ebisu2017 さん プロフィール

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ebisu2017さん: 人生と旅・読書 村上春樹感 アメリカ放浪記
ハンドル名ebisu2017 さん
ブログタイトル人生と旅・読書 村上春樹感 アメリカ放浪記
ブログURLhttp://ameblo.jp/ebisu2017/
サイト紹介文人生は旅。死ぬまで心の旅は続く。人生で出会った作家。小説の読書感。芭蕉やアメリカ旅。若い日の思い出。
自由文私の好きな、村上春樹氏の作品、並びに、ビブリア古書堂の事件手帖の後半の作品の読書感を、強烈な偏見で描いていきます。

また、松尾芭蕉のファンとしての、芭蕉の句の裏に込められた秘話なども紹介していきます。

それに、若き日のアメリカ放浪記も、折に触れて書きたいと思います。こちらは、フィクションですが、体験に基づいています。

それと、ちょっとした日常のエピソードも。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供46回 / 61日(平均5.3回/週) - 参加 2017/03/29 18:38

ebisu2017 さんのブログ記事

  • 珈琲ブレイク 10
  •  1983 モスクワ・ニュース 1億5千万年前のジュラ紀の岩から 小学4年生の時だったろうか。恐竜映画がやってきた。「恐竜百万年」もちろん、人と恐竜は戦いながら生きていた。私は、恐竜と人間は共存していたと頭に刷り込まれた。 中学生になると、人類の登場は100万年前(当時)と学習した。その社会での学習を受け入れながらも、心のどこかに疑問が残った。恐竜だけの世界では、何かが足りない。そう、面白くな [続きを読む]
  • 珈琲ブレイク 9
  • 朝日新聞  2006 12 Varanus komodoensis コモドドラゴン 13年前になる。朝日新聞の記事が目についた。私が、この動物を初めて目にしたのは、中2生の時であった。つまり、45年前になる。今でもその時のことは覚えている。お風呂から出たばかりの下着姿で、パジャマを着ようとしていた。 テレビ画面が、乾燥した草むらを映し出していた。灰褐色の恐竜、そう見える動く動物が現れたの [続きを読む]
  • 珈琲ブレイク 8
  • 煙草を吸わない人が少数派の時代があった。大学時代、剣道部の練習の後、車座で話し合う機会を持っていた。今日の反省と、情報交換の場であったが、皆煙草を吸った。吸わないのは、私だけであった。なんとなく、疎外感を感じた。 時代は、変わった。今は、その逆であろう。吸う人は、少数派になり、また、健康志向から禁煙が普通になった。時代は、必ず、逆転していく。これも、不思議の法則である。価格も4倍近くにな [続きを読む]
  • 「中田英寿 誇り」に見る孤高の研究
  • ここでは、内的な孤独について、語りたい。「彼は、孤独な戦いをしている」と、感じたはずである。それは、彼の最後のサッカー人生の大きな大会である、ドイツワールドカップの時のことであった。 ワールドカップ予選後、記者会見の席でも、一切、楽観的な言葉は発せずに、「このままでは勝てない」を繰り返していたと記憶している。その姿は、まるで神風特攻隊の隊員のように見えた。 結果は、クロアチアと引き分 [続きを読む]
  • 珈琲ブレイク8 相棒12による孤独の研究
  • 「マディソン郡の橋」 ロバート・ジェームズ・ウォラー氏へ捧ぐ 甲斐亨が杉下右京の相棒だったころに、毒島という、毒舌のネット評論家がいた。 独り暮らしで、定職もなく、紅茶を好み、孤独な生活をしていた。隣りに越してきた、水商売の女に惚れて、その恋人との痴話げんかに巻き込まれ、女を刺し殺してしまう。 ここでは、そのいきさつは詳しくは語らないが、その生活と態度が、いやに私の心に残っている [続きを読む]
  • アメリカ放浪記 10
  • マディソン郡の橋ロバート・ジェームズ・ウォラー氏追悼の意を込めて 12月31日の夜、3日間の修理を終えて帰ってきた車に乗り、グランドキャニオンに出かけた。 寒い日であった。空気は澄んでおり、さらに乾燥した外気は、車から降りると、刺すような刺激を顔に残した。 かの地に降り立つと、もうすぐ夜明けが訪れる時刻である。夜空に輝く星々の世界は消え失せつつあった。 新年をここで迎えることになる [続きを読む]
