池山 さん プロフィール

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池山さん: 意拳の研究(意拳練功一得会)
ハンドル名池山 さん
ブログタイトル意拳の研究(意拳練功一得会)
ブログURLhttp://ichitokukai.seesaa.net/
サイト紹介文健身、自衛、理論のそろった意拳という素晴らしい武術について縷々考察していこうと思っています。
自由文武術・武道は素晴らしい文化です。それらの多くには内的な力を養成する方法論があると思いますが、意拳は、直接それを練功する素晴らし体系を持っていると考えています。心ある方々にご理解いただけば幸甚です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供36回 / 23日(平均11.0回/週) - 参加 2017/04/05 17:36

池山 さんのブログ記事

  • 体をしっかり動かす
  • 試力が初期の段階で少し堂に入ってきたかなと感じる要素のひとつは、身体がしっかり動くようになってきていることかと思う。逆に、手が軟的に動き、体幹が不動ということは不可である。その次の段階、そのまた次の段階で見た目の話が変わってくるところも、そもそも形にこだわっていないように見えるということはあるけれど、手や足と同様に身体がしっかり動いている感じはずっと残るものなので、最初からしっかり身に着けたいとこ [続きを読む]
  • 松風
  • 剣術の中に、松風といわれる身体の使い様があるとのことだ。相手とぶつからない。力を真正面から受けない。自分の中心で推すけれど相手に中心は取られない。別の言い方では、合気しないという言い方でもあるらしい。守中用中ということと遠くないことだろうと思う。 [続きを読む]
  • 例えば上下相随
  • 非常に重要な原理原則として上下相随ということばがある以上、逆に言えば、練功を進める前には上下がまったく相整っていないという現実があるということだ。自分は整っていない、上体と下体の一体感がまだまだである、ということを体感できた段階で、実は上達の道を登っているといえるのではないか。そこが理解できてこそ、修正したり整えていったりすることができるということになる。段階とか発達過程というものもいろいろあるわ [続きを読む]
  • 天王傘はたまの稽古で
  • 天王傘は、単操手の中でも体幹の大きな動きを学ぶに適している。帯部を持たれた手を身体でかえすという単純なものであるが、いわゆる引進落空や神亀出水と同様な動きを内包しているといってもよい。ただ、この動きだけをめったやたらと練習するというようなものではない。手腕部、脚足部をメインに使った他の練功が進むにつれて体全体の動きに無駄がなくなる。螺旋状に上達するもののひとつである。たまの稽古で試してみるというこ [続きを読む]
  • 身体からの知恵や体認
  • 意拳の発達過程を考えると、やはり内的なものを養成する時間が必要になる。それは、一回一回が長いというのも最初はあるのだけれど、それよりも一定程度の熟成の期間が必要になるというような意味でである。初期のころには、強めていかなければいけない部分は徹底的に強くし、反復で基本的な動きを身に着けていく。軸だ、張りの力だ、スピードだ、コンビネーションだなどとしてもよい。が、それで通用しない段階がほどなく来るので [続きを読む]
  • こじつけすぎ
  • 昨日の読売新聞の18面「探る」のコーナーのお題は、「紙飛行機 うまく飛ばす」であった。読むともなく目を向けていると、そこに、紙飛行機が飛ぶときにかかる四つの力とあった。それぞれ、推力、抗力、重力、揚力についての説明。図を見ながら、ほうほうなるほどと思い、何か稽古の参考になることがないかと考えていた自分にふと気づいて苦笑い。まあ、こじつけすぎだ。 [続きを読む]
  • 単純ではないが複雑に考えない
  • 守中用中であるから、身体の中心を使うというのが原則である。ただ、一動無不動であり全身之法であるから、いわゆる体幹だけとか軸だけが強ければよいというような単純なものでもない。といいつつ、ばらばらに複雑に考えると結局間違った方向に進む。考え方も統合的に。 [続きを読む]
