しんさん さん プロフィール

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しんさんさん: はーとふるでいず
ハンドル名しんさん さん
ブログタイトルはーとふるでいず
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/sinnsan/
サイト紹介文子供なし、10歳年下の妻に先立たれた寂しいオヤジの独り言
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 29日(平均6.8回/週) - 参加 2017/03/31 14:22

しんさん さんのブログ記事

  • 依存
  • 一昨日、右手の中指にトゲが刺さった。てのひら側の第二関節のところ。大した痛みじゃないからいつ刺さったのかもわからない。ちょっとした痛みを感じて手をよく見たら小さいトゲだった。老眼で近くは見えないが、何とか見えた。見てしまうと気になるし、そこそこ痛い。 こういう時に困る。我が家のドクターは妻だ。私の体調管理も妻の担当。 私が身体のどこかの不調を訴えると、妻はめちゃめちゃ燃えた。まるで治す事を [続きを読む]
  • メタルライブ
  • 私には40年間ファンのバンドがある。それはジューダス・プリーストというイギリスのヘヴィメタル・バンド。そんなに長い間好きなのも凄いけど、そんなにやってるバンドはもっと凄い。老人バンドだ。2015年にそのジューダス・プリーストが日本に来た。今まで誰のライブにも全く行ってないのに、なぜか突然ライブに行きたくなった。そこでダメ元で妻に聞いてみた。「ジューダス・プリースト武道館でやるけど行かへんか?」「いいよ」 [続きを読む]
  • ティンシャ
  • 妻が昏睡状態になる10日ほど前に、「ティンシャの音が聞きたい」と言うので、私はYouTubeでティンシャを探して色々な音を聞かせた。YouTubeで散々聞いた後、予想通り、「欲しい」と言うので、早速ネットで調べて購入。数日後、来たのがこれ。ティンシャとは、チベットの僧が使う仏具らしい。シンバル状の金属が2個でワンセット、革ひもでつながっている。シンバル同士を軽くヒットすると高くて澄んだチ〜〜ン音が続く。部屋の四 [続きを読む]
  • サポーター
  • 妻は在宅ホスピスケアを受けるために実家に行くまでは、私と二人で生活していた。二人で生活する最後の半年以上は腰痛との闘いだった。癌の骨転移で、背骨が腰の少し上あたりで折れていた。その後変形して固まったので、背骨の神経を圧迫していたようで腰痛や足の痺れがあった。ちょうど椎間板ヘルニアみたいに。座ってても立ってても上半身の体重が腰に乗るので痛い。横になっていればかなり楽だった。それでも麻薬系の何とかいう [続きを読む]
  • 科学療法はしません
  • 初めて行った医大で受付を終えて、看護師に用意してもらったベッドで妻が横になっていた。ベッドがあるのは人が行き交う通路とカーテンで仕切っただけの落ち着かない部屋だった。そこで呼び出しを待っていると、先生3名くらいと看護師2名くらいがやって来た。先生は妻の担当である若い女医と、緩和ケアのおじさん先生と、あと誰かわからない兄さん先生。簡単に自己紹介してくれたが、何も覚えられなかった。女医は30歳くらいに見 [続きを読む]
  • 藁にもすがる
  • 癌の転移がわかってから、妻はそれまで以上に癌についてネットで色々と調べていた。そして妻はあるサイトで購読会員になった。それは「ガンの患者学研究所」で、医者が見放した末期患者でも治るとうたっている。私は一度その会の講演会に妻を連れていった。ちょっと遠いけど、どうしても行きたいというから。私も妻と一緒に講演会場に入った。来場者は80人くらいだろうか。みんな癌で苦しんでいるんだ。講演会は、実際に癌が完治し [続きを読む]
  • 南国顔
  • 在宅ホスピス、週2回の往診は基本的に主治医が来てくれていたが、先生の休日や急用の場合は主治医より若い40歳位の先生が往診してくれていた。主治医が来れなくて、初めて若先生が往診に来た日。妻は先生の顔を見た瞬間に涙が溢れ始めた。なぜだかわからない。自然に涙がポロポロ出てきたらしい。先生も驚いただろう。患者がいきなり泣き始めたら、容態が良くないかと思うかも知れないし。しばらくして落ち着くと、妻は先生に得意 [続きを読む]
  • 小さな夢
