olomoučan さん プロフィール

  •  
olomoučanさん: オロモウツ日本語リハビリ日記
ハンドル名olomoučan さん
ブログタイトルオロモウツ日本語リハビリ日記
ブログURLhttp://fanblogs.jp/takzolomouce/
サイト紹介文オロモウツに住んで長い人間が、チェコに関係あることもないことも、とにかく毎日書く日記もどき。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供43回 / 28日(平均10.8回/週) - 参加 2017/04/04 17:24

olomoučan さんのブログ記事

  • プラハ駅観光(四月廿八日)
  •  プラハをちょっとだけ観光しようと思ったら、何も街の中心にまで出かける必要はない。よく考えてみれば、プラハ駅の建物自体が、ジャーマンセセッション様式の傑作なので見て回るだけの価値はある。プラハ駅の建物については、フランス風にアールヌーボーということもあるようだけど、ドイツ、オーストリアの建築の世界なので、ドイツ風にジャーマン・セセッションと呼んでおきたい。絵画の場合にはもちろん分離派である。「ベー [続きを読む]
  • プラハ駅前観光2(四月廿七日)
  •  昨日の続きである。自動車連盟を越えて二つ目の交差点の角の看板に、ラッパのマーク、つまりこちらの郵便局のマークが見えたので、郵便局かと思ったら、レストランだった。看板の色が郵便局が使っている黄色でも青でもなかったのでおかしいとは思ったのだ。レストランの名前は「ウ・ポシュティ」、つまり郵便局のそばのレストランということである。ということは、この近くに郵便局があるということか。 帰りに別な通りを通った [続きを読む]
  • プラハ駅前観光(四月廿六日)
  •  前日と、前々日の記事を表示させて読み返してみたらひどかった。誤字脱字がいつも以上に多いし、昨日の奴なんか構成も何もあったもんじゃなくなっている。うーん、体調不良の状態で、殴り書きして推敲もせずに投稿するとこうなるという見本のようなものだな。あまりにひどいので、体調がよくなったら時間があるときにちょっと書き直しておこうと思う。 体調がよくない原因は、イースター以来の悪天候に体が音を上げたというとこ [続きを読む]
  • フランティシェク・ライトラルを悼む(四月廿五日)
  •  このニュースを読んだのが、週末だったか月曜日だったか、すでにあいまいになってしまっているのだが、見出しを見た瞬間、信じられなかった。あのライトラルが、病気や事故でならともかく自殺したというのだ。トルコからの最初の情報では、家庭の事情による自殺という話だったが、トルコでは一人で暮らしていたらしいのにと少し不思議だった。 実は、この件については書くつもりはなかったのだけど、日本のインターネットでも、 [続きを読む]
  • 『モーツァルトは子守唄を歌わない』(四月廿四日)
  •  言わずと知れた乱歩賞受賞作にして、商業的にももっとも成功したであろう森雅裕の作品である。デビュー作の『画狂人ラプソディ』は、横溝正史賞の佳作であり、乱歩賞の受賞がなかったら刊行されなかった可能性もあることを考えると、作家としての森雅裕を誕生させた作品と言ってもよさそうである。 内容は、モーツァルトの死の謎を、ベートーベンが弟子のチェルニーとともに解明するというもの。サリエリやフリーメーソンによる [続きを読む]
  • プラハ行き2(四月廿三日)
  •  電車がオロモウツを出てしばらくいくと、モラバ川沿いに広がる森の中に入る。この辺りは、自然公園になっていて、サイクリングコースが設定されているので、オロモウツからリトベルなどの北のほうにある町まで何度か自転車で走りぬけたことがある。とはいっても最近自転車に乗っていないので、もう何年も前の話になるのだけど。 森を抜けるとハナー地方北部の肥沃な農耕地帯が広がる。小麦畑だろうとは思うが、リトベルのビール [続きを読む]
  • プラハ行き1(四月廿二日)
  •  さて、本日は、この前も書いた通り一年ぶりのプラハである。去年は確か一月の終わりだったから、一年以上前の話になるか。前回と同様に、レギオジェットのビジネスを使用することにする。あんまり直前だと席が取れない可能性もあるかと思って、四月の初めにネット上で席を予約して、お金も払ってしまった。 このあたりクレジットカードがあるおかげなのだけど、この便利さは気をつけないと大変なことになってしまいそうな気もす [続きを読む]
  • オロモウツ観光案内3――大司教宮殿(四月廿一日)
  •  共和国広場から、町の中心とは反対のほうを向くと、図書館と郵便局に挟まれた細い通がある。郵便局よりも聖バーツラフのレストランの看板のほうが目立つかもしれない。その細い道の奥に見えている白い建物が、大司教宮殿である。最初のこの場所に宮殿が立てられたときには、まだ大司教座には昇格していなかったので、司教宮殿と呼ばれていたらしい。 その細い通を抜けて大司教広場というにはささいな空間に出ると、右手にある薄 [続きを読む]