  • コーヒーブレイク 7
  • 自由って何だろう?16年ほど前になるが、考えていたことがあった。自由になるには、頼らないことである。頼れば頼るほど、憎しみも深くなる。これは、逆説的なことである。愛情とは、相手に頼ることであると勘違いしていたのである。相手に頼るとは、自分にも頼ってほしいということである。この連鎖は、悲劇を生む。 家庭内暴力が、ニュースで問題になっていた。親に、暴力をふるい、不登校になる。反抗期には [続きを読む]
  • コーヒーブレイク 6
  • 久しぶりに県西 公園に行った。 桜が 風に舞っていた。桜の花吹雪の下を歩いていると、強い風が吹いて来て、桜の木々を揺らした。その時、ふと頭に言葉が浮かんだ。 風の歌を聴け、と。私は風の方角を向いた。風が私に何か語りかけている気がした。村上氏の処女作の題名である。しばらく歩いた。風の声を聞こうと。耳を澄まして。風は私の耳にその風音を残すだけ。 私は花びらが積もり溜まったベンチの前で、立ち [続きを読む]
  • 村上春樹を 13−2 森と多崎つくるとの関係
  • この小説は、題名に、「巡礼の年」となっている。巡礼の旅ではない。そこに大きな意味がある。本文には、「フランツ・リストの巡礼の年」をシロが弾いていた、とある。とすれば、ノルウェイの森などにあるように、当然ともいえるのだが。裏には、深い意味が込められていると推察される。 つくるの年齢が問題なのである。三十八歳、この年こそがこの巡礼の年でなければならない。どういうことか。一言でいえば、二人を救 [続きを読む]
  • 村上春樹を 9 羊をめぐる冒険 2
  • あらすじを8で書いたが、ここでは、私の読書感を書いていく。僕にとっては、鼠は僕の片割れような存在であったと感じられた。大学時代の友達であり、その絆は強くなくとも、30歳まで続いていた。村上文学で、友人を自殺させる願望は、執拗にも感じられる。 それは、キズキに始まり、直子、火星の青年、ハツミ、鼠・・・。将来の希望が見えなくなると人は死を選ぶ。生きることにより自分が否定されると感じると、望み [続きを読む]
  • 村上春樹を 8 羊をめぐる冒険 
  • 鼠三部作の最終話羊をめぐる冒険。この作品は霊的な羊の話である。僕20歳、彼女17歳。22歳の別れと時分で予言した彼女26歳の死。僕は30歳で離婚。4年間の結婚生活。妻は26歳で二度目の離婚。21歳の耳モデルの彼女と北海道に向かうが、行方知れずになる。 黒服男の依頼で、北海道のと32+1頭の羊の場所を探す旅に出る。29歳鼠から近況報告と半年後に2通目と羊の写真公開願いが届く。翌月、故郷の [続きを読む]
  • 村上春樹を 7 ノルウェイの森2
  • レイコは小説で大きな部分を占め、僕へも救いのマリヤを演じている。単なる恋愛小説でないのも、レイコの経験談と介護的存在が大きい。レイコの献身的な直子への看護や僕への行為は菩薩である。ノルウェイの森が、社会的な横幅を持ち支持される理由だろう。 直子は明るく元気にふるまい、死を決意した態度であった。「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」その諦観はキズキの死 [続きを読む]
  • 村上春樹を 6 ノルウェイの森
  • そして、日本中を驚かせた300万部ベストセラーの登場である。森は深く暗い。雪国の森は、さらに深く人を拒絶する清らかさを持つ。ビートルズの曲と、執筆旅行先のヨーロッパでできた題名である。全てを飲み込み、人を拒絶し、自然に返す深い森が舞台である。 ノルウェイの森上下巻。精神病を患う直子と僕の葛藤の軌跡てある。幼いころから兄のように親しかった恋人キズキとの自殺による別れ。精神的病の [続きを読む]
  • 村上春樹を 5 1973年のピンボール 2
  • 僕のキイワードはピンボールだった。私のキイワードは宮本武蔵だった。僕の生活はデカダンス的で、夏は女とバー通い。私の生活は禁欲的で、夏は読書と剣道合宿だった。 つまり、私のピンボールは剣道だった。青春時代に夢中になり、自己変革しようとする手段。僕は、直子への罪悪感から逃れるための日々。私は、社会悪に対する憤りからくる葛藤の日々。 僕は、斜に構えて、何事もなかったように、平穏 [続きを読む]