  • 妻には昔から小さな夢があった。それは家族揃って紅白を見る事。実家では決して叶わない。小さい頃から一家団欒に憧れていて、日本の幸せな家族の象徴である年末の紅白を家族揃って仲良く見る事、が夢だった。ウチは二人家族なので簡単に叶う夢だ。毎年、年の瀬になると妻は紅白を凄く楽しみにしていた。「トリは誰かな?」とかよく聞いてきたが、私はそっけなく「知らんわ」と突っぱねていた。私は邦楽をあまり知らないし好きでは [続きを読む]
  • ありがとうとごめんね
  • 在宅ホスピス中、妻は実家にいたので大いに母親や姉にはお世話になった。本当は親にも姉にも頼りたくなくて、実家には行きたくなかったが他に選択肢がない以上しょうがなかった。実家では特に母親の気分を害するとエラい事になるので、必死に気を使っていた。気を使う一つに、何かやってもらう度に「ありがとう」を言っていた。それは当然だが、あまりにも「ありがとう」が多い。みんなが「いちいち言わなくてもいいよ」と言ってい [続きを読む]
  • ハードロック
  • 私は中学で洋楽にハマり、高1でハードロックにどっぷり浸っていた。中高生当時、中部地方山間部のド田舎ではロックの情報などほぼなく、毎週テレビでやるデデ川村のポップス・イン・ピクチャーのみだった。だから、ロック情報には物凄く飢えて育った。 妻がよく聴いていたのは基本、日本の女性歌手。aikoとかボニー・ピンクとか。 ヘビメタなど無縁で、長髪の外人を怖がっていた。私は毎日、YouTubeでロックを1〜2時 [続きを読む]
  • 後悔
  • 妻が私の手を強く握ってくれた日の夜のこと。私は既にベッドで寝ていた。隣の介護ベッドに寝ている妻から、「う〜、う〜」というような唸り声がしていて目を覚ました。時計を見ると午後10時。私は寝起きで思考が働かなかったのだろうか、特に何とも思わなかった。ただ妻は目が見えていないから、目を覚ましても昼か夜かもわからないだろうと思った。そこで私は隣のベッドに寝たまま、「今、夜の10時やで、もっと寝なさい」と声を掛 [続きを読む]
  • 異変
  • 寝る前に妻が言った。「夜中に一回起こして」いつもと変わらない一日を過ごしてきたのに、何かを感じたのだろうか。普段こんな風に言った事はない。私は変だなと思いつつ、「うん、わかった」と言っていつも通り隣のベッドで寝た。私は午前2時頃目を覚ました。 横になったまま、小声で妻の名前を呼んだ。小声だから一度や二度では起きないだろうと思った。が、不思議な事に妻はすぐ目を開けた。すると妻が、「ちょっと立って [続きを読む]
  • 漫画本
  • 妻は在宅ホスピス中、甥っ子に「聖☆おにいさん」を12巻全て借りていた。この漫画は以前から好きで1〜11巻まではもう読んでいて、12巻だけが未読だった。暴力とか残虐なモノが嫌いなので、そういう描写がなくて楽しめる漫画は少ない。そういう面で「聖☆おにいさん」は妻でも安心して読める。暇に任せて全巻を3〜4回読んだらしいが、しょっちゅう大爆笑していた。きっと免疫力もアップしていたと思う。私は妻が余りにも笑うので [続きを読む]
  • 記憶喪失
  • 亡くなる2週間ほど前のこと。妻がトイレに行って帰って来た。私は部屋の中から妻が歩いて来るのをドアを開けて見ていた。ゆっくり歩いていた足がドアの前で止まった。何秒間か動きが停止していた。どうしたんだろうと思っていると、突然妻が、「何か質問して!」と言った。私は意味がわからず、「ん?何?」妻「名前とか何でもいいから聞いてみて」私「名前は?」と言うと自分の名前を言った。「歳は?」自分の歳を言った。「旦那 [続きを読む]
  • ロボット
  • 車に乗っていて、無理に割り込まれたり、ウインカーなしで曲がったりされて危ないと、私は車内でつい声を出してしまう。「〇〇野郎!」とか。助手席の妻は、「車内の暴言はトラウマなので止めて欲しい」 と言った。私は了解したが、やはり咄嗟に出てしまう事もある。そういう時は、その都度指摘された。ある日、運転中また私が暴言を吐いてしまった。助手席の妻が無言で、ダッシュボード付近から20cm位の箱を取り出すふりをした。 [続きを読む]
  • 再発
  • 15年の1月頃から、妻は腰が痛いと言い始めた。日が経つにつれ、どんどん痛みが増していった。癌の再発ではないと信じて、そう思いたくて、妻は坐骨神経痛だろうと言っていた。症状は腰痛と足のしびれなので、私もそうであってほしいと願った。「これが癌の痛みなら、癌なんて大した事ないよ。」と強がっていたが、そうも言っていられなくなった。色んな湿布薬を試し、ロキソニンをどんなに飲んでも効かない。5月頃には痛すぎて夜も [続きを読む]
  • 妻が遺した言葉2
