(ふなだがっせん)美濃守護代・斎藤氏は、応仁の乱において主家で美濃守護の土岐氏が在京している間に威勢を増大させ、土岐氏を凌ぐ勢力を有するになった。その一方で、斎藤氏に従って戦功をあげた美濃小守護代・石丸氏も着実に勢力を拡大しつつあり、この両者が、
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