olomoučan さん プロフィール

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olomoučanさん: オロモウツ日本語リハビリ日記
ハンドル名olomoučan さん
ブログタイトルオロモウツ日本語リハビリ日記
ブログURLhttp://fanblogs.jp/takzolomouce/
サイト紹介文オロモウツに住んで長い人間が、チェコに関係あることもないことも、とにかく毎日書く日記もどき。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供125回 / 110日(平均8.0回/週) - 参加 2017/04/04 17:24

olomoučan さんのブログ記事

  • 暑い(七月十九日)
  •  冬には寒いとわめき、夏には暑いと嘆く。年をとるとこらえしょうがなくなっていけない。暑いとは言っても二年前の連日三十度を超えるどころか、四十度に近づく日の続いた夏に比べれば、遥にましなのだが、自宅も、職場も屋根裏部屋である上に、クーラーなんてものが存在しないので、晴れて気温が三十度を超えると、頭が湯だってろくにものを考えられなくなる。今日も暑かったけれども、明日はさらに暑くなるという。 チェコで気 [続きを読む]
  • シュテルンベルク2 Šternberk moravský(七月十八日)
  •  モラビアのシュテルンベルクは、オロモウツから20kmほど北に行ったところにある。チェスキー・シュテルンベルクとは違って、形容詞は付かずにただのシュテルンベルクと呼ばれている。ということは、こちらが最初のシュテルンベルクかと思わなくもないけれども、よくはわからない。町の紋章はボヘミアのものとほとんど同じで、シュテルンベルク星の下の山がちょっと違うぐらいである。 この町のことを、我々外国人はつづり通りに [続きを読む]
  • シュテルンベルク1Šternberk český(七月十七日)
  •  昨日の話に出てきたように、シュテルンベルクというのは、チェコの代表的な貴族の一族である。ビロード革命後すぐに制作された第二次世界大戦後のすぐのチェコの軍隊を描いた映画「タンコビー・プラポル」だったか、「黒い男爵たち(チェルニー・バロニ)」だったかに、シュテルンベルク家の末裔が登場する。周囲の連中が、あいつ貴族だから血が青いらしいぞ、見せてもらうかなんて話をするんだったかな。チェコの映画の中には、 [続きを読む]
  • オロモウツの戦い(七月十六日)
  •  1241年にオロモウツ近郊で起こった戦いのことを聞いたことがある人はいるだろうか。東方から押し寄せ、キリスト教徒の軍隊を粉砕しヨーロッパを恐怖に陥れたモンゴルの遠征軍を、ボヘミア、モラビアの諸侯の軍隊が、オロモウツの近くで打ち破り、モンゴル軍をモラビアから撃退することに成功したというのである。 チンギス・ハンの孫に当たるバトゥを総司令官とするモンゴルのヨーロッパ遠征軍は、ロシア、ウクライナの地にあっ [続きを読む]
  • 失われたチェコの領土3(七月十五日)
  •  最後の失われた領域はシレジアである。チェコ語でスレスコ、ドイツ語風にシュレジエン、もしくはポーランド風にシロンスクと言ったほうがいいかもしれない。オパバ、クルノフなど一部はチェコ領であるが、大部分は現在ではポーランド領となっている地域である。 チェコをプシェミスル王朝が支配し、ポーランドをピアスト王朝が支配していた時代、シレジアは両国の王権がぶつかり合う場であった。ポーランド王が、ボヘミアで族滅 [続きを読む]
  • 失われたチェコの領土2(七月十四日)
  •  二つ目の失われた領土はチェコ語で「チェスカー・ファルツ」と呼ばれるドイツのバイエルン州の北東部である。西ボヘミアのドイツに突き出した部分から南西に尻尾のように垂れ下がる形でニュルンベルクの近くまで延びている領域が、一時期とはいえチェコの王冠に結び付けられていた。この地域を獲得したボヘミア王は、カレル四世である。 カレル四世は、二人目の王妃アナ・ファルツカーとの結婚と買収によって1355年にこの地域の [続きを読む]
  • 失われたチェコの領土1(七月十三日)
  •  歴史的にチェコの領土のことを、チェコの王冠領などという言い方をすることがある。ボヘミア王(チェコ語だとチェヒの王)は、あくまでもチェコの西側のボヘミアを支配する者の称号であるため、ボヘミア王がモラビアやシレジアを支配する正当性を確保するために、ボヘミア、モラビア、シレジアをボヘミアの王冠(ボヘミア王と区別するために以下チェコの王冠と記す)に附属する領土とししたのだ。つまり、ボヘミアの王位を継いで [続きを読む]
  • チェコ選手のウィンブルドン(七月十二日)
