oboro102 さん プロフィール

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oboro102さん: おぼろ豆腐
ハンドル名oboro102 さん
ブログタイトルおぼろ豆腐
ブログURLhttp://oboro102.hatenablog.com/
サイト紹介文認知症と少子高齢化について考えた記録
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供22回 / 21日(平均7.3回/週) - 参加 2017/04/04 23:17

oboro102 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • (22)外界に向けての窓口の確保
  • ケアハウスの計画は頓挫したが、そのときも「社会性を断ってはならない」ということには気を付けていた。施設が生活の全てになってはならない。今まで通り躍りの稽古は続けさせてあげたい。社会性を断てばいよいよ廃人のようになってしまうだろう。だから私たちは外出が比較的自由で、躍りの教室にも通いやすいケアハウスを見つけてきたのだった。躍りをしているとき、母の自我は満たされる。実際母の躍りを見た伯母に言わせると、 [続きを読む]
  • (21)承認欲求を満たすための手段
  • 歳を重ねるごとに新しいことが始められなくなってくる。かといって認知症になってしまっては、今まで出来ていたことすら出来なくなってしまうわけだが、比較的好きなことは残る。若い内に歳をとっても続けられるような、なるべくお金のかからない趣味を習慣づけておく必要がある。最も大切なのは心が満たされること、自己満足度が高いことだろう。心の満たし方も人それぞれで、父の場合は園芸だったり、我が家の歴史にまつわる文献 [続きを読む]
  • (20)健康な内に老後のイメージを
  • 父の死後すぐの頃、母は「何で先に行っちゃったんだろうと毎日思った」とよくこぼしていた。その寂しさを埋めるかのように近所のお宅にお邪魔する。一度菓子折を持参し伺った先は個人経営の雑貨屋さんだったのだが、やはり母がしょっちゅうお邪魔してはお茶を飲み話し込む。そして義理立てとばかりに何かしらの商品を買って帰るのだそうだ。そのお店の方は長時間の滞在よりもむしろ、出されたお茶菓子を全て平らげてしまうことに対 [続きを読む]
  • (19)デイサービスを拒む
  • 一人身の高齢者にも様々なタイプがいる。親族の一人はごく限られた知り合いとしか交流を持たない。別の親族は逆に広く浅くでどこにでも出かけていく。二人に共通しているのは確固とした一人の時間の使い方を持っているということだ。それは読書であったり、短歌を詠むといったことであったりする。謂わば己の内面と向き合う時間とも言える。一方母は、健康だった頃からあまりそういった傾向はなかった。お喋りが大好きで、仲のよい [続きを読む]
  • (18)有り余る時間の過ごし方
  • 認知症患者への接し方で望ましいのは、相手に笑顔になってもらうよう仕向けることだ。これが肌感覚として分かるまでは時間がかかったが、我が家の場合、母の認知症に気づいたきっかけが父の死であったため、比較的自然な流れでそれができたように思う。母は生まれてこの方一人暮しというものをしたことがなかった。父と結婚する前の仕事は全て住み込みだったらしい。高齢になって初めての一人暮し。それも死別からのスタートだ。鬱 [続きを読む]
  • (17)優しいウソ
  • 遠方介護にも限界が見え始め、かと言ってこのままでは仮に施設が空いたとしても母は入居を拒むだろうと手詰まり感を覚えた頃。私は認知症であることを医師から告知してもらってはどうかと姉に相談した。私たちがこんなに口出しするのは、単に心配だからじゃない。自覚症状はないかも知れないけど、病気と診断されたからなんだよ。こう言うことで病気である自覚を持ってもらい、進んで施設に入ってくれるのではないか。私の考えはこ [続きを読む]
  • (16)認知症は自我の危機である
