池山 さん プロフィール

  •  
池山さん: 意拳の研究(意拳練功一得会)
ハンドル名池山 さん
ブログタイトル意拳の研究(意拳練功一得会)
ブログURLhttp://ichitokukai.seesaa.net/
サイト紹介文健身、自衛、理論のそろった意拳という素晴らしい武術について縷々考察していこうと思っています。
自由文武術・武道は素晴らしい文化です。それらの多くには内的な力を養成する方法論があると思いますが、意拳は、直接それを練功する素晴らし体系を持っていると考えています。心ある方々にご理解いただけば幸甚です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供67回 / 83日(平均5.7回/週) - 参加 2017/04/05 17:36

池山 さんのブログ記事

  • 反応とバランスのゲーム
  • 足の踏み合い、膝相撲、頭の触りあい等々。反応とバランスの稽古もときに楽しい。ゲーム感覚があるし、楽しみながら進めていける。ただ、それも技術の末に堕することを理解しておきたいところだ。目的が何かはしっかりもちつつ、だと思う。 [続きを読む]
  • イメージを細かくするとこころここにあらずに
  • 今ここでのあるがままの状態にこころを置かず、別のことを次々と考えてしまうことをマインドワンダリングという。一般的には一日の40%程度はこの状態にあともいわれる。脳の機能は、環境に即してできあがってきたと言われるので、一概によしあしのみで語れることではないけれど、現代のようなストレス社会の中ではあまり良い方向に働かないことも多いようだ。起きてしまったことやこれから起きるかもしれないこと等、いろいろな [続きを読む]
  • 全体でひとまとまり
  • 全ての部分に争力があり、それを統合する形がある。力が抜ければ抜けるほど感得しやすくなるけれど、意が通っていないのは不可である。いわゆる放松ではあるけれどだらけているのではない。全体に緩やかに伸ばす縮めるのテンションがかかり、全体でひとまとまりになった感覚を求める。 [続きを読む]
  • 斜めが入る
  • 摩擦歩の、足を出したとき、体重を移動させるとき、前に体重が乗ったとき、足を上げるとき、足を引くとき、脚脛を合わせたとき・・・そういった繰り返しの途中途中で、斜めに相手と対する形が入る。 [続きを読む]
  • またまた発展的誤訳
  • 「7つの習慣」を・・・・例の如く、発展的誤訳で読み返す。主体性を発揮するとは、周囲からの刺激に対しての反応から行動選択するのではなく、自律するということ。つまり站?のように六面八面にバランスがとれて自立していることか。目的をもって始めるのは、いわゆるミッションは何かと明確にするということであり、換言すればすべての一動の意味を問うことである。その一動にはどんな意味があるかとされることと似ている。イン [続きを読む]
  • 手を固定して
  • 手を空間の一点に固定して動きの稽古をすることにはいろいろな意味を含んでいる。まずは戦略的に考えて、身体を守りつつ攻撃するという意味を考えるだけでよいと思う。前手を動かさずに身体が動き、相手との位置関係が変わるというようなところか。それが理解できたら、併せて前手打人、後手発力との関係などに考えを広げてみるのも面白い。 [続きを読む]
  • 一とすること
  • 動きを、一、二とせず、一とすることは、非常に難しい。そもそも、動きと言いつつ、動作そのものではなく、意の連続である。どう站?となるか。力は途切れても意は連続するにはということを確認していく必要があると思っている。 [続きを読む]
  • 基本的身体操作を学ぶためのもの
  • 例えば、踵を回し肘を張り出す単操手は、準備運動的な様相を持ちながらも、本来、あらゆる打法に共通する動きを抽出したものである。また、手を前、横と振り出しながら斜めに歩を進め、退く動きは、リラックスすることを実現しながら、斜めの動きを学ぶこともできる。意拳には型がないけれど、形には厳格であるという。が、その形自体それほど多くがあるわけではなく、後々はこの形さえ絶対のものではなくなる。まあ、それは先の先 [続きを読む]
  • 角で金
  • 正と斜は同居するものであって、まっすぐならまっすぐ、横なら横、斜めななら斜めという単純な感覚にはならない。摩擦歩はそのよい例であるけれど、直拳の打ち方にしても、推手の基本的な動きにしてもその感覚は通底する。稽古のときに、飛車ではなく角の動きをしつつ金の効果を得るような感じなどと言っているが・・・感じが伝わるか。 [続きを読む]
  • 直拳の矯正
  • 直拳は、形を整えることが難しいと言われることが多い。真っすぐに打つといいつつ腕は曲であり、腕の軌跡は半円的に見え、体は斜めに動き、足はまっすぐになるなどというところがたくさんあり、最初は少しややこしいのかもしれない。特に一歩一拳で前に進みつつとなると体が一直線上にのってしまい、どうしても横を感じにくくなってしまうという弊害もある。ただ、慣れてしまえば非常に合理的な動きのまとまりなので、むしろほかの [続きを読む]
  • 養生からの気づき
