oboro102 さん プロフィール

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oboro102さん: おぼろ豆腐
ハンドル名oboro102 さん
ブログタイトルおぼろ豆腐
ブログURLhttp://oboro102.hatenablog.com/
サイト紹介文認知症と少子高齢化について考えた記録
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供57回 / 55日(平均7.3回/週) - 参加 2017/04/04 23:17

oboro102 さんのブログ記事

  • (57)初七日の朝
  • 初七日を迎えた朝もまた慌ただしい。仏花やお供えの支度をしつつ、木魚やおりんといった仏具を並べるのだが正しい配置がわからない。こういう時はスマホが役立つ。「何でもそれでわかるんだねえ」と母はしきりに感心する。約束の時間より少し早く住職が到着した。私は住職が木箱から取り出した掛軸を受け取ると、竿を用いて鴨居に掛ける。仏が描かれた掛軸で、四十九日が終わるまではお借りして祭壇の背後に飾っておくのだ。父の仏 [続きを読む]
  • (56)職人の血
  • 戦後の昭和20年代後半、日本中にパチンコブームが興ったという。私の地元も例外ではなく、駅前をはじめとし市内には何軒ものパチンコ屋が林立した。母の父、つまり私の母方の祖父は知り合いに話を持ち掛けられ、共同出資でパチンコ屋を開店したのだそうだ。しかしやがてそのギャンブル性の高さに批判が集まり規制が敷かれ、全国の多くのパチンコホールは店を畳まざるを得なかった。同じく祖父のパチンコ店も潰れ、負債を抱え家を手 [続きを読む]
  • (55)母の幼なじみ
  • 私と母はカメラ屋さんを後にし帰路につく。正月明け早々とはいえ、町の商店はどこも閑散としていた。花屋の前にはトラックが停まり、エプロン姿の若い女性店員が重そうな鉢植えを荷下ろししている。過疎化の進むこの町で、若者はどんなことを考え日々暮らしているのだろう。郊外の大型パチンコ店は人気だし、夜になれば酒場は活況を呈する。しかしそのような享楽に浸れない者も少なくないだろう。私は長男にも関わらずこの町を出た [続きを読む]
  • (54)たった一枚の家族写真
  • カメラ屋までは歩いて向かう。元来母は歩くペースがそれほど速くないので歩調を合わせる。道すがら、母は目に入る一軒一軒に対して説明を添えていく。このお宅は我が家の遠縁であるといったような今さらな話から、ここは知り合いの誰それさんが住んでいたが昨年引っ越してしまったといった近況まで様々だ。それはまるで自身の記憶をなぞっているようでもあった。カメラ屋に到着すると店舗の奥から主人と奥さんが顔を出し、母は葬儀 [続きを読む]
  • (53)命のバトンを繋ぐ世代
  • 帰宅すると娘はもう今朝買ってもらったジグソーパズルを完成させており、誇らしげに私に見せる。私も一仕事終えた開放感もあり顔がほころぶ。トーストを焼き、珈琲を淹れ、皆で少し遅めの昼食をとると私と姉はお互いの情報交換。やがて母は私にこの後一緒にカメラ屋さんに挨拶に行こうと言う。父の葬儀の際、斎場の様子を撮影してくれたカメラマンの方で、父の同級生でもある。当日はお香典だけ戴きそのお返しを渡せていない。挨拶 [続きを読む]
  • (52)介護認定の申請
  • 次に向かった先は福祉事務所。毎度「福祉課」と書いていたが正しい名称は「福祉事務所」だ。前の日に電話を入れてあったがその後も様々な問題が発覚しているため、改めて母のことを一から話す。当然火災未遂の件もガスコンロを手放さない件も話した。私の一番の心配事は火事だったのだ。ここから一年後、ある出来事により福祉事務所に対しては多少の不信感を抱くのだが、当時はすがる思いだ。ホームヘルパーを頼みたいのだと言うと [続きを読む]
  • (51)手続きの山とお役所仕事
  • 午後になり姉と母は父の生命保険受け取りの手続きへ。私は市役所へ。まずは市民課。葬祭費を私の口座に振り込んでもらうように書類を書く。この時点で母の心配による精神的疲労が余程蓄積していたのであろう、このとき書いた口座番号は数字を一つ間違えており、後日やり直すことになる。次に遺族年金受け取りのための書類をもらう。今の母が一人で市役所に赴き申請手続きをするなど到底考えられないので、姉が代理人となり申請をす [続きを読む]
  • (50)徘徊の兆し