  • 30も半ばを過ぎるとどの家庭でも親の健康状態に関する問題からは避けて通れない。親族を見渡してみても、健康問題を抱えていない家庭など一つもない。ある家庭は癌であり、ある家庭では精神病であり。勿論身体を壊したからといって、介護が必要になったからといって絶望しかないわけではない。皆それぞれの病状を抱えながら必死に生きているわけだし、病気と共生して限りある命を謳歌する生き方もある。ただし認知症はその残りの人 [続きを読む]
  • (15)その時代の「当たり前」は永遠ではない
  • 現在、認知症を根本治療する方法は見つかっていない。その研究も難航しているという。しかし長期視点で見るとその研究の歴史は始まったばかりなのだ。電子顕微鏡によりアルツハイマーの病理が突き止められたのが1960年代だから、たかだか半世紀。その後も医学や科学技術は進歩し続けているのだから、今後の革新に期待できる。私が小学生の頃、今地球上ではフロンガスの多用によりオゾンホールが広がり有害な紫外線が降り注ぐ危機に [続きを読む]
  • (14)「心配」の域はとっくに出ているのに
  • 父が死に母の異変に気づいた当初、ヘルパーさんも申請中、しかし私たち姉弟は仕事もあるためそれぞれの住む所へ戻らなければならないとなり、母の妹さんに一週間だけ泊まってもらうことにした。しかしそれも期間限定だ。母には父のいない新しい生活に一日も早く慣れてもらわねばならない。私は居間の目立つ場所に注意書を残していった。予定は手帳に書き込むこと、知らない人は家に上げないこと、など数点。前者は数字がすっかり把 [続きを読む]
  • (13)正常性バイアス
  • 習慣は身につけばつくほど変化に気づくことが出来なくなる。お年寄りが冬場に餅を喉に詰まらせたり、雪降ろしの際に屋根から落下して怪我をしたりといった事故もみな慣れから来る過信によるものだ。確かに一年前は大丈夫だったのだ。しかし春夏秋とブランクが空き、その間に身体は確実に衰えている。ところが頭の中は長年無難にこなしてきたイメージしかないものだから、身体が気持ちに追いつかないといったことになる。加えて「ボ [続きを読む]
  • (12)「自分は大丈夫」の壁
  • 認知症の原因は蓄積した老廃物が脳神経細胞を死滅させるからだというところまでは分かっているらしい。それを防ぐためには生活習慣病に気をつけること。つまり運動と食事だ。運動はジョギングやスイミングといった有酸素運動が効果的で、食事は高血糖値のものを控えるといいらしい。母がどうだったかというと、認知症を患う前は不眠症と鬱病であった。これらが食生活を乱し、運動から遠ざけたということは十分に考えられる。不眠症 [続きを読む]
  • (11)認知症は根絶すべきだ
  • 今の介護の経験は無駄にはならない。そして現時点では認知症という病とは共存していかなければならない。それでもなお、私は認知症という病気をこの世から根絶すべきと考える。長寿と引き替えに認知症リスクを負うことになったのがこの国の現状だ。統計によると65歳以上が生涯で認知症になる確率は50%。95歳まで生きるとその率は80%を超えるらしい。もはや身内の母だけの問題ではない。近所に住む独居老人にも十分あり得る話だし、 [続きを読む]
  • (10)この経験は無駄ではない
  • 永遠に続くと思われる介護も長い人生のあるひと時だ。そしてそれが気休めであろうとも、意味を持たせたい。認知症介護は一般的にイメージする老介護の一段上を行く。介護する者は本来予定していなかったお金や時間や精神力といったリソースを多く費やす。介護される者も想定していた老後の姿を大きく逸したことであろう。運命のハズレくじを引いたなどと呪詛を吐きたくなることもあるが、やはりどこかで今の時間を意味のあるものと [続きを読む]
  • ヒトにだけ老後がある
  • マイナスのイメージが付きまとう「老い」とどう向き合うかが介護のポイントではないか。それは昔見た科学番組でのことなのだが、生物の中でヒトだけに老後がある、とナレーションされていた。通常、生物は繁殖あるいは子育てを終えた時点で絶命するライフサイクルにある。それはまるで遺伝子のバトンを受け渡すことが主目的のようだ。だとすると何故ヒトには老後があるのだろうか。それはヒトが高度な知能を備え、言葉という道具を [続きを読む]
  • 「介護に正解はない」という言葉に救われた