  • 養生としての站?が基本であるのは、そもそも健身が第一であるからということもある。が、それ以外にも、練功の気づきを与えてくれるものであるかもしれないなどと夢想しているところだ。形から意を読み取り、意によって形を導くが、一方がなくて一方を強めることについての是非はどうか。どちらもない場合や一方がある場合を考える必要はあるか。まあ、深堀りしすぎだけれど。 [続きを読む]
  • 主従と争力
  • 動きの中には必ず主と従を表すようにする。本来的には表面に出すか出さないかではなくて、純粋に感覚的、比較的なものである。が、大きく形にすることで例えば争力の在り様が感得しやすくなる場合等があると思う。 [続きを読む]
  • 動きのヒント
  • 真っすぐ動こうとすると、結果的に弧を描く。螺旋が含まれるといってもよいかもしれない。また、真っすぐや真横や真上などといった方向ではなくて、斜めの方向への動きが多くの形に含まれる。直拳しかり。摩擦歩しかり。前発力しかり。日常で使う身体感覚と少し異なるというのはそのあたりにも表れるのだけれど、そのあたりをきっかけにすると形を整えるということについてヒントになるかもしれない。 [続きを読む]
  • 速く楽に動くための摩擦歩
  • 摩擦歩は摺足ではなく摩擦するような感覚をもって動く。足を空中で曲線的に動かすものではなく、感覚としてはまっすぐに足を出す。足腰を安定させ、脛を削るがごとく、両足を鋏のごとく動かす。つま先を先に付け、身体を進ませる。腰腹を安定させ、頭と背筋をしっかり立てて進退をはかるものである。固く、ややこしく聞こえるかもしれないが、速く楽に動くための要件が詰まっていると考えればよいのではないかと思う。 [続きを読む]
  • 拳拳服膺の拳
  • 拳拳はうやうやしくする様子、誠実謹慎の様。服膺は身につけて守ること。孔子がその門弟である顔回を称え、中庸の実践の困難さを説いたとの話もある。自分と対話する。原則を守る。 [続きを読む]
  • 本来一拍子
  • 一見すると技には間断が含まれるようにも見えるが、力を発するのは本来一拍子である。これは連通により達成されるところではなくて、あくまでも力・・・あるいは意の話である。狙ってという段階から、いつでもという段階を経て、意識しないうちにと至る階梯がある。 [続きを読む]
  • 松と緊
  • 本来は、松にして緊。緊にして松。が、学ぶ際の始めは、動く中でリラックスしているところから極度の緊とし、またすぐにリラックスするところから。站?においては、リラックスしているが意を通す感じをつかむ。 [続きを読む]
  • 今と3日後の気持ちよさ
  • 健康に寄与する運動等々については、気持ちよいという感覚を方位磁針とするのがよい。その場合には、一時の感覚も大切であろうが、もう少し長めの・・・例えば3日くらいのスパンで感じてみるのもよいのではと思っている。若ければ、心肺、筋骨格を使ってどんどん動き、3日ほどで疲れが取れた際に更に気分がよいということがある。一方、高齢であれば、汗が出る直前の体が温まるような運動がよいと感じ、3日後の気分のよさに繋が [続きを読む]
  • 柔と軟
  • 柔と軟は異なる。最初からやわらかくというと大概の場合は軟となる。それでは強くしたり実用したりすることは非常に難しい。では、とにかく硬く育てるのがよいかというと、これまた硬いままになることが多い。連通、松緊、主従等々によって自然の動きに整えていくことが必要になる。そこからようやく柔となっていけるかどうか。 [続きを読む]
  • 八十八夜
  • 立春から八十八夜、新暦でいう5月2日辺りにお茶を飲むと長生きするといわれる。季節と食物と身体。天と地と人。相つながるものを感じ、気分的にも爽やかに、柔らかになる。身体感覚を磨く12カ月 (ちくま文庫) - [続きを読む]
  • 距離によって
  • 始めの段階の意識。遠間はゆっくり大きく。近間は速くコンパクトに。中間距離でぼさっとしない。接近しつつワーニングの度合いが高まる感じにして出鼻を抑え止まらない。相手には関係なく自分は自分の打を出す。 [続きを読む]
  • 空白を無理にうめない
  • 矛盾したものをそのまま表現できることばは少ない。論理性のあることばであればあるほど表現がしづらくなる。あまりに長々と理論武装するような文章では本質は語りにくい。むしろ擬態語や例えの中に本質と直接照合できるものがある場合がある。といって、抽象的・精神論的なことばかり言っている中に、本当になにもないということも感じることがある。いずれにせよ、言語化を迫ることは厳に慎まなければならず、空白を無理にうめな [続きを読む]
  • 養生と技撃
  • 養生の站?と技撃の站?には、意念の持ち方、使い方等に異なりがある。が、基本はすべて養生にあるといってよい。放松、自然呼吸、精神集中を前提にし意念操作によって整体の度合いを高めるということは、どんな場合でも必要な要件であり、それらを手掛かりに進めていくことには違いはない。 [続きを読む]
  • 感覚は弱ければ弱いほど
  • 気持ちや気分の変化や感じ方をとりあえず横に置いて、実際の身体の感じ方のことを考えてみる。このことについて、ものすごく劇的に大きな力を感じるというような期待を持ちながら稽古すると長続きしないし、そもそも道を誤る可能性が高いのではないかと思っている。毎度書いているように意拳は気功ではないとされるが、参考になるところも多いのでその区別を明確にしたうえで述べるとすると、気功においての気感は弱ければ弱いほど [続きを読む]