  • 話し合いが終わると母はとっとと腰を上げどこかへと行く。横になっているときもそうだが、一人で何かをしようとしているときは常に心ここにあらずといった様子だ。周囲を見渡し誰が何をしているか等観察するといった態度が皆無なのだ。その日も不意に外套を着込んだかと思うと娘に声をかけ、「お婆ちゃんと一緒にお出掛けしよう」と言う。私がたまたま近くにいたから良かったようなものの、下手したら二人で出掛けてしまうところだ [続きを読む]
  • (49)ガスコンロにこだわる
  • 私と姉は母を交え、父のいない、これからの新しい生活を一緒に考えようと切り出した。まずリハビリのための通院をどうするか。週に何度もバスで通うようなら定期券がいい。調べると市で高齢者割引パスを発行しているようなのでこれを購入しようということになった。次に家事。掃除や灯油汲みといった腰に負担がかかる作業はホームヘルパーを頼んではどうか。他人を家に上げることになるし、本人はまだまだ若いと思っているようなの [続きを読む]
  • (48)デパスと副作用
  • 母が処方されていた薬はデパス。私はこのとき初めてその存在を知ったのだが、姉は自分が以前頼った薬も同じであったため知っていた。その手の問題を抱える人たちにもお馴染みの薬であるらしい。神経を落ち着かせる作用があるとのことで、母の不眠がやはり心の病気からくるものだと診断されたのだろう。睡眠導入剤としての効果は弱いらしく、母は前の月の中頃、指定の用量の倍を服用し、医師からも注意を受けた。しかしそれもなくな [続きを読む]
  • (47)問題が渋滞を起こしている
  • 父の告別式から二日目。母を取り巻く状況は更に深刻であることに気づかされる。三年前にヘルニアの手術をしてから、母はしきりに足がふらつくのだと口にしていた。そのため外科へリハビリに通っていたのだ。病院まではやや距離があり、父の運転する車で通院していた。その父が死に移動手段が無くなったのだ。本人はバスに乗るから大丈夫だと言うのだが、ただでさえ乗り慣れていないのに、今の母の様子で果たして一人で乗り降りがで [続きを読む]
  • (46)ドラマ性を排除した我が家
  • 子どもの頃からずっと、私は父と母の弱いところを見てこなかった。それは二人が強かった訳ではなく、弱いところを見せなかっただけなのだ。私はそれを知らず、大人が感情を顕にしたりするのはドラマだけの世界だと思っていた。ドラマ性の排除。これが我が家の一風変わった特徴かもしれない。それは苦しみや悲しみや怒りだけじゃない。祝い事の一切も、私たちがある程度大きくなった時点で無くなった。あるいは小さいころ私がテスト [続きを読む]
  • (45)親不孝
  • 小学校の高学年、私は反抗期にあった。といっても反抗の対象は親ではなく学校の教師だった。上手く説明できないが、学校という空間がどこまでも大人中心で回されることが気に喰わなかったのだ。自分たちの存在が希薄に思えて嫌だったのだ。と書いても何だか嘘臭い。はっきり言ってしまえば、要は甘えてたんだろう。熊本地震の後、被災地の子どもが大人に対して暴力を振るったり乱暴な言葉を使う現象が見られたという。これは大人た [続きを読む]
  • (44)みんな、心にストレスを抱えている
  • 母は父の死を受け入れられず、今が特別不安定な精神状態なのかもしれない。それにしてもこのまま独りにさせるわけにはいかない。気持ちが落ち着くまでは母の妹さんに一緒に泊まり込んでもらうようお願いしてみようか。夜の十時を過ぎた頃、私は姉と今日あったことの情報交換と、明日以降の相談を重ねた。「わたしも今日は眠れそうにない。睡眠薬飲むよ」と姉。姉も一時期精神が不安定になり、睡眠導入剤に頼っていた時期があったの [続きを読む]
  • (43)テレビの音量が最大レベルに近い
  • もう寝るから、と寝室に上がった母。しばらくしてそこからテレビの音が聞こえてくる。しかも階下まで響くような大音量だ。心配になり私は階段を上る。「入るよ」「うん」襖を開けると母は布団に横たわりバラエティ番組を見ている。「ちょっとテレビの音大きいんじゃない?」「そう?」といってボリュームを下げる様子もない。横にはまだ父の布団が並べて敷かれたままだった。私はリモコンを手に取りボリュームを下げる。それは最大 [続きを読む]
  • (42)父の闘病
  • 皆で夕食を終え、妻は娘の寝かしつけに寝室へ、姉はお風呂へ。私と母は居間で二人きりになり、お互いの近況やら昔話やらの会話を交わす。父の生前も、父はいち早く寝室に向かうため、これは私が帰省した際の恒例の儀式のようなものとして自然とそうなる。さっきまで私の年齢を10歳も多く間違えていた母。しかしここでの会話は今までと変わらない、記憶力の確かな母だった。父の思い出。元々肺炎の家系で両親もそれで早くに亡くして [続きを読む]
  • (41)ピアノの音色、感情の色