  • 妻は、余命宣告後、実家に移って最後の4ケ月を過ごした。私も退職したので、最後の2ケ月は常に一緒に過ごした。亡くなる半月くらい前、妻が言った。「いつかはしんさんにいい人が現れるから、その時は私の事はいいから、幸せになってね」突然言われた私は、「そんなんないって」と首を横に振った。妻「ん〜ん、いつか現れるよ。でも・・やっぱり・・悔しいな・・」最後は小さい声だった。私にはその「悔しいな」の一言が嬉しかっ [続きを読む]
  • 私は妻が亡くなって1ヶ月後位かな、デジタルフォトフレームを購入した。 それ以来毎日パソコンに向かい、デジタルフォトフレーム作業に何時間も費やした。 何度も何度もやり直し、満足いくまでに1ヶ月ほどかかった。 だから毎日、パソコンで妻の写真を見まくっていた。見すぎて妻がまだ近くにいるような錯覚さえした。今は毎日スライドショーで写真を千枚表示している。妻の死後1年近く経って、パソコン内であるビデオファイル [続きを読む]
  • 来世で
  • 妻は亡くなる1年位前から、腰痛のためにベッドで横になっている時間がほとんどになってしまった。余命宣告後はよくベッドで泣いていた。ある時、私もそのベッドで妻の横に寝そべって言った。「今生は一緒の時間は短くても、来世でまた一緒になろう。」すると即座に妻が、「うん、今度は絶対子供産む。」と言ってさらに泣いた。私は泣いているのがバレないように「ん」とだけ言って妻に背中を向けた。妻は、私のその言葉を胸に旅立 [続きを読む]
  • 余命宣告
  • 宣告はいつものように検査結果を聞きに行った際、夫婦一緒に聞いた。「今日は悪いお知らせがあります」聞きたくなかった。医師から妻の余命は半年と宣告され、私の家庭は一変した。できるだけ早く退職し、居住地も変わった。何より心持ちが変わった。まだ数年先だと思っていたから。私はこれから起こる事が怖くてしょうがなかった。今まで身近な人が亡くなる事がなかったので、何もわからないし想像もできない。と同時に妻の恐怖と [続きを読む]
  • 妻が遺した言葉1
  • 妻は余命宣告を受け、自分の実家で最期を迎える決断をした。実家でというのは本意ではなかったが、他に選択肢がなかった。妻は私と一緒に暮らしたアパートで最期を迎えたいと思っていた。だが医師がどうしても緊急時の対応ができないという事で、断念せざるをえなかった。それでアパートから100km離れた妻の実家で、人生最後の4ケ月間を過ごした。妻が実家に行った事は妻の親友1人にしか言っていなかった。亡くなる2ケ月ほど前 [続きを読む]
  • メッセージ
  • この1年、私は妻の夢をほとんど見ていない。2、3度見たけど、それは妻の顔ではなかった。妻という設定になってはいたけど、顔が違う別人だった。夜中にその夢からさめた時、ちょっと残念な気がした。その時はそれだけだった。別の夜1度だけ顔は見えなかったが、妻と一緒にいる夢を見た事がある。その夢の中で、2人でどこかへ出掛けた。私は妻を守ろうと思った。別に敵がいるわけじゃないけど、何かあったら妻を守るのは私だ。 [続きを読む]
  • 仕事のこと
  • 妻が亡くなってから5ケ月間私は何もしていなかった。というか何もできなかった。しかし仕事をしなければ家賃も払えなくなる。仕方なく寮管理の仕事を探した。長く管理人業をやってたので、もう他の仕事はできない。今度は今までのように夫婦住込みというわけにはいかないので、通いの管理人だ。通うには遠いがとりあえず出ていた求人に応募した。数日後面接して、採用された。そして配属された寮はある運動部の寮だった。10数人の [続きを読む]
  • 生い立ち
  • 私が妻と暮らし始めた頃、妻は安定剤を常用していた。パニック障害というものらしい。東京の心療内科に通って、薬を出してもらっていた。育った家庭環境が良くなかったのが原因だと言っていた。両親と姉と妻の4人家族。エゴイストな父親と、嘘で子供を操作する母親。両親共、思いやりに欠け、自分重視で子供は二の次。親戚ぐるみで、父親と母方が対立していた。「お前はどっちの味方だ?」とよく子供に聞いていたという。姉は年頃 [続きを読む]
  • 食事
  • 私は料理をしたことがなかった。包丁を握った事もなく、キャベツの切り方もわからない。妻は医師から余命半年と宣告され、それから5ケ月もたなかった。亡くなる1ケ月ほど前、2日にわたって生ラーメンと焼きそばの作り方を教えてくれた。腰が痛いのに台所に一緒に立って指導してくれた。恐る恐る野菜を炒める私に「炒める時はこう!」と言って大胆にやってみせてくれた。残されて一人暮らしになる私が食事に困るのはわかっている [続きを読む]