こんまんき さん プロフィール

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こんまんきさん: 創価学会はカルトです
ハンドル名こんまんき さん
ブログタイトル創価学会はカルトです
ブログURLhttp://konmanki.blogspot.jp/
サイト紹介文邪悪なカルト創価学会の実態を、一人でも多くの方に知っていただきたくために開設したブログです。
自由文創価学会の金集め、脱会者・批判者に対する組織的な嫌がらせ、その他諸々の反社会行為の実態をあばき、邪悪なカルトとしての本質を知らしめたいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供66回 / 86日(平均5.4回/週) - 参加 2017/03/31 22:36

こんまんき さんのブログ記事

  • 折伏成果の水増しについて
  •  現在の創価学会は、827万世帯の会員がいると公称している。 しかし、公称発行部数550万部の『聖教新聞』を、一世帯で複数部とる学会員が多数いたり、公明党の得票数が公称世帯数より少なかったりすることから、学会が主張する数字は、過大なのではないかと疑われる。 創価学会の公称世帯数は、学会が授与した本尊の数に基づくという。つまり、世帯数が怪しいということは、折伏実績の水増しが疑われるということである。今回は [続きを読む]
  • 折伏大行進の実態
  •  戸田城聖は、昭和26年(1951年)5月3日の会長推戴式において、以下のように宣言し、学会員に対して大々的な折伏の開始を号令した。>  私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。願わくば、それ> までに宗門におかせられても、七十五万だけやっていただきたいものである。もし私> のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出して下さるな。> 遺骸は品川の沖に投げ捨てなさい [続きを読む]
  • 池田大作在日説について
  •  2chなどネット上には、池田大作は在日朝鮮人、または帰化した元在日であるという風説が根強くある。 それによると池田の本名は成太作(ソン・テジャク)で、親の代に朝鮮半島から日本に渡ってきたのだという。 私は創価学会や池田大作について書かれた本を、それなりの数読んだが、この池田在日説を裏づける記述は、ついぞ目にしたことがない。 参考までに、池田の出自についての記述を代表的な創価批判本から引用する。>  [続きを読む]
  • 池田大作と戸田城聖の?遺品の刀?
  •  『人間革命』第五巻に、昭和26年(1951年)1月26日、池田大作(作中では「山本伸一」)が、戸田城聖の自宅に呼びだされ、後事を託すかの如きことを言い渡される場面が描かれている。> 「伸一、今日はよく聞いてもらいたいことがある。私も最後の覚悟をしておかねばな> らぬ時がきた。それで一切の書類を処置しているわけだが、検察当局にこちらから出> 頭しようかと思っている。一つの非常手段だ。しかし、そうなると、相 [続きを読む]
  • エレベーター相承のウソ
  •  創価学会の第二代会長・戸田城聖は、昭和33年(1958年)4月2日に死去したが、生前、後継者を明確に指名していなかったため、その2年後、昭和35年(1960年)5月3日に池田大作が第三代会長に就任するまで、会長職は空位だった。 しかし、池田大作は第三代会長に就任した後になって、戸田の死の一月ほど前の3月1日、大石寺で大講堂落慶法要が営まれた際に、自分が後継者として指名されていた、と言い出した。『人間革命』第十二巻 [続きを読む]
  • 「長男はツギオで、次男はダイサク」
  •  『人間革命』第五巻に昭和26年(1951年)7月11日、創価学会青年部の部隊結成式の模様が描かれている。その時、演壇に立った戸田城聖は、その年の5月、自身が第二代会長に就任したばかりであったにもかかわらず、次期会長について言及したという。> 「きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会会長が現われるで> あろう。必ず、このなかにおられることを、私は信ずるのです。その方に、心からお> 祝いを [続きを読む]
  • 藤原行正氏について
  •  『人間革命』の最終巻である第十二巻は、平成5年(1993年)4月2日付で刊行されている。創価学会が日蓮正宗から破門されてから二年後のことであり、この頃には古くからの幹部の中からも造反者が何人も出て、池田大作への批判をしていた。 『人間革命』第十二巻では、石田次男氏(作中では「石川幸男」)、龍年光氏(作中では「滝本欣也」)、藤原行正氏(作中では「藤川一正」)に対して、かなり辛辣な批判が加えられている。  [続きを読む]