  • 村上春樹を 4 1973年のピンボール
  • 1973年のピンボールは1969-1973の僕の物語である。20歳から24歳の学生時代の生活を、乾いた感覚で描いている。この小説のキイワードは「直子」と考えられる。言わずもがなノルウェイの森のヒロインである。 ここにも、また井戸が出てくる。精神的な暗闇としての象徴である。僕は、ピンボールで自己変革を目指そうと、最高得点をたたき出す。他方、双子姉妹との相変わらずのデカダンス生活を送って [続きを読む]
  • 村上春樹を 3 風の歌を聴け2
  • デレク・ハートフィールドに学び、文章を書き始めたと述懐している。 僕の物語は、8月8日から26日までの18日間。 3年前の春、大学入学時に知りあった友達鼠との物語。海と山に囲まれた故郷での夏休みの日常と倦怠感。キイワードは「ピンボール」。ジェイズ・バーで鼠が蹴とばしていたゲーム機。 「人生は空っぽ」と僕は、ハートフィールドから引用している。彼は、人が苦労し努力して、そ [続きを読む]
  • 村上春樹を 2 風の歌を聴け
  • 初めての出会いは、大学生の時だった。入学してから、持てあます時間を埋めるように。読書を始めて、二年目の秋だった。当時の私の心に、その作品はシンクロしていった。 「風の歌を聴け」村上氏の処女作である。十代の学生が憧れる、あるいは目指す、完璧主義。それを冒頭の文章で、完璧に粉砕して見せた。と、同時に、絶望も粉砕した。身震いしたのを覚えている。 主人公の僕は、怠惰で、でもクールで。デカダン [続きを読む]
  • 村上春樹を
  • 最新刊を読み始めました。しかし、チクチクとして、進みません。以前は、1冊なら、短いと3時間。長くても、二日あれば、読み終えていたのに。 今は、一日5ページがやっとで。力作を前にして、気後れしてるみたい。もちろん、騎士団長殺し。久しぶりに、長編小説のリリースである。 今回は、大人が主人公で、娯楽性は消えている。オモシロおかしい小説とは、一線を画している。ひょっとすると、そろそろノーベル [続きを読む]
  • 村上春樹を 22 維新作「アフターダーク」
  • 日常における別の世界を、違う視点から表現している。男女4人が、三つの物語の中でそれぞれ個性を主張し合う。しかし、お互いの物語は、ある出来事で関係して、つながりを見せる。 高橋とマリ、マリの姉エリ、白川と、それぞれの物語は距離を保ちながら。しかも、関係しながら、らせんを描く、三重らせん構造のようである。表と裏、そして、どちらでもない世界を表現し、会話と映像を中心に男女を描く。 違う視点 [続きを読む]
  • コーヒーブレイク 6 相棒12と読書
  • 孤独の研究・・・作家の条件とは杉下右京と甲斐亨が無職のネット批評家毒島と紅茶を通して、語り合う。毒島はペンネーム毒薬を使い、作家烏森凌の小説を批評してこういう。「彼には作家に必要な劣等感や渇望感、何かの「欠落」が欠落している。」その言葉に、村上春樹の小説の中の主人公の独白を思い出した。 「頭が悪いので。耳の形が良くないので。論理的思考が足りないので。」これは、少なからず、作者本人の投影ではない [続きを読む]
  • 村上春樹を 21 風から1Q84まで
  • 読み始めて30年が過ぎた。村上氏は、小説を通して救いを書いてきた。それは、文学者としての、彼のテーマであり、スタンスである。男は東奔西走しながら旅を続け、女に救いの手を差し出そうとする。女は自分の世界で、自己完結し、結局は男のもとを去っていく。 ジャズ音楽から、交響曲が流れ、ポップミュージックまで登場してくる。サンドイッチや、生野菜に代表される食事を作り、洋食を好む。ビールやウイスキーを [続きを読む]
  • 村上春樹を 20 海辺のカフカ 2
  • 「海辺のカフカ」には救いがある。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」にはない。世界の終わりは、1985年、村上氏の執筆初期に当たる。海辺のカフカは、2002年であるから、17年が経過している。世界の後、ノルウェイの森・ダンス・ねじまき鳥と進化していく。 ダンスあたりから、村上氏は救いを描くようになっていった。主人公僕が旅を終えると、愛する対象を手中に納めていく。ワンダーランドで [続きを読む]