  • 森雅裕について、再び(四月廿日)
  •  四月に入ってからのブログのページ別のアクセス数を見ていたら、何でこんなページにと言いたくなるページに、たくさんのアクセスがあることに気づいた。一つは、去年の三月か四月にネタがなくなってきたので、備忘録的にあれこれ記入したメモ書きのような記事で、もう一つが、まだブログというものに慣れていなかった頃に書いて、何度か書き直そうと思ったこともある森雅裕についての記事だった。 なんで今頃になってと不思議に [続きを読む]
  • イースターのこと2(四月十九日)
  •  一昨日のイースターについての記事を読み返して、最初に書こうと思っていたことが書かれていないことに気づいてしまった。今書いておかないと忘れてしまうのは目に見えているので、前回のも落穂拾い的な内容だったけれども、今回もあれ以上に雑多な内容になりそうである。 イースター、チェコ語のベリコノツェは、春を呼ぶ、もしくは春が来たことを祝う儀式なのだけど、ときどきとんでもなく寒くなることがある。確かチェコに来 [続きを読む]
  • チェコサッカー界の薬物汚染(四月十八日)
  •  以前、チェコのサッカーリーグ、特に下部リーグを舞台に発覚した八百長事件について、ちょっと書いたことがあるが、今回は現役の代表経験もある選手が麻薬の密売人と密接な関係があったことが発覚した。それも昨シーズン優勝を遂げたプルゼニュの選手、元選手が関係しているというから、問題は大きい。 もうかなり昔のことになるが、プルゼニュがチェコリーグで優勝して、チャンピオンスリーグの本戦に出場していたときのこと、 [続きを読む]
  • イースターのできごと(四月十七日)
  •  イースターの時期には毎年、道路に警察の姿が目に付く。年末年始、夏休みと並んで、普段車を運転しない人が、運転して事故を起こすケースが多く、またイースターのバカ騒ぎでお酒を飲んでそのまま車を運転する人も多いため、事故を減らそうと、厳重な警戒態勢を敷くのである。厳重な警戒体制を敷いて、頻繁に検問で車を止めて飲酒運転の検査を行っても、事故をゼロにすることはできず、今年もイースターの月曜日の夕方の時点で、 [続きを読む]
  • プシェミスル家闕史七代−−適当チェコ史3(四月十六日)
  •  伝説によればリブシェとプシェミスル・オラーチの結婚によって成立したプシェミスル家で、歴史的に実在が確認できる人物は、九世紀の半ばに生まれたボジボイ一世である。ボジボイはボヘミアの領主としては最初にキリスト教に帰依した人物で、妻のルドミラとともにモラビアに出かけてメトデイの弟子達の手でキリスト教に改宗したと言われる。当時ボヘミアが大モラバ国の支配下にあったことを考えれば、東フランク王国ではなく大モ [続きを読む]
  • 大モラバ国−−適当チェコ史2(四月十五日)
  •  サーモの国が分裂して消えてから、200年ほどたった830年ごろに歴史に姿を現してくるのが大モラバ国である。こちらもチェコ語では「ジーシェ」が使われているが、実態が帝国と呼べるものではなかったことは言うまでもない。チェコの歴史において古代と呼べそうなプシェミスル朝以前の国家は「ジーシェ」と呼ぶ習慣でもあるのかと疑ってしまう。大モラバの君主は、誰が与えた爵位かはわからないけれども、代々チェコ語で「クニージ [続きを読む]
  • サーモの国−−適当チェコ史(四月十四日)
  •  チェコの歴史というと、たいていは始祖チェフの伝説から始まる。チェフとレフの兄弟が率いる集団がそれぞれチェコ人とポーランド人になったというのだけど、ポーランド人も同じような伝説を信じているのだろうか。 東のほうから移動してきたチェフとその仲間達は、中央ボヘミアにあるジープ山のふもとに約束の地を見つけ、そこで移動をやめて定住を始めた。そのチェフの何世代か後の子孫にリブシェがいて、リブシェが畑を耕して [続きを読む]
  • 『単一民族神話の起源』( 四月十三日)
  •  日本には、日本人以外の民族は殆ど住んでおらず、そのおかげで全国的に均一な社会となっているというのが、日本を単一民族国家として規定する人たちの考え方である。 個人的に、この考え方に最初に触れたのは、中学生の頃、1980年代の半ばに当時の中曽根首相が、日本社会とアメリカの社会を比較する文脈で、日本の優れた点として発言したことで、国内外から大きな批判を受けたときのことだ。当時はへえそんなものかとしか思わな [続きを読む]
  • ラファイエットのオロモウツ(四月十二日)