  • 大阪事件
  •  昭和31年(1956年)の参議院選挙で、創価学会から6人が立候補し、うち3名が当選した。創価学会が国政選挙に候補を立てたのは、この時が初めてだった。 この時、大阪府選挙区から立候補した白木義一郎氏(『人間革命』では「春木征一郎」)の選挙参謀を務めたのは池田大作であった。この選挙では、創価学会員の中から多数の選挙違反者が出た。当時についての記述を以下に引用する。>  ここで「参議院議員当選」という三つの「 [続きを読む]
  • 『人間革命』の執筆体制と長期休載
  •  『人間革命』は、「聖教新聞」に連載されていたが、たびたび休載していた。中でも最も長期の休載は、第十一巻分の連載を中断した時である。 『人間革命』第十一巻は昭和55年(1980年)8月10日から連載開始されたが、同年11月20日の掲載を最後に休載し、再開されたのは10年半後の平成3年(1991年)5月3日だった。 長期休載の理由について、同書の「あとがき」には、以下のように記されている。>  長い道程であった。十年一昔 [続きを読む]
  • 「日蓮」を名乗る前の日蓮
  •  日蓮は、建長5年(1253年)4月28日、故郷の清澄寺で立宗を宣言し、それを機に名を改め、「日蓮」の名を用いるようになった。 その前には、出家する際に付けられた「是しょう房蓮長」を名乗っていた。「しょう」と平仮名で書いたのは、この部分については音のみ伝わっており、漢字でどう書くか、長らく不明だったからである(「是生房」または「是性房」ではないかと考えられていた)。 昭和10年(1935年)4月14日、当時は神奈 [続きを読む]
  • 創価学会常住の本尊について
  •  創価学会が急速に勢力を伸ばした昭和20年代の大部分の期間において、大石寺法主として日蓮正宗を率いていたのは第64世水谷日昇氏であった。 水谷氏が法主であった期間には、創価学会が独自に宗教法人となることを認めるか否かや、創価学会に批判的な僧侶と学会員との確執、狸祭り事件など、日蓮正宗と創価学会との間にはさまざまな問題が起こった。 そして、大石寺法主であった水谷氏は、否応なく創価学会との問題に直面しなけ [続きを読む]
  • これまでのまとめ
  •  当ブログを開設して、3ヶ月が経ちました。 これからも、創価学会がいかに反社会的ななカルトであるか、またその教義がどれほど支離滅裂なデタラメであるかを、一人でも多くの方に知っていただくために、頑張りたいと思います。今後ともよろしくお願いします。◎ 広宣部・教宣部と嫌がらせの実態  広宣部と教宣部  広宣部・教宣部が連携した嫌がらせの手口  教宣部創設の経緯  広宣部の実態  「脱会者は自殺に追い込 [続きを読む]
  • セックス&バイオレンス
  •  昭和33年(1958年)3月、創価学会はまたしても、日蓮正宗の僧侶へのリンチ事件を総本山大石寺において引き起こした。 この時は、創価学会員の寄付により建てられた法華本門大講堂が竣工し、その落慶記念式典が催されたことから、多数の学会青年部員が大石寺に泊まりこんでいた。 その際に青年部員たちが、大石寺の所化(いわゆる「小僧さん」)にとった態度を批判した僧侶・的場正順氏対し、池田大作(当時、学会本部参謀室長 [続きを読む]
  • ?狸祭り事件?について
  •  創価学会が日蓮正宗から破門されて四半世紀以上が経過したが、彼らは現在も日蓮本仏論などの正宗の教義に依拠し続け、各学会員の家庭においても、日蓮正宗総本山大石寺の第26世法主・日寛が書写した本尊の複製を仏壇に祭っている。 創価学会は日蓮正宗の宗教的権威を借りることにより、「我々には七百年の伝統があり、新興宗教ではない」と主張し、勢力拡大に役立ててきた。 一方で、日蓮正宗に対しては表面的には敬う姿勢を見 [続きを読む]
  • ?福子?として育てられるということ
  •  創価学会では、学会員の家庭に生まれ育った子のことを「福子(フクシ)」という。 福子に対しては、幼い頃から創価学会の教義に基づいた教育がなされることになる。 親には子を教育する権利があり、宗教についての教育もその権利の中に含まれるが、学会員の家庭の場合、社会常識から逸脱した教育が行われることが珍しくない。 創価学会は、唯一の正しい宗教を自称しているため、学会員の子弟に対しても「創価学会だけが正しい [続きを読む]
  • 池田城久の死
  •  昭和59年(1984年)10月3日、池田大作の次男、城久氏が死去した。死因は胃穿孔、享年29歳という若さであった。 『聖教新聞』では同年10月5日付で、「九月中旬ごろ胃痛を訴え検査したところ胃潰瘍との診断で、九月二十五日から治療をしていた。三日午後、容態が急変して、東京・豊島区の癌研究会附属病院に緊急に入院し、手術したが、出血のため死去した」と伝えた。 しかし、この出来事には、表向きの訃報では伝えられていない [続きを読む]