  • 腕や手や指から
  • 站?において、一番最初に紙のボールを抱くというイメージを持つ。落とさないように潰さないようにするなかで六面の力を模索していくが、身体の中で腕や手や指が一番敏感であり意識を向けやすいところに意味がある。そこから広げていくし、そこに返ってみることで得られるものも多い。 [続きを読む]
  • その時々の強みを発揮する
  • 上下、左右、前後、虚実、松緊等々をひとつのものとして捉えるのは簡単なことではない。ただ、そのひとつひとつを観ていく中で感覚的な発見があるし、動き自体が変わってくることも経験する。対人的なところで大きな力を発揮できるようになるには少し時間をかけないといけないが、動きの質や反応が変わってくるので、その時々の強みを発揮していけばよいと考えている。 [続きを読む]
  • 距離・時間・憧憬・縁
  •  武術に限ったことではないけれど、いろいろ習い事をするのであれば近いにこしたことはないと思う。最近では、できれば30分以内とか半径2kmでできれば一番よいと思うくらいだ。まあ、なかなかそうはいかないところもあるけれど、時間・距離は、継続慣行することの大きな要素と感じる。ただ、どうしてもこれを学びたいという場合には距離をいとわないということもままある。意思の力を使うし時間も使うことになるが、それをいと [続きを読む]
  • ずっとやるものではないが試行錯誤として
  • 阻力を感じつつ動くことは、そもそもの稽古の中のイメージに含まれている。水飴をゆっくりかき混ぜる。遠くの樹に繋がった糸をゆっくり引いてみる。大きな岩を推してみる。風に流れ飛ぶ凧を引いてみる。泥の中を歩んでみる。それらのイメージを道案内にして何らかの抵抗感を感じることは割と早いうちにできると思う。はじめのころは微力を入れるということも工夫のひとつであろうかと思う。自分でちょっと抵抗をつくってしまうとの [続きを読む]
  • 上虚下実という状態を高めるために
  • 上虚下実について考えると、いろいろな表現でその一端を示していることに気づく。腹をへこませ肩を怒らせることは不可。呼吸が浅かったり息を止めて怒責した状態は不可。気持ちが落ち着かず身体にも周囲にも開かれていないのは不可。膝裏が緊張しているのは不可。各関節が鈍角になり柔らかくなっていなければ不可。眉の間を空けるように。眼差しはぽっと遠くを見るように。舌先は軽く上顎につけ歯を軽くかみ合わせるように。首の力 [続きを読む]
  • 站?が行われる理由
  • 站?が、単に気持ちを落ち着かせたり、身体の調子を整えるというものだけなのであったなら、長い歴史をもち、(少なくと当初は)戦うためという具体的な目標設定をされた武術の中で、はたして残ってきただろうかと考えることがあった。力の養成として効果的な方法論であるから伝統的に多くの武術の中に取り入れられ活用されてきたのではないか。あるいは、実際の用に役立つ方法論であったから連綿と続けられてきたのではないかと考 [続きを読む]
  • 試力の基本
  • 基本の再掲。試力は、阻力を感じつつ緩々と動く。その際に、手を眉より上げず臍より下げないとか、各関節は鈍角になるとか、手首を柔らかに動かすとか、手と手、手と身体は逆行の感覚を持つなどの注意がある。内意は外形に表れるし、整った形には意が伴いやすい。 [続きを読む]
  • 直拳の学びかた
  • 直拳は、直ならざる直拳といわれるように、特に腕の関節に余裕をもったような形になるところが外形的特徴である。イメージの上では、両の手でゴムを引きちぎるとか、全体が爆炸するようにというところでもあるにもかかわらずそういった形になるので、相当稽古が進んでもなんとなくのわかりにくさが残るもののひとつであるようだ。拳の軌道は、上から手を回すように出し真っ直ぐに引いてくるのだけれど、意識としては相手まで最短距 [続きを読む]
  • 摩擦歩の安定
  • 摩擦歩の安定感は、薄氷を踏むようにと表現され、ゆっくりとして、安易に足を踏み込んだり蹴りだしたりしないところがみそになる。足腰はどっしりとして、いるが股関節や膝は柔らかく、上体は下体の歩みにつれて自在に動く。芯を通して。ふらつかず。 [続きを読む]