  • 私たち姉弟にとっては今回が初めての介護だ。父方の祖父母は短命だったため顔を見たこともない。介護のイメージはドキュメンタリー番組で見る姿がほぼ全てだった。周囲に介護の話をすると、実は自分も祖父母が、とか親戚が、といった経験談をたびたび耳にすることがあった。そして皆一様に口を揃えるのは、介護に正解はない、長期戦なのだから介護をする方が参ってしまい共倒れにならないように、という助言だった。この言葉には幾 [続きを読む]
  • 育児と介護
  • 医師の診断では現在の母の認知症の進行度合いは「初期」である。正常時を知っている家族からすると「これで初期か」と唖然とする。だが確かにそうかも知れない。この先母に待ち受けているものは、介護オムツであったり家族の顔がわからなくなったりといった症状だ。それから比べると今の状態はまだ入り口に過ぎないのだ。受け入れるしかない。末期癌患者などの手記で、病気と闘うのではなく共存しようと決めたといった記述を目にす [続きを読む]
  • 別人なんかじゃない
  • 家族が認知症になってしまうことのショックは大きい。最初のショックは「よく知っている家族がまるで別人のようになってしまいもう戻って来ない」と考えてしまうことである。今まで普通にこなしていた家事ができなくなり、実の子の年齢を10歳も間違える。しかしできなくなる、わからなくなるはまだ許容できる方なのだ。本当に辛いのは別人格が憑依したかのように見えたときだ。長い付き合いのある知人の悪口を言ったり、高額な洋服 [続きを読む]
  • ファインダー越しに覗いた世界
  • 認知症患者の特徴として、横から話しかけられても反応できないという傾向があるらしい。母がガスコンロの鍋に火をかけたままトイレに行ってしまい、鍋が吹き零れるといったことがあった。一度や二度の話ではないのだが、その時はたまたま私が近くにいて消し止めることができた。当の本人はそんなことも忘れ居間で腰を下ろしている。「鍋、吹き零れてたよ。もう何度もやってるでしょ、気をつけてよ」そう母の背中に話しかけるのだが [続きを読む]
  • 一つの関心事への執着
  • 初めて自分たちが主体で取り仕切ることになった父の葬儀の準備は目まぐるしく、私はやるべきことの全てを大判のスケッチブックに書き出し優先順位をつけて親族で分担作業することにした。その中で一人、母だけは思いつくままに行動した。翌日に棺を父を安置している仏間まで上げなければならない。そのためには台所のテーブルを一度分解して片付けなければならない。それなりの時間を要しそうなので今日はもう遅いから明日やろう、 [続きを読む]
  • 「どうしてこうなるまで放っておいたんですか」
  • どうやら母が認知症のようだと気づいてから私たち親族は、母と特に親しい友人やよく立ち寄る個人経営の店舗などに足を運び事情を伝えて回った。ほとんどの人は驚き、大変気の毒がってくれる。それはこの病気が、遅らせることこそ出来れどもけして完治しない病気であるという共通認識があってのことだろう。ただ一人、勿論その方も母を気の毒がってのことではあるのだが、事情を話した親族に対し「どうしてこうなるまで放っておいた [続きを読む]
  • 日本どうすんの
  • 母に介護が必要だと認めてから一年過ぎ、未だ出口は見えない。母は施設への入居を拒み、数字を把握することへの困難から父の遺した貯金は空け放したの蛇口のように日々流出していく。この一年間、私の頭の中には常に二つの「どうすんの」が付きまとう。一つは無論目の前の母に関する「どうすんの」であり、もう一つはこの日本という国に対する「どうすんの」だ。先日、2025年には9人に1人が認知症になるだろうというニュースを見た [続きを読む]
  • 父が死に、母の介護が始まった
  • 真夜中の着信でそれが訃報であることを察知した。スマホの画面に「実家」の文字。慌てて出ようとするが手汗で滑ってどうやっても「通話」ボタンが押せない。鼓動が高鳴る。ようやく繋がった第一声が母の声で、私は父が死んだのだと悟った。2016年の元日の夜、父は風呂場で意識を失い、帰らぬ人となった。先に寝室で寝る準備をしていた母がいつになっても風呂から出てこない父を心配し様子を見に行ったところ、浴槽に顔を埋めたま [続きを読む]
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