  •  昨年末に強盗に利き手の左手を大怪我させられたクビトバーが、何としてでもプレーしたいと復帰の目標に掲げていたのがウィンブルドンである。目標の設定がよかったのか、もちろん本人の血のにじむような努力の結果であろうけれども、クビトバーは予定より早く全仏で復帰を果たし、一回戦を突破して見せた。ウィンブルドンに向けて期待も高まろうというものである。 いったいに、ウィンブルドンが始まる前のチェコは、特に女子に [続きを読む]
  • お酒の話5(七月十一日)
  •  アブサンというと、どうしても水島新司の初期は名作だった野球漫画『あぶさん』を思い出してしまう。たしか、主人公のあだ名の由来になったのが、アブサンというお酒だという話だったのかな。酒好きとしては、漫画を読んで興味を持たなかったわけではないのだけど、酒屋では見かけたことがなかった。 当時は、ビール以外のお酒といえば蒸留酒、つまりはウイスキーと焼酎だったので、ただしどこぞの酒造会社が流行らせようとして [続きを読む]
  • 大スランプ(七月十日)
  •  まともな人様に読んでもらえるような文章が書けないという意味では、万年スランプというか、このブログを書き始めて以来解消できていない問題なのだが、いや、そこは単なる実力不足だと言われればその通りなのだけど、前を見るのをやめたら、ほら終わりだし、いつかはまともな文章が書けることを夢見て書き続けているのだから気にしないことにして、ブログを始めて一年半、今年の七月に入って筆が全く進まなくなった。 これまで [続きを読む]
  • 『サーキット・メモリー』(七月九日)
  •  1986年6月にカドカワノベルズから刊行された『サーキット・メモリー』は、森雅裕の本としては4冊目で、角川書店からは2冊目にして最後の刊行作品となった。裏表紙に「将来を嘱望される大型新人」と記された割には、すげないあつかいである。『推理小説常習犯』に示唆されているように、この時点では角川関係者との間には修復しがたい溝ができていたのだろう。出版社も商売だからして、売り上げがよければ、そんな溝なんぞ無視 [続きを読む]
  • ベルケー・ロシニVelké Losiny(七月八日)
  •  シュンペルクからは、イェセニーク山中のコウティ・ナド・デスノウまで鉄道の路線がしかれている。「ナド・デスノウ」というのが後についていることからもわかるように、デスナー川沿いの小さな村である。デスナー川はイェセニーク山地の最高峰プラデットの近くに流れを発し、ベルケー・ロシニ、シュンペルクなどを経て、ザーブジェフ・ナ・モラビェの近くでモラバ川に合流する。 シュンペルクからコウティ・ナド・デスノウに向 [続きを読む]
  • シュンペルクŠumperk(七月七日)
  •  先日はオロモウツから南に向かってホドニーンについて書いたが、今回は北に向かうことにする。オロモウツから北に向かう鉄道路線は、モヘルニツェ、ザーブジェフを経て西に曲がりプラハに向かう幹線の270番と、シュテルンベルク、ウニチョフを経て、シュンペルクに向かうローカル線の290番の二本が存在している。 その290番の終点の町、シュンペルクが本日のテーマである。ザーブジェフからシュンペルクに向かう路線もあるため [続きを読む]
  • 聖モジツ教会――オロモウツ観光案内(七月六日)
  •  共和国広場からトラム通を町の中心のほうに下りていくと、小さな広場に突き当たる。その広場にどっしりとそびえているのが聖モジツ教会である。教会に隣接して典型的な社会主義時代のショッピングセンター、悪名高きプリオールが建っていたのだが、近年完全に改装されて外観を一新し、名前もガレリエ・モリツに改名された。今のガラスをふんだんに使った外観の方がデザイン的に美しいのは確かなのだが、どちらが旧市街の建物の間 [続きを読む]
  • 1997年の洪水(七月五日)
  •  モラビアのモラバ川、ベチバ川沿いの町を歩いていて、建物の前面の壁に、1997と書かれた小さなプレートが埋め込まれているのに気づいた人がいるかもしれない。あれは、今からちょうど廿年前、1997年7月にモラビアを襲った大洪水の際に、どこまで水が到達したのかを示す記念碑のようなものである。 日本では、おそらく2002年にプラハを中心とするボヘミア地方を襲った洪水の方が有名だろうが、犠牲者の数、被害を受けた範囲の広 [続きを読む]
  • ツール・ド・フランスとチェコ(七月四日)
  •  七月一日土曜日に、ドイツはデュッセルドルフで、第104回という今年のツール・ド・フランスが始まった。そのツールでスポンサーを務めているのがチェコ最大の企業のひとつシュコダ自動車である。チェコテレビで中継が始まってテレビで見るようになったころには、すでにスポンサーだったから、かれこれ十年以上にはなるのではなかろうか。 最初はレースで使用する自動車を提供するスポンサーで、赤いオフィシャルが使う自動車、 [続きを読む]
  • ホドニーンHodonín(七月三日)