  •  オロモウツのホテルを探したときに、ホテル・ラファイエットというのを見つけて不思議に思った人はいないだろうか。町の中心からはちょっと離れた住宅街の中にある知る人ぞ知るという感じの小さなホテルだけれども、知り合いに泊まった人がいないので、中がどうなっているのかはわからない。高級そうな感じはするけど。オロモウツでは、他にもドルニー広場から、テレジア門に向かう通りがラファイエット通と名付けられている。  [続きを読む]
  • オロモウツ観光案内2――カレル・クリルのレリーフ(四月十一日)
  •  昨日の記事はまじめに、本当にまじめに書いたので本日はかるく、ちゃらんぽらんに書いてみよう。前回書いたって言っても先月の話になるけど、バーツラフ広場からトラムの通る通に出て右に曲がって、共和国広場のほうに向かう。バーツラフ大聖堂に背を向けてトラム通と平行している細い道を突き当りまで行って左に曲がってもいいけど、とにかくトラム通に出て共和国広場に向かって歩く。 最近その道を歩いていて気づいたのが、右 [続きを読む]
  • 与謝野晶子の『源氏物語』4(四月九日)
  • 承前 論文「『源氏物語』と与謝野晶子」に挙がっている「紫式部考」は、金尾文淵堂から、『新訳源氏物語』、『新訳栄華物語』に次いで大正五年(1916)に刊行された『新訳紫式部日記、新訳和泉式部日記』の冒頭に収録されたものらしい。 天弦堂書店から大正六年に刊行されたエッセイ集『我等何を求むるか』に収録された「紫式部の考証」(212-214頁)に、その旨が書かれ、その目的を「在来の不正確な伝記に多少の補正を試みよう [続きを読む]
  • 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  •  いよいよ本日発売である。と言ってもこの記事を投稿するのは、チェコ時間で十二日深夜、日本時間の十三日の朝になるし、今日中に書き上げられるとも限らない。すでに日本時間では十一日だし。(結局順番を入れ替えて一日早く投稿することにした。本当は昨日投稿したかったのだけど書きあがらなかったのである。4月11日追記) 書名に現れるコメニウスは、もちろんチェコ語のコメンスキーのことである。残念ながら日本ではラテン [続きを読む]
  • チェコスロバキアリーグ発足せず(四月八日)
  •  チェコのハンドボール協会が、スロバキアの協会と進めてきていた来シーズンからの共同リーグだが、今年の九月からは開催されないことが最終的に決定した。 結局、九月からのリーグへの出場申し込みをしたのが、ズブジーだけだったというのが決定的だったようだ。協会側は、チェコのクラブレベルのハンドボールのレベルを向上させると同時に、チェコスロバキアリーグになることで、メディアの注目も集め、さらにはスポンサーも集 [続きを読む]
  • 大統領選挙に向けて(四月七日)
  •  来年の年明け、一月か二月に二回目の国民の投票による大統領選挙が行なわれる。先月九日には現職のミロシュ・ゼマン大統領が、再選を目指して出馬することを表明した。それに反発するチェコ人は、いわゆる知識人を中心に多いのだけど、有力な候補者であることには疑いを挟み得ない。共産党や社会民主党の支持者を中心にゼマン大統領を支持する層は、社会の中に一定数存在し続けているのだ。あとはそれにどれだけ上積みできるかと [続きを読む]
  • ブログ模様替え(四月六日)
  •  長かった冬も終わり完全に春になったと言えるような日々がやってきたこのごろ、しかも花粉症にも悩まされないということで、日本にいない幸せを噛み締めてしまう。春なのにブログのテーマを秋のままにしておくのも何なので模様替えをすることにした。実は、冬になったばかりのころに、一度オロモウツの冬景色の写真をアップロードして、背景を変えようとしたことがある。画像の変更には成功したのだけど、教会の屋根の一部しか表 [続きを読む]
  • てるみくらぶ倒産とチェコの旅行会社(四月五日)
  •  昨日に続いて、最近目にした日本のニュースで思い出したチェコの出来事についてのお話である。単独だと一本分にならなくても、あわせたらなるかも。いや昨日のはちょっと長すぎたか。 この社名をひらがなで書く会社は、1998年に創業した格安旅行会社らしい。初めてチェコに来た1993年の時点ではまだ存在していなかったけれども、2000年ごろに二度目、三度目に来た時にはすでに存在していたはずだ。でも航空券の手配をするのに業 [続きを読む]
  • てるみくらぶ倒産とチェコの旅行会社(四月五日)
  •  昨日に続いて、最近目にした日本のニュースで思い出したチェコの出来事についてのお話である。単独だと一本分にならなくても、あわせたらなるかも。いや昨日のはちょっと長すぎたか。 この社名をひらがなで書く会社は、1998年に創業した格安旅行会社らしい。初めてチェコに来た1993年の時点ではまだ存在していなかったけれども、2000年ごろに二度目、三度目に来た時にはすでに存在していたはずだけど、航空券の手配をするのに業 [続きを読む]