  • 即ということ
  • 意即力。触即発。等々。多くのことが一致する。一般的な六合の説明の上の、更に精緻な整体状態といえるのではないか思う。非常に難しいところだ。 [続きを読む]
  • 意拳ではどのように言っているかという見方
  • 太極拳の要訣は、練功を進める上で非常に素晴らしいもので、本当に参考になる。身体各所のポジショニングを端的に示しているとともに、動作や力のありかを明確にしているものだ。いろいろな文化は相互に影響を与えながら広がりと深さを増していくものであろうよって、先達がこれらを検討しなかったわけがない。その上で、それらをどのように表現しているかということを自分なりに整理してみる。虚領頂勁と鬆腰は上下の争力そのもの [続きを読む]
  • ある日の稽古日記
  • 「正しい練功をしていけば、気づかないうちに揮元力は養われていく。これは倦まず弛まず継続する。当初から争力を目指していくことになるが、争力で何を学ぶか。それはあらゆる方向へ発するための勁力である。 今の自分に何が足りないかと考えてみる。ひとつは身体の推進力である。前に身体を動かす際に力のでない動きによって力を出そうとしているからであろうか。なぜその動きでは力がでないか。それは、動きの起点となる部分( [続きを読む]
  • 気持ちよさを方位磁針にして心身を整える
  • そもそも養生だけ行う場合も、稽古して怪我をしてしまった場合も、あるいはなんらか体調を崩してしまった場合も、養生をする大前提は同じである。つまり、リラックスや気持ちよさを方位磁針として、心身状態を整えるということだ。局所を治す方法は西洋でも東洋でも医療にお願いするのがよいと思うけれど、それに併せて全体を調整していくのは、自分にできるかもしれない。動きや呼吸や意念が今までやってきた稽古と同じかどうか。 [続きを読む]
  • 感覚醸成の方法論
  • 意拳が日本に紹介されたときに、独特な意念操作を行うことが強調されイメージの拳法といわれていたのは周知のとおり。曰く、樹を抱える。糸で遠くと結ばれている。山を推す。天と背比べをする。水の中にボールを沈める。泥に指が刺さる。水あめをかき回す。ゴムがちぎれる。凧を上げる。等々。結局、そこで言わんとしている感覚がどんなものかが大切なのであり、イメージそのものの緻密さに意味があるのではない。また、当該感覚は [続きを読む]
  • 言っていることが変わってくるとき
  • 稽古をする中で、その段階で見えた景色や想像できる未来について記述しても、多くの場合、進歩の先には恥ずかしく思えるものになってしまう。ブログなどでその時折の感覚を記載してはいるけれど、先にいけば軽々と変化することがあることは重々承知しているところだ。何年か前に「打人你着什?急?(相手を打つことを急ぐ必要はない。)。」について、実戦において組み合う際の稽古のひとつとしての推手があり、そこでコントロール [続きを読む]
  • 振動といっても、やっていることは単純
  • 発力は、結果として震動する。意識的に二点間を往復させる運動を行うわけではない。爆炸という表現をすることもあるし膨張という場合もあるが、縮みつつ膨らみ折りたたみつつ広げていくような感じである。例えば直拳を打つ場合、足から腰、腰から肩というように時系列的に動きが生じるのはなく、ひとつ動けば動かざるところなしである。それが練られるにつれて、まっすぐ打っているのに丸く動いているように見えるということもあり [続きを読む]
  • スムーズに変化させてみる
  • 技撃?から降龍?へスムーズに変化させるには、後足を真後ろに下げるのではなくて、前足の踵あたりから90度の方向に後足を引く感じにするとやりやすい。型ではないから、その辺は自由にやればよいと思っているけれども、試力が站?の連続と考えるのであれば、間断がない動きのほうが理にかなっているのではないかと。 [続きを読む]
  • 丁八で立つ
  • 丁八歩で立つ際には、前の膝は前に引かれるように、後ろ足は、大腿が内に下腿が外に捻られるような螺旋の力を感じつつ立つ。身体は正面ではなく自然に斜めになる。 [続きを読む]