  • 市役所への手続きはまとめて翌日行うことにした。福祉課へは取り合えず母の国民健康保険証を持参すれば話を聞いてもらえるらしい。夕方になり弔問客の足取りも一段落ついた頃、私は散らかった洋間を片づけそこにファンヒーターを運び入れた。そこには昔姉が弾いていたピアノがある。ピアノはまだ習いたての娘。完璧主義というよりは融通が利かない性格で一度間違えると最初からやり直す。すぐに嫌になって投げ出すものの出来るまで [続きを読む]
  • (40)うつと認知症
  • その日の私たちの計画はこうだった。外は雨のため妻は娘の相手をしながら弔問客にお茶を出したり、食事の支度。姉は戴いたお香典の精算と葬儀屋への支払い。代理の方から受け取ったため香典返しを渡せていない方のリストアップなど。そして私は市役所への問い合わせ。介護保険証など返却すべきものは何か。葬祭費を受け取るために必要なものは。これに福祉課への相談も追加すべきだ。鬱病の母が独りになってしまった。こういった場 [続きを読む]
  • (39)子ども扱い、大人扱い
  • 三年前、度重なる心労を抱えた母であったが、それ以前から寝つきが悪く、心療内科から睡眠導入剤を処方されていたことは姉も知っていた。その同じ心療内科で鬱病と診断され、つい前の年まで抗うつ剤を服用していたのだという。これに関して知っていたのは、叔母と父だけだ。叔母は私や姉に知らせようかと思ったが、電話番号がわからない。母に聞こうとすれば何故必要なのかと怪しまれると思いできなかった。葬儀も終え、ようやく話 [続きを読む]
  • (38)母が抱えた三重苦
  • 雨が小康状態となった間隙を縫っていつものように叔母が電動自転車でやって来た。「これみんなで食べてね」とホーローの容器に入った煮物を置いていってくれる。用事を済ませるとそのまま腰を下ろすこともなく、軽く世間話でもして帰ることが多いのだが、その日は小声で私と姉の二人を家の裏口に呼び出した。「お母さん、三年前から鬱病なの」まさかという思いと、やっぱりかという思いが交錯する。まさか、というのはここ三年で母 [続きを読む]
  • (37)蝋燭の火が仏花に燃え移った
  • 告別式から一夜明け、今日から限られた時間で葬儀屋への支払いやら相続手続きなど所用を片付けなければならない。昨日から崩れ始めた天候は回復せず、私や娘などを含めた分の大量の洗濯物は部屋干しするにもスペースが足りず、干したものさえも一向に乾かずといった有り様だった。慌ただしい朝。初七日までは仏間に祭壇を設けてお飾りをする。私たちは分担してお供えものや朝食の支度をしていた。そんな中、母が祭壇の花瓶に花を活 [続きを読む]
  • (36)寺との関わり、肌感覚の違い
  • 私や姉がお布施に対して疑問を持ったのは、そもそもお布施という習わしの本質を肌感覚で理解していないからであろう。お布施は葬儀屋に支払うサービス料とは違う。かといって税金のように納める義務があるものでもない。お経を読んでいただき、戒名をつけていただいたお礼の「気持ち」を表すものなのだ。だから叔母にしてみると開基檀家としてはその他の檀家さんと同じ「気持ち」なはずがない、という訳だ。ただ叔母にしてみても、 [続きを読む]
  • (35)開基檀家の誇り
  • 火葬が終わるまでの間は斎場でお斎。お通夜とは違って娘が場の中心となり賑やかす。まだ人見知りする年齢でもなく、初対面の誰の前でもマイペースに振る舞うため、場が和み助かった。参列者は生涯独身者か旦那さんが体調を壊してる方か、先立たれた未亡人ばかりなので、娘からしたら初めて見るお婆ちゃんだらけだったことだろう。ゆっくりと食事を終え、再びマイクロバスで火葬場へ。ストレッチャーの上に父の骨を見る。私と母から [続きを読む]
  • (34)火葬場への道
  • 棺の蓋が閉められ、釘打ちをする。これより火葬場に向かいますとの案内に従い、遺族はマイクロバスに、私だけが霊柩車の助手席に乗り込む。長いクラクションが鳴り響いた。穏やかな気候は相変わらずだが、やや雲が厚くなってきた。火葬場までは馴染みの道筋を辿る。小学生時代の遊び場であったり、高校時代自転車で通学した道であったり。しかし高校卒業後はすぐに上京したため、すっかり変わってしまった景色に驚くことも多い。「 [続きを読む]
  • (33)家系のつづきを
  • 昼過ぎに告別式が始まる。読経の間、お焼香の方々と黙礼を交わす。地元の同級生も来てくれており、その鼻頭を赤くした顔を見て何だか有り難い思いがした。娘には読経は長過ぎるため途中で退出させる。そして通夜に引き続き喪主としての挨拶。「家と歴史を守って欲しい。それが父の唯一の遺言でした」と昨晩おこもりの部屋で考えたことを述べた。いよいよお別れのとき。葬儀屋さんが祭壇の花をカットしてくれたのでそれで父の身体周 [続きを読む]