  •  オロモウツからプシェロフを経て、南に向かい国境の町ブジェツラフから大きく向きを変えてブルノまで行く急行が、ブジェツラフの一つ手前で停車するのがホドニーンである。この辺りはスロバキアとの国境に非常に近く、ホドニーンの近くを電車で通ると、携帯電話のオペレーターがチェコのものからスロバキアのものに変わってしまうことがある。 思い出してみると、初めてホドニーンの町に入ったのは、スロバキアからだった。友人 [続きを読む]
  • 『さよならは2Bの鉛筆』(七月二日)
  •  森雅裕が、1987年7月に中央公論社から刊行した本である。全体としては七冊目、中央公論社からの刊行一冊目である。1985年のデビューから二年で、刊行点数が七、出版社が三というのは、賞を取ってデビューした新人としては、なかなかの数字であろう。初めてこの本を読んだときには、一つ目の出版社とはすでに絶縁し、二つ目の出版社の編集者との関係も険悪なものになっていたなんて事情は知らなかったんだよなあ。 問題は、いつ [続きを読む]
  • 離婚する総理大臣(七月一日)
  •  六月末のことだったと思うが、秋の総選挙の後に退任することが決定的になっているソボトカ首相が、離婚するというニュースが流れた。あまり大きなニュースにはなっていなかったけれども、これで総理大臣が離婚するのは四人目ということになるらしい。暫定内閣の臨時の総理大臣を除けば、1993年のチェコとスロバキアの分離独立以後の総理大臣は八人しかいないことを考えると、チェコは一般的に離婚率が高いとはいえ、多すぎると言 [続きを読む]
  • ウクライナ問題あれこれ(六月卅日)
  • 1 民族主義的な傾向を強めて、ポーランドと対立を深めているウクライナだが、このたびEUとの間でビザなしで入国できるという協定を結んだらしい。将来のNATO加盟、EU加盟に一歩近づいたということなのだろうけれども、EUはどうしてこんなに急ぐのだろうか。 チェコテレビのニュースによると、ウクライナではEUに入るための加盟国のビザは、犯罪組織の資金源になっているらしい。どのEU加盟国の大使館も領事館も、無制限に申請を [続きを読む]
  • 永観二年十二月の実資〈下旬〉(六月廿九日)
  •  廿一日は、暁更なので、前日の御仏名が終わってしばらくしたぐらいの時間に内裏を退出している。実資は出ていないけれども、この日は荷前の使を発遣する儀式も行われている。大嘗祭が行われる前は、天皇はこの儀式に出御しないということを前夜に外記が報告しているので、花山天皇は出御しなかったのだろう。 実資は夕方に内裏に再び向かい御仏名の三日目に出ている。天皇の仰せで、皇太子時代から付き合いのある僧兼性を、儀式 [続きを読む]
  • 永観二年十二月の実資〈中旬〉(六月廿八日)
  •  十二月中旬に入って、十一日には天皇が神を迎えてお酒と食事を共にする儀式である神今食が行われる。ただし、この年は、花山天皇が即位したばかりで、まだ大嘗祭が行われていないため、天皇の出御はなく、担当の役所が代行している。実資は早朝内裏を退出した後、呼ばれて頼忠のところに出向いて、その後円融上皇のもとに向っている。院では恐らく八日に始まった御読経が続いており、僧たちに実資は午後の食事と提供している。実 [続きを読む]
  • 永観二年十二月の実資〈上旬〉(六月廿七日)
  •  久しぶりの『小右記』の内容紹介である。久しぶりすぎて加減がわからなくなっている。 一日はまず、院を出て内裏に向かい、十一月廿七日に馬を牽かなかった三人についての話である。廿九日にそのうちの一人の藤原宣孝から聞いた話を天皇に奏上し、そのついでに残りの二人藤原斉信と源時叙の弁護をしている。曰く、まだ昇殿を許されておらず、特に職掌もない上に、若いから失敗したのも仕方がないとか何とか。最近は馬を牽くこと [続きを読む]
  • 通訳稼業の思い出話2(六月廿六日)
  •  もう十年以上前のことだが、とある日本の大企業がEU企業と共同でチェコに建設した工場の立ち上げの際に通訳として協力したことがある。共同の工場とは言え、生産を担当するのは日本企業だったので、チェコ語と日本語の通訳が求められていて、その工場で通訳のとりまとめをしていた知人にお前も来いと引っ張られたのだ。 今でも覚えているのが、日本から指導に来た人たちが、EU企業に対してぶーぶー言っていたことだ。生産に関し [続きを読む]
  • U21ヨーロッパ選手権(六月廿五日)
  •  当初の予定では昨日の記事の末尾にちょっとだけ触れて終わるつもりだったのだけど、そうも言っていられなくなったので、頑張って一本分書くことにする。 この世代のサッカーのヨーロッパ選手権は、二年に一回奇数年に開催されており、オリンピックの前年の大会はオリンピック予選を兼ねている。二年前の2015年にはチェコで開催され、オロモウツも会場の一つとなっていた。チェコ代表は地元の利を生かすことができず、グループス [続きを読む]