  • 紙を飲む宗教③
  •  ※ 承前 紙を飲む宗教①、② 前回、『人間革命』における護秘符の使用例について概説したが、実は『聖教新聞』での連載時には言及されていたものの、単行本には掲載されなかった使用例も存在する。当該の一節を以下に示す。>  小西理事長は病院に飛んだ。……浅田は内臓の苦しさのからの苦悶と、呼吸の困難> さから断末魔の表情さえ浮かべていた。小西は早速、……唱題しつつ御秘符を飲ませ> たのである。暫くして浅田 [続きを読む]
  • 紙を飲む宗教②
  •  ※ 承前 紙を飲む宗教① 護秘符は『人間革命』全12巻中、第七巻に一回(前回引用)、第八巻に三回の計四回登場する。『人間革命』において、護秘符が誰に使われ、どのような結果をもたらしたと述べられているかを、以下、掲載順に記す。事例1対象:四歳くらいの男児疾患:血友病(『人間革命』でこの件が描かれている昭和28年当時、治療法がなかった)結果:一時的な症状の緩和(完治したとの記述はない)事例2対象:三歳の [続きを読む]
  • 紙を飲む宗教①
  •  『人間革命』第七巻(昭和28年頃を描く)に、「護秘符」なるものが登場する。 護秘符とは、血友病の幼子を持つ母親から相談を受けた戸田城聖が、医者で治らぬ病気は信心で打開するより他ないとして、日蓮正宗の総本山に特別に申請したものとされている。当該場面を以下に引用する。>  母と子を見守りながら、戸田は更に激励を与えたが、ふと思いついたようにいった。> 「あなたは、真面目に信心してきたようだ。私にはそれ [続きを読む]
  • 『人間革命』と結核
  •  かつて結核は「国民病」ともいわれ、不治の病として最も恐れられた感染症だった。特に終戦後の数年間は、結核は日本人の死亡原因の第一位だった。 物資の欠乏による栄養不良が、感染症の蔓延を引き起こしたのである。 この時代を背景として描かれる『人間革命』にも、結核について描かれている。この小説の主人公である戸田城聖も、表向きは著者ということになっている池田大作も、結核を病んだことがあるので当然であるが(こ [続きを読む]
  • アル中・戸田城聖
  •  NHKの番組と民放各社のそれとの大きな違いの一つとして、『NHKスペシャル』に代表される硬派ドキュメンタリーの存在が挙げられる。 NHKのドキュメンタリー番組の嚆矢は、昭和32年(1957年)11月から放送された『日本の素顔』と題されたシリーズだった。 その第一回「新興宗教をみる」では創価学会も取り上げられ、大石寺で行われた戸田城聖の法華経講義の模様が放送された。 その撮影当日、控室の戸田のもとに挨拶に [続きを読む]
  • 戸田城聖のビジネス(戦後編‐③)
  •  ※ 承前 戦前・戦中編 戦後編‐①、② 昭和25年(1950年)秋、戸田城聖は新たな金融会社・大蔵商事(『人間革命』では「大東商工」)を設立する。戸田はこの会社のオーナーだったが、東京建設信用組合(『人間革命』では「東光建設信用組合」)の破綻に伴う責任追及を受けている身であったため、顧問という一歩引いた立場で関与した。 新会社の社長には和泉覚をあて、専務理事には愛人の森重紀美子、営業部長には池田大作が [続きを読む]
  • 戸田城聖のビジネス(戦後編‐②)
  •  ※ 承前 戦前・戦中編 戦後編‐① 昭和24年(1949年)10月、戸田城聖が経営する出版社・日本正学館は倒産し、池田大作を含めた同社の社員は、金融会社・東京建設信用組合(『人間革命』では「東光建設信用組合」)に異動する。 しかし、この東京建設信用組合の経営も順調とはほど遠いものだった。その理由としては、まったくの異業種である金融業に、元々出版社の社員だった人々をあてたことや、当時インフレを抑制するため [続きを読む]
  • 戸田城聖のビジネス(戦後編‐①)
  •  ※ 承前 戦前・戦中編 治安維持法違反で逮捕され、未決拘留されていた戸田は、懲役三年執行猶予五年の判決をうけ、昭和20年(1945年)7月3日豊多摩拘置所から保釈された(『人間革命』は、この場面から始まる)。戸田の事業は崩壊し、多額の負債まで抱えていた。 事業を再開した戸田は、新たなビジネスとして通信教育を思いたち、早速行動を開始する。敗戦直後には、新聞広告を出すなどその動きはすばやかった。当時の模様を [続きを読む]
  • 戸田城聖のビジネス(戦前・戦中編)
  •  戸田城聖は、炭鉱会社の事務員、小学校教諭、生命保険の外交員など、様々な職を転々とした後、大正12年(1923年)「時習学館」という学習塾を開いた。 この当時、戸田は「城外」と名乗っていた。また、牧口常三郎が校長を務める小学校に勤務したことが縁で、牧口の人格・教育理論に傾倒するようになり、生涯の師と仰ぐようになっていた。 この時習学館は、当時の激しい中学受験競争を背景にかなり繁盛した。戸田は、教育者とし [続きを読む]